後悔は気付き、気付きは教訓、教訓は学び、学びは成長。 後悔も気付きも傷付きも、すべては自分という人間を築かせてくれるゲームである。 日常の発見や思想の記録。 主に研鑽と啓発を目的とした自己対話ブログです。
物凄く自然な事で、今まで自意識に留めた事って殆ど無かったと思うのですが、 とある方が切っ掛けで、 そしてお得意先の宛名を書いていた時にふと自覚した【心掛け】がありました。 それは、文字を書く際は書き順を初め、「反り」や「止め」や「跳ね」、「払い」に逐一神経を添えて書いているという事。 それは多分、文字が心を伝える媒体だから。 活字一つでもその配列や並びによって言葉は起こされ想いは汲み出されて行かれるもの。 だから「あ」であろうと「か」だろうと、 主語でも述語でも修飾語でも、 一文字たりとも【気】の抜けた言葉なんて無いんです。 【文字】ってきっと、人の心そのものだから。 これは手紙やメッセージに…
もう来ないものに対して【拒み】や【辟易】なんて感じる事は出来ないんです。
「明日なんて来なくて良い」と思えるのは、明日も【陽】が来てくれるから。時に【希望】を疎ましくさえ思えるのは、「励まし」を唄う人が居てくれるから。「温かみ」を配る人が見えているから。もう明日が来ないとして、変わらず「明日は要らない」と言い続ける事が出来るだろうか。太陽が落命したとして、果たしてその時の自分は「灯り」や「温もり」を求めずに居られるだろうか。【失望】も【挫折】も【落胆】も、そこに光があったから心折る事が出来るんです。【希望】を持っても見てもいるから、そこに在る事を知っているから、だから「拒む」事が出来るんです。そこに【陽】があると分かってるから、拒んでも明日が来てしまうのを「知ってい…
何気なくテレビを観た時の事。自分が応援させて頂いているアーティストさんによく似た面立ちの方が視界を掠めたものだから、思い掛けず心臓が鼓を打った。「いや、ちょっと痛いわ」と自己突っ込みを入れたくなる程度には強い胸のときめきだった。一度きりの強かな心拍だった。結果としてその方は人違いではあったのですが、自分が応援させて頂いている方がテレビに出るって、全国的に知って頂けるって、全国区で知られるべき人なのだと認めて頂ける事って、一瞬で血が沸いてしまうくらい、こんなにも【ときめく】事なのだと、この時の疑似体験を介して思い知ったんです。支えたいと思う方が、あらゆる人の「日の目」に出る日。その【一番最初】が…
そして会社を出た瞬間、「え、オムツのCMか何かですか」と食い下がりたくなる程のお目目くりくり赤ちゃんに超絶笑顔で見詰められた自分は今顔面ひまわりだと思う。擦れ違い様にご挨拶させて頂いたお母様も、晴れやかな笑顔と軽やかな声がとても印象的だった。可愛い人だったなぁ。
誰かの心のゆとりって、そのまた誰かの心遣いによって保たれるものでもあると思う。そうして互いの均衡は補い合えるのだと思う。
忙しくても終始心に【ゆとり】を保った状態で仕事を運ぶ事が出来るのは、自分の周りにおられる方々が細やかな気配りをして下さるからなのだと思う。「何度も電話してごめんね」「教えてくれてありがとう。助かった」「申し訳ないのだけれど、もう一つ調べて欲しい事があって」ほんの些細な枕言葉や、ささやかに挟んでくれる謝意やお礼。「ささやか」なお心遣いだからこそ、自分の心の隙間にもすっと入ってくれるんです。そしてそれが、自分の心の【ゆとり】になる。多忙な状況下だからこそ、その中で「心配り」という一拍を省かず居て下さる方々には学ばせて頂く事ばかり。その度に自分の「身の振り」を顧みずには居られません。誰よりもまずご自…
自社製品の問い合わせと先方からの他社製品の見積依頼(しかも多分メーカー違う)10年前にお得意先へ販売した製品×5台の機番の選定と棚卸しの前処理&仕入伝票の仕分け作業。そこへ追随する通常注文と手形処理。鋳物焼きでも何でも良いので、今すぐこのキャパを収め切れる器をわしに拵えさせてくれ。
怒る事は【おごり】であると自分は考えます。 注意や諭しが相手に「届ける」事であるならば、 怒るとは届けるではなく「発散」する事。 叱る事が相手に「手渡す」事であるならば、 怒るとは相手に「投げ付ける」事。 届けたい意志の疎通も信念も、 相手に受け取れる猶予を渡せなければ八つ当たりと同じ事。 伝えたい意見も汲み出す思いも、 それらが「正解」や「常識」であると断定した時点で言葉は【被布】ではなく【つぶて】に成る。 鋭さを増した【矛】に成る。 そうして相手に伝達するのは「理解」ではなく「不快」です。 だから月並みな言葉にはなりますが、 大切なのは相手の考えを尊重し相手の声を取り込む事。 それ迄の基盤…
時に【習慣】から自分を抜いてあげる事も、生きて行く上で大切な【習慣】だと思うんです。
「やりたい事」を自分に我慢させてあげない為に始めた副業。最近は週末も仕事を入れているので完全な休日というものを殆ど取っていなかったのですが、そうすると偶に空く【休日】に対して徐々に首をもたげるのが、「何もしない」事へ対する不安感。個人的にこれは、20代の頃と同じ感覚でもあります。でもそれと同時に折り込める様になったのは、「心底身体を休められる事」へ感じる安心と安らぎ。これは20代の頃は持ち得られなかった感覚です。【継続】と【連続】は違うから、続ける為に必要な活動に【休息】というカテゴリーはあるのでは無いかと思います。途切れても続けて行く事が出来る様に。休息を喜べる自分で在れる様に。なるべく【連…
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