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  • 村山、旧駅舎慕情。

    (開業当時のそのままで@村山駅)村山橋の東詰め、川を渡って須坂市内入った場所にある村山駅。1926年(大正15年)に長野電気鉄道によって開業した当時のままの木造駅舎が残っている。屋代線・木島線が過去の思い出の中に消え去ってしまった今、長野電鉄の中で開業当時の駅舎を残しているのは長野側から桐原・朝陽・村山・中野松川・信濃竹原の五つのみになっている。長野電鉄を訪問する際、あまり訪問する機会のなかった駅ですが、弱い冬の夕暮れに千曲川の風が冷たく吹き抜けるこの駅の風情は、なかなかに豊かなものがあります。現在は無人駅になってしまいましたが、突き出した石油ストーブの煙突が郷愁を誘う。貨物ホームを擁する広い構内があった駅で、現在は、貨物ホームの跡が保線基地として使用されています。ホームから駅舎を眺める。古錆びたトタン屋...村山、旧駅舎慕情。

  • 内需を超えたインバウンド。

    (ああ、美わしの志賀高原@湯田中駅)週末の午後遅く、湯田中・渋温泉郷や志賀高原を訪れる観光客が、「ゆけむり号」に乗って続々と到着する。暫しの賑わいの中にある湯田中駅。コロナ禍を過ぎて外国人観光客も日本に戻りつつあるようだし、そして後押しする「円安」もあって、海外勢にとっての日本は「安くて・楽しく・安全」な観光地であるようだ。大きなバゲージを引きながら改札を出て来る彼らを出迎えるのは、雪国仕様の四駆のハイエースで乗り付けた宿の送迎係たち。お宿のお迎えという光景は、昭和の時代とそう変わらないのかもしれないけど、何が違うかと言えばご丁寧に英語で書かれた宿の幟旗だろうか。それこそ「スノーモンキー」で一世を風靡した地獄谷野猿公苑を擁する湯田中・渋温泉郷。インフレの中にあって内需を喚起しても日本人が踊らない中では、多...内需を超えたインバウンド。

  • 村山橋今昔物語。

    (上信国境を仰ぎ見て@村山~柳原間)上信国境の雪山をバックに、千曲川に架かる村山橋を越えて行く「ゆけむり号」。長野電鉄の前身、長野電気鉄道が県と共同で事業資金を拠出して建設した道路併用橋です。官営鉄道の走る県都・長野へ向けての鉄道の開通は須坂の街の人々の悲願であったのですが、日本一の長さを誇る千曲川(信濃川)に800mを超える長さの鉄道橋を建設することは当時の長野電気鉄道の財力では容易ではなく、電鉄側が架橋を県に請願した結果、同じような場所に道路橋の建設を計画していた県と利害が一致。「鉄道と県道の併用橋」とすることで県が6割・長野電気鉄道が4割を負担し、大正15年(1926年)に完成したものです。かつて、須坂の街から対岸の柳原村(当時)に渡るためには、千曲川に浮かべた船を板で繋いだ舟橋に頼らざるを得ず、少...村山橋今昔物語。

  • 信州「ロマンスカー」の系譜。

    (かつての本線筋を往く@桜沢~都住間)本来であれば、雪景色&ゆけむり号の組み合わせを求めて信州中野~湯田中間を中心に撮影をする予定だったのですが、あまりにも雪が少ないため里に降りてきてしまった。里は、より一層雪が少なく、色のない季節でよりモチーフ選びが難しい。桜沢から都住にかけての田園地帯、長電の中では比較的スピードの出しやすい高速ストレートが続く区間で「のんびりゆけむり号」を。古めかしい開業当時からの架線柱と、たくさんの碍子に通信ケーブルをくくりつけた「ハエタタキ」風の補助電柱がいかにも地方私鉄らしい風景である。現在の長野電鉄は、長野から湯田中間を一貫して「長野線」と称していますけども、開業時は屋代から須坂を経由し木島まで、千曲川の右岸を結んだ「河東鉄道」が建設した河東線がかつての本線筋でした。須坂から...信州「ロマンスカー」の系譜。

  • 雪よいずこ、冬よいずこ。

    (高社山雲隠れ@夜間瀬~上条間)折角スタッドレスを履いているので、冬だし、雪のあるところでしっかりと冬らしい写真を撮りたい。ということで、急に思い立って夜中に家を抜けだした深夜1時。雪を見るなら信州に行って、久し振りに小田急HiSEこと長電1000系ゆけむり号でもサクッと摘まんでこようかなというお手軽プラン。深夜の高速は最寄りのICから下仁田まで。先日冷やかした下仁田の駅をちらりと横目に、グイグイと真夜中の内山峠。佐久。雪なし。温泉休憩で早朝の戸倉上山田。雪なし。千曲から長野市内。当然のように雪なし。中野を過ぎて、夜間瀬川の扇状地に上がったあたりでようやっとリンゴ畑にうっすらと雪が積もっているという状態。地元民に言わせれば、降らないわけではないということなんだが、とにかくの異常な暖冬で降ってもすぐ溶けて全...雪よいずこ、冬よいずこ。

  • 雪よいずこ、冬よいずこ。

    (高社山雲隠れ@夜間瀬~上条間)折角スタッドレスを履いているので、冬だし、雪のあるところでしっかりと冬らしい写真を撮りたい。ということで、急に思い立って夜中に家を抜けだした深夜1時。雪を見るなら信州に行って、久し振りに小田急HiSEこと長電1000系ゆけむり号でもサクッと摘まんでこようかなというお手軽プラン。深夜の高速は最寄りのICから下仁田まで。先日冷やかした下仁田の駅をちらりと横目に、グイグイと真夜中の内山峠。佐久。雪なし。温泉休憩で早朝の戸倉上山田。雪なし。千曲から長野市内。当然のように雪なし。中野を過ぎて、夜間瀬川の扇状地に上がったあたりでようやっとリンゴ畑にうっすらと雪が積もっているという状態。地元民に言わせれば、降らないわけではないということなんだが、とにかくの異常な暖冬で降ってもすぐ溶けて全...雪よいずこ、冬よいずこ。

  • 上野の国の一之宮。

    (貫先神社の最寄り駅@上州一ノ宮駅)西毛に夜の帳が降りて、上州一ノ宮の駅。「ゆかりは古し貫前神社」と上毛かるたに謡われる、上野の国の一之宮・貫前(ぬきさき)神社の最寄り駅。富岡の街の西のはずれ、鏑川が刻んだ河岸段丘の上にあり、1500年の歴史を持つ、まさに「ゆかりは古し」神社なのですが、今の社殿も江戸時代に三代将軍徳川家光が建立したものと言われていて、「一之宮」としての格式の高さみたいなものが感じられますね。そんな神社の最寄り駅であるこの駅も、小さいながら立派な風格のある駅舎を持っており、平日は駅員さんも常駐しています。仕事帰りと思しき男性が、出札窓口でキップを購入。平日の午後6時過ぎ、上り電車に10人程度の乗客。上信電鉄らしい特徴のある独特の太文字で書かれた駅名票が目を引く。何というか、こう、ウナギが元...上野の国の一之宮。

  • 夕映え、学生の家路。

    (長い翳伸びて@上州福島駅)上州福島駅の線路脇に立つ、福島変電所。地方私鉄の線路端にある変電所、意外にも建設当時のモノがそのまま使われていたりして雰囲気がありますよね・・・。ここ、福島変電所も上信電鉄の社紋が白壁にくっきりと浮かんでいて。少し破れかけた変電所の窓のカーテンも、まあ地方私鉄の設備ってこんな感じだよなあという妙な納得感のある風情で。冬の西日に当てられる、白壁に伸びる架線柱の長い影が不思議な造形を結んでいます。西日を浴びて、側線に佇む廃貨車。レールの上に置かれている以上、「廃」ではないのかもしれないが・・・西上州の物資輸送を担う貨物の取り扱いも活発であった上信電鉄、自社発注の貨車もテム1~10の10両を製造しており、下仁田の白石工業から水濡れ厳禁の袋詰め生石灰を運んでいたそうだ。同じ下仁田からは...夕映え、学生の家路。

  • 西毛に、独立独歩で生きて来た。

    (こちらも貴重な自社発注車@上信6000系)単行運転が可能なデハ250系列に次いで、自社発注車の6000系がやって来ました。昭和50年代中期、まだまだ地方私鉄に元気があって、投資意欲も相応にあった頃に、新潟鐵工所で肝入りで製造された新型通勤電車です。その頃の上信電鉄は、世の中がクルマ社会へと変貌して行く中で群馬県の補助金を利用した近代化を進めていて、下仁田~高崎間に準急・急行を設定したり、2ヶ所の信号所(新屋・赤津)を整備して交換設備を増設したりと、スピードアップとフリークエンシーを高めて利用者の回復を懸命に図っていました。上信電鉄で一番輸送人員が多かった時代は昭和40年代前半の頃で、その当時は年間800万人を輸送していたのだから驚く。この6000系が出た頃くらいに上信電鉄は年間輸送人員が500万人を切り...西毛に、独立独歩で生きて来た。

  • 待てば海路の鏑川。

    (浅間遥かに鏑川@馬庭~吉井間・鏑川橋梁)下仁田のコロムビアで豚すき焼き定食をいただいた後は、すっかりいい気分になって当初の目的であったデハ251+クハ1301のコンビのことなんぞどっかへ行ってしまった。やはり美味いものというのは偉大である。食というもので十分な仇を討ったという気持ちで、とりあえず今日は終わりにしちゃっていいかな!みたいな(笑)。高崎に入庫してしまった運用がどこへ繋がるか分かりませんですし、いつ来るかも分からない状態で、沿線に繰り出して寒い中で出て来るのを待ってたら風邪ひいちゃうかもしんないし。持ってる「ぐんまワンデーローカルパス」は県内どこでも使えるから、高崎に戻って吾妻線で金島の金島温泉とか小野上温泉辺りまで行ってみようかなあ・・・と割り切った気分ではありました。一応SNSで上信の運用...待てば海路の鏑川。

  • 鉄鍋の中の下仁田。

    (西上州の@下仁田駅)お目当てのデハ251に入庫されてしまった自分。方向性を見失ったまま、ただただひたすら西上州をガタゴトと走る田舎電車に乗って、終点の下仁田に着いた。下仁田、何度目の訪問だろう。列車別改札の駅で、駅に着いたら駅員さんに急き立てられるようにとっとと改札を出なくてはいけないのはいつもの通り。まあ、断わってホームの風景を撮影することも出来るのだろうけど、マニアの割にはそういうことをあまりしたくない人間でもある。馬庭から乗って来たのは上信の現在の主力である元JR107系の700形。300形を中心とした上信電鉄生え抜きの旧型車の一掃のため、JRから107系を大量導入したのは2017年のこと。JR時代は新前橋電車区に所属して、両毛線&吾妻線や高崎~水上間の上越線ローカル運用に起用されていましたが、同...鉄鍋の中の下仁田。

  • 旅の始まりは、0番線から。

    (とある冬の日、0番線ホーム@上信電鉄・高崎駅)とある冬の日。ふらりと家を出て、湘南新宿ラインに乗り、高崎の駅までやって来た。最近、上信電鉄という私鉄が好きだ。地方私鉄で営業に供されている車両、最近はどこも基本的には大手私鉄のセコハンという流れにある中で、未だにそれなりの数の自社発注車が在籍していて、しかも東京から日帰り圏内の場所にある。最近になって、その中でも一番のお気に入りである自社発注車のデハ251(昭和の復刻上信ストライプ塗装)が久々にクハ1301とコンビを組んで【デハ+クハ】で運用に入っているという話を聞き及び、ついホイホイとわざわざ2時間半もかけて上州のからっ風に吹かれにやって来たのである。上信訪問でまずやるべきは、高崎線の車窓からの、上信電鉄車庫チェック。留置されているのは700がハムサンド...旅の始まりは、0番線から。

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