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2020/07/01

1件〜100件

  • 最高の財産

    人にとっては、財産はどんな意味を持つのでしょう。財産が有っても、幸せな一生が送れるとは限らず、それなりの悩みは生じるようです。財産を持ったが為に、気の休まらない一生を送るハメに陥るケースも少なくありません。人は財産が無ければ無いで悩み、有れば有ったで悩むものです。人はこうした悩みから、解放される事は無いのでしょうか。現状に囚われ過ぎると、悩みは増大します。財産は固定的なものではなく、増える事も減る事も有ります。「働く事、学ぶ事、健康な事が、最高の財産さ」と明るく、前向きに考えて行動したらどうでしょう。人の幸せは、財産だけなのでしょうか。本当の財産と呼べるものが、他に有ります。それは「足る事を知る」です。これは、一度身に付けてしまえば、一生失う事は有りません。この知恵こそが「一生の宝」なのです。最高の財産

  • 無知を自覚

    「こんな事も知らないのか」と他人から言われて、しょげ返っている人を目にする事があります。よほどショックなのか、見ていても気の毒なくらいです。しかし、初めは誰も知らないのです。知らなかった事を恥じる事はありません。知る努力をすれば、それでいいのです。強がって、知ったかぶりなどすると、せっかくの機会を失って、しまう事になります。他人から何と言われようとも、落ち込んだりしないで、自ら積極的に判らない事は、判らないとハッキリ言って、教えて貰う事です。もし、教えて貰えないのなら、自分で調べてその知識を身に付けてしまうのです。自分には、まだまだ知らない事が沢山有るのだと認識して、その事を恥じずに自ら積極的に、新たな知識を求めて行きましょう。知らないままで済ます事、これこそが本当の恥なのです。無知を自覚

  • 一期一会

    人の命は儚いものです。つい先程まで元気にしていた人が、アクシデントに巻き込まれて、帰らぬ人となってしまうケースもあります。まさしく、一寸先は闇です。事件、事故のニュースを耳にしても、所詮は他人事として、軽く聞き流してしまう人がいる様ですが、明日は我が身なのです。今日でなくても明日会えるとか、いつか会えるとか考えているうちに、会う機会を逸してしまうかも知れません。今が最後のチャンスかも知れないのです。この事を認識すれば、人に対する姿勢は大きく変わってきます。一分一秒ありとも、疎かには出来ないと言う思いが生まれてくる筈です。相手に対する感謝の気持ちや、相手の為に尽くしたいと言う願望が、生まれてくる筈です。今この時が最後と心得て、悔いを残さない様な接し方を、心掛けたいものです。一期一会

  • つまらない環境

    「類は友を呼ぶ」と言う諺があります。考え方が似ている者、同じ様な感覚を持つ者は気心が合い、自然に寄り集まると言う意味です。世の中には、自分の事は棚に上げて「うちの連中は時間にルーズだ」とか「気持ちのいい奴がいない」とか、仲間や部下について批判する人がいます。しかし、こう言う人は、その元凶が自分にある事に気付いていません。仲間や部下の悪口は、実は自分に向けられる悪口なのです。つまり、部下や仲間の悪口を言うという事は、自分で自分の悪口を言って廻ってるいる様なものなのです。だから、他人の悪口を言う前に、自分を変えていく努力をすべきです。自分が変われば、必ず廻りも変わります。自分を変えないで、廻りだけを変えようとしても、無理な話です。自分の目につく仲間の欠点は、自分の欠点だと認識すべきです。つまらない環境

  • 好運を活かせる人

    ある時期突然思いがけない成果が、現れる事があります。そう言う現実を見て、羨ましく思い自分がそうなりたいと、願っている人もいる様です。しかし、勘違いして貰ってはいけません。いくら運が強いと言っても、何もしないで成果が自然に得られる訳ではないのです。どんな好運に直面しても、その好運を活かせる人と活かせない人がいるのです。折角の好運に気付かない人もいます。成功したのは運のおかげと言う場合も、必ず成功の原因はあります。運だけでは成功する事はできません。いつ好運がやって来てもいい様に、絶えず準備しておかなければなりません。また、常日頃からチャンスに備えて行動していれば、特別意識しなくても、自然に好運は訪れるものです。いかなる小さな努力も惜しまず、好運をいつでも掴み取れる態勢作りに努める人だけが、好運の恩恵を受けられ...好運を活かせる人

  • 現状に満足するな

    完成された人間などいません。未完成だからこそ、人は成長出来るのです。多くの人は、自分が未完成な人間である事を知っています。しかし、だからと言って自らを少しでも完成に近付けようと、努力する人は必ずしも多くはありません。未完成と知りつつも、今の自分に満足し、これ以上求めてもしょうがないと、諦めている人が多いようです。現状の自分に満足してしまったら、人はそれ以上成長する事が出来ません。現状より一段上を目指して、努力を積み重ねて行く事によって、人は一歩一歩成長する事が出来るのです。自分勝手に限界を作って慢心してしまえば、今より落ちる事はあっても、上がる事はないのです。自分には限りない可能性があるのだと信じて、不足を補う為の努力を欠かさず続けて行けば、人は一段ずつ成長の階段を昇っていく事が出来るのです。現状に満足するな

  • 打たれ強い人間になれ

    「俺の一番誇れることは、これまで只の一度も失敗したことが無かったことだ。それなのに、この俺が失敗するなんて…。僕はもうおしまいだ」一度の失敗で自暴自棄になって、二度と立ち直れないかのように、落ち込んでいる人がいます。しかし、失敗したからと言って、ビジネスマンとして、あるいは人として失格の烙印を押されてしまう訳ではありません。かつて「草魂」と言う言葉を口にした大投手がいました。きれいな花となるよりも、自分は踏まれても踏まれても、伸びてくる雑草のようでありたいと言うのです。彼は打たれても打たれても投げ続け、そしてついに大記録を達成したのです。失敗しないことが誇りではなく、失敗しても立ち上がって、挑んでいくことが誇りなのです。今こそ自分の真価が問われる時だと、立ち上がってこそ「草魂」が身に付くのです。打たれ強い人間になれ

  • 悪銭はやはり身に付かない

    一攫千金を夢みて、宝クジやギャンブルに労働に依って得られた金を、投資する人がいます。生活費をつぎ込み借金までして、やるという様になると、経済は破綻をきたします。自分一人が苦しむのなら、自業自得で済まされますが、周囲の人々まで巻き込むとなると、そう言う訳には行きません。自分が働いて得た金は、重みが有りますから、比較的手元に残りますが、働かずに得た臨時収入は、アッと言う間に失くなって仕舞うものです。手元に残った金を、臨時収入を得る為のギャンブルに投入するのは、あまりにも非経済的な行為と、言わざるを得ません。自分が働いて得た貴重な金は、もっと有効に、もっと大切に使うべきです。無駄な出資は厳に慎んで、一日例え僅かずつ蓄えると言う習慣を、身に付けましょう。一日僅かでも、一年二年と続けて行けば、纏まった額となる筈です...悪銭はやはり身に付かない

  • 欲望をバランスせよ

    人間には、いい家に住みたいとか、旨いものを食べたいという、欲望が有ります。欲望を持つこと自体は、否定すべきものではありません。欲望が生きる活力や、向上心を与えてくれるからです。では欲望は強いほどいいかと言うと、そうではありません。欲望が強すぎると、心身の健康が損なわれてしまいます。ですから、食欲が有るからといって、旨いものばかり選んで、食べられるだけ食べ、また飲めるだけ飲むと言うような、無謀な行為は厳に慎まなければなりません。物事には全て、適度と言うものがあります。自分の適度は、自分で守ると言うことが必要です。その適度は予め低めに設定し、その設定した量を絶対に越えることのないよう、気をつけましょう。後で辛い思いをするのは、他ならぬ自分自身なのですから、そうならない為のルールを自ら設定し、それを守るよう心掛...欲望をバランスせよ

  • 自分に問え

    健康ブームが叫ばれて久しい。書店には健康に関する本が溢れ、デパートやスーパーには健康用品が所狭しと並んでいます。高齢化社会を迎え、シルバー産業なるものも生まれ、健康産業と共に伸びていく傾向にあります。確かに健康は重要なものです。しかし、健康は人が生きる上で、最低限の条件であるに過ぎません。健康も大切ですが、そればかりではなく、自分は一体何の為に生き、何をしようとしているのかと言う事を、自らに認識すべきです。そして、自分が行動して行く上で、必要最低条件が健康なのだと認識して、人生の目的を果たすべく、積極的に行動する事に本当の価値が有るのです。自分に問え

  • 時には黙って

    人を育てるには、二つの方法があります。一つは長所を伸ばすという方法で、もう一つは短所を直すという方法です。どちらが良いと一概には言えませんが、敢えてどちらかと言われれば、前者の方がベターではないでしょうか。何故かと言うと、短所の矯正ばかりに熱心になると、長所を殺してしまいかねないからです。少しは自分の長所に自信を持っている人でも、毎日毎日欠点ばかりを指摘され続けらるのでは、持っていた自信を失ってしまう事になりかねません。一度失ってしまった自信を取り戻すのは、容易な事ではありません。もしやる気まで奪い取ってしまったら、取り返しが付きません。人を育てる側の責任は重大です。短所は目に付きやすいものですが、時には目をつむる事も必要です。短所を直せ直せとやかましく言うより、長所を伸ばして行く事を、より考えるべきなの...時には黙って

  • やるかどうか

    ビジネスマンにとって、結果は軽視する訳にはいきません。しかし、結果ばかりを重視して、結果に心を奪われてしまう事もあります。たとえば仕事を与えられた時に、成功できるかどうかばかり考えて、なかなか手を付けられないで、悩んでいる人がいます。「自分にはちょっと難しい様な気がする。誰か代わってくれないかなぁ」仕事を与えられたものの、自信が持てずにその仕事から逃れ様としているのです。ゴールのあまりの遠さを嘆き、自分が到達出来るかどうか、挑むべきかどうかで悩んでいるのです。結果は一つ一つの過程の積み重ねなのです。必ず到達出来ると信じて、挑んで行けば良いのです。問題は出来るかどうかではなく、やるかどうかなのです。一つ一つの過程を疎かにする事無く、積み重ねて行けば、結果は付いて来るものです。やるかどうか

  • 人生に「取りこぼし」は許されない

    人間はいろいろなミスを犯します。その中に、油断から生じるミスがあります。最初の内は、この種のミスは起きません。何故なら、油断が生じる余裕など無いからです。車の運転の場合は、免許取り立てより三ヶ月ほど経った頃の方が、事故の危険が高まると言われます。ある程度慣れてくると、神経の緊張も無くなり、運転も荒くなると言われます。ビジネスについても、同じ事が言えます。「あんなミスを犯す筈がないのに」とか「どうして彼が…」と言う様な事を耳にします。これらのミスは全て、慣れによる油断から生じるモノです。気持ちの持ち方で、防げる筈のミスなのです。いかなる仕事であろうとも、決して軽く見てはなりません。何をやるにしても、常に初心を忘れずに、新たにチャレンジする気持ちで、臨む事が大切です。人生に「取りこぼし」は許されない

  • 「なるようになる」はならない

    人間はいつ死ぬか判りません。しかし、時の流れに身を任せて、何の目的もなく毎日を送ってしまうと、何も出来ずに一生は終わってしまいます。また、死期が近づいて来てから、慌てて何かやろうとしても、大した事は出来ません。そうならない為には計画が必要です。何歳までに何をやり、何歳までに何をやる、と言う様に具体的な目標を立てて、実行スケジュールを作成するのです。頭の中で漫然と考えているだけでは、ダメです。ノートを一冊作って書いてみれば、計画は明瞭になります。後で読み返す事も出来ます。自分は一生掛けて何をやるのかと言う事を、自らに問うてみるのです。なるようになるさと軽く考えていると、必ず後悔します。人生の明確な計画を立てて、その目標に向かって日々一歩ずつでも、前進する事です。「なるようになる」はならない

  • 「果報」は起きてこそ

    チャンスは待ってさえいれば、与えられるモノでは有りません。何もせずにただチャンスが来る事を待っているだけでは、チャンスを手にする事は出来ないのです。また、いくらチャンスを待っても、本人に実力や可能性が無ければ、そのチャンスを生かす事は出来ません。チャンスを手にしたいと思うなら、自分で取りに行く位の気持ちが必要です。チャンスは必ず後から付いて来ると考えて、自身の実力の向上に努めるべきです。実力を高めて、チャンスを呼び込むのです。実力さえ有れば、チャンスの方から近づいて来ます。逆に実力が無ければ、チャンスが来ても生かす事は出来ません。チャンスを生かせるだけの、実力を養うべきです。「果報」は起きてこそ

  • その気になれ

    自分は何の為にこの世に生まれ、こうして生きているのだろうか、と考えてみた事があるでしょうか。世の中には何の目的も持たずに、ただ何気なく時が過ぎて行くのを、見送ってしまっている人がいます。また、自分の一度きりの人生を会社や他人に任せてしまって、言われるがままにしか動こうとしない人もいます。他人や会社の為にでなく、自分の為に生きているのではないですか。どうせ自分には大した事は出来やしない、と諦めてしまってはいないでしょうか。人はその気になれば、かなりの事がやれる筈です。その障害となっているのは、環境ではなく自分の心なのです。目的の達成に向けて地道な努力を続けていれば、道は大きく開けてきます。平坦な道ではないかも知れません。時間だって相当掛かるかも知れません。しかし、この道を希望に燃えて歩んでこそ、必ずよい満足...その気になれ

  • 「楽しい人生」だったと言える

    最近は、金に価値を求める人の増加が、目に付きます。新聞を広げて見れば、金とは関係のない記事を探すのに、苦労する程ですし、財テクを始めとするマネーゲームに、心を奪われてしまっている人の数も、決して少なくない様です。昨今も日本中大騒ぎとなった事件も、こうした社会現象を背景として、発生したと言えるかも知れません。確かに金に大きな価値観が、有る事は事実です。しかし、だからと言って金が最高の価値であり、人が何としても求めるべき価値であるかと言うと、決してそうでは有りません。金はあくまでも生きて行く手段で有って、目的では無いのです。大切な事は、より高い人格を身に付ける為に、努力すると言う事です。金をいくら積み上げても、人格を買う事など出来ないでしょう。金を人生の目的とせず、最期の最期に「空しい人生だった」と絶対後悔し...「楽しい人生」だったと言える

  • 一度きりの人生

    街を歩いていると、目を見張るような豪邸に出合います。「凄い家だなあ。こんな豪邸に住んでいる人は、どんなに立派な人なのだろうか。会ってみたいものだ」と思うことがよく有ります。しかし、よく観察してみますと、高い塀の上に、鋭く割られたガラスの破片が、上を向いて差して有ります。もちろん、泥棒の侵入を防ぐ為でしょうが、豪邸の住人の心の頑な面を、よく表しているものと、思わずにはいられません。恐らく誰に対しても、ガラスの破片を研ぎ澄まして、迫ってくるような人なのでしょう。人は富を手にすると、頑なになり守りを固め、取られないように、他人を遠ざけるようになります。これでは折角の富が、人生を詰まらなくするだけでは、ないでしょうか。折角生きているこの一度の人生を、もっと心豊かに生きる心掛けが必要です。一度きりの人生

  • 何でも見てやろう

    人にものを教える時、一日でマスターする人もいれば、一年経ってもマスター出来ない人もいます。同じように教えても、これほど結果に違いが生じてくるのです。確かに、能力差は有るでしょう。しかし、それだけでは無いようです。教えられる側の姿勢にも、問題が有るのではないでしょうか。学ぼうとする気持ちで臨むのと、しょうがないなという気持ちで臨むのとでは、大きな違いが生じるのは当たり前です。どんなに熱心に教えたところで、当人にその気が無ければ、猫に小判です。逆に学ぼうとする気持ちが有れば、一つ教えられるだけで、二つ三つと理解できたりするものです。何をするにしても、それに挑む姿勢が大切です。決して後向きにならず、常に前向きの姿勢で挑んで行くという気持ちをいかなる時も忘れずに、積極的に挑み続ける決意を持てば、一を聞いて十を知る...何でも見てやろう

  • 言い訳無用

    時間を守るという事は、ビジネスマンの常識です。しかし、この当たり前の事が、以外に守られていないのが現実です。時間に平気で遅れてきて、「道が混んでまして…。途中で電話を入れようと思ったんですが…」と弁解を始める人もいます。名刺を見て下さい。社名が印刷してあるでしょう。つまり、自分は会社の代表として人と会い、営業活動をしているのです。自分が遅れる事は会社が遅れる事で、自分が時間にルーズだと言う印象を与えれば、それは同じ印象を会社にも与えてしまいます。自分は会社の代表と自覚して、自らを厳しく律して行かなければなりません。言い訳や弁解は無用です。時間に遅れる事のないよう、自分なりのスケジュールを作り、早めの時間を設定し行動して行く事が必要です。ビジネスでは、絶対に人を待たせてはならないのです。言い訳無用

  • 五年先、十年先へ

    夢や希望を持つ自由が、人には与えられています。どんな大きな夢なり希望なりを持とうと、それは個人の自由です。しかし、遠い未来ばかりに目を奪われて、まるで現実を見ようともしないのには問題が有ります。たとえば、未来に頼って苦しい現実を回避する事ばかり、考えている人がいます。将来の願望ばかり先行して、現実を無視しているのです。夢や希望を持つ事を否定する積りは有りませんが、持ったからには実現に向けて努力すべきではないでしょうか。五年先、十年先に何をするかと言う事も大事ですが、その五年先、十年先に向けて今何をするかと言う事の方が、もっと大事なのです。確実に自分に与えられている今という時を、疎かにすべきではないのです。今自分が出来うる事に、全力を尽くして行くべきです。五年先、十年先へ

  • 明けない夜はない

    人は常に順風満帆という訳にはいきません。曇り空の時も有れば、強風吹き荒れる嵐の真っ只中の時もあります。また、暗く長いトンネルの中で、何時になったら光が見えるのか、見当も付かないという時も有るのです。雲一つない晴天の下なら、誰でも歩けます。天気が悪い時こそ問題なのです。ここで人によっては差が生じるのです。それでは、その差は一体何によって生じるのでしょうか。最も大きなものは心の差です。天候が悪いからと言って、その環境を恨み嘆いてみても、何の解決になるのでしょう。それよりも、必ず空は晴れると自らに言い聞かせて、今の試練に勇気を持って立ち向かうべきです。歯を食いしばって、一生懸命頑張っていれば、必ずや光が見えてくるものだと固く信じて、全力で前進して行く決意で臨めば、今日にも光が見えてくるかも知れません。明けない夜はない

  • 「経験」は知恵を生む糧

    人は日常生活で色々な事を経験します。しかし、残念な事に数多くの経験は、意識されず過ぎてしまう様です。経験の中には他から学び得ない貴重な教えが隠れています。この教えを掴み取れるかどうかは、ひとえにその人の意識に掛かっているのです。何の目的意識もなく、ただ漫然とその日の仕事をやっていると、手慣れては来るでしょうが、他の仕事に応用する力は付いて来ません。仕事をやると言う事は、仕事をより良くやろうと、あれこれ工夫をして行く事ではないてしょうか。今、自分がやっている仕事は、より大きな機会への挑戦を含んでいるのです。誰よりも早く一人前になり、さらに有能な先輩の仕事を受け継ぎ、大きく発展させて行く事が、本当の喜びです。この喜びが仕事を面白くさせ、貴方を仕事の鬼にして行くのです。経験は可能性を大きく伸ばしてくれるのです。「経験」は知恵を生む糧

  • 時間と頭は使いよう

    「この人はいつ勉強してるのだろう。勉強する暇なんか有るとはおもえないけど」多忙な毎日を送っているはずの人でも、勉強する人はちゃんと勉強しているものです。彼らは決して時間がないとは言いません。彼ら自ら時間を作っているのてす。「早い時間の方が電車も空いているから」と言って、毎朝始発電車で出社する人がいます。当然いつも一番乗りです。皆が集まってくるまで、机に向かって本を熱心に読んでいます。朝はオフィスも静かだから、読書や考え事に最適だと言います。満員電車での通勤を思えば、精神的にも肉体的にもこの方がずっと利口でしょう。しかし、それが分かっていても、実行している人は決して多くはありません。感心ばかりしていないで、実行してみましょう。自分の習慣にしてしまえば、それ程難しい事ではありません。実行する事によって得られる利益は...時間と頭は使いよう

  • 信用という顔

    人がこの世で成功する為の条件は、いくつか上げられますが、その中の一つに信用があります。世の中には「実力さえあれば」と言って、信用を軽視するひとがいる様ですが、決してそうではありません。仕事が思う様に行かなくなると、人はその原因を考えます。その時に意外と見落とされがちなのが、信用の問題です。信用の大切さは分かっていても、現実に直面するとつい忘れてしまい、技術面にばかり目が行ってしまいがちです。技術的な事をいくら反省し改めても、信用を得られなければ、何をやってもダメです。基本に立ち返って、信用を得ようと努力する事です。そう言う気持ちになれれば、人と相対する時にも、表情一つ取ってみてもまったく違ってきます。相手本位の考え方へと変わります。信用こそビジネス成功の第一条件なのです。信用という顔

  • 時間の引き出し方

    「仕事を頼むなら、忙しい人に頼めば、上手く行く」と言われています。「あの人は暇そうだから、彼に頼んでみよう」というのは間違いなのです。時間は全ての人に、平等に与えられています。誰にも二十四時間が与えられています。問題はこの二十四時間を、どう効果的に使うかに掛かっています。同じ二十四時間を使って、数億円の仕事をプロデュースする人もいれば、手紙文一枚も書けない人もいます。能力の差も有るでしょうが、人生に対する時間の大切さを、どう捉えているかに掛かっているのでは、ないかと思われます。ぼんやりと怠けて過ごした一日は、何か不完全燃焼の感じが残って、どうもスッキリしません。その反対に、汗を流して寸刻を惜しみ仕事にチャレンジした一日は、スッキリとして幸福感を持つことが出来るのです。時間の引き出し方

  • 自分の物差しで測るな

    自分の意見と友達の意見が、異なるケースがよくあります。これは冷静に考えてみれば、当たり前の事です。いくら友達でも自分とは感情も考え方も、まったく違う別個の人間なのです。ところが、この違いに腹を立てる人もいるのです。「どうしてあいつは、俺の意見に賛成してくれないのか。俺が一体何をしたって言うんだ。今までいい友達だと思っていたのに、ガッカリだよ」自分の意見に賛成してくれると信じていた彼にとって、友達が反対したのはかなりショックだったようです。しかし、友達は友達、自分は自分です。相手をそれだけ責める訳にはいきません。自分と同じ答えを求める事に、誤りがあるのです。意見を押し付ける事は、他人の人格を無視する事です。お互いの違いを認め合う事を、出発点にして、より良い友人関係を築くよう努力すれば、お互いにより大きく成れるので...自分の物差しで測るな

  • 仕事に体を張れ

    人を動かすのは、容易な事ではありません。好成績を上げていた人が、人を使う立場になって、部下の成績が思う様に上がらないと、嘆いている光景によくお目に掛かります。部下に責任を求めるのは簡単ですが、部下に向かってもっと働けと、厳しい注文を付けるのも簡単です。しかし、それでは状況は変わりません。部下に変化を求めようとするのならば、まず自らに変化を求める事です。部下よりも遅く出社していないか、早く退社していないか、さらに、日中彼らより多く活動しているかどうかなど、チェックしてみる事です。書類や伝票の整理などで一日中机から離れず、座ったままでいくら指示を出し、部下に動けと怒鳴ってみても、それでは人は動きません。まず、自分が額に汗して動く事です。自分が動けば、必ず人も動いてくれるものです。仕事に体を張れ

  • 失敗を運のせいにするな

    世の中には「俺はなんてツイてないんだろう。何をやっても上手くいかない。あ~あ、つまらないなあ」と運がない事を、嘆いている人がいるようです。失敗の責任を運に求めている限り、その人は成功する事は出来ません。その内自分にも運が巡ってくるだろう、などと考えている人には、成功の女神は微笑んではくれないのです。運が無いから、失敗したのでは有りません。成功するにしても、失敗するにしても、その結果に至る原因は、必ず存在するのです。運が無いと嘆く前に、失敗の原因を自分に問うてみて、自分の犯したミスを明確に認識する事が必要です。そうする事によって、同じミスを繰り返さない様になるのです。結果には必ず原因がある。そして、その原因は自分の内に有ると認識して、改めるべき点を改めていく事が、成功へと繋がっていくのです。失敗を運のせいにするな

  • 完全燃焼

    一日に使える時間には限界があります。不眠不休で頑張っても、二十四時間以上は与えられません。しかし、中には一日ぐらい怠けたって、影響は無いだろうとタカをくくっている人もいるのです。また、無理に今日やらなくても、明日やれば問題ないだろうと、安易に翌日に廻してしまう人も有るようです。怠けたツケを返すのは、容易な事ではありません。今日の仕事を翌日に廻せば、次の日の仕事は一つ増え、近い内に抱えきれない程多くの仕事を抱えざるを得ない状況に陥ります。それから慌てても手遅れです。明日があるなどと思って、期待してはなりません。一日一日が勝負なのです。今日の勝負を次の日に廻してはならないのです。今日つけるべき勝負は、今日中に何としてもつけると言う強い決意を持って、決して怠ける事なく、今日一日を完全燃焼させるべきなのです。完全燃焼

  • 欲に惑わされない

    金は人を容易に変えてしまうものです。遺産を巡って、親子や兄弟が激しく対立し、法廷闘争に明け暮れるというケースも、少なくありません。また、金が有る内は皆友達の様な振りをして、寄ってきます。しかし、金が無くなれば皆ソッポを向き、離れていってしまいます。金の為に親友を一人も持てないとか、信じていた友に裏切られたといった状況に、直面する事にもなります。こうして見ると、莫大な財産が無い事が、むしろ幸せなのかも知れません。家族で憎み合ったり、信頼している友から裏切られたりする事は、誰も好みません。しかし、実際にそう言う立場になると、周囲の状況の変化に巻き込まれてしまうものです。財産が無いと言う事は、決して悲しむべき事ではないと認識して、金に対する欲に動かされない心を、鍛えるべきなのです。欲に惑わされない

  • 欲に惑わされない

    金は人を容易に変えてしまうものです。遺産を巡って、親子や兄弟が激しく対立し、法廷闘争に明け暮れるというケースも、少なくありません。また、金が有る内は皆友達の様な振りをして、寄ってきます。しかし、金が無くなれば皆ソッポを向き、離れていってしまいます。金の為に親友を一人も持てないとか、信じていた友に裏切られたといった状況に、直面する事にもなります。こうして見ると、莫大な財産が無い事が、むしろ幸せなのかも知れません。家族で憎み合ったり、信頼している友から裏切られたりする事は、誰も好みません。しかし、実際にそう言う立場になると、周囲の状況の変化に巻き込まれてしまうものです。財産が無いと言う事は、決して悲しむべき事ではないと認識して、金に対する欲に動かされない心を、鍛えるべきなのです。欲に惑わされない

  • 自己実現

    人は一生涯掛けて自分という人間を完成させます。世の中には、生まれつき立派な完成された人間など、存在しません。多くの人々と会い、多くの経験を重ね、その中から色々な事を学んで、人は自分を完成へと近づけて行くのです。こう考えると、ビジネスマンは恵まれた環境に生きています。毎日多くの人との出会いを繰り返し、貴重な経験を積む機会が与えられます。しかし、チャンスを活かそうと意識して努力しなければ、目標に近づけません。自分の最終目標が明確に把握出来ていれば、いかなる状況にも少しも動じる事はありません。全てが自分を完成に近づけるチャンスとして目に映るはずです。自己の完成を大目標として掲げ、あらゆる機会に動じる事なく、自らを磨き、完成へと近づける絶好のチャンスと捉えられる人は、着実に完成への階段を上って行けるのです。自己実現

  • 他人は自分を映す鏡

    人には必ず何がしかの欠点があります。その人の欠点を見つけようと探せば、それは決して難しい事ではありません。しかし、他人の欠点を指摘する事で、何らかの自己満足を得たとしても、一時的には優越感を感じる事が出来るかも知れませんが、それは誤った自己満足であると言わざるを得ません。他人の欠点を指摘する暇があるなら、その時間を自分の欠点を見出だす事に使うべきです。他人の欠点を見出だしてしまったら、それを自分の欠点として捉えるのです。つまり、他人の姿を見て自分を変えるのです。自分の姿を変える事によって、初めて自己の成長が得られ、本当の満足が得られるのです。他人の欠点は自分の欠点と心得て、自分自身の姿を見直してみて、改めるべき点があれば、努めてこれを改める心構えが必要です。他人は自分を映す鏡

  • 唯一の選択

    とにかく現在の苦しみから逃れたい。そんな想いが人を自殺へと、駆り立てるのでしょうか。自殺という新聞記事を目にするたび、何かを考えさせられる様な気がしてなりません。先日、テレビ番組である経営者が、こんな事を話していました。「死にたいと思った事は何度もありますが、楽しようと思うなという恩師の声が、私に死を選ばせなかったのです。お陰で辛く苦しい毎日でした。今だから笑って話せますが」死んでしまいたいと思う様な場面に出会った時には、この経営者の話を思い出して欲しいのです。決して安易に逃げようなどと、考えてはなりません。勇気を出して、直面している困難に立ち向かうべきなのです。これから先、仮にどんな困難に直面しようと、逃げずに立ち向かう事が、与えられた唯一の選択なのだと、言い聞かせれば、強い生き方が身に付いていくのです。唯一の選択

  • 周りは見ている

    自分が考えている以上に、他人は貴方の事を見ているものです。誰も見ていないからと言って、姿勢を崩そうとする油断が、後で命取りとなる事もあります。その場は何とか凌げても、早晩メッキが剥がれてしまいます。待ち合わせの約束をして、喫煙所で煙草を吸いながら待っている人がいます。彼の手元の吸い殻入れは、噴煙山盛り状態です。商談の折りに煙草を控えている彼ですが、咥えている煙草を見られればお仕舞いです。煙草を吸うのにも、時と場所を誤ってはなりません。折角の努力もふとした油断が元で、水の泡となってしまいかねません。自分は常に誰かに見られていると思って、自らの行動や姿勢に十分注意を払い、自らを厳しく律して行かねばなりません。いついかなる時も、誰に見られても恥ずかしくない姿勢を保ち、ビジネスチャンスに備えるよう心掛ける事も大切です。周りは見ている

  • 乗り越える勇気

    人は弱いものです。仕事上の僅かなミスを気にして、その責任を逃れようと、必死になって言い訳を探します。私自身もまさに、この弱き者の一人なのです。大事な事は、僅かなお金に拘って、自分を小さくしたり、自分で自分が惨めになったりしない事です。人間にとって大事な事は、豊かな心を持って、周りの人々の幸せづくりの為に、自分の能力を活用していく事です。どんな大きな失敗でも、すべて自分の責任なのだと考え、それを進んで背負う勇気に、心から敬意を払うものです。生きていく上で、どうしても失敗はあります。失敗したら責任をとる勇気があれば、今度は必ず成功します。成功は失敗を踏み台にする勇気から生まれます。乗り越える勇気

  • 人事を尽くす

    武田信玄がこういう事を言っている。「負けるべきでない合戦に負けたり、亡ぶはずのない家が亡ぶのを見て、人はみな天命だという。しかし自分は決して天命だとは考えない。みなやり方が悪いからだと思う。やり方さえ良ければ、負けるような事はないだろう。」戦えば必ず勝ち、戦国時代最高の名将と謳われた信玄の言葉だけに、非常な重みがある。確かに、何事に於いても、我々は失敗するとすぐに「運が悪かった」という様な言い方をしがちである。それは何も今日の人間だけでなく、「勝負は時の運」とか「勝負は兵家の常」と言ったことわざも有るくらいだから、昔からそう言う考えは強かったのだろう。しかし、そう言う考えは間違っていると、信玄は言っている訳である。敗因は全て我に有りと、言う事だろう。厳しいと言えば、真に厳しい言葉である。しかし考えてみれば、食う...人事を尽くす

  • 貧乏神を近づけない

    貧乏をしている人に「あの人には、貧乏神がついているね」と言うのは、大きな間違いである。貧乏神は、貧乏な人にくっついているのではない。むしろ、お金持ちにくっついて、お金持ちを苦しめるのである。では、どんなお金持ちに、貧乏神がつくのか。自分が稼いだお金を、自分の快楽や贅沢だけに使う人に、天から貧乏神が下りてきて、ぴったりとくっつく。そして、こんなエゴのお金持ちには、決して安楽を与えない。逆に福の神は、人の為にどんどんお金を使うお金持ちがいると、天からさっとやって来て、その人に味方して、幸せを守ってくれる。貧乏な人でも、たとえいささかでも「人の為」にお金を使う人には、素敵な福の神がつくのだ。「道に志す」という「道」とは、天道である。天道は、利己的な考えで生活をしている人には、少しも力を貸してくれない。お金が有ろうと無...貧乏神を近づけない

  • 能力より性格を

    今の学校の先生たちの心は、危機にさらされている。教育とは、人が幸福に生きる為の真実を教える事が、その眼目であろう。生徒たちの人生を豊かにするには、心を裸にして、自分の失敗談を話してあげる事も必要である。自分が子供の頃には、田んぼの片隅にはポツンと立っていたお地蔵さんの事を、懐かしく話してやる事も大切だ。旅行先でこんな人にこんな親切をされたとか、日本の歴史の中に、こんなに楽しい人がいるんだよ…とか。今日の学校では、教科書以外の事を教えるのは余談であると、禁止された。教育の三本柱は、教育、知育、体育である。子供たちの心の安全を育てるのは、徳育なのである。先生方が日常もっとも気楽に「君は思いやりがあるね」「貴方は本当に優しい人だね」「お前さんは実に親切な人だね」「君の笑顔は素晴らしいよ」と、勉強以外の事で生徒に温かい...能力より性格を

  • 「常識」を疑ってみる

    ある日に子貢という弟子が、孔子にこんな質問をした。「郷人皆之を好せば如何」と。郷人とは、今日で言えば市民とか国民と言う事になろう。市民や国民が、これは良い事だと好んでいるものは、良いと言えるのでしょうかと、いう質問だ。孔子は「未だ可ならざるなり」と答えた。皆んなが良いと言ったって、良いとは言えないね…と。そこで子貢は質問を重ねる。「郷人之を悪まば如何」と。市民や国民が、これを悪い事だと嫌っているものは、悪いと言えるのでしょうか。孔子は、また答える。「未だ可ならざるなり」と。皆んなが悪いと言っても、本当に悪いかどうかは、判らないね…と。今日では、市民や国民の多数の意見とか、世論によって、善悪を決定する。社会にしっかりした世論というものがなければ、人民の幸福を増大させる事はできない。それは、良く判っているが、と言っ...「常識」を疑ってみる

  • 話をよく聞く

    自分の考えをまとめて、要領よく話す事が、皆んなとても上手くなった。老人も子供も成人も、かつてはまったく考えられないくらい、発表能力が上達したが、自分の考えはよく主張するが、相手の考えを聞く耳を、すっかり失ってはいまいか。広い知識を得て、自分の考えをまとめる事は、現世を生きる上で必須であろうが、その考えを相手に合わせて、相手の考えを尊重する態度を持たないと、素晴らしい貴方の考えは、いささかも現実化しない。せっかく苦労して確立した自分の考えが活きないばかりか、返って反感を招き、友を失って孤立する。「之を約するに礼を以てす」皆んなが自分の意見をしっかり持つようになったら、お互いに他人のそれぞれの意見を聞き入れる、態度や礼節を養わないと、明るく幸福な世の中にはならない。自分の意見だけが正しいのではないことを、心に銘記す...話をよく聞く

  • 思い通りにしようと

    子供を持っている多くの親達は、自分の子が「宇宙の子」であると言う事が理解出来てない。「とんでもない。うちの子は、私が産んだのよ。私の子供でしょッ」まさに、事実その通りであるが、十月十日胎内にいる時に、一本一本の毛をはやし、手と足にツメを着けてくれたのは、誰なのか。それも、よく思わなくてはいけない。人間は誰もが、宇宙の生成力によって生まれ、そして死ぬ。さて、子供が宇宙の子であると言うなら、両親がどういう点に注意しなくては、ならないのであろうか。自分の子供は決して、自分の思い通りには成長してくれない…と知る事なのだ。子供には自然から授かった、子供の素性がある。「人の生くるや直し、之れをなくして生くるや」いくら自分が産み育てた子だからと言って、自分の思い通りにさせようとするのは、間違いである。その人の素性に、適正した...思い通りにしようと

  • 見守る度量を

    生きとし生けるもの、微生物に至るまで、全てが大宇宙の生成力(天徳)の表れである。もしその事を実感しないと、私たちはちっぽけな人間社会の価値観にだけ、振り回されて、心の迷いに囚われる。両親たちは、殆どが頭のよい子に育てられれば、一番いいと思っている。では、頭のよい子がいい子てあり、頭のよい子がしっかりした子なのであろうか。頭のよい子でいい子もいる。頭のよい子で悪い子もいる。頭が悪くたって「いい子」は沢山いる。だから、決して頭のよい子がいい子ではない。一般に「頭のよい子」と言うのは、学校や塾で教わった事を、しっかりと記憶している子の事だ。「いい子」とは「生きている尊さ」を知っている子だ。「勉強しなさい」「あれをしなさい」「これをしなきゃダメ」と言う前に、もう少し宇宙や自然のリズムに合わせて、ゆっくりと、うるさい事は...見守る度量を

  • 親を大切に

    もともと、私たちは「仁」の心で生きている。「仁」の心を生きている。宇宙の「モノを育て慈しむ」心を生きているのだ。その「仁」の心は、人が「自分の為」ばかり思っていると、次第に消滅してしまう。ここが、肝心である。「仁」の心は広く宇宙に有り、かつ自分にも有るが、自分中心の考えでは隠れてしまうのだ。これを目覚めさせるには、天空に声を掛けるか、太陽に合掌するか、月を賛美するか、自然の懐に抱かれるか…。そして、心の底から「ありがとう」と思う事だ。「親に篤ければ、則ち民仁に興る」自分に人を思いやり、慈しむ心が生じたら、まず自分の両親や兄弟に、その「仁」の行動を摂る事だ。その影響を受けて、周りの人に仁愛の心を忘れず接する事だ。私たちは他の動物と違って、モノを考え文化を持った人間として、二度と無い最愛の命を生きているのだ。二度と...親を大切に

  • マニュアルに頼らない

    孔子は言う。「君子は質のみ」と。「質」とは本質である。人は世間とか生命とか、あらゆるモノの上辺だけを、軽く知って生きて行くよりも、もっと深い本質を理解して生きた方が、より人生を楽しめる…と言う事だ。何よりも、まずは自分が今ここにこうして、生きている事の深い本質を味わいたい。草や木に花が咲く。「まあ、美しい」と感嘆する。それだけでは、足りないのだ。この草や木に美しい花を咲かせるのに、その根っこは明るい太陽をのがれ、真っ黒でじめじめした大地に埋もれて、土から間断なく栄養を取ってくれている。この本質的な事実が、草木の成長と見事な開花のエネルギー源である事を、しみじみと観想する事が大切なのだ。上辺だけでなく、あらゆる生命の本質を知れば、人生はもっと美しく、もっと尊く、もっと有り難くなる。その時、人はあらゆる苦悩から、脱...マニュアルに頼らない

  • 仕事が趣味では

    まず、目の前の仕事をはかどらせよ!与えられた課題を、着実に成し遂げろよ。全ての人が、働く喜びに目覚める事だ。働く喜びの無い人には、いろいろな例を示して、労働の真の喜びを伝えよ。一歩ずつ目標を達成して行けば、働く喜びは必ず実体験出来る。働く喜びは、実体験に依ってしか味わえない。だから、働け!懸命に働き続けろ!そんな、リーダーの忠告を素直に受け実践して、どこかに人生の安らぎが有ったのか。そんな汗だくの人生に、満足感が有ったのか。働くばかりの人生のどこに、幸福が有ったのであろう。修身・修行をせず、趣味の一つも持たず、お金ばかりを追いかけて、身も心も病み、疲れ果てて終焉するのは、醜い。最先端の科学技術を以てしても、科学者たちは、たった一つの生命を生み出せない。貴方の尊い生命は、宇宙の力に依って生まれ、生かされている。こ...仕事が趣味では

  • バカ正直にならない

    自分の意見を、正直に堂々と話すことが、何故悪いのだ…。まったく仰せの通りである。正直一途は結構な事だが、バカ正直な人は、周りの人に不快と迷惑を掛けている事がある。もしガンを患っている人に「あんたはガンだったそうじゃないか。うへぇ、やっぱりガンだったんだね」と、平気で言う人がいたとしたら、無礼千万だし、不躾でもあろう。まさか、そんな事を言う人が、いる訳ではないであろうが、これに類する一直線の無礼な正直者が、最近甚だ多い。女性に「私ちょっと皺が増えたわ」と言われて、「ああ、そうだね」はない。「でも、君の目は前よりも、もっと素敵だよ」と…。バカ正直な人の言動は、人を責める事が急で、相手を思いやる事をしない。孔子は「直にして礼無ければ、則ち絞す」と言う。絞すとは、首を締めて人を殺す事だ。二年ぶりに同窓会に行った処、ある...バカ正直にならない

  • 互いの価値を認め合う

    目には見えず、これと言って手に掴む事は出来ないが、私たちの生命活動の大本は、宇宙の生成力(徳)の偉大で不思議な力である。人は決して、一人で生きているのではなく、皆んなが同じ偉大な宇宙の生成力で、生きている。貴方の生命も、私の生命も、考え方は違っても、その根元はまったく同じであった。この同じ生命の大本である「徳」の力は、しっかりと自覚する時間が欲しい。それが、まさしく「道徳」の時間である。偉大なる宇宙の徳を感じて歩く道…。皆んなの生命の根元は一つだから、広く皆んなを愛して生きよう。目の前にいる人を、心から思いやって、仲良く生きていこう。弱肉強食の競争をして、一人勝ちして威張るような格好の悪い生き方は、止めようじゃないか。一人勝ちして威張ってみても、そこには孤独で冷たい人生しかない。宇宙の心と一緒になって、人を愛し...互いの価値を認め合う

  • 悩んだら深呼吸

    現代人は、自分の考えさえしっかり持てば、それだけで一人前であるかの様に、思っている人が多い。あるいは、自分の知能とか技術が充実していれば、豊かな人生が送れると、信じきっている人も多い。その通りで、あるかも知れない。しかし、この一回こっきりの人生を、真に人間らしく生きるには、あらゆる人間が、偉大なる宇宙の生成力(徳)一つに依って生かされていると言う、疑う事の出来ない事実に、目を開かなくてはならない。何故か自分が宇宙の生成力に依って、生きていると言う事実に無関心な人は、逆境に対処出来ないから…。いくら自分の考えをしっかり持っていても、自分の考え通りに世の中は動いてくれない。知識と技能に優れていても、アッという間に時代遅れになってしまう。しかし「仁者は仁に安んず」で、もし宇宙の寛大な生命と一体感があれば、どんな時も安...悩んだら深呼吸

  • 欲張らない

    人生は短い。私たちはともすれば、今よりもっとお金を貯めたい、今よりもっといい仕事をしたい、今よりもっと長生きをしたい、今よりもっと地位を上げたい、今よりもっと人に認められたい…と、もっともっとと思いながら、上を目指して日々を送る。そうして「したい」様になる為に、さまざまな企画を立てて努力している内に、だんだん居心地の悪い人生になっていく。自分の「したい」事が、自分の能力に適したものであれば、何の問題もないが、あまりにも自分の波長に合わない事を「したい、したい」と骨を折っている人の多いことか。「したい」ことが多くて「したい」ようにならないと、誰もが不満や愚痴をこぼし出す。その内悩み、苦しみ出す。孔子は、どんな不幸な状態であっても、その不幸の中に一筋の光を見つけ、あれこれ「したい」と思わず、ひたすら人を思いやって「...欲張らない

  • 無礼者には距離をおく

    人は社会を離れて、生きていけない。人間関係を疎かにしては、生きていけない。社会生活の中で、人間関係を潤滑にしていくには、礼節が大切である。レストランでもホテルでも、この頃は以前よりずっと丁寧に、礼を尽くしてくれる。気持ちが良いが、この礼の作法がお客を呼ぶ為の技術であったら、枝葉のものになる。礼の作法を行っている、人の心は育っていかない。礼とは、人に敬意を表す作法だ。ではいったい、人が持っている何に敬意を表すのか。あらゆる人は、宇宙の生成力(大徳)によって生きている。その人の大徳の力を、敬するのである。社会には敬意を表したい人も、そうしたくない人もいるだろうが、たとえどんな人であっても、宇宙の大徳の力によって、歩き、立ち、座っているのだ。万人が持っている、完全無欠の大徳の力を敬し、礼の作法を行っていく事で、実は自...無礼者には距離をおく

  • 支えてくれる人の存在

    小学生や中学生の表情が、暗く厳しくなっている。大人しくて明るく可愛らしい子供が、随分減ってしまった。何処とはなしに、兎に角、人に抜きん出る事ばかりに、焦っている。大人たちの表情も、真面目ではあるが楽しさがなく、何処かに迷いがある。スカッとしない。社会の中で抜きん出るには、どうしたって友と戦わなくてはならない。皆んなで一緒に仲良くやろうという、人徳が無くなった。常に自分だけが、抜きん出ようという一念で、友と戦い友と比べ、友情は上部だけの薄っぺらな物に、なってしまった。世の中の人が、殆んどそういう競争と孤立の方向で生きていく中で、大病をした人や災害やトラブルに巻き込まれた人たちは、自分が沢山の人たちのお陰で、生きて来ている事を知って、感謝をして生きている。「徳狐ならず、必ず鄰(となり)有り」「ありがとう」と言える人...支えてくれる人の存在

  • 支えてくれる人の存在

    小学生や中学生の表情が、暗く厳しくなっている。大人しくて明るく可愛らしい子供が、随分減ってしまった。何処とはなしに、兎に角、人に抜きん出る事ばかりに、焦っている。大人たちの表情も、真面目ではあるが楽しさがなく、何処かに迷いがある。スカッとしない。社会の中で抜きん出るには、どうしたって友と戦わなくてはならない。皆んなで一緒に仲良くやろうという、人徳が無くなった。常に自分だけが、抜きん出ようという一念で、友と戦い友と比べ、友情は上部だけの薄っぺらな物に、なってしまった。世の中の人が、殆んどそういう競争と孤立の方向で生きていく中で、大病をした人や災害やトラブルに巻き込まれた人たちは、自分が沢山の人たちのお陰で、生きて来ている事を知って、感謝をして生きている。「徳狐ならず、必ず鄰(となり)有り」「ありがとう」と言える人...支えてくれる人の存在

  • プラス思考の友を持つ

    どんな友だちを持っているかで、人生は変わる。人は色々な楽しみを、胸にして生きている。欲を欲しいままにして、多額の財を得て、胸を張っておごり高ぶるのが、楽しみな人。ゴルフやクルーザーで友だちと興奮し、友情に耽るのが、楽しみな人。旨いものを沢山食べ、上等な酒や焼酎を飲み合うのが、楽しみな人。どんな楽しみを持って生きるかは、それぞれ自由である。人に迷惑さえ掛けなければ、なるべく沢山楽しみを持って生きれば良いが、そういう友は単なる友であって「賢友」ではない。賢友とは、自分の命が宇宙の生成力(天徳)によっている事に、深く目覚めている友を言う。賢友は宇宙の生成力に、常に感謝している。「賢友多からん事を楽しむ」宇宙と共に生きている賢友は、例外なくブラス思考で、明るい顔をしている。そんな賢友を友としていると、それだけで人生は好...プラス思考の友を持つ

  • 視野を広げて生きる

    考えが人生を作る。私たちは考えによって、思い通りの人生を実現しようとする。それには、まず自分の考えをしっかり持ちなさい。そうすれば、貴方は貴方の人生を前向きに生きられる…。現代の人は頭で考える事に、自信を持ちすぎてしまった。そして、毎日自分の口から、自分の考えを吐き出して、ひっきりなしに文句を言っている。冷静に考えてみれば、人生というものは自分の考えた通りに行く筈がないのに、その通りにいかないと、不快さが極度に高まる。たまには自ら手を下して、頭に浮かんでいる自分の考えを、スパッと捨てないと、不測の運命に出会うと、たちまち途方に暮れてしまう。考えが強すぎる人は、新しい運命にうまく対応出来ない。人生が自分の考え通りに行っている時には、そのままで良い訳だが、考え通りに行かない時には、自分の考えを捨てさえすれば良いのだ...視野を広げて生きる

  • 自分を過信しない

    貴方の人生を作っているのは、貴方の頭の中に湧いてくる想い。貴方の人生は、貴方の想いによって、展開してきた。現代人は、神や仏への信仰はしなくなったが、その代わり自分の想いを信仰している。一億、二億の人たちが、皆んな自分の想いに執着して、なかなか相手の想いを受け入れない。少しでも想いが違うと、もう相手の想いに納得出来ない。自分の想いを大切をするのは結構だが、自分の想いだけが絶対であると思うのは、すこぶる傲慢である。もし自分より強大なものに、自分の想いを打ち砕かれると、心が痛み憂鬱になり、閉じこもってしまったり、暴走したりする。「君子は徳を懐く」と孔子は言う。人間の「想い」を軽視はしないが、自分の想いではとても及ばない、目に見えない偉大な力によって生きている事実を、こざかしい常識を捨てて、見直してみなさい…と。この世...自分を過信しない

  • 「自分の価値」を見直す

    「自分は大したもんだ」と胸を張って、自信を持って生きる事も、大事な事だが、一方では常に「自分は大したもんじゃない」と一歩引き下がって、遠慮して生きる事も、大切なのだ。人間は人の力だけでは、一瞬たりとも生きては行けない。風の力、水の力、緑の力、太陽の力…。つまり自然と宇宙の命が無くては、どうしても生きられないと言う事実を、自身が感じれば、成功しても思い上がる事はない。「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」これは孔子の言葉の中で、最も重要な言葉だ。孔子の人生の目標は「道」、つまり宇宙の偉大さを知り、その真理を体得し、宇宙の心である謙虚で誠実な真心と思いやりを持って、良縁のある人に尽力する事であった。それには、まず相対的な人の価値を超越して、宇宙の道理の素晴らしさを自得する事であった。人たるもの、もし宇宙の生命の道理...「自分の価値」を見直す

  • 光をいっぱい浴びる

    徳とは宇宙の生成力である。この広い大宇宙に満ち溢れ、ものを生み、ものを変化させる偉大なる生命源である。徳の大きな力は、目には見えない。肌で感じられない。どこでどう働いているのか、人間にはまったく分からない。見えない。分からない。掴めない。しかし、この偉大なる力がある。この力が無ければ、宇宙の運行はない。この力が無ければ、自然の美しい変化もない。この力が無ければ、生きとし生けるものは、あッという間に全滅するが、この力には名を付けられない。何と言っていいのか、分からない。有るには有るが、名がない。現代の科学者たちは、この偉大なる宇宙の生成力に対して「サムシング・グレート」と、仮に名付けている。「何か分からないが、偉大な力」という意味なのだ。孔子はこれを仮に「徳」とか「直」と言っているに過ぎない。この徳を、堅苦しい世...光をいっぱい浴びる

  • 無理に仲良くしない

    徳とは、自然や宇宙の生成力である。徳には、天徳、地徳、人徳の三つがある。その内のもっとも偉大なものは、天徳である。天、つまり宇宙の生成力そのものである。生成力とは、ものを生み育て、ものを変化させ、ものを運行する力である。化育力ともいう。太陽がキラキラ輝き、月も地球も火星も金星も、その周りを決められた速度で、決められたコースを巡っている。これら誰の力によるものか。天徳の力による。この天徳が地球の自然に働いて「地徳」になる。つまり大自然の生成力となる。山に緑が茂り、川が流れ、川には魚が泳ぎ、空気が流れて風となり、美しい花が咲き、おいしい実がなる。これは宇宙の生成力が、地球の自然の中で働いていてくれてある「地徳」である。また天徳が、人間に働いて「人徳」となる。孔子は「天が徳を予に生ぜり」という。美しい花が見られる。か...無理に仲良くしない

  • 「実行力」を磨く

    弟子の子貢がある日、孔子に向かって、こんな質問をした。「貧乏であっても、へつらう事なく、金持ちであっても、驕り高ぶる傲慢さがない…、こういう人物は如何なものでしょうか。理想的な生活態度と言えるでしょうか」孔子は、次の様に答えた。「それは、まあ結構な態度だと言えよう、でもな、それよりもっと素敵な生き方とは、貧乏であっても、その日その日を元気に明るく、皆んなと楽しみ、お金持ちになっても、和やかで優しく礼儀のキチンとした毎日を送る事だね。お金の有る無しではなく、毎日の生活を礼を尽くして、元気に明るく楽しく生きられる様に工夫する事だ」すると、子貢がこれを受けて言った。「『詩経』にある‘’切磋琢磨‘’ですね」「切」とは、象牙とか玉石岩を切り取る事。次にそれを「磋」する。磋とは、ヤスリで磨く事。さらに「磨」とは、ノミでコツ...「実行力」を磨く

  • 自分に必要か

    電化製品も車も、あまりに安いと、そんなに欲しくなくなる。家や土地は手が届きにくい値段になると、返って何とか手に入れ様と、執着し始める。物の値段というものは、とても上手く付けてある。今の自分の収入では、とても買えないがローンを利用すれば、まったく買えなくはない。そうなると、あまり必要の無いものにも、強い執着心を抱く様になり、その物から心が離れなくなってしまう。その執着心に心を惑わされ、人生の道筋を狂わされてしまう。いつの間にか、とても出来ないのに、出来ると思わせてしまう魔法の杖を持たせられ、無理の上に無理を重ね、ものの奴隷になる。孔子は子路というお弟子さんに「鳥たちの動きを見ていると、その時その場に応じた、執着のない行動をしているね」と言った。子路はそこへ飛んできた、キジに餌を投げた。キジは三回餌の匂いを嗅いだだ...自分に必要か

  • 「変化」を恐れない

    現実というものは、あッという間に変わる。今朝は雨だったのに、昼からはカンカン照りという様に…。今年は景気が良かったのに、来年は不況になる…。社会の流れがどんどん変わっているのに、自分の頭にこびり付いた善悪の固定観念を曲げる事ができない。とにかくなりふり構わず強情に、自分の考えを張り通して、それで勝った積もりでいるのは、最低に下落した人間である事に、一向に気が付かない。孔子は「過ちては、即ち改むるに憚る事なかれ」の名言を残している。自己主張はいくらしてもいいが、自分の考えが今の時制に合わない事があったら、面子に拘ってどこまでも押し通す事はしないで、「いや、これは私の間違いです」と、率直に認める。孔子は謙虚を美徳とし、頑迷を嫌った。自分の力を頼み、頑として言い張る人に対しては、孔子は何一つ自分の意見を言わなかったと...「変化」を恐れない

  • 頭でっかちに

    学問とは、何かただ難しい字を記憶したり、数学の公式で難問を解いたり、解読できない古文を読める様にしたり、和歌を楽しんだり、詩を作ったり、歴史の年表を暗記したり…。これも学問の一部ではあろうが、学問の大道ではない。「学べば即ち固ならず」いろいろな事を記憶する事が、学問だと思っている人は、記憶力だけが宝だと思い、手を汚して実践実習する事をしない。その為に空論だけはうまく並べるが、すっかり実行力を失って、コチコチに固まったつまらない人生を、送る事になる。頭は良く廻るが、まともな挨拶一つできない。本当の学問とは、まず身の行いを良くする事を本質とする。孔子は「驥(き)は其の力を称せず、其の徳を称す」(憲問)と、言っている。名馬はその力ではなく、徳を誉められる。学歴はレッテルだ。どんな立派なレッテルでも、中身が実践力のない...頭でっかちに

  • のんびりする時間

    家庭の幸福。それは子供たちの心の太陽である。その光を受けて、子供たちは花の様に育っていく。子供を育てるには、家庭に勝るものはない。学校も塾も頭の教育はしてくれるが、温かい心はなかなか育ててくれない。家庭は健康な心を育てる温室なのである。子供たちが悲観したり、思う様に行かない事に悩んだり、迷ったりする時がある。そんな時こそ、両親の出番なのだ。「心配しなくても大丈夫だよ」「誰でも失敗するんだ。誰でも転ぶんだ。でも、誰でも立ち上がるよ」「人生は勉強ばかりじゃないんだよ。勉強が出来なくても、優しい笑顔で自分の出来る事をやって、楽しく生きている人は沢山いるんだよ」と、穏やかな眼差しで、子供の心を良く思いやり、頭を撫でてやって欲しい。特に現代の父親の不幸は、家にいても頭の中が、会社や仕事の事で一杯だという事だ。「燕居するや...のんびりする時間

  • 背伸びをし過ぎない

    就職にしても、就学にしても、自己PRの時代になった。自分の特質、自分の才能の素晴らしさ、自分の充実した能力などを、遠慮なくPRする。自分に自信を持って生きる。自分を過大に評価する事に依って、それにまがう様に努力する。結構な事だ。ただ、ここで考えてみなくてはいけない事がある。人間というモノは、自分を高く評価すればするほど、だんだん他の人に対して無礼をなしたり、軽視したり、時に憎んだりするようになる。「俺に対して、その口のきき方はないだろう」とか「俺の言った事に逆らう気かッ」とか。人間は聡明で自信を持つほど、相手の弱点をつき、人の心を傷付ける。孔子は「我は賈(こ)を待つ者なり」という。「私は自分から売り込まないで、買い手が来るまで待つよ」と…。人間はPRして売り込むよりは、ちょっと遠慮して謙虚である方がいい、という...背伸びをし過ぎない

  • 「良いライバル」を持つ

    ヨーイ・ドン。百メートルのゴールを目指して突っ走る。とにかく、自分が一番になろう。自分を追い抜く者がいると、肘で相手を押し退けようとする。自分がもっとも好きな友達だが、自分より前を走っていて、カーブの処で転ぶと「やあい、ざまみろ」と愉快になる。どんな人生でも、競争し始めたら、愛と友情を失う。今日の世界は、どこもかしこも競争主義の活動によって、信じ合って、お互いが仲良くする「和」の心が、侵害されいる。平和は架空の虹である。他人の事は放っておいて、自分だけがお山の大将になりたい。自分の考えだけが正しいと思って、他人の意見は全く聞き入れず、わがまま勝手に振る舞い、暴言を吐いている独善者。他の競争相手を潰して、利益を独り占めにしようと企む独占者…。独善と独占を胸に秘めて、世界の平和と安定を口にしても、それは美しい空論だ...「良いライバル」を持つ

  • 諦める力を

    良い中学とは、良い高校に合格できる中学。良い高校とは、良い大学に合格できる高校。良い大学とは、良い会社に就職できる大学。良い会社とは、良い待遇をしてくれる会社。では、良い待遇とは何か。良い給料をくれる事では、なかったか。もちろん、自分の才能を伸ばせる会社に就職して、充実した人生を送っている人もいるが、それはごく僅か。現代はお金を得るために、勉強している人の多い事か。人間も他の動物たちも、生命を保つために働く。だから、人間が生きるためにお金を欲しがるのは当然だ。身に付けた学問でお金を稼ぐのは、悪い事ではない。ただし孔子は、勉強の目標を、次のごとく明らかにする。「学問は己れの為にす」学問というものは、自分の心の修養の為に、富があっても、貧しくても、一生涯し続けなくてはならない…と。自分の心の安心の為に、学問をするの...諦める力を

  • 怖さを知る

    剣豪・宮本武蔵が豊前小倉に滞在していた時に、一人の兵法修行者が面会を求めてきた。武蔵は会って、話を聞き、骨柄を見て「なかなかのお腕前の様で、これならどの諸侯に仕えて、指南しても良いでしょう」と誉めた。ところが、ふと相手が自分の木刀を見せて「これは諸国を廻って、試合を望まれた時に使います」と言うのを聞くと、武蔵は「その程度の腕で試合をするなどと、バカな事を言ってはいけない」と、その家の主人の小姓をそこに座らせ、その前髪に一つの飯粒を付け、大刀を抜いた。そして「見よ」と振り下ろすと、その飯粒だけが見事に真っ二つに切れていた。それをその兵法者に見せて、「これが出来るか」と聞くと、もちろん「出来ません」と言う。すると武蔵は「これ程の腕が有っても、なかなか敵には勝てないものだ。試合など滅多にするものではない。試合を望む者...怖さを知る

  • 若い人に手を貸す

    「イエス・ウィ・キャン」の時代になった。かつては「イエス・アイ・キャン」の時代だった。自分で考え、自分の目標を掲げ、弱い者を叩いて、一人勝ちする…。「イエス・アイ・キャン」の競争社会は、勝ち組と負け組の格差を作った。しかも、何と勝ち組の大企業や大金持ちが、崩壊し始めた。もう余分な競争は止めて、皆なで手を取り合って、強者も弱者もなく、大きな天徳の命を、明るく幸福に平和に生きて行く時が来た。勝ち組のいけない点は「自分だけが良ければ良い」「弱い者を労る心が無い」の二つだ。孔子は「下に拝するは礼なり」と言っている。下位の者が上位の者に、礼を尽くすのも礼の作法だろうが、もっと肝心な礼は、上位の者が下位の者を労り、慈しみ、愛する礼なのである。世界の金融が大崩壊して、「恐慌の時代」が来る。皆なで少ないお金を融通し合って、弱き...若い人に手を貸す

  • 礼儀を忘れない

    彼はお弟子さんたちと、カラオケをして楽しむのが、大きな生き甲斐である。プロの歌を聞くよりは、素人同士がちょっと下手に歌い合う方が、よっぽど楽しいらしく、うきうきしてしまうとか。ただし、その時には一つの決まり事がある。友だちが歌っているのを聞かないで、べらべら喋っている者からは、千円の罰金を取るのだ。歌が上手ならともかく、あまり得意でない人が、小さな声で恐る恐る遠慮しているのに、タバコを吹かしながら、お菓子を片手に、大声でべらべらと喋り回り、時々下品に笑いこけてる奴は許さんッと。どんなに音痴な歌でも、みんなで手を打って身を乗り出して聞いて差し上げ、終わったら大拍手をしてやる…。これが「仁」のカラオケだ。「仁・礼」の行いを、改まった場所でだけ形式的にするのは、一体何の徳になるであろう。「仁・礼」の行為は、いつでもど...礼儀を忘れない

  • 見えないものを信じる

    いくら自分の生命活動の一切が、宇宙の生成力(天徳)に依るものだという事を、頭の中では分かっていても、その本当の価値をしみじみと知る事は、難しい。天徳の活動力は、全宇宙に広がっている偉大なる生命力であるから、なかなかその一端さえ感知する事が出来ない。ただ唯一有り難い事は、そんな偉大な力が私個人の中にも、有るという事なのだ。天徳とは、まさに遠くに有って近くに有る。最近になって、人が宇宙の生成力に依って生きている事が、遺伝子の科学的研究に依って、はっきり分かったのである。今までは常識や現代科学で理解出来ない事は、一切無いと思っていたが、現代科学でも目に見えない、宇宙の偉大なる生成力に、頭を下げざるを得なくなった。今こそ天に向かって「ありがとう」「お陰さまです」とお礼を申し上げあげるべき時がきた。「我を約するに、礼を以...見えないものを信じる

  • マイペースで生きる

    どんな事でも慣れると、少しずつ落ち着くものだ。貧乏も長い間続いていると、落ち着きそうなものだが、貧乏だけは慣れれば慣れるほど、倦き倦きしてしまうものだ。その上に貧乏が劣等感を植え付け、心がひねくれてくる。何とかこんな惨めな貧乏生活から、抜け出したいと、いつでも念じるようになる。孔子の弟子は三千人と言われる、そのうち優秀な修行者が七十二人いた。中でも、孔子の正当な弟子として認められていたのは、たった一人の顔回という人であった。顔回の生活ぶりは「一箪の食、一瓢の飲。陋巷(ろうこう)に在り…」であった。顔回は一わんの飯と、ひさご一杯の汁をすすり、狭い路地裏で生活していた。そこに住む多くの人は、その苦労に耐えきれないで、暗い顔を向き合わせて、文句ばかり言い合っていた。顔回一人は貧しい生活の中に、人間が徳の世界に生きる真...マイペースで生きる

  • お先にどうぞ

    自分の目標に早く到達しようとが、なかなか思う様に事が進んでいかない。すると後ろから、先輩や友人や後輩たちが、追いかけてくる。「うーむ、抜かれてなるものか」と、足を伸ばしスピードを上げても、平気で後ろから着いてくる。足が疲れた、腰が痛い…と思っても、休む事が出来ない。抜かれてはいけない、追い越されてはいけないという考えで、心の中がのっぴきならない大きな恐怖で、埋もれてしまう。不安が日毎に募る。不安は心の敵だっ…と思って、不安という敵と争っているうちに、どんどん不安のルツボに落ちていく。こんな不安を消すのは、実は簡単なのだ。「お先にどうぞ」と、人に道を譲ってやればいい。自分は後からでいい。自分はゆっくり落ち着いて、のんびりいこう。「己れを達せんと欲して人を達す」と孔子はいっている。速い事がいいといって、速度を競争す...お先にどうぞ

  • カッとしない

    一旦は自分の心にフッと思いが浮かぶと、もうその通りにしないと我慢しきれなくなって、なりふり構わず暴走して、折角の幸福な人生を台無しにしてしまう。これが自由というものの、最も危険な点である。いや自由じゆうと、自由を過大に認められて、教育されてしまった人の不憫な処である。他人が自分に、ちょっと不快な事をする。よく思えば何ら恐ろしい事では無いのに、すぐカーッときて、相手に失礼な言葉を見境なく浴びせてしまう。その相手が親友であっても、愛すべき妻であっても…。言論は自由がよいが、常に相手とぶつかって発火しない様に、お互いが軌道を守ってこそ、宇宙の心を持った「徳人」と言える。人は考える。では、考えるメカニズムとは何か。良いか悪いか、プラスかマイナスかを検討して、良い面のプラスの事を選別して執る。人は良い方のプラスの法を執り...カッとしない

  • 「いまある物」に感謝する

    「人徳」とは、人間が自然から得た物である。徳とは「得」なのである。自然から貰った物なのである。「徳とは身に得る事なり」これは名高い「韓非子」の言葉である。徳とは天から自分の体に得た生命であると。私たちの日常の生命活動は、全て天徳(自然・宇宙の生成力)に依って夜になれば寝る。朝になれば食べる。食べれば胃が消化する。腸が栄養分を摂って、エネルギーを体全体に働かせる。血が運行する。筋肉が力を逞しくする。その筋肉だって、前頭筋、後頭筋、眼輪筋、口輪筋、笑筋、三角筋、大胸筋…と三百種以上の筋肉が働いて、笑ったり、泣いたりしている。これらの働きと肉体を、一体誰が生成し、運行していると思っているのか。自然から得た生命力でやっているのに、決まっている。これは理屈ではない。事実なのだ。それなのに、生きている間に、その偉大な力に一...「いまある物」に感謝する

  • 理想論を出さない

    ある時に人を思いやって、仁の道に生きるには、こうすれば良いんだよ…と、孔子の弟子の子夏がこう説いた。「まずは博く学ぶ事だね」。特にこの一回こっきりの人生を、怖れる事なく喜んで幸福に生きる為の、先人たちの知恵をよく学ぶ事だ。学んでも分からない時は、正師に質問して十分に理解したまえ。次に常に、この世の同じ時代に生きている人たちの幸福と安定の為に、自分なりに尽くす事を、深く覚悟しなさい。その次には、あまりにも難しい哲学とか理念とかに、深入りしてはいけないね。机上の空論を振りかざす様な事は、何よりも人に迷惑を及ぼすから。人生をお互いに楽しく生きる為には、高遠な理想を振りかざして威張ってはいけない。身近にいる妻がどんな苦しみを持っているか、子供たちが何に悩んでいるか、友だちがどんな苦難に直面しているか、自分の心は虚しくし...理想論を出さない

  • 古きものから学ぶ

    孔子の言葉の中で、もっとも好まれている「温故知新」だ。古くから今日まで伝わっている、思想や生き方を謙虚に学ぶ。軽率な批判などをせずに、古典を正しく深く理解する。その上で現実の社会をよく観察して、混乱や苦悩を収める新しい考えを、発見して行かなくてはならない。孔子は「礼記」や「易経」に学んだ。老子はこう言っていた。孟子はこう言っていた。吉田兼好はこう言っていた。利休はこう言っている。芭蕉はこう言っていると、そこにばかり停滞していたのでは、ほとんど意味がない。過去の思想を十分に究めると共に、現代に即応した新しい物の見方や考え方を発見してこそ、学問という物の意義かある。素晴らしい文化と伝統を持った国民は、それだけで何かに付けて心丈夫な筈である。私の知友のアメリカ人は、いつもこう言っていた。「日本は良いなあ、京都や奈良だ...古きものから学ぶ

  • 他人の評価

    いくら真面目に頑張っても、日毎に新しい苦しみや悩みが、押し寄せてくる。ああ、やっと一難去ったと思うや、すぐに心配や悲しみが愚痴が出てくる。滝に掛かった処で、座禅を組んだ処で、病んだ心が直ぐさま晴れる事はない。「カーッ」と怒鳴って、嘆きや憂いを吹き飛ばすせッ…と言われて「カーッ」と思い切り大声を張り上げても、大した効果はない。しかも、悩みをそのまま放っておけば、知らないうちにどんどん深く大きくなってくるから、困ったものだ。孔子は「楽しみて以て憂いを忘る」と言っている。心配事や悩みを失くすには、別に難しい修行は要らない。人生に楽しむ時間を作る事だ。自分の生活の中に、少しでも多く楽しむ時間を作れば、憂いは無くなる。楽しむには、必ずしもお金は要らない。もしお金が無いなら、水の美しい流れとせせらぎの音を楽しめばいい。緑の...他人の評価

  • 困った時こそ

    人生は一回しかない。一回こっきりの人生が終わったら、再び人間として、この世で生きる事は出来ない。宇宙の生命の中で、私たち人間ほど沢山の宝を貰って、生きている者はいない。宇宙が人に与えてくれた、その宝の中で最も貴重な物は「楽しむ事が出来る」という能力だ。そしてもう一つ「楽しみて然る後に笑う」ー楽しんだ後で「笑う事が出来る」という能力なのだ。人は笑えば笑うほど、元気になる。人は楽しめば楽しむほど、幸せな気持ちになれる。人生をうまく生きるには、さほど難しい哲学は要らない。大いに楽しんで、思い切って笑って生活していればよい。反対に「ああ、疲れた」「ああ、面白くない」「ああ、つまらない」と、ボヤけばボヤくほど、しょぼくれる。孔子の言葉に「笑う事を厭わず」がある。「忙しくて、笑ってなんかいられないッ」では困る。「笑う門には...困った時こそ

  • 苦しみの中に楽しみを

    大抵の人は、何かに付けてブツブツと不平不満を言いながら、自分の毎日の生活を、どれ程傷付けているかが分からない。自分自身に対する不平不満であっても、他人に対する不平不満であっても、自分の脳はその言葉をよく記憶して、いつしか脳の中が不平不満のゴミの山となる。常に不平不満を言っている人は、不健康だし、寿命も短いと言われている。早朝に散歩している老人が、万歩計とストップウォッチを腰に着け、殆ど走る様な勢いで、ぐっしょりと汗をかいて、スタスタと脇目も振らず目的地に向かっていく。目的地にたどり着くや、万歩計を眺めて「ああ、今朝はまだ七千歩しか歩いてない」、ストップウォッチを見て「いつもより、三十秒遅い」と、厳しい顔をして不平不満を口にしている。孔子の名高い言葉に「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」(先進)がある。やり過ぎるよ...苦しみの中に楽しみを

  • 生きている事を実感

    今の日本には、約千三百万匹のイヌと、約千六十万匹のネコがいる。十年前に比べると、数十倍も増えている。キリッとしたイヌの頭を撫でてやると、尾を振って喜ぶ。愛らしい仕種のネコとスキンシップをする。動物と触れ合って、心の悩みを消そうとしている人が多い。初めのうちは、動物の可愛さに惹かれて面倒を見ているけれども、次第にエサをやるのも散歩するのも、億劫になって気が進まなくなってくる人もいる。いささか違うかも知れないが、財産や地位も初めは、心の悩みを救ってくれるが、あまりにも後悔しすぎると、それが重荷になって、生きる事さえ億劫になる事があるらしい。「命を知らざれば、以て君子たる事無きなり」自分の生命の尊さを知らなければ、人生何をやっても、安定と幸福は得られぬ。財産を思うように得ても、晴れがましい名誉を授かっても、その時々に...生きている事を実感

  • 相手の良い処を

    ハンチというお弟子さんが、孔子に「仁とは何ですか」と質問した。孔子は「仁とは、人を愛する事だよ」と一言で説いている。この愛とは、私たちが普通に使っている、いわゆる男女の愛ではない。一般の男女の愛は、沢山の男女の中から、それぞれが最高であり、最適であると思い選択した、二人に起きる欲情の心である。この欲情の愛の心を、二人でほったらかしにしていると、だんだん飽き足らなくなっていき、二人の欲求が減退してくる。そして、困った事には、次々と新しい欲求が湧いてくるから、男女の愛はいずれは不満の山を築く悪循環を繰り返す。徳の愛はそうではない。まずは、二人が常に深く思いやる事。次に、優しくねぎらってやる事。さらにもう一つ、お互いにその個性を発見し、その才能を伸ばしてあげる事。この愛こそ、宇宙の絶対の「愛」である。私は今まで、随分...相手の良い処を

  • 「出会い」や「縁」を大切に

    偉大なる宇宙の生成力…この生成力が、天にも地にも、そしてこの自分の生活にも、活動している。この宇宙の生成力「孝」の力は、単に自分の体の小さな細胞にまで働いていてくれるだけではなく、実はいろいろな人との出会いも、取り持ってくれている。「昨日はこんな人と会って、とても為になる話を聞いた」「あそこで、あんな素敵な人と出会えるとは、思ってもみなかったわ」私たちは時々不思議な出会いを、経験する。ふとした出会いが、自分の人生を画期的に進展させてくれる事がある。そんな出会いが、貴方個人の力で成立したと、思えるであろうか。こんな思いも掛けない、素晴らしい出会いを演出しているのも、宇宙の生成力「孝」の力なのである。天地万物一切が、孝の力で運行する。それが「孝行」である。「孝」が「行」なっている為である。「孝なるかな惟れ孝」ーああ...「出会い」や「縁」を大切に

  • 敬う心を育てる

    某学園に勤めた十八年。今日でも何を有り難かったと思うのかと言うと、私の様な浅学な教師でも、どの生徒も礼を尽くし、敬ってくれたという事実である。教師生活をして、あれ程優秀な生徒から、慕われ敬して頂くと、その尊敬に適当する自分になろうとして、自分もよく学問をしたし、修行もさせて頂けた。もし生徒からバカにされ、無礼に扱われたら、今日の私はない。生徒に礼を尽くされたのは、何も私だけではない。どの先生に対しても、生徒は礼儀正しかった。だからどの先生にも、情熱があった。「之を斎うるに礼を以てす」で、学園はいつも明るく、楽しかった。大変悲しい事だが、今日では生徒が先生に礼を尽くすどころか、校内暴力という風潮に煽られて、中学生や高校生が先生に暴力を振るい、生徒が先生を殺す事件まで起こった。先生の指導が適当かどうかを、チェックす...敬う心を育てる

  • されて嫌な事はしない

    ある日、子貢というお弟子さんが、孔子に質問した。「私が一生涯ずーっと続けて実行しなくてはならない『仁』の心を、一言で教えて下さいと…。」孔子はすぐさま「ああ、それは『怨』という事だ」と答えられた。もし貴方が、リーダーや先輩や夫から、貴方の弱点を毎日のようにチェックされ、貴方はダメな人だとばかり言われていたら、ストレス過多になってだんだん参ってしまう。誰だって欠点や弱点をばかりチェックされたら、やる気を失くして自信が持てなくなるだろう。子供にいつでも「どうして、そう勉強しないの。塾に行ってもぜんぜんダメなのね」と言っていたら、子供はふて腐れてしまう。世の中には、考えられないほど勉強嫌いの子供がいる。そんな時、お母さんが焦る気持ちも分かるが、なるべく悪口は言わない方がいい。自分が言われて嬉しい言葉を相手にも与え、自...されて嫌な事はしない

  • 「やめる」勇気を持つ

    弱いものを叩き、自分の強さに安住する。次は自分よりちょっと強い者に食いついて相手を倒し、自分の強さに満足する。そして、ついにはお山の大将になりたい。いつも虎のように暴れ、受験競争であれ経済競争であれ、競争と名のつくものなら、絶対に勝ちたい。勝つためなら、自分の持つあらゆる能力を少しも惜しまない。こんな勇気を「血気の勇」という。血気にまかせて、がむしゃらに競争する。これを「猪勇」ともいう。ただ客気にはやって相手に勝ちたい。「仁者は必ず勇あり」_宇宙の生成力を敬愛し、その徳とともに生活している「仁」の人も必ず勇気を持っている。ただし、その勇気は血気盛んな、戦いの勇気ではない。いわゆる世にいう「慈母の勇」である。相手を思いやり慈しんで、絶対に戦わない勇気である。子供を産んだ母親のように、全てを子供に合わせ、心にまった...「やめる」勇気を持つ

  • 「お金=幸せ」の錯覚

    利益追求だけに、人生の生き甲斐を掛ける。利益を上げる為には、人の健康や心の平和などには、まったく無関心。過大な宣伝によって、客の信用を得、不当な評価を作り、利益を上げ、より大きな規模に発展していく。今や利益の成果の競争だけで、全世界が泥沼の競争をして、沈んでいく。個人も世界も、収入の増加が人間の最終の幸福であると、錯覚してしまった。お金は無くてはならぬ。お金は尊いものだ。いささかでも無駄にしては、相成らぬ。だが、自分の野望だけで増収を図る。弱者を切り捨て、叩きまくる。強い者だけが収入を蓄積して、みんなから拍手されるという現実が、許せるだろうか。収入の蓄積が、人生の唯一の達成であっては困る。その蓄積された収入を、この同じ地球に生まれながら、今日一日の食もなく、水さえ飲めない難民のために、どうして使ってやれないのか...「お金=幸せ」の錯覚

  • 時と場所をわきまえる

    宇宙のモノサシ「天尺」の善悪の見分け方は、まことにサッパリしている。人間みんなの生命が、宇宙の生命である事を自覚し、深く宇宙に感謝する。宇宙の生命を生きている多くの人を、真心込めて思いやり、みなと手を取り合って楽しく明るく生きている人…これが徳人であり、善人である。みんなの生命の元が大自然であり、大宇宙である事にまったく無関心で、いま自分の頭に浮かんだ事が、絶対であると考える。常に自我の考えを人に押し付け、相手がそれを認めないと、すぐに攻撃的になって他人を大切に思わず、痛め付けている人…これが不徳の人であり、悪人である。人がどんな良い考えをもった処で、いずれはその良い考えに裏切られて、破滅する場合が多い。その良い考えをよく検討すれば、良い考えとは単に自分にとって「良い」だけだったのである。大徳はエゴイストには、...時と場所をわきまえる

  • 良し悪しに捕らわれない

    自分の考えや思想を大切に守っていく事は、大事な事には違いない。ただし、それを大切に守っているだけなら良いが、他人に対してそれを主張し始めると、当然相手にも考えや思想がある筈なので、だんだん食い違いが出てきて、お互いが孤立し一人ぼっちの寂しさを味わう事になる。自分の考えや思想を持っていても、それを振り回したり、相手に押し付けたりしなければ良いのであるが、真面目な人ほど勉強を積むごとに、考えや思想が固着してしまい、相手の考えや思想を受け入れる寛大さを失って、孤独感に拍車を掛けられる事になる。他人と強調する事が出来なくなる。そこで、もしみんなと和やかに仲良く生きて行きたいなら、たまには自分の考えや思想を、ポイッと紙屑みたいに捨ててしまう事だ。「徳の脩めざる、是れ吾が憂いなり」と孔子は言う。自分の命は、宇宙の生成力によ...良し悪しに捕らわれない

  • 信頼関係を築く

    人は100%の善を持っていない。また、100%の悪も持っていない。人はみな、善と悪の二つの種を持って生きている。ただ「人が利己的な欲望に向かって、突っ走れば必ず破滅する」…これは二宮尊徳の言葉である。彼は若い頃から「論語」「大学」「中庸」や仏教・禅・神道など、広く東洋や日本の伝統を学んで、自分自身の人間学を確立しているが、決して現実を忘れず、貧しい生活に悩む町人や農民の為に、優しい言葉で分かりやすく、常に真心を込めて、人生の生き方を説いた。彼は人を思いやる愛と誠の心があれば、社会は明るく幸福になると、主張し続けた。そして、貧しい農村を救う為に、全身の汗を絞りきって働いた。高い理想など、一つも掲げなかった。いつも身近に起こってくる現実の問題を、どうやって解決するかに奔走し、貧困と飢饉にあえぐ多くの藩や村を救済した...信頼関係を築く

  • 自分を知る

    九州、四国を討ち、西日本を平定した秀吉は、次に関東の重鎮北条氏を傘下に加えるべく、使いを送り上京を促した。しかし、北条氏政、氏直父子は天下の形勢を察せず、自分の力を頼み、秀吉を軽視し、言を左右してそれに応じなかった。あまつさえ、秀吉に開戦の口実を与える様な事まで、したのである。そしてひとたび戦端が開かれると、小田原城の要害を頼って、籠城の策を採った。小田原城は天険の地で、かつての勇将上杉謙信が大軍を以て囲んでも、ビクともしなかった実績がある。その夢を追った訳だが、天下の半ばの兵を集めた秀吉の力は、かつての謙信の比ではない。それに対して、北条氏自身は早雲以来五代を数え名門化して、かつての質実剛健さがやや薄れつつあった。したがって、戦いの帰趨はおのずと明らかで、北条勢も各所に善戦はしたものの、圧倒的な勢力差はいかん...自分を知る

  • 最後まで諦めない

    関ヶ原の合戦に敗れた石田三成が捕えられて、家康の所へ送られてきた。その時に家康の家臣本多正純が三成に、「戦に負けたのに、自害もせずに、おめおめと捕えられ来るなどとは、武将の心構えに欠けるではないか」と言った。すると三成は、「人手に掛からない様に切腹するというのは、雑兵のする事だ。本当の大将は軽々に命を捨てずに、最後まで諦めず再起を図るものだ」と答えたという。あるいは、斬首の直前に柿を勧められ、体に毒だから断った所、皆が笑ったので、「大義を思う者は、首を切られる直前までも命を大事にして、本望を達する事を心がけるものだ」といったとも言われている。三成が家康を相手に戦を起こした事、またその戦いの進め方などについては、昔から是非いろいろに論ぜられている様である。しかしこの様に最後の最後まで諦めたり志を捨てる事のない態度...最後まで諦めない

  • お金や地位より大切なもの

    お金は一種の魔法の杖だ。お金ぐらい重宝なものはない。名誉や地位も、幸福も生み出す力を持っている。だから、これらを求めようと努力する事は、決して悪い事ではない。問題はお金や名誉や地位の、求め方である。この求め方が悪いと、不思議に破滅の運命に襲われる。「道を以てせざれば、之を得るとも処らざるなり」で、「人のため」という道の心を持っていないと、生き甲斐ある人生は送れない。かつて、大学の進路の相談をしていた時、医学部を希望している生徒が二人いた。一人は父親が医者であった。彼は「父の跡を継いで、病院に来てくれる患者さんの面倒を見たい」と言った。もう一人は、はっきりと「医者の収入がいいから」と胸を張った。二人とも優秀な才能を持っていた。今日に父親の跡を継いだ医者は、小さな病院でニコニコと楽しく医業に務めている。高収入を目指...お金や地位より大切なもの

  • 悪口は言わない

    人から随分長い間に、悪口を言われてきた。そして気が付いてみると、自分も辺り構わず、人の悪口を言ってきた。うっかり気が付かずに、悪口を言ってしまっていた。が、この頃は人を誉めた時は、すぐに気分が爽やかに、逆に人を汚さない時には、その言葉がいつまでも自分に纏わりついて、その時の嫌な気持ちから、うまく抜け出せない事に気が付いた。やっと「人の善を追う事を楽しむ」ようになれた。自分が口にした人の悪口を、実は自分の体の中にいる宇宙(天徳)が、聞いていたのである。宇宙は自分が発言した不愉快な言葉を、自分の脳の中に送り、その通りに正確に書き込んでいたのだ。さらに、その言葉の持っている不快感を、体の中のエネルギーすべてに伝えて、体の調子を崩していたのだ。悪口というものは、必ず全部自分に返ってくる。相手を誉める気持ちのよい言葉も、...悪口は言わない

  • 心を込めて頭を下げる

    孔子の言葉に「礼を尽くせば、人以てへつらうと為す」がある。礼の作法をきちんとする。他人に対して頭を下げる。これを見て「あいつは、人に可愛がられたいから、あんなに丁寧にやっている」「奴は人に頼りたくて、おべっかを使っているんだね」とそんな風に、世の中の人は言うか知れない。それは、誠に嘆かわしい事である。そんな事で、礼の作法をするのではない。礼の作法は、他の生物にはありえない人間だけの行為である。なぜ人は礼の作法を、お互いに実践するのであろうか。それは人間だけが、自分がこうして生きているのは、宇宙の生成力(天徳)・自然の恵み(地徳)・他人様のおかげ(人徳)に依っている事を、自覚する事が出来るからである。人間はたった一人では、決して生きて行けない。私達が他人に対して礼を尽くすのは、へつらったり、おべっかを使ったりして...心を込めて頭を下げる

  • 年下の人から大いに学ぶ

    「後世恐るべし」と言う言葉もある。「世」と「生」とが違う。どうでも良い事だが「後世恐るべし」と言うのは、まだ幼い時から計算力は有るし、読解力も有るし、漢字力も有るし、英語までうまい。この子は将来大成する…と言う意味で、孔子の言葉ではない。「後世恐るべし」の後世とは、自分より後から生まれた来た、若い人の意味である。若者は体力もある。感受性も豊かなら、直観力も鋭い。グズグズ言わず、切り捨ても早い。若者こそ、若いと言う偉大なる生命を持った存在である、と言う意味だ。「後世恐るべし」に続けて、孔子は「焉(いずく)んぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや」と続ける。この素晴らしいバイタリティのある若者が、自立的な努力をしたなら、私などはすぐさま、追い越されてしまうであろう…と。人はいつまでも、謙虚でなくてはならない。慎ましく...年下の人から大いに学ぶ

  • 「自分はこうだ」と決めつけない

    人はそれぞれ、生きる拠り所を持っている。主観主義とか、客観主義とか、直観主義とか、ある思想を拠り所として、生きている。名誉、地位、財産を拠り所に生きている。良いとか悪いとかの倫理を、拠り所に生きている。または、学歴を拠り所に生きている…と真に様々である。何かの拠り所を持っている事は、大事な事だとは思うが、自分の拠り所に寄り添って生きて、果たして安心と幸福を得られたのか、人の世の拠り所をしっかりと持てば持つほど、円滑な心の働きが妨げられ、成長が止まる。自分の心の状態を、常に安らかに保つ為には、何を拠り所として生きたら良いであろうか。それは、あらゆる人間の価値観を越えた、宇宙の生成力(天徳)の目に見えない偉大なる力を感じ、天徳を拠り所にして生きる事だ。「徳に拠る」と言う事だ。天徳に合掌し、感謝して生きる事だ。人間社...「自分はこうだ」と決めつけない

  • 世間の「モノサシ」に振り回されない

    自分の心を柔軟に、かつ寛大にするには、自分の心の中にある小さな尺度(モノサシ)を捨てる事だ。と同時に世間の尺度に合う様に、あまり努力をしない事だ。いま世間で良いと言われている様な人になろうとすると、常に世間に振り回されて、自分の心の安らぎを失う。心の中にある自分だけのちっぽけな尺度で、他人や世間の出来事を計っていると、日毎に他人が不愉快な存在になり、世間が地獄の様に見えてくるであろう。その時に自分は生きる意欲を失ってくる。また、世間に気に入られ様、世間に迎合しようと、世間の尺度ばかり気にしていると、自分の精神の自由を失う。自分の尺度や、世間の尺度をひっくるめて「尺度」(人のモノサシ)という。「人尺」に従って生きていると、いつの間にか人生が「ダメだ、ダメだ」という否定の方向に向いてしまう。宇宙の生成力(徳)の尺度...世間の「モノサシ」に振り回されない

  • まずは自分が幸せになる

    私は小学一年の時に、世の中の厳しさをいやという程痛感した。田舎にしては大きな商売をしていた父は、困っている人、貧しい人の面倒をとても良く見ていて、新聞にも「親切なお米屋さん」と写真入りで掲載されたりしていた。しかし突然、その父が他界した。その上詐欺に引っ掛かって、破産したという。すると今までは、ニコニコ笑って親切にしてくれていた近所の子供たちが、急に威張りだした。嫉妬が意地悪に変わると、恐ろしい。土手を自転車に乗って走っていると、五、六人の友だちがワイワイやって来て、力を合わせて自転車をひっくり返し、自転車もろとも私を田んぼに突き落とした。ブランコに乗せられ、みんなで力任せに振られ、頭から落とされた。大きな石をぶつけられて、口も切れた。貧しく惨めな身分になった時、初めて友だちの心の底が分かると思った。貧乏になる...まずは自分が幸せになる

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