chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
leetorinnote
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/12/06

arrow_drop_down
  • 東京公園巡り 洗足池公園(改訂版)

    東京公園巡り洗足池公園洗足池公園(せんぞくいけこうえん)は、東京都大田区南千束にある公園です。公園内にある洗足池は、北千束の清水窪湧水などを主な水源とする都内屈指の広さを有する淡水池です。東京都指定名勝洗足池公園所在地大田区南千束二丁目1番四号外五三筆指定平成三一年三月一五日区立洗足池公園は、清水窪湧水などを主な水源とする淡水池の佳景で古くからよく知られています。「洗足」の名は日蓮聖人が手足を洗ったという伝承にちなむと言われています。江戸時代には数多くの文芸作品や絵画作品に取り上げられ、浮世絵師・歌川広重が描いた「名所江戸百景・千束の池袈裟懸松」はことに有名です。明治二三頃には、晩年の勝海舟が東岸に別荘「洗足軒」を築き、後に夫婦の墓地も造られました。公園近くの国登録有形文化財「旧清明文庫」は、昭和初期に海...東京公園巡り洗足池公園(改訂版)

  • 東京史跡巡り 聖路加ガーデン

    東京名所巡り聖路加ガーデン(せいるかガーデン)東京都中央区明石町にある2棟(聖路加タワー/聖路加レジデンス)の超高層ビルからなる複合施設です。所在地東京都中央区明石町8-1最後に対岸を歩いている際、カッコイイビルだなぁ、と思い撮影。ちなみに、こちらの聖路加ガーデンも「3月のライオン」で背景で登場していました。そう、自分、ずっと聖路加を「せいろか」と呼んでいたのですが…聖路加の正式な読み方は「せいるか」だったことを、今日知りました。恥ずかし💦東京史跡巡り聖路加ガーデン

  • 東京橋巡り 築地大橋

    東京橋巡り築地大橋(つきじおおはし)築地大橋は、東京都中央区にある隅田川に架かる橋です。東京都市計画道路幹線街路環状第2号線を通しています。隅田川でもっとも下流に位置する橋で、平成30年(2018)に開通しました。所在地東京都中央区築地5丁目ー勝どき5丁目最後に鋼3径間連続中路式アーチ橋、築地大橋。徒歩で渡ったのですが、私以外の人影は見当たらず、貸切状態でした。遠くを見渡すと、浜離宮の向こうに東京タワーが見えて、テンションが上がったのを思い出します。「つきじおおはし」の揮毫は、舛添要一前都知事です。東京橋巡り築地大橋

  • 東京橋巡り 勝鬨橋

    東京橋巡り勝鬨橋(かちどきばし)勝鬨橋は、東京都中央区にある隅田川に架かる橋です。東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線を通しています。昭和15年(1940)に竣工しました。日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)ですが、隅田川を航行する船の減少、交通量の増加などによって、昭和45年11月29日の開閉を最後に、現在では開かずの橋となっています。所在地東京都中央区築地6丁目ー勝どき1丁目最後に勝鬨橋。姿がかっこいいよく、何度も撮影したことを思い出します。その勝鬨橋、中央が開閉するのですが、現在は、開かずの橋となっています。再び跳開させようとの運動があるようですが、機械部等の復旧に莫大な費用(試算では約10億円)がかかることや多数の道路交通量があることから、実現のめどは立っていません。跳開する姿を見てみたいもの...東京橋巡り勝鬨橋

  • 東京川巡り 月島川

    東京川巡り月島川月島川は、東京都中央区に流れる川です。隅田川から月島川水門を経て分流し朝潮運河へと注ぐ小さな川です。所在地東京都中央区月島3丁目最後に水門は、流水を制御するとともに高水時には、堤防としての機能をもちます。東日本大震災では、水門操作に駆け付けた消防団員の方々が、津波を防ごうと駆けつけて犠牲になられたそうです。そのため、自動閉鎖式とするシステムが導入されてきているそうです。これ以上犠牲者が出ないよう、このシステムが全国の水門に導入されることを願います。東京川巡り月島川

  • 東京橋巡り 佃大橋

    東京橋巡り佃大橋(つくだおおはし)佃大橋は、隅田川に架かる橋です。東京都道473号新富晴海線を通しています。上流にある永代橋、下流にある勝鬨橋の交通量の増加、および1964年東京オリンピック開催に備えた関連道路の一部として、昭和39年隅田川に架橋された橋です。所在地東京都中央区佃1丁目・月島1丁目ー中央区湊3丁目最後に戦後初めて隅田川に架橋された橋、佃大橋。正直、シンプルすぎて、あまり記憶に残っていません😅東京橋巡り佃大橋

  • 東京橋巡り 佃小橋

    東京橋巡り佃小橋(つくだこばし)佃小橋は、佃川支川に架かる橋です。昭和59年(1984)に竣工されました。所在地東京都中央区佃1丁目最後に朱塗りの欄干の柱の上には、擬宝珠が施されています。外観が和風なので、昔からある橋だと思いましたが、意外に昭和59年に架橋されたもの。最近の橋は、シンプルな物が多い中、昔ならではのデザインの物は、嬉しいです。「佃小橋」赤くて可愛い橋で、テンションが上がったことを思い出します。その際、どっかで見たことがあるような、と思いながら撮影したのですが、それもそのはず、この橋も「3月のライオン」で度々登場していました。3月のライオン2(ジェッツコミックス)羽海野チカ白泉社 知らず知らずに、3月のライオンの聖地巡りをしていたのね。東京橋巡り佃小橋

  • 東京史跡巡り 石川島灯台

    東京史跡巡り石川島灯台石川島の灯台は、慶応2年(1866)、石川島人足寄場奉行清水純畸が、隅田川河口、品川沖を航行する船の安全ために常夜灯を築かせたものです。現在、中央区立佃公園の一角に石川島灯台を復元したものが建っています。所在地東京都中央区佃1丁目11-4最後に月島散策の際見つけた建物。何だか、立派な建物だが、何の建物だろうと撮影したのですが、灯台の復元だったのですね。今の灯台に比べると低い建物で本当に役に立っていたのか?、と疑問に思いましたが、江戸時代、佃島は今より小さく、周りは全て海。そう考えると、十分な高さだったのでしょう。東京史跡巡り石川島灯台

  • 東京橋巡り 中央大橋

    東京橋巡り中央大橋(ちゅうおうおおはし)中央大橋は、隅田川に架かる橋です。東京都道463号上野月島線中央大橋支線を通しています。平成6年(1994)に開通しました。所在地東京都中央区新川2丁目ー中央区佃1丁目最後に月島散策の際、この橋、どっかで見たことがある~、ってテンション上がり気味で撮影したのですが、その時は、何処で見たのか思い出せず⁇後日「3月のライオン」で度々登場していたことを思い出しました。3月のライオン1(ジェッツコミックス)羽海野チカ白泉社 バッチリ、1巻の表紙に出ていたよ〜。「3月のライオン」の聖地ですね。構造は、二径間連続鋼斜張橋で、フランスのデザイン会社の設計だそうです。主塔および欄干部分に日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が施されているそうです。言われてみれば、兜っぽいような。東京橋巡り中央大橋

  • 東京橋巡り 相生橋

    東京橋巡り相生橋(あいおいばし)相生橋は、隅田川派川に架かる橋です。東京都道463号上野月島線を通しています。現在の橋は、昭和63年(1988)に着工し、平成11年(1999)に全通しました。所在地東京都中央区佃ー江東区越中島最後に写真整理をしていて出てきたこの写真。好みの橋なのに…いったいどこの橋なのか?さっぱり思い出せず。地図を見てやっと思い出しました😅改めて地図を眺めると、相生橋の周りには、明治丸など、面白そうな場所がいっぱいあったのに行かなかったことに後悔です。東京橋巡り相生橋

  • 東京橋巡り 大師橋

    東京橋巡り大師橋(だいしばし)大師橋は、多摩川に架かる橋で、東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線を通しています。現在の橋は、平成18年(2006)に架け替えられたものです。所在地東京都大田区羽田2丁目・本羽田3丁目ー神奈川県川崎市川崎区殿町1丁目・大師河原1丁目最後に中央の両側に建てた二つの塔から左右に7本ずつ、計28本で橋桁を吊る斜張橋である、大師橋。この細いケーブルで、橋桁を支えているとは、現代の技術に驚きです。しかし、かっこいい橋ですね。東京橋巡り大師橋

  • 東京史跡巡り 品川宿

    東京史跡巡り品川宿(しながわしゅく)品川宿は、東海道五十三次の宿場の一つで、東海道の第一宿です。西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わっていました。「東海道品川宿」「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の五十三の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」として栄え宿内の家屋は一六〇〇軒、人口七〇〇〇人規模で賑わっていた。今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。階段石垣の名残江戸時代の東海道は、品川宿に入ると海に近くなり、宿場通りから海岸通りの方へ行く横丁は、全て坂になっていました。昔の海岸線には護岸のための石垣が築かれていました。江戸時代には、ときどき波浪によってこの石...東京史跡巡り品川宿

  • 東京橋巡り 中川橋

    東京橋巡り中川橋(なかがわはし)中川橋は、中川に架かる橋です。東京都の都市計画道路補助第136号線を通しています。所在地東京都葛飾区亀有2丁目・3丁目ー東京都葛飾区新宿2丁目最後に中川橋。渡った記憶はあるのですが…川岸が緑豊かだなぁ、と言う印象しか残っておらず、コメントできません💦すみません。東京橋巡り中川橋

  • 東京史跡巡り 一里塚跡・亀有

    東京史跡巡り一里塚跡(いちりづかあと)亀有慶長9年(1604)2月、徳川家康は江戸日本橋を起点として全国の主要街道の一里毎に、榎を植えた塚を築かせ、街道の道程の目安としました。一里塚跡所在地葛飾区亀有三丁目12番地先葛飾区亀有一丁目28番地先一里塚は、江戸日本橋を起点に、一里(約4㎞)ごとに設けられました。塚は道路の両側に設置され、榎などが植えられました。榎は根を深く広げることから、塚の崩壊を防ぐ役割があったようです。一里塚の起源については諸説ありますが、現在では一里塚といえば、慶長9年(1604)に設置が命じられた江戸時代のものをさします。亀有の一里塚は、千住宿から一里、江戸日本橋からは三里のところに位置します。現在ではその様子を伺うことはできませんが、明治の末頃までは塚の跡が残っていたようです。塚の位...東京史跡巡り一里塚跡・亀有

  • 東京川巡り 石神井用水

    東京川巡り石神井用水(しゃくじいようすい)石神井川の水を王子神社と南の飛鳥山で間でせき止め、東へ流した用水です。別名王子川、音無川と言います。所在地東京都最後に以前、音無橋辺りから、石神井川沿岸をテクテクと散歩してみたのですが、舗装され歩きやすく、また紅葉が美しかった事を思い出します。また沿岸には、木々が癒しを与えてくれるさくら緑地や、川のそばまで行くことができるもみじ緑地などあり、飽きることなく散策できました。東京川巡り石神井用水

  • 東京橋巡り 音無橋

    東京橋巡り音無橋 (おとなしばし)東京都北区にある石神井川に架かる橋です。昭和5年(1930)に竣工され、1988年に改修されました。所在地東京都王子本町1丁目ー北区滝野川2丁目最後に長さ約50m、3径間鉄筋コンクリート固定アーチ橋です。欄干は桜の図柄で可愛いく、街頭もレトロで橋に合っています。見れば見るほど、美しいデザインの橋です。鉄筋コンクリートがこのように優美になるとは、もっと色々な角度から見ておけば良かったとちょっと後悔しています。東京橋巡り音無橋

  • 東京公園巡り 北区立音無もみじ緑地

    東京公園巡り北区立音無もみじ緑地すり鉢状の護岸構造のため川岸近くまで降りることができます。所在地東京都北区滝野川4丁目2最後にこの辺りは、滝野川と呼ばれ、さらに下流になると音無川と呼ばれていました。また、崖下の岩屋の中には、弘法大師の作と伝えられる弁財天像がまつられていましたが、像を納めていた岩屋は、石神井川の護岸工事によりその姿を消してしまいました。人々の暮らしを守るためには、護岸工事は必要なこととは思いますが、美しい景色が失われたことは残念に思えます。東京公園巡り北区立音無もみじ緑地

  • 東京公園巡り 北区立音無さくら緑地

    東京公園巡り北区立音無さくら緑地石神井川の旧川を利用して作られたのが音無さくら緑地です。所在地東京都北区王子本町1丁目6-14最後に緑地には木々が多く、また吊り橋があったりと、なかなか面白い緑地でした。秋に訪れたので、木々が寂しい感じでしたが、名前にさくらとあるので、春には美しい緑地になるのでは?と想像しながら緑地を後にしました。東京公園巡り北区立音無さくら緑地

  • 東京公園巡り 音無親水公園

    東京公園巡り音無親水公園音無親水公園は、小平市の東部を源にして隅田川に注ぐ石神井川の旧流路に整備された公園です。音無親水公園音無川のこのあたりは、古くから名所として知られていました。江戸時代の天保七年に完成した「江戸名所図会」や、嘉永五年の近吾堂板江戸切絵図、また、安藤広重による錦絵など多くの資料に弁天の滝、不動の滝、石堰から落ちる王子の大滝などが見られ、広く親しまれていたことがわかります。「江戸名所花暦」「遊歴雑記」などには、一歩ごとにながめがかわり、投網や釣りなどもできれば泳ぐこともできる、夕焼けがひときわ見事で川の水でたてた茶はおいしいと書かれており、江戸幕府による地誌、「新編武蔵風土記稿」には、このあたりの高台からの眺めについて、飛鳥山が手にとるように見え、眼下には音無川が勢いよく流れ、石堰にあた...東京公園巡り音無親水公園

  • 京都散策日記 賀茂別雷神社・賀茂御祖神社・旧三井家下鴨別邸

    ご訪問ありがとうございます。関東から関西へ、移住してから、もうすぐ2年になろうとしています。移住して何の不自由もなかったのですが、しかし、ある禁断症状が…それは、ポポラマーマの生パスタが食べた〜い😭ワイの一家では、外食でパスタを食する時は、ポポラマーマと決まっていました。あの、もっちりとした食感。思い出しただけでヨダレが〜。あ〜食べたい〜。そこで店舗の検索をしてみると.あったよ🤭洛北阪急スクエアにある、ポポラマーマ洛北店。地図を見てみると、あれ?以前から行ってみたかった、下賀茂神社の側じゃん。これは、うちからかなり遠いが、これは行くっきゃない。、というわけで、家族と共に行ってまいりました。まずは、上賀茂神社へ。賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)賀茂別雷神社は、京都市北...京都散策日記賀茂別雷神社・賀茂御祖神社・旧三井家下鴨別邸

  • 東京公園巡り 飛鳥山公園

    東京公園巡り飛鳥山公園(あすかやまこうえん)飛鳥山公園は、東京都北区にある区立公園です。江戸時代享保年間に行楽地として整備され、明治6年(1873)に日本最初の公園の一つに指定されました。東京都内の桜の名所の一つです。所在地東京都北区王子1丁目1-3最後に桜の名所ということですが。私が訪れたのは秋。ご覧の通り、桜は葉を落とし、枝のみとなったおりました。沢山の桜の木々。桜のシーズンには、さぞかし美しいことでしょう。(訪れる時期を間違ってしまったなぁ)駅に近い場所とは思えぬほど、緑豊かな公園でした。東京公園巡り飛鳥山公園

  • 東京川巡り 北十間川

    東京川巡り北十間川(きたじゅっけんがわ)北十間川は、東京都を流れる運河です。墨田区の中央部を旧中川から隅田川まで横断している総延長3.24kmの川です。本所の「北」を流れる、川幅が「十間」の川であることから北十間川と呼ばれるようになりました。明暦の大火後に本所開発の一環として、寛文3年(1663)に農業用水のため開削されました。所在地東京都墨田区最後に東京スカイツリーに隣接されていることから、周辺の再開発に合わせて、親水テラスや船着場などの水辺空間が整備されています。河岸が綺麗に整備されていて、散策しやすい場所でした。参考Wikipedia東京都建設局HP東京川巡り北十間川

  • 東京川巡り 横十間川

    東京川巡り横十間川(よこじゅっけんがわ)横十間川は、東京都墨田区・江東区を流れる運河で、北十間川から大横川までの全長3・66㎞の河川です。江戸城に対して横に流れ、川幅が十間(18m)あったことから横十間川と呼ばれるようになりました。別名、天神川、釜屋堀、横十間堀、横十間堀川とも呼ばれています。万治2年(1659)、徳山重政・山崎重政によって開削されました。所在地東京都墨田区・江東区最後に栗原橋とスカイツリー随分と真っ直ぐ流れる川だなぁ、と思っていましたが、調べてみますと、人工運河だったのですね。江戸時代となると、重機などありませんから、もちろん人力。昔の人々は、本当に屈強だったんだと改めて感じました。最近では、底質中のダイオキシン類が環境基準値を超える底質汚染があり、改善を検討しているそうです。昔のような...東京川巡り横十間川

  • 東京史跡巡り 梅屋敷跡

    東京史跡巡り梅屋敷跡かつてこの場所には、梅の名所、梅屋敷がありました。もとは本所埋掘(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵と称していましたが、庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。ここに残る石標柱は、江戸区創立10周年を記念して、建てられたものです。梅屋敷跡亀戸3-40、50~53付近梅屋敷は、江戸時代にはから続く梅の名所でした。もとは本所埋掘(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵と称していましたが、庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。なかでも「臥龍梅」と名付けられた一株が有名で、これはまるで龍が大地に横たわっているように見えるところから、水戸光圀が命名したと伝えられています。また、八代将軍徳川吉宗も鷹狩の帰りに...東京史跡巡り梅屋敷跡

  • 東京名所巡り 旧朝倉家住宅

    東京名所巡り旧朝倉家住宅(きゅうあさくらけじゅうたく)旧朝倉家住宅は、東京都渋谷区猿楽町にある重要文化財です。東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、大正8年に建てらた邸宅で、二階建ての建物内と回遊式庭園を見学することができます。建物の特徴建物の特徴旧朝倉家住宅は、木造2階建てで、ほぼ全室が畳敷き、屋根は瓦葺、外壁は下見板張、一部が漆喰塗りとなっています。明治時代から昭和30年頃までに建設された大きな邸宅の特徴を顕著にあらわしています。主屋は2階建ての大規模な建築です。1階南側に10畳の仏間、12畳の中の間(居間)、10畳の寝間(現在は一室の会議室に改造されています)、北側に納戸、女中部屋、事務室がそれぞれ並んでいます。2階は15畳、12畳半の二間続きの広間があります。主屋1階は家族...東京名所巡り旧朝倉家住宅

  • 東京名所巡り 下町風俗資料館

    博物館巡り下町風俗資料館(したまちふうぞくしりょうかん)下町風俗資料館は、東京都台東区上野公園内にある台東区立の博物館で、正式名称は、東京都台東区立下町風俗資料館付設展示場です。主に、江戸時代から昭和中期くらいの東京下町の文化的資料を展示しています。一階部分は、大正時代の下町の町並みを再現しています。駄菓子屋店先長屋路地長屋座敷2階部分は、生活道具や玩具などの展示のほか、昭和10~30年代の民家を再現しています。昭和の民家所在地東京都台東区上野桜木2丁目10ー6最後に写真撮影OKということで、たくさんの写真を撮らせていただきました。昭和の民家の再現には、レトロなTV(家にあったよ〜)や黒電話(あったあった)、柱時計(おじいちゃんちにあったよ〜)、懐かしさがこみ上げてくる展示物でした。現在、資料館は、令和5...東京名所巡り下町風俗資料館

  • 東京史跡巡り 曳舟川由来碑

    東京史跡巡り曳舟川由来碑墨田区内の曳舟川通りにある曳舟川由来を記した史跡です。曳舟川(ひきふねがわ)は、東京都葛飾区から墨田区にかけての川筋で、舟に人を乗せて曳いた一種の水上交通機関・曳舟に由来します。昭和4年の荒川放水路の開削による川筋の分断のため自動車道に改修されました。曳船川の由来曳船川は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、万治二年(1659年)に開削したものです。当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれ、瓦曽根(現越谷市)の溜井から分水して、亀有から四ツ木をへて本所と深川の各地に配水されたようです。その後、享保七年(1722年)に上水としては利用されなくなりましたが、川筋の脇を四ツ木街道が通り水戸街道に接続しているため、次第に重要な交通路として利用されるようになりました。この川が「曳舟川」と呼ばれ...東京史跡巡り曳舟川由来碑

  • 東京橋巡り 白鬚橋

    東京橋巡り白鬚橋(しらひげばし)白鬚橋は、隅田川に架かる橋です。東京都道306号王子千住夢の島線を通しています。所在地東京都荒川区南千住3丁目・台東区橋場2丁目ー東京都墨田区堤通1丁目・2丁目最後に創架は大正3年(1914)。近在の人々が資金を募り「白鬚橋株式会社」を設立し、大正2年に木橋を作りました。しかし、維持が難しくなり、大正14年(1925)に東京府が買い取りました。関東大震災の際、被害にあったわけではありませんが、東京都の都市計画事業により昭和6年(1931)、鉄橋に架け替えられました。名前の由来は、東岸にある「白鬚神社」に因みます。ゴツゴツとした親柱、ライトグレーの鉄骨、まさに男性的で。白鬚の名に相応しい姿です。この橋をデザインした方、ナイスです。東京橋巡り白鬚橋

  • 東京橋巡り 水神大橋

    東京橋巡り水神大橋(すいじんおおはし)水神大橋は、隅田川に架かる橋です。汐入公園、東白鬚公園等の防災拠点を繋ぐ連絡橋として千住汐入大橋とともに計画されました。所在地東京都荒川区南千住8丁目ー東京都墨田区堤通2丁目最後に名前の由来は、東岸にある「隅田川神社」に因みます。水色のアーチが優雅で美しく、水神という名にふさわしいフォルムです。(逆光で、橋の美しさが伝わらないのが残念〜)東京橋巡り水神大橋

  • 東京史跡巡り 隅田宿跡

    東京史跡巡り隅田宿跡隅田宿跡現在地墨田区堤通二丁目二番都立東白鬚公園当地は古東海道の渡河地で、平安時代の末頃には隅田宿が成立していたといわれています。隅田宿は治承四年(1180)に源頼朝が布陣したと伝わる宿で(「吾妻鏡」)、元来は江戸氏など中世武士団の軍事拠点であったと考えられています。遅くとも南北朝時代までには人と物が集まる都市的な場が形成されたようで、歌人藤原光俊が詠んだという十三世紀中期の歌には、多くの舟が停泊して賑わう様子が描かれています。(「夫木和歌抄」)また、室町時代成立の「義経記」には「墨田の渡り両所」と見え、隅田宿が対岸の石浜付近と一体性を有する宿であったらしいこともうかがえます。対岸との関係については今なお不明な点を多く残しますが、隅田川東岸部における宿の広がりについては、江戸時代に地誌...東京史跡巡り隅田宿跡

  • 東京公園巡り 東白鬚公園

    東京公園巡り東白鬚公園(ひがししらひげこうえん)東白鬚公園は、東京都墨田区堤通二丁目にある東京都立の公園です。墨田区の北端、隅田川に沿うように南北に細長い公園です。公園の東側には、高層住宅が並んでいます。もしも災害が起きた時は、避難広場となります。墨田区の北端、隅田川に沿うような南北に細長い公園で、緑とレクリエーションの場です。公園の東側には、13階建の高層住宅が並びます。公園と住宅、そしてリハビリ専門病院等をあわせ、この区域一帯は、江東デルタ地区の防災拠点。もし大地震や火災が起きた時には、公園は避難広場となります。開園年月日昭和61年6月1日施設小野球場兼競技場テニスコート所在地東京都墨田区堤通2丁目最後に隅田川に沿う南北に細長い公園、東白鬚公園。こちらの公園は、緑豊かなうえに、球場やテニスコートもあり...東京公園巡り東白鬚公園

  • 東京公園巡り 汐入公園

    東京公園巡り汐入公園(しおいりこうえん)南千住八丁目の白鬚西地区市街地再開発事業で整備され、平成18年(2006)4月に開園した都立公園です。複合遊具や芝生広場、バーベキューが出来る広場などがあります。所在地東京都荒川区南千住八丁目13番1号最後に明治末期から大正期にかけて大規模工場(現・ユニチカ、現・クラシエ)が進出していましたが、昭和46年~51年にかけて工場が移転すると、東京都が跡地を買収し、昭和63年から市街地再開発事業に着手しました。対岸の東白鬚公園とともに江東地区の防災拠点として計画され、防災上重要な役割を担っています。(臨時ヘリポート、非常用トイレ、備蓄倉庫、応急給水槽他)時間がなかったので公園内を散策しなかったのですが、大規模工場の跡地にできた公園とあって、広大でした。周りを歩くだけでもか...東京公園巡り汐入公園

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、leetorinnoteさんをフォローしませんか?

ハンドル名
leetorinnoteさん
ブログタイトル
リートリンの覚書
フォロー
リートリンの覚書

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用