2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
昭和の佐渡島ではお賽銭箱に米が小銭に交じって入っていた。慶弔時には布でつくった巾着袋にお米が入ってお金の袋の脇に積まれていた。たぶんお米がお金の代用だった時代…
昭和63年様々な経緯で葉山の飲食グループの経営企画室なるセクションを任された。 何でもやる課みたいなもの新しい試みならなんでもやった。 微生物を使った下水処理…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
中国では古くからアイディアを生む場は三つだと言われている。馬上とは今なら車タクシー電車飛行機かもしれない。枕上とは今も昔も布団やベッド。 厠とはトイレここを発…
語源を遡ると実に面白い。菜食主義をベジタリアンという言い方をします。 健康な新鮮な元気のあるというラテン語のvegetusに由来している。 肉などの動物性の食…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
箱根駅伝でも知られている城西大学の姉妹校城西国際大学もあり学生のマチとして栄えているんであろうがしかし駅舎はとっても古い自宅から同じ県内なのに乗り継ぎで約12…
そんな話が昔あったなー。 兵庫県の明石海峡はご存知のように潮の満ち引きで潮の流れが早いのである餌も豊富で採れる魚介類も京都の料亭などでは一級品として昔から明石…
一昨日の夕刻に先週の南九州市圃場視察後の情報交換と御礼のため顧客先の方と会うことにした。 今朝がたNHKニュースで南九州市の漁業の方の深海魚料理の話が流れてい…
今は夏野菜も年中出回っているから関係がないだろうが夏野菜は自然の摂理で暑い夏をやり過ごすため夏になると食べ時になり身体を冷やす成分があると聞く当然胃腸が冷やさ…
昭和55年の初夏潮の香り磯の香り沖にはヨット海べりに建つ三階建ての淡いブルー平日でもなんでか賑わっている葉山の店にいた。 二階はメインダイニング三階はバンケッ…
都市伝説かどうかは定かでないがしかし昔から添え物としてのあの青々したパセリとレモンは使ってはいけないなど言われたことがある。 まー遠い記憶だから昭和の頃だった…
ふとみるデジタル時計10:1011:1112:1214:1415:15最近特に多い60歳を過ぎた頃そんなことに出くわす。 日経流通新聞の掲載記事は北海道の紹介…
小学校の三年生の頃だから昭和44年頃我が家の食卓にのっていたカリフラワーだが当時は母ハナヤサイと言っていた。真っ白なうじゃうじゃした花のようなそして口に入れる…
秋の収穫が終わる頃軒先にはオレンジのカーテンが村を彩る。どこの家にも少なからず柿の木がある。佐渡にはおけさ柿という品種の柿が有名いわゆる平柿のハッチン品種改良…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
国産の鯖の漁獲高はそこそこあるが品質が安定せず寒鯖などの一部を除き型も小さいから養殖魚の餌になったり輸出しているときく。 がしかし実は鯖は輸入している北欧のノ…
一泊で作業をしてきました。 大府とは愛知県知多半島のつけ根部分という地理的な場所東名高速では昼夜大工事だから5時間かかってしまった。 昔徳川いま豊田やっぱり世…
昔から考えたら海藻を食べる機会がめっきり減ったその中でも芳香を放つイソナ岩海苔の摘み取りが終える頃岩場に緑が映えるそれがイソナで風に乗ってその香りが春を告げる…
秋田県ではカミナリウオ。冬の日本海は雪降ろしと呼ばれる雷が多いこの時期には魚へんに神と書く鰰がとれるといわれる真意は定かでないがそれほど雷も鰰も多かった。 実…
昭和30年代まだ針葉樹の植林が盛んな時代。冬前になると植林をした森には嫌なくさい臭いが立ち込めるそんな記憶がある。雪の訪れとともに餌がなくなり真っ白な生き物が…
鳴き声以外はすべて食べられると言われる豚一物成仏。 成長期にサツマイモを食べることで旨味と甘味が増すといわれる鹿児島の黒豚。 唐芋農場を視察し薩摩半島から市内…
世界のヒルトンの創業者コンラッド・ヒルトンヒルトンが名を冠する初めてのホテルは1925年アメリカのダラスで誕生したのである間もなく創業100年を迎える。 16…
羽田発7時半のフライトは松戸の家を5時にでることになる。 まー毎朝4時半に起きている年寄りにはなんてことない時間。 今回も強行軍福岡に入り午前中のイベントに参…
今回の鹿児島は記憶の上ではたぶん二回目なのですがどうも前回の記憶が欠落です。 ビジネスです今回。 朝7時に車で迎えに来てもらい桜島と錦江湾を左に見ながら高速を…
鹿児島から戻りました鹿児島と言えば芋焼酎本当に小さな蔵元から全国区に知れ渡る幻のなんとか?とか多種にわたる。 昭和28年に改正された酒税法があるその後も裁判に…
昭和53年3月20日佐渡汽船のおけさ丸三人の最後の息子を父が一緒に東京の中野まで送ってくれた子煩悩な父。 あれから四十余年が過ぎ関東の醤油に慣らされてしまって…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
子供の成長は早いすくすくご飯たらふく父と母はまるで餌付けの如く旨いものをこしらえてくれた。 新しい年を迎える前古くなったセーターを解いて毛糸の玉をつくる。型紙…
古い本に出ているとろろ飯のこと余りにも旨いのでご飯が進むのでこれを飯やる(いいやる)にかけてことづて汁といった。とろろとは確かにとろーりとしているのでとろろか…
牡蠣シーズン到来。最近特に地元北海道でも都内でもそうであるが仙鳳趾(せんぽうし)産の牡蠣が献立にのっている。 今までは北海道の厚岸産が最高に旨いと言われていた…
我が家は家族五人と猫が一匹四面のこたつだから飼い猫のシロは別席確保床の間を背にするのは父台所に近い廊下側は母だから後の二面にどんな風に座ったかは記憶にないがま…
山口タカ 氏大分県佐伯市出身や組代表 クリエイティブディレクター(編集制作/マッチングコンサル)オーガニックアウトドア食育をテーマに活動。 1997年に日本初…
またしても白河らーめんのとら食堂はお休みだった。これで三度目の空振り電話して確認すればいいのに食い気あったかい愛情それが欲しくて向かってしまった。 いつもはた…
師匠の本はこの歳になっても全てがお手本でとても勉強になる仕事のうえでバイブルである。 人間の社会が生きるのに必要なモノを手に入れるために暮らした社会から伝承す…
父が生前こんなことを言っていた。 世の中の人の判断基準は正しいか間違っているかという単純なものでなく結果として好きか嫌いかで判断されていることが実に多いという…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
今でも佐渡島の母の荷物は新聞紙で包んだ野菜やニロイモが届く。 昭和の頃の新聞紙は今のようなぺらっぺらでなく少し分厚い紙質であった。畳替えの時の下敷き祭りのご馳…
2011年の東日本大震災から10年まだまだ本来の意味の復興も道半ばであることは事実である。 私の貿易における先輩から一報が入った彼は大分出身で横浜の絹貿易会社…
大吉招福暦が残り二枚早かったなー。 この暦をピンでとめて今年が始まった確実に私の周辺は変わったたぶんそんな年周りになった。 大器晩成と言われ晩成は?という質問…
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2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…