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劇作家・プロデューサー│佐野語郎(さのごろう) https://blog.goo.ne.jp/sano560

脚本・演出、童話創作の傍ら、音楽劇の制作に取り組む佐野語郎の活動紹介~作・演出に『全体演劇 わがジャンヌ、わがお七』ほか。出版に『ほしのこ ピッカル』『雪女とオフィーリア、そしてクローディアス 東京ミニオペラカンパニーの挑戦』ほか。

愚直な騎士
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2019/11/11

  • 「痛み」のことばが「歌」を生む⑶

    1963(昭和38)年第14回「NHK紅白歌合戦」の視聴率81.4%という驚異的な数字が2023(令和5)年第74回では29.0%に<大暴落>した。その原因は一つではなく幾つかの要因が複合的に重なり合った結果だが、高度経済成長期による社会変動とそれに伴う日本人の日常生活および精神の変容が主因である。60年前は東京オリンピックの開催年、白黒テレビがカラー受像機に変わる時期だったのだが、それを購入できないでいる国民もいたことを考えると、「81.4%」という数字はまさに年末の国民的行事に違いなかった。師走の慌ただしさを乗り越えた大晦日、夜9時になると家族全員がお茶の間に集まりテレビの画面を食い入るように見つめる。紅組・白組の歌手たちの晴れ姿、一世一代の歌唱に老いも若きも引き込まれ、『いい歌だ』『新人だがうまいね...「痛み」のことばが「歌」を生む⑶

  • 「痛み」のことばが「歌」を生む⑵

    貧困はいつの時代にもあるが、経済的困窮と心の貧しさは一体のものではない。(前述の通り)目指すものや自分のなすべきことのために<おでん種を売り歩いたり><質屋に住み込み奉公をしたりする>青年、彼らに理解を示し手を差し伸べる周囲の大人、そこには心の豊かさがあった。なぜか。米軍による空襲・無差別攻撃によって焦土と化した国土。敗戦がもたらした<衣食住>という生きる基盤の確保に必死だった時代。「ゼロからのスタート」は国民全体が共有していた状況だった。だからこそ、「痛み」を分かち合い、希望を明日に託す思いが漲(みなぎ)っていたのだ。敗戦から10年ほど経つと、朝鮮戦争による軍需景気をきっかけに経済復興期を迎え、ラジオに加えてテレビ放送が各家庭に浸透していった。やがて年末の国民的行事ともなった「NHK紅白歌合戦」が定着す...「痛み」のことばが「歌」を生む⑵

  • 「痛み」のことばが「歌」を生む⑴

    私たちは、当たり障りのない言葉によって生きている。世間において、自分を護るために相手と摩擦を起こさないためにその場を保つために、表面的なコミュニケーションに必要な言葉を選んで暮らしている。本心から出た言葉は重かったり棘(とげ)があったりさえするので、日常生活を営む上で忌避されるのかもしれない。だが、無難で表面的な言葉は軽いために相手の心に届くことはない。相手との距離は縮まらないから自ずと人間関係は希薄なものとなる。今は廃刊となった隔月刊誌に「痛み」のことばについて書いたことがある。…沖縄に「チムチャイサン」「チムグリサン」という方言があるが、「肝痛い」「肝苦しい」に由来し、ともに「かわいそうだ」を表す言葉だそうだ。筆者は、数十年前テレビドラマで耳にした「チムグリ…」が忘れられない。自分の内臓が痛む感覚、相...「痛み」のことばが「歌」を生む⑴

  • 人生の基盤構築~私の場合(後)

    高校卒業後、少しでも収入が良く自分の可能性を拓くような職場を求めて二度転職した結果、当時は贅沢だった大学進学に舵を切ることになった。入学費用はこの苦学生に差し伸べられた手にすがり、学費は日本育英会の奨学金で、(食・住以外の)毎月の生活費は種々のアルバイトで賄った。1960年代後半、世界は冷戦下における戦争と社会変革の嵐が吹き荒れていた。日本国内では<ベトナムに平和を、市民連合!>のデモが知識人を中心に繰り広げられていたし、大学構内では「学費学館闘争」を旗印に大学当局への異議申し立てが叫ばれ、立看板とバリケードが林立していた。「この時代をどう生きるか、自分はどうあるべきか」―この時代思潮は当然のごとく芸術にも変化をもたらし、文学・美術・音楽は既成の表現とは全く別の手法が追求された。演劇においても古典劇・近代...人生の基盤構築~私の場合(後)

  • 人生の基盤構築~私の場合(前)

    「人生の出発点」(11月記事)は羽田空港での貨物倉庫勤務だったが、「配置転換」の希望があった―いずれ空港ビル内の旅客カウンターの部署に転出できる可能性。現業者用の灰色の労働服から紺のダブル・サイドベンツの上着へ。その憧れがあった。しかし、一年ほど経ったある日、ロンドン本社からの“notice”が掲示される。「今後、欠員が生じても補充の募集はしない」という通告。夢ははかなく潰え去り、「今後とも肉体労働者のままで」という現実が突き付けられた。いくら高卒者としては高給取りでも、夢もなければ発展の道も閉ざされるのであれば、「ここを去る」しかないと思った。「自分の道」の模索が始まる。「道」といっても、取り立てて特技や資格があるわけではない。ただ、肉体労働の現場からは離れたかった。英字新聞の“helpwanted”(...人生の基盤構築~私の場合(前)

  • ひとり旅~生活圏外で出会う古人の足跡と伝説

    ふだんの暮らしから離れて、様々な地を訪れる…私の旅は一般と何ら変わらない。やや変わっているとすれば、観光が目的ではなく非日常的な時間を過ごすことで作品構想のキッカケを得る点かもしれない。また、その土地の温泉に浸り伝えられる歴史の一端に触れることも楽しみとなっている。昨秋は、岐阜県養老温泉に宿を取り土色がかった湯を堪能した。翌朝タクシーを利用し、異郷の雰囲気を味わいながら「養老の滝」を訪れる。この名勝の由来は歴史をさかのぼること千三百年余の717年、第44代元正(げんしょう)天皇が行幸されたことにある。緑の山間にしぶきをあげながら流れ落ちる滝を目の当たりにして、『もって老を養うべし』と述べられ改元「養老」の詔を発布されたという。元正天皇は生涯独身を通した女帝で『続日本紀』には母親(元明天皇)譲りの美しさと慈...ひとり旅~生活圏外で出会う古人の足跡と伝説

  • 創作の支柱~書籍・史料・取材/大垣篇

    詩人や小説家や劇作家は、なぜ原稿用紙に向かうのか。自らの内的情念や美意識から創作への衝動に突き動かされることもあるだろう。また、ある事件にまつわる発見や別の視点によって<これだけは伝えておきたい>という思いからペンを執ることもある。さらに、神話や古典作品を現代に置き換えて新たな世界を描き出す場合もあるし、商業出版の業界では編集者から与られたテーマで書く小説や注文されたエンターテインメント作品を生み出すケースもある。衝動や発見は「創作の源泉」に違いないし、別世界を描き出す情熱と才能は「創作の基盤」と言えるだろう。ところで、「創作の源泉および基盤」だけでは“原稿用紙に向かえない”場合がある。歴史的事件や史実に関わる物語においては、そのモチーフやテーマ、エピソードが「創作ノート」に書き込まれていても筆を落とせな...創作の支柱~書籍・史料・取材/大垣篇

  • 続・人生の出発点が蘇る瞬間~私の場合

    《「明けの仕事」を終えた昼前、空港ビル前の駐車場で撮影されたワンカット》を目にすると、羽田から日比谷へ向かった給料日のことが思い浮かぶ。現在のような金融機関への口座振り込みは無く、会計担当からの手渡しだった。読売巨人軍・長嶋茂雄選手の給料袋は厚かったので“立った”という時代である。有楽町駅日比谷口から徒歩5分、会社(BOAC)のオフィス(予約・広報/会計)が入っている「三信ビル」に向かう。当時この一帯(有楽町から日比谷にかけて)は外資系特に航空会社の事務所が並んでいてハイカラな雰囲気があり、行きかう人々も欧米人が目立った。日劇やデパートがある銀座方面とは違って日本人も<関係者>という様子の人が多かった。※日比谷にある「三信ビルディング」は、1929年の竣工時モダン都市を象徴する建物だった。当時としては珍し...続・人生の出発点が蘇る瞬間~私の場合

  • 人生の出発点が蘇る瞬間~私の場合

    「人生の出発点」は、18歳。羽田空港。日本復興の象徴「東京オリンピック」を前にして社会全体が湧きたっていた。東海道新幹線や高速道路の開通、ホテルをはじめ商業施設の建築ラッシュ、高度経済成長期へ突入する勢いがあった。しかし、どんな時代でも身分格差や所得格差はつきものだ。家庭の経済的事情で、実業高校から社会へ旅立つ者も少なくなかった。私のその一人だったが、「敷かれたレール」の上を歩くのがイヤで、日本の企業ではなく外資系の会社にもぐりこんだ。能力主義で学歴の差別がないことと、何よりも給料がよかった。1ドル=360円の固定相場制の時代で、旧財閥系大手銀行勤務となった友人の倍近い額だった。職場は羽田空港の一角、英国海外航空会社(BOAC/現在は英国航空BA)の貨物課。仕事は搭載係、A/B/C3シフト制のいわゆる肉体...人生の出発点が蘇る瞬間~私の場合

  • 幸せのBASE「心技体」~体②(終)

    前回の「中略」に当たる部分は以下の下線部になる。…子どもたちの「遊ぶ力」は、昔に比べると衰えているのではないか?私にはそう思えます。ひとつにはカラダを使った遊びが減ったことが挙げられます。屋外で、走り回ったり、生き物と触れ合って遊んだりすることが激減しました。五感を鋭敏にし、身体感覚を磨くには、自然の中に入って遊ぶのがいちばんいいのです。空き地で草野球や三角ベース、ボール蹴りをやることも少なくなりました。(略)カラダということでいえば、他の子とカラダを触れ合わせる遊びもほとんどなくなっています。相撲は何百年にもわたり、日本の子どもたちの王道でしたが、いま、相撲を取って遊ぶ子どもはほぼ見られなくなってしまいました。押しくらまんじゅうも、馬跳びも、ほとんどやりません。友だちとカラダを接触させて遊ぶ経験が少ない...幸せのBASE「心技体」~体②(終)

  • 幸せのBASE「心技体」~体①

    ヒトにとって幸福とは何だろう。幸福感を生み出す土台とは何か。その「幸せのBASE(土台・基礎・基地)」の構成要素は「心技体」に他ならない。人生を生きる上での精神・技能・身体、どれ一つ欠けても幸福感は湧いてこない…と書き始めた。最後に、その第三要素「体」について考えてみる。体調がよいと心まで軽くなる。一日のスタートが明るくなり、幸福感さえ湧いてくる。一方、体調を崩すと憂鬱になる、医者の世話になるような事態になれば、仕事にかかれず出費もかさむので、ダブルパンチだ。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という諺があるが、これとは逆の場合もある。“不健全なる精神は健全なる肉体を蝕む”状態である。大きなショックを受けた時、胃が爛(ただ)れる。食欲がないから胃袋に何も入っていないのに、胃液が分泌されて自らの胃壁の一部を...幸せのBASE「心技体」~体①

  • 幸せのBASE「心技体」~技⑤(終)

    生きる上で、職業に就くことは当然の成り行きだろう。生活を成り立たせるため収入を確保するため、何らかの仕事に従事することは自立した人間として避けられないし、その仕事を通して社会に貢献し他者と交流を深めることは大人の道である。現代の就職における<武器>は、学歴でなく技能である。もちろん、その「技」の修得につながる医学・工学などの専門大学への進学は必要であろう。しかしそれは従来の学歴、大卒という肩書とは異なる。あくまでも社会の要請に応える本人の「技」の一背景でしかない。研究者として数十年にわたる実験やそれに基づく論文発表を経てノーベル賞を授与され、その成果が社会を進歩させ人間に幸福をもたらす仕事をする人々がいる。そのおかげで電力消耗の少ないLEDが普及したり、iPS細胞の発見によって再生医療への道が開かれたり、...幸せのBASE「心技体」~技⑤(終)

  • 幸せのBASE「心技体」~技④

    <個人の技能以前に「学歴」が就職および職場における立場を決定していた時代>は、のどかであった。何も考えなくてもよかった。「高卒」なら高卒なりの人生が保障されていたからだ。特別な技能など考える必要はなかった。就職した会社の上司の指示に従い真剣に取り組んでさえいれば、仕事はこなせたし、あとは社内のチームで自分の存在を高めることに努めればそれでよかった。ところが、その後の日本では進学率が急上昇し、高卒はおろか「大卒」が町中にあふれたため、「学歴」のインフレ化が起こり「大卒」の価値は暴落した。結果、一世代前まで決定的な身分保障の切符だったその肩書は“前途無効”の紙切れ同然になり下がっている。学歴に頼れないとなると、一人ひとりの能力が問題になってくる。会社の評価が「学歴」から広い意味での「技能」に照準が当てられてい...幸せのBASE「心技体」~技④

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