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  • ◆移転のお知らせ ~gooブログサービス終了に当たって~◆

    (青天の霹靂@gooブログのサ終)移転のお知らせ(新URLはこちらです)2004年の12月に開設し、現在に至るまで約21年間に亘り続けて来たこのブログですが、なんとブログサービスを提供していた「goo」が、2025年11月18日をもってブログサービスを終了することが発表されました。まったくもって21年間も続けることになるなんて思いませんでしたし、振り返って月日の長さを思うと、20代から50代の近くになるまで、ほぼ自分の半生を綴ったことになる。一日にどんくらいの人が見ているか分からないような仲間うちだけの話から始めてここまで、一番最初のあたりの文章とか見てると恥ずかしくてしょうがないんだけど、まあそれも自分の歩いてきた足跡である。21年間で書いた記事の数は約3,360件、使った画像の枚数が約18,000枚。...◆移転のお知らせ~gooブログサービス終了に当たって~◆

  • 淡春をパステルに溶かして。

    (淡い春を渡る@原野谷川橋梁)満開の桜並木続く原野谷川の堤防。木々芽吹く春の河原を、パステルカラーの「ゆるキャン△」ラッピングのTH2100形が渡って行く。もう天浜線ではすっかりおなじみになった「ゆるキャン△」ラッピング、昨今YouTubeなんかを少し覗けば、「女子のぼっちキャンプ」や「車中泊」みたいなジャンルの動画ってかなりの数があるんですけど、そういう「女子キャンプ」ブームを描いたこのアニメの原作者の方が浜松出身だそうで、その縁もあって放映されたドラマが浜松市や天浜線沿線を舞台に撮影されたのだとか。テレ東の深ドラ枠だったんだけど、福原遥と大原優乃だったんだなあ。どちらも当代きっての「癒し系俳優」という意味ではキャスティングが贅沢であった。大原優乃の独特のアニメ声、原作が二次元だから余計にフィットするん...淡春をパステルに溶かして。

  • 春の里山、桜サミット散歩道。

    (桜のサミットを抜けて@敷地~豊岡間)掛川から森町を経て天竜へ向かうレールは、磐田原台地の北の裾を縫うように超えながら進みます。敷地から豊岡にかけては、かつての森町と豊岡村の境を成す小さなサミットがあります。天浜線はそんなサミットを100m程度の短いトンネル(敷地トンネル)で越えて行くのですが、トンネルの取り付きの築堤にいい雰囲気の桜が咲いていました。花のリレー・プロジェクトラッピングの落ち着いたお茶畑のような塗装が、春の里山を走り抜けていきます。遠州森から天竜二俣にかけては新東名高速道路と併走して走る天浜線。風景だけを見ればのどかな里山の春景色ですが、この竹林の向こう側には新磐田スマートインターチェンジと、その周辺に作られた新しい工業団地があったりして。森町でもこの辺りは古くから次郎柿という柿の名産地で...春の里山、桜サミット散歩道。

  • 我ら三セクの優等生。

    (青空の春の朝に@原谷駅)桜木の駅で、駅守のおばちゃんに別れを告げ、原谷の駅へ。ここも桜木の駅と同様、開業当時のままの素敵な木造駅舎が残されている。天浜線は、掛川から浜名湖の北側を大きく回って新所原へ向かいますが、前半戦の掛川~天竜二俣間は、磐田原台地の間を刻むように流れる何本もの小河川を超え、細かいアップダウンを繰り返しながら北西方向へ進んで行きます。原谷、と書いて「はらのや」と読むのだが、駅の東側を流れる川は「原野谷川」で、「野」を抜いた理由は不明。天浜線は駅の北側で原野谷川を渡りますが、その川沿いには桜並木があって、この時期は多くの花見客で賑わうのだそうで。木製ラッチを通して、朝の光がホームに差し込んでくる原谷駅。国鉄二俣線時代は交換設備が取っ払われていたようで、三セク転換直後に増発のために設備を復...我ら三セクの優等生。

  • 桜の駅、咲き誇れ春。

    (桜舞い散る季節に@天竜浜名湖鉄道・桜木駅)東京は開花宣言が出てから夏日を迎えるなど異常な高温が続き、一気に開花かと思ったらみぞれが降るほどの寒さの強烈な寒の戻りがあったりと、特に関東は体調を崩してもおかしくないほどの激しい寒暖差。これによって、折角進んだ桜の開花は完全に足踏みを喰らったどころか、冷たい長雨に打たれて既に花弁が落ちてしまったものも多い。いずれにしろ、強烈な寒の戻りと大雨で文字通り水を差され、イマイチな雰囲気もある2025年の桜前線。この週末を逃せば恐らくおしまいになってしまいそう。ということで、土曜日にお暇を貰って真夜中に家を出ました。最初は名古屋方面に行こうと思い西へクルマを向けたのだが、国道1号を走りながら静岡付近で夜明けを迎える。明るくなってみると、あちこちの桜が満開に咲き誇ってどこ...桜の駅、咲き誇れ春。

  • テールライトを見送って。

    (ミスト・ステーション@電鉄富山駅)道床に引かれた配管から霧状の水が撒かれている電鉄富山の駅。冬の間はこうやって積雪を防止するようだ。「水を撒く」というのは、古くから使われている積雪防止の方法ですけれども、ずーっと流しっぱなしにしていると水道の料金ってどのくらいかかるもんなんですかね。そうそう、雪国って道路にもセンターラインの穴から水が飛び出してくる消雪パイプなんかが設置されているところが多いですけれども、あれも水源が地下水なんで、消雪用の地下水のくみ上げをし過ぎて地盤沈下が起こった・・・なんて話もあったりしますが。巻き上げた雪がこびりついた60形がゆっくりとホームに入線。駅の高架化を前に、現在の仮設のホームに移転してもう2年ほどになりますか。電鉄富山駅の立体化事業は稲荷町~電鉄富山間の700mに総工費2...テールライトを見送って。

  • 冬の立山、曼荼羅の世界へ。

    (夜汽車は山へ@立山線車内)夕暮れの岩峅寺から、ほんの僅かな乗客を乗せて山へ向かう60形の立山行き。車窓に広がる岩峅野は雪に覆われて、車内の蛍光灯から漏れた灯りに跳ね返ってほの明るい。押し黙ったように佇む冬の立山山麓の家々、雪は止んだとはいえ何とはなしのもの寂しさが残る。転換クロスの背摺りをバタンと倒して自分だけのくつろぎコーナーを作って準備は万端。車両の揺れと呼吸を合わせながら、こぼさないように岩峅寺の駅の自動販売機で購入した缶コーヒーのプルタブをパキリと開ける。ぼんやりと流れて行く景色を眺めるこういう時間。列車はやはり乗ってこそ、である。横江、千垣、有峰口、本宮。本宮から先、立山までの4.8kmは、地鉄の中では一番駅間距離の長い区間になります。窓の外は漆黒の闇・・・というにはやたらと明るいのは、窓の高...冬の立山、曼荼羅の世界へ。

  • 殖産興業、扇の要の駅で。

    (立山社檀、雪積む駅に@岩峅寺駅)黒部川の作った平野から、谷を伝って宇奈月へ。常願寺川の作った平野から、谷を伝って立山へ。富山の二つの大河は、地鉄電車とは切っても切れない関係性にあります。黒部川も常願寺川も、北アルプスの山々から流れ出た土砂で大きな扇状地と平野を形成していますが、常願寺川の作った扇状地の要に当たるのがここ岩峅寺の駅。滑川から扇状地の縁を通ってやって来た立山鐵道と、富山から神通川との平野の境目をなぞるようにやって来た富山県営鉄道の路線がここで交わります。今の不二越・上滝線の始祖である富山県営鉄道は、常願寺川の電源開発による殖産興業と治山治水の重責を担って建設された「富山市ヨリ上滝ヲ経テ藤橋(立山)ニ至ル」鉄道のこと。現在でも市電・地下鉄などに市営鉄道(交通局)は残っていますけど、国鉄やJRを...殖産興業、扇の要の駅で。

  • 翁に尋ねしレールの先に。

    (雪の立山、轍を踏んで@千垣駅)横江から千垣へ、一駅歩みを進めただけで、雪は深くそして激しさを増してきた。雪の行軍、轍を踏んで・・・ではないが、さきほど薄日の差した鋳物師沢で眺めたレッドアローがイカついライトを光らせながら山を下りて来た。雪が凄いと見えて、定刻から5分程度の遅れ。ここまで雪が降ってしまうと、列車の音などは全く聞こえない。放送が入る訳でもないので、よく目を凝らしていないと気付かないうちに電車がやって来る。それにしても、雪の中で雪をずっと見ているのは案外目に来るもので、なんというかこう・・・目がシパシパしてくるね。実際、スキー場などでずっと雪の照り返しを受けていると、雪焼けもそうなんだけど目が紫外線にやられてしまうことがあるらしい。そういうのを「雪目(電気性眼炎)」というのだそうだが。そして、...翁に尋ねしレールの先に。

  • 危機はいつでも、音もなく忍び寄る。

    (厳冬・地鉄の深奥へ@横江駅)岩峅寺から先、アルペンルートが閉ざされた時期の冬の立山線は、僅かながらの沿線住民の利用と、これも僅かながらの立山山麓スキー場の利用客を運ぶだけの静かな車内となります。静かに雪の降る午後の横江の駅。鋳物師沢では一瞬の晴れ間があったけれど、岩峅寺で曇り始めて、横江では小雪。だんだんと山深くなっていく立山線、一駅ごとに気象条件が変わって行くのは黒部線と同じ。何年か前に補修工事をしていたかと思うのだが、その効果はあまり続かずまた草臥れた雰囲気の色濃くなってきた横江の駅。床には枯葉が吹き込み、ベンチに土埃がそのままになっていて、待合室の中とかも荒れ気味。うーん、管理状態が悪くなっているのは気がかりですね。たまたまなら仕方ないのだけど。山行きの電車は60形のカターレ富山号。草臥れ状態の駅...危機はいつでも、音もなく忍び寄る。

  • 富山の沃野、雪に眠る。

    (束の間の青空@釜ヶ淵~沢中山間)大雪の黒部平野から大きく場面転換して、常願寺川が作り出す富山平野へ。この日の午後は立山線を狙いに行きました。お馴染みの鋳物師沢の陸橋。このポイント、陸橋の下にクルマを置けるスペースがあるのだが、そこには農家さんの農機具が置かれていた。冬の間、陸橋の下は農機具を雪から守るための車庫代わりになっているらしい。駐車スペースまで入る細道が除雪されてなかったらどうしようかなと思ったのだが、何とか道は通じていて一安心。もう何度となく立った陸橋のお立ち台は、遠く富山湾を見晴るかす眺望が売り。春の田植えと早苗の頃、夏の青々とした田園風景、初秋の黄金の稔りと季節ごとの顔がありますけども、この時期は一面の雪野原で、またひときわ美しいですねえ・・・。この雪が表土を守り、土壌を潤し、低温下で雑菌...富山の沃野、雪に眠る。

  • 「雪に強い」が強みのはずで。

    (新幹線の隣りの駅@舌山駅)新黒部の駅からおよそ東に400m、舌山の駅。どこか北海道を思わせる風貌の、アイスグリーンに塗られた古風な駅舎。舌山駅には、駅の隣りに農協と農業倉庫があって、その倉庫への荷捌きや荷下ろしのために大きな広場があるんですが、その広場もすっかりが雪に埋もれている。かつては黒部平野で収穫されたコメや農産物をここに集めて、貨車で運び出していたのでしょう。地鉄の貨物取り扱いが終了したのは1983年(昭和56年)のこと。国鉄によるヤード系集結輸送の廃止とほぼ同時だったんですね。この翌年に、国鉄は1両1両の貨車を方々から操車場に集めて貨物列車に仕立てるようなまだるっこしい貨物輸送の方式を全廃し、現在のコンテナ方式による拠点間一括輸送に舵を切りました。日本の鉄道貨物輸送にとって「1983~84年の...「雪に強い」が強みのはずで。

  • 吹雪の中で捕まえて。

    (雪の雷鳥、羽搏く@浦山~栃屋間)鉛の空はその色を増し、海の方からは大きな雷鳴が鳴り響く黒部平野。大粒の雪の礫が容赦なく体に叩き付けて、雪濡れしないようにカメラを守るのが精いっぱい。1月の津軽は雪はあったけど結構暖かかったことを思うと、津軽の仇を黒部で討たれているような思い。正直、この視界でもあるし、接近音は雪に吸われてしまうし、ということで安全のため踏切の近くに陣取った。線路際に除雪で出来た雪山に雪踏みをして足場を付けて、何とか撮影を試みようとカメラを構える。通過時刻を過ぎてもやって来ぬ列車、コートの中に隠したカメラは割と外気との気温差でレンズが曇ってしまうことが多いので、暴風雪の中でもしっかりとレンズを拭いて待ち構える。雪にAFが引っ張られるのが嫌なので、ここは丁寧に置きピンをしてAFを切った。手持ち...吹雪の中で捕まえて。

  • 雪国暮らしも楽じゃなし。

    (白き大地に降り立てば@下立駅)この日は、寒気の入り込みによって大雪の予報が出ていた北陸地方。朝方はさほどでもなかった雪は、時間が経つごとにかなり激しさを増して降り続き、辺りを白く染めて行きます。あまり撮影したことのなかった下立の駅。山裾に片面一本のホームが設置された小駅ですが、駅から徒歩圏内に道の駅があったり(道の駅宇奈月)、かつては中学校があったりと、宇奈月町の主要施設の最寄り駅でもありました。まあ、それにしても雪が激しい。容赦なく降る雪をすっぽりとコートのフードをかぶってやり過ごしながら待つこと暫し、やって来た電車は元東急の17480。東横線の急行として渋谷と桜木町の間を闊歩している時に、こんな第二の人生があることを、果たして想像していたのだろうか。「寒い。渋谷に帰りたい。」雪国暮らしも楽じゃなし。...雪国暮らしも楽じゃなし。

  • 黒部谷、一駅ごとの雪深き。

    (雪深き黒部谷に佇む@内山駅)遥か北アルプスの山々から流れた土砂によって堆積し形成された黒部平野。そんな沃野を走って来た地鉄本線は、愛本から黒部谷に続く隘路を登って行きます。内山地域は、宇奈月に続く道の途中にある小さな集落で、地鉄の駅は県道を降りて消雪パイプの取り付けられた道を行った集落の一番奥にある。駅前広場とは言えない程度の小さな車寄せから十数段の階段を上がれば、少し大きめの待合室を持つトタンの駅舎が。平成初期は一日500人程度の利用があった駅ですが、現在は150人程度。黒部鉄道が通じて宇奈月に集落が形成されるまでは、この内山の集落が黒部谷の最後の集落であったそうで。現在は黒部市の一部分に取り込まれてはいますが、ここはかつての宇奈月町内山。黒部川沿いの街は、現在小学校・中学校があるのが浦山。以前は愛本...黒部谷、一駅ごとの雪深き。

  • ふたたび、みたび、ゆきのなか。

    (雪の中へ@白馬五竜交差点)今年は雪の当たり年。年末に南会津、そして1月に津軽でガッツリと雪遊びをして、そうなると2月はどこへ行く・・・ということで、無難に(?)三連休で富山に行ってきました。自分のクルマのスタッドレスも、そろそろこのシーズンでおしまいかなあ、という気もしてましたのでね。今回は宿泊なしの0泊3日、深夜に家を出て下って行く中央道。月明かりに冴える八ヶ岳を眺めながら最後までルートの選定は思案投げ首だったのですが、高低差のある安房峠経由は避けて安曇野ICから白馬回りで行ってみることに。雪道で、平湯から先の下り勾配が嫌だったってのもあったんだよな。北陸方面は大雪が予想された白馬回りは、大町市に入る手前の松川辺りから小雪が舞い始め、大町から北は完全なる降雪。佐野坂あたりから先はモリモリ道路脇の雪が高...ふたたび、みたび、ゆきのなか。

  • 冬は津軽、冬こそ津軽。

    (春節の賑わい@中央弘前駅)学生たちの帰宅電車で中央弘前に到着した私を待っていたのは、春節なのか日本旅行においでなすった中華系の団体客。いわゆるインバウンドというヤツが、こんな雪の弘前にまでやって来るとは驚きだが、どうもあちらの中華系の方々は「雪」を見ることが少ないのだとか。流暢な日本語を話すガイドが弘南の駅員さんと喋っていたのだが、どうやら次の電車は後方の1両がこのお客さんたちの貸し切りになるらしい。正直、この返しの電車で大鰐まで静かに一往復してこの旅の最後にするつもりだったのだが、なんだかアテが外れてしまった。いや、勿論インバウンドだろうと何だろうと大鰐線に客が乗って収入になることは何よりのことであるが、そこはそれ、マニアというのは基本、自分勝手なものだから。先にインバウンド客を後方の車両に誘導してか...冬は津軽、冬こそ津軽。

  • 指折り数え行く日々を。

    (シュプール描いて@鯖石~石川プール前間)バックに大鰐温泉スキー場がばっちりと入る、石川プール前のストレート。5年前の冬に訪れた際に、ラッセル列車を撮影した思い出の場所。大鰐線沿線に限らず、冬の雪国は「除雪している道とそうでない道」ははっきり分かれていて、当たり前ながら生活に関わらない畑の細道や行き止まりの道は除雪対象から外されて春までそのままなのだ。石川プール前のストレートは、清掃工場の道に続いていて、ちょうど撮影する場所までが除雪されているのは前と同じだった。山の上に大きな宿泊施設か、ロッジが見える大鰐温泉スキー場は国内屈指の学生スキーのメッカですが、スキー需要も縮小傾向かつ施設整備に費用がかさむこともあり、一部コースは営業を休止中。高度経済成長期に日本中で行われたスキー場開発とゴルフ場開発、ともにレ...指折り数え行く日々を。

  • 津軽を喰らう、これが弘前の台所。

    (弘前の台所@虹のマート)岩木山神社へのお参りを終えて、弘前市街に戻って来ました。これから大鰐線の午後の撮影に向かう前に、少々腹ごしらえ。弘前バスターミナルの前にある「虹のマート」。食料品を中心に色々な店が入る市場のようなマルシェ形式のような、そんな地元密着のマーケットです。方々へ出かけて行くにつれ、最近俄然興味が出て来たのが「その地域に根差した地元のスーパー巡り」。駅の物産館やサービスエリアの「お使い物」のお土産じゃなくて、地元資本のスーパーで地元の人の中で流通するような「普段使いのアイテム」を拾うのは楽しいもの。最近は素泊まりの旅館に宿泊して、風呂に入ってのんびり地元スーパーで調達したツマミで一献傾けるのが好きなスタイルになって来た。もちろん1泊2食の上げ膳据え膳もいいんだけど、どうしてもカメラを抱え...津軽を喰らう、これが弘前の台所。

  • サイギサイギ、ドッコイサイギ。

    (この冬の雪の多さよ@津軽大沢駅)車両区があり、大鰐線の運転の要衝である津軽大沢の駅。ただし、駅は羽州街道の外れの小さな集落にあって、利用する人は少ないのか、駅員自体は無配置の駅です(車両区や饋電、保線関係の要員は配置されている)。駅の周りには住宅よりも新しい老健施設の大きな建物が目立っていて、雪をかぶった年季のある民家との対比は、なんとも東北の都市農村部の人口動態を表しているようで切ないものがあります。除雪用のスノーダンプの置かれた駅舎の入口。この冬の津軽の雪の多さは、過去の半世紀を見ても比べるものがないほどのもので、2月23日には弘前市の積雪深が160cmを記録したようです。これは1982年(昭和57年)の観測史上最大の記録なんだとか・・・この時すでに、駅舎の上の駅名看板が雪の重みのせいなのかひしゃげ...サイギサイギ、ドッコイサイギ。

  • 銀鱗踊る高架橋。

    (生徒たちを待つ@義塾高校前駅)沿線最大の教育施設である東奥義塾中学校・高等学校。弘前藩の藩校を出自とした、青森県でも有数の名門私学。その最寄り駅になっているのが義塾高校前駅。リンゴ畑の中に簡素なホーム一面の小さな駅ですが、朝は通学してくる学生の対応のためか、係員配置の時間があるようです。東奥義塾が弘前城址に近い場所から郊外の地にに移転してきたのは昭和62年のこと。義塾高校前の駅はそれに呼応する形で通学の便宜を図るために開設された駅ですが、学校の移転と駅の開業により、前年に比べて通学定期の輸送人員が年間15万人も増加。弘南鉄道的にも大きな需要の創出だったのではなかろうか。もっとも、昭和62年当時の大鰐線の輸送人員はピークアウトしていたとはいえ年間250万人を確保していたのだから、今となっては隔世の感がある...銀鱗踊る高架橋。

  • 朝の鯖石、電光石火。

    (雪の待合室@鯖石駅)昨年の夏にも訪れた鯖石の駅。国道8号線から鯖石の集落へ入る道へ折れ、その集落の道からさらに細い道に入ってようやく見つかります。大鰐線の駅は、大きな街道沿いというよりも小さな集落の中の分かりにくい場所にあるものが多く、初見では探し出すのが難しい。ちなみに、ここから一つ大鰐寄りの宿川原駅も分かりにくさは相当なもので・・・そういうところも、利用しにくさの一因になっているのかもしれない。鯖石駅へのアプローチは、バイクや小さめの自動車が1台やっと通れるかな、程度の細道のみ。そもそもクルマ社会の地方都市。少ない利用者ですら、駅までは家族がクルマで送迎することは珍しくない。そうなると、駅前のロータリーの整備とか、そういった「クルマ社会との親和性」を高めることも利用促進策の一環だったと思うのだが、な...朝の鯖石、電光石火。

  • しばれる朝の始発駅。

    (ワニモニ。@大鰐温泉駅)朝6時に大坊温泉保養センターを出て、やって来たのは大鰐温泉の駅。津軽の奥座敷と言われた大鰐温泉は、弘前藩の湯治場として栄えました。開湯800年の歴史を誇る津軽の名湯は、歴史ある雰囲気を持つ街並みで、2つの共同浴場を中心に大小の旅館で形成されています。もう一つ、大鰐町と言えば大正時代からスキーの街として有名で、街の南側にある阿闍羅(あじゃら)山の中腹には大きなスキー場(大鰐温泉スキー場)があります。私は正直存じ上げないのですが、毎年学生スキーの大会が開催されていて、町内からもスキーの名選手が数々輩出されているらしい。ちなみにバブル華やかなりし1980年代後半にスキー場を中心にしたリゾート振興に手を出した大鰐町、見事に開発に頓挫し財政再建団体にまで落ち込んだ苦い実績があります。そんな...しばれる朝の始発駅。

  • 平川の 名湯ぷかり 風邪知らず。

    (黄金の稲穂揺れて・・・@津軽ウインターイルミネーション列車)「冬の田んぼアート」を楽しんだ後は、このイベントに合わせて増発された臨時電車で弘前へ。黄金の稲穂を模したイルミネーションを配した車内は、照明を落として幻想的な世界。ちなみに、乗車には別途料金500円を所望されました。手土産に小さなお手ぬぐいのグッズ付きでしたが、正直別途料金を取って運行しているせいか、車内の乗客はまばらです。やはり臨時電車というのもあるし、別料金を取るというスタイルだと利用率はそこまでいいとは言えなかったかなあ・・・。弘南鉄道なりの増収策なんでしょうけどね。それなら、もう少ししっかりとおカネを取って「けの汁列車」みたいなイベント列車で運行した方が良かったのかも。けの汁列車、コロナで中断していて2025年の今シーズンから5年ぶりに...平川の名湯ぷかり風邪知らず。

  • 凍て付いた光の中で。

    (ささやかなイルミネーション@田んぼアート駅)津軽を訪れた週末は、田んぼアートで地元のスノーアーティスト集団による「冬の田んぼアート」が開催されていました。「道の駅いなかだて」に隣接した会場は、夜のライトアップを目当てに多くのお客さんが来場していましたが、弘南線も田んぼアート駅に土日は臨時停車をおこなって会場アクセスへの便宜を図っていました。スノーアートとは、スノーシューを履いて雪原を踏み固め、雪に模様を描いて陰影でデザインを浮かび上がらせるアートというもの。夏は、普通の稲に赤米や古代米などを混ぜて稲の色の違いで表現するのが「田んぼアート」なのですが、今回は稲は関係ありません。田んぼアート駅に隣接した「弥生の里展望所」から見下ろすスノーアートはどんなもんなんでしょうか・・・?入館料300円を払ってエレベー...凍て付いた光の中で。

  • 津軽慕情。

    (津軽夕景@新里~館田間)この山の姿を見れば、「きっと帰って来るんだと、お岩木山で手を振れば・・・」と思わず口ずさんでしまう。日本に「〇〇富士」はいくつもありますけれども、その立ち姿から津軽富士と例えられるのが津軽の名峰・岩木山。津軽平野のどこから見てもその姿を仰ぎ見ることのできる母なる山は、すっきりとその姿を見せる独立峰でもあります。陣取ったのはお馴染み新里~館田間。平川の鉄橋から小さな築堤を緩く降りて来るシーン、このアングルだとレールの右奥に雄大な津軽富士のお姿がガッツリと見える、私的にはお気に入りの弘南線の名撮影地です。弘前へ上がって行ったラッセルコンビ、黒石の駅までの返却回送(?)シーンを狙います。回送を待っている間に矢立峠の方向に太陽は落ち、夕暮れの近付く津軽平野は、それこそ分刻みで足元から寒さ...津軽慕情。

  • その存在に比類なし。

    (黒装束、冬の西日に輝かせ@館田~新里間)午前中は雪国らしい寒々とした曇天だったが、午後になってだいぶ陽射しが戻ってきた津軽平野。冬の陽射しは、午後三時を過ぎて早くも赤味を帯びながら傾き始めた。田んぼアートで見かけたラッセル、おそらくは弘前までの一往復でしょうから、ある程度先回りすれば捕捉できそう・・・ということで、朝に展開した館田駅付近へ。田舎館~平賀までは南北に向いている弘南線の線路は、平賀の先で大きくカーブして弘前までは東西方向に走っていますので、順光で捉えるならこの辺りかなあという見立て。弘南のラッセル、カラスのように真っ黒なので、逆光や日陰で撮影したら完全にドボン食らうのでねえ。汽笛一声、館田の駅を発車するラッセル編成、高度の低い冬の陽射しを浴びて真っ黒なボディを艶めかせるキ104。飛ばす雪もな...その存在に比類なし。

  • たんげあずまし、赤と黒のエクスタシー。

    (きららの午後@境松駅)田舎館の駅から浅瀬石川の長い鉄橋を渡ると、電車は黒石市に入って境松の駅。駅自体が浅瀬石川の堤防上に架かるようにあって、その下を小さな用水路が東へ向かって流れています。弘南線の中でも地味な存在の駅ですが、駅の横に大きく枝を伸ばす桜の木が見事で、春の季節に訪れてみたいものです。浅瀬石川の右岸の境松の集落は黒石市街の東の外れという位置にあって、駅前の道を行くとそのまま黒石の中心街にある「こみせ通り」に続いている。良く晴れて暖かかったこの日の午後、境松の集落の人たちは降り積もった雪の片付けに追われていた。多少気温が高ければ、雪も柔らかくて片付けやすいのだろうか。それとも、昼間に溶けて夜に凍ってを繰り返し、ガッチガチに固まって扱いづらくなる前に・・・ということか。どうせ夜までウロウロしてしま...たんげあずまし、赤と黒のエクスタシー。

  • 平賀の街の染みる味。

    (雪原を行く@柏農高校前駅)赤い待合室がチャームポイントの、柏農高校前の駅。通学時間には多くの学生たちが乗り降りをした駅のホームは、朝の輸送力列車のために非常に長いものになっている。ただ、既に朝の輸送力列車を止めてしまった駅のホームは、2両編成の電車が止まる場所以外は除雪もされないままだ。津軽の白く染まる沃野の中を、遠くから弘南線の電車がやってくる。見渡す限りの白い世界だが、この雪が涵養する豊かな水が大地を潤し、春の雪解けが田園を潤し、夏の陽射しが稲穂を育て、秋の実りに繋がっている。また、雪で冷やし込まれることによって病害虫が息絶え、土壌が清浄化される効果もある。そして雪の下でじっと冬を越す小さな動物や昆虫は、春の訪れを前に動き始めて、雪混じりの田んぼの土をせっせせっせとこねくり回し、ふっくらと空気を含む...平賀の街の染みる味。

  • 雪に負けるな、津軽の林檎。

    (雪原の高架橋を行く@津軽尾上~尾上高校前間)弘南線のハイライトの一つ、尾上高架橋。浅瀬石川から引き込まれた用水の走る田園地帯を、古いコンクリートモルタルで跨ぎ越す350mの高架橋です。バックに岩木山を望む高架橋の姿は、弘南線随一の撮影地として有名。ちなみに、高架橋のレールはレベル(水平)で敷かれているかと思わせておいて津軽尾上から尾上高校前へ向かって僅かな下り勾配になっていて、手前の水田と岩木山を雄大に広角で撮る構図を作ろうとするとなかなか水平が出しづらかったりする。この日の午前中は岩木山も雲隠れしていたので、おとなしく尾上高校前側から撮影しましたが、望遠レンズで圧縮すると、尾上の高架橋も歴戦のツワモノという感じでなかなかガタガタとした路盤と橋脚が浮き彫りとなって味わい深い。もちろん補強工事などはなされ...雪に負けるな、津軽の林檎。

  • 早寝・早起き・朝湯で暮らす。

    (地方私鉄の厳しい現実@館田駅)館田駅の待合室に掲示してあった従業員募集の告知。2025年問題という団塊世代の高齢化による労働力不足は、否応なしに地方私鉄の現場にも押し寄せています。そもそも公共交通機関は「売上」である運賃を国交省による認可により定められた事業ということで、なかなか営利性のみを追求した形にはしにくいものです。大手私鉄は別事業として不動産や建設、小売り、流通などをグループ会社で持つことによる収益の補完構造が成立していますけども、地方私鉄はなかなかそのようなコングロマリット的な事業体系は形成できず、慢性的な低賃金にあえいでいます。地方の過疎化は、乗客減少にもつながりますけど、労働環境の悪化にも直結していて・・・運転士もそれを支える技術職も高齢化し、再雇用などをかけて騙し騙し職場のシフトを回して...早寝・早起き・朝湯で暮らす。

  • 弘前の朝を始める。

    (この冬の津軽の雪@弘前駅前)朝6時の弘前バスターミナルから、雪の街を歩いて弘前駅へ出る。駅前通りのバスターミナルに続く歩道には、年末年始から降った大雪が積み上げられていた。私が津軽にお邪魔する一週間前から比較的暖かかったらしく、これでもだいぶ溶けてしまったらしいのだが、うず高く積もった雪の歩道を歩くと、中途半端に溶け気味の雪は足元で緩んで結構歩きづらい。このくらいの気温だと、昼間に溶けて夜の寒さで凍ってを繰り返してミラーバーンやブラックアイスバーンになってしまうから大変だろうな。一応今回の津軽行も二日間レンタカーを借りているのだが、レンタカー屋が開くのが朝8時なので少し時間がある。それまで、朝の弘南線にでも揺られて来ようということで。弘南鉄道の弘南線は、弘前駅の城東口という「あんまり栄えていない方」から...弘前の朝を始める。

  • 冬の東北道に、彗星を見た。

    (上野発の夜行・・・バス@上野駅前)今回の津軽行き、行きは弘南バスの「パンダ号(青森港フェリーターミナル行き)」にしてみました。前回は横浜駅から弘前~五所川原行きの「ノクターン」にしたんですけど、3列夜行のノクターンに対してこの「パンダ号」はオールドタイプの4列シート。いわゆる普通の観光バスの設えなのですが、その分値段はお安くて、ノクターンの9,000円に対してパンダ号は5,500円。首都圏からストレートで弘前に向かう交通機関としては恐らく最安値ではないだろうか。まあ、値段の部分ももちろんあったんですけど、自分としては時間帯ですねえ。いくら新幹線が速い言っても、始発の新幹線で行ったかて新青森乗り換えで弘前10時半になっちゃうから。このバスは上野20:30発で弘前が定刻だと5:45で、朝6時前から現地で動け...冬の東北道に、彗星を見た。

  • 童達 行く末いずこ 鰐の道。

    (いつもの朝を、いつまでも@弘南鉄道大鰐線・鯖石駅)「津軽」という土地の名前のイメージを、一般的にはどう想起するだろうか。それは、春の弘前の桜であったり、夏のねぶた祭だったり、秋を彩る実りのリンゴだったりもするのだろうけど、何と言っても冬の厳しさを想起する人が多いのではないかと思われる。去年の夏、津軽を旅して改めて思ったこと。勿論、夏は夏でその季節なりの良さがあったのだが、「津軽はやはり冬に行きたいよな」ということだった。去年の夏は暑さを求めて九州まで馳せ参じたが、冬は冬らしく凍てつく寒さを求めたい。そんな当たり前のことが、だんだんと季節感のなくなって行く四季の国ニッポンの正しい楽しみ方だと信じてやまない。折しも去年の暮れからJPCZ(日本海収束寒気団)の度重なる発生で津軽地方は災害級の大雪に見舞われてい...童達行く末いずこ鰐の道。

  • さよならだけが人生だ。

    (雪を蹴立てて・・・@鯖石~石川プール前間)大鰐線の東急7000系。大鰐線は、弘南線と違ってちゃんと原形顔の東急がやってくるのがいいところ。ちなみにこの写真を撮影したのは2019年(平成31年)の冬のことなので、もう6年も前の話になる。私が初めて弘南電車にお邪魔したこの冬はまだコロナの前だったから、厳しいと言っても今ほどではなかったんですよねえ。この時間の流れの中で、やっぱりコロナによって失われた3年間というのは地方の鉄道事業者には大きな痛手でしたよね。2019年から現在までに変わったところといえば、弘南線では朝の学生向けの4連が廃止、コロナ禍と従業員不足からの日中30分→1時間ヘッドの大幅拡大があって、大鰐線では初電の繰り下げ、朝夕の本数の削減、そして2024年秋の正式廃止表明ですからね。変わるにしても...さよならだけが人生だ。

  • 津軽へ。

    (降る雪に眠る@津軽大沢駅)弘南鉄道・大鰐線の廃線。昨年の秋に発表されてからというもの、日増しに募る津軽への思い。そして、年末からの津軽は大変な大雪で、何度も何度もレールを閉ざされながらも、何度も何度も除雪をおこなっては道を切り開き、津軽の人々の足たらしめんとする奮闘の姿がなおさらその気持ちを駆り立てている。大鰐線のキ105こそ、相棒のED221の不調によりこの冬はご隠居を決め込んでいるが、弘南線のキ104&ED333のコンビはこの年末年始の豪雪を切り裂きながら連日獅子奮迅の活躍であるという。雪というものの難しさ、降り過ぎれば電車は走らないし、ダイヤがない中で辛抱強くラッセルを待つゲリラ戦を強いられる。けれども、力強く雪を跳ね飛ばすその姿を一目見た日から魅了されてしまった津軽の黒き化身。出るか出ないかは天...津軽へ。

  • 黄金差すホームにて。

    (午後の陽射し、雪凍る築堤にて@男鹿高原~会津高原尾瀬口)午前中に鬼怒川温泉へ下った後は、昼の運用を東武から直通のリバティに任せ、午後遅くなってから会津高原へ戻って来る6050系。昔は日中も浅草からの東武快速が1時間に1本程度は直通してきてくれたものだが、東武側から普通列車の野岩直通が切られた2年前の大減便は大きくこの付近の鉄道での行動範囲を狭めてしまった。東武側の6050系の後継である20400系は未だに野岩線内の運用実績がないように思うのだが、入線試験もしなかったというあたりに何となく察せられるところがある。大減便ダイヤは、もちろんコロナで需要が減退してしまった・・・ということもそうなんだろうけど、東武から乗り入れて貰って走らせることによって発生する東武からの車両賃料を圧縮したいという思惑もあったので...黄金差すホームにて。

  • ネットワークと原点回帰。

    (老兵、黙して・・・@会津高原尾瀬口駅)始発電から線内列車として2往復、少々のインターバルで会津高原尾瀬口に佇む6050系。ちょうど浅草からやって来た500系リバティ会津が到着して、雪の山里に里帰りのお客さんと少々のスキー客が下車して行きます。会津高原尾瀬口の駅は、今でこそ電化されて南会津と首都圏を繋ぐルート上にありますが、かつては国鉄会津線の会津滝ノ原という名前の寂しい終着駅でした。会津若松から会津田島までの開通が1936年(昭和9年)、そして滝ノ原まで開通したのが1953年(昭和28年)のこと。駅前を流れる荒海川の上流に、八総(やそう・はちそう)銅山という黄鉄鉱を産出する鉱山があって、戦後は住友金属鉱山によって開発され、ここから産出される鉱石を運び出すために鉄道が敷設されたのだそうです。かつては浅草か...ネットワークと原点回帰。

  • 道の駅、湯船で眺める大鉄橋。

    (鈍色の湖面に姿映して@中三依温泉~湯西川温泉間)現在でこそ第三セクターで運営されていますが、現在の野岩鉄道会津鬼怒川線は、かつては国鉄の野岩羽線計画として日光線の今市から遥か米沢まで建設されるはずの地域間横断路線でした。野岩線の中でも車窓風景の白眉とも言える湯西川の大鉄橋は、いかにも鉄建公団線らしい連続トラスの美しい造り。冬の朝陽が男鹿の山々を赤く染めても、深山幽谷を行く野岩線のレールには未だ光届かず・・・五十里湖の鈍色の湖面にはうっすらと薄氷が張っている。氷の幕を壊さぬように壊さぬように、静々と列車は湖上の長い鉄橋を渡って行く。普段は2連の6050系か、3連の特急リバティしか通らない鉄橋ですから、4連となるとそれだけでもなかなかの迫力がありますねえ。かつての6050系で運行されていたかつての会津快速で...道の駅、湯船で眺める大鉄橋。

  • 戊辰の道、雪の轍を踏んで。

    (マイナス5℃の静謐な朝@上三依塩原温泉口駅)正月からgooブログを所管するNTTドコモが大規模なサイバー攻撃に遭ったそうで、このブログも2~3日全く繋がらなかった。NTTドコモも正月から災難な事だが、このWeb空間に置いている私のブログも何だかんだと積み上げて20年くらいになっているので、これが消えたら流石に凹むな。写真なんかはHDDに保管してあるけれども、文章はさすがに何も保存していないのでね。バックアップを取るという意味も含めて、どこか他のブログへ一旦文章データだけでもお引越ししておいた方がいいのかな・・・と思わなくもない。思えば、2025年というのは「Windows95」から30年目の節目の年。情報資産の取り扱い、というものに改めて思いを致す年の始めである。正月休みの時間のある時にブログでも書き溜...戊辰の道、雪の轍を踏んで。

  • 謹賀新年

    (4パン全上げ、2025出発進行!@野岩鉄道・会津高原尾瀬口~男鹿高原間)野岩鉄道から朝帰りした大晦日は、昨日は蕎麦を食ってから一本ビールを飲んで、部屋で横になってからの後の記憶がない。紅白もゆく年くる年も何もなく、夢の中で迎えた年の暮れ。そんなこんなで元日は朝4時に目覚めてしまい、ゆっくりと沸かし直した新年の初湯に入ってから、とりあえず録り溜めておいた「ドキュメント72時間年末スペシャル」と「孤独のグルメ2024大晦日スペシャル」を見て周回遅れの大晦日を年またぎで終わらせる。本当であれば、年始は初日の出と初詣を拝むために早朝から出掛けていたのだが、親がこんな調子で完全に時間軸の外れた正月を迎えているのと、息子も今年が受験シーズンで正月となくやれ塾の冬期講習だ模擬試験だとやたらと忙しくしていることもあり、...謹賀新年

  • 旅の終わりは、紅いモケットの揺り籠に。

    (故郷へ思い届けて@会津鉄道会津山村道場~会津荒海間)今年はカレンダーの日の巡りが良く、28日の土曜日から新年5日の日曜日まで合計で9連休なんて人も多いようです。かくいう私も、12月に一回休日出勤した分をうまく組み合わせて9連休をこしらえてしまいました。嫁さんからは「この時期に9連休取っても、どこへ行くのにも高いし混んでるし、もう少し有意義に使える時期に取った方が良かったんじゃないの?」なんて言われてしまった。それも一理ある。ガソリンも補助金の打ち切りでリッター8~10円くらいは上昇している感じもあるし、のぞみは年末年始全車指定席だし、ETCも年末年始は休日割引使えないんだよね~。とはいえ、9日間ただつまんないテレビ見て、のべつ幕なしに食っちゃ寝ているのも勿体ないので、スタッドレスを履いたこともあって昨日...旅の終わりは、紅いモケットの揺り籠に。

  • 師走・常盤平

    (去り行く@新京成電鉄・常盤平~八柱間)12月。今年はラニーニャ現象(?)のお陰で雪の多い冬になりそう・・・という気象庁の長期予報が早速大当たりして、12月から北日本方面の降雪が爆発的に増加している。青森の酸ヶ湯は12月で初の積雪3m越え、津軽地方でも降雪が続き、弘南鉄道のラッセル車が連日出動しているという。雪国に住んでいる人々にとって、毎日の雪かきを始めとする生活の不便を強いられる雪にはうんざりしているものと思われるが、そういったものにとんと縁がない南関東の住人は、早速スタッドレスタイヤに履き替えの予約をして、スノーモンスターに挑みに行きたいとうずうずしている。特に津軽はねえ。大鰐線の廃線が発表されてからこの冬の課題として認識しておりますのでね。1月か2月に行ける時間を作りたいと計画を練り練りしているの...師走・常盤平

  • 霜月・親鼻

    (郷土の歴史を語る「赤」@秩父鉄道・上長瀞~親鼻間)11月。先月のことなので改めて・・・というところなのだけど、西武秩父線の55周年を記念して突然登場した「E851形電気機関車塗装」の西武4000系にすっかりと心を奪われ、3種連続の秩父詣でを挙行してしまった。元々ね、西武秩父線ってのは正丸峠をトンネルで穿って首都圏と秩父を短絡するルートを建設することもそうだったんだけど、武甲山で採掘された石灰石から製造したセメントを出荷するルートとしての役割も大きかったわけです。横瀬町で操業している三菱鉱業セメントが、西武鉄道を通じて系列の三菱電機に発注したE851形電気機関車は、私鉄唯一のF級(動輪6軸)電機。セメントを満載した貨物列車を正丸峠を越えて牽引するため、国鉄電機なみのハイパワー&ハイスペックな仕様を備えた機...霜月・親鼻

  • 神無月・八瀬比叡山口

    (美しき大屋根の下で@叡山電鉄本線・八瀬比叡山口駅)10月。少し涼しくなってきた体育の日の三連休、新横浜からひかり533号に乗って京都へ向かった。目指すは洛北の小私鉄、鞍馬へ向かう叡山電車に乗って来ました。京都・・・というといつ行っても外国人ばっかで混雑してて、自分みたいなタイプには縁がないと思っていたのだけど、ホント外国人多いっすね。京都。さすがに街中じゃなくて行き先が鞍馬寺だったから、そこまでの混雑ではなかったですが。特に貴船・鞍馬なんかは紅葉の名所だから、1か月季節が後ずれしていたら凄まじい混雑だったであろう。そうそう、叡電(嵐電)って江ノ電とコラボしてるけど、歴史ある古都を走るというバックグラウンド、観光需要と通勤通学需要が混在する需要動態、これ以上増やせない輸送力、広げられないターミナル、そして...神無月・八瀬比叡山口

  • 長月・下今市

    (茜の光、雲間に差して@東武日光線・下今市駅)9月。最近、9月の使い方に悩む。いや、何を悩んでいるのかというと、9月って敬老の日と秋分の日があって、比較的3連休が出来やすい=お出掛けはしやすい日の巡りじゃないですか。ただ、8月にそこそこ遠くへ行っておカネを遣ってしまっているので予算的にキツイのと、最近の9月は普通に夏の続きで風景的には8月と特に変わらないことと、そして最近は規模感を増す大型台風のせいで天気が安定しないので予定が組みにくい・・・というのがあるのだ。特に、9月が夏になってしまったので、季節の変わり目が失われてはいるよね。ススキが穂を出し始めて、田んぼが色づいて、彼岸花が咲いて・・・的な「ゆるやかな初秋の入り」みたいなものがなくて、10月の半ばくらいにガクッと朝の気温が下がって急に「秋です」みた...長月・下今市

  • 葉月・西鉄柳川

    (水都・ミントグリーンの涼しきに@西鉄柳川~矢加部間)8月。恒例の夏の遠征は、4年ぶりくらいに飛行機のチケットを取って九州・福岡へ。九州を代表する私鉄である西日本鉄道と、その他福岡県の三セクだったり筑豊電鉄だったりと盛りだくさんの二泊三日でした。熱いし汗かくしで塩分を欲するのか、とんこつラーメンばっか食ってたな(ウマイからいいんだけど)。初日は西鉄貝塚線、2日目は天神・大牟田線+甘木鉄道、3日目が筑豊電鉄+平成筑豊鉄道。お好きな三日間、九州島内の全部の鉄道が乗り放題という「旅名人の九州満喫切符」って名前の素晴らしいきっぷを活用させていただきました(西鉄も一応ワンデーフリーきっぷあるんだけど、範囲が西鉄福岡~西鉄柳川までなんだよね)。今年の冬から、JRの「青春18きっぷ」も大幅なルール変更(分割利用不可、連...葉月・西鉄柳川

  • 文月・横江

    (散居村の夏、日本の夏@富山地方鉄道・横江~岩峅寺間)7月。7月は・・・実はパソコンの中をのぞいても大した写真を撮った形跡がない。そうだ、7月はすっかり都市対抗野球にハマってしまい、二週連続で東京ドームへ参戦したりしていて鉄活動をロクにしていないのであった。まあ、ご多分に漏れず今年の夏もアホみたいに暑かったというのはあるのだが。と言う訳で7月の写真がないので8月初旬の富山の写真を。意外にも富山も1年2か月ほど行っておらず、久々の訪問となった。コロナ以降、良くも悪くも安定してしまった地鉄の状況。あれだけのインバウンド需要があったのに、コロナ明けてもアルペンルートに向かっていた特急の本数はあまり復活せず、利用状況もあるのだろうが宇奈月方面の特急も事実上の休止となってしまった。中間の滑川・魚津地区はあい鉄のフリ...文月・横江

  • 水無月・津軽大沢

    (霞む岩木と梅雨晴れの朝@弘南鉄道大鰐線・松木平~津軽大沢間)6月。気まぐれに覗いた横浜の地下街のチケットショップ。株主総会前で期限が近いせいか、投げ売りになっていたJR東日本の株主優待券を使って、初夏の津軽へ。初訪問の津軽鉄道と、私の大好きな弘南鉄道。なんで大好きなのかって?と聞かれると言い表せないが、好きなんだよねえ。かつては渋谷と横浜を結んでいた銀色の電車が走る弘南鉄道は、軽やかさがありつつ、それでいてしっかりと津軽の町々を結ぶインターアーバンとして根を下ろしている。観光的には、太宰治にストーブ列車、冬の地吹雪に吉幾三のド演歌の世界が見える津軽鉄道に軍配が上がるんでしょうけど。岩木山をバックに柏農高校前の長い長い夕暮れを楽しんだり、ほろ酔い加減のりんごねぷた電車に揺られて夜の大鰐線を楽しんで、乗った...水無月・津軽大沢

  • 皐月・本銚子

    (新緑に南海グリーンを添えて@銚子電鉄・本銚子駅)5月。ゴールデンウィークはかなり久し振りに子供と一緒に銚子まで行って遊んできた。ちょうど南海22000系が往時の南海グリーンを纏って復活デビューしたという報を聞いてましたのでね。現在の銚子電鉄、通常時は朝以外は1運用なので、目当ての編成が入らないと一日空振りで終わってしまうのだが、GW対応で日中にも増便対応があり、その増便に南海カラーが充当されたわけである。関東の西側から「とっぱずれ」の銚子まで片道4時間以上かかるのだから、関東平野は広い。夕方まで子供と一緒に電車に揺られて、ぬれ煎餅を買って、遊んで、遊んで・・・なんてこの日以来やってないのだが、いまは来年早々の受験に備えて今はひたすら勉強の日々を送っている。無事に志望の学校に合格したあかつきには、それなり...皐月・本銚子

  • 卯月・更地

    (桜は、いつまでも待っている@旧名鉄谷汲線・更地駅跡)4月。2024年の桜は、樽見鉄道を中心にした根尾谷の桜を愛でに行きました。岐阜県美濃地方の北部、根尾川の周辺は「根尾の薄墨桜」で有名な桜の名所。樽見鉄道では、谷汲口駅の桜が有名ですけど、そこにお邪魔する前に立ち寄ったのがこの駅の桜。名鉄谷汲線・更地駅跡。平成中期に全廃された「名鉄600V区間」のうち、最北の路線であった名鉄谷汲線は、谷汲山華厳寺へ向かう参詣鉄道として、廃線まで戦前生まれの旧型ツリカケ電車がのんびりと走っていた路線です。谷汲線が現役だった頃は、春になるとこの一本桜とオールドタイマーの赤い電車の組み合わせを求めて、多くの鉄道ファンがこの駅を訪れたそうです。この駅の春の情景を旧型電車と収めた写真の情景が素晴らしくて、いつか訪れたいと思っていた...卯月・更地

  • 弥生・養老渓谷

    (石神暮色@小湊鐵道・上総大久保~養老渓谷間)弥生三月、小湊鐵道。春になるとアクアラインを渡って、束の間の里山風景に包まれに行くことは定番のルーティーンなんですが、房総半島の里山も、私がカメラを握り始めて20年も経ちますとですね、だいぶ変わってきていますよね。コロナ前から上総牛久以南が特に顕著でしたが、小湊自慢の里山風景に翳りが見えています。田んぼが減り、畑が減り、雑草が跋扈して、空き家が増えて・・・20年前にこの風景を支えていた元気な60代が、現在80代。当たり前だけど、亡くなる人もいるのだろうし、離農して後継ぎがいなかったり、農家を捨てて老人ホームへ入ったりと、さまざまな事情によって人口がだんだん減っているんだなあという印象がありましたけど、コロナ禍以降はそれが加速度的に広がっている感じがするんです。...弥生・養老渓谷

  • 如月・中塩田

    (塩田平、冬の夜@上田電鉄・中塩田駅)2月。1月とか2月のうちは、クルマのタイヤもスタッドレスに変えて、どこかの路線の雪景色でも・・・というのが通例。そこら辺を狙って、「北陸フリーきっぷ(能登復興割)」を使って新幹線の敦賀開業直前の北陸路に行ったりしたんですよね。北陸だからね、それなりに雪景色なんかも見れるかなって思ってたんですけど、福鉄もえち鉄も雪なんか全然なかった。旅自体はそれなりに楽しかったんだけど、さすがにそこはかなりの拍子抜け・・・ということで、2月のアタマに長電に行ったついでに立ち寄った塩田平の冬景色を。長電も、山ノ内界隈にちょこっと雪があっただけでもの足りないことこの上なかったのだが。いやいや、北陸と甲信越でこんなに雪がないのなら、もうスタッドレスいらないんじゃないのかと。総体的な話をすれば...如月・中塩田

  • 睦月・川間

    (川面に映る青空や@東武野田線南桜井~川間)早くも12月なので、恒例のカレンダー企画をぼちぼち始めてみることにするのだが、2024年はどうでしたかねえ。まあ、そもそも1月1日から能登半島の巨大地震が起こってしまったし、各地の自然災害は続いて東北や中国地方で鉄路の寸断は続くし、少子高齢化の中でのインフレと雇用状況の悪化で経営自体がままならず、いすみ鉄道は脱線事故に起因した全面的な路盤回収の必要があって長期運休中だし、やはり脱線事故から全線のレール補修で長期運休を余儀なくされた弘南鉄道は、長年存廃論議に揺れていた大鰐線の廃止を表明しましたよね。単なる乗客減の赤字困窮というこれまでの形とは異なり、働く側からのインフラの瓦解みたいなものが目立ってきて、鉄道を維持するための新たなフェーズに入って来たなあ・・・という...睦月・川間

  • 武甲、足早なブルーモーメント。

    (武甲暮色@西武秩父線・横瀬~芦ヶ久保間)秋の夕暮れは早く、秩父盆地を青みを帯びた光が支配する頃。ブルーモーメントを突いて、スカーレット&ベージュのカラーリングがやって来た。はざがけの稲穂が残る、秩父盆地の晩秋の風景である。武甲の山を見上げれば、石灰石の採掘のためにベンチカットで切り崩された山肌を露わにしていて、この日はそれなりに天気が良かったのだけど、ついぞ頂上は姿を現しませんでした。武甲山は北面(横瀬町側)の採掘現場には立ち入ることが出来ないんですけど、横瀬町を流れる生川(うぶかわ)上流の登山口から南側の斜面を伝って頂上へ登ることは出来るそうだ。武甲山は、秩父盆地のどこからでもまんべんなく見ることが出来るけれども、それと同様に武甲山の頂上からの展望はそれはそれは素晴らしいものらしい。平均的なハイカーで...武甲、足早なブルーモーメント。

  • 在りし日の 高麗の思い出 白き道。

    (小春日和のカーブを切って@東吾野駅)「ジャンボくん」ことE851カラーの特別車両が、第7高麗川橋梁のカーブを渡って東吾野の駅に滑り込んでくる。高麗川に綾なして続く奥武蔵の鉄路は、何度も何度も高麗川の流れを渡っては峠道を詰めて行くのだが、高麗駅の先の第1高麗川橋梁から正丸駅の手前の第15高麗川橋梁まで、西武線にはなんと15もの橋梁がある。正丸峠に源を発する高麗川は、下流の坂戸市で越辺川に合流し、川越市で入間川に合流し、最終的にはさいたま市の北部で荒川に合流する一級河川で、荒川水系の一部。早朝からのお務めだったのか、早くも帰り支度のハイカーが陽だまりで電車を待つ東吾野の駅。まだまだ盛りには程遠い奥武蔵の紅葉だけど、山へ登ればいくばくでも色づいているのだろうか。突然現れたE851カラーに興味深そうな親子連れ。...在りし日の高麗の思い出白き道。

  • 奥武蔵、秋を真っ赤に染めあげて。

    (蘇る「ジャンボ」の記憶@西武秩父線開業55周年記念車両・飯能駅)11月の上旬なのですが、西武鉄道の公式Ⅹ(旧Twitter)から「西武秩父線開通55周年記念車両運行開始!」というお知らせがリリースされました。ようは、「西武秩父線開業55周年を記念」して、かつて西武鉄道が所有していた私鉄最大級の出力を誇るマンモス電機こと「E851形の塗装を4000系に施す」というかなりエッジの効いたスペシャル企画なんですが、いやー、こういうのホントお好きな方にはたまらない企画ですよねえ・・・西武鉄道の営業企画のセクターってマニアしか喜ばないことを平然とやってのける気概があっていいよなあ。今年開通55周年を迎えた西武秩父線は、当時の西武池袋線の終点だった吾野から正丸峠をトンネルで穿ち、西武秩父までの19.0kmを結ぶ路線と...奥武蔵、秋を真っ赤に染めあげて。

  • 残された時、後三年の益。

    (残された時が決まり@弘南鉄道大鰐線・大鰐駅)弘南鉄道大鰐線廃線へ/27年度末で運行休止へ(Web東奥日報)今週の水曜日、突如もたらされた悲報。弘南鉄道大鰐線の廃止決定。正直、2013年に弘南鉄道側が廃止の意向を表明してからここまで、何度も存廃論議が浮かんでは消え、浮かんでは消えてきた路線です。その中で沿線自治体の懸命な支援もありましたし、それでも一向に回復しない乗客数と改善しない採算はどうしようもないレベルまで達していましたし、昨年は脱線事故からの抜本的な路盤整備で大鰐線・弘南線ともども長期間の運休を余儀なくされましたし、まさしく万策尽きた末、いや万策はとっくに尽きていたのかもしれないけど、何というか意地だけで維持していた近況ではありました。少なくとも弘前市と大鰐町に限っては今年の6月の会合で「ある程度...残された時、後三年の益。

  • 京滋を結ぶトリプル・ハイブリッド。

    (歴史の道、あふさかやまの道@逢坂関跡)大谷駅から浜大津まで。いわゆる「逢坂越え」の道には、京の都から東国や北陸道へ出て行く際の関所である「逢坂の関」があったことで、古くからの歴史や文学に名前を残しています。百人一首に読まれた蝉丸和尚の「これやこのいくもかへるもわかれてはしるもしらぬもあふさかのせき」の句でしょう。意味としては、「これが、知る人も知らない人も分かれて行く、有名な逢坂の関なのだなあ」という見たままの感想なので、何かの掛詞が織り込まれていたり何かの暗喩があったりということはなかったりする。蝉丸和尚と言えば、百人一首の絵札を使った遊びである「坊主めくり」では最凶最悪のカードと言われており、引いた瞬間にビリ確定とか、引いた瞬間トップ目に持ってるカード全部あげなきゃいけないとか色々とローカルルールが...京滋を結ぶトリプル・ハイブリッド。

  • 同じ場所でも100円高い。

    (悩ましき運賃計算@京阪山科駅)出町柳から三条京阪へ出て京都市営地下鉄の東西線に乗り換え、地下鉄の山科駅を経由して京阪山科駅へ。この間、出町柳(京阪鴨東線)三条・三条京阪(京都市営地下鉄)地下鉄山科(徒歩)京阪山科というルートを通っているのだが、ここで問題になるのは地下鉄山科も京阪山科もほぼ同じ位置にありながら、運賃が異なること。地下鉄と京阪京津線の分岐駅は一つ手前の御陵(みささぎ)駅なので、京阪山科で降りる場合は御陵~京阪山科間の料金が加算されてしまい、三条京阪から地下鉄山科の260円に対し三条京阪~御陵~京阪山科は360円になってしまうのだ。私は京阪電車の「びわ湖1日観光チケット」を買いたかったので京阪山科に来たんだけど、そのまま京阪山科で降りたら100円高いというのは結構初見殺しの運賃体系だよなあ。...同じ場所でも100円高い。

  • 淀を走るや、街中華。

    (淀屋橋行きおけいはん@出町柳駅)先日の京都プチ遠征。叡山電車に乗った後は、出町柳駅から京阪電車に乗りまして。関西の私鉄というもの、一応それなりに撮影しているかなあ・・・と思いつつ過去の写真のフォルダを漁っていたら、南海・阪急・近鉄・神鉄が厚めで京阪・阪神が薄め。特に京阪電車は、別に大した理由がある訳でもないのだが本線筋(淀屋橋~三条)をあまり撮影出来ないでいる。どっちかってーと、浜大津を中心にした併用軌道の周りに情緒がある京津線・石山坂本線が好みでしてねえ。結局、この日も京阪電車を三条で下車し、京都市営地下鉄に乗り換えて京阪山科から浜大津方面に行ってしまった。ただ、出町柳から乗った京阪電車は少し目を惹かれましたねえ・・・2600系。京阪のシンボルカラーでもあるグリーン系の内装に、フワっと柔らかめのロング...淀を走るや、街中華。

  • 大正の 浪漫魅せられ 八瀬の屋根。

    (優雅な単車・デオ700系@宝ヶ池駅)宝ヶ池の叡山本線ホームに到着するデオ700系723号車。デオ700系は、叡山電車の体質改善を目指して昭和の末期に導入された両運転台型の単車ですが、当時の叡電の厳しい財政状況を背景にしてか完全新造とはせず、それまで使用していた旧型車群の機器を流用し、ボディだけを武庫川車両工業で載せ替えて作られました。既に製造して30年を経過している車両ではありますが、近年リニューアルを施し内外装を一新。行き先表示がLEDになったり、塗装も古都を意識したクラシカルで雅なものにお色直しをされています。この723号車は、古都・洛北の山紫水明なイメージを取り込んだ青に近いパープル。光の加減によっていろいろな色に見えますけどね。出町柳から八瀬比叡山口へ。そして、比叡山ケーブルに繋がりロープウェイ...大正の浪漫魅せられ八瀬の屋根。

  • もみじきららの秋を往く。

    (爽秋の貴船口を往く@叡山電鉄900系)爽やかな風が吹く貴船口の駅近く、鞍馬川の小さな鉄橋を渡って行くのは叡山ご自慢の観光電車「きらら」ことデオ900系。乗降口の部分の窓は天地に長く、そして側面の窓は天井まで巻き込むような位置にもセットされていて、観光電車らしく眺望を重視した大きな窓が特徴。京都盆地の通勤通学輸送と、四季折々の風景を彩る貴船・鞍馬の観光輸送。春の桜や初夏の青葉、夏の新緑に二ノ瀬・貴船の秋の紅葉、そして冬は雪が降り積もることも珍しくない修験の里の鞍馬の山へ。叡山電車の役割は、地元輸送と観光輸送のハイブリッド。出町柳の駅の雰囲気から何となく感じていたのですが、叡山電車には江ノ電っぽさがだいぶ入っているように思う。デオ900系は、そこに箱根登山電車の山登りの要素がチョイと加わった、そんな感じの車...もみじきららの秋を往く。

  • 鞍馬、クラファン、ケーブルカー。

    (開山1200年の歴史@鞍馬寺)さて、せっかく鞍馬まで来たことだし、トンボ帰りするのも勿体ないので鞍馬の山にお参りをして行こうと思います。別にそこまで寺社仏閣の類が好きなわけでもないんだけど、どうも旅先ではその土地土地の神社仏閣を訪ねることが多い。これは、日本のいわゆる「中小地方私鉄」というもの、大半の開業理由が1.鉱山型、2.温泉型、3.寺社仏閣型のどれか、というのが実感としてあるからだ。関東や京阪神の都市間鉄道(例えば新宿~八王子の京王帝都電鉄とか)は概ね大手私鉄になってしまうから、地方私鉄は「確たる目的」を持って作られ、そしてその目的のために生き残っているものが多い。鉱山型・・・は、今残っているので代表的なところでは三岐鉄道(藤原岳からのセメント輸送)ですかね。昔は石炭(三菱大夕張)硫化鉄(同和鉱業...鞍馬、クラファン、ケーブルカー。

  • 天狗の山のフトコロへ。

    (未だ青葉の貴船の森よ@貴船口駅)宝ヶ池の駅でやって来た鞍馬行きに飛び乗る。京都精華大前駅あたりまでは、学生や沿線住民の乗り降りもあったものの、二軒茶屋の駅を過ぎたあたりからは乗客は貴船や鞍馬方面へ向かうハイカーたちが中心となった。車窓の風景も、それまでの住宅街から洛北の山並みの裾に取りつき、目に飛び込んでくる緑の木々が鮮やかである。叡山電車の駅は基本的に無人で、乗降は車内の運転台脇にセットされたICカードリーダーか、駅のホームに置かれたカードリーダーにタッチするのを車掌氏が目視するというスタイル。乗降扱いをしながら車内と車外を行ったり来たり忙しくしているのだが、「ここから先は山の中に入って参ります、電波が悪くなりますので、モバイル系の乗車券をお持ちの方、チャージなどは早めにお済ませください・・・」という...天狗の山のフトコロへ。

  • 宝ヶ池で考えた。

    (ばっさりとした分岐駅@宝ヶ池駅)叡山電車の宝ヶ池駅。ここで、鞍馬線と叡山本線が分岐します。複線から複線をバサッと分けるこのシンプルな配線がなんとも関西の私鉄っぽさっがあるよね。これは感覚的なものなのかもしれないけど、関東の私鉄って駅を出てから本線と支線が分かれて行くけど、関西の私鉄って駅の前で本線と支線の系統が分かれて行くイメージがある。代表的なのが阪急電車(能勢電鉄を含む)の配線なんですけど、南海の岸里玉出とか、京阪の中書島とかもそうだよね。関東の場合は、東京へ向かう本線筋に対して従する支線筋という明確な主従の関係があるけれど、関西は京阪神+奈良・和歌山という拠点がそれぞれの求心力を持ってネットワーク化しているから、どっちが主従ということもないからなのかな。あと、系統別で複々線を採用する区間が多いって...宝ヶ池で考えた。

  • 秋の京都、洛北に続く鉄路へ。

    (カップルの聖地@秋の鴨川)長々と夏の九州遠征の話をしていたら11月になっていた。まあ、夏の九州遠征以降大したことをしていなかったからいいんだけどさ。秋になると、やたらと三連休があるのがいいとこでもあるけど、特に9月は最近天候が安定しない+半期の締めで仕事が忙しい+夏にお金を使い過ぎてサイフが寒いという三重苦で実質何も出来ないことが多いんですよね。少し前までは秋は富山に行くことが多かったのだが、富山は8月のアタマに行ったのでちと間隔が短いなあと。ここのところはリピーター路線もいいのだけど、意識して「乗っていない路線」を潰し込むことも大事かなあってんで、初秋の京都に行ってきました。毎度おなじみ新横浜始発の「ひかり533号」で2時間。あっという間の京都である。初秋、って言っても10月の三連休なんだが、気温とか...秋の京都、洛北に続く鉄路へ。

  • 夏の自由研究、完結す。

    (カラフルVSカラフル@伊田商店街)石炭博物館の帰り、伊田の商店街の入口で平成筑豊鉄道の列車を待つ。カラフルなアーケードの横を、直方行きのNDCが通り過ぎて行く。アーケードの奥には、店の名前を記した行灯が連なっている。時刻は夕方少し前、昭和の時代の伊田商店街ならば、あちらこちらに夕餉の材料を買い求める筑豊の奥様方の姿があったのだろう。そういう人たちはどこへ行ってしまったのか・・・と問われると、そのままお年を召されて、もう駅前の商店街をブラブラするような気力はないのかもしれない。直方同様、この街も商業の中心地は国道201号の田川バイパス沿いに立つ「サンリブ田川」というショッピングセンターを中心にしたロードサイドに移っている様子。そもそも田川市、1989年(平成元年)の人口5万8千人から2024年(平成6年)...夏の自由研究、完結す。

  • 大いなる筑豊、日本を支えたエネルギー。

    (筑豊の中心地・田川へ@田川伊田駅)降り出した雨の中を、筑豊の中心地・田川へ。田川伊田駅では、日田彦山線と連絡します。平成筑豊鉄道は、直方から金田を通って田川伊田までが伊田線、田川伊田から油須原を通って行橋までが田川線と路線名称が変わります。国鉄時代は田川線と伊田線で運行は分かれてたんですけど、基本的には直方から行橋までの通し運行となっているようです。ホームには、直方方面行きの列車を待つ乗客と、「炭坑節発祥の地」の看板。「♪月が出た出た月が出た、サノヨイヨイ」の炭坑節ですよね。子供の頃の盆踊りの定番ソングですけど、炭坑節って「♪月が出た出た月が出た、サノヨイヨイ」に続く歌詞は「♪三池炭鉱の上に出た」だよね?大牟田の三井三池じゃなくて田川なの?・・・と思って調べたところ、炭坑節は元々は田川の炭鉱夫たちに唄わ...大いなる筑豊、日本を支えたエネルギー。

  • 炭都筑豊、雨に滲んで。

    (筑豊の玄関口@直方駅)遠賀川に沿って広がる直方市は、筑豊地方の玄関口とも言える存在の街。直方や飯塚を中心にかつては石炭というエネルギーで日本の近代化を支えた筑豊炭田は、石油へのエネルギー転換によってその役目を終えましたが、現在は、北九州市や福岡都市圏のベッドタウンとしての役割が中心となりましょうか。駅は新しく建て直され、市の中心としての存在感を誇っていますが、かつての直方駅は石炭貨物用の多数の側線と、筑豊線区を走る気動車を統括する直方気動車区を擁し、筑豊の鉄道の要ともいうべき存在でした。今の駅舎が建っているスペースとこの広いバスターミナルも、以前は石炭やセメントを満載した貨車がたむろする側線が広がっていたそうです。筑豊本線は、明治の殖産興業の時代から筑豊炭田で産出された石炭を若松の港へ運び出す大動脈で、...炭都筑豊、雨に滲んで。

  • 博多を目指した、夢のあとさき。

    (揃いの色で@今池電停)電車から降りて来たお母さんの日傘の色と、電車の色が揃っていた今池電停。八幡東区の住宅街を、線路は南へ走ります。萩原電停の周辺とは違って、この辺りは比較的新しく開かれた住宅街のようで、若年層やファミリー層の利用も目立ちます。筑豊電鉄は、北九州の屋根とも言える皿倉山・帆柱山と、遠賀川の間に広がる丘陵地を直方に向かって行きますが、標高は30m~50m程度とそこまで高くないものの線路は案外とアップダウンが多い。そして、意外なのは踏切が少なく立体交差になっていること。永犬丸、三ヶ森あたりの道路と鉄道の整理状況は、流石に政令指定都市という感じがする。見た目は路面電車でも、れっきとした「鉄道」である筑鉄の面目躍如といったところでしょうか。西山電停付近。30‰に近い勾配を黒崎駅前行きの電車が登って...博多を目指した、夢のあとさき。

  • 昭和がピークの街の姿。

    (街を守るかマーケット@萩原電停)強烈にムシムシとした空気、とうとう雨が降り出して、空もご機嫌斜め。冷房の効いた車内から出るのも億劫だったのだけど、黒崎駅前から三つ目の萩原電停で下車してみる。北九州市の中でも八幡西区は一番人口の多い区で、黒崎・折尾地区と筑豊電鉄の沿線を包含する北九州市のベッドタウン。筑豊電鉄はそんな八幡西区の住宅街を走って行きます。萩原電停は住宅街の真ん中を突っ切る道路を挟んで互い違いの位置に設置されていて、電停の前には昭和の時代から建っているであろうスーパーがあった。「萩原生鮮食品マート」の看板が見える。段ボールが山積みにされて店内が見えないのだが、中を見ると昭和40年代の団地に併設されたスーパーそのまんまであった。北九州市、平成の入口では100万人を超える人口を有していましたが、今で...昭和がピークの街の姿。

  • 北九州のインターアーバン。

    (夏の朝、那珂川を往く@井尻~大橋間)最近はちょっと資格試験なんかの勉強をしなくてはならなくなって、勢いブログなんかを書いている暇もない。それに加えて仕事も毎日21時までの残業続きで、平日はほとんどパワーが残らない生活が続いております。そうなると、8月の話がダラダラ続いてしまうのだけど、夏の九州遠征3日目は朝の西鉄那珂川橋梁から。福岡市内の便利の良さそうなところに宿を取ろうと思ったのだが、最近のインバウンドの影響なのか天神も博多周辺もまあ高いんだよね。円/ドル150円時代は多少高くても外国人からふんだくっちゃえってのは分かるけど、そもそもの値付けが強気。そのため、ちょっと中心街から離れた西鉄大橋駅からバス便の温泉旅館に宿泊しました。旅館って言っても地下に温泉のある3DKのマンションって感じで、一人では広す...北九州のインターアーバン。

  • カルミンカラーの渋いヤツ。

    (矢部川夕照@西鉄中島~江の浦間)もうちょっと矢部川の話。西鉄随一の撮影地である矢部川の鉄橋で、5000形の急行が撮影したくてずーっと待ってたんだが、待っていればなかなか来ないもので、矢部川にその姿を現したのは大牟田行きの特急の4本目。サクサクッと捕まえて、さっさと大牟田で居酒屋に入って冷たいビールでも飲もうかと思ってたんだが、特急が30分に1本なので捕まえるのには結局2時間かかったことになる。5000形の特急なんていつでもどこでも見れるもんじゃないの?と思わせておいて、3000形とか6000形が結構混じるんだよね。ここまで来て撮れないで終われんだろう!と思って待ってたんだけど。しかしまあ、何が言いたいかって言うと昭和50年代の車両が現役バリバリで最優等列車にぶち込まれてるのホントいいですよね。矢部川に茜...カルミンカラーの渋いヤツ。

  • 潮の香、海苔の香、矢部川へ。

    (船のイメージ・・・?@西鉄中島駅)柳川の街から普通電車で10分、柳川市の南の端にある西鉄中島駅にやって来ました。駅の大牟田側で矢部川を渡るため、堤防の高さに合わせた高架駅になっています。駅は船を模したのか丸窓がつけられており、この窓の部分が駅員さんの詰所になっていたようですが、既に現在は無人駅になっております。建物で言えばホーム部分は3階にあたりますが、駅にはエスカレーターもエレベーターもありませんで、バリアフリー的には難がある構造になっています。大善寺以南の西鉄電車の駅は普通列車が30分に1本の閑散としたダイヤですが、西鉄中島の駅は700人/日程度の利用がありますから、周辺の普通列車しか止まらない駅に比べれば多い方ですかね。矢部川を渡って行く6000形の大牟田行き特急。西鉄中島駅は、西鉄電車の名撮影地...潮の香、海苔の香、矢部川へ。

  • 筑後の水都、夏景色。

    (5000と6000、その差異。@花畑駅)甘木線を宮の陣駅で乗り換え、急行花畑行きに乗り換えて花畑まで。花畑は、西鉄久留米の一つ先の駅で、急行電車の終点だったりもしますから、車庫でもあるのかと思ったら普通の2面4線の高架駅。花畑止まりの電車は、いったん回送扱いで普通に本線を大牟田方面へ進み、本線上を渡り線を使って折り返していくようです。そこまでダイヤが逼迫していないから出来る芸当なんでしょうけど、関東の大手私鉄の感覚で言うと、小田急の向ヶ丘遊園や京王の八幡山のように、Y線型の引き上げ線とかを付けてあげたくなる配線となっています。花畑止まりの5000形急行に並んだ福岡天神行きの6000形特急。どちらもアイスグリーンにボンレッド、角型のボックスに丸形ライト、左右非対称のパノラミックウインドウは同様ですが、3ド...筑後の水都、夏景色。

  • 駅前10秒、500円の味。

    (戦前建築の風格@甘木鉄道甘木駅)真ん中に塔屋を持ち、横に広がりのある甘木鉄道の甘木駅。元国鉄甘木線の終着駅で、現在も甘木鉄道の本社機能と車庫が置かれています。この甘木の街には、二日市から伸びる朝倉軌道と、田主丸から甘木を通り秋月へ伸びる両築軌道、そして上田代から太刀洗を通って甘木市街へ伸びる中央軌道という三つの軽便線が大正時代から走っていました。甘木鉄道は、国鉄の基山駅から分かれて甘木に至る鉄道で、従来の中央軌道のルートをほぼ踏襲する形で1939年(昭和14年)に開業していますが、これは「軽便規格の中央軌道では輸送能力と経営基盤が脆弱」ということで、鉄道省が輸送力強化のために甘木線の建設を決定したことによります。それだけ太刀洗飛行場の軍需関連の輸送ってのは国策的に大事だったということでしょうか。ちなみに...駅前10秒、500円の味。

  • 太刀洗、ゼロの翼のその先に。

    (祈りの空へ@筑前町立太刀洗平和記念館)太刀洗の駅前から国道500号線を渡ってすぐ、大刀洗飛行場跡地の一角に「筑前町立大刀洗平和記念館」があります。戦前は「東洋一の飛行場」として、「西日本最大の陸軍の航空拠点(ガイドマップより)」としてその名を轟かせた太刀洗陸軍飛行場は、現在の甘木鉄道から大分自動車道までの間、東西2km・南北2km程度の広大な敷地に、付帯する航空廠、航空機工場、教練施設などを備えた一大軍事施設でした。1919年(大正8年)の開場からのここ太刀洗の飛行場の歴史を紐解くと、日清日露戦争による大陸への権益の確保、そして1910年の韓国併合により、大陸への「空の前線基地」が必要になったことが汲み取れます。太刀洗は「大陸に近く、近くに山脈などの障害物が少なく、気候の安定した平野(筑後平野)の中心に...太刀洗、ゼロの翼のその先に。

  • 79年目の、空を見上げて。

    (西鉄開業100周年記念号@西鉄小郡駅)朝から暑い太宰府で子供たちの学業祈願を済ませた後は、改めて急行電車に乗って大牟田方面へ。ただし、そのまま真っ直ぐ大牟田方面に向かうことはせずに、西鉄小郡駅で下車してみました。福岡県小郡市の中心駅で、駅は2面4線の緩急接続タイプ。ここまでは天神からの区間列車があったりして、運転上の節目になる駅でもあります。駅から西に1kmと少しで佐賀県の鳥栖市。このあたり、並行して走るJR鹿児島本線は鳥栖付近でいっとき佐賀県をかすめ、長崎本線を分けて再度福岡県側に戻りますが、西鉄電車はここから先、味坂駅の南側で佐賀県まであと100mくらいの場所を走りつつ「意地でも佐賀県には入らんばい!」とでも言いたげな感じの絶妙なコース取りで南下して行きます。駅を出て行く天神行きの急行電車は3000...79年目の、空を見上げて。

  • 太宰府の夏、いずれにしても夏。

    (日本で一番暑い夏@太宰府駅)太宰府駅を正面口から。天満宮を模した雰囲気のある駅舎である。現駅舎は2019年にリニューアルされたもので、それまでは赤瓦屋根の渋い大柄な駅舎が建っていたようだ。ここまで来たらちゃんと天満宮にお参りに行かないとね・・・ということで駅のコインロッカーに重い荷物を預けて参道へ向かう。それにしても朝から鬼のように暑い。今年の夏、よく「太宰府」という地名を気象情報でも耳にする機会が多かったと思うのだけど、2024年の今年、太宰府市は「35度を超える猛暑日」の日本記録を更新し続けていて、何と9月15日の時点で延べ57回を記録しております。まさに今年は「日本で一番暑い」街だったのでありますが、熊谷とか舘林とか多治見じゃなくて急に大宰府が「暑さ」でクローズアップされたのは何故なのだろうか。一...太宰府の夏、いずれにしても夏。

  • 梅香る、西鉄最古の参詣路線。

    (ちっちゃなころから悪ガキで@西鉄久留米駅)二日目の朝の西鉄久留米駅。前日は、二日市温泉の博多湯に寄った後、夜遅くの西鉄久留米駅まで行き、駅チカの商店街の居酒屋で軽く飲んだ後駅前のホテルに入って早々に寝てしまった。久留米の街も観光すればそれなりのものがあるのだと思うのだが、今回は寝るだけの街になっちゃったかね。朝起きて着替えを済ませ、ホテルの無料朝食の夏野菜カレーをゆっくりと食べて西鉄久留米駅前へ。昨夜は暗くてよく分かんなかったけど、なかなか立派な駅ですね西鉄久留米の駅。もとより西鉄大牟田線において、久留米市は福岡市に次ぐ沿線第二の都市で、人口は約30万人弱。駅としても天神・薬院・大橋に次ぐ第4位の乗降人員を誇っていて(2023年度29,261人)、街外れにあるJR久留米より西鉄久留米の方が利用者数が圧倒...梅香る、西鉄最古の参詣路線。

  • トラディショナルに魅せられて。

    (バスを待つ、君と繋がる熱帯夜@西鉄二日市駅前)西鉄福岡(天神)から夕方ラッシュの特急に乗り、混雑した車内から暮れて行く筑紫野の街を眺める。そのまま久留米まで乗っていても良かったのだけど、西鉄二日市の駅で途中下車。駅西口の西鉄バスのバスのりば、行き先ごとに手書きの看板が掛かっていて、なんともひと昔前の雰囲気が感情に訴えかけてくるねえ。ところどころ消された行き先に「かつての栄華」を偲ぶ部分もあるのだけど、西鉄バスってのは西日本最大のバス会社ですから、これでも路線は十分に維持されている方とも思う。もとより九州、たびたび災害によって寸断される鉄道より今や高速バスが都市間輸送の主力となっている感もあって、九州の高速バスが乗り放題の「SUN-Qパス」なんていう企画券も旅の強い味方。そして路線バス部門に目を移せば、福...トラディショナルに魅せられて。

  • ターミナルの風格とは。

    (博多と天神の違いって・・・?@天神地下街)貝塚線の探訪を終えて、市営地下鉄で天神へ。この日は宿を久留米に取っていたので、こっから西鉄天神・大牟田線で移動することになります。地下鉄から乗り換える天神の地下街、福岡市の中心部は東のJR駅を中心とした博多と西の西鉄・天神、そしてその中間にある歓楽街の中洲・川端と大まかにこの三つに分かれています。以前は「博多より天神の方が栄えてるよ」というイメージが漠然とあったのですが、九州新幹線開通を契機としたJR九州の積極的な不動産開発とテナント誘致によって博多がだいぶ福岡商業圏の中で存在感を増しているようで。やっぱり新幹線が直結しているってのがデカいのだろうか。金沢における香林坊と金沢駅前の相関関係なんかも似たようなとこありますよね。北陸新幹線の開通で再開発された駅周辺の...ターミナルの風格とは。

  • あの頃は 大牟田線の 色男。

    (青い彗星、博多の片隅に眠る@貝塚交通公園)西鉄新宮まで貝塚線を乗り通した後、折り返しの電車に乗って貝塚駅まで戻って来た。どこへ行っても暑いので、自動販売機の飲み物では飽き足らずコンビニで買った大型のペットボトル(2リットルの水)を持ち歩いていた。貝塚駅前の公園のベンチで荷物を降ろして休憩。貝塚駅前の公園は「交通公園」という立て付けになっていて、ゴーカート乗り場があったり4発機の実機が置かれていたりするのだが、猛暑の芝生の広場をテクテクと国道3号線方面に進んで行くと、昔懐かしいブルートレインの客車・・・ナハネフ22がキューロクの蒸気機関車とともに保存されています。現役時代は「あさかぜ・はやぶさ」等の九州ブルトレに使用され、晩年は門司港~西鹿児島間の九州島内を走る夜行急行「かいもん」の寝台車として使用されて...あの頃は大牟田線の色男。

  • 猫の駅 陽炎揺れる 昼下がり。

    (猫の佇む駅名票@西鉄新宮駅)和白から住宅街の中にある三苫駅を経て、西鉄貝塚線の10km程度のショートトリップはここ西鉄新宮の駅で終了。駅名票にはなぜか猫が佇む。これは、西鉄新宮駅のある新宮町の沖合に浮かぶ離島・相島が「猫の島」と呼ばれていることにちなむのだとか。相島は新宮町の沖合7.5km、玄界灘に浮かぶ小さな島で、島ではバーベキューやバードウォッチング・釣りなどが楽しめるそうです。福岡県の玄界灘沿いには、壱岐や対馬まで行かずともいくつかの小さな離島があって、相島もその一つ。ちょっと興味があって、島まで渡る船の時間とか調べちゃったよ(笑)。駅から渡船の出る新宮漁港までは徒歩20分、そして島までは渡船で20分。漁港へは渡船に合わせてコミュニティバスが出ているのだけど、さすがにこのクソ暑い中で大荷物持って離...猫の駅陽炎揺れる昼下がり。

  • 国策に、袂を分かつ線と線。

    (高層マンションを背に@和白駅)貝塚からスタートして、名島、西鉄香椎、そして三つ目の交換駅が和白駅。15分間隔のパターンダイヤ、どの駅でもきっちりと交換があってシステマティックである。和白の駅は、周囲に高層マンションに囲まれた住宅街の駅、という感じ。博多湾に沿って走る西鉄貝塚線、この和白駅と一つ前の唐の原駅付近が一番海に近い。ただし、海岸まで住宅が建て込んでいることもあり、車窓から海は見えません。というか、写真が似たような駅の交換シーンばかりで申し訳ない(笑)。西鉄貝塚線、さすがに都市部を走る路線ということもあって、そこまでフォトジェニックな場所を見つけきれない・・・というのもあり。そして、この日の博多は35℃を超える猛暑。あまりにも暑くて、駅間を歩いて撮り歩くという行為は正直しんどいということもあった。...国策に、袂を分かつ線と線。

  • さよなら夏の日。

    (オキサイドイエローの競演@名島駅)九州らしいパンチの効いたとんこつラーメンを啜った後は、再び橋を渡って名島の駅から貝塚線へ。名島駅は平日の日中ダイヤでは必ず列車交換をおこなう駅で、貝塚行きが新宮行きの電車を待って発車します。今でこそ博多の小さなローカル電車・・・という雰囲気の貝塚線ですが、1992年(平成4年)には年間1,200万人の輸送実績を挙げたバリバリの福岡都市圏の通勤路線でした。そこから僅か15年で、年間600万人まで輸送人員が落ち込むという極端な減少カーブを描くのですが、1992年のピークの頃は、並行するJRがまだ都市圏の近距離輸送にはあまり熱を上げていなかった時代の話で、鹿児島本線も旅客列車の本数が少なかったんですよねえ。鹿児島本線の近郊輸送の増強とそれに伴う宅地開発は、海沿いではなく鹿児島...さよなら夏の日。

  • 名にしおう 名橋博多の 名島橋。

    (博多の空から見てみよう@名島橋上空)西鉄貝塚線は、貝塚を出て次の名島に向かう間に、多々良川に架かる名島橋を渡ります。博多の街の東玄関、博多湾に注ぐ川の河口部分に、海側から国道3号線(名島橋)、博多貨物ターミナルに繋がる臨港貨物線、西鉄貝塚線、そして少し離れてJR鹿児島本線と4つの橋が並びます。飛行機で福岡空港に着陸する寸前、海の中道から博多湾を横切ってJR箱崎駅付近を飛行して行くのですが、ちょうど車窓の左手に名島橋がよく見えるシーンがありました。ここが西鉄貝塚線の随一の撮影地、まずは貝塚の駅から電車には乗らず、徒歩でこの橋の袂まで行ってみることにします。貝塚の駅から国道3号線に出て、ひとまず名島橋を名島駅側まで渡ってみることにしますが・・・国道の橋からでは間に挟まった貨物線が邪魔をしてしまい、貝塚線の橋...名にしおう名橋博多の名島橋。

  • お盆を過ぎてボンレッド。

    (まほうのつえをてにいれた!@「旅名人の九州満喫きっぷ」)志免の竪坑櫓を後に、再び福岡市街へ戻ろうとバスの時間を調べたのだが、結局市内行きを待つよりも福岡空港行きのバスに乗るのが早いってんで、同じ道をバスで福岡空港へ。ここから改めて九州旅を始めようと思うのですが、まずは地下鉄で博多の駅へ出てこんなものを手に入れてみました。JR九州が出している「旅名人の九州満喫きっぷ」。私鉄・三セクを含む九州のすべての鉄道路線が3日間乗車出来て11,000円という魔法の杖。ちなみに、青春18きっぷと同様、九州新幹線とか西九州新幹線、そして特急列車に乗りたい場合は乗車券+特急券の購入の必要があります。一日あたりで計算すると3,667円/日。18きっぷよりは日数単価が高いのですが、そこは私鉄・三セクを含むことで致し方ないのかな...お盆を過ぎてボンレッド。

  • 聞け、地底からの叫び。

    (空港から・・・バスですか?@福岡空港前バス停)福岡空港に無事着陸し、久し振りに九州の地を踏んだ私。九州って来たのいつ以来かなあ、というくらい記憶がないんだが、少なくとも10年以上ぶりであることは間違いない。福岡空港は博多駅や天神に地下鉄ですぐに出られるのがいいところ・・・なのですが、だいたいの人が地下鉄の入口に吸い込まれて行く中で、福岡空港の1Fフロアから外に出て、バス乗り場を探す私。発車時間も迫っているので横断歩道に立ってる警備のおねーちゃんにバス停の場所を聞いたんだけど、「?」みたいな反応で全く役に立たない。「福岡空港前」というバス停が福岡空港前にないのはどういうことだ、と思ってウロウロと探し回ったら、バス停は到着ロビーからかなり離れた空港南側の公道上にあった。バス停を見付けた時はとっくにバスの時間...聞け、地底からの叫び。

  • 灼熱の九州3days。

    (灼熱の九州へ@SFJ41便福岡空港行き)お盆明けの一週間、少し遅いお盆休みをいただきまして、恒例の夏遠征に行って参りました。一昨年は北近畿(北近畿タンゴ鉄道)、去年は出雲(一畑電車)と段々と西日本方面に行動半径を広げてたんですが、今回は思い切って九州は福岡方面へ足を伸ばすことに。去年の出雲は往復が夜行高速バスだったんだけど、九州だと流石に夜行バスと言う訳にも行きませんで。個人的にはあんまり飛行機って好きじゃないんで、出来れば乗りたくないんですが、少なくとも九州となるとそうも言ってられない。運良く、朝早いスターフライヤーの便で新幹線より下値の航空券をゲット出来ましたので、久し振りに空の上の人になりました。正直少しの揺れでも気になって仕方ないのだが、まあお乗りになっているお客さまもCAさんもにこやかに飲み物...灼熱の九州3days。

  • 夏の夕陽と常願寺。

    (夏の夕陽と常願寺@常願寺川橋梁)夕陽は常願寺、夕暮れは越中三郷。地鉄のトワイライトタイムを楽しむには外せないルーティーン。ちょっと氷見の里山の方まで温泉に入りに行ってしまったので、常願寺川に戻った頃にはだいぶ夕陽が西に傾いていた。地鉄の中でも、電鉄富山~寺田間は本線・立山線の列車が頻繁に走り、長い長い常願寺川の鉄橋を絡めながら、刻々と変わる光線に合わせて色々なアングルが楽しめる。セオリー的には、電鉄富山側の常願寺川左岸から立山連峰をバックに順光で撮影するのがいいのだろうけど、私は特に夕方の時間は逆光が好き。夏だと空気がモヤって立山連峰も見えませんですしねえ。ただし、越中三郷側は河川敷の灌木が伸び放題に伸びており、若干アングルを支障するようになっている。今のところギリギリ交わして何とかガーター橋の上を走る...夏の夕陽と常願寺。

  • 氷見里山の名湯へ。

    (夏の秘湯へ@富山県氷見市神代)地鉄電車を黒部付近まで追いかけましたが、この日の富山は気温35℃を超える猛暑。直射日光を浴びながらの撮影は、おそらく確実にそれ以上の温度になっていることもあり、非常に体力を消耗します。クルマのエアコンも強めに付けていたんですが、正直このまま撮影を続けるのは体力的にも限界。と言う訳で、日が傾くまでは温泉にでも入って休憩することに。地鉄沿線の温泉・・・というと、個人的には食塩強めの白濁の硫黄泉が青森のさんない温泉を彷彿とさせる、「北陸のさんない(個人的命名)」こと魚津の金太郎温泉が大好きなんですが、たまにはご新規を開拓しようと思い魚津ICから北陸道で大きくワープ。小杉ICより国道8号線に戻り、高岡市街から向かうは氷見方面。折しもこの時期高岡の街は七夕で、あわよくば温泉帰りに万葉...氷見里山の名湯へ。

  • 浜風の中の白昼夢。

    (海の香りのする駅に@浜加積駅)地鉄の駅の中では、比較的海の雰囲気があるのが、この浜加積の駅。「浜」と名前がついているからそう思うのかもしれないが、路地裏にひっそりと佇む駅舎から広がる空の向こうに、青い富山湾が見えるような気がする。古い駅舎の多い富山地鉄ですが、今年のお正月に発生した能登半島地震に伴い、耐震補強の観点から一部の老朽化が進んだ駅ではリニューアルの事業が始まっています。風雪に耐えたトタン屋根は軒が歪み、雨風をしのいだ赤茶色の屋根瓦は今にも剥がれ落ちそうなこの駅舎も、おそらくはその対象になっているものと思われますが、未だその気配はありません。軒下に並べられた自転車数台、この駅の利用者のものであろうか。そう思うには訝しいほどに、真夏の光線の下で静寂に包まれていました。駅舎の中に入ると、陽射しが遮ら...浜風の中の白昼夢。

  • 夏が苦しい時代。

    (散居の夏、とやまのなつ@横江~岩峅寺間)今年の夏は、7月の入口から本当に暑かった。人間として半世紀くらい生きてますけど、子供の頃はこんなに暑くなかったですよ。朝の涼しいうちに朝顔に水をやり、算数ドリルを片付けて、午前中は学校のプール開放に行き、帰って来てそうめんを食べ、午後は和室で扇風機を掛けながらうたた寝をするような・・・そんな夏休みであったような気がするのだが、今は日がなエアコンは点けっぱなし。早朝のわずかな時間だけ、窓を開けて部屋の空気の入れ換えがてらにエアコンを止めてはみるのだけど、もう朝の8時ごろには部屋の温度が30℃を超えてしまいたまらず再びエアコンを点けてしまう。そして令和の子供たちはあまりの暑さに部屋から出ることも出来ず、手持ち無沙汰を慰めるのはYoutubeやスマホのゲーム。外に出るに...夏が苦しい時代。

  • 立山源流、清冽に。

    (猛暑に一服の涼@本宮砂防堰堤)弥陀ヶ原の南側にある立山カルデラは、日本でも有数の活動量の多いカルデラで、現在でも崩壊を繰り返しては常願寺川の下流へ大量の土砂を押し流しています。ひとたび暴れれば、富山平野の豊かな耕土を覆いつくすほどの大量の土砂や岩石を流し込んで来た立山カルデラ。現在は、立山砂防軌道による懸命な治山工事と、幾重にも建設された砂防ダムによって、カルデラの崩落防止と常願寺川の治水とをおこなっています。この辺り、山間に大きな大きな氾濫原を作って流れて行く常願寺川は、急流・・・と見せかけて、あまりに流れ込んだ土砂の量が多く、河川勾配は緩やかになっているのだが、カルデラから大量に流れ込んだ土砂を受け止めるのがこの本宮砂防堰堤。高さ22m、幅107m、貯留する土砂は500万㎥。500万㎥って言われても...立山源流、清冽に。

  • 岩峅寺、打ち水の傍らに。

    (旅の始まり@岩峅寺駅)上滝線沿線の撮影を済ませ、岩峅寺の駅で一日フリーきっぷを発行してもらう。今日は一日だけの滞在で、正直一日フリーきっぷの元を取れるほど乗れるかどうかは怪しいのだけど、正直言って、この手のフリーきっぷは使う使わないに関わらずその路線を撮影するための許可証みたいなもんじゃないかと思っている。小規模な地方私鉄ならどのみち大した額じゃないし、どこも苦境に陥っている地方私鉄をささやかな応援するものとして、「あいつらは撮るだけ撮って何にもカネを落とさない」って後ろ指差されるのも嫌なのでねえ。自分の中のちょっとした矜持みたいなものですし、これが岩峅寺駅の売上、ひいては地鉄の売り上げに繋がると思えば、ね。嘱託のじいちゃんが窓口手売りなので発券に時間はかかりますが。という訳で、買って撮りましょフリーき...岩峅寺、打ち水の傍らに。

  • 駅の歴史は、郷土の歴史。

    (七夕の駅、軒端に揺れる@上滝駅)願いを込めた8月の七夕が、駅舎の軒端に揺れる、上滝線の上滝駅。路線名称に選ばれるほどの駅名ですが、現在は無人駅。駅前に富山市のコミュニティバスが発着していて、小さな交通の結節点になっています。今でこそ富山市の一部となっている上滝の駅ですが、以前はこの駅の周辺が上新川郡大山町の中心地で、町役場などの行政施設はここ上滝に集まっていました。上新川郡は、神通川沿いの笹津を中心とするお隣の大沢野町と、常願寺川沿いの上滝を中心とするここ大山町の二町で構成されていましたが、平成の大合併に伴いどちらも富山市に編入され、上新川郡は消滅しています。かつての大山町は、常願寺川の上流部の有峰湖から薬師岳を超えて黒部川源流部の三俣蓮華岳まで、北アルプスを挟んで長野県大町市と接する広大な面積を誇って...駅の歴史は、郷土の歴史。

  • 向日葵も 強い陽射しに 項垂れ。

    (向日葵もうなだれる陽射しに@開発~月岡間)富山から帰って来て一週間ですが、日向灘で起こったM7超えの地震によって初めて発令された「南海トラフ『巨大地震注意』」という気象庁の発表。世の中に何だか不穏な空気が流れ始めてきたところで、我が家のある神奈川県でも久し振りに大きな地震がありました。ちょうど会社から帰って来て、嫁さんが出してくれた煮込みハンバーグの夕飯に口を付けたところでズシンと腹に来るような縦揺れがあって、大きな横揺れが始まったところで家族全員のスマホから緊急地震速報のアラートが鳴った瞬間「ヤバい!」と思いましたね。緊急地震速報より前に揺れ出したってことは震源が近いってことですから・・・そして、スマホのアラートが鳴った瞬間に、子供二人が真っ先に自分が飯を食っているテーブルの下に飛び込んで来て、身を守...向日葵も強い陽射しに項垂れ。

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