分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
ノンクリスチャンの方に向けたクリスチャン・ブログ。キリストを信じても生きづらい日々の心情を、ありのままに綴っています!
34歳のクリスチャン6年生。ニート・ひきこもり・自殺未遂の暗黒時代を経て、前向きな人生を送るべく、いまも生きづらさと闘っています!
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくには、夜ごとYouTubeで癒し系動画を観あさる、という乙女のような習慣があり、最近は、独身女子が自分のライフスタイルを紹介する動画にはまっています。そして先日、ある動画の中に、すてきな光景を見つけました―― ある女性が手間暇をかけてつくった料理。それら2、3の品々が、いちいちおしゃれなお椀や小鉢にそれぞれ盛られ、小さな丸テーブルに慎ましく並べられる。その円卓に、カーテンのスキマからひと筋の金色が差し込み、立ち上る湯気を輝かせている。 そのシーンが流れると、ぼくはなぜか瞬間的に、食前の祈りを捧げている自分の姿を想像しました。その女性はクリスチャンではない(と思う…
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくが信仰から離れたいちばんの理由は、神に関する矛盾と疑問に突き当たったからです。その疑問はだれに答えられるものでもなく、自問自答しても、思春期によくある禅問答のようで、考える意味はほとんどありません。 それでも考えてしまうのは、単純に、ぼくが思索にふけることを娯楽にしているからです。そういうことを娯楽にできてしまうほど、ぼくは暇な人間なのですw さて最近では、信仰が冷めたのには、もうひとつくらい別の理由があるような気がしています。それは、神にすがって努力を怠る自分を赦せなくなった、ということ。 この世には自分の力では及ばないことがたくさんありますが、自分の努力次第…
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくが信仰をほとんど失ってしまったのは、「神はなぜこの世を不完全につくったのか?」という、そもそも論に手を出してしまったからでした。別にわざわざそんな面倒臭いことを考えなくてもいいのですが、聖書を学んでいると、その問いは必然的に浮かんでくるものです。 そして、その疑問をひもとく第1段階でまずぶつかるのが、今回のテーマである「神に与えられた自由な選択権は、人間にとってありがたいものなのか?」というもの。 ぼくは神を讃美する気持ちを失ったものの、神の存在自体を疑ってはいません。神の全能性についても同様です。だからこそ、神がわ・ざ・と・この世界を不完全につくったことに怒り…
ハレルヤ~! 安田遜です。 信仰から離れ、当然ですが教会にも行かなくなりました。牧師先生や教会の仲間からは、ありがたいことに心配のLINEが届きます。信仰が冷めたことは伝えられず、「仕事が忙しいので、休日は体を休ませたくて…」と無難な返事をしています。 ところで、いつも冒頭に使っている「ハレルヤ」ですが、これは「神をほめ称えよ」という意味で、神を礼拝する気持ちをなくしたぼくが使うような言葉ではありません。でも、もはや決まり文句にしていますし、「ごきげんよう」くらいの気軽な挨拶として使いつづけることにします。 そういうことにまったく後ろめたさを感じなくなったのも、信仰心がなくなってしまった証拠な…
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分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
同胞のユダヤ人からお金をむしり取る、嫌われ者の徴税人がいた。キリストと出会って劇的な回心を遂げたザアカイの物語を、短い戯曲でお届けします。
分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
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分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
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分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
2023年10月22日の礼拝説教の内容です。イエスが〈ムナのたとえ〉を話す場面(ルカ19:11-27)から、聖書の御言葉を学びました。
分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
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2023年9月17日の礼拝説教の内容です。イエスが〈放蕩息子のたとえ〉を話す場面(ルカ15:11-32)から、聖書の御言葉を学びました。
2023年9月10日の礼拝説教の内容(後編)です。イエスが弟子の条件を説く場面(ルカ14:25-35)から、聖書の御言葉を学びました。
2023年9月10日の礼拝説教の内容(前編)です。イエスが弟子の条件を説く場面(ルカ14:25-35)から、聖書の御言葉を学びました。
分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくは「(神に)すくわれる」と書くときに、「救霊われる」と当てることがあります。神は究極的にはぼくたちの「霊」を救うのであって、必ずしも「生活上の困難」から救うわけではない、ということを強調するためです。それを、自分自身に言い聞かせるためでもあります。 ぼくの信仰のあり方や神の見方を見つめると、あくまで“ご利益”を求めている感が否めません。ここ半年の不信仰期を振り返ってみても、神を都合のいい、招き猫かなにかと勘違いしていたように思えます。これくらいのことをしてくれたら礼拝してやってもいい、という傲慢極まりない思いさえありました。 そんな不信仰に至った理由を、「愛である神が人間をみじめな境遇に生み落としたことに、矛盾を感じるようになったから」などと、ぼくはもっともらしく綴ってきました。それが本音であることは間違いないですが、もっと直接的に本音を吐くとこうです、
ハレルヤ~! 安田遜です。 信仰を失い、神に対して答えられざる疑問と、ガキっぽくも真剣な怒りを抱きはじめてから、まもなく早半年。実は、それまでにも同じような経験はちょくちょくあり、そのときの気持ちを赤裸々に綴った記事を投稿したこともあります。 それらの記事には幼稚で浅はかな、ただ感情的なだけの文句が書き連ねられていたので、あまりの恥ずかしさにことごとく撤回してしまいました。まぁ、ここ半年の記事も同じようなものなのですがσ^^; 自分のブログや日記を読み返してみると、「ぼくは信仰なんかしてなかったのかもしれないなぁ…」と感じざるを得ません。今日はそのことについて書いてみます。 ぼくが自分のそもそ…
ハレルヤ~! 安田遜です。 神への信仰を失ったことについて、いくつかの記事で綴ってきました。不信仰の理由をぼくは、聖書の内容に大きな矛盾を感じたからだと語り、全知全能の神が人間を不完全につくったことに、不平と怒りを表明してもいます。 それらのことは本音ですが、憎悪とも言える神への反発心を、自分でも異常なものだと感じています。最近、その悪感情を克服するための課題が見えてきました。それは、 自分の中に「愛」を育んで、そのままの自分を認められるようになる ということ。ぼくは自分自身を愛することができず、むしろ自己否定がすべての出発点になっているので、生きることに対して不都合ばかり感じてしまうのです。…
ハレルヤ~! 安田遜です。 キリスト教にはうんざりするほどたくさんの教派があり、ぼくはその中でも福音派に属しています。トランプさんが大統領だった時期、その支持層の一部を占めていた派閥なので、耳にしたことのある方も多いかもしれません。
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくがキリストを信じたのは、単純に信じたかったからでした。昔からスピリチュアル好きだったぼくは、神や仏もいるのだと信じて疑わず、その神仏がだれであれ加護を享うけたいと、ずっとずっと願っていたように思います。ぼくには、神が必要だったのです。
ハレルヤ~! 安田遜です。 信仰から離れたと言いながら、神について考えない日はありません。別れたはずの恋人のことを未練たらたらに思い焦がれているようで、われながら滑稽ですw でも、神の存在そのものを疑っているわけではないので、今後の天気を気にするのと同じだと言えば言えそうです。この先に超大型台風が上陸するという予報に触れるのと同様、ぼくにはある気がかりがあります、 このまま信仰が戻らなかったら、ぼくはどうなるのかな…? ノンクリスチャンの方には(もしかしたらクリスチャンの方にも)理解しがたいことかもしれませんが、ぼくは聖書の内容をすべて真理・真実だと信じています。「信じている」というより、「事…