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幸福や幸運を期待するだけではなく、幸福や幸運を自分の努力で創っていきます
下から目線で生きる、つまり生かされているだけでもありがたいという視点です。 生かされている=幸福だから=幸運だから嫌なことも不運なことも苦しいこともある。 だから今のままの自分で幸福であり幸運であった。 では、なぜ自分はもっと満たされないのか?なぜ不幸なのか?と思うのか。 それは今ある幸福と幸運に感謝をせずに「もっともっと」と求めているからだと思います。 けど、確かに生き地獄もあるのが事実です。 では、幸福、幸運を感じるにはどうしたら良いのか? ・それでも生活できることを感謝すること。 ・感謝の先祖供養をすること。 ・月に一度でいいから感謝のみの奉納する神社参拝をすること。 以上を参考にされてください。 幸福や幸運を期待するだけではなく、幸福や幸運を自分の努力で創っていきます。 あわてないあわてない。 一...幸福や幸運を期待するだけではなく、幸福や幸運を自分の努力で創っていきます
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義務でやっていると息が詰まるものです。やらされているよりも「やっている」「楽しんでいる」視点があれば最高です。せっかく生きているのですから、仕事も勉強も家事も楽しめたら良いですね。人生を楽しんではいけないとは誰も言ってないです。一度きりの人生を楽しんで行きましょう。ありがとうございます。人生を楽しんではいけないとは誰も言ってないです
下から目線でいれば、人生は感謝することばかりです。生かされているから心配、苦しみ、不安も体験できるのです。そう思うと心配も苦しみも不安も人生の一部であり、人生からのプレゼントだと思えませんか?うまくいかないことも不幸も不運も人生の一部です。生かされているから体験できることです。これも人生の一部なんだと明るく諦めたら良いです。人生に苦しいこともありますが、苦しみを深くしているのは、もっともっとと言う欲心です。なにがなんでも手に入れようとか、絶対になくてはならないと思うと苦しいものです。仕事では厳しく言われるかもしれませんが、厳しく言われるのも仕事の内だと思い、自分なりに努力をすれば良いです。明るく諦めて脱力している方がいい仕事ができるものです。もっともっとと欲しいときも体に余計な力が入っているものです。軽く...日常での感謝の継続は最強です
最近は、肌や体内の常在菌が気になります。 腸内細菌=免疫 これが気になります。 肌や体内の菌を育てることに私は興味があります。 南方熊楠も粘菌への積極的な姿勢がありました。 熊楠は粘菌を守る=日本の森林を守るという活動をされていました。 つまり神社を守る活動をされていました。 肌や体内の常在菌とは宇宙とも言えそうです。 少し前には脳内フローラと言って脳内にも善玉菌のフローラ=菌のお花畑のような絨毯があるとも言われていました。 話はそれましたがこれからは腸内細菌が重要だと思います。 乳酸菌のサプリもありますから臨機応変に飲んでいけたら良いと思います。 食品から摂る乳酸菌も参考にしたいものです。 寝る前の乳酸菌の歯磨き粉も参考にしちあものです。 つまり、今日の言いたいことは、寝ても覚めても菌だ~~ と言うこと...これからは腸内細菌が重要だと思います
努力すること、頑張ることは大切です。しかし、苦しむほどしなくて良いと思います。そうではなくて、脱力していれば良いです。結果だけにこだわらずに、最高の努力をしたら結果は自然な流れにまかせれば良いです。そんなにすごいことをしなくて良いよ。今のままの自分の努力や頑張りを認めてあげたら自然と肩の力が抜けるものです。すごい人にならなくても、今のままですごい私です。私は、今のままですごい、と思って良いよ。自信とはあると思えるかないと思ったままかと言うことです。自分にはあると思って良いですよ。外側でなく内側のあるからです。ありがとうございます。自信とはあると思えるかないと思ったままかと言うことです
過去の自分や未来の自分に、「もう大丈夫だよ。安心していいよ」と心中で思うことは大切です。今を起点として、自分が過去と未来の自分に大丈夫だよ、安心していいよと心中で思うことにより、過去から未来から今の自分に安心の思いが届きます。「今は苦しいかもしれないけど、未来はああなってこうなって今は安心だよ」と心中で過去の自分に声をかけます。これを何度かしますと、過去の不安だった自分が癒やされて嫌な過去を思い出さなくなることもあります。過去=今=未来だとも言えます。ありがとうございます。過去=今=未来
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人生の途中の川の流れは急でも、川に繋がっている海は穏やかに私たちも迎え入れてくれています
目の前の景色は、流れて変わっていきます。現在、自分が欲しいものも状況や立場が変われば欲しくなくなるものです。こんなに欲しいものすらコロコロ変わっていきます。3歳頃に欲しかったおもちゃは80歳のご年配の方は今も欲しいでしょうか?欲しくないはずです。必ず変わっていくことなので慌てないで良いのです。長くても寿命までの数十年くらいです。欲しいもの以外にも、他にも楽しみがあります。せっかくの一度きりの人生ですからコロコロ変わるものに執着せずに水のように生きていきましょう。人生の途中の川の流れは急でも、川に繋がっている海は穏やかに私たちも迎え入れてくれています。あわてないあわてない。一休み一休み。と言うことです。ありがとうございます。人生の途中の川の流れは急でも、川に繋がっている海は穏やかに私たちも迎え入れてくれています
悩み、心配、苦しみ。喜怒哀楽。幸福、不幸。幸運、不運。これらは形と名前の組み合わせです。形と名前の組み合わせによって「実態」があると錯覚しています。つまり、そんなものは無いのです。形と名前の組み合わせに実態が「有る」と勘違いしています。実態があると勘違いしているのは自我(エゴ)です。だから、そんなに悩まなくていいし、心配しなくていい、苦しまなくていいよ。けど、悩みも心配も苦しみも人生からのプレゼントです。無いとは言っても有るものはある。これが正しい感覚です。喜怒哀楽できることに感謝していきましょう。ありがとうございます。無いとは言っても有るものはある
必ず変わっていく目の前の景色や執着せずに、淡々と人生に感謝して楽しんでやりましょう
喜怒哀楽や苦しみ心配などは人生からのプレゼントであった。因果から見ても人生のプレゼントを受け取るとはなにかの善悪含めて因果が昇華した。つまり、霊的な借金が軽くなり解脱に近づいた。わーいわーいと喜んでよかった。日常生活での幸運とは、善と悪の両方の因果の相殺の結果だから悪の因果を新規で作らなければ善の因果が悪の因果より勝り幸運が来るようになる。その幸運も不運も必ず変わっていくことだから慌てずに執着せずに生きていけばよかった。幸運も不安も必ず変化するのだから、幸運にも不運にもいつまでも執着するのではなくて、幸運にも不運にも感謝して楽しめばよかった。人生を感謝して楽しめばよかった。そう響いてきます。必ず変わっていく目の前の景色や執着せずに、淡々と人生に感謝して楽しんでやりましょう。ありがとうございます。必ず変わっていく目の前の景色や執着せずに、淡々と人生に感謝して楽しんでやりましょう
生きる本質とは、もう二度と生まれ変わらないようにするためです。 寿命という期間限定の中を感謝に気づくために生きます。 悟る=心からの感謝をする回数、心からの感謝の回数 悟ったという自覚がなくても、心からの感謝をしている瞬間とは悟りの最中です。 感謝をしている最中も、小さな悟りの最中だと言えます。 小さな感謝は数知れず、大きな感謝は数えるくらい。 白隠さんでしょうか? この言葉が私の記憶に残っています。 今日も心中で感謝で満たしていきましょう。 感謝の継続が心からの感謝へと自分を導きます。 ありがとうございます。感謝の継続が心からの感謝へと自分を導きます
人生が順調にいっているときほど、逆に慎重になります。まるで薄い氷の上を歩いているように四方八方に注意を向けます。いつでも幸せがなくなることを知っているからです。幸せに感謝はするけど、冷静に幸せを楽しみます。幸せがすぐに変わってしまうことを知っているからです。これから起こる被害を想定して自分なりに対策をすればあとは忘れて幸せを楽しみながら手を動かします。具体的に対策ができなくても被害を想像して、事前に気持ちの上で備えているだけでも十分です。その上で幸せに感謝して幸せを楽しみます。どれも幸せは一瞬なのを知っているからです。何か皆さんの参考になれることがあれば、幸いです。ありがとうございます。幸せは一瞬なのを知っているからです
できることは少ない自分だけど、死ぬまでに誰かの、何かのお役に立ちたい。与えられるものはなにもないけどそれでも思っている。真我の思いとは、与える思いです。人は自分が真我に目覚めている自覚がなくても与える思いがあれば、その瞬間は真我が発露しています。そして感謝ができる継続を思いますと、そこに真我の思いがあります。それでも感謝が出来る生活の継続=真我の思い感謝をしている最中は誰もが真我が発露しています。今日も人に思いだけでもいいので与えてあげられたらいいね。人に直接言えなくても、心中でこの言葉を思ってあげたいね。ありがとうございます。今日も人に思いだけでもいいので与えてあげられたらいいね
仏典を読んでいて思うのは、いくら真理を体験したとしても日常生活から離れたものはダメだということです。自分が悟ったとして人を他人に言うようではダメだということです。深く悟れば逆に無言で黙って静かに微笑んで自分の生活態度に現れて行きます。その時に他人など主張するより自分なりに他人に与える人へとなって行きます。10キロ先の他人ではなくて家族、職場、学校の友達、ご近所さんから与えることを始まります。遠くの他人ではないのです。身近な人から始まります。まずは母性の海への感謝からです。安心している自分に気づくことからです。ありがとうございます。まずは母性の海への感謝からです
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神の言葉とは、旧約聖書にあります。 人生の知恵は、老子にあります。 生活の知恵は、仏典にあります。 これらを勉強することは大切です。 しかし、一番に大切なのは自分の真我を発露することです。 知識を勉強するとは予備知識であり、真我を発露するための予備の知識です。 しかし、社会では知識も必要ですから楽しんで勉強していけたらいいね。 旧約聖書、老子、仏典も楽しめたらいいね。 今はネットにあるから無料でも良いです。 気になることが自分には最善だった。 これが言えると思います。 ありがとうございます。気になることが自分には最善だった
今日の気になったことは状況は必ず変わると言うことでした。今がダメだと思えば逆にダメな中にいる覚悟を持てば良いです。本当にダメならば、すっとやめられるものです。まだその場所でやることが残っているから気になるのかも知れません。暴力からは逃げた方がいいです。常識から判断しましょう。話はそれましたが、私は目の前に困難があれば、困難を避ける努力をした上で、避けられない困難は体験した方が良いと考えています。なにかの深い因縁の昇華かもしれません。雨が降ってもいいし、風が吹いても良いの心境でOKです。人生にはトラブルや問題があるのが自然だから、目の前の困難を避けたとしても別の困難がやってくるだけです。どっちに進んでも困難が体験しなければならないのなら逃げない覚悟を決めて逆の困難の中に入れば良いです。一緒に困難と地獄まで行...状況は必ず変わるから逆に安心なのです
これからは犯罪が横行する想定です。ですから無理は不要ですが、最近に家族にあった話です。私の母は、心のバランスがすぐに崩れて暴れる人なのですが、口頭でそれはよくないと説明、注意しても謝らなかったし反省もしなかったのですが、最近は母が落ち込むまで反省するようになりました。みんながみんなそうではないですが、まさに悪人正機だと思いました。罪を犯しても深く反省して、善行を積めばその人は救われます。これは身内の例ですが、社会には悪意を想定して、わざわざ苦労する必要はありません。勉強をして苦労を避ければ良いです。それでも体験する苦労は何かの昇華だと思い、感謝をしながら体験すれば良いです。今日の言いたかったことは人の成長を待つことでした。ありがとうございます。なんとかなる
もし現代に釈尊がいたならば釈尊も老子と同じように先祖供養を絶賛していたと思います
私は先祖供養をすると良いと思います。 仏壇や供養の一式を持てない方は、心中でのご先祖様への自分なりの感謝のことを捧げれば良いです。 これはカネもかからずに自分の思いやり、困っている先祖を慰めてあげたい気持ちから継続できるものです。 無理に先祖供養をする必要はないです。 自分から困っている先祖を慰めてあげたい気持ちのある方のみがすれば良いことです。 他人の視線を意識しても続かないものです。 これはご縁ですから無理は不要です。 ところで老子は先祖供養をどう話しているか? 家庭見るときは先祖供養の有無を見るんだよ。 地域を見るときはその地域全体の先祖供養の有無を見るんだよ。 国を見るときはその国全体の先祖供養の有無を見るんだよ。 と先祖供養を絶賛しています。 もし現代に釈尊がいたならば釈尊も老子と同じように先祖...もし現代に釈尊がいたならば釈尊も老子と同じように先祖供養を絶賛していたと思います
心とは向き、方向なのだと思います。悪事に心が向けば悪事に行き。愛情に心が向けば愛情に行く。感謝も同じでなにに感謝をするかを自分との真剣勝負なのだと思います。生かされている原点への感謝なのか?太陽さんへの感謝なのか?地球さんへの感謝なのか?大自然さんへの感謝なのか?真我への感謝なのか?ご先祖様への感謝なのか?これを日々に自分との真剣勝負です。他人に見せるものではなくて、自分の心中で継続していくことです。幸せなとき、楽しいとき、心配なとき、不安なとき、苦しいときに感謝できるか?これを24時間、365日。憎しみの気持ちがあっても感謝を向けられるか?心を感謝の方向に向けられるか?これが本当の自分(真我)に問われていると思えてなりません。今日も感謝をしてやりましょう。ありがとうございます。なにに心を向けるのか?
欲がないときは、静かなものです。 もし自分が不調を感じれば、不調に抵抗するのでなく、それもしかたないと受け入れることです。 そして、日常を淡々を過ごして行けば良いです。 楽しいなら楽しみに感謝して幸せなら感謝して苦痛があれば流れをみて心配があれば大いに心配してあとは忘れていましょう。 生きている期間限定のことだから安心していて良いです。 けど体は動かしていましょう。 自分にあれがないこれがないというのは最善かもしれません。 有ったら有ったでトラブルの元ですし、余裕があると犯罪を犯してしまうかもしれません。 ないことや有ることを悲観せずに、ないも有るも感謝して淡々と生きていましょう。 それを持たされた理由、もたされなかった理由がそのうちにわかることでしょう。 人生は長いから希望を持って生きていけたらいいね。...いつか死ぬから安心していていいんだよ
これからは愛情が大切に思います。 愛情=思いやり=優しさ=慈悲 とも言えそうです。 戦争のとき、戦地にいる兵隊さんは、明日死ぬ自分の命の心配よりも家族だけは、子どもだけは、と思っていたかもしれません。 愛情からの思いだったと思います。 自分の残りの寿命は考えれば誰かに何かに愛情をあげたいものです。 カネでしてあげられることもありますが、カネがなくても言葉で行動でできるものです。 言葉も行動もできないときは、心中で愛のある言葉を思ってあげるだけでも良いです。 相手の先行きを心配してあげるだけでも良いです。 それでもできないときは愛の眼差しでも良いです。 これで相手の未来が変わっていくかもしれません。 なにか皆様の参考になれれば、幸いです。 ありがとうございます。そこに、愛はあるんか?
そんなに体と心に力を入れるなよ。力みすぎてもよくないよ。脱力脱力。体は動かして体は力を抜いていればいいさ。どんなこともやがてこの世に捨てて逝くのだからなにを慌てる必要がある?気楽で元々だよ。生活用品を大切に責任を持って所有することは大切だけど、過剰なものまで所有すると苦しみも増え出すものさ。まあ、肩の力を抜いて脱力してみようよ。あわてないあわてない。一休み一休み。と大自然から伝わってきそうです。ありがとうございます。あわてないあわてない。一休み一休み
自分が犯罪に巻き込まれる想定もして、愛情を与えて行きましょう
カネも、仕事も、家族も、健康も、自分の肉体もいつかはこの世に置いて逝きます。 今回の生において、持たされているものです。 他人の持たされているものを見て、自分と比べて悲観したります。 自分が持っていないものを、他人の持っているものとを比べて悲しんだり、嫉妬したりします。 これは自分から愛情や感謝、慈悲を出すことで将来に現実が変わります。 だから「現在」持っていないからと言ってあわてることはないです。 順番が逆で、まず自分から他人に出して、「時間差」で自分が受け取るだけのことだったのです。 持たされている人を観れば、その人は過去に自分から愛情を出した過去があるのです。 ですから、自分の愛情を他人に向けて出せば良いのです。 自分が出した愛情を受け取るには「時間差」があるので淡々と愛情を出すことです。 個人への...自分が犯罪に巻き込まれる想定もして、愛情を与えて行きましょう
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人生の法則として、自分がしたことが自分に帰ることです。よく言われるのが因果の法則です。自分がした良いことも悪いことも自分に返るということです。今日は、これを応用します。生活するときも勝ちを相手に譲ってあげたら、やがて自分が勝つ縁を作っていた。自分が真剣に戦って負けてあげたとき、やがて自分が祝福される縁を作っていた。自分が他人を褒めたからいつかの世で自分が祝福を受ける縁を作っていた。自分から愛したから将来に自分が愛される縁、豊かになる縁を作っていた。この全ての共通点は、求める前に、自分から提供したことです。何か皆様の参考になれれば、幸いです。ありがとうございます。負けても良いよ。勝ちを譲ってあげても良いよ
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生きるとは苦しみであるby釈尊 幸福になっても幸福が消えていく苦しみがあります。 物を手に入れても失くしたり盗られる苦しみがつきまといます。 異性と付き合えてもけんか別れや死別の苦しみがあります。 つまり、いいことがあったとしてもいいことがなくなっていく苦しみがあるのです。 では、必ず苦しみが来るいいこととは本当にいいことだろうか? 初めから持っていないとは幸福かもしれない。 それならば、プラスとマイナスの相殺の上である日常とはありがたいではないですか。 喜怒哀楽があり、それでも生活できること。 究極の下から目線の生かされている上で起こる喜怒哀楽。 生かされている原点への感謝とは、それだけでOKということです。 罪があるけど生かされている、これが答えです。 自分が罪を犯したとしても、生きている限り、罪を償...生きているからブログも読めるし、甘いおやつも食べられるし、スマホやPCで動画も見れるし、お昼寝をすることもできます
いつの世でもあるのは男女の恋愛関係の問題です。 男女の問題も根っ子を見て行けば性欲というサガ(性)です。 では、なぜ性欲が起こるのか? ラマナマハルシはこれを、お互いの形(性器など)の形が違うから性欲が起こると話しています。 なんということでしょう。 性欲とはお互いの体の形の違いから起こっていたのでした。 しかし、これは厳密にいえば性欲はあっても良いのです。 理由は、性欲がないと子孫が残らないからです。 子孫が残るから人類は存続してきました。 男女の恋愛問題からなにをいいたのかと言うと、性欲もほどほどで良いのです。 極端になりすぎるから問題が起こるものです。 人は極端になりやすいサガ(性)なのです。 いつの時代も男女の問題はあるものです。 問題があるのを当然として最悪を想定して虎視眈々と楽しんで行きましょ...問題があるのを当然として最悪を想定して虎視眈々と楽しんで行きましょう
最近は、若者言葉で「すぐにキレる」人が多いです。 生活する上では「すぐにキレる人」を想定していることが大切です。 同じように自分も怒ったり、すぐにイライラしないことがより大切です。 イライラが怒りの火種になることはよくあることです。 では、釈尊は怒りについてどう話しているか? 怒りを制する者は輪廻転生を終わらせることができると話しています。 怒りの根っこの部分とは自分の妄想である可能性です。 修行をして悟らなくても怒りを制するだけでもよかったのです。 やはり釈尊の言葉には、大自然に溶け込むような気持ちになるものばかりです。 自分の怒りを水に流して行きましょう。 ありがとうございます。自分の怒りを水に流して行きましょう
長所も短所も良いもの悪いも時代や国や立場が変わっていけばその内容も変わっていきます。そんな時は淡々と自分のやるべきことをしていけば良いです。仕事に合わせながら真我をお守りすれば良いです。大切は自分の真我の思いです。真面目に生きていれば大丈夫になります。生きるという期間だけではなく、長い死後の世界もあります。死後を忘れない、いつか自分他人も死んでしまう存在なのを忘れなければ大きな罪は起こしにくいものです。恐れるは真我です。死後に公平な視点から見られるのが真我です。ダメダメでも失敗ばかりでも大丈夫です。感謝して努力を続けていけば大丈夫な世界です。今日も感謝して努力を続けて行きましょう。ありがとうございます。感謝して努力を続けていけば大丈夫な世界です
仕事をしていればうまくいかないことがあります。いえ、仕事でなくても家庭でも勉強でもうまくいかないことがあります。つまり、仕事も家庭も勉強もうまくいかないのが自然な姿なのです。だから、慌てずに努力をすれば良いと思います。努力してうまくいくわけではないです。けど、努力を続けます。脱力しながら結果はおまかせで良いです。死ぬときに全てを置いてこの世を去るのですから、うまくいったことうまくいかないことも捨てて逝きます。だからうまくいってもうまくいかなくても問題はないです。最後には捨てていくことだからです。大切は、努力していることです。病気で布団の上にいても感謝できることを探したり療養する努力をする。治療努力する。これならば布団の上で動けなくても努力できます。うまくいかなくて元々なので、ダメで元々なので挑戦しましょう...うまくいかなくて元々なので、ダメで元々なので挑戦しましょう
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真我をお守りするのは? 日々の生活への注意。 食事への配慮。 防犯への注意です。 ところで近年は凶悪犯罪もありますから、女性の一人暮らしには注意です。 いろんな趣向の人がいますから、女性の一人暮らしは監視されていると思っても間違いではないと思います。 けど、心配過多になってはいけないです。 おおいに心配したら防犯を意識しながら自分の生活を楽しめば良いです。 帰宅時にドアを開けて、そのまま不審者に突進されてそのまま〇イプもある話なので注意です。 帰宅のときは、周囲に人がいないかの確認が良いです。 日中でもです。 これからは自分の身は自分で守ることが大切だと思います。 真我をお守りしましょう。 女性は男性以上に警戒心が大切です。 ありがとうございます。女性は男性以上に警戒心が大切です
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人生も河の流れのようです。 上流では水は清いが生き物が少ないです。 中流になり河の曲がり角が多く、水は角にぶつかりながら、緩急つけて、時には停滞して母性の海を目指します。 下流の海になるといろいろな多くの生物がおり、魚(人)豊富です。 もし、社会から、家庭から、逃げようと思えばそれは海にいる豊富な魚がいるところから逃げるということです。 海があるから幸運があります。 海があるから幸福がります。 どこに逃げても同じような苦しみが来るものです。 それならば今いる場所の苦しみの真ん中で安心して楽しめば良いです。 けど暴力や逃げなければいけない場合もあるから臨機応変に対応です。 苦しいのが当たり前だから今さら苦しくてもいつものことじゃないか。 いっそ苦しいならば、苦しみのど真ん中で安心して居よう、楽しんで居よう。...苦しいのが当たり前だから今さら苦しくてもいつものことじゃないか
押してダメなら引いてみな。人生にもこれくらいのゆとりがあるといいものです。しかし、渦中ではどうしても押す一方になりがちです。そんな時は、それが「必要な期間」だったと言えそうです。では、押しても引いてもダメな場合はどうしたらいいのか?自分が出来る努力を継続しながら、忘れていることです。無駄に力が入っているよりも脱力している方が、無意識の力も働きやすいです。押してダメなら引いてみな、心に力を入れてダメなら脱力してみな、にも言えそうです。これならば努力にも言えそうです。努力してもダメなら脱力してみな。今日も最高の努力を真我に見せていきましょう。ありがとうございます。努力してもダメなら脱力してみな
下から目線で生きる、つまり生かされているだけでもありがたいという視点です。 生かされている=幸福だから=幸運だから嫌なことも不運なことも苦しいこともある。 だから今のままの自分で幸福であり幸運であった。 では、なぜ自分はもっと満たされないのか?なぜ不幸なのか?と思うのか。 それは今ある幸福と幸運に感謝をせずに「もっともっと」と求めているからだと思います。 けど、確かに生き地獄もあるのが事実です。 では、幸福、幸運を感じるにはどうしたら良いのか? ・それでも生活できることを感謝すること。 ・感謝の先祖供養をすること。 ・月に一度でいいから感謝のみの奉納する神社参拝をすること。 以上を参考にされてください。 幸福や幸運を期待するだけではなく、幸福や幸運を自分の努力で創っていきます。 あわてないあわてない。 一...幸福や幸運を期待するだけではなく、幸福や幸運を自分の努力で創っていきます
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義務でやっていると息が詰まるものです。やらされているよりも「やっている」「楽しんでいる」視点があれば最高です。せっかく生きているのですから、仕事も勉強も家事も楽しめたら良いですね。人生を楽しんではいけないとは誰も言ってないです。一度きりの人生を楽しんで行きましょう。ありがとうございます。人生を楽しんではいけないとは誰も言ってないです
下から目線でいれば、人生は感謝することばかりです。生かされているから心配、苦しみ、不安も体験できるのです。そう思うと心配も苦しみも不安も人生の一部であり、人生からのプレゼントだと思えませんか?うまくいかないことも不幸も不運も人生の一部です。生かされているから体験できることです。これも人生の一部なんだと明るく諦めたら良いです。人生に苦しいこともありますが、苦しみを深くしているのは、もっともっとと言う欲心です。なにがなんでも手に入れようとか、絶対になくてはならないと思うと苦しいものです。仕事では厳しく言われるかもしれませんが、厳しく言われるのも仕事の内だと思い、自分なりに努力をすれば良いです。明るく諦めて脱力している方がいい仕事ができるものです。もっともっとと欲しいときも体に余計な力が入っているものです。軽く...日常での感謝の継続は最強です
最近は、肌や体内の常在菌が気になります。 腸内細菌=免疫 これが気になります。 肌や体内の菌を育てることに私は興味があります。 南方熊楠も粘菌への積極的な姿勢がありました。 熊楠は粘菌を守る=日本の森林を守るという活動をされていました。 つまり神社を守る活動をされていました。 肌や体内の常在菌とは宇宙とも言えそうです。 少し前には脳内フローラと言って脳内にも善玉菌のフローラ=菌のお花畑のような絨毯があるとも言われていました。 話はそれましたがこれからは腸内細菌が重要だと思います。 乳酸菌のサプリもありますから臨機応変に飲んでいけたら良いと思います。 食品から摂る乳酸菌も参考にしたいものです。 寝る前の乳酸菌の歯磨き粉も参考にしちあものです。 つまり、今日の言いたいことは、寝ても覚めても菌だ~~ と言うこと...これからは腸内細菌が重要だと思います
努力すること、頑張ることは大切です。しかし、苦しむほどしなくて良いと思います。そうではなくて、脱力していれば良いです。結果だけにこだわらずに、最高の努力をしたら結果は自然な流れにまかせれば良いです。そんなにすごいことをしなくて良いよ。今のままの自分の努力や頑張りを認めてあげたら自然と肩の力が抜けるものです。すごい人にならなくても、今のままですごい私です。私は、今のままですごい、と思って良いよ。自信とはあると思えるかないと思ったままかと言うことです。自分にはあると思って良いですよ。外側でなく内側のあるからです。ありがとうございます。自信とはあると思えるかないと思ったままかと言うことです
過去の自分や未来の自分に、「もう大丈夫だよ。安心していいよ」と心中で思うことは大切です。今を起点として、自分が過去と未来の自分に大丈夫だよ、安心していいよと心中で思うことにより、過去から未来から今の自分に安心の思いが届きます。「今は苦しいかもしれないけど、未来はああなってこうなって今は安心だよ」と心中で過去の自分に声をかけます。これを何度かしますと、過去の不安だった自分が癒やされて嫌な過去を思い出さなくなることもあります。過去=今=未来だとも言えます。ありがとうございます。過去=今=未来
釈尊、老子、ラマナマハルシ、マハラジ。 彼らは自己への探究で覚醒しました。 ですから釈尊は自灯明と発言し、マハルシは「私は誰か?」と探究し、マハラジも老子も同じです。 正しい自己への探究は物も他人も必要ありません。 自分一人でできます。 だから私のブログも本来は不要なのです。 けどこれからも書かせてね笑 書かなければいけないような気がするのです。 自己への探究は、自分の家系の先祖に向かうのも正しいです。 日々の先祖供養と感謝の継続が覚醒へ導きます。 物や他人に依存することはないです。 身一つで十分です。 今日も感謝を継続して行きましょう。 ありがとうございます。真我に目覚めるとは自分の身一つで十分です。
人生に答えない。 しかし、真我を思い出し、感謝を継続するという答えがあります。 この答えは、全ての人に共通することだと思います。 「私」という夢を見ています。 私とは=時間の経過、空間の拡大 です。 私という夢はいつ始まるのか? これを探求してみたいと思います。 大人になった今、大人になるまでの御蔭様がありました。 誰もに共通するのは、自分が赤ちゃんの頃です。 赤ちゃんの頃は完全に周りの環境の流れに身をまかせています。 母乳(粉ミルク)をいただきました。 オムツを替えていただきました。 入浴をして心身を生活にしていただきました。 泣いたときにはあやしていただきました。 一緒に遊んでいただきました。 数えればまだまだありそうです。 これらをしてくれた大人がいるのです。 赤ちゃんの頃の自分が求めればしてくれた...御蔭様のおかげで今まで生きてくることができました。
本日の記事の更新はお休みです。 楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み
私は食事をいただく時には、食前に食材と神様と先祖への感謝が日課です。 今では日課ですが私は忘れっぽいのでいただきますとご馳走様です、が定着するまで数年かかりました。 御蔭様で外食するといただきますとご馳走様をするのは私くらいなものです笑 それだけ無意識にしてしまうくらいに定着していました。 私は継続に神を見ます。 感謝をすると何も起きませんが、「無言」だから良いのです。 もし感謝をして自分と会話する存在があればそれは注意です。 奇異がないのが神がかりです。 ですから私は祈願、占い、霊能にはノータッチです。 この話が皆様の参考になれば幸いです。 ありがとうございます。食事をいただけるご縁に感謝です。
人生を楽しむということを考えてみました。 誰にでもあって、どんな時にも楽しめるもの。 それは感情や、他人を喜ばせるために使っている行動、時間。 人を思い遣っている行動、時間。 などだと思いました。 苦しい時間もあれば安らぎの時間もあります。 心配している時間もあれば不安な時間もあります。 怖がっている時間もあれば安心している時間もあります。 苦しい感情のときもあれば安らぎの感情のときもあります。 心配している感情の時間もあれば不安な感情のときもあります。 怖がっている感情のときもあれば安心しているときの感情のときもあります。 これらの時間を、感情をプレゼントしていただいています。 これを楽しめば良いのだと思います。 怖いときは怖がれば良いのです。 心配しているときは心配すれば良いのです。 楽しいときは楽し...時間を、感情を、それらは人生からのプレゼントだからです。
自分や他人へのイメージというのはコロコロ変わるものです。 自分へのイメージが変わるということは、他人にならなおさらです。 自分が自他にする善悪の評価もコロコロ変わるものです。 だから自分が変わるときは一瞬です。 きっと前触れもなく一瞬で変わることでしょう。 真我への目覚めも同じです。 いつの間にか一瞬で真我に目覚めているものです。 今日は、自分が人から悪い評価をつけられることを必要以上に怖がらなくていいよということを書きたいと思います。 他人は自分への善悪の評価を「その時の気分」で付けて、変えていくものです。 自分が気にしている他人から得た善悪の評価も、他人は評価したことを忘れているものです。 つまり、評価とはそれだけ曖昧なものなのです。 子供の頃に欲しかったおもちゃは欲しいおもちゃですが、大人になってか...自分が変わるときは一瞬です。
明日捨ててしまう生ゴミなのに誰が前日に生ゴミの中身を確認するでしょうか?そう発言する聖者が過去におられました。生ゴミとは自我(エゴ)のことです。つまり、対象の私のことです。私も人類は最後にはみな自我を明け渡して、真我に気づくと信じています。ところで私と言う対象とは誰のことでしょうか?それは真我が私という個性を想像したときに出来上がる「私とは〇〇である」という自分像です。夢の私です。このイメージは簡変わります。子供の頃に思っていた自分というイメージは、大人になった今の自分イメージは違います。今、流行りの自己評価や自己肯定感は変わりやすくあり、自分で変えて良いのです。周りからの評価はコロコロ変わるし、変わっていって良いので自分への評価を肯定して良いのです。つまり、自分を信じるということです。自分は、価値ある評...自分というイメージはすぐに変わります。だから自分を信じて上げましょう。
人生の喜びと苦しみもプレゼントだと私は思っています。これが深くわかりだしますと、人は黙るのではないでしょうか?地獄を見ても人は黙ります。あれ?喜びも苦しみもいただいても地獄を見ても黙るのです。行き着く先は同じだったのです。これでいい、ちょうどいいというのがわかるのです。そんなに人生をあせらなくても今の自分にちょうどよいのです。ならば、この地獄に肩までつかっていればよいのです。地獄まで共に参ります、で良いのです。意外とこの方が早く地獄から抜け出せるかもしれませんよ?喜びにも苦しみにも感謝していましょう。行き着く先はみな感謝です。ありがとうございます。行き着く先は同じだったのです
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ここ数年間ほぼ毎日ある男性の意識に変わります。 良い思いならば良いのですが、嫌な印象が残る意識なのです笑 相手の方は、事情のある方なので相手が死ぬまで続くと思っています。 しかし、よくよく考えてみますと、人類も大自然もせっかく地球が作って残してくれたものです。 生きているから体験できることを思えば感謝ができそうなものです。 「いや、あの人はとんでもない人で私は感謝できないです」 という人もおられると思います。 私は、それでも良いと思います。 感謝をするか、しないかは個人の自由に思うからです。 感謝できなくても良いので相手の悲しい背景、寂しい生活環境を思いやってはどうでしょうか? 物理的な距離は置くけれども心は相手への慈悲を向けます。 私は、勉強をするのも、当たり前の感謝に気づくためだと考えています。 同じ...今日という日常を一緒に頑張りましょう
たまには音楽を聞いてみてもいいね。 動画サイトで無料の音楽があるので、自分に合った音楽もいいね。 私は日常的に音楽を聞きますが、音楽を聞くのが日々の楽しみです。 ショパン、バッハ、モーツァルトを聞きます。 その時の気分に合わせて洋楽、邦楽、アニソンなども聞きます。 特に最近聞くのがライアーとシタールの楽器の曲です。 これは心にポツンと音が落ちて静かになるのが好きで好んで聞きます。 本来の静寂を思い出させます。 あわてないあわてない。一休み一休み。 ありがとうございます。音楽は、心にポツンと音が落ちて静かになるのが好きで好んで聞きます
最近に思いますのは、幸福にせよ、不幸にせよ現在の体験が2度と来ないことを私たちは知っているのではないでしょう。 だから幸福には感謝して喜びます。 不幸には因果の精算がこれで済んだと泣いて喜ぶのでしょう。 物質的に恵まれても、心が安心していても、いつも考えているのは地球のことであり他人のことです。 この世には自分一人だけしかいないのが真実です。 しかし、それでも地球や他人のことを考えてしまうのです。 あれほど自分のことばっかりだったのに欲望の対象が変わるだけで人はころっと変わってしまいます。 その人にはその人の人生のテーマがあると思います。 感謝をするテーマだったり、素直になることだったり、謝ることだったり、因果を精算のするテーマだったり。 私はすべてに共通する人生のテーマが感謝の継続だと思っています。 仕...2度とない現在を転げ回って生きてやりましょう。
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どんなことも思い出になります。 苦しみは、渦中は苦しいですがやがて思い出になります。喜びは、最中は嬉しいですがやがて思い出になります。 つまり、現在、苦しいということは、喜んでいるということは、思い出になることが決まっているのです。 喜びはすぐに忘れてしまうので感謝の継続がをすれば良いと思います。 けど、苦しみはすぐには忘れないし、時間の経過と共にただの苦しみに色がついて余計苦しくなることがあります。 けど、いつか思い出になることが決まっています。 ですから、受け取ってしまった苦しみならば、苦しみを体験できることに感謝すれば良いのだと思います。 せっかく受け取ってしまった苦しみが「有る」のですから感謝していただきましょう。 有るものだから体験して行きましょう。 この世は、苦しみと言います。 喜びもやがて苦...喜びはすぐに忘れてしまうので感謝の継続がをすれば良いと思います。
人は、裸で生まれて、裸で死んで行きます。 歴史の教科書では、人類の初期はほら穴での生活でした。 寿命で死ぬのも30代頃だと推測されています。 つまり、悲しめるのも苦しめるのも損したり、失っているように感じますが、逆に悲しみも、苦しみも得ているといえないでしょうか? 悲しみも苦しみも逆の感情を知っているからこその悲しみであり苦しみです。 つまり私たちは自分なりの幸福を知っているのです。 あの人のような幸福でなくても自分なりの幸せがあります。 それは悲しみを体験する人生かもしれませんし、苦しみを体験する人生かもしれません。 楽しい人生もあるかもしませんが、楽しみの裏では幸運を使って減らしているかもしません。 今が楽しい人は、感謝の継続です。 これが幸運を減らさない生き方です。 今が不幸だ、苦しい人は、現在に幸...人は、裸で生まれて、裸で死んで行きます。
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渦中の最中は、辛く、苦しくて、余裕もなく感じることもあるものです。渦中を過ぎて、何年も立つとあの時まだまだ頑張れたな、もっと頑張ればよかったな、と思う時があります。これは死後に誰も思うことだと思います。家族のためや、会社のため、友達のため、人類のためにいろいろ頑張るけど結果が良くないこともあります。そんな時は「〜ために」ではなく自分でやりたいからやっているという、自分の行動の見返りを求めない、相手の反応を期待しない心の態度が良いと思います。人は受け取ると心が弱くなります。ですから、与える一方で良いのです。お喜びいただけるだけで十分です。お喜びいただけるとは、相手が笑顔になるだけではないです。中には感情のはけ口として、ひどいことを言われることもあります。けど、それで良いのです。人の嫌な部分も含めてお喜びいた...逃げられない、、、それならば今日も善意も悪意も受け切ってやりましょう。
執着はするな、とは釈尊の御言葉です。 私も同意します。 けど、自分の人生は簡単に諦めてはいけないと思います。 自分とは真我を預かることで人生を生きることが可能であり、真我をお守りすることも大切だからです。 つまり、 ・結果に執着はしないけれど、最高の努力をします・病気で布団から出られない時は布団の中で養生という最高の努力をします と言うことだと思います。 あの人のように努力できないものだし、思うほど成果が上がらないかもしれません。 けど、不自由な世界に生きているのですから、うまくいかないのが自然だからこれで良いのです。 昔の人も、未来の人も、現在の人もうまくいかない中を生きています。 私たちもうまくいかない中を感謝して生きれればそれで良いのです。 この現実を右往左往しながら生き抜いてやりましょう。 うまく...結果に執着はしないけど、最高の努力をします。
考えてもみましても、自分の体験とは、2度とできない体験なのでしょう。 笑うことも、泣くことも、怒ることも、悲しむことも2度とない体験です。 それを思うと今のうちから、もっと体験してやろうと思えるかもしれません。 老子は、全ては逆であるとします。 ・幸運の時は、逆に幸運を使っていたのです ・不運の時は、逆に幸運を貯めていたのです これが言えると思います。 では、幸運を無くさない、不運を幸運にして貯めるにはどうしたら良いか? 私は感謝の継続だと思います。 気づかない幸運を取りこぼしてしまうこともありますが、ご先祖様への感謝で良いと思います。 ご先祖様への感謝の継続=幸運の継続 が言えると思います。 ならば、もうちょっと苦労して感謝してやりましょう。 ありがとうございます。・幸運の時は、逆に幸運を使っていたのです・不運の時は、逆に幸運を貯めていたのです
たまには私の休日のことを書いてみたいと思います。私は休日になるとコンビニでドリップコーヒーを買いに行き自宅に帰ってからPCをしながらゆっくりと飲みます。以前は、コーヒー豆を買って自分で粉にして飲んでいましたが、今は自宅の設備の都合でコーヒーに使う水を蒸留できないのです。近所にあるスーパーでお茶と良いお水を買わせてもらって飲ませてもらっています。読書が趣味なのでよく本を読みます。愛読書は、「老子」です。この本は好きなので紙、電子書籍共に手元に置いてあります。釈尊の本も好きなので紙、電子書籍共に手元に置いてあります。漫画もたまに読みます。主にギャグ漫画を読みます。ドラえもん、クレヨンしんちゃん、浦安鉄筋家族などです。健康にいられるのも生活に笑いがあるからかもしれません。ギャグを考えて一人で笑ったりもしますね笑...たまには自分のことを。