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西山浄土宗 梶取本山 総持寺 https://soujiji-kandori.com

和歌山にある西山浄土宗の檀林、総持寺です。 納骨のお寺として、たくさんの人の信仰を集めています。 仏教の教えや西山浄土宗のこと、そのほかにも様々な情報を発信しています。

西山浄土宗 梶取本山 総持寺
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和歌山市
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2021/01/22

  • 『最終活』のススメ

    頑張って生きてきた、その先の幸せへのために 終活とは、残りの人生をどのように生きるかを前向きに考え、老後の生活を豊かにするための取り組みです。 そのためには、身の回りの物の整理や、医療介護の希望、財産分与など、しておかなければいけないことが

  • 生きづらさの原因とは

    生きづらさの原因とは 社会は日を追うごとにめまぐるしく変化していってます。 とくにインターネットやSNSの発達によって、その変化のスピードについていくのがやっとです。 そんな中で生きて行くためには、効率をいかにあげていくかが問われています。

  • 『幸せのお守り』

    『幸せのお守り』 心あたたまるお話を紹介します。 『幸せのお守り』 「もう死にたい…。もうやだよ…。つらいよ…」 妻は産婦人科の待合室で、人目もはばからず泣いていました。 前回の流産の時、私の妹が妻に言った無神経な言葉が忘れられません。

  • 後悔する人しない人

    後悔する人しない人 用事でお寺から外へ出て行こうとしたときのことであります。 お寺の門をくぐって、本堂の前までやって来たご年配の方が、何やらうろうろとされていました。 本堂にお参りをするのかと思えば、そういうわけでもなさそうです。 じゃあ事

  • 親思う心にまさる親心

    親思う心にまさる親心 高校を卒業してすぐ、本山の修行で僧侶を目指す仲間とともに共同生活を始めました。 その後は大学へと編入し、二年ほどひとり暮らしをしながら学校へと通い、そして本山職員としてふたたび住み込みの生活をしてしばらく過ごしました。

  • 梅と人間の見方

    紀州名産の南高梅 梅と人間の見方 今年も知人から梅をいただきました。 和歌山の特産である「南高梅」であります。 とくに産地であるみなべ町では、なだらかな山に一面の梅林があり、花が咲く2月ごろには見渡す限りの梅の花が咲き誇ります。 みなべ町の

  • 観音菩薩のような生き方

    総持寺の境内にある観音菩薩像 観音菩薩のような生き方 「我れは浄土門の教へに依りて深く阿弥陀如来を信仰するものであるが、同時に亦厚く彼の如来の助化者たる観世音菩薩を崇敬するものである」 当寺の御一代である、総本山光明寺の69世、関本諦承上人

  • 真面目な人がバカを見る?

    真面目な人がバカを見る? こんなお話があります。 お釈迦様が在世のころのことであります。 二人の男が、大勢の仲間ともにお釈迦様のお説法を聞きに行きました。 一人の男はお釈迦様の教えを聞き、その結果として預流果という悟りの境地を得ました。 も

  • 「われ必ずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。」

    「われ必ずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。」 先日、友人とケンカをしてしまいました。 お互い、相手の意見に納得ができず、自分の意見も曲げることができず、ついつい言い合いになってしまったのであります。 昔はケン

  • 自分の力の発揮

    自分の力の発揮 先日、小学校4年生の授業参観があったので、見にいってきました。 その日は算数の授業したが、見ている私も一緒に問題を解いたりして、なかなか楽しい授業でありました。 息子の様子はというと、私が思っているよりも一生懸命に手を挙げて

  • 「たった3,000円」で

    「たった3,000円」で とあるニュースで、知人と話が盛り上がりました。 ニュースによると、2月11日にその事件が起こりました。 病院に勤めている39歳の男性が、休日に市内のセルフ式のガソリンスタンドに立ち寄りました。 そこで給油をしようと

  • 生徒たちが涙した卒業式「最後の授業」

    生徒たちが涙した卒業式「最後の授業」 九州ルーテル学院大学の元客員教授の大畑誠也さんの記事を紹介します。 大畑さんは、それまでにもいろいろな学校で校長先生を歴任され、学校の現場で活躍をされてきました。 こうした経験をもとに、各地でご講演を行

  • 人と人との出会い

    人と人との出会い 6月9日付の日経新聞のコラム、春秋を紹介します。 よく行くコンビニがセルフレジに変わった。顔なじみの店員さんとは、たわいない言葉を交わす程度だったが、一抹の寂しさを感じた。たまにしか行かないカレー屋ではマニュアルなのだろう

  • 「くしゃみ」の由来と習慣

    くしゃみの由来と習慣について紹介します。昔は、くしゃみは霊魂が飛び出してきたり悪霊が憑いたことによって起こると考えられていました。そこでくしゃみをしたときには長生きや幸せを祈る言葉を唱えられています。どのような習慣があるのでしょうか。

  • 殺生せずには生きられない

    殺生せずには生きられない 夏が近づき、気温が高くなってくると、必然的に蚊が飛ぶようになってきます。 庭で草抜きをしていると、耳元にブンブンと音を立てながら、何匹もの蚊が寄ってきます。 片方の手で払いながら、片方の手で草を抜いていきますが、こ

  • なぜ紫陽花の花の色が変わるのか

    なぜ紫陽花の花の色は変わるのでしょうか。それは土が影響しているといわれています。花の持っているアントシアニンという色素が、土のアルミニウムと反応して赤から青に変わるといいます。まるで私たち人間のようでもあります。

  • 貴いのは足の裏である

    「貴いのは足の裏である」坂村真民の詩であります。足の裏のように、見えないところでも、しっかりと自分の役割を果たしていく。これこそ、本当に大切な事なのではないでしょうか。

  • 「キサーゴータミー」子どもを亡くした母親のはなし

    「キサーゴータミー」子どもを亡くした母親のはなしを紹介します。キサーゴータミーは子どもを亡くし、大変悲しみました。その悲しみから、どのように立ち直っていったのでしょか。

  • お寺の掲示板『順調に行っている時ほど自分の力は小さいものだ』

    お寺の掲示板『順調に行っている時ほど自分の力は小さいものだ』

  • 言葉と行動

    言葉と行動 言葉と行動 人と人がコミュニケーションを取るためには、言葉は大切なものです。 時代によって新しい言葉が生み出されたり、同じ言葉でありながら違う意味が付け加えられ、あるいはそれらが完全に別の意味で使われるようになったり。 言葉で他

  • 思い込み

    もしかしたら自分の思い込みでものを見ていないでしょうか。私たちは、見たり聞いたりした出来事を、心の中に記憶として蓄積していきますが、それを取り出す作業をする時に自分の都合に思い込んで、自分の都合のいいように記憶を改ざんしてしまうのです。

  • 「仏手柑(ブッシュカン)」幸福を呼ぶ柑橘種

    総持寺の境内で実った仏手柑 境内にある「仏手柑(ブッシュカン)」の実がなりました。 仏さまの手の形に似ていることから「仏手柑」とよばれ、幸福を呼ぶとして縁起のいい柑橘種といわれています。 ところで、仏手柑とはどんなものなのでしょうか。 「仏

  • お寺の掲示板『一日一日の言動が自分の人生を築いていく』

    お寺の掲示板『一日一日の言動が自分の人生を築いていく』 最近、自分の年のことを考えるようになりました。 朝にはきちんとご飯を食べなければ、日中は思うように体が動きません。 夜に食べ過ぎると、次の日は胃がもたれて調子がよくありません。 適度に

  • お寺の掲示板『どれだけ功徳を積んでも自慢するとくずれてしまう』

    お寺の掲示板『どれだけ功徳を積んでも自慢するとくずれてしまう』 自分の自慢話をよくする人がいます。 もしかしたら本人にとっては自慢ではないのかもしれません。 確かに、どれほど頑張っているか、どれほど成果をあげているか、ということは、話を聞い

  • きれいな服を着るということ

    きれいな服を着るということ こんなお話があります。 その昔、あるところに男がひとりで住んでいました。 男の暮らしは裕福とはいえず、毎日仕事をして働いて、その日をどうにか食べていくことだけで精一杯です。 そんな男がいよいよお嫁さんをもらうこと

  • なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

    「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」西行法師が伊勢神宮に参拝したときの歌です。どなたがそこにおられるかは知りませんが、あまりのありがたさにおもわず涙がこぼれてきた。目に見えないものや言葉にできないものほど大切にしたいものです。

  • 人はお金の入り口ばかり考えるが問題は出口どう活かすかだ

    【お寺の掲示板】人はお金の入り口ばかり考えるが問題は出口どう活かすかだ。お金が無ければ生きていくことはできません。しかし、稼ぐことばかり考えてはいけません。お金の本当の価値はどのように使っていくかというところにあるのではないでしょうか。

  • 「玩具のない子が」

    「玩具のない子が」金子みすゞの詩から人間の生き方を考えてみます。モノや家族がいくらあっても満たされない感情を持っているのが、現代人ではないでしょうか。欲望の充足は本当の幸せを生みません。本当に必要なものは何かを考え直してみましょう。

  • シロクマのことは考えないでください

    「シロクマのことは考えないでください」と言われると、ついつい考えてしまうのが人間。そのように、やってはいけないことをやって罪を作り苦しんでいるのが人間です。見よと言われりゃ見たがらず見るなといえば、なお見たい。天の邪鬼な自分である自覚が大切です。

  • 無一物となった者は、苦悩に追われることがない

    無一物となった者は、苦悩に追われることがない。これはお釈迦様の言葉です。人間はモノを手に入れるとそれに執着し、自ら苦しんでいます。また次、また次といって、際限がないのが人間の煩悩です。これらの煩悩を手放すことによって、真の心の安楽がおとずれるのです。

  • 春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん

    「春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん」弘法大師空海のことばです。春に種をまいたからこそ、秋に実りを獲ることができるのです。人も同じで何か結果を得たいならば行動しなければいけません。これを菩提心といいます。本当の菩提心とはどんなものでしょうか。

  • 誰が電気をつけたのか?

    誰が電気をつけたのか?「自分が」という感覚。人は予測した結果と実際の結果が近いほど「自分がやった」と感じてしまいます。仏教では「自分が」という思いは捨てることを勧めています。目に見えない部分にある力のおかげであるということを忘れないことが大切です。

  • あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである

    「あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである」ラ・ロシュフコーのことば。贈り物は人と人をつなぐ大切なツールです。もらったときには急がずに、じっくり相手のことを考えてお返しすることが大切なのではないでしょうか。

  • 稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ

    稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。

  • 稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ

    稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。

  • 「冷暖自知」自分で実践して体感することの大切さ

    「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。

  • https://soujiji-kandori.com/sermon109-2/

    「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。

  • 山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ

    山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ。「雲」という詩はとても味わい深いものがあります。山村暮鳥は「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる」といいました。自分を省みてかざらない生き方こそ、本当にいい生き方なのかもしれません。

  • 獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し

    「獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し」獅子のような偉大な存在でも体の中の小さな虫によってその身を滅ぼされる。そのように、人間は煩悩によって自分自身を苦しめているのです。整えるべきは自分の心であります。

  • 美しいものを見るためには目が美しくなければならない

    「美しいものを見るためには目が美しくなければならない」フランスの哲学者ガストン・バシュラールのことばです。世界がどう見えるかは、世界をどのように見るかと一つです。清らかな心で世界を見れば、清らかな世界がおのずと広がっていくのです。

  • 「人」にはなるな「人間」になれ

    「人」にはなるな「人間」になれ。人は人として生まれ、人と人との間に挟まれて、いいも悪いも経験して「人間」に成長していきます。人間になりきれなかった人のことを「間抜け」というのです。間抜けにならないように、気をつけていくようにしましょう。

  • 「啐啄同時」絶好のタイミング

    「啐啄同時」とは、ひな鳥が卵の殻をつついて出てくるのと、親鳥がそれを外から手助けするのが同時であり、転じて絶好のタイミングを意味する言葉です。自然の流れに従ってものごとを見ていると、その時その時がすべて絶好のタイミングとなるのです。

  • お寺の掲示板『迷うことなくうたがうことなくただひたすら念仏すべし』

    お寺の掲示板『迷うことなくうたがうことなくただひたすら念仏すべし』法然上人の一枚起請文には「ただ一向に念仏すべし」とあります。念仏とは、阿弥陀仏は私を救うと信じ信仰する心そのものです。自分の力ではどうにもならないことは任せてしまうところに、安らかな心があらわれてくるのです。

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