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  • 素の時代と栃餅の正月

    今年は栃餅が届いたやったー一年ぶりうーんそうそうこの味この味。 途切れてしまった正月恒例の(栃餅)二日も先に2022年のお正月を迎えてしまった 幼い頃の記憶を…

  • お節料理と三々九度

    あと二日で2022年令和四年になる。2016年のブログ開始から途中にお休み期間もあるが7年目になる。 同じ表題も少しだけ付け加えて書き直した。 同郷のグループ…

  • ウデた餅

    今でも佐渡島の母はゆでたまごはうでたまごである。それは方言かと思っていた実は野菜などを湯がくなどゆでるがうでるに変化した言葉の辞典などはそんな記述である。 あ…

  • 初めてのお節料理詰め

    昭和54年3月中野の結婚式場から葉山の店に職場を変えた。社長の最終面接この社長は後に米国に渡り1996年シアトルからコーヒーチェーンを引っ提げて日本に戻り初代…

  • 関東物は伊達巻で関西は観世巻

    いつの世も出どこは一緒であるが時の権力者や世の流れによって袂を分かち主流と反主流に分かれる。七十二歳の現代でいうところの後期高齢者である能の大成者の世阿弥は突…

  • お頭付

    地球温暖化という気候偏在化により海水温度上昇やジェット気流の極端な変化様々なことが蓄積そして重なり酷暑と極寒とまー住みにくい地球になってしまった。 一昨日から…

  • 仙人が食べた松葉

    針のように細く先端は尖っている特殊な形をした松の葉。  贈り物をするときに松の葉という言葉を一筆添える松の葉で包めるほどわずかなもの寸志と同じ謙遜の意味になる…

  • セイケの旨み

    佐渡島の外海府ではこの武骨な頭でっかちな魚はセイケと呼ぶ。 なんだかとろそうでいて何を考えてるのかまったくわからないふりをしてエサがくると素早く食いつく。 夏…

  • めでたい福寿草

    佐渡島は大佐渡と小佐渡と別れその間に比較的平らな国仲平野がそれをつないでいる。  大佐渡の北に位置する外海府大倉という村が私が生まれたところ。 貞觀三年(86…

  • 俺たちの朝

    昭和51年10月から始まった日テレ系のドラマである。 佐渡島の家ではまだ民放はTBS系列1チャンネルNHK総合と教育この3つであったが下宿していた相川はチャン…

  • タラ事件

    佐渡島では干した鱈をカタセと呼ぶ何か意味があるとしたら固いのがなまったのか佐渡か出ない。スケト(スケソウダラ)の加工品をいう場合が多い鱈よりは少し小さい。 カ…

  • 白梅と飼い猫のシロ

    毛玉のような塊が竹の篭に入っていた今でも鮮明に覚えている私が小学校三年の6月。金色と銀色の目をした真っ白い猫尻尾は短いシロと父が名付けた友人からもらい受けたら…

  • あんこと丸餅

    あんころ餅とは佐渡島の集まりには昔から欠かせない。今は自宅で行うことは極々まれ昔は慶弔時には必ず餅がでる佐渡は丸餅である。やはり京の食文化の影響かもしれない。…

  • 厄年

    前厄と本厄そして後厄この三年間は何かと人生において動きのある歳。数え年という旧暦で歳を数える男性は二十五歳四十二歳六十一歳女性は十九歳三十三歳三十七歳これが本…

  • ハバノリ

    そろそろ佐渡島の岩には海苔がはえてくる時期。雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系…

  • 海水嫌いな海の貝

    (だ・ら・ど・ろ・で・れ)がとってもゆるい佐渡島の方言。 特に海府とよばれる方面の特徴かもしくは私の村だけなのかは定かではないが全般的にゆるい佐渡島。極寒の一…

  • 移動型店舗が新しい未来

    佐渡島の昭和の時代私の記憶では乾燥ワカメを背負って母は仲間とバスに乗りマチに向かい訪問販売CtoCのダイレクト販売。竹で編んだ大きな篭を背負い肌着や靴下など小…

  • 立派な門松

    昭和53年3月22日に仕立てたスーツはダークグレーのヘリンボーン靴はチョコレートブラウンの革底のウィングチップそんな新卒ピカピカ家の前には母と祖母親戚の叔父と…

  • 8歳の流鏑馬から53年ぶり

    埼玉に出かけた。今年夏の最中友人に紹介され旧家の外蔵で催された一閑張りの展示即売会に足を運んだ。 そこで出会った作家さん私もたくさんの方々と出会う機会があるが…

  • 海藻の料理は貴重な食文化

    今では海藻を利用したエネルギーにまで化学は進歩した。 海藻を消化する酵素を持つ民族はアジア系で中国と韓国北欧の一部の民族そして日本人だという他の民族は昔から海…

  • 注連縄かざり

    後19日寝るとお正月。 私は郷土研究家ではないすべて知ってるわけでもない社家の正月を記憶の引き出しから引っ張り出してみよう。 祖母や母が言っていたマツハヲユズ…

  • ヌン活?

    なんとも色気のあるようで色気のないお言葉。ホテルなどのアフタヌーンティーを楽しむ女性のことかと思いきやその言葉自体はどうも男性のことを言っているらしい。 昭和…

  • 兼高かおる世界の旅

    1959年12月13日ラジオ東京現在のTBSテレビでナレーター兼ディレクター兼プロデューサー兼レポーターの番組が開始されその後1990年まで約31年間世界を駆…

  • 単身赴任の教員

    私の通った小学校の学区は三つの村から成り立っている。 一日のバスの運行本数は3本あったかどうかそんな時代であった。だから佐渡島の北端辺境の外海府に赴任するそん…

  • 底魚

    勉強がからっきしダメな私が唯一すんなり入ったものは日本史。 他の教科書はきれいなまま一年を終えるが日本史の教科書は勉強した後がわかるほどボロボロになる。 かの…

  • 氷柱(つらら)と小正月

    一昨日から右肩が激痛うーん40肩がきて50肩がきて60肩もきたご丁寧にそんなに来てもらってはこまるし今回のは特に痛い無理が効かないような歳になってしまった。 …

  • 寄せて盛る

    雪がちらちら川の流れもちょろちょろあれだけ泳いでいた鮎も真っ黒になり集まって泳いでいたがその姿もない。山々の葉っぱは落ちて青いのは篠竹と松だけ赤い葉っぱ黄色い…

  • 土手下の鍋

    佐渡島には湖とよべる汽水湖は一つあり新潟県の中では一番でかい日本百景の一つが加茂湖その入口にあるのがカーフェリーが出入りする佐渡汽船の船着き場古くから牡蠣の養…

  • 覚弥漬けとジャンローポウ

    漬け過ぎて食べる機会を逸した味が濃くなりしかしながら熟成の進んだ古漬けを刻んだものが覚弥漬け。基本は水で一晩塩を抜く少量の醤油を足して味を調える至って簡単でシ…

  • 胡麻和えと胡麻汚し

    赤根草というのがあるしかしこれはほうれん草の根っこの部分が赤くなっているこれを称したものであろう。 今では赤根部分が少ないのが市場には出回っている。 佐渡島の…

  • いぶりがっこがピンチ

    佐渡島の昭和の頃我が家の冬の味というと佐渡煮しめ寒鰤スケトの味噌汁空焼き魚の煮つけイゴねりのクルミ和え栃餅鯖のこ糠漬けそして沢庵こいつは欠かせない真冬の味であ…

  • あけまして?あれ?

    気の早いこと。南熱海に出かけてました。 斜面にたくさんのみかんがたわわに実ってます令和3年はどうも柑橘類が豊作らしいです。 新婚旅行社員旅行と言えば昔は熱海と…

  • 松皮

    師走の月12月正月事はじめの松迎えは今年は13日です。 さー新年の準備です。 おめでたい時は何を置いても鯛でしょう。さて松皮という料理法があります 松皮鯛とい…

  • 黒文字とねばねばどろーん

    植物の分布図でいうと黒文字という樹木は関東以西に自生しているそんなわけないよなー佐渡島の山にはいっぺー生えとるよ!マタギの世界では狩りの獲物を黒文字の木の枝に…

  • 江戸煮

    大好きな歌舞伎役者中村吉右衛門さんが亡くなった心よりご冥福をお祈り申し上げます。なんといっても鬼平犯科帳の長谷川平蔵役欠かさずそして再放送含め人情味にあふれ罪…

  • ロッカーで膨らむテトラ牛乳

    学校給食というと真っ先に思い出すのはいまいましいテトラ牛乳。そもそも日本での給食の歴史は明治22年に遡る山形県鶴岡市の市立忠愛小学校で貧困児童を対象にご飯と魚…

  • ガラスの玉とタコブネ

    昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…

  • 循環の話

    昭和の我が家納屋の一角には鶏小屋があった。 飼われていたのは雌鶏7羽コッココッコとよく餌を食べた毎日父と母が餌をあげた時より気が向くと私もやった畑に生えている…

  • 土の壁

    昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…

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