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2020/08/07

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  • 110回目「大人は判ってくれない」(フランソワ・トリュフォー監督)

    ヌーヴェル・ヴァーグの旗手、フランソワ・トリュフォーの長編第一作。といっても「ヌーヴェル・ヴァーグ」がどういうものなのか、実はよく分かっていない。漠然とは分かる。「即興演出とか大胆な省略とかを用いて撮った当時としては革新的な映画の総称」くらいに認識している(間違っていたらスミマセン)。ただ、個々の映画を一括りに纏めて総称するのはナンセンスな気もするのである。ゴダールだろうがトリュフォーだろうが、良いものは良いし悪いものは悪い、と言える方が健全な気がする。 ゴダールの『勝手にしやがれ』も、監督の長編第一作で、フランス映画で、「ヌーヴェル・ヴァーグ」とされているが、当然内容は全然違う。『勝手にしや…

  • 109回目「パラレル・マザーズ」(ペドロ・アルモドバル監督)

    ペドロ・アルモドバル監督の映画は、話の設定を作るのが巧い。その設定さえあれば、どう転んでも面白くなるような設定を作る。中には「さすがにそれはないだろう」と思うような設定もある。しかし、そんな強引な設定でも不思議と作り手の都合を感じさせない。普通は「偶然が多すぎる」とか「展開が強引過ぎる」と思いそうな設定でも、なぜか納得してしまうのである。また、設定から派生したストーリーも練られており、複雑な話なのにストレスを感じることなく、映画の世界に引き込まれる。 そんなアルモドバル監督の新作『パラレル・マザーズ』を映画館で観た。 他のアルモドバル映画と同様、『パラレル・マザーズ』も最初の設定がもうすでに面…

  • 108回目「欲望」(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)

    なんとなくダラダラと見始めて、ちょっと退屈だなと思いつつも途中で鑑賞を止める事もなく、というか、切り上げるタイミングを見失い、結局ラストまで観た。ダラダラと見続けて気が付けば終わっていた。全体的に印象が薄い映画だった。ラストもモヤモヤとしまま終わった。そのモヤモヤの正体を突き止めてみようという積極的な意思も働かない。全体的に見ても部分的に見てもよく分からない映画で、「難解」というのとも少し違う、そういう意味では不思議な映画なのだけれども、その不思議さが魅力的に感じるかというと、それはそれでそうでもない、なんて、感想までも抽象的になってしまう。 自分の場合、こういう映画は通常最後まで観ずに途中で…

  • 107回目「最後の将軍~徳川慶喜~」(司馬遼太郎:文春文庫)

    坂本龍馬とか新選組が好きな人はけっこういるが、「徳川慶喜が好き」という人には出会ったことがない。よく耳にする「好きな歴史上の人物は?」といった質問に徳川慶喜を一番目に挙げる人は稀な気がする。日本を近代化に導いた立役者の一人であることは間違いないのに、なぜこうも不人気なのだろう?(自分の周りだけかもしれませんが…)やはり、戊辰戦争で幕府のために戦っている仲間を裏切って自分だけ逃げた将軍のイメージが強いからだろうか。しかし、それには慶喜なりの理由があって、…というのは、本書『最後の将軍』を読めばよく分かる。だから、ここでは説明しない。弱腰とか口だけとか無責任とか敵前逃亡とか色々言われているが、実は…

  • 106回目「草薙の剣」(橋本治:新潮文庫)

    10代から60代の6人の男が主人公。それぞれ年齢が高い順に「昭生」「豊生」「常生」「夢生」「凪生」「凡生」という名前が付けられている。彼ら6人のそれぞれの人生を、昭和から平成の終わりまでの歴史と同時に描かれる。令和は入っていない。 橋本治の『草薙の剣』を読んだ人は、恐らく皆、ある事に気づくと思う。それは、この6人の主人公以外は、全て固有名がないこと。「昭生の父」とか「豊男の養母」という扱いである。故に、6人の主人公から遠い関係性にあるもの程、助詞「の」が多くなる。「夢生の父方の祖父」なんて具合である。そして、主要6人以外の、固有名を持たない人間たちのドラマが、主要6人以上に緻密に書き込まれてい…

  • 105回目「ニック・オブ・タイム」(ジョン・バダム監督)

    ジョニー・デップが主演の映画。面白いけど突っ込みどころは沢山ある。映画内で流れる時間と実際の時間が同じ、というのがこの映画のセールス・ポイントらしい。その点に関しては「言われてみれば確かにそうだなぁ」くらいの感慨しかない。イニャリトゥ監督『バードマン~あるいは無知と言う名の偏見~』(←これは、監督名も正式タイトルも合っているか自信がない)とか、サム・メンデス監督の『19○○~命を懸けた伝令~』(←これも正式タイトルを忘れたので○○で誤魔化す。ご了承を。)のように最初から終わりまでワンカットで撮っている、なんてのはインパクトがあるけれど、『ニック・オブ・タイム』は、そんな手法は使っていない。話は…

  • 104回目「ボヴァリー夫人」(フローベール:新潮文庫)

    この小説の主人公はエマという名前の女性である。エマの物語である。しかし、タイトルは『エマ』ではなく『ボヴァリー夫人』である。小説内では、エマの行動と心理が最も多く描かれているのにも関わらず、この著しく主体性を欠いたタイトルが興味深い。しかも、作中ではエマ以外にも「ボヴァリー夫人」と称される人物が二人いる(ボヴァリーの母親とボヴァリーの先妻)。タイトルと内容のバランスが些か悪い気がする。『ハムレット』を『クローディアスの息子』とか『オフィーリアの恋人』と呼ぶような感じの不当さである。 それで、粗筋を簡単に記すと、もともと空想好きでロマンティストであったエマが、医師シャルル・ボヴァリーの元へ嫁ぐ。…

  • 103回目「浮雲」(林芙美子:角川文庫)

    言ってしまえば、「不倫の果て」のような小説である。芸能人の不倫がゴシップになる度、「他人の事などどうでもいい」とか「興味がない」とか嘯いているが、そのくせ、つい関連するネット記事などを漁ってしまうのは、やはり、不倫に興味があるからだ。不倫そのものの興味というよりは、当事者たちが不幸になっていく様子に興味があるのだ。不倫という倫理に反した人間を、まず許せないと思い、次いで羨ましいと思い、そしてそれが世間に批判され落ちぶれていく様子を見て、「ざまあみろ」と思い、さらに、不倫できない自分を「真面目な一市民」という正しい位置に置いて優越感に浸る。この一連の流れを体感したいが為に、何の関係もない他人のゴ…

  • 102回目「ノスタルジア」(アンドレイ・タルコフスキー監督)

    タルコフスキーの『ノスタルジア』を頑張って観た。「頑張って」というのは「途中で眠らずに」という意味である。タルコフスキーの映画は、他に何本か観ている。どれも途中で力尽きた。最短は『惑星ソラリス』で、恐らく、開始15分くらいで寝たと思う。 途中で寝てしまったからといって、「退屈な映画」というわけではない。タルコフスキーの映画は、「面白い」とか「面白くない」とかの規格では測れない。何かを感じ取れるかどうかだろう。事実、途中で何度も睡魔に襲われながらも、自分は『ノスタルジア』から「何か」を感じ取った…気がする。「何か」とは何か。それは分からない。映像美、と言ってしまえば簡単だが、そんな陳腐な言葉で片…

  • 101回目「岩松了戯曲集」(little more)

    劇作家岩松了の初期の戯曲集。 読書の醍醐味の一つに「行間を読む」というのがある。行間とは文章と文章の間にある空白の事である。要するに、何も書かれていない白紙の部分である。それを読むというのは、書かれていないものを勝手に想像して読むという事であり、読者の想像力に委ねられる。小説と戯曲を比べた場合、「行間を読む」ことの比重は圧倒的に戯曲の方が多いのではないだろうか。戯曲は作者による地の文がない。台詞とト書きの連なりによって構成されているため、まさしく行間を読み解くことが重要になる。乱暴に言ってしまえば、戯曲を理解するということは、行間を読み解くことと同義である。そして、これは中々難しい。古今東西の…

  • 100回目「キリング・ミー・ソフトリー」(チェン・カイコー監督)

    取り敢えず、ヘザー・グラハム演じるヒロインの行動がアホ過ぎて…。ムカつく。 ムカつきたい時に観るといいかもしれない。 キリングミーソフトリー、タイトルの語呂は良くて、つい口ずさんでみたくなる。 それくらいしか書くことないなぁ。 キリング・ミー・ソフトリー (字幕版) ヘザー・グラハム Amazon

  • 99回目「音楽」(三島由紀夫:新潮文庫)

    解説で澁澤龍彦が書いているように、『音楽』は三島由紀夫の作品群の中では主流ではない。マイナーな作品である。しかし、個人的には『仮面の告白』や『金閣寺』のような代表作より、この『音楽』の方が好きなのだ。理由は、他の三島作品を読んだ時に感じるゴリゴリのマッチョな感じが無く、都会的に洗練されていて、文章が抵抗無く入ってくるからだ。近親相姦というショッキングなテーマを扱っているけれど、ドロドロした感じはない。心療内科の分析室という清潔で雑音の少ない場所で、殆どの話が進行するのが理由かもしれない。ブライアン・イーノの音楽でも流れていそうな…。 精神分析医の男性が、不感症の女性を治療する話。自由連想法に始…

  • 98回目「ロフト」(エリク・ヴァン・ローイ監督)

    ググってみたら、日韓合作の同名の映画があった。シンプルな題名なので被る事もあるだろう。今回は日韓の方ではなく、ベルギー映画である。思えば、ベルギーの映画を観るのは初めてかもしれない。 ロフトとは日本語で「中二階」という意味である(厳密には違うらしいが、一般的に中二階のある物件を「ロフト付き」と言いませんかね?)。内容的には「中二階」というより「事故物件」の方がしっくりくる。そんなことはさておき。 男友達5人(全員、いい年齢のおっさん&既婚者。内一人は初老)が高層マンションの一室を共用で借りており、その部屋で浮気相手、愛人、娼婦などと密会している。要は「ヤリ部屋」として利用している。ある日、5人…

  • 97回目「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ:ハヤカワepi文庫)

    『ちびまる子ちゃん』のクラスに藤木という男子がいる。藤木は他のクラスメート達から卑怯者のレッテルを貼られている。なぜ藤木は卑怯者になったのか。詳細は覚えていないが、最初の方のエピソードで藤木が卑怯者になるきっかけがあったように思う。それ以降、まる子のクラスで何か事件があれば最初に藤木が疑われる。全くの冤罪で疑われる場合も多々あり、その度に弁明するのであるが、弁明すること自体が自己保身的と見なされ、「やっぱり藤木は卑怯者」と言われる始末である。気の毒な奴ではあるが、彼はクラスの中での自分の立場をよく弁えている。彼の言動は常に「自分は卑怯者」という原理に則っている。「卑怯者」というキャラに自ら進ん…

  • 96回目「バーバー」(コーエン兄弟監督)

    ビリー・ボブ・ソーントン演ずるエドは、義兄の経営する床屋で雇われ理容師として働いている。寡黙に淡々と客の髪を刈る毎日。妻のドリスが会社の上司デイヴと不倫しているのもエドは黙認している。ある日、一人の男がドライクリーニング事業への投資話をエドに持ち込んで来た。エドは、怪しいと思いながらも、理容師として淡々と過ぎる刺激のない日常に虚しさを感じていた為、投資の話に乗っかる。しかし、事業を始めるには資金が必要。エドは、匿名でデイヴに「ドリスとの不倫を世間にバラされたくなければ金を用意しろ」と脅迫状を送る。困ったデイヴは、脅迫状を送った本人であるエドに相談する。脅迫した犯人がエドであることを知る由もない…

  • 95回目「虞美人草」(夏目漱石:岩波文庫)

    恋愛小説の書き方を学びたいなら、まず、この『虞美人草』を読む事をお勧めする。明治時代の小説だと思って侮ってはいけない。恋愛小説を成立させる全ての要素が、余すところなく詰め込まれている。複雑な人間関係、キャラクターの類型、ドラマの展開のさせ方、などなど。読者を楽しませる工夫が散りばめられている。我が強く他人を見下す癖があるヒロインと、腹黒く本音を見せない母親が破滅していく様はカタルシスがある。真っすぐな男が恋敵であるはずの優柔不断な男を更生させる経緯は痛快である。「人間らしく正直に生きよう」という単純明快なメッセージも、これだけ正面切って言われると気持ちが良い。正直、昼ドラと変わらない通俗的な内…

  • 94回目「オール・アバウト・マイ・マザー」(ペドロ・アルモドバル監督)

    数年前に初めて観た時は、途中で10分ほど寝てしまった。当時は少し睡眠不足で疲れていたのである。そのため、ストーリーを見失った。ストーリーは見失ったが、断片的ないくつかのシーンは、強烈に記憶に残っていた。アルモドバルの映画は色気がある。耽美的である。しかし、日本の耽美的な文学作品のように、ジメジメした感じはない。太陽のように明るく、カラッと乾いている。濡れながら乾いているような感じがするのである。かなり際どい題材を扱っており、ともすれば露悪的になりかねないのに、気品を感じるから不思議である。 この度、数年前に途中で寝てしまった「オール・アバウト・マイ・マザー」に再チャレンジした。今回は、体調も万…

  • 93回目「イエスタデイ」(ダニー・ボイル監督)

    ビートルズについては、一応、代表曲とメンバーの名前くらいは知っている。東洋思想とかヨガに嵌ってインドのリシュケシュという街に滞在していた、という噂も聞いたことがある。でも、自分がビートルズについて知っていることは、それくらいだ。なぜか、ビートルズに関しては、あまり彼らの作った音楽を聴きたいと思わないのである。興味が湧かない。子供の頃、音楽の授業で「イマジン」を聴いたが、良いとは思わなかった。ありがちで偽善的な歌だなぁ、という感想しか持たなかった。それはビートルズの責任ではなく、捻くれた自分の性格のせいである。 そういう自分だから、この映画を真っ当に評価する資質はないように思う。ビートルズは世界…

  • 92回目「うつくしい人」(西加奈子:幻冬舎文庫)

    自分は飲食店で注文するのが苦手である。ラーメン屋に行くと、皆口々に「麺固め」「ネギ多め」「背油少なめ」「ニンニク抜き」なんて注文をする。自分はあれができないのである。店員に「トッピングはどうしましょう?」と聞かれても毎回「全部、普通で」と小声で言ってしまう。本当は、メンマとかキムチとか色々付け足したいのだが、なんだか言えないのである。 散髪も苦手である。「どんな髪型にしましょう?」と聞かれるのが辛い。「こういう髪型にして欲しい」と具体的に言うのが恥ずかしい。写真を見せて髪型を指定するのもできない。「お前には似合わない」と美容師に馬鹿にされたらどうしよう、なんて考えてしまう。 披露宴などで行われ…

  • 91回目「鳥」(アルフレッド・ヒッチコック監督)

    動物を見た時、「かわいい」と思うと同時に何とも言えない不思議な気分になることがある。例えば、猿回しの猿が、芸をするのを見た時。彼らは、確実に人語を理解し、人間との意思疎通もできる。仕草や表情なんかを見ても立派な感情を持った生物であることが分かる。しかし、彼らは話せない。言語がないのである。感情があるのに言語がないというのは、どういうことなのだろう。「嬉しい」とか「悲しい」と感じても、「嬉しさ」「悲しさ」を表現できる言葉がない。「嬉しさ」「悲しさ」といった概念は頭の中に確実に存在するのに、それを言語化できない。概念と言語を繋ぐ橋がないのである。そして、この橋がない状態が動物にとってはスタンダード…

  • 90回目「ザ・ロック」(マイケル・ベイ監督)

    ショーン・コネリーとニコラス・ケイジ主演のハリウッド映画。 テロリスト達(元米軍海兵隊)が、アルカトラズ島に一般観光客を拉致し、政府に身代金1億ドルを要求する。テロリストたちは、要求を飲めない場合、VXガスを搭載したミサイルを市街に打ち込むと脅迫する。人質救出とミサイル解体の為、立場の異なる2人(ショーン・コネリーとニコラス・ケイジ)がテロリスト達に立ち向かう。簡単に言えば、そんな内容の映画。 娯楽超大作あり、特に捻りの無い有りがちなストーリーだけど、それ故に退屈することなく最後まで観られる。派手なアクションシーンは、それなりに楽しい。こういう言い方は失礼かもしれないが、「暇潰し」として観るの…

  • 89回目「自由の幻想」(ルイス・ブニュエル監督)

    昔、ダウンタウンのコントに『実業団選手権』というのがあった。小学生の時に初めて見て爆笑した。しかし、このコントの面白さを文章で伝えるのは困難だ。「面白さ」には言語化が可能なものと、そうでないものがある。映画でも小説でもお笑いでも、粗筋があるものは、「面白さ」を第三者に伝えやすい。なんなら、粗筋を最初から最後まで紹介するだけで、内容は伝わる。逆に『実業団選手権』のようなコントは「取り敢えず見て下さい。面白いから」としか言えない。「ボケたらつっこむ」という「お笑いのセオリー」のようなものから遠く離れた場所にある笑いで、これを笑えるかどうかは、見る者の感覚に大きく依拠するように思う。 ルイス・ブニュ…

  • 88回目「ももたろう」(ガタロ―☆マン)

    4歳の甥っ子へのプレゼントに絵本でも買ってやろうと、書店内をうろついていると偶然、この『ももたろう』を見つけた。昔話に『ももたろう』なんて、あまりにベタ過ぎるので、普通なら手に取る事すらしないと思うのだが、どこかで見覚えのある絵に「まさか」と思い、作者名を見ると「ガタロ―☆マン」とあった。 あの漫☆画太郎である。漫☆画太郎の漫画については、以前、このブログでも取り上げた。彼の書く漫画は大好きだが、まさか絵本はダメだろう。子供の教育に悪すぎるだろう。・・・と思ったのだが、好奇心と怖いもの見たさが手伝って購入した。しかし、これをそのまま甥っ子に渡すわけにはいかない。検閲が必要だ。自分は部屋で一人、…

  • 87回目「深い河」(遠藤周作:講談社文庫)

    自分は遠藤周作という作家が好きだ。遠藤周作を含め、自分には好きな作家が何人かいる。自分の趣味嗜好を分析してみると、その好きな作家に共通する作風が見えてくる。ここで注釈を入れると、「作家」は好きだが、彼らの書く「作品」が全て好きという訳ではない。好きな作家が書く作品にも、ピンからキリまであり、自分とは合わないものも当然ある。個別の作品ではなく、作家自身の境遇、思想、バックボーンなどに魅力を感じる。或いは、共感や親近感を覚えたりする。そんな作家が書いた作品は、クオリティー的にイマイチでも、或いは、世間一般の評価が低くても、なんとなく許せる。「許せる」というのも烏滸がましい話だが、「この人が書いたの…

  • 86回目「激突!」(スティーブン・スピルバーグ監督)

    一台の赤い乗用車がアメリカの田舎道を走っている。片道一車線である。運転手は普通の中年男性。カーラジオを聞きながら、たまに車内で独り言を呟いている。後方にチラチラと大型タンクローリーが見えるが、別に気にならない。よくある光景である。途中、中年男性は給油のためガソリンスタンドに立ち寄る。少し後に、先のタンクローリーもガソリンスタンドに入る。男の給油が中々終わらないのに業を煮やしたのか、タンクローリーが、クラクションを鳴らす。ここら辺から、少し不穏な空気が漂い始める。 給油が終わり、家路に向う中年男性。ここから本格的にタンクローリーの執拗な嫌がらせが始まる。嫌がらせとは、すなわち「煽り運転」である。…

  • 85回目「秘密と嘘」(マイク・リー監督)

    数年前にカンヌでパルムドールを受賞した映画。前回のブログで中上健次の『枯木灘』を取り上げた。『枯木灘』を読了して数日後に観たのが、このマイク・リー監督による『秘密と嘘』である。どちらも登場人物たちを取り巻く「複雑な血縁関係」が作品のベースになっており、立て続けに鑑賞すると両者が少しダブった。 久しぶりに良い映画を観た。ストーリーはネットに紹介されているので敢えて詳細には語らない。黒人の娘と白人の母が邂逅する話。そして、母と娘が出会った後の数日が描かれる。役者の演技も、後半の家族・親戚が揃うバーベキューのシーンも、兎に角素晴らしいのだが、実は自分が最も心を掴まれたのは、メイン・ストーリーとは関係…

  • 84回目「枯木灘」(中上健次:河出文庫)

    自分の場合、小説を読んで感動するのは主に「物語」と「文体」に依ってである。どちらか一方でも、自分の琴線に触れれば、素直に感動する。単純な人間なのだ。まあ別に「感動」といっても、泣いたり心が震えたり人生観が変わったり、というような大袈裟な意味ではなく、もう少しざっくりと、「感心」といった方がいいかもしれない。 「物語」で感動するというのは、つまるところ、ストーリーがよくできていて面白いという意味で、ミステリー小説を読んで、驚愕の真犯人が判明した瞬間などに感じる。多分、最もオーソドックスな感動の仕方ではないだろうか。この種の感動との最初の出会いは、恐らく、小学生の頃によんだ野口英雄の伝記だったと思…

  • 83回目「いかれころ」(三国美千子:新潮社)

    最近、本を読んでも映画を観ても感想を書く時間が無い。だから今回のブログは、以前、ある読書会に参加した際に、自分の感想をまとめた文章を少し編集して載せます。 一回読んだだけでは、登場人物の関係性が掴み辛く、2回読んだ。人物相関図を書いて読むと、とてもクリアに読めた。 一回目に読んだ時は、一人称の語り手が4歳の幼児であることに違和感を覚えた。閉鎖的な村社会での、どことなく不穏で陰湿な雰囲気、「家」という制度が内包している差別性、久美子の志保子に向ける悪意などを、感覚として認知はできても、ここまで高度に言語化するのは4歳児には無理だろう、という違和感である。 語り手が大人になってから4歳の頃の記憶を…

  • 82回目「ダウン・バイ・ロー」(ジム・ジャームシュッ監督)

    先日、テレビで「日本人が好きな映画ベスト100」という番組を見た。その名の通り、日本人が好きな映画をランキング形式で順に紹介していく番組で、時折、パネラーが見た事のある映画についてコメントを挟む。番組には特に何の不満もないが、まあ予定調和な内容だった。予定調和というのは、別に悪い意味ではない。ランクインした映画はベタなものから、通好みのする少しマニアックなものまで幅広かった。とてもバランスが良く、色んな方面に気を遣った感じが出ていた。そのバランスの良さが予定調和な内容に繋がったのかもしれない。バランスは良いのだけれど、やはり、バランスの良さの中にも少しばかり偏りがあった気もする。しかし、それを…

  • 81回目「あらゆる場所に花束が‥‥‥」(中原昌也:新潮文庫)

    冨樫義博の漫画を読んだ時と同じような感想を抱いた。話の展開のさせ方が天才的に巧く、読者の興味を引きたてるけど、結局、最後は投げやり気味で終わる所が何となく似ているのだ。『幽遊白書』の魔界トーナメントの話も、トーナメントに至るまでの過程がとても面白かった。そしてトーナメントが始まり、いよいよ本格的に話が膨らむと期待した瞬間に、あの終わり方である。あまりにも唐突で、明らかに「描くのが面倒臭いから終わらせた」感が満載のラストだった。あの終わり方は、多くの読者の怒りと失望を買ったと思うが、実は自分は、その突き放した感じも結構好きだった。「才能のある人間はこんな暴挙も許されるのだ」とでも言いたげな、ある…

  • 80回目「ソードフィッシュ」(ドミニク・セナ監督)

    映画を観ながら、映画の本筋とは殆ど関係の無いことを三つ考えてしまった。何を考えたかを、下らない順に紹介する。 一つ目は、ジョン・トラボルタという俳優についてある。 ジョン・トラボルタ・・・。不思議な俳優だと思う。自分はジョン・トラボルタの顔を見ると何故か笑いそうになるのである。シリアスなシーンでも、ジョン・トラボルタの顔が画面に映ると笑いそうになる。別に、取り立てて変な顔ってわけでもないのに、なぜこうも笑ってしまうのか。あの髪型のせいだろうか。彼の顔がクローズアップされると、とたんに画面が漫画的になるような気がする。昔、ジー・オーグループという会社を経営していた胡散臭いおっさんに、ジョン・トラ…

  • 79回目「苦役列車」(西村賢太:新潮文庫)

    様々な場所で「文学の必要性」についての議論を見かける。自分自身、文学作品を読むのは好きだし、好きだからこそ、こんなブログも書いているわけだが、改めて「文学の必要性」を問われると答えに窮してしまう。「文学は人間性を豊かにするから読むべきだ」などと定型句のような理由を語られても、イマイチしっくりこない。 逆に「文学には実用性がないから読む必要はない」という意見も乱暴に感じる。確かに、沢山の文学作品を読んだからといって金を稼げるわけではないが、実用性とか合理性の見地からでのみ文学を否定するのも躊躇われるし、寂しい思いがある。だから、「文学の必要性」を問われた時は、「読みたい人は読めば良いんじゃないの…

  • 78回目「ダージリン急行」(ウェス・アンダーソン監督)

    ウェス・アンダーソン監督の映画を最初から最後までちゃんと観たのは、この『ダージリン急行』が初めてだ。過去に『グランド・ブダペスト・ホテル』と『ムーンライズ・キングダム』を途中まで観てやめてしまった。なんとなく映画のテンションについていけなかったのだ。独得で個性的な世界観を持った監督だと思ったが、自分には合わなかった。『ダージリン急行』も、やはり自分には合わなかった。最後まで観るのが苦痛だった。90分程の映画だが、時間以上に長く感じた。特に後半の3兄弟の列車を降りてからの展開が異様に長く感じた。 それでも、なんとか最後まで観た。苦痛を感じたけれど、「面白くない」とは思わなかった。こういう感覚も珍…

  • 77回目「プレーンソング」(保坂和志:中公文庫)

    自分は「やれやれ」と呟く人間が苦手である。「やれやれ」という嘆息には、様々な欺瞞が含まれているように思う。相手を小馬鹿にしている感じが嫌だ。馬鹿な事をした相手、或いは、馬鹿な状況に対して「やれやれ」などと呟く人は、「自分はこんな馬鹿なことをしない」という自己肯定と、「君は僕と違ってこんな馬鹿なことをしたのだよ」という上から目線がある。馬鹿な事をした相手に対して「馬鹿」と直接言わずに、「やれやれ」と持って回った言い方をすると、相手を小馬鹿にして暗に批判しながらも、相手に反撃されるリスクがない。自己保身的である。さらに、「やれやれ」という言葉には、「馬鹿な相手」や「馬鹿な状況」に対しても、熱くなら…

  • 76回目「パッション」(ブライアン・デ・パルマ監督)

    ゴダールとメル・ギブソンも同名の映画を撮っている。今回は、ブライアン・デ・パルマの『パッション』である。当たり前だが、他の『パッション』と内容は全然違う。3つの『パッション』の中では、エンターテイメント色が強く、一番見やすいのではないだろうか。 アルモドバルの映画を薄口にした感じの印象を受けた。上司(女)と部下(女)と愛人(男)の三角関係もアルモドバルの映画ほどドロドロとはしていないし、後半のミステリー仕立てもアルモドバルの映画ほど込み入っていない。それ故に、若干の物足りなさはあるが、無駄がなくスピーディーに話が展開するので、最後まで退屈することなく観ていられる。 しかし、この映画に出てくる女…

  • 75回目「悪意の手記」(中村文則:新潮文庫)

    不治の病に冒された男が人生に絶望し社会を憎悪する。奇跡的に病気は回復するが、闘病中に心の中で育まれた虚無と悪意は消えず、やがて同級生の親友を殺害する。殺害に至るまでの主人公の心の動きと、その後の数年の人生を、手記形式で描いた小説。なぜ主人公の「私」は親友を殺害したのか。闘病中に感じた虚無の正体は一体何だったのか。果たして「私」は殺人の罪に呵責を感じているのか。或いは感じていないのか。親友を殺害後も事件は発覚せず、一見平凡な生活を送るが、常に「私」の中には「自分は人殺しである」という事実が影法師のように付き纏う。さらに「俺は人殺しだ」と唐突に告白したい衝動に駆られたり、その瞬間に理性が働き告白す…

  • 74回目「サイドウェイ」(アレクサンダー・ペイン監督

    たまに観たくなる映画の一つ。 マイルスとジャック。2人の中年男の珍道中を描いたロードムービー。マイルスは小説家志望だが、まだ夢は叶わず教師として生計を立てている。ワインに造詣が深い。恋愛は奥手で不器用。繊細な性格。 ジャックはテレビ俳優でプレイボーイ。浮気性。ジャックの独身最後の記念として、2人で気ままなドライブをすることに。その道中、マイルスはマヤという女性と出会い恋に発展する。 男の友情と男女の恋愛が描かれるが、平板な展開でストーリーに起伏はない。一週間という明確な時間が設定してあり、それぞれの章は「月曜日」「火曜日」という具合に曜日で区切られる。この演出が、これといった事件が起こるわけで…

  • 73回目「悪い種子」(マーヴィン・ルロイ監督)

    1956年公開の映画。まず原作の小説があり、次いでブロードウェーで舞台化され、最後に映画化された。その後、別の監督でリメイクされている。知ったような書き方だが、全部ウィキペディアで調べた情報である。原作小説は読んでいないし、舞台はもちろん観ていない。先日、適当にテレビをザッピングしていたらBSプレミアムでやっていた。正直、夜も遅いので見るつもりはなかったのだが、ダラダラと最後まで見てしまった。 無論、自分をテレビの前に留まらせたのは映画の力である。兎に角、主役の子供の演技が目を見張る。 ローダという名の小学生の女子が主人公。 映画は、どこにでもある家庭の朝の団欒から始まる。ピアノを弾いたり父母…

  • 72回目「瓶詰の地獄」(夢野久作:角川文庫)

    あははははは。いひひひひひ。うふふふふふ。えへへへへへ。おほほほほほ。はっはっは。あーっはっはっはっは。ぐへへ。ぐひひ。いひひ。ほほほ。くっくっく。ききき。けけけ。 と、いうように小説内で笑い声を表現するのは難しい。カギ括弧の中に笑い声を入れると途端に下品になったり、シリアスな内容が滑稽になったりする。小説全体のバランスや雰囲気が、笑い声を表記することによって著しく損なわれる恐れがある。 戯曲の場合は、笑い声も含めて「発語される言葉」として書けばいいので、笑い声をそのまま表記しても小説ほど問題がないように思う。 敢えて滑稽感を出したり、ギャグとして使ったりという以外の目的で笑い声をそのまま表記…

  • 71回目「21グラム」(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)

    見終わってから2週間ほど経っているので、だいぶ記憶が薄らいでいる。重たい映画であったことは覚えている。内容自体の重たさに加えて、ベニチオ・デル・トロなどの俳優の演技も重厚であった。脚本も重層的であった。3人の主要登場人物のエピソードを、時間軸をバラバラにして断片的に見せている。それぞれのシーンは意図的に短く撮っており、映画が始まって暫くは前のシーンと関連の無いシーンに次々と変わっていくため、話の全体像を掴むのに多少、困難を要する。それでも映画が始まって20分ほど経つと、朧気ながらそれぞれの登場人物の背景が見えてくる。全体像が分かってからも時系列はバラバラのままだが、不思議とストレスを感じること…

  • 70回目「4」(作・演出:川村毅) 2021年8月29日 京都芸術劇場 春秋座

    自分は比較的リベラルな人間だと思っているが、死刑制度に関してはずっと前から賛成の立場だ。死刑制度に賛成する理由をこの場で説明するつもりはない。自分はかなり節操のない人間なので、イデオロギー的なものはコロコロ変わる。ただ不思議と死刑制度に関しては、これまで変わることなく賛成の立場だ。 先日、東京と京都で上演された『4』(作・演出:川村毅)は、死刑をテーマにした舞台である。 登場人物はF、O、U、R、男の計5人。それぞれ順番に裁判員、法務大臣、刑務官、死刑囚、死刑囚の遺族という役が与えられている。冒頭、アルファベット1文字の役名を与えられた4人がそれぞれのモノローグを語る。モノローグは各々のキャラ…

  • 69回目「月に囚われた男」(ダンカン・ジョーンズ監督)

    監督はデヴィッド・ボウイの息子らしい。デヴィッド・ボウイは、自分が最も敬愛するミュージシャンの一人だが、息子の映画監督としての活躍は殆ど知らなかった。 たった一人で3年間、月面で採掘作業をしている男が主人公。話し相手は人工知能のみ。想像すると恐ろしい。自分なら、孤独に耐えられず発狂するかもしれない。そんな過酷な任務も終わりに近づき、あと何日かで地球に帰れる。そんなある日、男は事故を起こして昏睡してしまう。やがて目覚めると、自分とそっくりの男が自分の目の前にいた…。そんなお話。 外界とのコンタクトを遮断された孤独な状況と、クローン人間。ありがちなテーマのSFで、既視感もあるが丁寧に作られていて面…

  • 68回目「ファーゴ」(ジョエル・コーエン監督)

    最近、かなり精神的に参っている…。それはさておき。 金に困った男が、同僚の知り合いの二人のチンピラに妻を誘拐させ、義父に身代金を払わせ、その身代金の半分を誘拐犯に渡し、残りの半分を自分のものにする・・・。という計画が二転三転し、悲劇が起こる。そんな感じのブラック・コメディー。 取り敢えず、金が欲しいからといって上記のような回りくどい方法を取るだろうか。真面目に働いた方が手っ取り早いに決まっている。さらに、回りくどいわりに計画自体は恐ろしく杜撰だ。狂言誘拐という大それた事をやろうとしているのに、詰めが甘すぎる。成功する見込みなんて無い。 短絡的で身勝手、さらに優柔不断で気の弱い男に心底腹が立った…

  • 67回目「雪沼とその周辺」(堀江敏幸:新潮文庫)

    物心が付いた時から今までの人生の中で、悩みが無かった時期はない。常に、何かに対して悩んでいる。「悩みの無い人生というのはつまらない」という人がいる。その言葉の意味は、悩みを乗り越える事によって人は成長する、という事なのだろう。それは、その通りだと思う。「悩みのない人生」というのは想像すると確かにつまらない気がする。でも、悩みのど真ん中に身を置いている間は、たとえそれが傍から見ると非常に些細な悩みであっても、成長なんてしなくていいから早く悩みから解放されたいと思ってしまう。自分の力で悩みを乗り越えようという気力すら起こらない。結果、些細な悩みに対しては、自分が努力して乗り越えるまでもなく、気が付…

  • 66回目「その男、凶暴につき」(北野武監督)

    自分は「歩き方」にコンプレックスがある。どうも自分の歩き方は、他の人と比べると変なのだ。それを初めて自覚したのは、学生の頃だ。アルバイトの面接に行った時だった。面接が終ると、立ち上がって面接官に一礼する。そして向きを変えて部屋を出る。この一礼して部屋を出るまでの歩き方が、どうもぎこちない。面接官も自分のぎこちない歩き方を恐らく見ている。挙動不審な奴と思われていたかもしれない。以来、社会人になってからも何度か面接は経験したが、この面接が終って部屋を出るまでの「変な歩き方」は一向に改善できない。 法事の時も困る。自分にお焼香が回ってくるまでの時間が、なかなか苦痛だ。変な歩き方にならないように意識し…

  • 65回目「JAM」(THE YELLOW MONKEY) 「ディズニーランドへ」(BLANKEY JET CITY)

    よく人から「電気グルーヴとか好きそう」と言われる。何故そう言われるのか分からない。正直、電気グルーヴはあまり聴かない。『電気グルーヴ20周年の歌』は面白いと思う。PVも面白い。卓球のソロも好き。でも、それくらいである。 現在、大炎上している人物に関しては、取り敢えず家にCDもレコードも無かった。スマホに1曲だけ過去にダウンロードした曲が入っていたが、そちらは速やかに削除した。この件は「作品に罪はない」とか「アーティストの人間性と作品は分けるべき」なんて陳腐な言葉で擁護できるレベルではない。ともかく自分は、この人の音楽は一生聴かないと決めた。同系統の音楽が聴きたくなったら、ブライアン・イーノとか…

  • 64回目「水いらず」(サルトル:新潮文庫)

    本書を読んだからといって、サルトルの哲学について理解できるわけではない。小説はあくまで小説であり、それ以上でも以下でもない。 裏に書かれた粗筋とあとがきの解説によると、一応、収録されている5つの作品はどれも、サルトルの思想である実存主義に関係しているようである。しかし、哲学の知識がなくても充分、小説として楽しめる。むしろ、純粋に小説を楽しむなら余計な知識は邪魔だろう。いずれの作品も粘り気があってどんよりした雰囲気が共通している。そして、そこで描かれる世界は驚くほどに狭い。せせこましい。哲学者が書いた小説なので、さぞかし難解で高尚な世界が描かれているのだろうと思いきや、中身はとても通俗的だ。そう…

  • 63回目「エイリアン」(リドリー・スコット監督)

    『エイリアン』は、自分にとって特別な映画だ。自分の意志で見た初めての映画が『エイリアン』なのだ。中学1年生の時、近所のTUTAYAで会員証を作った。親の扶養に入っている健康保険証を持参し、受付カウンターで複写式になっている専用の用紙に氏名や住所を記入し、無事に会員証を作り終えた。何だか大人の世界に少し近づいた気がして嬉しかった。その初めて作った会員証で最初に借りたのが、『エイリアン』だった。何故、数ある映画の中から『エイリアン』を選んだのか。それには、少し恥ずかしい理由がある。 実はその数年前、つまり小学生の頃に一度だけ友達の家で『エイリアン』を見ている。最初から通しで見たわけではなく、エイリ…

  • 62回目「見知らぬ乗客」(アレフレッド・ヒッチコック監督)

    ヒッチコックの代表作の一つ。ヒッチコックのファンからも比較的人気が高い作品ではないだろうか。 性悪な妻と離婚して、政治家の娘と結婚したいと常々思っていたテニス選手(ガイ)が、列車の中で偶然出会ったブルーノと名乗る怪しい男に交換殺人を持ちかけられる。ブルーノはガイに「俺が君の妻を殺してやるから、君は俺の父親を殺して欲しい」と提案する。ガイは冗談だと思い適当にあしらうが、ブルーノは本当にガイの妻を殺してしまう。そして「約束通り君の妻を殺してやったから、次は君が俺の父親を殺せ」と取引を持ちかけ、「君も共犯者だ」と強請る。平たく言えば、そんな話だ。 もし同じ設定で脚本を書くとすれば、多くの人は、ガイに…

  • 61回目「存在の耐えられない軽さ」(ミラン・クンデラ:集英社文庫)

    昔、加藤周一という人の論評を読んでとても感動した覚えがある。小説でも映画でもなく、評論を読んで感動したのは、この時が初めてであった。「知の巨人」と呼ばれた人で、世間的には左派系の論客とされているようだが、右とか左とかの分類がいかに無意味であり、人間の知性はそんな分類を越えたところにあるということを、当時の自分は加藤周一の文章を読んで思い知らされたのだ。 中でも、かつてソ連軍がチェコのプラハを占領し、プラハの自由を脅かした事件について書かれた論評『言葉と戦車』が白眉であった。 破壊の象徴である「戦車」と自由の象徴である「言葉」を対比し、「圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉」の戦いに決着が付…

  • 60回目「毛皮のヴィーナス」(ロマン・ポランスキー監督)

    果たして「SとM」という概念は「陰と陽」「馬鹿と天才」「強者と弱者」などのように明確に区分できる対義語なのだろうか。一般的には、Sは虐げる人、Mは虐げられる人というイメージが広く持たれている。その意味では、確かに両者は対極の概念である。両者の価値を対極として置いた場合、マゾヒズムの成立にはサディズムの存在が必要だと、簡単に言えてしまう。虐げる人がいなければ、虐げられる快感を得ることはできない。 しかし、もう少し深いところまで両方の意味を掘り下げていくと、「SとM」というのは、そんなに分かりやすく明確に分けられたものではなく、もっと入り組んで複雑で重層的なものではないだろうか。 例えば、女性が犯…

  • 59回目「野いちご」(イングマール・ベルイマン監督)

    1957年公開の映画。本ブログで取り上げた映画の中では恐らく一番古い。有名な映画だが、自分は初めて観た。モノクロの映画なので、眠気に襲われないか心配だったが杞憂だった。巨匠の古典的名作だと思って最初は身構えたが、途中から全く気負わずに観ることができた。総じて楽しい映画であった。 少し偏屈で皮肉屋の老人が主人公。老人は長年医学の研究をしている教授で、これまでの功績を称えられ大学から学位の受賞式に呼ばれる。老人は、ストックホルムから授賞式が行われるルンドという街まで車で移動する。その道中で起こる彼是を中心に描いたロードムービーだ。 老人に同行する人、つまり旅のパートナーになるのは息子の奥さん。つま…

  • 58回目「ふらんす物語」(永井荷風:新潮文庫)

    自分は結構、海外旅行が好きだ。沢木耕太郎とか金子光晴に憧れてインドを放浪していた時期もあった。といっても訪れたことのある国は全部で11か国とそれほど多くない。ガチでバックパッカーをやってる人には、遠く及ばない。そして、その11か国の中に、フランスは入っていない。 今後もフランスに行く予定はない。もし今、仮に海外に行けるのならヨーロッパよりもアジアかアフリカを選ぶ。アジアかアフリカの方が、混沌としていて面白そうだ。もし今、仮にヨーロッパの国のどこかに行けるのなら、東欧のどこかを選ぶだろう。自分は誠に失礼な話だが、東欧の国々に対して貧しく荒んだイメージを勝手に抱いている。その荒んだイメージが自分に…

  • 57回目「闇の奥」(ジョゼフ・コンラッド:岩波文庫)

    フランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』の原作。映画は完全版で3時間半くらいあり非常に長い。『地獄の黙示録』を観たのは15年ほど前だろうか。あまり覚えていないが、ジャングルの奥地へ主人公一行が船で進んでいくシーンの臨場感と、泥沼から男が顔を出すシーンの薄気味悪さは覚えている。 また、冒頭に流れるドアーズの『The End』と「カタツムリが剃刀の上を這う」イメージが、他の戦争映画にはあまり感じない不穏さを強く印象付けられた。この不穏さは戦争ではなく人間一般が持つ不穏さだと、若い頃の自分は結論付けたのである。しかし、若い頃の感覚ほど当てにならないものはない。この感覚が正しいのかどうかを…

  • 56回目「ガンモ」(ハーモニー・コリン監督)

    正直、全然面白くなかった。「面白くなさ過ぎて逆に面白い」という訳でもなく、純粋に面白くなかった。最後まで観るのが苦痛だった。こんな映画も珍しいと思う。全体的に変な映画だなぁという印象は持ったが、変であることが映画の長所になっているわけでもない。 どのシーンも微妙に不快で微妙に悪趣味だった。ものすごく不快でものすごく悪趣味なら、それはそれで評価できるが、そこまでも行ききっていない。 オハイオ州の小さな町を舞台に、そこで生活する人間(多くはティーンエイジャー)のどこか荒んだ日常を、断片的につなぎ合わせた映画とでもいえばよいだろうか。一貫したストーリーがあるわけではない。町全体の荒廃した感じは、とて…

  • 55回目「世にも奇妙な漫☆画太郎」(漫☆画太郎:集英社コミックス)

    ウンコしてケツを拭いたら紙が破れて指にウンコが付いた、なんて経験は誰でも恐らく2,3回はあると思う。キムタクやGACKTにだってあると思う。過去にはなくても未来には充分起こり得るとも思う。しかし、人は普通、そんな失敗談をあまり語らない。なぜ語らないかというと、そんなことを自分からわざわざ言う必要などどこにもないからだ。そして、そんな汚い話は別に誰も聞きたくないからだ。話自体に需要も供給もない。誰も望んでいないのである。 漫☆画太郎の凄さは、このような誰も望んでいないであろう話を徹底して描き、あまりの下品さに最初は眉を顰めていた読者をも強引に笑わせてしまう力業にあると思う。これは並大抵のことでは…

  • 54回目「プールサイド小景・静物」(庄野潤三:新潮文庫)

    今年は庄野潤三の生誕百年であり、よく行く書店では特集が組まれていた。書店の片隅に「庄野潤三生誕100年」と書かれたPOPが飾られてあり、そこに庄野潤三の幾つかの本が平積みされていた。別に大層なものではないが、興味を引いた。それで一番目立った置き方をされていたこの文庫を購入してさっそく読んだわけである。 表題作含め、7つの短編が収録されている。以下に個別の感想を記す。 ①舞踏 不倫の話。夫の方が不倫する。不倫相手は、自分より一回りも年下の少女。夫の身勝手さが腹立たしい。同時に妻の健気さがやるせない。内容は、昨今の芸能人の不倫スキャンダルと殆ど変わらない。恐ろしく通俗的だ。妻が行きたがっていたコン…

  • 53回目「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」(ヨルゴス・ランティモス監督)

    この映画はヤバいと聞いていた。「ヤバい」とは色々な意味を含む。単純に面白いという意味もあるし、その逆もある。多くの人のレビューを読んでいると、どうもこの映画は観た人を不快にさせるという意味でヤバイらしい。 ミヒャエル・ハネケとかラース・フォン・トリアーのようなテイストの映画なのかな、という先入観を持って観た。ある意味、ハードルが上がった状態で観たからだろうか。それ程、不快な気分にはならなかったし、それ程「ヤバい」とも思わなかった。丁寧で繊細に作られた佳作といった印象を持った。 外科医の男が主人公。外科医には、妻と二人の子供(長女と長男)がいる。家族4人で郊外の豪邸に住んでいる。外科医には、家族…

  • 52回目「ダブリナーズ」(ジェイムズ・ジョイス 柳瀬尚紀訳:新潮文庫)

    先日、祖母が亡くなった。通夜の前日、自分は祖母と一緒の部屋で寝た。葬儀会館に祖母を一人で残せないため、自分が祖母と一緒に留守番をしたのだ。祖母が眠っている横に布団を敷き、一夜を明かした。文字通り、死者に寄り添ったのだ。 祖母との思い出に浸り、懐かしんだ。同時に、自分のすぐ横に死者がいることに対して少し恐怖も感じた。自分は普段寝付きの悪い方だが、その晩は意外に安眠できた。祖母とは全然関係ない夢を見た。どんな夢だったか、断片しか覚えていないが、その夢の中に祖母は出てこなかった。朝、葬儀会社の人がやってきて「よく眠れましたか?」と聞いた。「はい」と答えたあと、少し変な気分になった。 ジョイスの『ダブ…

  • 51回目「アメリ」(ジャン=ピエール・ジュネ監督)

    『アメリ』は、当たり前だが「アメリ」という名前の女性が主役の映画だ。 『アメリ』は公開当時、一大ブームになったらしい。詳しくは知らないのだが、アメリのファッションを真似したり、生活スタイルを真似したり、劇中でアメリが食べるクレームブリュレが流行ったり、いわゆる「アメリ現象」なるものが日本でも20代から30代の女性を中心に巻き起こったらしい。 公開当時、自分は高校生だった。この「アメリ現象」が、自分の周りでも起こっていたのかは、覚えていない。リアルタイムでも観たが、「お洒落な映画だな」と高校生ながら思っただけで、内容は殆ど忘却していた。今回、約20年ぶりに再見したわけだが、この映画が当時ブームに…

  • 50回目「カンガルー・ノート」(安部公房:新潮文庫)

    『カンガルー・ノート』を最初に読んだのは中学生の頃だ。途中から意味が分からなくなり、読了するのが苦痛だった記憶がある。その後、安部公房の小説は『砂の女』『他人の顔』『飢餓同盟』『箱男』『燃えつきた地図』などを読んだ。これらは、『カンガルー・ノート』と違い、途中で意味を見失う事はなかった。中でも『砂の女』は、とてもスリリングな小説で、これまでに数回、繰り返して読んだ。『飢餓同盟』『他人の顔』は、一度しか読んでおらず、もう殆ど覚えていないが、『砂の女』同様、とても興奮し一気に読んだことを覚えている。『箱男』『燃えつきた地図』も難解ではあったが、楽しめた。 つまり、『カンガルー・ノート』は、自分が読…

  • 49回目「ラストエンペラー」(ベルナルド・ベルトルッチ監督)

    半藤一利の追悼という訳でもないが、『昭和史 1926-1945』(平凡社ライブラリー)を読んでいる。その最中に観たのが、ベルナルド・ベルトルッチの『ラストエンペラー』だ。映画の主役である愛新覚羅溥儀は、『昭和史』の最初の方に紹介される。『昭和史』は、あくまで日本の昭和がメインであるため、溥儀が満州のファースト・エンペラーになった経緯がさらっと説明されているが、映画の方は、幼少期に清国のエンペラーに即位した後、少年時代の紫禁城での生活、結婚、日本との接触、満州国のエンペラー即位、終戦、捕虜、収容所、恩赦、自由、最後はかつての紫禁城跡に訪れノスタルジーに耽る、という一生を、回想を挟みながら順序立て…

  • 48回目「ムカデ人間」トム・シックス監督

    観る前は「どうせクソみたいな映画だろうなぁ」と高を括っていたが、見終わった後、「意外と面白かった」と思ってしまった。ただ、この手の映画の場合「意外と面白かった」というのは褒め言葉にはならない気がする。或いは、一番言って欲しくない言葉なのではないかとも思う。映画の作り手側からすれば、当初の予定通り、「糞映画だ!見なきゃよかった!」と言われる方が、名誉なことなのではないだろうか。 「おぞましいさ」「気持ち悪さ」「変態さ」或いは、「馬鹿馬鹿しさ」を徹底的に追及し、突き抜けた先にある狂気を感じる映画は、他にも沢山ある。そのような映画は、監督の狂気に素直にひれ伏すと同時に、人には決して勧めない。鑑賞した…

  • 47回目「死の家の記録」(ドストエフスキー著 工藤精一郎訳:新潮文庫)

    囚人の生活とか刑務所内の環境とかは、一般人にはなかなか触れる機会がない。時折、囚人に対する虐待や暴行、さらには、それによる囚人の死亡などのニュースを耳にすることがある。その度に、刑務所という場所に対して負のイメージを持ってしまう。ニュースを聞いた瞬間は、刑務所内では虐め・暴力・虐待などが日常的に行われている劣悪な環境なのだろうなぁ、堅気の人間には耐えられないだろうなぁ、酷い所だなぁと思ってしまう。 しかし、よく考えてみると、刑務所内で囚人に対する非人道的な事件が起こる確率は、ごくごく珍しいことだと分かる。というのは、珍しいからこそ事件としてニュースで扱われるのであり、非人道的行為が自明のものと…

  • 46回目「銀河」(ルイス・ブニュエル監督)

    ブログは最低でも月に3回は更新しようと思っている。だから、月末近くになっても2回しか更新できていなければ、けっこう焦る。別にノルマがあるわけでもないし、自分の人生においてブログを書く必要性など特にないのだが、毎度の如く「早く書かなければ」という焦燥感に駆られてしまう。どうも自分は、昔から変に責任感が強い。やらなければいけない重要な仕事は、できるだけサボろうとするクセに、やらなくてもいい事、やっても仕方のないこと、得にも損にもならない下らないことに関しては、必要以上に真面目になってしまう。厄介な性格だと我ながら思う。 そんなわけで、今回はブログを書くためにわざわざ、DVDを借りた。これまでの自分…

  • 宣伝させて下さい。

    戯曲を書きました。それを上演して頂くことになりました。 劇作家の川村毅さん率いるT Factoryさんの企画で、<2020年の世界>をテーマに沢山の劇作家が書いた戯曲を上演しようとする試みに「劇作家」として参加したのです。 演出は川村毅さん、赤澤ムックさん、川口典成さんのお三方です。 自分は「何かを決めるには若すぎる」という戯曲を川村毅さんに演出してもらいます。 プログラムCで上演されます。 コピペですみませんが、詳細は以下の通りです。 ティーファクトリー|第1回T Crossroad短編戯曲祭<2020年の世界> 【会場】吉祥寺シアター 【公演スケジュール】 2021年2月10日(水)~23…

  • 45回目「アメリカン・ビューティー」(サム・メンデス監督)

    監督のサム・メンデスは、『1917命をかけた伝令』が昨年のアカデミー賞にノミネートされた。しかし結果は、作品賞も監督賞もポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』だった。この結果には納得できる。『1917~』も面白いとは思うが、両者を比べるとやはり『パラサイト~』の方が全体的な完成度は高い。というのが、自分の見解だ。 『1917~』は、最初から最後までワンカメラ・ワンカットで撮っている。劇場で観たが、とても臨場感のある映画だった。ただ、見終わった後「だから何?」という身も蓋もない感想を抱いたのも事実だ。『1917~』の面白さは、映画の面白さというよりも、TVゲームの面白さだと感じた。人がスーパ…

  • 44回目「マイナス」(山崎紗也夏(旧・沖さやか):ヤングサンデーコミックス)

    この漫画を読んだのは4年ほど前である。スーパー銭湯に行った際、休憩室の漫画コーナーに置いてあった。シンプルなタイトルに興味を引かれて、手に取って読んでみた。全部で5巻だったと思うが、一気に読んだ。自分の性格から考えて、面白くなければ、スーパー銭湯の休憩室でラストまで一気に読むなんてことはしないので、多分、面白い漫画だったのだろう。しかし、それ以降は一度も読んでいないため、詳細なストーリーやキャラクターの名前などはうろ覚えだ。 なぜ、うろ覚えの漫画の感想をブログに書こうと思ったのか。 理由は、ふいにこの漫画を思い出したからだ。そして、この漫画をふいに思い出すのは今回が初めてではない。4年前のスー…

  • 43回目「π」(ダーレン・アロノフスキー監督)

    数学の世界には、ミレニアム懸賞問題というものが7つある。証明すれば1億円もらえるらしい。ざっくり言うと、数学のめちゃくちゃ難しい未解決問題だ。文系の自分には、想像もつかない。興味のある人は「ミレニアム懸賞問題」でググってください。近年、7つのうちの一つ、「ポアンカレ予想」という問題が証明された。証明したのは、ロシアのグレゴリー・ペレルマンという数学者なのだが、この天才数学者は受賞も賞金も辞退し、以後、誰とも連絡を取らず、人目を避けるように母親と二人で静かに暮らしているらしい。 『π』の主人公、マックスも天才数学者だ。天才的な頭脳とコンピュータを使い、株式市場の予想をしている。冒頭、近所に住んで…

  • 42回目「パリ、テキサス」(ヴィム・ヴェンダース監督)

    家族を捨て、行方不明になっていた男(トラヴィス)がテキサスの砂漠で倒れているのを発見される。連絡を受けた男の弟が、彼を迎えに行く。トラヴィスは、しばらく弟夫婦の家に世話になる。弟夫婦の家には、トラヴィスの実の息子(ハンター)がいた。弟夫婦は、身寄りがなくなったハンターを4年間、本来の親に代わって養育していたのである。 最初は気まずく、ぎこちなかった父と息子も、弟夫婦の家で共に生活をしていく内に親子の関係が修復され、打ち解けていく。やがてハンターは、父と同じく自分を捨てた母親(ジェーン)を、トラヴィスと共に探しに出かける。というお話。 『パリ、テキサス』はロードムービーだ。劇中では二つの旅が描か…

  • 41回目「当世 悪魔の辞典」(別役実:朝日文芸文庫)

    小説でも戯曲でもエッセイでもなく、辞書である。元ネタはアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』であり、それの別役実バージョンである。辞書なので、それぞれの単語の意味が、あいうえお順に乗っている。「愛」で始まり、「我思う、ゆえに我あり」で終わる。同じようなことを筒井康隆もやっていた。筒井康隆の方は、「愛」で始まり「ワンルームマンション」で終る。こちらは、分量も相当だが、少しやりすぎかなとも思った。自分としては、別役実版の方が小さく纏まっていて好きだ。筒井康隆が天才なのは、この辞書を読むだけで充分、分かるのだが。 辞書というのは、実は作家の個性が一番出るのではないだろうか。そして、辞書を「読ませる作品…

  • 40回目「叫び声」(大江健三郎:講談社文芸文庫)

    ブログの更新が少し滞ってしまった。最近、精神的に疲弊しており、良い作品に触れてもブログを書く気力が起こらなかったのだ。自分は基本的に怠け者なので、ブログを書くことに向いていないのかもしれない。だから、テーマの硬軟にかかわらず、ほぼ毎日のようにブログを更新している人は、単純に尊敬する。 そもそも、自分は文章を書くのが苦手なのだ。ある作品を読んで「面白い」と思った。或いは、「面白くない」と思った。それ以上、何を掘り下げることがあるのだろう。作品に対する批評なんて、意味があるのだろうか。そんな虚無的な考えが根底にあるため、書評や映画評を書くときは、自分自身に感じる白々しさと格闘しながら書いている。「…

  • 39回目「サーミの血」(アマンダ・ケンネル監督)

    スウェーデン北部に住む少数民族サーミ人の少女を主人公にした物語。人種差別をテーマにした映画で、主人公が、スウェーデン人から理不尽で屈辱的な仕打ちを受けるシーンは、観ていて辛くなる。 映画としては、よくわからないシーンが幾つかあって(というのは、自分の無知と理解力の無さに起因するのだが)、ずっと心に残るような傑作だとは思えなかった。主人公の少女が、スウェーデンの大学に通う経緯が、よく分からなかった。ダンスホールで出会ったスウェーデン人の青年と一夜を過ごし、翌朝別れてから、次のシーンでは、もう大学のキャンパスに入っているのだが、いつの間に入学したのだろう。単に大学に忍び込んだだけなのかと思ったが、…

  • 38回目「コルタサル短編集 悪魔の涎・追い求める男」(フリオ・コルタサル:岩波文庫)

    アルゼンチン出身の作家、フリオ・コルタサルの短編集だ。表題の2作を含め、全10作品が収録されている。ラテンアメリカの文学について、自分は殆ど知らない。ガルシア・マルケスの小説を過去に一作だけ読んだことがあるくらいだ。 何も知らないので、変な偏見を持たずに読み始めたのだが、読み終わった後も「なるほど、これがラテンアメリカの文学か」とはならなかった。規定のジャンルに分類するのが困難なほど、どの作品も毛色が違ったからだ。そもそも、文学でも芸術でも、ある既存のカテゴリーに分けること自体がナンセンスであり作家に失礼な気がする。「ジャンル」とか「テーマ」などといった、一言では要約できないモノを描くことが本…

  • 37回目「ONE OUTS」(甲斐谷忍:集英社コミックス)

    『異端の鳥』という映画を観たいと思っていたのだが、まだ観ていない。映画を観に行く時間が無いのだ。ただ、今後、時間が出来ても恐らく『異端の鳥』は観ないと思う。何故か。『異端の鳥』を観た人のレビューを沢山読んでいるうちに、どうも観る気が失せてしまったのだ。 主人公の少年が、めちゃくちゃ迫害され差別され虐待され、人間としての尊厳を徹底的に踏みにじられるが、最後は希望が持てる映画。 多くの人が書いたレビューを総合すると、概ね以上のような映画らしい。 だいたいどんな映画かは分かったし、今の精神状態で観るのはなかなか辛いので、きっと観ないと思う。 ということで、本日は『ONE OUTS』という漫画を紹介す…

  • 36回目「ルルドの泉で」(ジェシカ・ハウスナー監督)

    2011年公開「ルルドの泉で」のレビュー

  • 35回目「マティアス&マキシム」(グザヴィエ・ドラン監督)

    グザヴィエ・ドランの新作「マティアス&マキシム」の感想

  • 34回目「希望の国のエクソダス」(村上龍:文春文庫)

    村上龍の長編。「希望の国のエクソダス」の書評。

  • 33回目 旅の記録:インド編⑥

    2013年、インドを旅した時の記録。ジョードプル編。

  • 32回目 旅の記録:インド編⑤

    2013年、インドを旅した時の記録。ジャイプル編。

  • 31 回目 旅の記録:インド編④

    2013年にインドを旅した時の記録。その④

  • 30回目 旅の記録:インド編③

    2003年の夏にインドを旅した時の記録。ヴァラナシ編

  • 29回目 旅の記録:インド編②

    2013年、インドを旅した記録。アーグラー編。

  • 28回目 旅の記録:インド編①

    「ソーシャル・ディスタンス」「新しい生活様式」「ウィズ・コロナ」 コロナ禍で言われだしたこれらの言葉を使うことに違和感と抵抗がある。 「ソーシャル・ディスタンス」は「社会的な距離」という意味だが、本来、人間は寄り添う事によって社会を形成してきたはずだ。テレビ番組を見ていても、出演者たちが、一定の距離を置いて座り、「ソーシャル・ディスタンス」を侵さないように気を遣いながらトークをしている様子が、なんとも虚しく感じる。 「新しい生活様式」は「一時的な生活様式」であってほしい。オンライン会議とかオンライン授業などは、確かに無駄がなく便利かもしれないが、オンライン飲み会は、やはり慣れない。宴会くらいは…

  • 27回目「彼女が消えた浜辺」(アスガル・ファルハーディー監督)

    2009年に公開されたイラン映画のレビュー

  • 26回目「4ヶ月、3週と2日」(クリスティアン・ムンジウ監督)

    意味深なタイトルに引かれてDVDで観た。数年前にパルムドールを受賞したルーマニアの映画という情報以外は、なんの予備知識もなかった。タイトルから、4か月後に地球が滅亡するのに立ち向かう人類の話かな、などと馬鹿な連想をしたのだが、全然違う映画だった。 「チャウシェスク大統領による独裁政権のルーマニアを舞台に、妊娠をしたルームメイトの違法中絶を手助けするヒロインの一日を描いた作品」 ウィキペディアには、上記のような粗筋が紹介されている。確かに、そういう映画である。しかし、どんな名作と呼ばれている映画でも、粗筋を一言で説明すると味気なくなる。ストーリーだけで映画を語るなんて野暮ではないだろうか。『4ヶ…

  • 25回目「アウターゾーン」「アウターゾーン リ:ビジテッド」(光原伸 集英社コミックス)

    自分が小学生の頃の少年ジャンプは黄金期であった。「ドラゴンボール」「幽遊白書」「スラムダンク」の三本柱を筆頭に、多彩な漫画が連載されていた。当時は、大人たちの間でも少年ジャンプが流行っていたらしく、父親は毎週月曜日にジャンプを買って家に帰って来た。父親が読み終わった後に、自分も読んだ。当時の多くの小学生男子と同じく、自分も「ドラゴンボール」が大好きであったし、翌日のクラスの話題は「ドラゴンボール」で持ち切りだったように思う。だから、毎週月曜日は父親が仕事から帰ってくるのが待ち遠しかった。「早く読みたい」とワクワクしていた。しかし、実は、自分の本当の楽しみは「ドラゴンボール」ではなく「アウターゾ…

  • 24回目「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」(ウディ・アレン監督)

    アーティスト名と曲名は伏せるが、最近よく耳にする歌がある。恋愛ソングで、甘いというより幼い声が特徴の男性ボーカルの歌だ。至る所で流れている。知人に確認したら、実際に今、すごく売れているらしい。特に、若い人たちの間で大人気らしい。 ・・・全く理解できない。歌詞が猛烈に嫌だ。内容も陳腐だし、表現方法もダラダラと文章を垂れ流しているだけで、詞とは言い難い。一体、あの歌詞のどこにダンディズムがあるというのだ。ファンの方には申し訳ないが、このテの歌には不快感しかない。至る所で流れているので、嫌でも耳にしてしまう。そして、その度に「なんじゃ、この曲は!」とムカついているのだ。最近では、わざわざムカつきたい…

  • 23回目「ペイン・アンド・グローリー」(ペドロ・アルモドバル監督)

    ペドロ・アルモドバルの映画は脚本がとても込み入っている。だから、集中して観ないと話が分からなくなり、置いてきぼりを喰らってしまう。しかし、過去にアルモドバルの映画を観て集中力が切れた事はない。スペイン人特有の情熱を反映しているのか、映像がとてもポップで鮮やかだ。極彩色の映像に、アルモドバルお得意の変態チックなテーマが合わさって観客の脳を刺激するので、嫌でも見入ってしまう。 そして、最後まで観た後に作り込まれた脚本に唸らされる。『ジュリエッタ』『ボルベール《帰郷》』『私が、生きる肌』の3作が好きだ。『トーク・トゥ・ハー』も、脚本がとてもよくできていて感心するが、あまり好きではない。『バッド・エデ…

  • 22回目「高瀬舟」(森鴎外:集英社文庫)

    『じいさんばあさん』『高瀬舟』『山椒大夫』『寒山拾得』『最後の一句』『堺事件』『阿部一族』の7つの短編が収録されている。そして『高瀬舟』と『寒山拾得』には森鴎外自身による解説が付いている。さらに巻末の解説(川村湊と林望)も読み応えがあり、鴎外の年譜まで収録されている。これで340円(税別)はかなりお得だ。 収録されている7作の中では、『寒山拾得』だけが他の作品とは少し毛色が違う。まず『寒山拾得』だけが死ぬ人がいない。他の6作品は沢山の死が存在する。『寒山拾得』だけが極めて平和なお話だ。下らない話だった。下らない話というのは、面白い。昔の中国の官僚のおっさんが、高名らしい僧侶に会いに行くだけの話…

  • 21回目「デッド・ドント・ダイ」(ジム・ジャームッシュ監督)

    ジム・ジャームッシュの映画は、どれもお洒落だ。セリフにユーモアがある。なにげないカットにもセンスを感じる。「ジム・ジャームッシュの映画が好き」と言うと、なんとなく映画通を気取ることができる。「センスがある人」と思われたいなら、好きな映画を聞かれた時には取りあえず『コーヒー&シガレッツ』くらい言っとけばよいだろう。ただ、どの映画もだいたい退屈だ。『デッドマン』とか『リミッツ・オブ・コントロール』など特に退屈だ。退屈なのだけど、お洒落でセンスがあるので結局最後まで観てしまう。自分のジャームッシュ映画に対する評価は、概ねそんな感じである。そんなに好きではないけれど、ちょっと気になる監督である。で、今…

  • 20回目「仮面の告白」(三島由紀夫:新潮文庫)

    三島由紀夫の「仮面の告白」は、高校生の頃に始めて読んだ。それ以降は読んでいないので、恐らく約20年ぶりの再読だ。内容は殆ど覚えていなかったが、「糞尿汲取人」という単語だけは鮮明に覚えていた。薄学な高校生にとって、三島由紀夫は難解であり読了することが苦痛であった。じつは「仮面の告白」以前に「盗賊」や「獣の戯れ」を読んでおり、こちらも殆ど覚えていないが難解であった。「金閣寺」は確か「仮面の告白」の次に読んだように思う。「金閣寺」を読む時間と労力があれば、太宰の「人間失格」で充分じゃないか、言わんとしている事は同じじゃないか、と、よく分かっているような、或いは、何も分かっていないような感想を抱いた。…

  • 19回目「マイ・ファニー・レディ」(ピーター・ボグダノヴィッチ監督)

    登場人物の関係性がごちゃごちゃとしており、最初の10分程はなかなかストーリーが掴めなかったが、途中から人物の関係性が分かってくると面白い。脚本がよくできている。コールガールとして働く女性が、演出家の客と出会う。彼女を気に入った演出家が彼女に金銭を援助し、そのお金で彼女はコールガールから女優に転身する。その後、彼女は女優として最初の舞台のオーディションを受けるのだが、この舞台の演出家がなんと、数日前に客としてきた男であった。というのが物語の主軸である。さりげなく張られた伏線や、ユーモアに富んだセリフなど、見どころの多い上質のコメディーで、約一時間半の間、退屈せずに観ていられる。 コメディー映画は…

  • 18回目「ブラックホーク・ダウン」(リドリー・スコット監督)

    10代の頃は、戦争映画にアレルギーを持っていた。特にハリウッド産の戦争映画に対しては、どうせアメリカ側の正義を一方的に押し付ける映画だろうと決めつけていたので、殆ど見ていない。 20代になって「プライベートライアン」とか「地獄の黙示録」とか「フルメタルジャケット」などを見た。ハリウッド産の戦争映画といっても色々あり、内容は薄いけれど戦闘シーンだけはお金が掛かっていて見応えがあるものや、地味だけど脚本や見せ方が工夫されており心にシミジミと残るもの、或いは、派手な戦闘シーンは殆どなく、ひたすら人間の暗部に焦点を充てたものなど、実に多種多様であることに気付いた。だから10代の頃に抱いていた戦争映画に…

  • 17回目「機械・春は馬車に乗って」(横光利一 新潮文庫)

    コロナの影響で仕事がめっきり暇になり、家にいることが多くなった。せっかくの機会なので普段以上に本を沢山読もうと意気込んでいるのだが、何故かあまり捗らない。平時は休日にカフェで読書をするのだが、今は普段行くカフェが臨時休業している。また、不要不急の外出は憚られるので、そもそも外に出ない。となると、自宅の部屋で読書をすることになるのだが、家には読書以外の誘惑が多く、なかなか読書に没頭できないのだ。 そんな中でようやく読了できたのが横光利一の「機械・春は馬車に乗って」である。表題の2作含め、全10編の短編が収録されている。 太宰の小説はどの作品を読んでも大体、「あぁ、どれも太宰の小説だな」と感じる。…

  • 16回目「メタモルフォシス」(羽田圭介:新潮文庫)

    表題作の「メタモルフォシス」と「トーキョーの調教」の2作品が収録されている。 どちらも、マゾヒズムという特殊な性癖を有した男が主人公で、そっち方面の描写がかなりエグい。墓地での露出プレイなどは序の口で、おっさんに肛門を掘られたり、ウ●コを食べたり、アブノーマルなシーンのオンパレードだ。その説明だけを聞くと、ギャスパー・ノエなどの映画に見られるような、単に性的に過激なだけの悪趣味で低俗な小説と思われるかもしれない。しかし、この2つの小説は、性的に過激な部分だけに目をやってしまうと気付かない、「言葉」というものに対する、作家の鋭く深い批評性がある。作品を過激にするためだけに、ひたすら性や暴力を描く…

  • 15回目「きょうの猫村さん・カーサの猫村さん」(ほしよりこ:マガジンハウス)

    自分は、猫が好きだ。しかし「猫が好き」と公言している人は、あまり好きではない。「猫が嫌いな人」よりは、「猫が好き」な人の方が幾分、マシではある。でも、昨今の猫ブームに乗って猫好きアピールをしている人を見るのは、なかなか辛いものがある。猫に限らず、動物好きをアピールしている人全般に思うことだが「それ、本当に好きなの?」と言いたくなるのだ。猫にしても、犬にしても、血統書付きの見た目が良い動物をペットショップで購入し、可愛い服を着せたり、トリミングをしたり、写真をSNSに上げたりしているのを見ると、動物本来の可愛さよりも、その飼い主の、動物をファッション感覚で所有している傲慢さ、或いは、「動物を愛し…

  • 14回目「異邦人」(アルベール・カミュ:新潮文庫)

    コロナウイルスの影響で「ペスト」が売れているらしい。未知のウイルス《ペスト》に立ち向かう人々の話で、「異邦人」と並ぶカミュの代表作であり不条理文学の金字塔だ。出版不況とか、若者の活字離れとか言われて久しいが、読書の習慣がなかった人でも、割と些細なきっかけで本を手に取るようになるのだろうか。今は、学校も一斉に休校になったし、人が大勢集まるイベントは自粛させられるし、畢竟、家に引きこもることが多くなる。だったら、この機会に、特に子供たちには本を沢山読んで欲しいと思う。多感な時期に文学に触れることは、少なくとも、スマホのゲームに興じたり、匿名の掲示板で他人の誹謗中傷をしたりするよりかは、有意義な時間…

  • 13回目「その街の今は」(柴崎友香:新潮文庫)

    この小説は平成18年に書かれたらしい。つまり、今から12年ほど前に書かれた小説だ。舞台は現代の大阪で、現代人の女性が主人公だ。ここでいう「現代」とは、12年前のことをいう。要するに12年前の柴崎友香さんが、12年前の大阪を舞台に書いた小説だ。だから、日本の現代小説とはいっても、実際は12年前の作品なのだ。そんな当たり前のことを、なぜか強調したくなった。 例えば、50年前に書かれた50年前の日本を舞台にした小説は、50年前の読者からすれば、それは現代小説だろう。では同じ小説を12年後の38年前に読めば、読者はその小説を現代小説として読むだろうか。12年というのは微妙な期間だ。主観的な感覚だけれど…

  • 12回目「塩狩峠」(三浦綾子:新潮文庫)

    敬虔なクリスチャンの父母の元に産まれた青年が、様々な人との出会いと別れの中で成長し、自らも敬虔なクリスチャンになり、最後は列車の事故から自らの身を犠牲にして乗客の命を守り死ぬ、という物語。要するに、一人の人間の幼少期から死ぬまでの一生を描いた作品で、かなり読み応えがあった。人間の一生を描いているので当然、長い小説なのだが、途中で中だるみすることもなく、最後まで読めた。言葉に物語を牽引する力があるのだろう。ただ「キリスト教」及び「キリスト教信者」を美化しすぎているのでは、との感想も当然抱いた。もちろん、キリスト教意外の他の宗教を直接的に批判しているような箇所はない。むしろ、他宗教の批判と取られぬ…

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