僕はあの1時間、時計を見た覚えがなかった。かといって夢中になることをしていたわけでもない。いつの間にかそうなっていた。そういえば早く1日が終わって欲しいなどとうっすらと考えているようだ、この自分の脳みそは。しかしそれが終わってもまた1日がやってくる。自分には
ここ最近というか、長い間、主な人との関わりは家族以外にない。それは、哀愁を感じさせる事実の様で。ある年頃にでもなると、友達と出かけるのが主だと思われてしまう。もしくは1人でどんどん出かけるのかもしれない。だから、家族と特別な用事以外で出かけるときは、僕の心
突如、自分は人と過ごしても楽しく感じられないかもしれないという考えが生じ、将来への空虚感と喪失感に見舞われる。原因は、会食不安、娯楽施設を心から楽しめない可能性、街での買い物も楽しく感じられない可能性、自然に出かけても一体何を話そうかといったことだ。特に
もし、自分の親の社会の未来を見据える力が強く本能を打ち負かしたのなら、自分は存在しなかったかもしれない。でも、存在がないということは幸せなことだと思う。現実と理想の差に苦悩もせず、しつこく湧き出る社会的欲求を、何らかの理由で抑圧し苦悩することもなく、一生
(第一に、この世の全ての人に会ってから仲良くなりたい、仲良くなれそうな人を決めることなどできる訳がない。)それは例えば、同じ学校だから同じ団体に所属しているから同じクラスだから可愛らしいからかっこいいから知的だから寂しいから仲良くなりたいからなどと人それぞ
自分が頑張って、誰かと仲良くなろうとした。活動に参加した。会食に参加した。よく冗談を言っていた。でもそれほど…だったこと。自分が期待をし過ぎていたのかもしれない。でも経験上、社会は希薄だと感じられたこと。今回はそれもこれも、そもそもは人間の欲のせいなのだ
※この文書に自殺を推奨する目的はありません。※あくまで、自分の考えです。あの時は、真面目に自殺について考えていた。あの時は、自殺の場面を想像するだけで、心が蘇った様だった。あの時は、自殺が本当に救いだった。でも、いつしか自殺念慮は減退した。将来へおける希
何か不安に見舞われたが、眠気がやってきて、一時的に逃げることができた。でも、起きると少しずつ思い出してゆき、疲れた。一生涯眠気を抱えていたい。もしそうなったら、もう運転はしないから。もう苦悩の日々に疲れてしまった。一生涯眠気に誘われていれば、不安になるこ
もし違う大学へ行っていたとしても同じような心情を経験をしただろう。寂しい、虚しい、悲しい、申し訳なさ、自殺念慮、酒を飲もう。自分は、酒が飲める年齢となったら、大学に酒を飲んで行こうなどと考えていた。マナーや常識の上ではダメでしょうけれども。(実際はしません
理想は幻想であり、現実は幻滅である。これまでの経験上そのように思う。だから、僕は作られた物語に憧れる。今日も脳みその中身はいつか誰かに会って仲良くなれるのではと、そのような幻想空想をしていた。にほんブログ村にほんブログ村
家族に、したいことを話すのは躊躇われるため、本格的にできないでいる。だから1人になったら、するかもしれない。でも、きっとどのようなことでも本当に自分がこれをして良いのかと思うだろう。例えば…・バイクの免許取得マニュアル車に乗りたいと思うけれど、取れる自信な
友達に実は自分はこうなんだということは、人によるけれども、話せる。でも、家族にはなぜかなかなか話せない。自分の将来自分のしたいこと自分の希望自分の心の中の暗い影(ここの文書のようなこと)厭世的であること…など例えば、したいこと(ある勉強)を言えないがために、
用事があって街に出た。本来?、何が本来なのかはわからないが、本来なら、街にはファッションや雑貨がたくさんあるので、それに興味を持ち、ちょっと見て帰ろう、1着くらい買って帰ろうなんて思うかもしれませんが、まったくそのようなことはなく、用事を済ませ帰りました。
・戦争時末期の日本がポツダム宣言の受諾を決断せず、戦争を継続していたこと、その結末が2発の原子爆弾となったかもしれないこと。・ウイルス対策で国のトップの方々が十分な政策を打ち出しているようには感じられないこと。・戦時中何をされたかわからない外国人捕虜の方々
自分は幼い頃に、おそらく誰にも話したことのない気持ちがあった。それは、正確には覚えていないが、もし自分が入院するほどのケガや病気になったのなら、もっと人から気にかけてもらえたのだろうか、といったものだ。幼稚園の頃、大人数(多分)で遊ぶ機会はあったのですが
蝉がたくさん鳴いている時期だ。人間もいずれ死んでしまう運命にあるのですが、果たして、アスファルトに蝉の亡骸がある時は一体誰が何が処理するのだろうか。などと考えてみても、それは人間も同じだ。誰も自分の遺体を自分で処理することはできない。処理するのは、いつも
高校時代の精神状態の面影を残していた自分は、実家から離れた親戚の家から通学することにしました。1人で生活するのはまったく自信がなかったため、志望校を決める時点でそうしていました。しかし、そこは大変厳しく、心がさらにすり減りました。また、過去の出来事が気がか
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