6歳と2歳の2児の父/これまでF1レーサーを目指したり、企業経営者を目指したりしてきた現在普通のサラリーマンが日々奮闘する物語/趣味はサッカー/
「錨地(びょうち)/アンカレッジ(anchorage)」という場所
海の見える地点に到達すると、 そこには見渡せる限りの海が広がっていた。 ここまで見えるのは久しぶりだ。 色はエメラルドグリーンまではいかないまでも明るい緑味を帯びている。 これもまたいつ以来か。 空はというと、 白から灰色のグラデーションをなした雲が一面を覆い青空は見えない。 このあたりはちょっとした工業地帯で、入港待ちのタンカーがいつもなら止まっているはずなのに、今日はいない。 ほんの少し視線を左へずらすと、いつもとは違う場所に停泊しているタンカーが見えた。 運転しながらの30秒。 車はタンカーとは逆方向に進んでいる。 何隻だったかはわからない。 どちらかと言えば、港からも
今朝の空。白、灰色、白と層をなしていて、美しい。全体的には雲で覆われた空の中に、ほんの少し青も見える。 海が見える丘に到達すると、白い波が打ち寄せている。こうして書き止めるようになってから、打ち寄せる波を見たのは初めてかもしれない。 もう少し海を眺めていたかったのだが、トラックが道路の秩序を乱し運転に気を取られ現実に引き戻された。 たった30秒しか見れない海の景色。 海の色が、海の様子がどんなであったかいまいち思い出せない。 過ぎていく車の様に海は僕を待っていてはくれない。
夜、寝静まった家に、「パンッ」と乾いた音が響いた。 まるで誰かが手を叩いたような音。 私は瞬時に、それが何かを思い出した。 物置の扉だ。 帰宅したとき、あの扉が壁に立てかけられていたのを見た。 たぶん、夕方に息子が自転車を出すとき、邪魔になって動かしたのだろう。 壊れてもう開かないあの扉は、数年前に父が外してから、 ずっと物置の裏に立てかけてあった。 背中に冷たいものが走り、懐中電灯を持って庭に出た。 風に揺れる木々と、倒れた鉄の扉。 ああ、やっぱり――風の仕業だ。 しゃがみこんで、扉の表面にそっと手を当てた。 ざらりとした錆の感触が、指先に残った。 それは、少しだけ赤くて、あた
朝来たら、机の上は書類の山だった。 ため息まじりに椅子に座る。 毎日が、少しずつ濁って見えた。 ふと、机を片付けたくなった。 何も変わらないと思っていたのに、 手を動かすたび、気持ちも軽くなっていった。 気づいたら、光が差し込んでいた。 きっと、ずっと前からそこにあったのに。 ——私が片付けたのは、机だけじゃなかった。 いま、少ししんどくなっているあなたへ。 光が差し込む場所は、自分でつくれる。 ほんの少しだけ、動いてみてもいいかもしれない。
今朝の海は、 最近覚えた「鉛を溶かしたような色」をしていた。 私は鉛を溶かしたことがない。 だから本当にこの色なのか、自信はない。 でも、その“重さと鈍さ”が、今朝の海には似合っていた。 浜辺に近いあたりは、土のような色をしていた。 霞が晴れたせいか、海面の輪郭がはっきり見える。 それもまた、久しぶりだった。 空は白く覆われ、青はどこにもない。 曇り空のはずなのに、波の向こう、 ひとすじだけ光が差し込んでいた。 それは、鉛の海の中に生まれた細い裂け目のようで、 わずかながら、海が光を受け入れているように見えた。 正面の工場から立ちのぼる煙は、 昨日とは逆方向に折れ曲がっている
今朝は小雨。 空は一面、白く覆われている。 でも、重たい印象は不思議とない。 この街ではよく見る空だ。 なのに今日は、雨が降っている。 曇りと雨。 見た目は似ているのに、 何が違うのだろう。 霞んでいた海も、今朝はよく見えた。 海面は穏やかで、空を映して白い。 静かに揺れているその表情が、どこかやさしい。 違いがあるとすれば、 工場の煙が、海のほうへと曲がっていたこと。 風向きが変わったのだろうか。 その変化が、雨を連れてきたのかもしれない。 今日は、昨日の会議の振り返りと、 次回の課題の整理。 ここまで終われば、ようやく一息つける。 ……もう少しだ。
今日は晴れ。 けれど、空に青は見えない。 一面が白く覆われていて、それでも明るい。 青空の日が少ないこの場所では、 そんな空さえ「晴れ」と感じてしまう。 海もまた、白く霞んでいる。 でも、今朝は珍しく漁船が見えた。 その船のまわりだけ、 海面がはっきりと姿を現していて、 「ここが海だよ」と教えてくれるようだった。 今朝は、朝一番の会議のため、いつもより早く家を出た。 だから見えたのだろう、漁船の姿も、 空いている車の流れも。 たった数十分早いだけで、 こんなにも違う景色がある。 今日の会議も、うまくまとまるといい。
今日の空は灰色。 このあたりでは、突き抜けるような青い空はめったにない。 でも、灰色だけど明るい。 それだけで、なんとなく「晴れてる」と思い込んでしまう。 やがて海が見え始める。 今日も霞がかかっていて、海の表情は見えない。 それでも、どこからが空で、どこからが海かはわかる。 いつもなら、直線に入ると正面に見えるはずの工場。 今朝は、その姿が曇りに隠れていた。 明日は、月に一度の大事な会議。 進行も、企画も、案内も、会議室のセッティングも。 何から何まで、ひとりでこなしている。 本当は、1週間前からこの会議だけに集中したいくらい。 でも、実際はそうもいかない。 とうとう前日に
この先には、海の見える丘。 下りカーブを抜けて直線に入ると、正面には煙を吐く工場。 その煙が、海からの風で直角に折れていた。 信号が、青から黄色へ。 前の車は行ってしまったけれど、自分は止まった。 いつもの流れなら、きっと行けたのに。 そういえば今朝は、2台前の車がずっとトロトロと走っていた。 少しじれたけれど、それが制限速度。 何も言えない。 家を出た瞬間、思わず身をすくめるほどの肌寒さ。 ここ最近ではめずらしい。 空と海の境界は霞がかっていて曖昧だけれど、 海の中の波ははっきりと見えた。 土曜日は、強い雨だった。 日曜には止んだけど、湿度は残ったまま。 今朝も、降り出してもお
今日は同窓会。 初の。 卒業したてな訳ではもちろんない。 尖ってたのか、劣等感からか、 成功するまで出ない、という そもそも成功とはどういう状態なのか、訳のわからない理由で避けてきた。 それがどうした? 余計な力が抜けたのか、 今回は出る気になった。 出てみたくなった。 どんな心境の変化なのか。 13時から16時の同窓会。 食事が出るのか、みんなバリバリスーツなのか、どれくらい集まるのか、全くわからない。 なんせ初だから。 しょっちゅう出ている先輩に聞くと、遅めのブランチくらいが丁度良いというので、なにかしら食べられることはわかった。 大先輩たちはスーツだけど、自分らの世代はカジュア
今朝も、停泊中のタンカーが雲に浮かんでいた。 空は白い雲に覆われ、海も霞がかり、海面はすっかり覆い隠されていた。 そのせいで、巨艦はまるで雲の上に乗っているように見えた。 けれど、空も海も、真っ白というわけじゃない。 雲の薄いところから、水色がにじむように広がっていた。 昨日よりも、少しだけその色が多くなっていた気がする。 太陽は姿を見せなかったけれど、 その気配が届くあたりの海面だけが、そっと輝いていた。 「ここは海だよ」とでも言うように。 そんな景色が開けてくる直前、 車が坂を下るカーブに差しかかったとき、ふと、信号機が目に入った。 あれ? こんなところに、信号なんてあった
久々に気持ちよく晴れた朝だった。 それでも“青空”と呼ぶには、どこか遠く、 薄く伸びた霞が空を覆っている。 その霞は、海に近づくにつれて厚みを増し、海と空の境界すらない。 昨日はすぐそこに見えていたあの船でさえ、 今日は何もなかったみたいに、姿を隠していた。 まるで雲が海に降りてきたかのような景色を丘の上から眺めながら、どこかで見たような感覚 そうだ、 雲海だ。 初めてここを訪れる人なら、 そこに海があることすら気づかないだろう。 こんな朝を、誰かに見せたくて、 しばらく動画を撮っていた時期がある。 でも、どうしてもボヤけてしまって、 この感動が伝わらない。 だからいま、こう
車が丘から下り始めると、 見える景色が少しずつ、少しずつ広がっていく。 まだほんの小さなエリアしか見えていないのに、 空も海も、真っ白なのがわかった。 今朝は霞がかかっていて、 空と海の境界線すら、見えなかった。 目の前いっぱいに景色が広がったころには、その中に、入港を待つタンカーが5隻みえた。 それがまるで、雲に浮かんでいるようで、まさに、日常の中にあるファンタジーそのものだった。 こんな景色を素通りしていた数年がとてつもなくもったいなく感じる。 これからは、こうして、ひとつひとつ拾い上げていく。
この街は、ただでさえ青空が少ない。 一年を通しても、雲ひとつない青空なんて、 指で数えられるくらいしかない気がする。 今日もまた、青空は見当たらない。 だけど、今朝は濃いグレーの雲もなかった。 空一面が、明るく白い雲に覆われていて、 海はそれをそのまま映し出している。 海と空との境界線も、どこか曖昧だった。 なんてことはない景色かもしれないけど、昨日とは全く違う。 そんな些細な変化を楽しむ。 日常の中にあるファンタジー。 そうしてまた、いつもの場所へと向かう。
通勤の途中、車で丘をくだると 目の前に、突然、海が広がる。 その色、その光に、息をのむ朝が何度もあった。 けれど、ある日ふと気づいた。 あのときと、太陽の位置が違っている。 ——もしかして、同じ景色は、ないのかもしれない。 海の色、光の揺らぎ、風の気配、心のゆれ。 それらの景色が見え始め、見えなくなるまで、わずか30秒。 忘れてしまうには、もったいない朝があった。 だから私は、それを言葉に残すことにした。
今朝は小雨。青空はない。 さて、こんなときの海の色が問題だ。 私はあの色を、何色と表現して良いのかわからない。 調べると「鉛を溶かしたような色」と言うらしい。 でも、私は鉛を溶かしたことがない。 あれは、いったい何色なんだろう。 雲が濃いところの下は、海の色も濃い。 雲の影響を受けているのだろうことは、わかる。 でも、それがそのまま“雲の色”とも言えない。 青に、グレーを足したら ああいう色になるのだろうか。 ちなみに… 昨日の逆転勝利で、 私の今日の心はとても晴れやかだ。
家を出たのは5時。 目的地は国立競技場。 試合開始は13時――ずいぶんと長い待ち時間のはずだが、 お目当てのグッズ、くじ引き、会場限定配布、そんなイベントの列に並び、昼食を買うにもまた並んで、 気づけば、あっという間に時間は過ぎていた。 家を出た時、空は曇り、肌寒かったが、それが現地に着いてみれば、青空が広がり、9時にはもう暑いくらい。まもなく陽射しは強くなり、日中の気温は25℃を超えた。 娘は、朝の早さと暑さで、途中くじけかけたが、それでもなんとかついてきて、モツ煮とスペアリブを食べたあたりから元気を取り戻した。 ⸻ 普段とは違う大観衆の中、試合が始まる。 開始早々にまさか
30秒だけ見えるのか。 30秒しか見えないのか。 30秒も見えるのか。 当たり前のように通り過ぎていた時期は、それが30秒と言うことにすら気がつかなかった。 30秒の間だけ見える海の景色。 その貴重な時間を、今朝も大切に楽しもうとしてるところに、 1台の車が強引に私の前に割り込んできた。 私が車間距離を開けているのはあなたを入れるためではない。 あなたが入ったことで、私はブレーキを踏み、またあなたとの車間距離を空けなければならない。 そんなことにも気が付かないのか? そういうところの配慮。 別にその後右折する訳でもないのに、 今そんな強引に入らないといかないのか。 そんな
雲の切れ間から 地上へとまっすぐ差し込む光の束 それを「天使のはしご」ともいう * 丘を下っている途中で 視界がぱぁーっと広がる そこから見える、いつもの海 だけど今朝は その丘に差し掛かったあたりから 空には—— 目の前いっぱいに 「天使のはしご」が降りていた それが、あまりにも美しく 泣きそうになる 白から濃いグレーの雲が 複雑に混じり合い 雲の切れ間から 水色にさらに白を足したような空がのぞく それを「青空」と呼んでいいのか 少しだけ、戸惑う でも そんなことはどうでもよくて 今朝は 「天使のはしご」だけで、充分だった
昨日からの雨は上がったものの、空はまだ雲に覆われていた。 それまで全く見えないのに、 あるポイントまで来ると、突然目の前に海が広がる。 そこへ来てはじめて、海のきらめきを見て、その美しさに感動する。 そしてその上に、太陽があるであろうこと、 また、ちょっと目線をずらすと、青空が覗いていることにも気付いた。 そして、今朝の海は、何色か? 色の表現に迷う。 ぱっと見、青ではない。 もし自分で色を作るなら、 それでも青をとことん濃くすることから始めるかな… 4連休明けの気だるさを引きずり、回ってない頭で、どうしたらあの色になるのかを考えながら、いつもの場所へと向かう。
注意⚠️ネタバレあり — 高校生のときにこの本と出会いたかった — 「どんなことでもがんばれる、オールマイティーな努力家なんてきっといない。 自分ががんばれる何かを見つけた人が努力家なんだ。」 私は、誰かと比べては、できない自分によく落ち込んでいました。 でも、本当はちがったのかもしれない。 「がんばれることをがんばればいい」——この本は、そうやって自分に優しくなることを教えてくれた。 それは逃げることではなく、自分の気持ちに正直になること。 そして、自分のペースで進んでいく強さなんだと思う。 もうひとつ、印象的だったのは作品の中で「童話を作る」という手法。 しかも、それを
どうしてこの場所には、こんなにも人が集まるのだろう。 テーマパークでも観光地でもない。 特別なイベントがあるわけでもない。 それなのに、誰かがいて、そしてまた誰かがやってくる。 私は、こう思った。 ——ここは、安心していられる場所なんじゃないか、と。 休日、家族と少し遠出をして、買い物の前に食事をとった。 食後、「近くの公園に行きたい」と娘が言うので、 防災機能もある大きな公園へと立ち寄った。 ローラー滑り台や遊具は、子どもたちで賑わっていた。 でも娘は、それを少し離れて眺めたあと、混み合う遊具には近づかなかった。 代わりに選んだのは、小高い芝の丘。 その斜面に寝転がり、何度も
カーブの先は直線道路。 その直進方向正面には製鉄所。 そこから立ち上る煙が、 風の向きと強さを教えてくれる。 今朝の風は、海から陸へ。 強くはないけれど、確かに吹いていると煙が言う。 それにしては、海はずいぶんおとなしかった。 天気予報では、お昼には雨が降るらしい。 でも今は、空に青はなくても明るくて、 太陽の位置もちゃんとわかる。 その下で、海面はきらめいてさえいた。 雨が降りそうな気配なんて、どこにもなかった。 問題は、海の色。 海って、青とは限らない。 今日の海は、灰色が基調。 あの色、いったい何色を混ぜるとできるんだろう? そんなこと考えながら、 今日も、いつもの場
今朝の海は、すこぶる穏やかだった。 正面に見える工場の煙突からは、まっすぐに煙が立ちのぼっている。 先週までのぐずついた天気が嘘のように、今日は気持ちの良い晴れ。 けれど、どこか身体が重く、世界がほんの少しスローモーションに感じられた。 海の色は、言葉にするのが難しい。 もし今、手元に絵の具があれば 緑と黒を混ぜて、そこに白を少々。 そんなところから試してみるだろう。 カレンダーの上では、まだ連休の途中。 けれど今日は、平日でもある。 有給を使えば、長い休みにもできた。 でも今朝の車の流れは、どう見ても通勤だ。 昨日の空港も、いつもよりどことなく静かだった。 ショップの前に行列は
ひさしぶりに歩く この街で 年代を重ねた店の看板が 静かに 昔を語る 建物は変わっても 坂の景色だけは 変わらずに そこにあった ただ帰ってきただけじゃない 過去と今 そして未来を 繋ぎにきたんだ 両方向に伸びた矢印が 手のひらで ひとつの点になったとき 僕はやっと気づいた これまでの時間は 無駄じゃなかったんだ 見上げた空に 昔の夢がにじんで 胸の奥で 小さな音が鳴る 少しだけ 自分を受け入れられた気がする
焦ってばかりいた 追いかけたのは 幻だった 近道ばかり探して 迷子になってた 積み上げることの意味も 続けることの強さも 知らないまま 遠回りばかりしてた だけど いま 崩れずに立っているのは あの日 あきらめず 積み上げたものの上 少しずつ 少しずつ 遠回りした日々へ ありがとうって やっと言えるよ あとがき 焦りや近道にばかり目が向いていたあの頃。 うまくいかないたびに、道を変え、夢を追い、また焦っていた。 でも、本当に大切だったのは、小さくても確かな一歩を、積み重ねることだった。 すぐには形にならなくても、見えなくても、 それでも積み上げてきた日々は、ちゃんと今の
何度すれ違っても 何度立ち止まっても 君と交わした言葉だけは 胸の奥 消えなかった 小さな約束が 知らぬ間に支えになって 気づけば 今日も 僕らは ここにいる また会えるなら また笑えるなら 変わらないものを もう一度 信じてみたい あの日の続き まだ 胸にしまってる だから きっとまた ここへ帰ってくる あとがき 前述の「旧知の仲」というエッセイからイメージしました。 途中、数年の空白があったりするものの、いまだにこうして会えるとの喜びだったり、成長の確認だったり、心の支えだったり。 昨日出会ったばかりの関係ではわからないことも、長年の付き合いあってこその理解で
継続力という言葉は、よく聞く。 でも、自分には、あまりしっくりこなかった。 自分の中でしっくりくるのは、「積み上げ力」(つみあげりょく)だ。 壁とか、困難とか、それの乗り越え方を教わった記憶はない。 むしろ、うまくいかないなら、そこは自分に合わない道だと思って、すぐに方向転換していた。 わかりやすく言えば、業種を変えていた。 努力を積み上げる前に、「合わない」と見切りをつけて、次へ行く。 それが自然だったし、実は焦りもあった。 とにかく近道を探していた。 「夢」に近づきたかった。 でもいつしか、手段が目的になり、夢はどんどん遠のいていった。 そんな悪循環を、何度も繰り返して、
あらためて、長くなったもんだと、つくづく思う。 ここまでの道は違えど、まだこうしていられる幸せも、つくづく感じる。 互いの近況報告も、これで何度目だろうか。 今回もまた、いろんな話をした。 最近の仕事の話になった時、 彼から最近不思議な出来事があったと聞いた。 まるで奇跡のようだと。 聞いているうちに、記憶がふっと昔へ飛んだ。 彼がまだ若かった頃。 地元に戻り、家業を継ぎ、営業を始めたばかりの頃のことだ。 「決して儲かりはしないけど、俺はこういうことを大切にしたいんだ。」 そんなふうに、ボソっと言っていた。 なぜか、その時の彼の言葉は今もはっきり覚えている。 そして今回、また
子どもたちを連れて、水族館へ。 自分たちが子どもの頃は、際まで波が打ち寄せる水族館だったのに、 今ではすっかり周りを埋め立てられて、 過去を知らなければ、なぜここに水族館があるのか不思議でしかないだろう。 名物だったトドのショーは、すっかり規模が小さくなり、 はっきり言ってしまえば、しょぼい。 それでも、時間になると人は集まってくる。 こういうものは、全盛期と比較してはいけないのだと感じた。 腕のあるマーケッターがプロデュースでもしてくれれば、また違う景色になるのだろうか。 いや、むしろ、このレベルで存続してくれているだけで有り難いのかもしれない。 それに、当時はなかったペンギ
生まれ育った街を、 こうしてぶらつくのは 何十年ぶりだろう。 18でここを離れ、 次に帰ったとき 親はもう別の場所へ移っていた。 だから、 本当に久しぶり。 すっかり変わってしまっているけれど、 面影が、ふっと残っているところもあって、 胸が締めつけられる。 神社の前の広場。 あのころ、ここで野球をして遊んだ。 7条の公園。 冬になるとスケートリンクに変わる。 氷面は、ガタガタで、 なんとも滑りにくかったっけ。 建物は変わっても、 通りから見える坂の景色は変わらない。 最近では、 人の名前も、言葉も、 すぐ忘れてしまうのに。 何十年も離れていた街の風景は、 一瞬で、 あの
歌詞:ととすみ 話し合いの中で 問いを投げかける日々 あなたの本音を知りたくて そっと言葉を選ぶ 伝えたい気持ちはあるのに なかなか届かなくて 空を見上げたまま 問いは宙に浮かぶ 「意見ってなんだろう?」 ふと つぶやいた帰り道 本当に求めているのは 声じゃなくて 心の交差点 対話こそが道になる 揺れながら 僕らは決めていく 一人じゃ見えなかった景色 誰かの言葉で 輪郭ができていく だから 問いをあきらめずに 今日もまた 始めよう あの日 些細な言葉の中に どうしても届かない気持ちが もどかしくて でも言葉を交わして 少しずつ近づく 心の奥で感じるのは 確かな温もり あなたの
詞:ととすみ ⸻ 娘の痒みに寄り添った 寝不足のまま また朝が来る 車内の暖房 ふいに思う 季節は少しだけ 前に進んでる 雲は白よりも ほんの少し遠くて 名前をつけたら この気持ち ほどけるかな 流れる景色に置いていかれながら また同じ道を 選んでる それでも 心はもう浮足立ってる 灰色じゃない この空の下で 名もなき朝に 胸が弾んだ きっと何かが 始まってる 運転席から見上げれば 雲の切れ間に光が差す 急ぎ足のこの季節も どこかでちゃんと 待ってくれてる きっちり並んだ 毎日の中で ときどき心が はみ出してしまう それを「間違い」と笑えるように 少しだけ 優しくなりたい
娘の痒みに付き合い寝不足気味。 それでも夕方からの帰省を前に気分は高まっている。 今朝は一段と肌寒く車内では暖房も。 空は一面雲で覆われている。 グレーには程遠いが真っ白でもない。 この色はなんて言う白だろうか。 今朝は車の流れが早い。 明日からの大型連休を前に皆浮足立っているのだろうか。 おかげで景色を味わう余裕もなく、またいつもの場所へと向かう。
昨夜の雨は上がっているが、湿度はまだ100パーといった感じだ。 すっかり肌寒く、先週の夏日が嘘のよう。 風の強さは昨日と大して変わらないのに、 今日は波が立っている。 風向きが海から陸へ。 なるほど昨日は風向きが逆だったから、波を打ち消し穏やかに見えたのか。 そんなことに感心しながら、いつもの場所へと向かう。
今朝は、雨。 海は鉄色。 風はそこそこ吹いているのに、波は立っていない。 風は、陸から海へと吹いていた。 押しつけられたような風に、波は立ちようもなかった。 風は、海から陸へ向かって吹くもの。 そんなことないのに、いつからそんなふうに思っていたのか、 そんな思い込みに気づく。 そして、そんな自分の冷静さにも気づく。 空は、一面雲に覆われている。 青空を覗かせる隙間もないけれど、 重たさを感じさせなかったのは、 明るい白色のせい。 しかし、ところどころ鉄色が混じっていて、 その濃い箇所に、規則性はなかった。 あの鉄色のところはどうなっているのか、 その訳を探しながら、 今日も、
今朝の海は、白だった。 海の上には、真っ白な雲が広がっている。 青空も見えるけれど、どこか淡く、にじんでいる。 この街で、空が突き抜けるような青になることは、あまりない。 工場から立ちのぼる煙は、白くまっすぐ。 風もなく、空気はぴたりと静まっていた。 海には、入港待ちのタンカーが五隻。 そっと浮かび、はっきりと姿は見えない太陽がその辺りをキラキラと映し出している。 今日もまた、いつもの場所へと向かう。
朝の通勤途中、車で丘を駆け降りると、ほんの30秒だけ、目の前に海が広がる。 その景色は毎日違っていて、今朝もまた、昨日とは違う表情をしていた。 風が強いせいか、荒れているわけではないけれど、穏やかでもない。 なんとなく、そわそわとした水面が目に入る。 週末には長野で震度5弱の地震があった。 決して小さな揺れではない。でも、どこか「まだ大丈夫」と思ってしまう自分もいた。 同じ週末、腰にも違和感が戻ってきた。 歩けないほどではない。けれど、軽くもない。 “やや強めのもの”が、自分の外側にも、内側にも重なっていた。 海が揺れているのか、私が揺れているのか。 その曖昧さを、30秒の中で
<現時点の解決策> 伝えようとするのをやめる。 最近、ふと気づいた。 自分はずっと、伝えよう伝えようとしていた。 だから、言葉が増えた。紙も作った。工夫もした。 でも、それがうまくいかないたびに、また「伝え方」を工夫しようとしていた。 だけど、そもそも「伝えること」にこだわりすぎていたのかもしれない。 “伝える”のを、やめてみたらどうか。 思い切って、伝えようすること自体やめてみる。 そうやって、自分が話す時間を減らして、他の人が話す“余白”を増やしてみる。 そうしたら、どうなるだろう? やってみて、それもまたダメなら違う方法を考えよう。 たとえば、 健康チェ
ここのところ、他の業務との兼ね合いもあり、安全衛生委員会の会議準備に十分な時間を割けていなかった。 本来であれば、「言いたいことを全部書き出す → それを1時間に収めるために削る → 流れを整える」という構成作業が理想だった。だが現実はそこまで手が回らず、優先順位の高いものから順に話して、時間が来たら終了、というスタイルが続いていた。 当然、話したいことの“残り”が心に引っかかる。不完全燃焼感が積もっていった。 久々に今回は、しっかりと構成に時間をかけて臨んだ。しかし…想定通りには進まなかった。 メインの審議に入る前の補足説明が思いのほか長引いてしまい、結局メインの議論に十分な時
きっかけは、一人の上司の着任から始まった。 「座席、円卓にしてもらえる?」 それまでの報告する側・聞く側という分断を壊し、全員が顔を見合う形に。 この時点で、その上司には意見の飛び交う対話形式の会議のイメージがあったのだと思うが、その時の自分には、まだその主旨が理解できていなかった。 私はこの会議の企画から準備、運営、進行まで、すべて一人で担当していた。 月に一度の定例会議。かつては、形式的な報告会のような空気だった。 しかしその上司は、ひとつずつ、それを崩していった。 次の月にはこう言った。 「読めばわかる資料の説明はやめない?」 「その代わり、最低でも2日前の午前中までに資
note眺めてたら こんな質問投げかけられました 気になったので 答えてみようと思います 真っ先に浮かぶのは妻 「一緒にいてくれてありがとう」 あなたと歩んだ時間はとても幸せな時間でした あなたに会えてよかった 居心地がよかった 常にどこか不安を抱えて生きてきたけど あなただけはいつもそばにいてくれる安心感があった どこへも行かない信頼があった 僕はいつもあなただけのヒーローでいたかった あなたが望むものはすべて叶えてあげたかった ほしいと願うものすべて揃えたかった だけど金銭的にはいつも余裕がなかった 限りある中でいろんな妥協して 欲しいもの選んできたと思う
先週の3連休最終日 3歳の娘が突然 「海へ行きたい」 「海でバシャバシャしたい」 と言い出しました お昼前11時頃の話です その前の日ならまだ日も照っていて 少し暖かかいと感じるくらいだったけど その日は曇り空 1月11日真冬の曇り空です 「は???…」と思いましたが どうやら娘は本気らしい 絵本か動画、何かで見たのでしょう 娘が何かしたい あれ食べたい これ欲しい と始まったらもうおしまい 彼女の願いを叶える執着心はハンパない 頭ごなしに否定したところで 愚図る、泣く、叫ぶ こんなのを1時間は平気で続けるのはわかってるし それこそ「能動的家事育児主義」も3日目です こちら
椎名林檎にでも影響受けたのでしょうか?笑 これまで自分の中でネガティブな要素が非常に多く とかく言い訳をつけては避けようとしてきた家事や育児 それを自主的に積極的にやってみたらいろいろ面白い発見があったよという話です コトの発端は 「ストレスが爆発的に自分を成長させる」 というYouTubeを見たのがきっかけです 正直言って僕は家の中にストレス要因が非常に多いんです だって「面倒くさいコト」やら「イライラするコト」多くないですか? こんなこと言ったら怒られるでしょうけど正直そうなのです なので 「疲れてるから」 「やらないといけないことがあるから」 「腰が痛い、指が痛い
昨日は午後から非常に強い風が吹き荒れました 仕事の合間に車から外を眺めていると 大きく風で揺さぶられる木々たちが目に入り まるでスローテンポのメトロノームのようだなと思いながら眺めていたのですが 「そんなに曲がっても折れないの?」 というくらい枝は折れません 煽られた枝の振れ幅はとても大きく 風下の方へ大きく傾いてはまた元の位置へ戻り また傾いては戻りを何度も繰り返していました 大きくしなるものの枝は折れません 何度繰り返そうが枝は折れません その時ふと 「しなりという強さ」を感じました ボクシングのようなパンチを繰り出す格闘技を見るとき 鋭いパンチや瞬時にかわす「スピー
最近自分でもびっくりしたことがあった 服が欲しい… 靴も欲しい… 本が欲しい… 本はいっぱい欲しい… サッカーシューズも欲しい… なんか欲しい物いっぱいあるな… これって一体なんなんだ⁉︎ ふと思い 気持ちを掘り下げてみた… なんと…⁉️ 「かっこいいお父さん」に なろうとしてる⁉️ 自分自身衝撃を受けました 本… なんで? その本を読んでどうなりたい? なんで? その服を着てどうなりたい? 今の服がダサい どうなりたい? なぜ? たしかに かっこいいお父さん ってイメージしたことはあったにはあったけど そんな無意識レベルにまであるとは 思ってなかった そういや
ひっそりと田舎で過ごしていた自分に転機が訪れたのは ヤフー、ソフトバンクが zozotown買収、LINE経営統合と 縦続きに大きなニュースが流れたあたりです さすがに世の中何か起きてる?と気になりました 焼き鳥屋やってる頃までは新聞2社とか目を通してたけど 競争社会から軸足を抜いた自分は全くのほほん暮らしていました 孫さんの狙いが何なのかを 知りたくてまずはWeb 主にNewsPicks等を読み漁ってました そのうち教育、子育て系など そうこうしてるうちに 趣味の分野でやりたいことが広がり始めビジネス系など そうなると知識の吸収欲が止まりません YouTube、Twit
その前に今年 自分の中で大きな変化があった 自分の誕生日の公開 今年なぜ誕生日を公開したのか? これまでなぜ誕生日を隠してきたのか? 今年数年ぶりに誕生日を公開しました Facebookやり始めて10年くらい経ったかな… 割と早い時期に自分の誕生日を非公開にしたと思います それは 誰に対しても公平でなければいけないから これは 勝手な自分ルールですけど ガキの頃からなんでダメなんです 要は一人でいるのが寂しくて 仲間はずれとかされたくない想いの裏返しだと思うんです その流れで 誕生日のお祝いも誰かにするけど 誰かにしないはダメなんです 自分の中で… 友達なら全員にしな
それはストーリーに 自分と重ねてる部分があるからかもしれません 「えんとつ町のプペル」主題歌に ♫ 夢を持てば笑われて 声を上げれば叩かれる 見上げることができない町で ボクはどうだ? ♫ というところがあります そこがまさに 高校卒業した年の5月 F1レーサーになりたいと言えば まわりからバカにされ反対されそれでも飛び出してきた時の自分と… その後 ジェットバス器具のマルチ販売を始めたときも周囲の声は凄かった 前妻と別居し会社辞めたときも… 確かになんの計画性もなくノータリンかも知れない それでもその時その時居ても立ってもいられない衝動にかられ気持に正直に従って動
※これは8月23日にTwitterで投稿した内容をメモ替わりにコピーしたものです ===================== 内田篤人選手としてプレーを観られるのはラスト10分とか5分かな… 個人的には試合に出られなくてもいい むしろ出ないほうがいい 今年は練習見学も出来ないし 専門的知識がある訳ではないが 歩けなくなるリスクを多分に抱えてることくらい容易に想像がつく もう無理してほしくない させてほしくない… (試合開始15分くらいに広瀬と負傷交代で篤人入る、永木inかと思われたがザーゴ監督迷わず篤人に声がかかる、その時すでに先制されてる状態) う〜ん… 予想外の展開… 皮肉
※これは西野亮廣エンタメ研究所のインターン生3人が2020年6月にオンライン勉強会をやった際に、私個人の感想を6月3日にTwitterで上げてる内容をメモ替わりにコピーしたものです ===================== たった今 セトちゃんとまーちゃんのアーカイブ見終わりました うーん、なんて言えばいいんだろ… 何も言わなくていいか… 言わない方がいいな… 二人とも将来を語るときの想いの熱量が伝わって ただただ純粋に応援したくなっちゃう (と思ってたのに 時間が経つと言いたくなっちゃった) セトちゃんとまーちゃんの配信から言いたいこといっぱい そんな中一つ 昨日の真
もう20年くらい前の話 私は食品スーパーのバイヤーをやっていました メーカーさんと商談し取扱う商品を決める 簡単に言うとそんな仕事です それを実際の売り場に並べるとどうなるかのイメージ図を作り各店で実現してもらいます そのイメージ図を作る作業を「棚割り」と言い私がバイヤー時代に一番楽しかったのが その「棚割り」です 当時はバイヤー自ら棚割りをする人間は見たことありませんでした 大手の問屋さんが棚割りを作り、提案されたものをバイヤーが修正していく、手を加えるならまだいい方で、提案されたものをそのまま店に流す まわりを見渡せばそんないい加減なものでした 私は自分で決めた商品に
ついにやっちゃいました 実は先週金曜日の夜 家族に暴言吐いて傷つけてしまいました 最近 どうしてもブチ破りたい壁 これまでずっと避けてきた壁 人生の中でこれだけはブチ抜いておかなければいけない壁があって そのためには自分の時間が欲しくて欲しくて しょうがなくて 家へ帰ると少しでもその時間にあてたくて インプットしたくて アウトプットしたくて 話しかけてほしくなくて 早くみんなに寝てほしくて 家族との時間が自分の時間を邪魔されてるように感じてました そんな思いがつのりつのって あるきっかけで 爆発してしまいました そのまま何も持たず 家を飛び出して 21時過ぎから
食品スーパーの店員時代に 店長から この売場の維持管理(発注、在庫管理、売場づくりetc)は 「お前しかできない」 と言われたことがあります その後、自分が店長になったとき バイヤーになったとき スーパーバイザーになったとき ありとあらゆる機会に本当に多くの担当者さんに発注方法、在庫管理、売場展開などなど 自分がやっていたときの方法を伝えても 出来ないのが不思議でしょうがありませんでした そこで今さらながら思い出し 当時の自分が何をしていたか考えてみました なぜ自分しかできないのか? まずは売上の大きな店であり 店長が大変厳しく 売上・利益の最大化はもちろん 商品の廃棄
オンラインサロンだけ話を進めても マリオのいないスーパーファミコン ソフトのないハードだけになってしまいます 話が脇道にそれ過ぎたので軌道修正します 「闇に挑む」と題して自分を例にしようとしましたが、そんなこと他の人にしてみればどうでもいい、それより大事なことがあると気付いたので「闇に挑むシリーズ」はまたあらためてしたいと思います 大事なことは ソフトがなくては話にならない マリオなしのスーファミだけではしょうがない とのことでソフトの部分を開発してます 題して 『隠れた自分の価値を見つけ出しマネタイズする』です そして そのフォロー体制として オンラインサロン
自己肯定感を上げようとして 「自己肯定感の教科書」 読んだけど これを理解するために もう一つ足りない感じ いやもっとこれ以前の問題なんだけど… と思った方いませんか? 私ですけど… 何があっても「大丈夫。」と思えるようになる 自己肯定感の教科書 https://www.amazon.co.jp/dp/4797399244/ref=cm_sw_r_cp_api_i_79VAEbT0Z5CGZ 「自己肯定感の教科書」 を読む前に読む教科書が必要な感じ と言ったら伝わりますかね? わかりませんかね? これも「私
これまで オンラインサロンに関する下記のような疑問 を調べてきました オンラインサロンって何? あやしいの? どうやって始めるの? 人はどうやって集めるの? 何やればいいの? ちょうど西野亮廣さんのvoicyで タイムリーな話題がありました https://voicy.jp/channel/941/73394 西野さんの言う 二次情報、三次情報集めて パクり発信しててもしょうがないので ここで実践編に入ります! なのでここからは一次情報の発信です そのために オンラインサロン新設します‼️ そこでは 今ちょっとしんどい 前からどこかさ
これまで 外に外につながりを求めてきた しかし 今やるべきは 自分のなかの自分と しっかりつながること ととすみ
2020.02.23 17:56 メモをコピー なぜ 一人のさびしさは耐えられない ほんと? 一人でも寂しくない人もいる なぜ? 一人でつらい思いしたことあったっけ? 疎外感、仲間はずれ感、孤立感、孤独感、感じるのはなぜ? もともと自信なんてなかった? 幼稚園泣きながら行き始めた やがて友達ができ寄り道した 帰ったらローソクで追いかけ回され 本気で怖かった 友達と遊ぶことがなくなる もともと独りっ子みたいなもの 運動会でも走りはビリだったような闘争心なんてまるでなく、とにかく遅かった 3年生の頃、その後10年間付き合ってい
Twitterでつぶやいていた https://twitter.com/totosodate/status/1231716416048394241?s=21 https://twitter.com/totosodate/status/1231730362948059138?s=21 https://twitter.com/totosodate/status/1232121300899876864?s=21 気になるドコモの学割のCM https://www.youtube.com/watch?v=6Z9hE-ojnL0 なぜだかわからないけど ずっとここ
自信の持ち方 負けず嫌いの育て方 こんなのは 持って生まれた性格ではなく どんなに小さくてもいいから 成功体験を積み重ねていくだけ それには 途中でやめないこと 負けてる状態で終わらせないこと これがとても大事 ととすみ
すっごいこと気付いちゃった… ファクト→抽象化→転用 気になる→一言で→その為には 気付いた→どう考え→行動 関心の輪→影響の輪 他人事→ジブンゴト メモの魔術の仕組み やっとわかった! 関心を行動に移す方法 そういうことだったのか‼️ ととすみ
久々に男同士、風呂場で語り合った 普段は2歳娘も一緒なので 6歳息子とふたりきりの入浴は久しぶりだ 今日はプールの日 「今日どうだった?」 「なにが?」 「プール、今日はどんなこと覚えてきたの?」 「えーとね…(身振り手振りの説明)」 「ヘェ〜 出来ること増えると楽しい?」 なんかスッキリしない返事 なんて返事したか覚えてないけど ここで引っかかり 「プール行ってさ、コーチにいろいろ教えてもらってさ、どんなこと出来るようになるとうれしい?」 前から 「マジメにやれば上手いのに…いつもふざけてる」 とコーチに言われてるのを嫁に聞いて
【期間限定公開】 中学で1回、高校で1回サッカーで全国大会を経験 ↓ 大学受験不合格 ↓ F1レーサーを夢見てチャレンジ FJクラスで資金ショートで断念 ↓ 保険代理店業 5年 信頼してた先輩に頼まれ サラ金から50万円借りて貸すも返してくれない ↓ 食品スーパー 20年 最年少出世するも会社の方針に逆らい降格 別居&離婚 バツ1 (離婚調停に8年) (慰謝料&養育費 払いきる) マンション任意売却 ↓ 太陽光発電パネル営業 飛び込み営業インターホン突破率は高かったが クロージングがダメ(ウソつけなかった) ↓ 都心一等地タワーマンションのポーター業務 上司
【2歳児に学ぶシリーズ】 意味もわからず 覚えた言葉は どんどん使っていく 『使って覚えていく』 言語に限らず 新しいことを学ぶとき すべてに共通する ととすみ
①自分でも西野亮廣エンタメ研究所に加入したり、同窓会グループに入っていたり、趣味のグループつくったりしてますが 他にも ・ビジネス ・株 ・政治経済 ・占い ・恋愛 ・スポーツ ・ゲーム ・食 ・ファッション ・美容 ・英会話 などなど きりがないほどあるようです ②そもそもオンラインサロンって何? Wikipediaによると オンラインサロンは、月額会費制のWeb上で展開されるコミュニティ(クローズド)の総称 作家、実業家、アスリート、ブロガー等、専門的な知識を持っていたり、ある分野で優れたスキルや経験を持つ個人、又は複数のメンバーが主宰
#鹿島アントラーズ 声を出しての応援は 自信がない 恥ずかしい 場合 まずは手拍子だけでも 迫力ある一体感を味わえます ※下の動画を参照 カシマスタジアム手拍子での一体感 youtu.be/QfprKY4_47c @YouTubeより #初鹿島 #初カシマ #カシマスタジアム
鹿島アントラーズの試合観戦 ⚠️『カシマスタジアムは再入場できません』 事前に計画する場合に注意が必要です ❶周辺観光について⛩ せっかくなので、この機会に鹿島神宮・ クラブハウス等へ行ってみたくなりますよね? その場合は列待機前か試合後になってしまいます また歩いて気軽に行ける距離にもありません ちなみに試合当日のクラブハウスは スタメンおよびサブの選手の練習はありません またクラブハウスショップも混雑してます ❷飲食について🍔🍹 再入場できないので自由席の場合は滞在時間が長くなるかと思います そこでまずは腹ごしらえ グルメスタジアムと言われるほど食べ物
2歳娘と6歳息子の お買い物ごっこが始まった 【2歳娘】 「これ全部買いますよ!」 (どこでそんなセリフ覚えた?) 【6歳息子】 「はい、3万円のお返し!」 (いくら渡したんだよ!) #子育て ととすみ
#鹿島アントラーズ 絶対そろえておきたいグッズ ★タオルマフラー 略してタオマフ 下の動画をご覧下さい https://youtu.be/ZTYDCKOYeHA 圧巻じゃないですか⁉️ タオマフあるだけで・・・ この一員になれる! #初鹿島 #初カシマ #初観戦 #カシマスタジアム
鹿島アントラーズチャント「錨を上げろ→ロール」 2011年ナビスコ杯決勝
#鹿島アントラーズ【初めて観戦される方へ】絶対そろえておきたいグッズ★タオルマフラー略してタオマフ下の動画をご覧下さい圧巻じゃないですか⁉️タオマフあるだけで・・・この一員になれる!#初鹿島#初カシマ
とにかく稼ぎたい、稼ぎたいで 売れそうな商品の発掘、仕入れに 夢中になる これも大事なこと ですが、もっと大事なことは 仕入れた物を売ること 売って現金化して はじめて儲け=利益が出ます 頭ではわかっているのに 仕入れに一生懸命になり 売りが後回しになってしまうことが あります メルカリで見てても 売れずにそのまま残っている そんなケースをよく見かけます 買う側の見え方としては 「SOLD」がたくさんついてる方が よく売れてるように見えませんか? お店に買い物に行っても 売れないお店、ショップには 一品一品よ〜く見ると売れていない
サッカーJ1 鹿島アントラーズのファン・サポーターの交流サイトをFacebookに立ち上げました。 そして立ち上げから1週間 正直こんなにも苦戦するとは思ってもみませんでした。 いまだに入会者 0名 苦戦も苦戦、総スカンです 第一の原因は自分自身の信用力のなさでしょう きっと「オマエ誰!?」 「何言っちゃってるの!?」 そんな状態だと思います Twitterで主に告知をしているのですがフォロワーまで減るということは 不快感まで感じてる方がいるかもしれません 知らない奴が突拍子もないことを言い始めた… 「仲間なんてたくさんいるわ」
パンツを嫌がり逃げ回ってる2歳の娘に向かって 「パンツをすぐはく、おりこうさんな子はどこですか〜?」 と私が発すると 「はーい」 とすぐかけ寄ってきました。 しかしその瞬間「ハッ」としました。 「なぜ、おりこうさんと呼びかけると来るの?」 「どうして、おりこうさんにしようとしてるの?」 と思ってしまったのです。 ここから自分の中で 「おりこうさん」と 「子どもは自由」の 相反する2つのテーマで 疑問と葛藤がかけめぐり始めました。 まずなんと言っても 「子どもは自由だ!!!」 ってことです。 例え新しいくつを履いていようが 寒い冬だろうが 水たまりが
6歳の息子が 「どうしても一緒に行きたい」 と言うから今日も親子ランです。 私も 「どうしても自分のペースで距離も走りたかった」ので作戦を考えました。 同じところグルグル回って走る約1kmの周回コースだし、例え別々に走ってもすぐまた会えるから大丈夫だろうと 「それぞれのペースで走る」 いう作戦 。 そこで 「今日は君には合わせないよ ついて来れなければ先に行くから」 と言って、それでも6歳児がついてこられるくらい、かなりゆっくり走り始めました。 するとどうでしょう、スタートから私より先へ先へ行ってしまいなんと1周でバテてしまいました。 結果1周目でランニングからウォーキ
今日は6歳息子と一緒にラン さらに2歳娘を抱っこしながら… って走れる訳がない! こうしていつも邪魔される 庭の手入れ、洗車、読書… 何かしようとするといつも邪魔される それがこの一年程ストレスと感じてる 普通の親なら思わないのかもしれない あまりにイライラがたまりすぎて 最近頻繁に爆発を繰り返しているので さすがに大爆発になってはマズイと 自分でも意識している 意識を変えてみると 気付きが増えてきたように思える 息子の走り タカタカと走っては休み 走っては疲れたと休む こうなる事は予測出来たので 「ゆっくりでいいよ」 「そんなに早く走らなく
最近2歳娘が入浴の際になぜだかウエットティシュを1枚浴槽の中にまで持ち込みます。 それを背中に広げてくっつけて遊んでいたのですが、今日は6歳息子まで一緒になって遊んでいました。 そして一緒に浴槽につかっている私に向かってウエットティッシュを投げてきたのです。 ただでさえ気分的に気持ち悪いと思っていた私は、すぐさま2人にそれぞれ投げ返しました。 すると一つは2歳娘の顔にピタッ もう一つは6歳息子の体にピタッとくっつきました。 そうなったらあとの祭り、2人とも大喜び。 ケラッケラ笑いながら投げ合いになってしまいました。 こっちはゆっくりくつろぎたいのに。 そうなんです、 私にとっ
作:エミリー・パール・キングスリー 訳:伊波貴美子 私はよく障害を持つ子供を育てるって、 どんな感じか聞かれることがあります。 障害児を育てるというユニークな体験をしたことがない人が、 理解して想像できるようにこんな話しをします。 出産の準備をするというのは、 すてきな旅行の計画をすることに似ています。 例えば、イタリアへの旅。 旅行ガイドを数冊買い込み、現地での行動を計画します。 ローマのコロシアム、 ミケランジェロのダビデ像、 ベニスのゴンドラ。 簡単なイタリア語を覚えるかも知れません。 とても、わくわくします。 そして、何ヶ月も待ちに待ったその日がやってきます
年末年始、子どもたちを公園に連れて行くことが多いのですが、昨日は他の家族らがやってるのをみて、 「凧揚げ(たこあげ)がしたい…」 と6歳の息子がいうもので、今日は正月らしく凧揚げしに行きました。 今日は天気も良く、ダウンなどまるでいらないくらいの陽気で、気分良く出かけた訳ですけど、いざ公園に到着してみると、昨日は数多くいた凧揚げ家族がまるでいません。 なんかおかしいなと感じながらも、昨日近所のイオンで買ってきた凧の準備をして、いざ始めてみると、凧揚げ家族がいない原因がすぐわかりました。 「無風…」 風が強すぎても凧揚げには厳しい状況となりますが、ほぼ無風状態と
思い返すと、娘が1歳になってすぐ自己主張が強くなり、だんだんと私たち親の思うように事が進まなくなり、大変になり始めた。 そのようなところから始まった昨年一年でした。 それが俗に言う「イヤイヤ期」という恐ろしい期間の始まりだとは昨年の今頃は思ってもいませんでした。 日に日に娘の自己主張は強まり、こちらの都合を強く出すと泣き叫ぶ、そして自分の主張が通るまで泣き叫ぶ。 そして、私たち親はまるで腫れ物に触るかとのごとく、娘のご機嫌とりばかりしていたように思います。 だから娘の機嫌が良い事が平和であり、その為には自分たちのしたい事も諦めて、いろいろ我慢して、出来ない事に妥協して過ごした
イヤイヤ絶頂2歳娘 昨日「これほしい、これほしい」と散々騒いで買わせた「恐竜柄の傘」 今日はあいにくの雨 さっそく使う事に… そしたらまさかの 「恐竜怖い…」 「黄色の傘がいい」 黄色の傘とは6歳兄の傘 「それはお兄ちゃんの!」 「〇〇ちゃんは黄色の傘がいいの!」 こんなルーティンから始まる休日のお出かけ
6歳の息子が何の影響を受けたのか 「釣り」に行きたいと言い出した。 「えっ なんでまたこのクソ寒い時期に!?」 と思って適当な返事で誤魔化してたものの 何日たってもその思いが消えてくれないので、 ついに今日行ってみた。 釣り堀に。 すぐそこに海があるものの、息子が行けば2歳の娘も行くと言うに決まってるし、確実に釣れるとも限らないし、安全性と確実性を兼ね備えた釣り体験施設「つり掘」が最適だろうと思ったのだが…。 家族4人で行き、やるのは息子と父だけでいいと思っていたが、娘と母親も入るなら入場料がかかると言うものだから結局2セットレンタルして1時間やってみた。 思惑通り最初の1
「負けず嫌い」=「やり遂げる力」=「次への意欲」は育てる事が出来る トップアスリートが「負けず嫌い」なのは 誰しも異論ないと思う。 走る種目も球技もプールもカルタでも、負けて悔しそうな姿はそれほど見せない我が息子。 相撲大会で負けた時だけは悔しくて泣いていたらしい。 それでも「たまたま」だと思い、息子は体育会系より文化系かなとか思ってたけど、「負けず嫌い」は遺伝なんかではなく、徐々にそのような人間に育てる事が出来ると、あるコラム記事で学んだ。
今思えば、妹が生まれるまで 息子は全く手のかからない子だった。 今6歳の息子、本当は妹の面倒を見てもらいたいのに、妹と同じ精神年齢になったかのように、甘え、はしゃぐ。 そして2歳の妹はイヤイヤ絶頂期。 そしてしょっちゅう兄妹喧嘩。 もう休みで家にいるとうんざりする。 そんな感じで基本騒がしい。 考える事も出来ないくらいうるさい。 だがしかしそんな中でも ちょっとした変化を見逃さないようにしたい。 2人はそれでも間違いなく日々成長してるのだから。
この時期、庭木や盆栽の剪定をされてる方も多いのではないでしょうか? 花の見頃としてはまだまだ早い梅と桜、 梅も桜も共にバラ科サクラ属の落葉広葉樹ですが、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言葉をご存知ですか? 桜は枝を切ると花が咲かなくなるだけでなく枯れてしまう事があり、梅は反対に枝を切らないと良い実がつかないところからきているそうです。 同じ種類でありながら、桜は切り口から腐りやすいので枝を切ることは避けますが、梅は枝を切ると切り口から小枝が密生し、枝振りがよくなり、よく伸びて花をつけ、実を結ぶのです。 つまり、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言葉の意味は、樹木にはそれぞれ
騒がしい 子どもは基本騒がしい生き物である ととすみ
最近2歳の娘が入浴しながら浴槽のお湯を飲むという行為が毎回のように続き、 「ばっちいよ」とか「ダメだよ」とか 「それやだよ」とか様々な表現で伝えるものの、イヤイヤ期真っ盛りの娘がそんな事聞く訳もなく、どうしよと思ってたら、 そんな時は入浴前に水分を多めにとるといいよという情報をゲット そんな貴重な情報をいざ試そうとすると何故か 飲まなくなった。 なんで? どのくらいの期間続いたかな? 1ヶ月?2ヶ月?… そんな事すらも思い出せない。 毎日毎日追われすぎ訳がわからない。
ここ3年強の間 鹿島アントラーズにどっぷりと浸かってみてわかったことですが、ある時から「ストーリー」を感じ、そこに感動したり、涙ぐんだりする事があります。 基本的には勝つと楽しいし、負けると落ち込みます。 勝つと次また行きたいと思うし、 負けるともう行くのやめようかなとなります。ただこれが結論だと、負けが続くと行かなくなってしまいます。 負けた時よく思うのが 阪神ファンの人達は例えチームが最下位でも何故あれ程までに球団を応援し続けられるのか?という事です。 (阪神ファンの方々すみません…) 鹿島サポの方々も、もちろん長年応援し続けてる方々がいる訳で、その力とか魅力ってなんなん
先日仕事での出来事 その日は3人と自分1人でふた手に分かれて作業を行っていた。 終盤にさしかかりここのところずっと無理をかけて仕事を進めてきたので、週末だし早めに上がってゆっくりしてもらおうと、もう終わりにしようと声をかけに行った。 そしたら「まだ終わってない」との事で、もうちょっとで終わりそうだったので、ならばと自分の現場に戻り他の所をもう少し進めておこうと手をつけた。 その時に何故か、終わったら自分のとこに来てくれるだろうと勝手に思い込んでいた。 結構な時間が経ってもう一度様子を見に行くと、そちらも自分が来ないものだから、別の所にみんなで手をつけていた。 なんで 「終わ
自分の趣味は? と聞かれたら 迷う事なく「サッカー」ですと答えるだろう。 今なら。 今ならというのも実は 10年以上もの間 サッカーが好きな事すら忘れていた。 小学校4年生の時に自分の通う小学校にサッカー少年団が出来た。 団員募集の案内をキャッチしたその日に 当時父の働くスポーツ用品店へ親友と二人でサッカーボールを買いに行くと、あいにく父が不在だった為、親友の分と2個のサッカーボールをツケで買ってきた。 父もバカがつく程のサッカー好きだったので その事自体を怒られはしなかったが 当然の如く、後に少年団での斡旋販売が父のスポーツ用品店から行われる事となり、「もう少し待ってれば良かっ
少なくともこの6年間は子育てしてると思っていた。 しかしここ最近これまでの経験やら知識で子供達に対応する事がなにかと難しくなってきた。 6歳にたずねられる質問 2歳のどうにもならないグズり などなど… そこでネットで調べたり本で調べたりしながら なんとかやり過ごしてきた訳だが パッと答えの出ない問題がなんか最近多くなってきたなと感じるようになった。 そんな時ふと、 なんだ? 「こっちが育てられてるか?」 と思うようになってきた。 どうやら子育てしてるつもりで 「親育て」されてた訳だ。
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