empty-handed=手ぶらで 会社員をしながら、フリーでイラストやデザインをしています。 ここは、ありあまるアウトプット欲を解き放つ空間。 旅、ミニマリズム、短歌、スピリチュアル…テーマは宇宙の如く限りなく。
足元からスッと海に入っていくように眠りに落ちた。 疲れる用事を済ませて家に辿り着き、泥のようにシャワーを浴びて本を読んでいたら、猛烈な眠気に襲われたのだ。 疲れている。 人生稀に見る疲れっぷりだ。 心も体も。この時の私は、控えめに言ってもボロボロだったのだ。 一時間超昼寝をした。 目覚める時、深い海の底から上がってくるかのように、深いところから上がってきたことを感じた。 目覚めようとする時、その時直面している問題が眼前に浮かび上がったりする。 潜在意識が冴え、受け取るべきものを受け取っているのであろうか。 しんどい時の寝起きは、結構にしんどい。 買ってあったマンゴーのことを思い出した。 まだ早…
私はいわゆる「正論」を言うタイプとは真逆の人間である。 そもそも論理的ではない。 人からみて非合理的でも、非効率的でも、損に見えても、私は感覚で、自分のしたい方を選んできた。 はたから見ると、馬鹿みたいなのかもしれない。よく人から諭された。 若い時分は特に、女友達でも論理的に考えられる人には正論で押されることも多く、感覚一辺倒の自分が長年コンプレックスであった。 年齢を重ねても基本は変わらないが、ひとつ変わったことがある。 「正論で来られると説明できない、正論に押される、正論には勝てない」 そんな風な、長年ぼんやり抱えていた劣等感のようなものがなくなってきた。 どうでもいい、と言った感じだ。 …
今年も、夏が来る。 割と近年まで、夏が来ることが信じられなかった。 夏が好きすぎて、「本当に夏が来てしまったの!?」と打ち震えた。 割と近年まで、夏が去ることを受け入れられなかった。 夏が好きすぎて、夏の終わりが、寂しすぎた。 そんなのは私だけなのかと思っていたが、小学生くらいの頃、母よりこんな話を聞かされた。 母の故郷で昔「夏が終わるのが寂しいから」という理由で自死した青年がいたという。 「わたしみたいだ」と思った。 今思うと、その青年は生きるのが嫌になって、表向き適当な理由を遺しただけかもしれない。 しかし私には、そういう人がいても全くおかしくないと思える。 幼少の頃から、印象に残っている…
ある会社に勤め始めた時から、私の「会社仕事」はほぼルーティンワークとなった。 その年の春、転職を前に大病を患い、十日ほど入院して体力が落ちた。 その転職で私は希望どおりの異職種転職に成功したが、転職先は結構なブラック。 初めて「みなし残業代」で働き、ここまでやる気がでないものなのかと驚いた。 主な仕事内容は希望どおりだが、小さい会社で「何でも屋さん」色が強く、「なぜ嘔吐恐怖症の私がゲ◯掃除まで…」いうような予想外のおまけが色々くっついてきた。 職種柄外を行ったり来たりで夏の暑さにやらられ、私の中の何かがすっかりすり減っていった。やる気がない。帰りたい。いかにしてサボるかばかり考えるようになった…
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