2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
佐渡島の岩海苔は旨かったー。 母がいうには村で岩海苔を摘んで粗ってぱらぱらと庭先にザルに広げて陽に干すフルボシという方法で乾燥させるひとがほとんどこのフルボシ…
(画像はお借りしました)PGA公式ゴルフツァーZOZOチャンピオンシップは第一回はタイガー・ウッズが優勝そして三回目となる日本開催はご承知の通り我が日本のマス…
(あるプランナーのつぶやき) 新潟の港を離れてわずか60分で佐渡島の表玄関というべき両津の港に高速船は接岸した。 大きな荷物を持った大柄な人たちが船から降りて…
(がんがんみ)を持ってきて! がんがんみとは納屋に2つ舟小屋に2つ風呂焚き場に1ついたるところにあった。 それだけ暮らしには必要なもの。 なんてこたない一斗缶…
図鑑や市場ではウマズラハギというのが通り名佐渡島ではいや我が家ではコウグリと呼ぶ何でかは定かでない。本カワハギよりは味は劣るいやいややはり新鮮な奴は肝醤油で食…
炊き合わせ含め煮彩りと旬の素材の味出汁の味春は淡い色合い季節の香味ふくめてまだ春早いので煮物が美味しい季節。佐渡島は昔から出汁はトビ(焼きトビウオ)と相場は決…
前菜を楽しむ食文化は豊かな食文化だと思う。前菜の注文の仕方は世界中同じのようだ。もし初めての土地ならここでは何が美味しいですか?と注文をし初めての店でもここは…
鹿児島の旧島津邸の紅梅白梅が開花しメジロが細い枝を行き来する季節到来春だねー。 梅に鶯かと思えば花札に描かれているのは鶯ではなくメジロである。 鶯という鳥はさ…
あんな小さいの?札幌を訪れた人は一様にそう感じてしまう札幌農学校の時計台。日本の食文化は戦後に占領されたアメリカの援助を受けて急激に洋風化したが明治に一度洋風…
あんなものどこが旨いのか?きもわるい! 南の島ではあのきもわるいアメフラシまで珍味とされるんだからなまこなんて可愛いものだ。日本人が大好きなタコ悪魔のつかいと…
なめ味噌という類のものは地方には数多く散見される。 かくゆう佐渡にもそんな味噌があるらしく大豆、大豆煮汁麦、米麹、塩で醗酵させるという私は一度も口にしたことが…
心霊写真ではないこれでも植物である10年以上も大切に育てている。 あったかくなれば外におくがやっぱり寒いと枯れてしまう12月頃家の中にいれた毎朝こうして蒸気の…
英語でinnovationは動詞のinnovateで革新する刷新すると辞書に出ている。 昨今なにかとうとイノベーション流行りである。 なんとも日本人らしい名詞…
しばらく帰省する機会もすっかり少なくなった。 主のいなくなった舟小屋すっかりほこりをかぶって魚突きのヤスも錆びついて箱眼鏡も木の舟にのったままなんだろう。定年…
そんな言葉を知っている世代すっかり減ってしまってメディアに時より流れるアナウンスくらいしか残ってないのかも知れない。 ひとが常食とする五つの大事な穀物たくさん…
ニシンサヨリイカナゴサワラ(鰆)春トビヤマメ各地には春を告げる魚はいろいろある目春と書いてメバルもその一つ。イワクインネンコジライレキ春を告げるということはた…
冬になっていままでベランダにいたやつらが部屋を占領しジャングルのようになっている。 シェフレラトライアンギュラスポリシャスクルシア・ロゼアミルクブッシュ黒法師…
名字帯刀が許されない江戸時代の庶民人口が増えて誰が誰なのかわからないこれを分かるようにしたのが屋号であるとざっくりはそんないきさつ。 歌舞伎の世界で役者の名前…
久しぶりに晴れたー小学校四年の冬休み明けー。 その年は雪も多く岩海苔の質はいいとのことすでに何度か海苔の口明けといって一家二人限定で日時を決めての海苔摘みがあ…
大河ドラマで(鎌倉殿の13人)が始まった。 まだまだ鎌倉の地におけるストーリー展開ではない。 以前勤めていた葉山の料理屋に亀の前というオリジナルの酒があったこ…
五黄土星の私が特に留意している期間。春夏秋冬の四期に土用の期間がある。土公神が鎮座され土用殺とも言われて1年中で最も運気を左右する大切で重大な期間軽々しく考え…
立春が近づく春が来るぞーいやまだ寒い春とは名ばかり。 17年間も鬼の平蔵を演じた中村吉右衛門さんが亡くなった好きだったなー鬼平犯科帳。 五鉄という軍鶏鍋いつも…
少しだけ料理の世界の話。 割主烹従(かっしゅほうじゅう)この四文字を短縮して割烹という。 材料を切り割いて生で食べる料理が主煮たり焼いたり火を使う料理が従であ…
ごんぼとは大阪弁でいうところ牛蒡である。何故か父はごんぼと言っていたたぶん佐渡弁ではない。 京都や関西での言葉は日本海側では北回り船の影響で各地にその名残があ…
小正月を迎える。 今年はわが郷里佐渡島雪が多いその分母は岩海苔がいい味になっている。たぶん今週末猫印が運んでくる。 一番摘み二番摘みを終えた岩海苔の後うっすら…
1992年7月老舗らしい和菓子屋が開店した。 開店までの道のりを記す。 (和菓子屋やりたいなー!)ということはやれと言うこと!バブル崩壊がうわさされた年である…
白バイ貝越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 端午の節供の頃から七夕の節供までの梅雨の期間産卵期で味は落ちると言われる。深い海に…
平安時代の書物に和佐比と記されているのは日本の薬味の代表格も山葵のこと。古い時代から宮中やお殿様への献上品として使用されていたのである。 滾々と湧き出る神秘な…
活性炭触媒に よるポ リエチ レンの分解そんな研究レポートが1985年に日本化学会誌に掲載されている。1998年平成10年のことである。 なんでかわからないが…
今年のお節料理は年寄りの知恵熱で元旦にへろへろになりこしらえたので集中力の欠如で納得のゆくお節ではなかったが鯛の昆布締めは上々の出来だった。そりゃそうだ初夏に…
発酵は第何次ブームだろうそんなテーマを書くこと自体少しだけ恥ずかしい。 コロナ禍でテヅクリアンシンアンゼン発酵の食生活の復権である。2012年NHK(今日の料…
昭和33年1月9日すぐ上の次男の兄貴の64回目の誕生日だ。私が元旦生まれ兄二人は12月と1月農作業を終えた冬に産むなんて計画出産だったようだ。 お腹をせり出し…
雪の多い年の岩海苔は質と量がとっても良い。海の岩に生える海苔が何故か雪の年はよく採れる。 どんな具合なのか専門家じゃないのでわからない。 確かに雪のない年の海…
(^^♪お腹のおおきな王子様♬なんて可愛いもんじゃない知らず知らずのうちにお腹がぽっこりせりだし最近特にみっともない。 都会の人は本当に雪に弱い。 雪国の人は…
昭和の頃正月過ぎても大雪。 正月七日は七草粥といっても七草なんて摘んでこれるような草なんて雪に覆われ見えない。我が家は二草粥それも草は小川が流れ雪がとけたとこ…
英語でtableにあたる言葉はフランスでもtableでイタリアでもtavolaである。いずれも(食卓)の意味。 英語のdeskにあたる言葉は少しずつ異なるよう…
旧暦とはわずか29年間しか使われなかった天保暦が基本となっているが江戸と京都で微妙に違いがあり一年間の中で一日ずれが生じるそれを計算して記述する. 今でも伝統…
何十年ぶりに紅白を見た。熱があったせいかぼんやり久しぶりに映し出される色合いもきれいだった植物好きな私は歌でなく背景に装飾された色とりどりの色合いを楽しんでい…
もう4日になりました令和4年2022年62歳。 大晦日のの夕刻から体調を崩しました。 南熱海にどうしてもお節料理を届けるためちょっとだけ無理して寒い台所にいた…
謹賀新年 2022年 令和4年元旦 寅年佐渡島の海府では女性への呼称は一般的には(ねしょ)子供は(ねしょんこ)少し乱暴にいうと(ねしょろも)既婚者は(あねさん…
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2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…