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  • 教えることで、人は成長する。

    きょうは自らが主宰するコンテンツビジネスの学校で講義のお仕事です。深夜というか早朝というか4時までスライドをつくり、朝の7時に起きてまたせっせとスライドづくり。ギリギリまでカフェで作業をしてからタクシー移動、その最中も参考にしている本を読んでいると、久しぶりに気分が悪くなりました。おっつ。 これは本を書くときにも通じるものがあると思いますが、(ぼくの場合ですが)どこまでやってもキリはなくて、進めば進むほどいくつもの小径が四方八方に伸びていて、ときには迷ってしまうこともあります。下手に進んだことを後悔することもあります。昨夜も深夜2時前の絶望感はヤバかったです。でも、勇気を出して

  • 時間とともに、年齢が若くなることがあったっていいじゃない。

    東京の朝のバスは混んでいる。満員電車と比べるとマシだけど、つり革につかまって揺らされている人がずらり。ボーッと外を眺めて立っていると、「前で立ち止まらないでくださ〜い。ベビーカーも乗っています、後ろへおつめくださ〜い」と、なにやら運転手さんが荒ぶっているようで。「学生さん、あなたですよ」とピンポイントで語気の強い指摘まで入った。 ぼくは真ん中より奥にいたから無視していただけど、運転手さんの荒ぶりは収まらず、「そこまで言われて動かないって、誰だよ」と目線を窓の外から車内に戻した。が、しかし、どうにも学生らしき人が見当たらない。もうすこし広範囲に渡ってキョロキョロ見まわしたが、やっ

  • ケサランパサラン。

    両手いっぱいに買い物袋。ビニールが指に食い込んでくる。しかも空は、雨。やれやれ、ため息のひとつもつきたくなるシチュエーションだ。隣には足の悪い母がいて、折りたたみ傘いっぽん。タクシーを拾おうにも、ちょっぴり下町なここではなかなか捕まらない。 母の市役所関連のやり取りにも思いのほか時間がかかり、おまけに心がモヤッとすることを言われたりなんかして、次の仕事にもギリギリ遅刻してしまいそう。なう。事前にお詫びの連絡を入れてから、スキマ時間にこうして note を書き進める。ホントはこれもゆとりを持って書くつもりだったのに。いろんなことが思い通りにならない。まったく、もぅ。 そんなの

  • 不安や焦りや物悲しさだって、しあわせの一部なんですよね。

    なんてタイトルを書いたら、 note から、「こんにちは。午後もがんばりましょう」と励まされて、「うん」と心のなかで頷きました。 どうもぼくにはバランスを取る癖があるようでして。ここ最近立て続けに「自分をもっと、尊重してあげて」とか「ぼくらはしあわせを受け取ってもいいんだ」というポジティブめな note が多かったように感じていました。 そんなことを書いているからといって、不安や焦りや物悲しさがぼくの生活からなくなっているかというとそんなこともないんですよね。彼らだってちゃーんとぼくのそばにいます。(なんだか変な表現に感じるかもしれないけれども)ぼくの側からしても、ぼくの世

  • 未来へと走る列車のレールが切り替わる、いい時間。

    0歳の娘より早く眠りについた。目を覚ますと、娘がちょこんと座って笑ってた。知らず知らずのうちに疲れていたのかな。歯磨きとひげ剃りを済ませて、軽くストレッチをする。手早く身支度を整えて、玄関で妻と娘と3人でハグ。娘は床に落ちているもののほうが気になるみたいでプイッとあっちを向いてたけど、それでもあったかい。 バスに乗って青山に着くと、パラパラと小雨が降りはじめていた。妻に待たされた折りたたみ傘に感謝して、足早に待ち合わせ場所へと向かう。きょうは朝から夕方までみっちりと著者で友人のえがちゃん(江上隆夫さん)とぼくのこれからの活動についてミーティング。丸一日がかりということで、ワクワ

  • ぼくらはしあわせを受け取ってもいいんだ。

    月曜日のお昼3時過ぎからおいしいクラフトビールを何杯もいただいています。テーブルをともに囲うのは気の合う、心許せる仲間たち。みんなでグラスを傾けて和やかなしあわせを確認し合っています。が、ですよ。だからといって桁外れに稼いでいるわけではなく、そんなライフスタイルを自由にえらべる、そしてそれを充分に味わえることに静かな喜びを感じるのです。 ちなみにその前は、朝から著者で友人のなおさん(野呂田直樹さん)と youtube の撮影をしていました。3台もの本格的な撮影機材と5人の撮影チームがすべてを取り仕切ってくれて、ぼくたちはただ楽しく心から興味のある話をするだけという、、、これ

  • あたらしい時代のヒーリング。

    さて、ぼくはヒーリングでご飯を食べているわけではありません。つまり職業的なヒーラーというわけではないということです。ですが、ぼくの人生においてヒーリングが影響を与えてくれた割合は少なくありません。 と、ここまで読んで、「そうそう、ヒーリングって大事だよね」とスッと受け入れられた人もいれば、「?? ヒーリングってなに?」と言葉は知ってはいても、意味がよくわからない人もいるのではないかと思います。こういうときは Wikipedia ということで調べてみると、非常によい説明がなされていましたので、これを説明と変えさせていただきますね。 心や体を人間のもともとある良いバランスに戻すこ

  • 自分をもっと、尊重してあげて。

    尊重とは、尊いものとして重んじる、と書きます。いまの時代はというか、日本人はというか、そういう大きなものを引き合いに出さなくとも、自分を軽視してしまうことってよくあるのではないかと思います。軽くみる、ということですね。「よーし、ちゃんと尊重するぞ」と念じてやるくらいしないと、標準設定が自分を軽んじている場合も多かったりして。心当たりがある人もいるのではないでしょうか。 かく言うぼくも御多分にもれず、自分を尊重できない発言や行動をしてしまいがちです。そんなことにハッと気がつかされた体験を書いてみたいと思います。ある人から仕事の相談をされたときのことです。とはいえずいぶんと、自分を

  • 自分なりの居心地のよさを見つける。

    大きな眼鏡をかけたおばあさんが、ちり紙で鼻を噛んでいた。ちーんと聞こえてくるかのようである。ちょっぴりふくよかで、髪はくるくるとパーマがかかっていて、ずでんと座っていた。こうして書いているからといって、そのおばあさんに縁もゆかりもない。名前も知らなければ、話したことさえない。ただ冷たい雨の降る神楽坂で見かけただけでのことである。それではどうして彼女のことを書きはじめたのか、それをきょうの  note の題材とすることにしよう。 午後の打ち合わせのために神楽坂へ移動して、確実に3本の指に入るチャーハンを出してくれる龍朋の暖簾をくぐる。なぜか奮発してラーメンまで注文してしまった。味

  • 冬のはじまりの1日、たのしみが増えた。

    今朝コートをクローゼットの奥から引っ張り出してきて正解でした。寒くなりましたね、油断していたらもうすっかり本格的な冬がやってきたようです。熱々のホットコーヒーが恋しい。。。注意するようにしないと、気がついたら1日何杯も飲んでた、、、みたいなことになりそうです。それにしても、もう年末じゃないですか。どうします、みなさん? 2019年がもうすぐ終わっちゃいますよ。ちょっぴり、あたふた。 そんな(個人的な)冬のはじまりの1日、ぼくはある企画を知りました。 「よし、書こう」 いいもの書けるかなという不安だってありますが、それよりもこのコンテストをきっかけに、(自分のな

  • 娘が教えてくれた、人間本来のパワー。

    娘とふたりきりの夜。冷たいリビングの床に寝転がってぼくは、「お父さん、泣いちゃうよ〜」とおどけて、袖を目に当てて涙をぬぐいました。目の前では娘が椅子につかまって、小さな足をプルプル震わせながら立ち上がろうとしていたのです。 彼女はついさっき、立ち上がることに失敗して、硬い木の椅子に頭をゴツン。急いで抱きかかえてぶつけたところを撫でてあげている最中もワンワン泣いていました。泣きやんだからとそばに寝かせると、またむくっと座って、えへへと笑ったかと思うと、また椅子のところまでずりずり這っていきます。また椅子をつかんで立ち上がろうと試みはじめました。 失敗して痛い目にあったって、 思

  • たとえビジネスでも、結果はいっさい手放して。

    きのうは朝からAmazonが運営するコ・ワーキングスペース『AWS Loft Tokyo』で、コンテンツビジネススクール新作セミナーの開発会議でした。冒頭から白熱した議論、、、ではなく、(ほぼ)雑談からスタートします。でも夜に観たテレビの話などではなく、深めな雑談です。ただし、セミナー内容に直結しているわけではちっともなくて。必要ないといえば必要ありません。きっと会社員時代だったなら、絶っ対にありえず、「バカもーん!」と雷が落ちるであろう内容からはじまるのです。それもそれが1時間近くつづくのですから、、、たぶん確実に変です。 で、そこからも、引き続き、変で。セミナーを案内す

  • note から生まれる小さな癒し。

    ぼくはよく他の人の  note を読みます。それも特定の人のものではなく、ほんとうにいろんな人のを、です。そうするとじつに多種多様な note に出会います。うれしく喜ばしいものもあれば、かなしく痛ましいものもあって。読むものに線引きはせず、大げさに言うなら出会いの奇跡みたいなものを感じながらいろんなものを体に、心に、インテイクしていきます。 ついこのあいだ、あるイベントで質問されて、その理由について考えをめぐらせました。小さな物語を読んでいる感覚で、ときには事実は小説より奇なりなどと申しますが、それはそれは(いろんな形容詞をひっくるめたうえでの)おもしろさがあるのです。なんだ

  • 自分にうそをつくのをやめたなら。

    自分にうそをついたって、たいして得なことはなくて。その場は丸くおさまっているように見えても、うそをつかれた自分は見えない精神的、エネルギー的な傷を負っていたりします。果たしてそれって、ほんとうに丸くおさまっているのでしょうかね? ということで、きょうの「末吉さんの文章喫茶店のようなところ」は、自分にうそをつくのをやめる、というテーマでお届けします。 自分にうそをつかないようにするのは、最初は大変なことだと思います。教育だったり、常識だったり、時代だったりによって、自分にうそをつくのがスタンダードみたいになってしまっているからです。 しかし、うそをつかなくなると、ほんとう

  • そのイライラ、外に漏れてません?

    今朝は晴天の気持ちいい空の下、妻とぼくはケンカをしていた。いやもしかしたら、ケンカというほど大げさなものでもなく、小競り合い、という表現のほうが正しいかもしれない。けれど、この小競り合いというのがあんがい厄介で、逆にドカーンと爆発するようにケンカしちゃったほうがあと腐れなく、むしろ清々しくなることも多い気が気がするなぁ。ということで、小競り合いといって侮るなかれ、なんとな〜く長引いちゃうのが怖いんだ、これが。 この小競り合いの理由というのが、じつはきのう書いた「心乱れても、なお」の、心の乱れが原因でございまして。記事のなかでは、いかにもうまく対処できた風に書いていましたが、とこ

  • 心乱れても、なお。

    毎日を生きていると、心がバタつくこともある。まさにきょうが、それだ。目の前にはやらなきゃいけないことや決めなきゃいけないことが山のようにあって。で、そこには、人やお金や環境や、さまざまな事情が複雑に絡みあったりなんかして、さて、いったいどう答えを出そうか考えあぐねてしまう。 そんなことを書いていると、電車のホームの片隅に影を潜めて佇み、缶コーヒーを飲んでいる中年の男性がいた。くたびれた風貌、やけに渋い顔。ブラックコーヒーの苦さもあるのかもしれないが、それは人生の渋みを味わっている表情に見えた。まるで缶のなかに苦虫がいて、間違えて噛んじゃったような、そんな。たぶんきっと、ぼくの心

  • ネガティブなエネルギーと戦わない。

    あぎゃっ。実際に声が漏れたのか、心のなかだけの叫びだったのかは覚えていない。これはマズいな、、、きのうの朝から目を覚ましてすぐ、我が身に起こったことについてすべてを悟った。身動きがとれないレベルの痛みが、みぎの背中部分に生まれている。なんて、その瞬間は冷静になれるはずもなく、痛みに飲みこまれながらも、寝ている娘を起こさないように小声で、顔を歪めながら妻に言った。「きょう整体に行ってくるわ。マジでヤバい」 きのうは本来、娘の面倒を見る日でした。が、妻の配慮のおかげで、午後イチで整体を受けてからだをゆるめ、直帰して昼間からゆっくりと布団で眠る時間を取らせてもらえることに。おまけに夜

  • さぁ、世界のルールを書き換えよう。

    きのうは最近にしては珍しく、打ち合わせや取材が重なった日でした。朝からは毎日書いている note を書籍化する打ち合わせ。予定時間をオーバーしてしまうほど盛り上がり、急いで渋谷に移動して午後イチからはぼくのことを小さな漫画にするための取材を受けてきました。 むかし好きだった漫画『Ns'あおい』の漫画家である こしのりょうさん(右奥)が描いてくださるということで、いったいどんな仕上がりになるのか、、、いまからめちゃくちゃ楽しみです。ちなみに超プチ情報ですが、この『Ns'あおい』はTVドラマ化されていて、なんとあの、石原さとみさんの連ドラ初主演作品なんですねー。こしのさん、モッテ

  • 勇気の剣を、いざ、引き抜け。

    窓の外をのぞく。電車がスピードをゆるめながら駅のホームへとすべりこんでくる。ほどなく逆方向へと出発する電車が見えた。このなかには何人のひとが乗っていて、1日に何台の電車が行き交っているのだろう、意味のない問いが浮かんでは消えていく。ぼくはホットコーヒーのマグカップをそっと両手でおおい、暖を取っていた。 カフェの机にポツンと置かれたスマートフォンをひらくのがツラい。なんならそちらを向くことでらすら気が重い。その理由は、妻とのメッセージのやり取り、だ。わかっている。とあるぼくのミスが原因で彼女の機嫌が悪い。言い訳を探さないではないが、まぁどう考えても10:0でぼくが悪い。 ちょ

  • イチロー選手のように、日々使う道具を大切にできているか?

    これは昨夜、酔っ払いながら書き始めた文章である。友人のあんちゃん、けんちゃんのお家でたのしいひと時を過ごして(彼らが飼っているモモンガにも会えて)のち、酔っ払いながらもナントカカントカお風呂に入ってパジャマに着替え、リラックスしてこれを書き始めた。深夜1:16である。妻も娘もぐっすりと寝入っている。でも、こういうシンとした時間も嫌いじゃない。 さて、まことに突然ですが、すこし前にプロ野球選手を引退したイチロー選手が、毎日グローブやバットを磨くなど、道具を大切にしていることは有名ですよね。知っている方も多いのではないかと思います。で、そういう話を聞くと感心するし、憧れたりします。

  • 趣味は、人生を変えることです。

    ぼくの趣味は、人生を変えることだ。 まわりの友人たちからも直接的に言われるくらいだから、きっと筋金入りなのだろうと思う。 人生を変えるというのは、より快適に、よりエキサイティングに、それはまぁ、とどのつまりは、より自分らしい人生へと絶え間のない変化をつづけていくということである。 見える景色が変わっていったり、自分のなかの感覚がより平安になったり、奇跡のような出会いや出来事が起こるようになっていくのが、とてもたのしくて仕方がないのだ。 この note はきっと、そんな感覚的なことをちょっとでも分かち合えたら、と書いているのかもしれないなと思うときがある。 何度

  • 障害物ばかりが目につくなら、立ち止まって空を見上げよう。

    友人の結婚パーティーを控え、ぼくは表参道のカフェでアイス黒糖ミルクを飲んでいる。よくもまぁ、こんなにつづくもんだ。この note のことである。パーティー会場入りすると、きっとうれしくてたのしくてお酒をたくさん飲んじゃって、そのあとに文章を書くなんて無理だろうと踏んで、この場で書き上げてしまう作戦をとることに。 ここはすごくすごく大切な場所、そんなことはよくわかっている。それでもときどき、思うことがあるのだ。どうして毎日まいにちこの小文を書いているんだろうと。大事なことだからといって、それについて悩んだり、嫌になったりしないかというと、決してそんなことはなくて。うーむ。人間とは

  • 無料記事を読むだけじゃなく、有料記事を買ってみるのもいいかもよ。

    たぶん偶然なんだとは思うけれど、きのうきょうと、 有料note を買ってくれた人がその記事にインスパイアーされた記事を書いてくださいました。 ・「トイレに神様はいるのか」(いしだ よしみさん) ・「お金のマインドブロック」(やすこさん) 直接メールをくれた方もいれば、購入してくださったうえにサポート&メッセージをくださった方までいて、、、感謝するのに忙しいという、なんとも贅沢な時間を過ごしていました。 突然ではありますが、エネルギー交換の法則、みたいなものがこの世には存在していると思っていまして。与えたものが、受け取るものである。という、すごくシンプルな法則です。 こ

  • たくさんお金を受け取って、たくさん好きな人やお店や会社に回せばいい。

    今朝 facebook を開いてはじめて、知人の訃報を知った。一緒に仕事をしたわけでも、とくだん親しいわけでもない。けれども、何度かご挨拶はしたことがあったし、その活躍はよく目に、耳に入ってきていた。年齢もまだお若かったはずだ。その理由もわからず、現実をうまく受け止めることができなくて、ぽかんと口をあけたままその場で固まってしまった。 いつもより腹に力を入れて立ち上がり、顔を洗い、髭を剃って身支度を整える。きょうは朝から体のメンテナンスに行く日だ。施術してくれる方の屈託のないニコッとした笑顔は、沈んでいた心を元気にしてくれる。まだまだ、ここからが本番。ベッドにごろんと横になって

  • 一瞬で人生を変えるちょっと不思議な方法を、トイレットペーパーから教わった話。

    これは人によって個人差があると思いますが、目の前の景色は移り変わってゆきます。極端にいえば、仕事も変わり年収も倍になって、住む場所が変わり、隣にいるパートナーが変わっちゃっていたりなんかした日には、もう別人と言っても過言ではないかもしれませんね。 それがより自分らしいものになっていき、まいにち神さまなのか仏さまなのかに手を合わせたくなるくらいの人生になっていったとしたら、、、最高です。だけどなかなか、人生が変わらないんです、という人だってたくさんいるはずで。満足がいかない日々をなんとか耐え忍んでいるという人だっているかもしれません。 未来がどんどん変わっていく人とそうでない

  • そのまま放っておく。

    きょうはあまり気分が乗らない。気がついたら部屋は薄暗くなっていて、電気をつけなければもの寂しげな雰囲気がただよっている。 note も書こう書こうと思いつつ手が動かぬまま、じりじりと公開時間だけがせまってくる。ネタにせまってきてもらいたいのに、世の中そう都合よくはいかないみたいだ。 とくに忙しかったわけではない。むしろゆとりがあっ…ヒマだった。書く時間があったら進むのかというとそうでもないみたいで。書き溜めることなく、まいにち書いていると、たまにこういう日がある。どうにも筆が進まない日が。こんな日には、なんとも形容しがたい、とにかくモヤモヤとした気持ちに襲われることになる。いま

  • 娘と亡き父と、見上げた空。

    きょうはいい天気だ。太陽がまぶしい。街路樹はやわらかく輝いている。マンションのベランダから見える人通りが心なしか多く感じる。暖かい太陽の光に誘われて、かな。あ。そっか、きょうは祝日なんだ。ぼくは平和な気持ちで洗濯物を干していた。 ちっちゃなパジャマや布オムツを干していたら、娘がリビングの向こうからずりずりとこちらに向かってくる。途中の障害物を乗り越えてくる姿はとっても勇敢に見えた。そばまでやって来ると、洗濯カゴからハンガーを取り出して、上目遣いにぼくを見上げて、はい、と手を伸ばしてくる。彼女のちいさな手からハンガーを受け取った。 洗濯物を干す手が止まった。そのままかがんで、

  • 気分よく過ごす。

    気分よく過ごす。

  • コンテンツづくりは、無限の宇宙たんさく。

    いまタクシーに乗って渋谷に向かっているあいだにコレを書いています。朝から晩までコンテンツビジネススクールの授業と懇親会で、きっと note を書く時間がないので、ここで仕上げねばと超集中モードに入っています。さぁ、タクシー内でどこまで書けるかゲームをたのしむことにしよう。 さっきまで近所のカフェでホットコーヒーを飲み飲み、テキストの最終ブラッシュアップを図っていました。で、ギリギリになってタクシー移動なっちゃいました。ほんと凝り性な自分にちょっと呆れちゃいます。コンテンツビジネススクールということで、情報発信に関することをお伝えするのですが、考えてみれば新卒時代からもう12年以

  • 熱中やら夢中とは、時間の外に飛びだすことである。

    あしたのコンテンツビジネススクールに向けたスライドやworkbookをつくっていた。3軒はしごした最後のカフェが入っているビルを出たときにはすっかり空が暗くなっている。熱中モードの切り替えがうまくいかないようで、足早に帰路に着く人の波になじむことができず、人にぶつからないように注意深く歩いて改札へと向かった。 じつはこのセミナーは台風で延期になったため、すこし前にいったん完成はしていた。しかし、ひとたび手を加えはじめると、際限なく改良の余地が見えてくる。足したり削ったり、また足しては削り、やっぱり元に戻してみたりと、ときどき出口のない迷路に迷いこんだ気分になることもある。

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