「ふしぎ」金子みすゞ「ふしぎ」金子みすゞわたしは不思議でたまらない黒い雲から降る雨が銀に光っていることがわたしは不思議でたまらない青いクワの葉食べている蚕が白くなることがわたしは不思議でたまらないたれもいじらぬ夕顔が一人でパラリと開くのがわ...
和歌山にある西山浄土宗の檀林、総持寺です。 納骨のお寺として、たくさんの人の信仰を集めています。 仏教の教えや西山浄土宗のこと、そのほかにも様々な情報を発信しています。
「ふしぎ」金子みすゞ「ふしぎ」金子みすゞわたしは不思議でたまらない黒い雲から降る雨が銀に光っていることがわたしは不思議でたまらない青いクワの葉食べている蚕が白くなることがわたしは不思議でたまらないたれもいじらぬ夕顔が一人でパラリと開くのがわ...
「だれが風を見たでしょう」クリスティーナ・ロゼッティ寒い日が続いています。頬が凍てつくような冷たい風が時折吹いて、思わず身をすくめてしまいます。落ち葉が風にあおられて高く舞い上がる様子を見ながら、「風」という詩を思いだしました。「風」クリス...
「石ころ」金子みすゞ「石ころ」きのうは子供をころばせてきょうはお馬をつまずかす。あしたは誰がとおるやら。田舎のみちの石ころは赤い夕日にけろりかん。田舎道の風景を描いた、とてもユーモラスのある詩です。石ころの転がっている田舎道を、元気に歩いて...
「星とたんぽぽ」金子みすゞ明治36年、今の山口県長門市仙崎に生まれた金子みすゞ。大正時代に活躍し、数々の詩を残されました。どの詩をとってみても、味わい深く、思いやりのあるものばかりです。なかには自然の風景やそのあり方を見つめ、もっと深くまで...
「しあわせ運べるように」阪神淡路大震災30年に思いをよせて平成7年1月17日、午前5時46分、兵庫県南部、深さ16キロを震源とするマグニチュード7.3の巨大地震が発生しました。震源に近い神戸市を中心に近畿圏内で大きな被害をもたらし、犠牲者は...
「家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです」
画像:ムービープラス「家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです」ハリウッドの名女優、永遠のスターであるオードリー・ヘップバーン。彼女は1929年5月4日、イギリス人のビジネスマンである父とオランダの貴族出身だった母...
「時を超えた美しさの秘密」オードリー・ヘップバーンの愛した詩
画像:映画.com「時を超えた美しさの秘密」オードリー・ヘップバーンの愛した詩20世紀を代表する名女優、オードリー・ヘップバーン。不屈の名作「ローマの休日」など、世界中の人々から今なお愛され続けています。そんな彼女が愛した詩があります。「時...
「生けらば念仏の功つもり死なば浄土へ参りなん」私たち人間の最大の悩みは、「死」ではないでしょうか。死にたくなくても死ななければいけない。昔とくらべてだいぶ長生きになったとはいえ、それでもたった100年の命であります。死んだらそのあとはどうな...
画像:TSUKUBLOG「学問ははじめて見たつるはきわめて大事なり」法然上人が九歳の時、父親の漆間時国が夜襲に遭って非業の最期を遂げ、これを機に出家をしました。皇円上人のもとで修行をしていた法然上人は、十八才のときに比叡山西塔の黒谷に籠もっ...
画像:重要文化財「伝教大師(最澄)座像」「施す者は天に生まれ、受くる者は獄に入る」天台宗の祖である最澄は比叡山で12年の籠山行を行うにあたって、願を起しました。自分がこれから修行するにあたって、なぜ修行をするのか、どのように修行をしていくの...
画像:国宝 最澄像「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心あり」天台宗の祖である伝教大師最澄のことばです。「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」道心とは仏教を学び実践し、悟りに向かう心のこと。言い換えれば、目標に向かって努力していく心のこと...
画像:高山寺HP「あるべきようは」和歌山県の有田川町で生まれた明恵上人は、華厳宗の中興の祖ともいわれている、鎌倉時代に活躍した僧侶です。京都の神護寺で出家をし、仏道に励みました。幼い頃から仏道を求める志はものすごく高く、周りからも一目置かれ...
画像:アートジェンダHP「いかにいわんや。下凡の初発心の人は利生に於いて障り多し」仏教では「他人のために」行動することを、よく求められています。自分の利益になることだけをするのではなく、他人の利益になることをしなさい。それは、日本で広まった...
画像:西大寺HP「我ヲ捨テ偏ニ他ノ為ニシテ私ヲ離ル也」日本の仏教教団は多種多様にあって、それぞれの教義に基づいてその宗派が建てられています。それは今も昔も変わらず、鎌倉時代にも、法相宗、三論宗、天台宗、真言宗、浄土宗など、それぞれよりどころ...
画像:奈良国立博物館HP「学問スルハ心ヲ直サン為ナリ」奈良の西大寺中興の祖といわれる、鎌倉時代の名僧に、叡尊上人という人がいます。のちに朝廷から「興正菩薩」の諡号を授かり、現在にまで広く知られています。叡尊の説法を弟子が記録して書き写し、伝...
頑張って生きてきた、その先の幸せへのために 終活とは、残りの人生をどのように生きるかを前向きに考え、老後の生活を豊かにするための取り組みです。 そのためには、身の回りの物の整理や、医療介護の希望、財産分与など、しておかなければいけないことが
生きづらさの原因とは 社会は日を追うごとにめまぐるしく変化していってます。 とくにインターネットやSNSの発達によって、その変化のスピードについていくのがやっとです。 そんな中で生きて行くためには、効率をいかにあげていくかが問われています。
『幸せのお守り』 心あたたまるお話を紹介します。 『幸せのお守り』 「もう死にたい…。もうやだよ…。つらいよ…」 妻は産婦人科の待合室で、人目もはばからず泣いていました。 前回の流産の時、私の妹が妻に言った無神経な言葉が忘れられません。
後悔する人しない人 用事でお寺から外へ出て行こうとしたときのことであります。 お寺の門をくぐって、本堂の前までやって来たご年配の方が、何やらうろうろとされていました。 本堂にお参りをするのかと思えば、そういうわけでもなさそうです。 じゃあ事
親思う心にまさる親心 高校を卒業してすぐ、本山の修行で僧侶を目指す仲間とともに共同生活を始めました。 その後は大学へと編入し、二年ほどひとり暮らしをしながら学校へと通い、そして本山職員としてふたたび住み込みの生活をしてしばらく過ごしました。
紀州名産の南高梅 梅と人間の見方 今年も知人から梅をいただきました。 和歌山の特産である「南高梅」であります。 とくに産地であるみなべ町では、なだらかな山に一面の梅林があり、花が咲く2月ごろには見渡す限りの梅の花が咲き誇ります。 みなべ町の
総持寺の境内にある観音菩薩像 観音菩薩のような生き方 「我れは浄土門の教へに依りて深く阿弥陀如来を信仰するものであるが、同時に亦厚く彼の如来の助化者たる観世音菩薩を崇敬するものである」 当寺の御一代である、総本山光明寺の69世、関本諦承上人
真面目な人がバカを見る? こんなお話があります。 お釈迦様が在世のころのことであります。 二人の男が、大勢の仲間ともにお釈迦様のお説法を聞きに行きました。 一人の男はお釈迦様の教えを聞き、その結果として預流果という悟りの境地を得ました。 も
「われ必ずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。」
「われ必ずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。」 先日、友人とケンカをしてしまいました。 お互い、相手の意見に納得ができず、自分の意見も曲げることができず、ついつい言い合いになってしまったのであります。 昔はケン
自分の力の発揮 先日、小学校4年生の授業参観があったので、見にいってきました。 その日は算数の授業したが、見ている私も一緒に問題を解いたりして、なかなか楽しい授業でありました。 息子の様子はというと、私が思っているよりも一生懸命に手を挙げて
「たった3,000円」で とあるニュースで、知人と話が盛り上がりました。 ニュースによると、2月11日にその事件が起こりました。 病院に勤めている39歳の男性が、休日に市内のセルフ式のガソリンスタンドに立ち寄りました。 そこで給油をしようと
生徒たちが涙した卒業式「最後の授業」 九州ルーテル学院大学の元客員教授の大畑誠也さんの記事を紹介します。 大畑さんは、それまでにもいろいろな学校で校長先生を歴任され、学校の現場で活躍をされてきました。 こうした経験をもとに、各地でご講演を行
人と人との出会い 6月9日付の日経新聞のコラム、春秋を紹介します。 よく行くコンビニがセルフレジに変わった。顔なじみの店員さんとは、たわいない言葉を交わす程度だったが、一抹の寂しさを感じた。たまにしか行かないカレー屋ではマニュアルなのだろう
くしゃみの由来と習慣について紹介します。昔は、くしゃみは霊魂が飛び出してきたり悪霊が憑いたことによって起こると考えられていました。そこでくしゃみをしたときには長生きや幸せを祈る言葉を唱えられています。どのような習慣があるのでしょうか。
殺生せずには生きられない 夏が近づき、気温が高くなってくると、必然的に蚊が飛ぶようになってきます。 庭で草抜きをしていると、耳元にブンブンと音を立てながら、何匹もの蚊が寄ってきます。 片方の手で払いながら、片方の手で草を抜いていきますが、こ
なぜ紫陽花の花の色は変わるのでしょうか。それは土が影響しているといわれています。花の持っているアントシアニンという色素が、土のアルミニウムと反応して赤から青に変わるといいます。まるで私たち人間のようでもあります。
「貴いのは足の裏である」坂村真民の詩であります。足の裏のように、見えないところでも、しっかりと自分の役割を果たしていく。これこそ、本当に大切な事なのではないでしょうか。
「キサーゴータミー」子どもを亡くした母親のはなしを紹介します。キサーゴータミーは子どもを亡くし、大変悲しみました。その悲しみから、どのように立ち直っていったのでしょか。
お寺の掲示板『順調に行っている時ほど自分の力は小さいものだ』
お寺の掲示板『順調に行っている時ほど自分の力は小さいものだ』
言葉と行動 言葉と行動 人と人がコミュニケーションを取るためには、言葉は大切なものです。 時代によって新しい言葉が生み出されたり、同じ言葉でありながら違う意味が付け加えられ、あるいはそれらが完全に別の意味で使われるようになったり。 言葉で他
もしかしたら自分の思い込みでものを見ていないでしょうか。私たちは、見たり聞いたりした出来事を、心の中に記憶として蓄積していきますが、それを取り出す作業をする時に自分の都合に思い込んで、自分の都合のいいように記憶を改ざんしてしまうのです。
総持寺の境内で実った仏手柑 境内にある「仏手柑(ブッシュカン)」の実がなりました。 仏さまの手の形に似ていることから「仏手柑」とよばれ、幸福を呼ぶとして縁起のいい柑橘種といわれています。 ところで、仏手柑とはどんなものなのでしょうか。 「仏
お寺の掲示板『一日一日の言動が自分の人生を築いていく』 最近、自分の年のことを考えるようになりました。 朝にはきちんとご飯を食べなければ、日中は思うように体が動きません。 夜に食べ過ぎると、次の日は胃がもたれて調子がよくありません。 適度に
お寺の掲示板『どれだけ功徳を積んでも自慢するとくずれてしまう』
お寺の掲示板『どれだけ功徳を積んでも自慢するとくずれてしまう』 自分の自慢話をよくする人がいます。 もしかしたら本人にとっては自慢ではないのかもしれません。 確かに、どれほど頑張っているか、どれほど成果をあげているか、ということは、話を聞い
きれいな服を着るということ こんなお話があります。 その昔、あるところに男がひとりで住んでいました。 男の暮らしは裕福とはいえず、毎日仕事をして働いて、その日をどうにか食べていくことだけで精一杯です。 そんな男がいよいよお嫁さんをもらうこと
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」西行法師が伊勢神宮に参拝したときの歌です。どなたがそこにおられるかは知りませんが、あまりのありがたさにおもわず涙がこぼれてきた。目に見えないものや言葉にできないものほど大切にしたいものです。
【お寺の掲示板】人はお金の入り口ばかり考えるが問題は出口どう活かすかだ。お金が無ければ生きていくことはできません。しかし、稼ぐことばかり考えてはいけません。お金の本当の価値はどのように使っていくかというところにあるのではないでしょうか。
「玩具のない子が」金子みすゞの詩から人間の生き方を考えてみます。モノや家族がいくらあっても満たされない感情を持っているのが、現代人ではないでしょうか。欲望の充足は本当の幸せを生みません。本当に必要なものは何かを考え直してみましょう。
「シロクマのことは考えないでください」と言われると、ついつい考えてしまうのが人間。そのように、やってはいけないことをやって罪を作り苦しんでいるのが人間です。見よと言われりゃ見たがらず見るなといえば、なお見たい。天の邪鬼な自分である自覚が大切です。
無一物となった者は、苦悩に追われることがない。これはお釈迦様の言葉です。人間はモノを手に入れるとそれに執着し、自ら苦しんでいます。また次、また次といって、際限がないのが人間の煩悩です。これらの煩悩を手放すことによって、真の心の安楽がおとずれるのです。
「春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん」弘法大師空海のことばです。春に種をまいたからこそ、秋に実りを獲ることができるのです。人も同じで何か結果を得たいならば行動しなければいけません。これを菩提心といいます。本当の菩提心とはどんなものでしょうか。
誰が電気をつけたのか?「自分が」という感覚。人は予測した結果と実際の結果が近いほど「自分がやった」と感じてしまいます。仏教では「自分が」という思いは捨てることを勧めています。目に見えない部分にある力のおかげであるということを忘れないことが大切です。
「あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである」ラ・ロシュフコーのことば。贈り物は人と人をつなぐ大切なツールです。もらったときには急がずに、じっくり相手のことを考えてお返しすることが大切なのではないでしょうか。
稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。
稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。
「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。
https://soujiji-kandori.com/sermon109-2/
「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。
山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ。「雲」という詩はとても味わい深いものがあります。山村暮鳥は「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる」といいました。自分を省みてかざらない生き方こそ、本当にいい生き方なのかもしれません。
「獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し」獅子のような偉大な存在でも体の中の小さな虫によってその身を滅ぼされる。そのように、人間は煩悩によって自分自身を苦しめているのです。整えるべきは自分の心であります。
「美しいものを見るためには目が美しくなければならない」フランスの哲学者ガストン・バシュラールのことばです。世界がどう見えるかは、世界をどのように見るかと一つです。清らかな心で世界を見れば、清らかな世界がおのずと広がっていくのです。
「人」にはなるな「人間」になれ。人は人として生まれ、人と人との間に挟まれて、いいも悪いも経験して「人間」に成長していきます。人間になりきれなかった人のことを「間抜け」というのです。間抜けにならないように、気をつけていくようにしましょう。
「啐啄同時」とは、ひな鳥が卵の殻をつついて出てくるのと、親鳥がそれを外から手助けするのが同時であり、転じて絶好のタイミングを意味する言葉です。自然の流れに従ってものごとを見ていると、その時その時がすべて絶好のタイミングとなるのです。
お寺の掲示板『迷うことなくうたがうことなくただひたすら念仏すべし』
お寺の掲示板『迷うことなくうたがうことなくただひたすら念仏すべし』法然上人の一枚起請文には「ただ一向に念仏すべし」とあります。念仏とは、阿弥陀仏は私を救うと信じ信仰する心そのものです。自分の力ではどうにもならないことは任せてしまうところに、安らかな心があらわれてくるのです。
何事も習慣から始まります。仏教では戒定慧の三学を修することが求められますが、そのうち戒とは習慣のことです。考えることなく当たり前のように行動できることによって、定慧を身につけ、悟りに至ることができるのです。
徳のある人とはあちこちで、梅の花が咲いているのを見かけます。白く美しいものや、ピンクであざやかなもの。長かった冬が終わり、春の訪れを感じさせてくれます。「梅花五福を開く」という言葉があります。梅の花びらが5枚あることにちなみ、梅の花が開くこ
仏教とは、仏の教えであり、仏と成るための教えです。生き物の道には禽獣の道と人の道と仏の道のみっつがあります。人として生まれたからには仏の道を行かなければいけません。これこそが仏道であり、人道とは仏道なのであります。
法話「心は移動する」『観無量寿経」の中に「諸仏如来はこれ法界の身なり、一切衆生の心想の中に入りたもう」とあります。仏の心が私の中に入るということは、親が我を忘れて子どもを思う様子と同じことのように感じます。心は移動して相手の心に入るのです。
心が穏やかだと言葉も仕草も穏やかになります。お釈迦様は「正しい知慧によって解脱して、やすらいに帰した人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである。」と言葉を残されています。いつも穏やかな人でありたいものです。
お寺の掲示板『出会いは不思議さのありがたさ』お寺の掲示板『出会いは不思議さのありがたさ』コロナ禍といわれるようになって、3年近く経ちました。まだまだ新型コロナウイルスの感染拡大がおさまりませんが、一時期のことを思うと全体的に落ち着きを取り戻
小倉城の藩主であった小笠原忠真に「皆人を捨ぬ誓ひの渡し舟乗しらぬ身もとまるへきかな」という歌があります。忠真は藩主としてよりよい町を作り人々を幸せに導いていこうとする中で、その思いを極楽浄土を思う心と重ね合わせて見ていました。
総持寺の本堂に祀られている西山上人像西山上人は、書物の中で「合掌ハ安禅ノ異名なり。心ヲ鎮メン為ニ身ヲ束ネテ助縁トスルナリ。」と残されています。安禅とは禅宗などでいうところの坐禅のことです。仏さまに向かって手を合わせることは、心を落ち着かせて
お寺の掲示板『嫌な人はいない、嫌だと思っている自分がいるだけだ』
お寺の掲示板『嫌な人はいない、嫌だと思っている自分がいるだけだ』人間関係を作っていく中で、どうしても「好きな人」「嫌な人」というのがでてきます。好きな人とはいつまでも一緒にいたいし、できるだけ長く付き合っていきたいと思います。反対に、嫌な人
人は死んでも、永遠に生き続けることができるといいます。極楽浄土に生まれ、そこで仏となることです。亡くなった人のことを思い浮かべることができるのは、その人が心の中に行き続けている証ではないでしょうか。これを仏教では無量寿といいます。
お彼岸で持つべきこころとはどんなものでしょうか。お彼岸とは何をする日でしょうか。どんな修行をすればいいのでしょうか。昔から、今日彼岸菩提の種をまく日かなといいますが、お彼岸は極楽浄土に生まれたいと願う日であります。大切なこころをお話しします。
仏と私が一体となったところが、南無阿弥陀仏の念仏であります。仏と私が一体となれば、自然と心が変わります。心が変わると、世の中の見方が変わります。仏の心を宿し、仏と一体となる心地が、よりよい生活を生み出すのです。
稚魚の放流を通して命の平等を学びました。金子みすゞさんの「大漁」という詩があるように、こちらで喜びに沸く反面、水の底では弱肉強食の世界が広がっています。お釈迦様は「すべての生きものにとって生命は愛しい」といいました。命の大切さをあらあためて考えます。
人は自分自身に向けられた無条件かつ無限の愛を感じることができた時、何にでも挑戦でき、どこにでも行ける餡心を得ることができると、日本あんこ協会はいいます。これは、阿弥陀仏の無条件で量ることのできないお慈悲のようです。
懺悔することは大切な事です。西山上人は「懺悔とは罪を罪と知って悔い返す心なり」といいました。自分勝手でおろかな行動が、自分を苦しめているのです。自分の行動を見返し、常に悔い返すことが大切です。仏教の懺悔文も合わせて紹介します。
「皆さん信仰もちなされ信仰なしに生きられぬ」信仰とはこころの支えを持つということ。心の支えがあるから、何かあっても受け入れ、努力し、励んで行くことができるのです。信仰をもつことは人が生きていく上で大切な事です。
忙しい、忙しい「忙しい忙しいと言っている人間は、自ら進んで忙しい人生を送っているくせに、「時間がない」などと言う。時間がないのではなく、欲張りなのだ」9月6日付けの日経新聞夕刊のエッセイである「プロムナード」の冒頭で、くどうれいんさんがこの
お寺の掲示板『手を合わせると善意に受け取る心が生まれる』「ありがた迷惑」という言葉があります。よかれと思ってしたことが、受け取る人によってはかえって迷惑になることです。本来はそれがありがたいことでも、その時の状況によってはありがたいどころか
お寺の掲示板『マナーの良さは自分をみんなを幸せに導く』最近、マナーに関する記事をよく見かけるような気がいたします。ちょっと調べるだけでも、多くのマナーが出てきます。ビジネスマナー接客マナーテーブルマナー慶弔のマナー手紙のマナー学校でのマナー
和歌山県で最高齢だった中野エイさんが、110歳でその寿命を全うしました。甥の中野富生さんは「エイさんの老いは理想の姿。そんな人が身内にいるのがうれしく、手本にして生きていきたい」としのびました。死んでなお誰かの心に残る生き方をしたいものです。
ある女性はぬいぐるみが唯一心の支えとなったと言いました。家にも学校にも、どこにも居場所がなく、つらいことが会ったときにはぬいぐるみに話しかけることで安心を得ることができました。なぜ彼女は安心を得ることができたのでしょうか。
「もうがんばらなくていいんだよ」お話をひとつ紹介します。『もうがんばらなくてもいいんだよ』もう十数年前になるけど、嫁が急逝してドロップアウトした。赴任先の基幹病院のある地方都市。俺の嫁は誰も知り合いもいない土地で、最後まで子供の心配しながら
「もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る」後拾遺和歌集にある和泉式部の歌です。恋に患っていた和泉式部が、貴船神社のみたらし川の沢を飛ぶホタルを見て詠んだ歌です。和泉式部の心の葛藤が欲表れた歌です。
わかったつもりになっていることがよくあると思います。でも、ものごとには量ることのできない大きな力があらゆるところで働いています。わかったつもりにならず、わからないならわからないなりに、自分がすべきことをすることが大切です。
昔から梅は「三毒を断つ」といいます。三毒とは「水毒」「食毒」「血毒」のみっつです。身体の汚れをのぞく健康食品として重宝されていました。その意味と、おいしい梅の漬け方を紹介します。
お寺の掲示板『やさしく接するとやさしくかえってくる』です。自業自得という言葉がありますが、自分で行った行為の報いは、自分に返ってきます。他人に優しく接する事ができれば、自分に優しくかえってくるのです。
ついつい「見て見ぬふり」をしてしまいます。電車に落ちていたスマホと空き缶。同じ「落とし物」なのに、スマホは拾って届けるけど、空き缶は見て見ぬふり。この違いにある高校生はモヤモヤしたといいます。そんな不思議な話を紹介します。
西山上人の御詠歌に「たたら踏む鋳物師が鋳型土なれど中に黄金の仏こそあれ」とあります。鋳型は土でできているが、その中には日本古来のたたら製鉄で出来上がった純度の高い鉄でできた黄金の仏さまがあります。それはまさに煩悩に隠れた仏の心であります。
ムーンショットとは、誰も成し遂げていなくて、困難であるが、達成すれば大きな効果をもたらすような、壮大な計画や挑戦のことです。これは、仏の誓願に通じるものがあります。誓願をたてて目標を作ることは、そのまま生きるエネルギーにもなります。
「他人の不幸は蜜の味」といいますが、相手の不幸を喜ぶことは科学的に証明されていて、仕方のないことでもあります。なぜ人は他人の不幸を喜ぶのでしょうか。
お弁当を食べた息子の言葉に、お母さんが感動した話を紹介します。学校の事情で突然お弁当を作ることになったお母さん。突然の息子の言葉に一瞬とまどい、次にホッとし、そしてじわじわとうれしさが込みあげてきたといいます。言葉の大切さを考えさせられます。
日常の生活を悦びに変えるにはどうすればいいでしょうか。劇作家・演出家として活躍をされている平田オリザさんは、現代口語演劇というものを提唱し、日本の現代演劇に大きな影響を与えたといわれています。そこから学ぶことを紹介します。
お寺の掲示板『お願いしなくても佛さまはいつも祈ってくれている』
お寺の掲示板『お願いしなくても佛さまはいつも祈ってくれている』お寺にお参りをすると、ついついお願いをしたくなりいます。健康でいられますように長生きできますようにいいご縁がありますように幸せになりますように・・・お願い事をあげればキリがありま
菩薩が守るべき十種の戒。不殺生戒、不盗戒、不淫戒、不妄語戒、不酤酒戒、不説四衆過戒、不自讃毀他戒、不慳惜加毀戒、不瞋戒、不瞋戒。これは諸仏の根源です。戒を宿した上は二度と無くなることがなく、未来世一切にわたってその功徳が続き、仏となることができます。
「もったいない」だけではなく、日本人は一日にお茶碗一杯分の食料を捨てているといいます。近年食品ロスが取り沙汰されていますが、食料を捨てることは「その食料を育てるための土地や水の無駄づかいをした」ということにもなります。しっかりと考えていかなければいけません。
陰徳とは、人から見えないところでよいことを行い、その特性を身につけることです。なぜ人は徳を積むのでしょうか。善いことをすればいいことが、悪いことをすれば悪いことが自分に返ってきます。徳のある人間になるためにはどうすればいいのでしょうか。
ある子どもを亡くしたお母さんの話です。それまで元気だったのに、わずか一日半のうちに子どもが亡くなってしまいました。悲しみにくれるお母さんですが、それからしばらくして笑顔を見てくれるようになりました。悲しみからどのようにして救われたのでしょうか。
お釈迦様の最後のことばに「自燈明、法燈明」というものがあります。自らをよりどころとし、法をよりどころとして生きて生きなさいと教えられました。仏の教えは、まるで暗闇を照らす明かりであり、道しるべです。これによって光あふれた未来が見えてくるでしょう。
金子みすゞさんの詩「露」には、蜂のやさしい思いがあふれ出ています。生きていくためには、蜂も花も人間も必死ですが、だからといって他者を傷つけて善いわけではありません。花を思いやる蜂のように、私たちも他者を思いやる心を持つ必要があります。
手を打てば「ハイ」と答える鳥逃げる鯉は集まる猿沢の池という歌があります。ポンとてをたたくと、女中さんは返事をし、鳥は逃げ、鯉は餌をもらえると思って寄ってきます。一つの出来事も、受け取る人によっていろんな見え方ができます。心の受け取り方次第で、善くも悪くも見え方が変わるのです。
お寺の掲示板『死んだら終わるのかそれとも生まれて往くのか』この二つの考え方は、結果として今を生きる私の行動にも結びついています。死後の世界があり、善い世界に生まれたいと願うから、善いことをするのです。善いことをすることは人として大切な行いです。
泣ける法話『悲しい怒り』です。どうしてですか(゚Д゚)ゴルァ!と言って、早くに夫を亡くした女性の怒りが綴られています。怒りは本来離れるべきものですが、この女性の怒りからは夫を思う気持ちが伝わります。誰かを思う気持ちが生きる原動力になるのです。
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「ふしぎ」金子みすゞ「ふしぎ」金子みすゞわたしは不思議でたまらない黒い雲から降る雨が銀に光っていることがわたしは不思議でたまらない青いクワの葉食べている蚕が白くなることがわたしは不思議でたまらないたれもいじらぬ夕顔が一人でパラリと開くのがわ...
「だれが風を見たでしょう」クリスティーナ・ロゼッティ寒い日が続いています。頬が凍てつくような冷たい風が時折吹いて、思わず身をすくめてしまいます。落ち葉が風にあおられて高く舞い上がる様子を見ながら、「風」という詩を思いだしました。「風」クリス...
「石ころ」金子みすゞ「石ころ」きのうは子供をころばせてきょうはお馬をつまずかす。あしたは誰がとおるやら。田舎のみちの石ころは赤い夕日にけろりかん。田舎道の風景を描いた、とてもユーモラスのある詩です。石ころの転がっている田舎道を、元気に歩いて...
「星とたんぽぽ」金子みすゞ明治36年、今の山口県長門市仙崎に生まれた金子みすゞ。大正時代に活躍し、数々の詩を残されました。どの詩をとってみても、味わい深く、思いやりのあるものばかりです。なかには自然の風景やそのあり方を見つめ、もっと深くまで...
「しあわせ運べるように」阪神淡路大震災30年に思いをよせて平成7年1月17日、午前5時46分、兵庫県南部、深さ16キロを震源とするマグニチュード7.3の巨大地震が発生しました。震源に近い神戸市を中心に近畿圏内で大きな被害をもたらし、犠牲者は...
画像:ムービープラス「家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです」ハリウッドの名女優、永遠のスターであるオードリー・ヘップバーン。彼女は1929年5月4日、イギリス人のビジネスマンである父とオランダの貴族出身だった母...
画像:映画.com「時を超えた美しさの秘密」オードリー・ヘップバーンの愛した詩20世紀を代表する名女優、オードリー・ヘップバーン。不屈の名作「ローマの休日」など、世界中の人々から今なお愛され続けています。そんな彼女が愛した詩があります。「時...
「生けらば念仏の功つもり死なば浄土へ参りなん」私たち人間の最大の悩みは、「死」ではないでしょうか。死にたくなくても死ななければいけない。昔とくらべてだいぶ長生きになったとはいえ、それでもたった100年の命であります。死んだらそのあとはどうな...
画像:TSUKUBLOG「学問ははじめて見たつるはきわめて大事なり」法然上人が九歳の時、父親の漆間時国が夜襲に遭って非業の最期を遂げ、これを機に出家をしました。皇円上人のもとで修行をしていた法然上人は、十八才のときに比叡山西塔の黒谷に籠もっ...
画像:重要文化財「伝教大師(最澄)座像」「施す者は天に生まれ、受くる者は獄に入る」天台宗の祖である最澄は比叡山で12年の籠山行を行うにあたって、願を起しました。自分がこれから修行するにあたって、なぜ修行をするのか、どのように修行をしていくの...
画像:国宝 最澄像「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心あり」天台宗の祖である伝教大師最澄のことばです。「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」道心とは仏教を学び実践し、悟りに向かう心のこと。言い換えれば、目標に向かって努力していく心のこと...
画像:高山寺HP「あるべきようは」和歌山県の有田川町で生まれた明恵上人は、華厳宗の中興の祖ともいわれている、鎌倉時代に活躍した僧侶です。京都の神護寺で出家をし、仏道に励みました。幼い頃から仏道を求める志はものすごく高く、周りからも一目置かれ...
画像:アートジェンダHP「いかにいわんや。下凡の初発心の人は利生に於いて障り多し」仏教では「他人のために」行動することを、よく求められています。自分の利益になることだけをするのではなく、他人の利益になることをしなさい。それは、日本で広まった...
画像:西大寺HP「我ヲ捨テ偏ニ他ノ為ニシテ私ヲ離ル也」日本の仏教教団は多種多様にあって、それぞれの教義に基づいてその宗派が建てられています。それは今も昔も変わらず、鎌倉時代にも、法相宗、三論宗、天台宗、真言宗、浄土宗など、それぞれよりどころ...
画像:奈良国立博物館HP「学問スルハ心ヲ直サン為ナリ」奈良の西大寺中興の祖といわれる、鎌倉時代の名僧に、叡尊上人という人がいます。のちに朝廷から「興正菩薩」の諡号を授かり、現在にまで広く知られています。叡尊の説法を弟子が記録して書き写し、伝...
頑張って生きてきた、その先の幸せへのために 終活とは、残りの人生をどのように生きるかを前向きに考え、老後の生活を豊かにするための取り組みです。 そのためには、身の回りの物の整理や、医療介護の希望、財産分与など、しておかなければいけないことが
生きづらさの原因とは 社会は日を追うごとにめまぐるしく変化していってます。 とくにインターネットやSNSの発達によって、その変化のスピードについていくのがやっとです。 そんな中で生きて行くためには、効率をいかにあげていくかが問われています。
『幸せのお守り』 心あたたまるお話を紹介します。 『幸せのお守り』 「もう死にたい…。もうやだよ…。つらいよ…」 妻は産婦人科の待合室で、人目もはばからず泣いていました。 前回の流産の時、私の妹が妻に言った無神経な言葉が忘れられません。
後悔する人しない人 用事でお寺から外へ出て行こうとしたときのことであります。 お寺の門をくぐって、本堂の前までやって来たご年配の方が、何やらうろうろとされていました。 本堂にお参りをするのかと思えば、そういうわけでもなさそうです。 じゃあ事
親思う心にまさる親心 高校を卒業してすぐ、本山の修行で僧侶を目指す仲間とともに共同生活を始めました。 その後は大学へと編入し、二年ほどひとり暮らしをしながら学校へと通い、そして本山職員としてふたたび住み込みの生活をしてしばらく過ごしました。
「たった3,000円」で とあるニュースで、知人と話が盛り上がりました。 ニュースによると、2月11日にその事件が起こりました。 病院に勤めている39歳の男性が、休日に市内のセルフ式のガソリンスタンドに立ち寄りました。 そこで給油をしようと
生徒たちが涙した卒業式「最後の授業」 九州ルーテル学院大学の元客員教授の大畑誠也さんの記事を紹介します。 大畑さんは、それまでにもいろいろな学校で校長先生を歴任され、学校の現場で活躍をされてきました。 こうした経験をもとに、各地でご講演を行
人と人との出会い 6月9日付の日経新聞のコラム、春秋を紹介します。 よく行くコンビニがセルフレジに変わった。顔なじみの店員さんとは、たわいない言葉を交わす程度だったが、一抹の寂しさを感じた。たまにしか行かないカレー屋ではマニュアルなのだろう
くしゃみの由来と習慣について紹介します。昔は、くしゃみは霊魂が飛び出してきたり悪霊が憑いたことによって起こると考えられていました。そこでくしゃみをしたときには長生きや幸せを祈る言葉を唱えられています。どのような習慣があるのでしょうか。
殺生せずには生きられない 夏が近づき、気温が高くなってくると、必然的に蚊が飛ぶようになってきます。 庭で草抜きをしていると、耳元にブンブンと音を立てながら、何匹もの蚊が寄ってきます。 片方の手で払いながら、片方の手で草を抜いていきますが、こ
なぜ紫陽花の花の色は変わるのでしょうか。それは土が影響しているといわれています。花の持っているアントシアニンという色素が、土のアルミニウムと反応して赤から青に変わるといいます。まるで私たち人間のようでもあります。
「貴いのは足の裏である」坂村真民の詩であります。足の裏のように、見えないところでも、しっかりと自分の役割を果たしていく。これこそ、本当に大切な事なのではないでしょうか。
「キサーゴータミー」子どもを亡くした母親のはなしを紹介します。キサーゴータミーは子どもを亡くし、大変悲しみました。その悲しみから、どのように立ち直っていったのでしょか。
お寺の掲示板『順調に行っている時ほど自分の力は小さいものだ』
言葉と行動 言葉と行動 人と人がコミュニケーションを取るためには、言葉は大切なものです。 時代によって新しい言葉が生み出されたり、同じ言葉でありながら違う意味が付け加えられ、あるいはそれらが完全に別の意味で使われるようになったり。 言葉で他
もしかしたら自分の思い込みでものを見ていないでしょうか。私たちは、見たり聞いたりした出来事を、心の中に記憶として蓄積していきますが、それを取り出す作業をする時に自分の都合に思い込んで、自分の都合のいいように記憶を改ざんしてしまうのです。
総持寺の境内で実った仏手柑 境内にある「仏手柑(ブッシュカン)」の実がなりました。 仏さまの手の形に似ていることから「仏手柑」とよばれ、幸福を呼ぶとして縁起のいい柑橘種といわれています。 ところで、仏手柑とはどんなものなのでしょうか。 「仏
お寺の掲示板『一日一日の言動が自分の人生を築いていく』 最近、自分の年のことを考えるようになりました。 朝にはきちんとご飯を食べなければ、日中は思うように体が動きません。 夜に食べ過ぎると、次の日は胃がもたれて調子がよくありません。 適度に