言葉と行動 言葉と行動 人と人がコミュニケーションを取るためには、言葉は大切なものです。 時代によって新しい言葉が生み出されたり、同じ言葉でありながら違う意味が付け加えられ、あるいはそれらが完全に別の意味で使われるようになったり。 言葉で他
和歌山にある西山浄土宗の檀林、総持寺です。 納骨のお寺として、たくさんの人の信仰を集めています。 仏教の教えや西山浄土宗のこと、そのほかにも様々な情報を発信しています。
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言葉と行動 言葉と行動 人と人がコミュニケーションを取るためには、言葉は大切なものです。 時代によって新しい言葉が生み出されたり、同じ言葉でありながら違う意味が付け加えられ、あるいはそれらが完全に別の意味で使われるようになったり。 言葉で他
もしかしたら自分の思い込みでものを見ていないでしょうか。私たちは、見たり聞いたりした出来事を、心の中に記憶として蓄積していきますが、それを取り出す作業をする時に自分の都合に思い込んで、自分の都合のいいように記憶を改ざんしてしまうのです。
総持寺の境内で実った仏手柑 境内にある「仏手柑(ブッシュカン)」の実がなりました。 仏さまの手の形に似ていることから「仏手柑」とよばれ、幸福を呼ぶとして縁起のいい柑橘種といわれています。 ところで、仏手柑とはどんなものなのでしょうか。 「仏
お寺の掲示板『一日一日の言動が自分の人生を築いていく』 最近、自分の年のことを考えるようになりました。 朝にはきちんとご飯を食べなければ、日中は思うように体が動きません。 夜に食べ過ぎると、次の日は胃がもたれて調子がよくありません。 適度に
お寺の掲示板『どれだけ功徳を積んでも自慢するとくずれてしまう』
お寺の掲示板『どれだけ功徳を積んでも自慢するとくずれてしまう』 自分の自慢話をよくする人がいます。 もしかしたら本人にとっては自慢ではないのかもしれません。 確かに、どれほど頑張っているか、どれほど成果をあげているか、ということは、話を聞い
きれいな服を着るということ こんなお話があります。 その昔、あるところに男がひとりで住んでいました。 男の暮らしは裕福とはいえず、毎日仕事をして働いて、その日をどうにか食べていくことだけで精一杯です。 そんな男がいよいよお嫁さんをもらうこと
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」西行法師が伊勢神宮に参拝したときの歌です。どなたがそこにおられるかは知りませんが、あまりのありがたさにおもわず涙がこぼれてきた。目に見えないものや言葉にできないものほど大切にしたいものです。
【お寺の掲示板】人はお金の入り口ばかり考えるが問題は出口どう活かすかだ。お金が無ければ生きていくことはできません。しかし、稼ぐことばかり考えてはいけません。お金の本当の価値はどのように使っていくかというところにあるのではないでしょうか。
「玩具のない子が」金子みすゞの詩から人間の生き方を考えてみます。モノや家族がいくらあっても満たされない感情を持っているのが、現代人ではないでしょうか。欲望の充足は本当の幸せを生みません。本当に必要なものは何かを考え直してみましょう。
「シロクマのことは考えないでください」と言われると、ついつい考えてしまうのが人間。そのように、やってはいけないことをやって罪を作り苦しんでいるのが人間です。見よと言われりゃ見たがらず見るなといえば、なお見たい。天の邪鬼な自分である自覚が大切です。
無一物となった者は、苦悩に追われることがない。これはお釈迦様の言葉です。人間はモノを手に入れるとそれに執着し、自ら苦しんでいます。また次、また次といって、際限がないのが人間の煩悩です。これらの煩悩を手放すことによって、真の心の安楽がおとずれるのです。
「春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん」弘法大師空海のことばです。春に種をまいたからこそ、秋に実りを獲ることができるのです。人も同じで何か結果を得たいならば行動しなければいけません。これを菩提心といいます。本当の菩提心とはどんなものでしょうか。
誰が電気をつけたのか?「自分が」という感覚。人は予測した結果と実際の結果が近いほど「自分がやった」と感じてしまいます。仏教では「自分が」という思いは捨てることを勧めています。目に見えない部分にある力のおかげであるということを忘れないことが大切です。
「あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである」ラ・ロシュフコーのことば。贈り物は人と人をつなぐ大切なツールです。もらったときには急がずに、じっくり相手のことを考えてお返しすることが大切なのではないでしょうか。
稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。
稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。
「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。
https://soujiji-kandori.com/sermon109-2/
「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。
山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ。「雲」という詩はとても味わい深いものがあります。山村暮鳥は「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる」といいました。自分を省みてかざらない生き方こそ、本当にいい生き方なのかもしれません。
「獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し」獅子のような偉大な存在でも体の中の小さな虫によってその身を滅ぼされる。そのように、人間は煩悩によって自分自身を苦しめているのです。整えるべきは自分の心であります。
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言葉と行動 言葉と行動 人と人がコミュニケーションを取るためには、言葉は大切なものです。 時代によって新しい言葉が生み出されたり、同じ言葉でありながら違う意味が付け加えられ、あるいはそれらが完全に別の意味で使われるようになったり。 言葉で他
もしかしたら自分の思い込みでものを見ていないでしょうか。私たちは、見たり聞いたりした出来事を、心の中に記憶として蓄積していきますが、それを取り出す作業をする時に自分の都合に思い込んで、自分の都合のいいように記憶を改ざんしてしまうのです。
総持寺の境内で実った仏手柑 境内にある「仏手柑(ブッシュカン)」の実がなりました。 仏さまの手の形に似ていることから「仏手柑」とよばれ、幸福を呼ぶとして縁起のいい柑橘種といわれています。 ところで、仏手柑とはどんなものなのでしょうか。 「仏
お寺の掲示板『一日一日の言動が自分の人生を築いていく』 最近、自分の年のことを考えるようになりました。 朝にはきちんとご飯を食べなければ、日中は思うように体が動きません。 夜に食べ過ぎると、次の日は胃がもたれて調子がよくありません。 適度に
お寺の掲示板『どれだけ功徳を積んでも自慢するとくずれてしまう』 自分の自慢話をよくする人がいます。 もしかしたら本人にとっては自慢ではないのかもしれません。 確かに、どれほど頑張っているか、どれほど成果をあげているか、ということは、話を聞い
きれいな服を着るということ こんなお話があります。 その昔、あるところに男がひとりで住んでいました。 男の暮らしは裕福とはいえず、毎日仕事をして働いて、その日をどうにか食べていくことだけで精一杯です。 そんな男がいよいよお嫁さんをもらうこと
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」西行法師が伊勢神宮に参拝したときの歌です。どなたがそこにおられるかは知りませんが、あまりのありがたさにおもわず涙がこぼれてきた。目に見えないものや言葉にできないものほど大切にしたいものです。
【お寺の掲示板】人はお金の入り口ばかり考えるが問題は出口どう活かすかだ。お金が無ければ生きていくことはできません。しかし、稼ぐことばかり考えてはいけません。お金の本当の価値はどのように使っていくかというところにあるのではないでしょうか。
「玩具のない子が」金子みすゞの詩から人間の生き方を考えてみます。モノや家族がいくらあっても満たされない感情を持っているのが、現代人ではないでしょうか。欲望の充足は本当の幸せを生みません。本当に必要なものは何かを考え直してみましょう。
「シロクマのことは考えないでください」と言われると、ついつい考えてしまうのが人間。そのように、やってはいけないことをやって罪を作り苦しんでいるのが人間です。見よと言われりゃ見たがらず見るなといえば、なお見たい。天の邪鬼な自分である自覚が大切です。
無一物となった者は、苦悩に追われることがない。これはお釈迦様の言葉です。人間はモノを手に入れるとそれに執着し、自ら苦しんでいます。また次、また次といって、際限がないのが人間の煩悩です。これらの煩悩を手放すことによって、真の心の安楽がおとずれるのです。
「春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん」弘法大師空海のことばです。春に種をまいたからこそ、秋に実りを獲ることができるのです。人も同じで何か結果を得たいならば行動しなければいけません。これを菩提心といいます。本当の菩提心とはどんなものでしょうか。
誰が電気をつけたのか?「自分が」という感覚。人は予測した結果と実際の結果が近いほど「自分がやった」と感じてしまいます。仏教では「自分が」という思いは捨てることを勧めています。目に見えない部分にある力のおかげであるということを忘れないことが大切です。
「あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである」ラ・ロシュフコーのことば。贈り物は人と人をつなぐ大切なツールです。もらったときには急がずに、じっくり相手のことを考えてお返しすることが大切なのではないでしょうか。
稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。
稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。
「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。
「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。
山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ。「雲」という詩はとても味わい深いものがあります。山村暮鳥は「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる」といいました。自分を省みてかざらない生き方こそ、本当にいい生き方なのかもしれません。
「獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し」獅子のような偉大な存在でも体の中の小さな虫によってその身を滅ぼされる。そのように、人間は煩悩によって自分自身を苦しめているのです。整えるべきは自分の心であります。
何事も習慣から始まります。仏教では戒定慧の三学を修することが求められますが、そのうち戒とは習慣のことです。考えることなく当たり前のように行動できることによって、定慧を身につけ、悟りに至ることができるのです。
徳のある人とはあちこちで、梅の花が咲いているのを見かけます。白く美しいものや、ピンクであざやかなもの。長かった冬が終わり、春の訪れを感じさせてくれます。「梅花五福を開く」という言葉があります。梅の花びらが5枚あることにちなみ、梅の花が開くこ
仏教とは、仏の教えであり、仏と成るための教えです。生き物の道には禽獣の道と人の道と仏の道のみっつがあります。人として生まれたからには仏の道を行かなければいけません。これこそが仏道であり、人道とは仏道なのであります。
法話「心は移動する」『観無量寿経」の中に「諸仏如来はこれ法界の身なり、一切衆生の心想の中に入りたもう」とあります。仏の心が私の中に入るということは、親が我を忘れて子どもを思う様子と同じことのように感じます。心は移動して相手の心に入るのです。
心が穏やかだと言葉も仕草も穏やかになります。お釈迦様は「正しい知慧によって解脱して、やすらいに帰した人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである。」と言葉を残されています。いつも穏やかな人でありたいものです。
お寺の掲示板『出会いは不思議さのありがたさ』お寺の掲示板『出会いは不思議さのありがたさ』コロナ禍といわれるようになって、3年近く経ちました。まだまだ新型コロナウイルスの感染拡大がおさまりませんが、一時期のことを思うと全体的に落ち着きを取り戻