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2021/07/23

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  • 幼くして死んだ子どもは、誰もが仏様の蓮の花の花弁一枚一枚になります

    人生は生かされている上での出来事。 これは悩みも、苦しみも、心配も、苦労も生かされている上での幸せなことだったと言えます。 もっと大きな悩みや苦しみや心配や苦労があったかもしませんが、今はそのくらいで済んでいます。 10代20代の身を削るほどの悩みも80代90代の頃にはできません。 祈るような日も、楽しい日も、すべてが一瞬の出来事であり、すべては変化して行きます。 救い=変化 生かされているだけでも救いです。 もちろん、地獄のような出来事もあることでしょう。 けど寿命までのほんの数十年です。 親も子どもが死ぬという生き地獄を体験している方もおられるものです。 けど、親は死んではダメです。 寿命まで生き切って死後に子どもと面会しましょう。 幼くして死んだ子どもは、誰もが仏様の蓮の花の花弁一枚一枚になります。...幼くして死んだ子どもは、誰もが仏様の蓮の花の花弁一枚一枚になります

  • 感謝をしている最中とは人は宇宙と解け合っていると思えば夢がありませんか?

    最近に自分は最期の最後にどう思うかを想像してみました。 私は最後には感謝していると思います。 感謝の継続が私の修行であると考えます。 生涯にストーンと落ちるような感謝は数回ですが、日常の感謝は無限です。 この宇宙にストーンと落ちる体験を私は小学生の頃に体験しています。 私は荒れた家庭環境から人の情けを知らずに、同級生の情けをもらってから宇宙に落ちました。 不良になりつつある人生だったのが一瞬で変わりました。 宇宙=感謝の継続 今ならばこう思います。 感謝をするとはその場にいながら、仕事をしながら、家事をしながら、勉強しながら宇宙と解け合うことです。 宇宙の本質は感謝です。 感謝をしている最中とは人は宇宙と解け合っていると思えば夢がありませんか? 自分とは宇宙だったのです。 ありがとうございます。感謝をしている最中とは人は宇宙と解け合っていると思えば夢がありませんか?

  • お休み

    本日の記事の投稿は、お休みです。 楽しみにされていた方、申し訳ないです。お休み

  • お休み

    本日の記事の更新は、お休みです。 楽しみにされていた方、申し訳ないです。お休み

  • 春はホルモンバランスからの不調に注意です

    春は、気温の高低差で心身の不調があるものです。 高低差の激しい気温の変化で体のホルモンバランスが崩れます。 そんなときは、無理をしなくて良いのです。 自分の心が弱い、強いの問題ではなくてホルモンバランスによる自然現象だからです。 眠くなれば寝るように、ホルモンバランスが崩れて不調を感じれば心を休めて良いのです。 自分は人から不要に思われてないか? 自分はここにいてはいけないのではないか? そう思えば、逆にそこにいて欲しいです。 自分は不要なのだと思い込んで、最悪の結末を迎えて人の心に傷の残さないようにそこにいて欲しく思います。 自分はその場に、不要なのではないかと思うのもホルモンバランスからかもしれません。 一時的なことだからゆっくりで大丈夫です。 ありがとうございます。春はホルモンバランスからの不調に注意です

  • 幸運=自他の死を意識して正気に戻ること

    今日は、自分の死について考えています。 生まれた以上いつかは肉体や持っているもの(仕事、家族、異性、カネ、肩書きなど)をこの世に置いて死んでいきます。 私も遅かれ早かれです。 生まれてくる奇跡。 それでも生活できる感謝。 これを思えば、まだ死にたくないです。 一休も良寛も最後に「まだ死にたくない」と遺しています。 これはこの世への賛辞です。 心の道を修めたから出る言葉です。 自分も人もいつか死ぬことを思えば悪いことはできないものです。 死を意識するだけでも道が正されて、正気に戻るものです。 だから、自分の正気に戻してくれる人は、いい男でありいい女です。 幸運=正気になること これも言えると思います。 幸運=自他の死を意識して正気に戻ること。 だと私は思います。 ありがとうございます。幸運=自他の死を意識して正気に戻ること

  • 自分なりの個性的な想像で良いので体験しなくてもよい危険を創造して避けていましょう

    事前に被害を想定して「想像」すること。 想像で体験せずとも避けられる危険があります。 浮気を続けていればどうなるのか? 無謀な金銭の使い方をしていれば生活はどうなるのか? 食べ物に選ばずに暴飲暴食していれば今は良いが数年後はどうなるか? 怒ってばかりだと心身の健康はどうなるであろうか? このように被害を想定していますと、その後の顛末が分かり出します。 事前に想像力してわかるとは知恵であると釈尊も遺しています。 自分なりの個性的な想像で良いので体験しなくてもよい危険を創造して避けていましょう。 ありがとうございます。自分なりの個性的な想像で良いので体験しなくてもよい危険を創造して避けていましょう

  • 女性の一人旅の時に暴漢に襲われるかもしれない被害の想定と対策をする場合、と暴漢に襲われる被害の想定と対策の無い頭がお花畑の場合とはではどちらが安全であり結果が違うか?

    自分から見える景色とは 「形」 と 「名前」 であっただけ。 形と名前の組み合わせで無限に出来上がる、世の中で私たちは喜怒哀楽していただけだった。 この流れの中を泳いでいるだけなので、なにもあわてることはなかった。 この宇宙の中の流れの中にいて、息ができるだけでもありがたい、生かされているだけでもありがたいと下から目線であればすべてはありがたいことだった。 苦労も、失敗も、病気も、借金も、仕事も、家庭も、勉強も、カネも、異性も、形と名前の組み合わせに喜怒哀楽していただけだった。 だから真我の視点では、初めから何も起こってはいなかった。 自我(エゴ)があったから形と名前の組み合わせの内容が本当にあるように錯覚しただけだった。 しかし、そうはいっても実際の生活、社会の中では危険があるものです。 事前に危険の被...女性の一人旅の時に暴漢に襲われるかもしれない被害の想定と対策をする場合、と暴漢に襲われる被害の想定と対策の無い頭がお花畑の場合とはではどちらが安全であり結果が違うか?

  • ニュースを見ていても、可哀そうと思える自分なのか?

    人のために何か出来ないかと考えていきます、謙虚な方は、自分は、人になにもしてあげられないと思うものです。 しかし、それで良いのです。 今は善意を利用されて犯罪もありますから、具体的に与えられなくても、与えてあげたいという「思い」でも十分です。 仕事や、家庭や、勉強をしていますと思うように人に与えることができないものです。 時間がないこともあり、助けたくても助けられないことが多々あります。 そんな個人の背景もありますし、相手の苦しみを取り除いてあげたい、楽しい思いをさせてあげたいという「思い」だけでも価値があるものです。 ニュースを見ていても、可哀そうと思える自分なのか? 被害に遭った人を笑う自分か? これが個人によりわかれそうです。 これからの社会を冷静に見て行きましょう。 ありがとうございます。ニュースを見ていても、可哀そうと思える自分なのか?

  • 何もできない自分だけど、お役にたちたいという思いだけでも十分なのです

    心の喜びとは、究極を言えば誰かの、何かのために与えてあげることだと思います。 自分一人だけ悟ってもつまらないし、自分一人だけで幸せになってどうするのでしょうか。 人生の目的の一つの真我の探求はおおいにすれば良いです。 しかし、真我に目覚めたあとの生活があるわけです。 真我に目覚めるのがゴールではなくて、通過点です。 その後の生活があるわけです。 家賃もかかるし、食費もかかるし、仕事もあるし、家庭もあるし、勉強もあります。 それならば人のお役にたちたいと思うのが自然ではないでしょうか? 理由は、日常生活のもったいなさに気づくからです。 もったいなさに感謝せずにはいられないです。 死ぬまでに誰かの何かのお役にたちたいと思うのも自然な気持ちだと思います。 真我に目覚めなくとも誰かのなにかのお役にたちたい思いとは...何もできない自分だけど、お役にたちたいという思いだけでも十分なのです

  • 私たちの本性は無であり歓喜なんだ

    そんなものは無い。 初めからかなにも無い。 何も無いから心が歓喜であり、至福であり、静寂なんだ。 汚れたと思うのはエゴ(自我)があるからなんだ。 けどそのエゴですら真我の作り出したものなんだ。 だから初めからなにも無い。 有ると思っているだけなんだ。 無とは、歓喜なんだ。 心の歓喜なんだ。 心が歓喜していればそれは悟りなんだ。 始めから悟る必要なんてなかったんだ。 悟っている自覚の有無だけで人は元々悟っていたんだ。 日常に溶け込むから静かな歓喜になっているだけなんだ。 私たちの本性は無であり歓喜なんだ。 ありがとうございます。私たちの本性は無であり歓喜なんだ

  • 防御に徹するのは心を安静にして楽しんで人生を生きることが目的です

    自然界のもっとも弱いと言われる水がなぜ最強なのか? それは自然界にそって自分の姿を変化させることができるからです。 ダムのように水を溜めれば、ダムが決壊すれば一つの街を破壊するほどの攻撃力です。 しかし、私のいいたのは攻撃ではないです。 水の本質は攻撃ではないです。 ここが注意です。 水が最強なのは、その防御にあります。 老子はこれをなんと言っているか? 1歩や2歩攻めるよりも何歩でも良いので後退して防御に徹すること。 だと記憶しています。 ですから老子は、水の防御を絶賛しています。 仕事や家庭や仕事で何か問題があれば、相手を見てへりくだり防御に徹することも参考にされてください。 相手にへりくだるのもただ無難に済ませたいだけです。 まだカネの問題で済めば良い方です。 これが心身の健康や命などが犠牲になって...防御に徹するのは心を安静にして楽しんで人生を生きることが目的です

  • つまり自分で 自信がある=価値がある と思えるか思えないかだけだったのです

    自信の有無とは自分に価値があると思えるか、思えないか。 価値=自分は素晴らしい=自分はすごい=自分は存在するだけでも価値がある と思えるかどうか。 これを思えたならば、現実の現象は別にして、今の感じ方が自信があるということです。 これを理屈で見ていきますと ・自分は本当に自信がないのか? ・自分はそれくらいで価値がなくなる=自信が無くなる存在か(いいや、それだけで価値=自信がなくなる存在ではない) ・では、私は自信=価値がないと思い込んでいるだけだ と現在の感じ方に疑問を持って、本当に自分は自信がない=価値がない存在か? と解いて行くことです。 するとわかるのが ・私は自信がないと思い込んでいたが、そもそも自信があった ・「理由のない自信」が自分にはあった ・これでいいのだ、これが自分だ とわかりだします...つまり自分で自信がある=価値があると思えるか思えないかだけだったのです

  • ダメダメな自分だから可愛いのです

    出来て当然、わかって当然、これくらい当たり前と社会では言われることがありますが、そんなの関係ないです。 社会人生活では、はいはい、そうですね~とうなずきながら心中ではイマニミテオレ~でOK。 だから周りの人はこのくらい出来て当然、これくらいわかって当然という態度をとるものですが挨拶みたいなものです。 ですから、給料が支払われているのであれば虎視眈々と頑張れば良いです。 下から目線というのは、出来なくて当然、わからないのが当然ということです。 成功するよりも、ダメダメでもいいので挑戦することが大切です。 ですからダメダメで良いのです。 それでも自分がヘナチョコパンチの一撃を出せるかです。 負けて続けても良いのです。 それよりも自分がヘナチョコパンチを出せるかです。 ダメダメな自分だから可愛いのです。 ありが...ダメダメな自分だから可愛いのです

  • 憎しみを植え付けて不幸にするのが目的なので、その逆をするのです。つまりもっともっと幸せになるのです

    済んだことを終わりとして、新規に前を向くとは簡単なようで簡単ではないことでしょう。 これを難しくしているのは、当時のまま今の自分が固定されている思いと過去への執着ではないでしょうか。 子どもをみてみるとわかりますが、年齢の低い子どもほど友だちとトラブルがあっても泣いたあとは次の瞬間には気にしていません。 これは所有感と記憶が関係することでしょう。 では、所有欲もある、記憶もある大人はどうしたらいいでしょうか。 冷静に損得で考えることだと思います。 犯罪に遭えば、犯人は憎しみをばらまく動機を静観します。 次に犯人の自分勝手な動機にいつまでも苦しんでいるのはまんまと犯人の思惑にハマっているということです。 憎しみに囚われずにもっともっと幸せになる。 忘れはしないが恨まない。 これだと思います。 憎しみに囚われ...憎しみを植え付けて不幸にするのが目的なので、その逆をするのです。つまりもっともっと幸せになるのです

  • 幸運、不運には感謝して受け取りますが、過剰に喜んだり悲しんだりはしません

    幸運が来ますと嬉しいものです。 不運が来ますと悲しいものです。 幸運も不運も両方セットでやって来ます。 幸運の裏には不運があります。 不運の裏には幸運があります。 ですから幸運、不運には感謝して受け取りますが、過剰に喜んだり悲しんだりはしません。 嬉しい、悲しいの高低差の波があるから落ちた時が苦しいです。 けど覚醒には、この高低差の波が美味しいのです。 それは落差体験が自分を覚醒へと導くからです。 覚醒したどの聖者も落差体験をしているはずです。 覚醒初期の死ぬほどの悩み。 悩み抜いて働く母性からの施しから宇宙に溶け込むこと。 飛ぶ鳥が落ちて覚醒する人。 きっかけは様々ですが、みな同様に落差体験をしています。 ですから今の生活を諦めないことです。 落差体験が自分を覚醒へと導くことでしょう。 ありがとうござい幸運、不運には感謝して受け取りますが、過剰に喜んだり悲しんだりはしません

  • そして、純朴な赤子に戻っていくのだ

    悟りの先にあるものとは、静寂だった。深く悟り、あまりのもったいなさに気づくと黙るしかない。黙って無言で生活するようになる。それは、あまりのもったいなさにどんな言葉も不要になるから。直感的に、体験してわかってしまうから。これで良い、これでいいのだが腹に静まります。そして、純朴な赤子に戻っていくのだ。だから初めから純朴な子どもであれば、純朴さをなくさない育て方、生き方が大切です。人生を良く収めた者は純朴な赤子へと戻っていくのだ。だから純朴な子どもとは人の到達点でもあるんだよ。ありがとうございます。そして、純朴な赤子に戻っていくのだ

  • 一度キリの人生ですから失敗をしても諦めずに挑戦して行きましょう

    もう4月も中旬に入っています。 昨日までお正月だったと思ったのが、もう4月です。 時間の流れが加速しているみたいです。 時間というのは必ずしも一定方向に流れているわけではないです。 私の感覚的には今生きているということは、現在に過去も、今も、未来も同時に存在してると感じます。 つまり生かされているのが答えなので、これからいくらでも幸せになりようがあるということです。 生きる=チャンスがある=悟れる 一度キリの人生ですから失敗をしても諦めずに挑戦して行きましょう。 歩みを止めなければ最後は大往生です。 ありがとうございます。一度キリの人生ですから失敗をしても諦めずに挑戦して行きましょう

  • 因果とは感謝の法則だった

    因果では起こることに不幸はなく、因果という原因と結果による昇華作用だった。起こる現象に良い悪いと色をつけていたのは私たちだった。だから、起こる現状とは因果の昇華なのだから感謝している方がお得で最善だった。つまり、これでいいのだということ。因果とは感謝の法則だった。これが言えると思います。ありがとうございます。因果とは感謝の法則だった

  • 自分が何も持っていないように感じていても大丈夫です

    生まれた時は体一つでした。子どもになり、思春期を迎えて、大人になり、この間にもいろいろな物を所有します。その後に壮年になり老人になり地へと帰ります。なんということでしょう。初めから自分の物など一つもなく、生きている間に物を持ったとしても、いっさいをこの世に捨ててあの世への帰ります。つまり、今あれがないこれがないと思いましても、何もないのが人の自然な姿だったのです。なにも所有しない、所有できない、あるのは所有感という感じ方だけだったのです。この所有感を満たすために人は喜怒哀楽を繰り返しています。みな、いい思いがしたいのです。自分が何も持っていないように感じていても大丈夫です。現状への感謝の継続が、結果的に待たされるようになります。感謝とは時差がありますが、現状を改善する力があります。ありがとうございます。自分が何も持っていないように感じていても大丈夫です

  • 社会に陰が深まって、陽に転じる準備をしているので忍耐強くいましょう

    今日に感じますのは、陰が極まれば陽に転じるということです。 最近落ち込んでいたのですが、これ以上ないくらいに落ち込むと(陰)急に気持ちが明るくなります(陽)。 この陰陽を今の世の中にもあると想定します。 つまり社会にもうダメだ、もうお終いだ、と思うような出来事が起こると反転するということです。 今は社会に陰が深まって、陽に転じる準備をしているので忍耐強くいましょう。 未来は天国だと私は信じきっています。 心が落ち込み陰から陽に転じるのは健康な心を持っている場合ですので、日常的に心に不調を感じている方は医師の診断、診察が大切です。 ありがとうございます。社会に陰が深まって、陽に転じる準備をしているので忍耐強くいましょう

  • 人を愛するとは真剣そのもの

    人を愛するとは真剣なものです。 親子関係をみまして真剣に怒りながら泣く親のことは生涯忘れることはできませんし、子どもの頃に真剣に怒ってくれた人のことを生涯に思い出すものです。 それだけ人を愛するとは真剣なことです。 命がけです。 みな、母親が命がけで産んでくれた元子どもたちです。 地球が、母がお腹を痛めてくれました。 よくある話が私は愛されてこなかったと思い込んでいることがあります。 しかし、よくよく考えてみますと赤ちゃんのなにもできない頃におむつや食事の用意をしてくれた人がいたわけです。 泣けばあやしてくれて、一緒に遊んでくれた人がいるから今の私たちがいます。 それ以前に母が必死に赤子が宿るお腹を守り、死ぬ可能性がある中出産して命がけで産んでくれました。 これだけの愛をいただいているわけです。 不満がで...人を愛するとは真剣そのもの

  • お休み

    本日の記事の更新は、お休みです。楽しまにされた方、申し訳ないです。お休み

  • アホでいきましょう

    祝福の言葉とは?〇〇さんありがとうございます。です。感謝の言葉は最強です。呪いを反射します。逆に相手を攻撃する思いは弱くて継続がないです。人を恨む思いよりも愛や感謝が強かったのです。だから笑って感謝をして生活をしていれば呪いは相手に跳ね返ります。アホでいきましょう。ありがとうございます。アホでいきましょう

  • きっと人生もあっという間です

    よくよく思い返してみますと人生とはいい意味で諦めの連続だと思います。諦める経験を積んできたから今の幸福や幸運があるのでしょう。もちろん、諦める前には自分なりの最高の努力が必要です。仕事も家庭も勉強も簡単に諦めてはダメです。諦める前の自分なりの努力が必要です。その上での今の幸福であり幸運だと思います。新規で得るよりも手放す時の方が苦しいものです。手に入ったら新しい苦労の始まりです。盗られないか?失くさないか?壊れないか?などの苦労です。ないならないで気楽なものです。けどなくしてから気づくより、今日を最高の努力をしてなくなさないように頑張りましょう。努力できる期間とは限られているものです。きっと人生もあっという間です。ありがとうございます。きっと人生もあっという間です

  • 自信のない私は私か? いいや、それは私ではない。

    最近も自信について考えています。 ・私は素晴らしい、と思ってもいい ・私はすごい、と思ってもいい ・私は価値がある、と思ってもいい これを無条件で思えるか思えないかが自信をわけるようです。 つまり「今のままの自分」をそのままでいいんだよ、ということです。 不幸なまま、惨めなまま、苦労があるまま、劣等感があるまま思って良いということです。 自分が感じている不快な感じ方は果たして自分か? 本当の自分はそんな不快な感じ方をするのか? ここでも真我の探求の 私は不快な感じ方をするような人間か? いいえ、私はそんな人間ではない。 ということです。 私は素晴らしいと思えなくても、「私は誰か?」「これは私ではない」と真我の探求で静寂の海を体験します。 自信のない私は私か? いいや、それは私ではない。 これは本物です。 ...自信のない私は私か?いいや、それは私ではない。

  • 自分のことを嫌う人はなにやっても嫌うものです

    黙っていても責められ、 長く話しても責められ、 少ししか話さなくても責められます。 つまりこの世に責められない者はいないということです。 人から責められることを特別なことではなくて、人から責められることを当然、このくらい当たり前と思ってやっていけばたいていのことは大丈夫です。 自分のことを嫌う人はなにやっても嫌うものです。 聖人の釈尊もキリストも命を狙われました。 聖人でもです。 一般人の私たちならば人から責められるのは当然であり、このくらい当たり前です。 そんな中を生きてやりましょう。 生き抜いてやりましょう。 生きる勇気になれれば幸いです。 ありがとうございます。自分のことを嫌う人はなにやっても嫌うものです

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