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2020/12/27

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  • AIプラットフォームを握る者が世界を握る#03

    「いま僕らが立ち会っているのは、核による世界制覇ではなく、AIによる世界制覇です」と、前述しました。 じつは、その世界制覇は「心のあり方」にも覆いかぶさります。 力だけではない、心です。 計算装置を「どこで」「誰が」動かすかというハードウェアの問題は、そのAIが「どのような社会観・価値観に基づいて」意思決定を行うかというソフトウェアの問題と直結しています。AIの倫理的中枢・・いわば「判断の型」が、物理的なインフラ選択と密接に絡んでいるのです。 言い換えれば、僕たちはこれまで人類の拡張器官として、「手(道具)」「足(交通)」「羽(飛行・通信)」を発明してきました。これを「産業革命」と

  • AIプラットフォームを握る者が世界を握る#02

    このニュースから見えるのは、その背後に、技術供給の問題を超えて、国家安全保障、情報主権、産業政策、さらには価値観の衝突にまで関わる、極めて広範な課題が横たわっていることです。 なぜなら、AI演算資源の地政学的立ち位置は、21世紀における情報主権・産業主導権・思想的影響力をめぐる新たな戦場となっているからです。 「誰がチップを作り、誰がモデルを訓練し、誰がデータを支配するのか」。この構図は、今後の国際秩序の再編を左右する重大な要素となっています。 OpenAIがGoogleのTPUに接近したという話も、こうした文脈の中で理解するべきなのです。 Taiwan has upped

  • AIプラットフォームを握る者が世界を握る#01

    OpenAIがNVIDIA製のGPUだけでなく、Google製のTPUを利用することになったというニュースが報じられました。 https://www.reuters.com/business/openai-turns-googles-ai-chips-power-its-products-information-reports-2025-06-27/?utm_source=chatgpt.com GPU(Graphics Processing Unit)は、本来は3Dグラフィックスや画像処理のために設計された装置ですが、数千もの演算ユニット(CUDAコア)を同時に動かせる構造を持っ

  • ガロ=ロマン03/ローヌ川ワインと歴史紀行#28

    こうしたゲルマン的支配がガリアにもたらした最も根本的な変化は、都市ではなく農村における支配様式の転換であった。ローマ世界では「土地の私的所有(dominium)」と「文書契約に基づく耕作」が支配の基本原理であったが、ゲルマン支配下では「従属と庇護(commendatio)」という人身的関係が土地の支配構造を規定するようになる。土地は契約ではなく、血縁や忠誠関係によって継承され、権原の根拠も法文書ではなく共同体の記憶に依存した。 実際、ゲルマン社会には成文法や公証契約の伝統は存在せず、代わって口承による慣習が法的効力を持っていた。ローヌ川流域においても、司教座の周囲ではラテン語文書が辛う

  • ガロ=ロマン02/ローヌ川ワインと歴史紀行#27

    しかしながら、すでに実質的にローマ世界を担っていた彼らに、国のご都合で「市民」という名がついたにしかすぎない。 カラカラ帝のアントニヌス勅令(212年)は、法的に全属州自由民にローマ市民権を付与する画期的な通達であったが、属州ガリアの社会においては、すでに長らく「帝国の内なる市民」としての実態が存在していた。ローマ帝国の制度と文化は、もはやローマ本体から一方的に注ぎ込まれるものではなく、むしろガロ=ローマ人自身を通じて地方社会に深く根づいていたのである。 実際、ケルト系の旧貴族の中には、ラテン語教育を受け、ローマ式の三名法(トリア・ノミナ)を名乗り、ローマ法に精通したうえで、都市評議

  • ガロ=ロマン/ローヌ川ワインと歴史紀行#26

    古今東西、「交易」が物の移動だけで完結することはない。 定住する者が現れれば、やがて家庭を持つようになる。なぜなら、交易に従事する者のほとんどは男たちだったからである。マッセリアやエーグ=モルト、アルルといったローヌ川沿いの港町には、次第に異邦人居住区が形成され、そこに定住した男たちの伴侶となったのは、土地のガリア人女性たちだった。 こうして、地中海世界からやってきた父と、ガリア出身の母をもつ混血の子どもたちが、紀元前数世紀にわたり川辺の町々で生まれ育っていった。彼らは、父の言語、母の習慣、両者の宗教観、食生活、労働形態を融合させ、成長とともに独自の文化的混合体を形成したのである。こ

  • リヨンからジュネーブまで遡る05/ローヌ川ワインと歴史紀行#25

    窓から見つめていると、ローヌ川の姿は消えた。川はまず北西に向かい、町の外縁を抱きかかえるように迂回しながら、西へ転じていくのだ。森と住宅街が視界を遮り、熟練のドライバーの案内がなければ、ここが国境を越えたことすら気づかないかもしれない。道路の舗装がフランスとスイスで変わるわけでもない。ただ、ごく小さな検問所と、国旗の色が示すだけだ。 スタ=ジュリアン=アン=ジュヌヴォワ(Saint-Julien-en-Genevois)をかすめて進むと、徐々に都市の空気が混じりはじめる。前方の空がひらけ、路面電車の架線が頭上を横切る。川が再び現れたのは、ジュネーブ市街に入る直前、プレランス(Prail

  • リヨンからジュネーブまで遡る04/ローヌ川ワインと歴史紀行#24

    たしかに、ベルガルドには「Genissiat(ジュニシア)」と呼ばれるフランス初の大規模ダムがある。1948年に完成したこの重力式コンクリートダムは、戦後の混乱のさなか、国家の復興を象徴するインフラとして建設された。戦車のような躯体がローヌの流れを封じ込め、人工の湖が谷を埋め尽くしたとき、それは一つの文明が、自然に対して定義を与え直した瞬間だ。 水を塞き止めるということは、時間を蓄えるということでもある。ローヌの水は、もはや単なる流れではない。それはタービンを回し、送電線を介してパリやリヨンへと変換されていくエネルギーの塊だ。ここには、かつての水神や精霊の居場所はない。あるのは計算され

  • リヨンからジュネーブまで遡る03/ローヌ川ワインと歴史紀行#23

    街を過ぎると、ローヌは岩の谷に入り込み、流れは細く、力強くなる。ここから下流にかけての区間では、20世紀初頭から始まった一連の水力発電事業が、川の性格を大きく変えていった。特に1950年代以降の「コンビナ・ナショナル・デュ・ローヌ(CNR)」による治水・発電・航行整備の三位一体化政策は、この地を工学的に再編成していった。セイセル近郊にも小規模なダムと閘門(ロック)が設けられ、かつての自然流路は部分的に水路として再構築されている。 「この下に、かつての川筋が眠っているんですよ」 後部座席から僕がぽつりと声をかけると、ショファーは一瞬だけルームミラー越しに視線をよこした。だが、頷いただけで

  • リヨンからジュネーブまで遡る02/ローヌ川ワインと歴史紀行#22

    土曜日、ホテルの前に彼のベントレーが停まった。 ショファーは中年の、髭の混じった男だった。何度か顔を合わせたことがあるので、僕がフロントから出ると、無言のままドアを開けてくれた。 「お時間は自由にと伺っております。最終地点はジュネーブのホテルでよろしいですか?」 「はい。Four Seasons Hotel Genevaです」 「かしこまりました。レマン湖の畔ですね」 走り出したベントレーのキャビンは静かだった。電動サスペンションがD1084号線のわずかな起伏さえ吸収し、走行音はほとんど外へ逃げていく。 ショファーは、いつもどおり無口だった。車内で彼と言葉を交わすことはない。それがむし

  • リヨンからジュネーブまで遡る01/ローヌ川ワインと歴史紀行#21

    かつて「ルグドゥヌム」と呼ばれた町、リヨンは、ローヌとソーヌの合流点に身を置き、古代にはガリア三州の行政の中心地だった。 僕がこの町に降り立つのは、たいてい仕事のためだ。パールデュー駅のプラットフォームが、その訪問の起点となる。TGVがひっきりなしに発着するガラス張りのターミナル。Rue de la Villetteを抜けて、Rue Garibaldi方面へ向かうと、そこはリヨン第3区──この街の金融の心臓部だ。 象徴的なのは、Tour Incity。地上200メートルを超えるこのガラスの塔は、「地方都市リヨン」という言葉から連想される牧歌的なイメージを鋭く打ち砕く。その周囲には、保険

  • 五輪城址現象を憂う#02

    構想段階(2013〜2016)から、ちょいと追ってみよう。 2013年、東京がオリンピック開催都市に選ばれた時点で、晴海五丁目の再開発はすでに東京都の都市整備構想に組み込まれていた。このエリアは都の所有地であり、大会後には住宅地として整備・転用することが初期からの前提条件とされていた。 都はこれを「持続可能な都市モデル」と位置づけ、「子育て世帯中心の定住型コミュニティの創出」や「環境・防災性能の高い住宅インフラの導入」を掲げ、五輪レガシーを住宅政策に活かす意図を明示していた。 そして2016年。百合子ちゃんの知事就任直後、晴海五丁目西地区に関する用地処分と開発事業者の選定が行われた

  • 五輪城址現象を憂う#01

    晴海通りを走るバスに乗りながらつらつら考えた。 「五輪城址現象」は勝ちどきまで及ぶのか? 伊藤忠に管理者が替わった駅前のビルに中国人相手のマーケットが入り、ここが驚くほど混みあっている。見ていると‥住民なのか?遠方から来たのか?わからない・・どう考えてもABあたりに住んでいる連中が跋扈してるのだ。 んんんん。発信源は五輪城址なのか?そう思った。 五輪城址は「五輪レガシーの象徴住宅地」として、一時は東京都から大いにプロパガンダされたが、結局はご本尊の供給政策についての不見識が無様に露呈し、なおかつそれに市場環境の過熱、対策の遅れが重なったことで、本来の住宅政策的な目標から逸脱する結果と

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