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キツツキゲーム https://nukegara000.hatenablog.com/

後悔は気付き、気付きは教訓、教訓は学び、学びは成長。 後悔も気付きも傷付きも、すべては自分という人間を築かせてくれるゲームである。 日常の発見や思想の記録。 主に研鑽と啓発を目的とした自己対話ブログです。

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2021/04/08

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  • 張り詰めた糸に押し合い圧し合いたわんだ糸が、心の余剰と結び目に成る。

    毎月20日と月末は締め日という事もあって、金銭の出納も相応に活発になるんです。そうした渦中に伴って、金銭の滞納や遅延、あるいは金額の相違といった故障や悶着も相応に付き物になっていく訳で。 先日もまた例に漏れず、先方から届いた一本のお電話で一日が幕を開けました。 お電話の内容は端的に言えば掛金のミスで、取り扱い金額の差異に気付いたお客様が慌てて手続き申請の入電をされたというのがざっくりした一連の流れなのですが。 以前もこれと似た案件で対応させて頂いたものですから、先方も心なしか恐縮されている様子で、お声もだいぶ緊張されていると言うか、ヒリついた印象を受けました。 只こちら側の言い分としては、 …

  • 「〜らしさ」が示すもの。

    「自分らしさ」や「自分らしく」が暗に示しているのって、 【こう在りたい自分】の姿なのではないのかな、と思うんです。 自分が理想とする自分。 自分が目指したい自分。 自分が「そう在りたい」自分の姿。 だから「自分らしく」って、【ありのまま】という意味を一翼に担う一方で、 自分が【指標】としていたい場所でもある。 【ありのまま】の本来の意味は、 「実際のとおり」を伝える事で「事実のまま」を見せる事。 それを装飾や脚色なく見せられる事を「素直」と呼ぶとするのなら、 「ありのまま」って多分、一番楽な姿勢や力の抜けた状態と言うよりも寧ろ、 【主軸】や【目標】に近いんです。 この多義的な輪郭を持つ「自分…

  • 一分と十分

    【一分】と【十分】という言葉がある。 十分に足りる。 十分に満ちる。 十分に充てる。 十分に生きる。 【十分】とは、不足の無いこと。 必要な分だけ、あるいはそれ以上が備わっていること。 対して【一分】とは、僅かなこと。 一日の一分であり、思いの一分。 人の一分で、人生の一分。 「十分なものの一つ」ということで、「十分の一」であるということ。 もしも【十分】を腑分けることが出来たとして、 【十分】の中身を解体出来るのだとして、 そこで観察出来るものがあるのだとしたら、 それは多くの【一分】が結集した姿なのだと思うんです。 詰まるところ【十分】という型を包括しているものの正体は、 自分にとって最…

  • 【自分】の代わりは居たとしても、【自分】の人生を担えるのは自分だけ。

    今の仕事も役割も立ち位置も、自分の代わりはいくらでも居る。だから遠慮も謙遜も要らない。自分の代わりは沢山居ても、自分の人生は一つしかない。だから「私が居なくなったら」という【仮想現実】や【呪い】の椅子に囚われず、自分は自分が「信じたい」と思えた道に踏み跡を付けて行けば良い。

  • 弱者は僕のせいだから

    物語が始まる弱者は僕のせいだからJ-Pop¥255provided courtesy of iTunes呼吸が変われば感情が変わる。感情が変われば表情が変わる。表情が変われば言葉が変わる。言葉が変われば考えが変わる。考えが変われば行動が変わり行動が変われば習慣が変わる。そして習慣が変われば人生が変わる。20代の頃、人生の節目節目で耳にたこが出来る程言われ続けていた言葉です。ライブはアーティストさんとファンの方々で「息を合わせる」空間でもあると思うのですが、弱僕さんは「呼吸を変えられる」イメージ。感情が動けば呼吸も変わる訳ですから、ライブ後の疲労感はそれだけ感情を動かされていた証拠。MCやセトリ…

  • 道を表す「しんにょう」に「兆し」と書いて逃げると読む。

    「目を背ける」って、 【別の視点】に目を向ける、とも言い換える事が出来るのかも知れません。 「目を逸らす」って、 【見える範囲を広げる】という意味で捉える事も出来るのかも分かりません。 それまで向き合っていた物事から意識を手放すという事は、 先刻まで自らが固執しこだわり探求し、あるいは思考を縛っていた視野を【開放する】と表現する事も出来るのではないかと思うんです。 見る視点を増やす。 違う観点に切り替える。 それはつまり、「思考の柔軟さを取り入れる」という事でもあります。 目の前の障壁や逆行に真っ向から立ち向かえる心向きは、 【筋】というものを失わない為にも、 【自分】との繋がりを絶やしてし…

  • 【日常】を頂けている恩返し

    ある程度 都会や都心に近しい場所であれば、例え真夜中でも街灯や電飾、ビルの窓明かり等で【真っ暗闇】を体験する事は稀かと思います。カーテンによる遮光や常夜灯等の消灯で即席の暗闇を生み出せる分、今の時代、【黒色】に限りなく近い空間を体感出来るのは外ではなく室内なのかも知れません。そんな事を今からほんの数時間前の浴室で、磨りガラスの向こうに広がる暗澹の世界を眺めながら不意に考えていました。例え節電でなくとも、消灯した室内に少しでも身体や眼を親しませてあげる事で、いざと言う時の【冷静さ】や気休め程度の【落ち着き】くらいは育ててあげられるのかも分からない。恥ずかしながら私は今迄電気を点けっ放しにしてしま…

  • いや、どっから出たん。

    総重量9kg程度の在庫品を肩下程の高さにあるスチールラックへ収めようとしただけなのですよ。出来ると思っていたのですよ。その自信とは相反し、棚の高さ迄引き上げようとした途端「ンンヴふ」みたいな出所不明のあられも無い声が噴出した上その現場を営業帰りの所長に見られ顔を覆いたくなりました。何だったら不格好な姿勢で停止している私を「大丈夫?重いもんね」と飄々といなし、 挙句の果てには力声も勇み声もウンともスンとも零す事無く流れる様なスマートさで在庫品を収められたものですから、何かもう羞恥やら情けなさやらで居た堪れなくて裸足で逃げ出したくなった週末15時の私です。

  • それは偏るという事ではなく【本懐】を見失わないという事

    私はこの先も、楽な道も厳しい道も両方選んで行くのではないかと思います。そうやって自分の【真ん中】を常に目指し続けて行くのだろうと思うんです。それが【真綿の道】でも【茨の道】でも、どちらか一方向を選び続けて行くとしたら、多分、私は【真ん中】から曲がって行ってしまうから。

  • 何でもない日に自分を捧ぐ。

    昨日(3/14)は今年度分の有給消化でお休みを頂いていたのですが、休み明けの今日、全く予期せぬタイミングで会社の方からチョコレートを頂いてしまいました。ホワイトデーは昨日なのに。と言うかそれ以前に今年は誰にもチョコレートお渡ししていないのに。「えみさん仕事頑張ってるから。取引先も皆褒めてくれてるし」すし詰めにしても尚、身に余り過ぎるお言葉に『壊れたブリキの玩具上等』で「とんでもないです滅相もないです恐れ多いです」とひたすら首をぶん回し続けていたのですが、未だにこうして褒めて頂ける環境に居られる事が、私は本当に有難い。記念日にプレゼントを贈れた訳でもお祝い出来た記憶もないのに、去年も今も「お返し…

  • 気持ちに応えるという事は、必ずしもお相手の布いたレールに乗るという事ではないんです。

    自身の気持ちを伝えた上で想いや意思表示を踏まえた上でお相手の【心の展開図】を明示して下さるのは嬉しいものです。「あなたがそう言うなら」や「傷付けるかも」といったお相手本位や謙遜での意見ではなく、「これを伝えたい」と思える程の労力をお相手にも自らにも充てて下さるという事だから。「自分には自分のやり方がある」という一言や定型文には収まらず、その内訳を明細し、今ある熱火や不確かな靄を何度も飲み下しと生み出しを繰り返しながら【自分の言葉】として伝えてくれる。そこには「これがいい」という想いの丈と思い入れと、誰に促された訳でもない、その人自身の【地力】がある。そこに根差されている真摯さと切実さは誰もが持…

  • 「手が見えている」が与える安心感。

    マナーは何の為にあるのかと尋ねられたのだとしたら、自分なら「秩序」や「しきたり」、「公での作法」や「品格」の為と回答するその前に、お相手に「不快感」や「心理的な抵抗」を抱かせない為の術(すべ)や計らいを明文化したのが【マナー】というものの原文なのではないのかと、そう答えるのだと思うんです。例えば握手や軍隊で行われる刀礼は何故行われるのかと言えば、それが友好や挨拶、好意を示す動作であると同時に、お相手に対して「敵意はありませんよ」という意思表示を見せる意味を持っていたからです。握手により自らの手を制する事で、あるいは刀礼で両の手をお相手の前に晒す事で、「自分は武器を持っていない」「何も隠していな…

  • 母の味。

    「最期の晩餐は何が良いか」と聞かれたら、今の自分なら間違いなく「母さんの握った塩結び」と答えるのだと思います。基本的に料理の苦手な母ですが、塩結びに関しては文字通り「炊き立て」のご飯でいつも握ってくれたんですよね。それが凄く美味しいから自分も倣おうとしたのですが、いかんせん本当に「炊き立て」なもので、お米が熱くてとてもじゃないけど真似出来んのですよ。料理に洗濯に掃除に買い物。 家の為に家族の為に、赤切れてふやけて厚くなった母の手だからこそ握る事の出来た味なのだと痛感します。中学生の頃、友達が自宅へ遊びに来た際に「お菓子を用意していなかったから」と出してくれた数個の塩結び。それを皆が「本当に美味…

  • 2022.3.11

    関東大震災も明暦の大火も、自分は【黙祷】をしたことが無い。黙する事は出来たとしても「悼む」ところまでは行かれない。この境界線はどこなのだろうと昼夜を舎かず時々考えることがある。聞く人が聞けば一笑に付す話なのかも知れないけれど、割かし私は本気でそれを思っている。戦争も災禍も悼むことが出来るのは、多分その時分に近しく在れた人々だけ。心を分け合う時代の距離に生きることが出来た人達だけ。だから今日という日を【悼む】ことが出来るのは、この100年を生きる私達にしか出来ないこと。 私達でなければ「馳せる」ことが出来ないこと。関東大震災を生きた人が、そしてその痛みを「知る」人々が、99年後も祈りを捧げている…

  • 【見方】が変われば【味方】に変わる

    見方を増やすということは、物事の受け口を増やすこと。解釈の窓が開くこと。そして価値観や概念が垢抜けること。尺度や角度や立ち位置を変えて見てみれば、それまで自分から見て「外側」にあった出来事が「内側」に収まっている事だってある。【見方】が変われば【味方】に変わる。

  • 【不変(普遍)】の前には常に【変動】という歴史がある。

    普段自分達が歩行や運転、通勤や通学に使用している平らな道。私自身も表現の一角で「平坦な道」という比喩を使った事がありますし、今後も汎用するレトリックの一つだと思うのですが。そもそも道って、凸凹している事が元々の「平凡」なんですよね。道が平たいのは舗装してくれる国や企業があったからで、紛争や犯罪を「非凡」と呼ぶ事が出来るのは、それが「平凡」である事を認めない人々が居てくれたから。慣らし反芻し習慣化したものを「普通」と呼ぶとするのなら、平坦って、それ自体が地ならしをして来た【時代の跡】と言えるのかも分かりません。道路の塗装に線路の施工、資格の勉強や進級や、引越しや就職や何かを「やる」と決めた時。「…

  • 「誰にでも出来る」という事と、「誰もがやる」のかという事。

    「誰にでも出来る」という概念が実際に存在したとして、それを誰もが「やる」のかと言えばそうでは無いし、万人が【意欲】を伴えるものでも【心労】を賭せるものでもない。誰もが射貫こうと思える的じゃない。だから誰もが射貫ける的じゃない。何かを「やる」という事は、それ自体が【特筆】して【別格】という事なんですよ。

  • 【慈愛】は【自愛】

    先日私が対応させて頂いたお得意先様から弊社宛に一本の電話があったそうです。丁度自分は外出中でその場に居合わせる事は無かったのですが、出先から帰社したタイミングで、営業さんが嬉しそうに通話内容を教えに来て下さいました。「えみさん、〇〇(得意先名)の社長が褒めてたよ。『御社の事務員さんはお話の仕方が明るくて良い。対応もハキハキしていてとても気持ち良かった』って」職場での自分は基本的に淡々と仕事をしている場面も多いのですが、これが電話口ともなると目線やお顔を確認出来ない【不確かさ】も相まって、淡白なテンションがお相手の心へとダイレクトに伝わり易くもあるんですよね。それはお相手からのリアクションを吸水…

  • 【どうでもいい自分】なら「不安」を覚えたりなんてしない。

    小一時間にも満たない短かな時間ではありましたが、ほんの少しだけ恋愛相談をお受けしていました。想いを寄せているお相手に不安な気持ちばかりを募らせてしまうという彼女。「何で私はこんなに弱いんだろう」と言っていたけれど、弱いんじゃなくて、自分を大切にしてあげたいだけなんですよ。

  • 「抜群」とは、何もの達から【抜きん出る】という事です。

    比べられるという事は、他者と比較出来る程の【違い】を自らが持っているという事なのだと思います。周りから見分けられる程の【独立】が自分に有るという事。同率の背丈と一律した足並みならば、誰もが持ち得るものならば、群像の中から【唯一】を「見分ける」事も「比べる」事も儘なりません。詰まるところ「比較」とは、その方を【抜き出す】作業の事を指すのではないかと思うんです。人垣から「たった一人」を掬い上げる行為の事。それが例え憂き目でも引け目でも、「自分には無いもの」を「持っている」とするのなら、それは決して誰もに持ち得る事は叶わない自分だけの【異彩】です。多くの中から抜きん出る事を「抜群」と呼ぶとするのなら…

  • アルデバラン

    アルデバランAIJ-Pop¥255provided courtesy of iTunes「君と私は仲良くなれるかなこの世界が終わるその前に」「笑って笑って 愛おしい人不穏な未来に 手を叩いて」この歌がこの声がこの想いが、今すぐ海を越えた向こうの地まで届いて欲しい。

  • 手を差し出し合う事によって組み合える。

    今日は社内SEの方との内電に一日の大半を捧げました。PCより電話に触れている時間が圧倒的に多かったのは気の所為ではないのでしょう。受話器を置く頃には多分お互いにとても疲弊し切っていた。システムには滅法弱い自分なので、お昼を挟んで最後まで食い下がってくれたお相手に頭が上がりません。そうして中で思ったのは、自分の手が詰まった時、活路を開く【目】や【知識】で居て下さる人が居て、両手が離せなくて次を掴む手がなくなった際、代わりの【手】になる存在で居れる事が嬉しかった、という事です。「次」を渡し合えている。お相手が右足を振り出す為の【左足】で在れているのだなと改めて感じた一日です。互いの手を組み合うこと…

  • 【みそたろー】というアーティストさん

    愛みそたろーJ-Pop¥1428【Blame It On You】が大好きです。【泪】はこの先もSNSやサブスクを通して幾度となく聴き添わせて頂くかと思います。「あっという間」を直に感じられる程の「最後までチョコたっぷり」なトッポLIVE、共に体感させて下さり有難うございました❁そして改めて、28歳のお誕生日おめでとうございます。

  • 自分の【芯】を象るものに、「良い」も「悪い」もないんです。

    これまで生きて来た自分が【自分】を象る教材なり素材となって今の自分を成している。 そこに居るのは決して「努力して来た自分」だけではなくて、 学校を休んだり笑われたり、 夢中で何かを作った時間。 友達と成績を競ったり後ろ指を指されたり、 惰眠を貪った一日といった「これまでの自分」全部です。 自分を作っているのは「頑張って来た自分」だけではない。 「褒められる自分」や「やらなければいけない事をやって来た自分」ばかりでもない。 何もしなかったり仕事を休んだり諦めたり。 そうした先で【何かを作れている自分】が居る。 誰かが「好き」だと言ってくれる自分が居る。 今の自分に辿り着かせてくれたのは「努力して…

  • 「手作業」という面白味

    約束手形も2026年には廃止予定。 確かに万が一の紛失や不備の防止、 紙の削減や工数省略等の観点で見ると電子手形の方が遥かに安全性も高いですし管理もし易いのですよね。 それでも敢えてセキュリティー面や効率面とは無縁の話をすると、 紙面での処理も手入力も個人的には割と好きなんですけどね(笑)

  • 継続に必要なのは、「楽しみ」を見付けてあげること。

    お風呂掃除の何が一番「楽しみ」かって、 床なり壁なり浴槽なり排水溝なり磨き倒して、 泡だらけの一室をシャワーで一掃する瞬間が何よりも爽快なのですよ。 部屋だけでなく心も洗われるあの感覚がとにかく好き。 この数秒間を見たいが為に30分~1時間、 精を出していると言っても多分過言ではないと思う。

  • 夏は湿気でうねるなら、冬は乾燥でまとまらない。

    お風呂上がりにどれだけ入念にヘアケアしても、朝の身支度でどれ程スタイリングの時間を充足しても、出社時には静電気でフワッフワになっている我が前髪様に「君はどんだけ(ダメージホールで)スッカスカなんだい我儘ボディーならぬ我儘ヘアーなのかい」とそろそろ両肩掴んで揺さぶりたくなる頃合いです。

  • 【好き】の真髄

    フリスクを食べると何故かくしゃみを連発する自分。だけどフリスクは好き。実は猫アレルギーな自分。だけどやっぱり猫が好き。自分のタイプでもなければ、【理想像】に一言一句合致した人でもない。だけど好き。【好き】の真髄って多分、「だから好き」よりも「だけど好き」なのだと思うんです。

  • 「味を覚える」ということは、感性の受け口を増やすこと。

    自分、20歳くらいまで生魚や焼肉の類は一切食べられなかったのですよ。 その理由は多分、味覚よりも生臭さや歯切れの良し悪し等といった嗅覚なり食感が先に立っていたからだと思うのですが。 だからお寿司屋さんへ行った際は基本的に茶碗蒸しや玉子を頼んでいましたし、 焼肉屋さんでは冷麺やお野菜といったお肉以外の料理を注文するのが常でした。 でも節目の年に、当時お世話になっていた方が連れて行ってくれた小料理屋さんのお刺身と、ご贔屓になっていた焼肉店のお肉の味を知ってから、 それまでの概念が草の根ごとひっくり返されてしまったんです。 月並みな表現にはなってしまうのですが、お刺身であれお肉であれ、例えば歯切れ…

  • 冬の子供心と探求心

    小学1,2年生くらいの頃、 滅多に降らない雪が降るも途中からみぞれに変わり出して、 どうすれば雪が積もるかと考えた結果、「雪が降るには気温を下げなければ」と思い立ち、 冷凍庫から大量の氷を持ち出して一人で庭にバラ撒き続けていた自分は多分とても無垢でした。 ちなみに私が満足するまで親は私を止めなかった。

  • 【幸せ】は既存品ではない。

    「『お腹いっぱい』だと言っていたのに、だからお昼も食べなかったのに、お仕事の合間に一人でご飯を食べに行った彼の事が許せなかった」そんな彼女の想いを聞いて思ったのは、「私も全く同じ経験を昔していたな」という事です。25歳当時の同棲を始めて暫く経った頃、私の帰りが遅くなって「お互いにまだ夕飯を食べていない」と事前に伝え合っていた上で、一人で一人分だけの夕飯を作って一人で食べて、一人で済ませていた元彼の事が許せなかった。「『満たしたい』と思うのは自分だけで、私を満たしたいとは思わないのか」と。それが無性に悲しくて腹立たしくて、頭で考えるよりも先にカッと熱くなった脳味噌のまま家を飛び出したのですよ。多…

  • 「怒り」=「悲しみ」

    【叱る】が他人軸であるならば、【怒る】とはきっと自分軸。「叱れる」という事は、他者の為に自らの労力を費やせる人という事で、その為のエネルギーを燃やす時間に自らの人生を充てる事が出来る人。そして「怒れる」人は、自分の為に命を燃やす事が出来る人。「こうされて腹が立った」のは「こうされた事に傷付いた」から。「こう言われて頭に血が上った」のは、「こう言われた事がとてもショックだった」から。【怒り】って、すなわち【悲しみ】でもあるんです。それらの傷や痛みから自らの心を庇う為に突出するのが【怒り】という矛であり槍なのだとも思います。傷付く事が出来るのは、自分の気持ちを捨て置かずに居てくれる方へこそ与えられ…

  • 意見する者の礼節

    制作者の方と感想や見解を交えたり、或いはディスカッションを行う時、私は【クリエイター】という同じ土俵には立てませんし当事者にも成れませんから、「あれは駄目」「これも違う」などと言い始めると、どうしても批評家や評論家になってしまう。そうした懸念が常に念頭にあるんです。それは突き詰めれば只の文句や悪口へと転じてしまう「恐れ」のある行為ですし、自身の論点や感想が持つ【統一性】を見せない限り、「じゃあどうしたいのか」という【核心】や【背骨】の部分にいつまで経っても触れられない。本来の主旨や自分自身の【軸】からどんどんブレて行ってしまうんです。だから相談を頂いたり感想をお伝えする時は、必ずそれに併せた「…

  • 自分自身への恩返し

    独特な感性かも知れませんが、自分の今在る身体って、【私】という魂(本体)がこの世で悩んだり笑ったり怒ったり、総じて「遊ぶ」為にお借りしている器というイメージがあるのですよ。だから地へお還しするその日迄、私はこの子を幸せにしてあげる義務がある。それが私への恩返しでもあると思うんです。

  • 物事の「善し悪し」を振り分けるもの。

    人が通れば空気も流動する様に、 水面に足を入れれば波が立つのと同じ様に、 言葉や行動を起こせば、その反応が自らへ【還元】されるのが自然なもの。 言い換えれば、言動なり感応なり「反応」を頂けるという事は、 【今】を動かした自分の発言や一挙手一投足をその人が「見ていてくれた」という事です。 「嫌い」という一見後ろ向きな一言も、 その方が歩まれて来た環境や編み出された感情や、 学校生活での交錯や家庭で過ごされた摺り合いといった所謂【人生】の中で捻出された【最も腑に落ちる一言】だったのかも知れないし、 今出せる最大限のメッセージで身を切る様に出された一音だったのかも分からない。 目の前で起こる波風も笑…

  • 発言の価値

    そもそも発言って、 そこに発生する言葉足らずや綻びや、 あるいは誤解や解釈の齟齬といった【死角】ないし【意識の隙間】を日の目に出すという事でもある。 だから「自分の弱さを見せる」行為の一環に、 「発言する」という動作も含まれるのだと思います。 だからきっと発言するって怖いんです。 それでも自分が思う【発言の価値】って、 そうした「弱点」や「稚拙」さを含めて自分が損するに【自分の本当の事】を明るみに出す事なんです。 それはお相手の意図や価値観、 マジョリティーやマイノリティーには寄り添えないかも知れないけれど、 それでも唯一、【自分の本当の事】なら言わせてあげられる。 そこに自分自身へのご褒美と…

  • 生きる為の最後の【綱】

    人は他人(ひと)の言葉だけでなく、自分自身の身から出た言葉にさえリアクションを起こせてしまえるもの。だから「疲れた」とか「休みたい」とか「もう嫌だ」とか、そうした言葉達を外に出してあげる事は、その分の【反動】をご自身や周囲に与える行為でもある事をきっと知っているんですよね。心の病を抱えるという事は、そうした弾かれたり疎まれ易い「行き場のない言葉達」の居場所に、自分がなってあげられていたという証拠なのだと思います。そうして今日まで頑張って来た【心の跡】でもあるのではないかと思うんです。その方は、ご自身にも周りにも優しく在りたかった人なんです。だから一概には言えませんし、これは不謹慎な言い分なのか…

  • 生きる為の最後の【綱】

    人は他人(ひと)の言葉だけでなく、自分自身の身から出た言葉にさえリアクションを起こせてしまえるもの。だから「疲れた」とか「休みたい」とか「もう嫌だ」とか、そうした言葉達を外に出してあげる事は、その分の【反動】をご自身や周囲に与える行為でもある事をきっと知っているんですよね。心の病を抱えるという事は、そうした弾かれたり疎まれ易い「行き場のない言葉達」の居場所に、自分がなってあげられていたという証拠なのだと思います。そうして今日まで頑張って来た【心の跡】でもあるのではないかと思うんです。その方は、ご自身にも周りにも優しく在りたかった人なんです。だから一概には言えませんし、これは不謹慎な言い分なのか…

  • 「祭りの後」よりも「革命前夜」

    「夜明け前が一番暗い」という言葉がありますが、仮に今を【夜】として、これから【朝】を迎えるのだと自分の中で決めていたら、明ける朝よりも夜明け前を楽しみに感じてしまう自分が居たりする訳ですよ。まるで祭りを間近に控えた準備期間中の高揚感すら覚えてしまうから不思議なものです。

  • 声が届く距離だからこそ、今自分達に出来ること。

    ファンという立場だからこそ見える景色があるように、アーティストには、アーティストという【当事者】だからこそ見える景色と死角がある。だからこれは、烏滸がましく差し出がましい行為なのかも分かりませんが、彼等の【もう一つの目】となってあげられるのがファンなのだと思います。時に辛辣な物言いになりますし伝える為には言葉を選びませんし、疎ましくも忌避される事もあるかと思いますが、第一「発言する」という事は、それと同時に周りからのリアクションを甘んじて受ける行為でもありますから、常日頃のツイートでもストーリーでもブログでも、元より覚悟は出来ています。彼らには歌で笑える「人」で在って欲しい。【自分が心から楽し…

  • 【お金】に重みをつけるもの。

    一握りの千円札に、果たしてどれ程の時間が宛てがわれて、 どれだけの【一部】がそこに置かれて来たのでしょう。 今この時って「もうここには戻らない」時間でもあるんですね。 後にも先にも「もう無い」最初で最期の一秒間。 皆が全員、そんな1日24時間というタイムリミットの中で生きている。 そしてその内の一つに充足するのが、 【労働】という時間です。 食事にも趣味にも安全な部屋で眠るにも、 この世に生きている以上、 その命には常に【お金】が発生します。 例外はありません。 仕事って、そんな人生の幾分かに自分を充てる「やらなければ【行けない】時間」でもあるのだと思います。 自分が「やりたい事」を成す為に…

  • だから【アーティスト】であるそれ以前に【人間】である必要があるんですよ。

    「アーティストは歌でしか感謝をお伝えする事が出来ない」 と、各歌い手様からお聞きする言葉ではありますが、 日頃の会話や立ち居振る舞いから【誠意】や【切実】、【真心】を感じられなければ、 その方のお人柄に重みを感じる事が出来なければ、 この歌すらも心に届く事は叶わないのだと思います。

  • 発言するという事は、それに伴う共感なり反感といった【リアクション】を甘んじて受ける事でもある。

    「欲しい欲しい」と要求を続け、貰えなくなったら手を放す。「来る者拒まず去る者追わず」と言ってしまえば心象も変わるのかも分かりませんが、「貰える物は貰う」のではなく「与えられる物は与える」事が出来ないのは、それを拒まれた時の【擦過傷】や行為に連れ立つ【責任】を伴いたくないからです。

  • 意志の伝達と聞く努力

    ファンにはファンからの視点でしか観えない景色があるように、アーティストにはアーティストだからこそ観える景色と死角がある。それを伝え合う機会と時間、総じて【足並みを揃えられる場】を設けなければ、認識は擦れ違い、理解は誤解へと展開し、着いて行く事すら儘ならなくなってゆく。これはファンとアーティスト間に限った話と言うよりも寧ろ、活社会に於ける人と人との【コミュニケーション】の問題なのだと思います。知る事が出来るから喜ぶ事も怒る事も叶いますし、その先の和解や解釈へと転じて行く事も出来るんです。人は知る事が出来て初めて【人】に寄り添える。気持ちを持ち合う事も理解に努める事も可能になる。そのスタートライン…

  • 意志の伝達と聞く努力

    ファンにはファンからの視点でしか観えない景色があるように、アーティストにはアーティストだからこそ観える景色と死角がある。それを伝え合う機会と時間、総じて【足並みを揃えられる場】を設けなければ、認識は擦れ違い、理解は誤解へと展開し、着いて行く事すら儘ならなくなってゆく。これはファンとアーティスト間に限った話と言うよりも寧ろ、活社会に於ける人と人との【コミュニケーション】の問題なのだと思います。知る事が出来るから喜ぶ事も怒る事も叶いますし、その先の和解や解釈へと転じて行く事も出来るんです。人は知る事が出来て初めて【人】に寄り添える。気持ちを持ち合う事も理解に努める事も可能になる。そのスタートライン…

  • 1.17を迎えて。

    漢字の読解すら儘ならなかった当時。テレビを流れる「地震速報」の帯と字幕越しの市街地は、当時の自分に取ってまだ遥か遠い地の出来事だった。時を経て歳を重ね、「地元」と言う名の箱庭から出た先で、かつての渦中を生きた人々の生の声を聞く様になった。そうした人々が恩師となり後輩となった。震災を知らない世代や「風化」という声がポツリポツリと気泡を立てて行く中で、それでも少なくとも自分に取って、27年前の災害は、【27年前】よりももっとずっと身近な出来事になっていた。戦禍も災禍も肌で感じる機会の希薄だった自分に取って、唯一出来る歴史の継ぎ方が【人に出会う事】なんです。それはその人の【踏み跡】に触れる作業でもあ…

  • 1.17を迎えて。

    漢字の読解すら儘ならなかった当時。テレビを流れる「地震速報」の帯と字幕越しの市街地は、当時の自分に取ってまだ遥か遠い地の出来事だった。時を経て歳を重ね、「地元」と言う名の箱庭から出た先で、かつての渦中を生きた人々の生の声を聞く様になった。そうした人々が恩師となり後輩となった。震災を知らない世代や「風化」という声がポツリポツリと気泡を立てて行く中で、それでも少なくとも自分に取って、27年前の災害は、【27年前】よりももっとずっと身近な出来事になっていた。戦禍も災禍も肌で感じる機会の希薄だった自分に取って、唯一出来る歴史の継ぎ方が【人に出会う事】なんです。それはその人の【踏み跡】に触れる作業でもあ…

  • 「諦める」へのタイミング

    諦めるという事は「明らかになる」という事です。「無理」の定義は社会が決める事では無く、自分の中の【解釈】と【見切り】が大前提の話ですが、出来ないと分かった時もう無理だと踏んだ時人は初めて【諦める】発する言葉を失くした時は、自分が見切りを付けた時。「それ」が明らかに成った時。

  • 意志の伝達と聞く努力

    ファンにはファンからの視点でしか観えない景色があるように、アーティストにはアーティストだからこそ観える景色と死角がある。それを伝え合う機会と時間、総じて【足並みを揃えられる場】を設けなければ、認識は擦れ違い、理解は誤解へと展開し、着いて行く事すら儘ならなくなってゆく。これはファンとアーティスト間に限った話と言うよりも寧ろ、活社会に於ける人と人との【コミュニケーション】の問題なのだと思います。知る事が出来るから喜ぶ事も怒る事も叶いますし、その先の和解や解釈へと転じて行く事も出来るんです。人は知る事が出来て初めて【人】に寄り添える。気持ちを持ち合う事も理解に努める事も可能になる。そのスタートライン…

  • 指を差してはいけない理由。

    対象の人物を指し示す時「人を指差しちゃいけません」と言う事や言われる事ってあるのではないかと思います。由来は諸説ありますが、もしも自分がこの理由を求められたとするのなら、私はきっと「お相手に【威圧感】を与えるから」と答えるのだと思うんです。これは個人的な心象とイメージの問題でもありますが、例えば五指での提示は掌を見せる様な形となる分、「お相手を受け入れる」という【迎合】の姿勢や【意思表示】として捉える事が出来るんです。そこに掌分の【空間】やお相手への【尊重】を残す事で、心へ負荷するストレスを少なからず和らげる。対して人差し指のみでの提示は掌を隠す形を取る為、意見交換の固辞や一方向から言い付ける…

  • 心身の循環の為に必要な術

    少なくとも自分の場合、【心の精算】は【言葉の生産】でしか果たす事が出来んのですよ。

  • 与えられるものは与えてやれ。

    思考でも筋力でも、【体力】を持て余すのではなく傾けられるお相手が居るというのは、自分自身へ注ぐ事の出来る【充足】でもあるんですよね。浪費ではなく消費出来る人が居る。徒労ではなく疲労で在れる自分が居る。貰えるものは貰うのではなく、与えられるものは与えてやれる自分自身が誇らしい。

  • 指を差してはいけない理由。

    対象の人物を指し示す時「人を指差しちゃいけません」と言う事や言われる事ってあるのではないかと思います。由来は諸説ありますが、もしも自分がこの理由を求められたとするのなら、私はきっと「お相手に【威圧感】を与えるから」と答えるのだと思うんです。これは個人的な心象とイメージの問題でもありますが、例えば五指での提示は掌を見せる様な形となる分、「お相手を受け入れる」という【迎合】の姿勢や【意思表示】として捉える事が出来るんです。そこに掌分の【空間】やお相手への【尊重】を残す事で、心へ負荷するストレスを少なからず和らげる。対して人差し指のみでの提示は掌を隠す形を取る為、意見交換の固辞や一方向から言い付ける…

  • 知識とは意識の【改革】です。

    スーパーやコンビニで偶に頂く割り箸って、作りや材質によっては真ん中で割り易い物や左右どちらかに偏って割れ易い物など色々あるかと思うのですが、私が小学生の頃、この割り箸の割れ方によって好きな人に想われているかを占うという遊びが一時期流行したんですよね。左右どちらかを自分、もう片方を片想いのお相手と見立てて箸を割り、割れた面積の大きい方が「お相手への想いも大きい」という見方だったかと思うのですが、そんな事を思い出しながら先程割り箸を割ったところ、ものの見事に右側のお箸が広めにパッキリと割れました。最近は割り箸も改良され、こんな風に割れる物も少なくなって来ましたが、割れ方次第で気分を滅入らせてしまう…

  • 年末のご挨拶。

    昔と変わらず、母からは逐一 姉の名前と呼び間違えられ、私が家を出た数年後に我が家へやって来た愛猫にはお寿司を攫われそうになり、親父様とは数年振りにビールと焼酎を酌み交わす。まだ在る実家と存命の父母を持てる自分は、果たしてあと何回生きて行けるのか分かりません。数年後数十年後の自分は、きっとこの時間を後悔するのだろうと思います。それはきっと、何をしても。どんな時間を過ごそうとも。それならばせめて悔いれる程の【思い出】と成って行けるように、いつかの自分が振り返れる【記憶】と成って行けるように。父が運転する車に乗車している時間も、母の隣で炬燵に半身突っ込んでいる間でも、この先自分が振り返れる【日常】を…

  • 「年齢」の概念

    年齢とは飽くまでも一つの【情報】であって【参考】であって、 お相手を知る上での経過に在る【手掛かり】に過ぎないのだと思うんです。 【経験】の前任が「記憶」や「思い出」という名前でもあって、 その後の考えや選択、影響といった【活かされる機会】を経た時に初めて「経験」へと呼び名を変えるものでもある。 だから個人的には「年齢=経験して来た年数」という風には素直に直結してはくれなくて。 自分から見える【年齢】の概念って、 それこそ「生きて来た年数」でもあると同時に、 【感情】や【気付き】や【彷彿】や【発展】を拾う「チャンスがあった年数」なんです。 時代を拓き、地盤を築かれて来た目上や先人の方々へ向ける…

  • 「決断する」とは「やらない」事を「決める」事。

    2~3ヶ月振りの【完全オフ日】という幸せに浸っております。 何もしないし何もさせない。 取り留めも無い事を考えて居られる今が最高に豊かな時間です。 「決断する」とは【断つ】事を【決める】という事で、 【ことわる】事を【決める】事。 それは転じて、「やらない」事を「決める」事。 【頑張りたい】時に頑張れる身体で居れる様に。 【向き合いたい】時に向き合える心で在れる様に。 「休みたい」時に休ませる決断を選んであげられる自分が好きです。 「何でもない日おめでとう」ならぬ、 「何もしない日ありがとう」

  • 子供心に学ぶもの。

    6〜7歳くらいの頃、 母と姉の影響を受けて視聴していた【家なき子】 その主題歌が中島みゆきさん作詞作曲の【空と君のあいだに】という楽曲だったのですが、 その曲中にある「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」という歌詞の意味を、 自分は暫く理解出来なかった事を唐突に思い出しました。 「どうして【僕】が悪になったら笑えるんだろう」 「【君】が僕が悪になる事を望んでいるという事?」 と本気で疑問だったんです。 【僕】を親や姉に置換して考えた時、 犯罪なり盾なりと成って一身に批判を浴びるその人を見て、 自分が笑顔になれる筈無いじゃないかと幼心に真剣に考えていたんですよね。

  • 引き算によって引き出される。

    今持てる資金で何を提供して行けるのか。 それってきっとモノ作りを行う上で限りなく【背骨】に近い部分なのだと思います。 高い資金で高いクオリティーを生み出すのは至極自然な事で、ある意味「出来て当然」な事。 裏を返せば、「出来て当たり前」のものに人の心を動かす程の動力を持つのは難しい。 そしてだからこそ、 限りある資金の中で何を捻出出来るのか。 「制限ある中で何を届けたいのか」という【主旨からブレるもの】や【余分なもの】を一つずつ間引いて削ぎ落として、 【残したいもの】を追求して行った先に初めて自分が「渡したいもの」や「持ち続けていたいもの」に気付くのであって。 その「想い」が宿った時に漸く人の心…

  • 普遍に寄り添う不変の言葉。

    役者さんの台詞でも同じ様な事が言えるのですが、 同じ台詞を何度も言っていると【慣れ】が出て来てしまうと言われる事があるんです。 何度も繰り返し言っている【言葉】は飽きてしまうと言われる事もまた然り。 だけど同じ【型】を口にする度に新たな発見をして行けるのが言葉でもあると思うんです。 だってその時々の感情や関わりや環境によって、 同じ台詞でもそれを裏付ける【背景】や【縁取り】や【距離】や【画角】って変わって行くものだと思うから。 そうしたカメラの「スイッチング」を行う度に、 見える面が増える度に、 言葉もまた研磨されて【面】を持って、【一粒の意志】となってゆく。 人生や人の多面と同じで、 言葉も…

  • 子供心に学ぶもの。

    6〜7歳くらいの頃、 母と姉の影響を受けて視聴していた【家なき子】 その主題歌が中島みゆきさん作詞作曲の【空と君のあいだに】という楽曲だったのですが、 その曲中にある「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」という歌詞の意味を、 自分は暫く理解出来なかった事を唐突に思い出しました。 「どうして【僕】が悪になったら笑えるんだろう」 「【君】が僕が悪になる事を望んでいるという事?」 と本気で疑問だったんです。 【僕】を親や姉に置換して考えた時、 犯罪なり盾なりと成って一身に批判を浴びるその人を見て、 自分が笑顔になれる筈無いじゃないかと幼心に真剣に考えていたんですよね。

  • 視点が自分の【支点】と成る。

    常に前向きでいるのは勿体無い。 折角首を回せるのだから、 踵(きびす)を返す事だって出来るのだから、 見方を固定すれば景色まで制限してしまう。 心も体も凝ってしまう。 上向きや逆さま、後ろ向きという角度だからこそ見える【景観】があるんです。 あらゆる視点が【支点】となって、自分を支えているんです。

  • 失敗と躓きの還元先。

    弊社のチーフはご自身のふとしたミスを切っ掛けに、 「何故これがミスなのか」、 「これによってどの様に損益に影響するのか」 というのを時折お話して下さるんです。 その中にお得意様や二次店様間でのやり取りや、それに伴う価格設定の変動等、 流通の細やかな知識やノウハウが散りばめられていたりする。 こちらや他者のミスだけでなく、 ご自身の失敗を資源にして知識と教養の場を設けてくれる。 ご自身の時間を【こちらへの蓄え】として活かして下さるんですよね。 躓いたり失敗した時こそ人は焦りや自責といった自身への対応で精一杯になってしまうもの。 チーフは自分が目指していたいお人柄の一人です。

  • 1%の【意義】は99%の無駄に支えられて生きている。

    不意に掴んだ1%の【結実】が偶然の産物だったとしても、 それが産まれたての赤子でも成し得られた事なのかと言えば、 きっとそうでは無いんですよね。 そこにはこれまで踏んで来た「地表」と「空気」と「筆跡」と、 交錯して来た「実像」がある。 自分達の生活って、 「無駄」だと思う99%によって支えられているんですよね。 1%の【有用】は99%の【無用】に活かされ、 1%の【大成】は99%の【失敗】で掴み取れるものでもある。 1%の【意義】は、99%の【無駄】によって出来ている。 そしてそれを「知る」為に、今の自分が居るのだとも思う訳です。

  • 否認と容認の分岐点。

    初めにツイートを見た時 真っ先に反射した感情は、「せめてあと3日待って欲しかった」11月いっぱいのライブの一切を中止した今、見送った今、実質的な活動の自粛を決断されたこの期間で今問われるのは、「何故、箱ライブと路上ライブを見送ったのか?」「何の為の箱ライブと路上ライブの中止だったのか?」という基本的かつ抜本的な疑問です。自制と自粛、はたまた沈黙する事が【誠意】や【謝意】、【真摯さ】を見せる事なのかと問われれば、当然その限りではありません。発信する事によって漸くお伝え出来る【お気持ち】や【真意】、【相互の理解】があるという事もまた確かです。ですがそれは、一度打ち出した【期間】を守った上で適用され…

  • ファッション用語の衣替えに追い付けません

    所長「とっくりって今は『タートルネック』って呼ぶんだよね。じゃあベストは?」 自分「ベストは『ベスト』じゃないですか?以前は『チョッキ』でしたけど」 所長「(PCの検索画面を見詰めながら)今は『ジレ』って言うらしいよ」 自分「ぇ、ジ、は?何それ」 上司相手に思わずタメ口になった瞬間。

  • 「持ち合える」ということ

    自分が好きだと思う相手にこそ嫌なものは「嫌だ」と伝えられるよう努めたいし、 相手の嫌なものを「嫌」と言わせてあげられる自分を目指していたいとも思う。 互いは常に違(たが)うもの。 だから趣味嗜好も食べ物や映画の好き嫌いも、 異なる感性を持ち合えたら人生二倍に楽しめると思う訳ですよ。

  • 2エピローグ5エピソード

    下から上へ。親指を滑らせる画面の下で流れる万目の川を目にした時、いの一番にこの身を過ったのは、「この先もう、あの方々の笑顔に出会えなくなってしまうのかも知れない」という途方もない不安と、身体の先から凍えて行く様な果てしなく始まる恐怖でした。消えてしまったらどうしよう。アーティストとしてとかではなく、それよりもっとずっと以前の話で、人としていなくなってしまったら。命が絶えてしまったら。被害者である方側ではなく、件の要因であり発端でもある加害者側の心配と不安が先に走ったのは、「保身」と受け取られても仕方のない思想であり愚行だったのかも分かりません。それでも私には、モラルも規律も人道も恥も掻き捨てて…

  • 血は間接的にも争えない

    来月6歳になる姪は小学館NEOの恐竜シリーズやジュラシックパークのDVD各種を取り揃える位には恐竜に目の無い子でして。 昔恐竜図鑑を畳に並べてほくほくしていた自分とよく似ているなと思う訳です。 個人的には福井県の恐竜博物館へ行くのが当面の野望。 因みに私は安定してヴェロキラプトルが好きです。

  • エゴで「生き合える」のが人間という生き物です。

    この国という秩序の下で産まれた以上、 この国の法律や倫理の中で育てて頂いて来た以上、 私の思考も又、自分の生活環境や教育の中で偏向し傾倒し培われた「偏った価値観」である事に変わりはありません。 自分の言葉は常に【エゴ】で【思い込み】で、 誰かにとっての【非常識】であり【非道徳】です。 それでも「好き」とか「嫌い」とか、 「こうしてあげたい」、「こうで在りたい」というエゴに救われて時に叱咤され、 感情を育み親交を深められるのが私達です。 エゴで生きるのが人間です。 お互いのエゴを持ち寄り見せ合い渡し合うのが 私達が【成長】出来る方法です。 私達が【生きれる】手段なんです。 だから私達には、自分達…

  • ある人へ向けて。

    今回の一件につきましては、私もショックが大きいですし正直まだ言葉が見付かりません。足先から血の気を引き抜かれて行く様な感覚が未だに治まらないんです。だから、拙い言葉を一つ一つ置かせて下さい。書きながら、文字に変換して行きながら、少しずつ心の整理をさせて下さい。今回の一件で私が一番ショックだったのは、代表とクリエイターの方との間にあったやり取りを、アーティストの皆さんが「把握し切れていなかった」、あるいは「共有されていなかった」という点です。そしてクリエイターの方へ向ける謝罪と今後の方針の話し合い、自省に充てるべき時間よりもご自身達の【活動】を優先されていた事です。プロデューサーとメンバー間に於…

  • 365日の誕生日達へ。

    あなたが産まれた時、周りに居た方々はきっと、誰もがあなたのお母様に「おめでとう」を届けて下さっていた筈です。21年前のお母様にとって、あなたは間違いなく【天からの授かりもの】だった。【あなた】という存在そのものがプレゼントだったんです。「子供は三歳までに一生分の親孝行をする」とも言いますが、もしかしたら、この世に産まれて来てくれたその時点で、既に親孝行は【叶っている】のかも知れません。お母様はご自身の意志であなたを求めてくれました。親御様の人生として、あなたを選んでくれたんです。だから十数年前、あるいは数十年前、あなたのお母様が皆様から頂いた「おめでとう」というプレゼントを、お母様から受け継い…

  • かたく結ばれた文字列を解体していく作業の事を、きっと「読む」と言うのではないかと思います。

    これは自分自身への自戒として口癖にしている言葉でもあるのですが、元来、「伝える」よりも「受け取る」方が余程大変だと思うのですよ。言葉の奥にある真意や本意、文字で塗装された奥に在る本質の想いを汲み取ったり、かたく結ばれた文字列を読み解く作業はどうしても必要になるものだから。【文字】って時に暗号でもあって、直球で言えない想いだとか、言葉として形容し難い深部が字体の奥に置かれてもいる。それらに触れる為の時間や気力や忍耐力を、私もまたDMやお手紙をしたためる時にお相手自身から頂いているのではないかと思います。伝える側には腹の内を開示して、心の底を打ち明ける体力も持久力も精神力も、胆力も瞬発力も求められ…

  • お互いの意識の中に居られる時が、お互いが【存在】出来る時間でもある。

    あわよくば、自分はあと50年は生きていたい。せめてあと50年は全うしたい。 それでも裏を返すなら、もしもこの先添い遂げる人が居たとして、最大であと50年しか一緒に居られないのかと感性の四隅で思ってしまう。あと50年程度しか、自分は【自分】と一緒に居られないのかとも。「も」ではなく「しか」と表現する当たり、聞く人に拠っては「欲深」と思われてしまうのかも知れないけれど。それでも自分にはそれだけ思い残すものを【此処】に置いているという事で、未練を引いているという事でもあって、自分の人生に【希望】を残しているという事なのだと思う訳です。人の寿命を日数に置き換えた時の平均は凡そ30,000日。その内の幾…

  • 【不調】とは、自分の土壌を育む為に欠かしては成らない養分でもあるんです。

    心身の健康を保つ事は勿論生きて行く上での第一優先であって、会いたい人に会うにしても行きたい場所へ行くにしても、或いは【受け取る】にしても【与える】にしても、自分が「やりたい」と思える事を【自分】に選ばせてあげる為にも、それらが「叶う」工程に於ける最初の土壌なのだと思う。それでもその地盤を築く為には、その必要性を「知り続ける」事が求められて、基礎を保ち続ける為には、定期的にも不定期的にもその重要性を顧みる為の【切っ掛け】もまた必要になる。ずっと良好で居られるなら、日常や今ある時間の重たさにも、きっと噛み締める前に自分を追い越して行ってしまうから。「やりたい事」を顧みる機会を自分に差し出してあげる…

  • 誕生日とは、【感謝】を伝えられるチャンスの日。

    自分の生活や考え方、在り方が習慣化していくと、それらに次第に身体が順応し始めて、自分の【重み】が知覚出来なくなって行くもので。その重みを目の前に突き付けてくれるのが、周りに居て下さる方々なのだと思います。その方々の重みに気付かさせてくれるのも又、皆さんのくれる言葉なんです。私自身を【特別な存在】に出来るのは、皆様が私を見てくれるからです。私を見てくれる人が居て、存在を認知してくれて、「皆様から見える私」を私に教えてくれるから、私は初めて【自分】を知る事が出来るんです。自分の重みを知覚出来る。皆様へ向ける特別な気持ちを、自分の中で育んで行ける。皆様が下さるそのお言葉がお気持ちが、優しさが笑顔が、…

  • 救われる自分が居るという事実が、その人にとっての【救い】になってくれたら良い。

    とある方とのDMを介して改めて感じた事。 「誰かの救いになれている」って、 それ自体が自分にとっての【自信】になるし【救い】になるし、 【生きる気概】になるんですよね。 だからその人のお言葉で救われる私が居るという事実が、 同時にその人にとっての【救い】にもなってくれていたら嬉しいな、と思うんです。

  • 「定番」を受け取れるという喜びと、「当たり前」を贈れる勇気。

    花好きの母さんには、母の日には毎年品種を変えた花束を贈るというのが通例でした。 お花以外に関しては食べ物でも装飾品でも、 物欲を一切口にしない母なので、 毎年の誕生日はいつも贈る物に悩むんです。 和菓子を贈ってみたり、 はたまた誕生石のブレスレットを贈ってみたり。 今年も例に漏れず選ぶのに苦心したのですが、 我が子の誕生日や頂き物でない限り、自らケーキを買う事のない両親なので、 思い切って小さめのホールケーキを贈ってみたんです。 カーネーションやブルースター、 バラやアイビー等の花束に見立てたフラワーケーキ。 今までケーキを贈った事がなかったのは、 実家に居た頃母が「洋菓子は苦手」と呟いていた…

  • 意見を言う以上に意見を「聞く」方が余程気力が要るんです。

    最終的な結末が「不可能」でも、間引きや断念などの「決断」をせざるを得ない結果に行き着く事になるとしても、最初の一線を超えた状態から現状や意見を踏まえた上で【枠】に収まるよう努めるのと、初めの一歩目から【枠】の中に収まるのとでは最初の【絶対値】が違う。【枠】を出る分、「出る杭」と成る分、同じ背丈で並ぶよりも一層、風当たりは強まるのでしょうし、批判や注目、論争の的となる事も、360°あらゆる角度からの意見を一身に浴びる事になるのもまた必然なのだと思います。その上で自分は、意見を言う以上に意見を言われる側に居たいと思う。発言するよりも発言を聞く方が余程気力が要るんです。受け止めるという行為は、言葉を…

  • 【アーティスト】の定義

    物凄く自然な事で、今まで自意識に留めた事って殆ど無かったと思うのですが、 とある方が切っ掛けで、 そしてお得意先の宛名を書いていた時にふと自覚した【心掛け】がありました。 それは、文字を書く際は書き順を初め、「反り」や「止め」や「跳ね」、「払い」に逐一神経を添えて書いているという事。 それは多分、文字が心を伝える媒体だから。 活字一つでもその配列や並びによって言葉は起こされ想いは汲み出されて行かれるもの。 だから「あ」であろうと「か」だろうと、 主語でも述語でも修飾語でも、 一文字たりとも【気】の抜けた言葉なんて無いんです。 【文字】ってきっと、人の心そのものだから。 これは手紙やメッセージに…

  • もう来ないものに対して【拒み】や【辟易】なんて感じる事は出来ないんです。

    「明日なんて来なくて良い」と思えるのは、明日も【陽】が来てくれるから。時に【希望】を疎ましくさえ思えるのは、「励まし」を唄う人が居てくれるから。「温かみ」を配る人が見えているから。もう明日が来ないとして、変わらず「明日は要らない」と言い続ける事が出来るだろうか。太陽が落命したとして、果たしてその時の自分は「灯り」や「温もり」を求めずに居られるだろうか。【失望】も【挫折】も【落胆】も、そこに光があったから心折る事が出来るんです。【希望】を持っても見てもいるから、そこに在る事を知っているから、だから「拒む」事が出来るんです。そこに【陽】があると分かってるから、拒んでも明日が来てしまうのを「知ってい…

  • 大好きな人が、皆が思う「大好きな人」になってくれる日。

    何気なくテレビを観た時の事。自分が応援させて頂いているアーティストさんによく似た面立ちの方が視界を掠めたものだから、思い掛けず心臓が鼓を打った。「いや、ちょっと痛いわ」と自己突っ込みを入れたくなる程度には強い胸のときめきだった。一度きりの強かな心拍だった。結果としてその方は人違いではあったのですが、自分が応援させて頂いている方がテレビに出るって、全国的に知って頂けるって、全国区で知られるべき人なのだと認めて頂ける事って、一瞬で血が沸いてしまうくらい、こんなにも【ときめく】事なのだと、この時の疑似体験を介して思い知ったんです。支えたいと思う方が、あらゆる人の「日の目」に出る日。その【一番最初】が…

  • その日の夕方の出来事。

    そして会社を出た瞬間、「え、オムツのCMか何かですか」と食い下がりたくなる程のお目目くりくり赤ちゃんに超絶笑顔で見詰められた自分は今顔面ひまわりだと思う。擦れ違い様にご挨拶させて頂いたお母様も、晴れやかな笑顔と軽やかな声がとても印象的だった。可愛い人だったなぁ。

  • 誰かの心のゆとりって、そのまた誰かの心遣いによって保たれるものでもあると思う。そうして互いの均衡は補い合えるのだと思う。

    忙しくても終始心に【ゆとり】を保った状態で仕事を運ぶ事が出来るのは、自分の周りにおられる方々が細やかな気配りをして下さるからなのだと思う。「何度も電話してごめんね」「教えてくれてありがとう。助かった」「申し訳ないのだけれど、もう一つ調べて欲しい事があって」ほんの些細な枕言葉や、ささやかに挟んでくれる謝意やお礼。「ささやか」なお心遣いだからこそ、自分の心の隙間にもすっと入ってくれるんです。そしてそれが、自分の心の【ゆとり】になる。多忙な状況下だからこそ、その中で「心配り」という一拍を省かず居て下さる方々には学ばせて頂く事ばかり。その度に自分の「身の振り」を顧みずには居られません。誰よりもまずご自…

  • 心の器は壊すから大きくなれるもの。

    自社製品の問い合わせと先方からの他社製品の見積依頼(しかも多分メーカー違う)10年前にお得意先へ販売した製品×5台の機番の選定と棚卸しの前処理&仕入伝票の仕分け作業。そこへ追随する通常注文と手形処理。鋳物焼きでも何でも良いので、今すぐこのキャパを収め切れる器をわしに拵えさせてくれ。

  • 自分の言葉に疑う余地を失くした時点で【老い】は始まる。

    怒る事は【おごり】であると自分は考えます。 注意や諭しが相手に「届ける」事であるならば、 怒るとは届けるではなく「発散」する事。 叱る事が相手に「手渡す」事であるならば、 怒るとは相手に「投げ付ける」事。 届けたい意志の疎通も信念も、 相手に受け取れる猶予を渡せなければ八つ当たりと同じ事。 伝えたい意見も汲み出す思いも、 それらが「正解」や「常識」であると断定した時点で言葉は【被布】ではなく【つぶて】に成る。 鋭さを増した【矛】に成る。 そうして相手に伝達するのは「理解」ではなく「不快」です。 だから月並みな言葉にはなりますが、 大切なのは相手の考えを尊重し相手の声を取り込む事。 それ迄の基盤…

  • 時に【習慣】から自分を抜いてあげる事も、生きて行く上で大切な【習慣】だと思うんです。

    「やりたい事」を自分に我慢させてあげない為に始めた副業。最近は週末も仕事を入れているので完全な休日というものを殆ど取っていなかったのですが、そうすると偶に空く【休日】に対して徐々に首をもたげるのが、「何もしない」事へ対する不安感。個人的にこれは、20代の頃と同じ感覚でもあります。でもそれと同時に折り込める様になったのは、「心底身体を休められる事」へ感じる安心と安らぎ。これは20代の頃は持ち得られなかった感覚です。【継続】と【連続】は違うから、続ける為に必要な活動に【休息】というカテゴリーはあるのでは無いかと思います。途切れても続けて行く事が出来る様に。休息を喜べる自分で在れる様に。なるべく【連…

  • 愛される自分になる為の愛される努力を、誰が嗤うと言うのでしょう。

    「人の為」と書いて「偽善」と読むなんてよく聞く言葉ではありますが、その真意って詰まるところ、「人の為」になりたい自分の為でもある訳で、「誰かの為になりたい」という建前の後ろに「誰かに求められたい」自分も居るから【偽善】なんて皮肉られる事もあったりするのだと思いますが。でもそれってつまり、「誰かの為になりたい」自分の気持ちを【応援してあげられている】という事なんですよ。だから思うんです。偽善の何を憚る必要があるのだろうと。何に劣等し何を後ろめる必要があるのだろうと。自分だって【人】なのだから、「人の為」の中には本来自分も居なきゃいけないんです。誰かに必要とされたい。誰かに求められたい。誰かに「好…

  • 「人の為」の【人】にはきっと、「自分」も含まれているんです。

    自分の為に働ける自分って、本当に恵まれていると思うのです。片や「誰かの為」だと謳いながら、それはつまり「誰かにしてあげたい」自分の為でも訳で。誰かに「してあげたい」と思える自分の為に働く事が出来るって、動き出せる自分って、幸せでもあり誇りでもあり心の【励み】でもあるんですよ。

  • 真面目で勤勉であるからこそ、口伝えられて来た言葉。

    「いい加減」も「適当」も、 本来、雑な表現でも無ければ投げやりな言葉でも無いんですよ。 「いい加減」は【好い加減】 「適当」は【適材適所に当たる】という事。 力を抜くにしても無理をするにしても、 心身のバランスを保つ為に相互の抜き差しを測る事。 心の声に最も適当な答えを選び取ってあげる事。 日本人は真面目で勤勉。 それ故に「いい加減」という表現に好意的にはなれないし、 「適当」という言葉を敬遠しがち。 だけど真面目で勤勉であるからこそ、 「適当」や「いい加減」という言葉が必要なんです。 それはきっと、先を生きた方々が口伝てに遺して下さった【生きる知恵】でもある筈です。 人の感情と同じ様に、言葉…

  • 【失敗】の意義はたった一つ有れば良い。

    昔仕事でヘマして落ち込んでいた自分に姉が言ってくれたのは、「自分が思っている程、周りは自分の事を見ていない」ということ。20歳の頃恩師に教えられたのは、「一度目の失敗は【失敗】ではなく【教訓】と呼ぶ」のだということ。自分の考えが及ぶ程、周りは自分の失敗に尾を引かない。昨日の後悔も明日の憂鬱も、自分の事を誰よりも憂い心配し、根深く責め立ててあげられるのは他でもない【自分】です。その【溝】に「励まし」や「いつもと変わらぬ日常」で立ち直るチャンスを与えてくれるのが、周りに居る仲間であり同志です。逆に言えば、周りが「いつもと変わらぬ日常」を守ってくれるから、自分は自分を責め立てる事が出来るんです。鼓舞…

  • 年を経る毎に深まる皺は、これまで悩み考え笑い、今日まで本気で生きて来たという人生の軌跡。

    暫く目の周りだけ力んでいた所為か、眉間の皺が深まった様な気がしてならぬ。ムスカ大佐の某名言を叫び散らす程度には絶賛外眼筋が痛ぇです。それでもやっぱり「ワクワク」と「楽しさ」に勝るものってないんですよ。これで本当に眉間の皺が増えたとしても、それはきっと【笑い皺】と同じなんです。

  • 今日の路上を終えて。

    今の環境下関係無く、深夜23時過ぎ。人の往来も疎らになってゆくこの時間帯に大勢の若者達が道の上に留まっている。只それだけで、何も知らない道行く人々から見れば些か異様な光景なのではないかと思います。それは、巡り巡って【路上】そのものへ対する心象やイメージを大きく害する結果にも繋がるのではないかと一抹の不安が過ぎりました。例えば私が会社帰りに、同じ時間帯に路上で集まられている若者を見掛けたとしたら、やはり良い心象は受け兼ねます。ご家庭の事や終電も気に掛けてもしまうし、恐怖を感じてしまう事もあると思う。「治安の悪さ」という言葉に脳内変換されてしまうのかも分かりません。【自分達】を届ける為に、そして皆…

  • 12×5=∞(ワンツーファイブ)vol.2

    好きな音楽もスタイルも、皆バラバラの筈だから、 交錯し合うものだから、 だからご縁って「結ばれる」ものだと思うんです。 夢追人がこの世に一人なら、 表現者が自分しか居ないなら、 こんなに高め合えないんです。 意識し合う事も触発し合う事も分かち合う事も無いんです。 価値観や方向性は違っても、周り回って目指す景色は限りなく近いのだと思います。 だから、ぶつかる。 だから出会う。 だから結び合って、 だから【輪】になる。 お互いの存在が自身を燃やす燃料になっていて、 気持ちを渡し合えて痛みを分かち合えるから、 人は【ひとり】で立てるのだと思います。 【ひとり】で立てるという事は、 つまり【ひとり】で…

  • 言葉に出してあげる事で、人の心は生かされる。

    「苦しい」とか「辛い」とか、 弱音を吐きたくないと思う事もあるかも知れませんが、 それなら初めからこんな言霊は生まれてないと思うんです。 「苦しい」という台詞も「辛い」という発言も必要だから在るんです。 求められたから生まれたんです。 だから苦しい時は「苦しい」と言って良いし辛ければ「辛い」と言って良いんです。

  • 休止とは止まる事ではなく、「下積む」という事です。

    【武者修行】、あるいは迎えたい景色を迎える為の【通過儀礼】 そんな表現が、今の自分の心象としては一番近しい言い回しになるのでしょうか。 この場で「回り道」という言い方を使用するのはとても本意ではありませんが敢えて引用させて頂くのなら、 大きく弧を描いた向こう側で、一回りも二回りも「経験」を嚥下した先で上がる舞台が【3rd ONE MAN LIVE】というステージに成るのではないかと思うんです。 「ホップ-ステップ-ジャンプ」という三段跳びの跳び方がありますが、 仮に【ホップ】が1st、 【ステップ】が2ndだとするのなら、 この休止期間を経て見せる姿は間違いなく【ジャンプ】の姿です。 それを想…

  • 「分かる」か「分からない」かが重要じゃない。 「分かりたい」と思える心向けが肝なんです。

    「自分が分からない」と言う事も、 「どうしたいのか分からない」と聞く事だってありますが、 生まれてからものの数年や数十年で自分を分かれる筈が無いんですよね。 回を重ねて相手の人となりを知って行くのと同じ様に お母さんが我が子と一緒に母親になって行く様に 自分だって【自分初心者】です。 分からない感情があって当たり前です。 戸惑う気持ちを持っているのが普通なんです。 「分からない」という言葉はきっと、 「分かりたい」という真意を根底に持っているからこそ滲み出る心の音(ね)だと思うんです。 だから別に分からなくたって良いんです。 完全に理解して行けなくたって良いんです。 寧ろ「分かっている」と句点…

  • 「倣う」、「倣わない」を「意見する」、「しない」の判断材料にはしていない。

    基本的に相手に意見する時は、自分が相手に期待する時。 これは相手が自分の考え方を「許容してくれる」という意味での【期待】であって、 自分の発言に「倣ってくれる」という紙背を含んだ【期待】という意味では断じて無い。 そもそも「倣う」、「倣わない」を「意見する」、「しない」の判断材料にはしていない。 元より言葉の根に「直して欲しい」という趣旨が無い。 根本が違うし門(かど)が違う。 【矯正】は時に【強制】だ。 意見とは選択肢を増やす一翼にこそ成ろうとも 人ひとりの可能性を【強制する】権利は持っていない。 人は体感する事で、身を以て実感する事で、 初めて納得という【身】を腑に落とせる。 相手が納得を…

  • 本気で心を動かす人を、 人は【アーティスト】と呼ぶんです

    スポーツでも文学でも宇宙探査でも音楽でも、 決して誰かに求めらて生まれた訳でもなければ要望されて作り出されたものでもない。 必要だから生まれたんじゃない。 「やりたい」から生まれたもの。 【好き】や【好奇心】が生み出し、究め、探求し、 その時代の色を載せながら生活に根差し心に根付き、 そうして脈々と継がれるのが伝統であり文化であり、 娯楽という命のハリだと思うのです。 能もダンスも歌も野球も、 伝統とは遊び心から生まれるもの。 文化は「やりたい」という人の心が汲み出す物。 手紙でも絵でも必ずそこに心は宿る。 心からの声が棲む。 それを人は「アート」と呼ぶ。 だから心は動くんです。 必要だから受…

  • 決して「救えない」国じゃない

    一週間程前、 生まれて初めてカード情報を盗まれるという経験をしました。 相手方はどうやら女性物の服を購入されようとしていたそうですが、 不正利用モニタリングに検知された為に購入はキャンセル。 カードも直ちにロックが掛かり私自身への実質的な被害も無く、事なきを得たようです。 カードはその日の内に廃止。 後日改めて再発行する運びとなり、パスワードもよりセキュリティー強度を高めたものに設定変更しました。 自分の預かり知らぬ所で自分の情報を悪用しようとする方が居る一方で、 自分の意図せぬ場所で、自分は守られているのだなと改めて体感した一日です。 人との触れ合いや衣食や労働というコミュニティを介して守ら…

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