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2020/07/01

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  • 沖縄戦の戦火を生き延びた森

    沖縄県の首里城のすぐ近くに、琉球王朝時代の面影を色濃く残す首里金城町(しゅりきんじょうちょう)石畳道がある。その石畳道を進んで行き、少し離れた所にそこだけぽっかりと木々に緑が豊かに残された神秘的な場所にたどり着く。ここは沖縄独特の信仰における聖域の御嶽(うたき)の一つである「内金城嶽(うちかなぐすくたき)」だ。境内には「首里金城の大アカギ」と言われる、国の天然記念物に指定された6本の立派なアカギの大木がそびえている。一番大きなものは樹齢200年を超すと推定され、樹高は約20mもあるという。この付近でこの様なアカギの大木が茂っているのはここだけで、まるで人里から唐突に森の中に紛れ込んでしまったかの様な、不思議な印象を受ける。だが、それも当然の事だと言える。なぜなら、かつて沖縄県内で当たり前に生えていたアカギだが、...沖縄戦の戦火を生き延びた森

  • 山奥の聖地は磁力ゼロ

    長野県の伊那市と大鹿村の境界に「分杭(ぶんぐい)峠」と名付けられた場所がある。一見すると何の変哲もない、日本のあちこちで見られるただの峠だ。だが、ここは数年前から「ゼロ磁場」のあるパワースポットとして知られ、今では多くの観光客を集めているのだ。ゼロ磁場とは、プラス極とマイナス極の磁界が向き合い、磁力が相殺されてゼロ状態になっている場所の事である。これには日本列島を走っている中央構造線という最大級の断層が関係しており、パワースポットと呼ばれる場所はこの線上にあるものが多い。専門家によれば、地学的な特徴がいわゆる「気」を発生させているらしく、分杭峠もやはりこの線上に位置している。過去には中国の著名な気功師がここを訪れ、かなり強力な気が発生している世界的な「気場」だとお墨付きを与えている。人によっては何かのエネルギー...山奥の聖地は磁力ゼロ

  • 出兵した氏子を守った神社

    東京都中央区の、江戸の情緒を残す人形町にほど近い場所に、小網(こあみ)神社がある。三方をビルに囲まれた狭い場所に有りながら、存在感を放っている神社だ。それは日本橋地区で、唯一戦火を逃れた伝統的な木造ひのき造りの神社というだけではない。ここには強運厄除けのパワーが宿っていると、言われているのだ。現在の小網神社がある場所には、もともと僧侶の住まいである庵があった。1466(文正元)年、地域に悪疫が流行し、その時かつてこの庵で過ごした網師を稲荷大神として崇めよというお告げがあった。そこで村を挙げて神社を建て祈願を続けたところ、間もなく平穏が訪れたというのだ。やがて大正、昭和になって小網神社が強運厄除けの力を宿していると、言われる様になる出来事が重なる様になる。1923(大正12)年の関東大震災で社殿が倒壊したものの、...出兵した氏子を守った神社

  • 国道沿いに入れない森

    千葉県市川市の本八幡駅から歩いて数分の場所には、足を踏み入れれば二度と出てこられないと古くから畏れられている場所があるそれが「八幡不知森(やわたしらずもり)」だ。東京都中央区と千葉市を結ぶ幹線道路である国道14号線沿いに位置し、しかも絶えず人が出入りする市役所の向かいに有りながら不気味に佇む森は、わずか20平方mほどの大きさしかない。入り口には「不知森(しらずもり)神社」と書かれた鳥居がひっそりと建ち、背後を竹藪(たけやぶ)が覆っている。江戸時代の古書にはすでに、誰も立ち入る事が出来ない「八幡の藪知らず」として全国的に知られているとの記述がある。だが、なぜここが立ち入り禁止になったのか、その理由についてはどうもはっきりしない。有名なのは、平将門にまつわる奇妙な言い伝えだ。平将門と言えば、平安時代にみずから「新皇...国道沿いに入れない森

  • 聖なる島の女性は巫女に

    沖縄本島の南東部にある斎場御嶽(せーふぁうたき)は、琉球王国時代に最高の聖地とされていた場所だ。そんな斎場御嶽から海を眺めると、一つの島が見える。周囲がわずか8kmしかない久高(くだか)島だ。しかし、小さいからと言って侮ってはいけない。昔から「神の島」と呼ばれるほど、特別な扱いを受けてきた場所なのである。琉球の神話によれば、アマミキヨという神が最初に降り立ったのがこの島で、ここから大地や人々を創ったのだという。その為、神々の世界に最も近い島として大切にされてきた。今も沢山の聖域があり、男性の立ち入りが禁じられている場所も少なくない。神の島というだけあって、久高島には他では見られない独特の神事も伝わっている。それがイザイホーである。これは12年に一度、午(うま)年に行われる祭りで、久高島生まれの30~41歳までの...聖なる島の女性は巫女に

  • 神社がフランスに分祀

    ワインの産地として世界的に有名なプルゴーニュ地方のラ・モンターニュ村の田園風景の中に、小さな鳥居に守られた神社がある。三重県にある水屋神社の分祀社である和光神社が、ヨーロッパ初の神社としてフランスの地に建立されたのだ。和光神社の本社である水屋神社は、その名の通り水と緑の深い神社だ。神社の近くにある閼伽桶(あかおけ)の井の神水は「お水送り神事」によって859(貞観元)年から奈良の春日大社に奉納されてきた。境内には君が代に詠われた「さざれ石」が置かれ、天照大神を伊勢に祀った倭姫(やまとひめ)が、みずからの姿を映したという姿見の池も残っている。また、天照大神と春日の神が、伊勢と大和の国境と決めた礫石(つぶていし)という巨石も川の流れの中に鎮座しているなど、一帯に残る伝説は水と巨石にまつわる物が多い。水屋神社の境内にそ...神社がフランスに分祀

  • 神様を背負って移動

    栃木県の日光は今や観光地化されすぎていて、聖地というイメージは薄いかも知れない。しかし、ここは1200年以上も前の奈良時代から山岳信仰の場だった。その中心となっていたのが、標高2486mの男体山(なんたいざん)だ。日光山内にある二荒山(ふたらさん)神社のご神体とされている山である。ここを開山したのは、勝道上人という僧だと伝えられている。山は非常に厳しく、三度目の挑戦でようやく頂上までたどり着けたという。その時山頂に建てた祠が、二荒山神社の奥宮である。頂上では古代の祭祀跡や遺物も発見されており、数多くの修行者が男体山を目指した事がわかる。現在では片道三時間半の登山ルートが作られているものの、そこには決して破ってはいけない決まりが定められている。男体山に登る事ができるのは、5月5日~10月25日までの半年足らず。そ...神様を背負って移動

  • 聖地の見学にお金が

    いわゆる観光名所でもない限り、普通は「聖地」と呼ばれる場所を見学するのにお金が掛かるイメージはないだろう。ところが、まれに例外もある。それが箱根町にある九頭龍神社だ。箱根の九頭龍神社といえば、縁結びのパワースポットとして近年特に有名である。神宮は箱根神社の境内に位置しており、誰でも気軽に参拝する事が出来るが、本宮はというと少々特殊な立地条件にある。箱根神社から直線距離で3kmほどのところ、つまり芦ノ湖畔にあるのだ。参拝手段は徒歩と船、あるいはバスやタクシーなどがあるが、多くの人は徒歩か船を選ぶ事になるだろう。まず船は、月に一度月次祭(つきなみさい)の時にしか運航しない。もちろん乗船は有料である。一方、徒歩であればいつでも行けるが、本宮が置かれている場所は箱根プリンスホテルの敷地の奥で、参拝するには「九頭龍の森」...聖地の見学にお金が

  • 三越のライオン像が神社に

    東京の隅田川沿いの土手の近くにある三囲(みめぐり)神社は、宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)を祀った小さな稲荷神社だ。じつは、その境内にはあの有名な三越デパート前のライオン像が置かれている。その理由は、三囲神社と旧財閥三井家の深い縁にある。三囲の名は、その建立の伝説に由来している。源慶という僧が、弘法大師が建立した荒れ果てた小堂を発見し、その社殿を再興しようとした際、地中から白狐にまたがる翁の像を掘り起こした。するとどこからともなく白狐が現れ、翁の像の周りを三回巡って消えたのだという。江戸時代の三井家は三囲神社を守護社と定めた。囲という字の中に「井」の文字が入っている事から「三囲は三井に通じ、三井を守る」と考えられたのだ。さらに、三井家の本拠があった江戸本町から見ると、三囲神社のある場所は鬼門の方角に位置して...三越のライオン像が神社に

  • 聖なる巨石にヒキガエル

    和歌山県の新宮市には、神倉山(かんのくらやま)という標高120mほどの山がある。この山のちょうど中腹あたりに建っているのが神倉神社だ。源頼朝が1193(建久4)年に石段を寄進したと伝えられるが、創建ははるか古代にさかのぼる様だ。この様に古い歴史を持つ伝統ある神社なのだが、初めてここを目にする人は、その異様な光景に圧倒されるに違いない。というのも、小さな社殿の上にある絶壁から、驚くほど大きな岩が突き出しているからである。高さが約12m、幅は約10mという巨大な岩はゴトビキ岩と呼ばれている。ゴトビキとは、この地方の方言でヒキガエルに似ている事から名付けられたのだというが、しかし、神倉神社を聖地としているのは、このゴトビキ岩に他ならないのだ。社殿が造られるよりもずっと以前から、人々はゴトビキ岩を神が宿る御神体として崇...聖なる巨石にヒキガエル

  • ヒグマに脅かされる聖地

    アイヌ語で「シリエトク」という北の果てを意味する知床は、2005(平成5)年に世界文化遺産として登録された、多くの見所が有るが、中でも人気のスポットが知床五湖である。知床五湖は知床連山の一つである硫黄岳の一部が崩壊し、そこから崩れ落ちた岩石のたまり場に水が溜まって出来たものだと言われている。周囲から流れ込む川もなく、一年中豊富な湧き水で満たされ、夏の時期でも水温は低いので絶好の避暑地でもある。知床が世界遺産に登録された事で、知床五湖への観光客も増えた。しかし、同時に危険な事態を招く事となってしまった。ヒグマとの異常接近である。1995(平成7)年以降、観光客が行き来する遊歩道周辺でも頻繁にその姿が目撃される様になった。人間が食べ歩きなどをする事で、ヒグマの行動範囲が変化してしまったのだ。現在では生態系を守り、事...ヒグマに脅かされる聖地

  • 断崖絶壁を下がった聖地

    神社と言えば、通常は長い階段を上がって参拝するというイメージが有るが、宮崎県には石段を下って参拝する珍しい神社がある。日向灘(ひゅうがなだ)に面した断崖絶壁の洞窟に本殿を構える鵜戸(うど)神宮だ。参拝者は日向灘の大海原(おおうなばら)を見ながら海に向かって下りて行く様な石段を400段近く下り、岸壁に大きく空いた洞窟へとたどり着く。まるで竜宮城への入り口を思わせる様な佇まいの理由は、そこに祀られている神様のルーツにある。鵜戸神宮は、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノ尊の生誕の地と言われる聖地だ。『古事記』によれば、山幸彦の妻になった海神の娘の豊玉琵売(とよたまびめ)がその子のヒコナギサタケウガヤフキアエズノ尊を産み落とした。ヒコナギサタケウガヤフキアエズノ尊は神日本磐余彦(かむやまといわれひこの)尊は初代の天皇とさ...断崖絶壁を下がった聖地

  • 海中の砂州から聖真水

    松島、宮島と並んで、日本三景の一つになっている天橋立(あまのはしだて)は全長3.6kmの砂州で、白い砂と緑の松、更には青い海とのコントラストが絶妙な美しさを生み出している。この天橋立は神様が使う橋だったという伝説がある。地上にいた伊邪那岐(いざなぎ)が天で暮らす伊邪那美(いざなみ)の元へ通う為に梯子(はしご)を作ったのだが、眠っている間に倒れてしまった。それが天橋立になったのだという。こうした伝説から、有名な股のぞきも生まれた。股の間から天橋立を眺めると天地が逆になり、まさに天に橋が掛かっている様に見えるのだ。また、最近ではパワースポットとして人気を集めている。伊勢に迎える前の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀ったという元伊勢籠(この)神社、天橋立神社、眞名井(まない)神社の三社を回ると、力が満ちてくると言わ...海中の砂州から聖真水

  • 対馬の神社仏閣が盗難に

    長崎県の対馬は、常に日本の中枢から特別な場所と見なされてきた歴史を持つ。対馬が重視された最大の理由は、その地理的条件にある。大陸と非常に近い為、国際交流や軍事面で大きな役割を担ってきたのだ。古代には大陸への備えとして防人(さきもり)が置かれ、江戸時代には幕府から朝鮮半島との外交を任されていた。また、日露戦争の際にはバルチック艦隊を迎え撃つ要塞になった。日本にとって、対馬は対外政策の拠点だったと言える。そんな対馬が今や国際問題に発展しかねない、やっかいな騒動に巻き込まれている。2012(平成24)年に韓国人窃盗グループが、日本の神社仏閣から仏像などを盗み出す事件があった。犯人は逮捕され盗品も韓国で押収されたのだが、ここで問題となったのが一体の観世音菩薩座像である。この仏像は対馬市豊玉町の観音寺から盗まれたものだ。...対馬の神社仏閣が盗難に

  • 三輪山の蛇神様は鍵穴から

    三輪山(みわやま)は奈良県の桜井市に位置している。美しい円錐形で、標高467mとさほど大きくはないが、地元民にとってこの山は特別な意味を持つ。と言うのも、三輪山はその麓に鎮座する大神(おおかみ)神社のご神体だからだ。入山するには、大神神社の摂社(本社の祭神にゆかりがある神を祀る神社)である狭井(さい)神社の社務所へ届け出て、入山証の代わりに白いたすきを掛けて登る。飲食、喫煙、撮影は厳禁で、入山は3時間まで。山で見聞きしたものをみだりに他言してはならないという暗黙の了解もある。山中には神の憑代(よりしろ)であるおごそかな磐座(いわくら・岩を祀ったもの)が置かれており、全てが聖域といえる。祭祀は蛇神として知られる大物主大神(おおものぬしのおおかみ)だが、神にまつわる古い伝承には次の様な話がある。その昔にある女の元に...三輪山の蛇神様は鍵穴から

  • 天皇が落ち延びた先が聖地に

    徳島県の南西部に位置する剣山(つるぎさん)は、西日本第二の高峰である。古くから修験道の山として知られる。この霊峰には、数々の神秘的な伝説が残っている。その一つが「剣山(つるぎさん)」という名前の由来には、いくつかの説があるのだが、そのうちでも有名なのが、安徳天皇が宝剣を山に奉納したという説がある。安徳天皇といえば、檀ノ浦の戦で平氏が源氏に敗れた時に、わずか6歳で無念のうちに海に身を投げて亡くなったと言われている。しかし、伝説によると安徳天皇は平氏の落人に守られて、この地に落ち延びたという。そして、当時は石立山と呼ばれていた剣山に、平氏一門の再興を祈願する為に宝剣を奉納しようとしたと言うのだ。すると、山頂近くにあった巨石が突然割れ、安徳天皇がその割れ目に宝剣を投じた所、巨石は割れ目をぴったり閉じたと言われている。...天皇が落ち延びた先が聖地に

  • 富士山麓に「人穴」という聖地

    日本の最高峰と言えば、ご存じ富士山である。国内随一のパワースポットだけに、周囲にはミステリアスな名所が点在しているが、とりわけ独特な存在感を放っているのが「人穴(ひとあな)」だ。場所は、富士山麓の富士宮市に位置する人穴浅間神社の境内である。その正体は長さ83mほどの溶岩洞穴で、穴の先は異界なのではと思わせる様な雰囲気を漂わせている。古くから「地獄の入口」などと恐れられていたが、一方で穴の先は神奈川県の江の島に繋がっているという都市伝説もある。穴そのものは古くから有った様で、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』には、探索を命じられた武士が家来を引き連れて人穴に入ったが、家来4人が謎の死を遂げ、みずからも命からがら逃げ出したという話が載っている。しかし、この洞穴はのちに江戸時代に流行した「冨士講」の聖地となる...富士山麓に「人穴」という聖地

  • 離島の詳細不明の祭り

    沖縄本島から南西約300kmに位置する宮古島の周辺には、七つ島がある。中でも一番小さいのが大神島だ。島の周囲は2.3km、住民は29人(2015年現在)ほどしかいない。だが、宮古島地方で最も神聖視されているのがこの島だ。神がいる島として、周囲の島々から崇められてきたのである。それを示すかの様に、この小さな島には聖地が多い。「御嶽(うたき)」や「御願所」と呼ばれる拝所には、よそ者はもちろん、地元の人でさえ立ち入れない場所もある。集落を除けば、殆どを島全体が聖域と言っても過言ではない。昭和初期には海賊キッドの宝が埋まっていると噂になり、多くの人が押し掛けた事もあった。だが、むやみに聖域に踏み込んだ者は原因不明の病気になったり、早死にしたとも伝えられている。そんな大神島では、神秘のベールに包まれた祭りが行われている。...離島の詳細不明の祭り

  • 不動明王と愛染明王が合体

    関西の有名大学が建ち並ぶ兵庫県西宮市に、地元の人々から「門戸の厄神さん」と呼ばれて親しまれている門戸厄神(もんとやくがみ)東光寺がある。ここには、日本でただ一体現存する、珍しい仏像が安置されている。その仏像とは、悪魔をも降伏させる力を持った不動明王と、人間の煩悩を悟りに変えるという愛染(あいぜん)明王が合体した姿の厄神明王だ。厄神明王が誕生したのは平安時代の初期の頃の事だ。ある時に厄年を迎えた嵯峨(さが)天皇の夢に凄まじいパワーを持った明王が現れた。その明王は災いをもたらす悪鬼を次々と倒し、撃退したのである。目覚めた嵯峨天皇は、弘法大師に夢の話をした。「不動明王と愛染明王が一体化した、素晴らしい明王が現れた」と言ったのである。それを聞いた弘法大師はさっそく白檀の木で三体の明王を作り、それを厄神明王としたのだ。厄...不動明王と愛染明王が合体

  • 見てはいけない神様

    伊豆七島に数えられる神津島は、東京から南へ180km下がった所にある小さな島である。民話によれば、伊豆諸島を創った神々の集会場所であった事から、その名が付いたという。だが、この島に居るのは幸福をもたらす神ばかりではない様で、中には招かれざる神もいる。それが「二十五日様」と呼ばれる神様だ。この神が来る旧歴の1月24日の前後に島民は、仕事を休み外出を控えるのがならわしである。雨戸を閉め早々に就眠し、間違っても夜中に外を出歩いたりしない。何故なら、二十五日様の姿を見た者には災いがもたらされるという伝承があるからだ。日が暮れると、神社の神職らが二十五日様を迎えに港へ出る。そして村のあちこちをお参りして廻る。万が一にも途中で出会ってしまった場合は、もう一度その儀式を最初から始めなければならないのである。この二十五日様の風...見てはいけない神様

  • オソロシドコロという聖地

    対馬は長崎県沖の玄界灘に浮かぶ国境の島である。面積の9割を緑が占め、固有の動植物も多い自然豊かな島だが、この島にはかつて立ち入り禁止とされてきた場所がある。その名も「オソロシドコロ」だ。オソロシドコロは、対島に伝わる独特の宗教「天道信仰」の聖地である。7世紀後半に島の南部のツツ地区に一人の男子が生まれた。母は虚船(誰も乗っていない鉄の船・日本に伝わる伝説の乗り物)に乗って漂着した高貴な身分の女性で、太陽に感精して懐妊したという。天童と名付けられた男子は、嵐をまとって空を飛ぶ事ができる超能力者で、成長すると「天童法師」と呼ばれる様になり、時の天皇の病を治した事もあった。この天童法師の不思議な妖力に人々は信心を寄せ、やがて太陽と結びつけた天道信仰が根付いたのである。オソロシドコロとはこの天童法師の墓所である「(表)...オソロシドコロという聖地

  • 危険な急階段の聖地

    東京都港区の愛宕(あたご)山は標高およそ26mだ。周囲を高い建物に囲まれているので山という印象はないものの、23区内では最も高い山である。現在の様なビル郡が無かった江戸時代には、房総や筑波まで見渡せる眺めのいい名所だった。山頂には徳川家康が建立した愛宕神社があるが、本尊は家康が以前から大切にしてきた地蔵尊だ。この地蔵尊は防火の守り神なので、火除けの神様として信仰されてきた。さらに、本尊に祈った事で家康が天下を取れたという話が広まり、開運や勝利運にもご利益があるとして信仰を集めたのである。愛宕山を訪れる人々は、基本的には「男坂」と呼ばれる急勾配の階段を登るか、比較的緩やかな「女坂」を登る事になる。また現在は境内の裏にはエレベーターも設置されている。男坂は別名を「出世の石段」というが、この名には思わず冷や汗が流れる...危険な急階段の聖地

  • 屋久島は難易度が高い

    九州最南端の佐多岬から南南西へ60km下がった所にある、サンゴ礁の海にぽっかりと浮かぶ丸い島が屋久島だ。屋久島は日本で7番目に大きな島だが、その大きさは東京23区の面積と変わらない。しかし、この島には人々を引き寄せる自然のパワーが充満している。その一つが樹齢7000年以上と言われる縄文杉だ。今でこそ、その姿を一目拝もうと多くの人々が訪れるが、1966(昭和41)年に発見されるまで縄文杉は深い森の中で、何千年にも渡ってひっそりと樹齢を刻んでいたのだ。もちろん縄文杉だけではない。島の中心部の殆どを占める山々は九州地方の最高峰で、濃密に苔むした森は深く静かで、気軽に人間が立ち入る事が出来ない雰囲気がある。それは屋久島が「一ヶ月に35日雨が降る」と言われる程に雨の多い場所だからでもある。特に島の中心部の殆どを占める山の...屋久島は難易度が高い

  • 製薬会社に人気の神社

    奈良県桜井市にある大神(おおみわ)神社は、日本最古の神社と言われている。ここにはご神体を祀る本殿がない。背後にそびえる三輪山をご神体としているからだ。信仰の原点とも言うべきスタイルを残している為、こう呼ばれているのである。ご神体である三輪山は基本的に立ち入り禁止になっている。申し込めば登る事は出来るとは言え、撮影は許されない。今も神秘に満ちた山なのだ。周囲には大神神社と深い繋がりを持つ神社が点在しているが、狭井(さい)神社もその一つだ。入り口から神社へと至る小道は「くすり道」という。この道の途中に並んでいる灯籠は、形は至って普通なのだが、よく見ると一風変わった特徴がある事に気づく。製薬会社から寄贈された灯籠が、圧倒的に多いのだ。なぜ狭井神社はここまで製薬会社に人気があるのだろうか。その秘密は境内の片隅に作られた...製薬会社に人気の神社

  • 明治神宮の清正井は血を吸い上げる

    携帯電話の待ち受け画面にすると運気が上がる…。こんな評判で一躍パワースポットブームの火付け役となったのが、明治神宮にある「清正井」である。この井戸は安土桃山時代から江戸初期に掛けて活躍した武将の加藤清正によって掘られたという話になっている。確たる証拠は無いものの、築城の名人として名高い清正だけに、治水の知識にも精通していただろう事は想像に難くない。水温は常に15度前後を保っており、毎分60Lの水量はこれまで枯れた事がないという。ところが、この井戸はパワースポットどころか、出来ればあまり近寄らない方がいいという話もある。たとえば、ここはかつて水源を巡って争いが絶えなかった場所で、権力者たちが水源を独占しようと暴挙をふるい、多くの殺戮が行われたという話がある。水源の周りでは多くの血が流され、その血が地面に染み込み、...明治神宮の清正井は血を吸い上げる

  • 怪談のお菊が神様に

    日本に残る城の中で、唯一国宝であり世界遺産にも登録されているのが兵庫県の姫路城だ。城と言えば奇妙な伝承が付き物だが、姫路城で言えば、お菊と言う女の幽霊が井戸の脇で1枚、2枚…と数える「播州皿屋敷」の怪談が最も有名ではないだろうか。このお菊の正体は、1505(永正2)年に時の城主の家臣の「姫路城乗っ取り事件」の折に、愛人の命令で首謀者の元に送り込まれた女スパイである。正体を見抜かれたお菊は、城の家宝である皿の紛失をいたぶられ、最後には井戸に投げ捨てられた。今も姫路城には、その曰く付きの井戸が残されている事は有名だが、じつは同じ姫路市内にお菊を祀った「お菊神社」がある事を知る人は少ないのではないだろうか。場所は姫路城から1kmほどの距離に位置する十二所(じゅうにしょ)神社である。ここは10世紀ごろのある夜に、12本...怪談のお菊が神様に

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