後悔は気付き、気付きは教訓、教訓は学び、学びは成長。 後悔も気付きも傷付きも、すべては自分という人間を築かせてくれるゲームである。 日常の発見や思想の記録。 主に研鑽と啓発を目的とした自己対話ブログです。
愛される自分になる為の愛される努力を、誰が嗤うと言うのでしょう。
「人の為」と書いて「偽善」と読むなんてよく聞く言葉ではありますが、その真意って詰まるところ、「人の為」になりたい自分の為でもある訳で、「誰かの為になりたい」という建前の後ろに「誰かに求められたい」自分も居るから【偽善】なんて皮肉られる事もあったりするのだと思いますが。でもそれってつまり、「誰かの為になりたい」自分の気持ちを【応援してあげられている】という事なんですよ。だから思うんです。偽善の何を憚る必要があるのだろうと。何に劣等し何を後ろめる必要があるのだろうと。自分だって【人】なのだから、「人の為」の中には本来自分も居なきゃいけないんです。誰かに必要とされたい。誰かに求められたい。誰かに「好…
「人の為」の【人】にはきっと、「自分」も含まれているんです。
自分の為に働ける自分って、本当に恵まれていると思うのです。片や「誰かの為」だと謳いながら、それはつまり「誰かにしてあげたい」自分の為でも訳で。誰かに「してあげたい」と思える自分の為に働く事が出来るって、動き出せる自分って、幸せでもあり誇りでもあり心の【励み】でもあるんですよ。
「いい加減」も「適当」も、 本来、雑な表現でも無ければ投げやりな言葉でも無いんですよ。 「いい加減」は【好い加減】 「適当」は【適材適所に当たる】という事。 力を抜くにしても無理をするにしても、 心身のバランスを保つ為に相互の抜き差しを測る事。 心の声に最も適当な答えを選び取ってあげる事。 日本人は真面目で勤勉。 それ故に「いい加減」という表現に好意的にはなれないし、 「適当」という言葉を敬遠しがち。 だけど真面目で勤勉であるからこそ、 「適当」や「いい加減」という言葉が必要なんです。 それはきっと、先を生きた方々が口伝てに遺して下さった【生きる知恵】でもある筈です。 人の感情と同じ様に、言葉…
昔仕事でヘマして落ち込んでいた自分に姉が言ってくれたのは、「自分が思っている程、周りは自分の事を見ていない」ということ。20歳の頃恩師に教えられたのは、「一度目の失敗は【失敗】ではなく【教訓】と呼ぶ」のだということ。自分の考えが及ぶ程、周りは自分の失敗に尾を引かない。昨日の後悔も明日の憂鬱も、自分の事を誰よりも憂い心配し、根深く責め立ててあげられるのは他でもない【自分】です。その【溝】に「励まし」や「いつもと変わらぬ日常」で立ち直るチャンスを与えてくれるのが、周りに居る仲間であり同志です。逆に言えば、周りが「いつもと変わらぬ日常」を守ってくれるから、自分は自分を責め立てる事が出来るんです。鼓舞…
年を経る毎に深まる皺は、これまで悩み考え笑い、今日まで本気で生きて来たという人生の軌跡。
暫く目の周りだけ力んでいた所為か、眉間の皺が深まった様な気がしてならぬ。ムスカ大佐の某名言を叫び散らす程度には絶賛外眼筋が痛ぇです。それでもやっぱり「ワクワク」と「楽しさ」に勝るものってないんですよ。これで本当に眉間の皺が増えたとしても、それはきっと【笑い皺】と同じなんです。
今の環境下関係無く、深夜23時過ぎ。人の往来も疎らになってゆくこの時間帯に大勢の若者達が道の上に留まっている。只それだけで、何も知らない道行く人々から見れば些か異様な光景なのではないかと思います。それは、巡り巡って【路上】そのものへ対する心象やイメージを大きく害する結果にも繋がるのではないかと一抹の不安が過ぎりました。例えば私が会社帰りに、同じ時間帯に路上で集まられている若者を見掛けたとしたら、やはり良い心象は受け兼ねます。ご家庭の事や終電も気に掛けてもしまうし、恐怖を感じてしまう事もあると思う。「治安の悪さ」という言葉に脳内変換されてしまうのかも分かりません。【自分達】を届ける為に、そして皆…
好きな音楽もスタイルも、皆バラバラの筈だから、 交錯し合うものだから、 だからご縁って「結ばれる」ものだと思うんです。 夢追人がこの世に一人なら、 表現者が自分しか居ないなら、 こんなに高め合えないんです。 意識し合う事も触発し合う事も分かち合う事も無いんです。 価値観や方向性は違っても、周り回って目指す景色は限りなく近いのだと思います。 だから、ぶつかる。 だから出会う。 だから結び合って、 だから【輪】になる。 お互いの存在が自身を燃やす燃料になっていて、 気持ちを渡し合えて痛みを分かち合えるから、 人は【ひとり】で立てるのだと思います。 【ひとり】で立てるという事は、 つまり【ひとり】で…
「苦しい」とか「辛い」とか、 弱音を吐きたくないと思う事もあるかも知れませんが、 それなら初めからこんな言霊は生まれてないと思うんです。 「苦しい」という台詞も「辛い」という発言も必要だから在るんです。 求められたから生まれたんです。 だから苦しい時は「苦しい」と言って良いし辛ければ「辛い」と言って良いんです。
【武者修行】、あるいは迎えたい景色を迎える為の【通過儀礼】 そんな表現が、今の自分の心象としては一番近しい言い回しになるのでしょうか。 この場で「回り道」という言い方を使用するのはとても本意ではありませんが敢えて引用させて頂くのなら、 大きく弧を描いた向こう側で、一回りも二回りも「経験」を嚥下した先で上がる舞台が【3rd ONE MAN LIVE】というステージに成るのではないかと思うんです。 「ホップ-ステップ-ジャンプ」という三段跳びの跳び方がありますが、 仮に【ホップ】が1st、 【ステップ】が2ndだとするのなら、 この休止期間を経て見せる姿は間違いなく【ジャンプ】の姿です。 それを想…
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