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中国の古典について思う事 http://china-classic.blogspot.com

中国の古典を読みその中の人物について感想をつづったものです。古典と言っても主として三国志、漢書(前漢書)などです。

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2019/09/23

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  • 戦国策(2) -東周策(i) 秦興師臨周而求九鼎-

    戦国策の一番初めに出てくる話です。 秦が兵を起こし周に至り、(周が殷から得た)九鼎をよこせと要求しました。鼎は三本足の鉄のかまです。鼎は王権の象徴ですが、これが九つセットだったのでしょうか。王権の象徴だから入手したかったのはわかりますが、書かれている限りはいきなり兵を興して九...

  • 戦国策(1) -はじめに-

     ここで戦国策について書こうと思います。 戦国策は漢の劉向 ( リュウキョウ ) が宮中の蔵書を校定し編纂したものとのことです。文章は相当な名文とされています。しかし私には原文をみてもその名文をあじわう能力はありません。内容は中国の戦国時代の遊説の士の話です。他の書物にもでてくる...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(12) -鉤弋夫人-

     鉤弋夫人は趙姓でのちに倢伃 ( ショウヨ ) の位を授かったので鉤弋趙倢予とも書かれたりします。武帝が狩猟に出て河間国に至った時、雲気を見て吉凶を占う者が奇女がいると進言したそうです。奇女とはどんな女かというと、両手が拳を握ったまま披 ( ひら ) けないという女でした。多分美...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(11) -衛氏(ii)および李夫人-

     ところでこの陰惨な事件は早くもその翌年には房太子は無実である、ということがわかりました。当然ながら武帝は房太子のみならずその子供(自分の孫)まで皆殺しにしたのを非常に後悔しました。その結果房太子を陥れた江充を非常に憎み、江充本人はすでに房太子に殺されていたのですが、江充の一族は...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(10) -衛氏(i)-

    さていよいよ陳皇后の次に立つ衛皇后( 字 あざな 子夫とあります。)の話になります。彼女は武帝の姉である平陽公主の歌手でありました。武帝が平陽公主のもとに立ち寄ったときに公主は飾りとしておいておいたそばに侍る美女をお目通りさせたのですが、武帝は気に入りませんでした。あとで宴会で酒...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(9) -王皇后(iv)-

     さて臧児の娘が栗姫に代わって王皇后(景帝の皇后)になったことはすでに述べています。これには陰謀家の嫖( = 館陶長公、主 文帝の娘)がからんでいて、その陰険な策謀は「外戚伝 第六十七上( 7 ) - 王皇后 (ii)- 」に書いた通りです。そしてその王皇后には一男三女が生まれた...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(8) -王皇后(iii)-

     王皇后が立てられて 9 年後、景帝が没し、王皇后の子 ( 徹 ) が帝位に就きます。これが歴史に名高い武帝です。王皇后は景帝の死後、皇太后になったのですが、皇太后の母親の 臧児が平原君 になります。父親の王仲は追尊され共侯となります。これだけなら驚かないですが、皇太后の父親の王...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(7) -王皇后(ii)-

     前回、栗姫の生んだ皇太子である栄に、長公主が自分の娘を押し付けようとして断られた話を書きましたが、今度は長公主は娘を王夫人の息子にやる、という話を持ち掛けました。王夫人はこれを受け入れたのです。長公主を敵に回したくないという考えもあったとおもいます。 薄皇后が廃されたのがこ...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(6) -王皇后(i)-

     景帝の皇后となった薄氏には子供ができなかったのは前回書いた通りです。 しかし景帝には息子が 14 人もいました。すべて側室が生んだ訳です。そして薄氏の廃せられたあと皇后の空位時代がつづきました。景帝の時代に呉楚七国の乱がおきたのですが、そのあとで景帝は栗姫(リツキ)の生んだ...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(5) -竇皇后(iii) 薄氏(追補)

     竇皇后関係ではまだ偉くなった人がおります。竇皇后の従昆弟 ( 小竹さんの訳では“いとこ”と振り仮名されています。 ) の竇嬰 ( トウエイ ) で、魏基侯に封ぜられています。外戚としての竇氏から侯になれたのは竇氏の兄弟二人と従昆弟一人の合計三名です。なお、従昆弟は小竹さ...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(4) -竇皇后(ii)-

      さらに竇皇后の兄弟が被る恩恵があります。 竇姫はもともと良家の娘として呂后に選抜されたはずなのですが、その後の記述では竇皇后の兄である長君(おそらく字と思います。本名は書いてありません。)、その弟の広国、字は少君は微賤の身分の者として登場します。   広国...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(5) -竇皇后(iii)、 薄氏(追補)-

    竇皇后関係では他にも列侯になった人がいます。竇皇后の従昆弟の竇嬰 ( トウエイ ) で、魏基侯に封ぜられています。外戚としての竇氏から侯になれたのは竇氏の兄弟二人と従昆弟一人の合計三名です。なお、従昆弟は小竹さんの訳では“いとこ”と振り仮名がついています。 しかし竇嬰の場合...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(3) -竇皇后(i)-

    代王は文帝として帝位につくことになるのですが、その文帝の皇后が竇 ( トウ ) 皇后です。後継者である景帝を生んでいます。 竇皇后が王后として代王(後の文帝)のところへ行く経緯が現代人からみたら馬鹿げた話です。竇皇后は良家の子女として選抜されて呂后の宮中へ入ったのです。そ...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(2) -呂氏、薄氏-

    外戚伝ではまず呂氏が挙げられています。高祖の妃である呂后についてはすでに平成 27 年 (2015) 6月から平成 28 年 (2016)2 月にわたり、 13 回にわたって書いております。その中には外戚伝の記述も入れています。高祖劉邦の妃で漢書では「 呂后為人剛毅 」とあり...

  • 漢書;外戚伝 第六十七上(1) -夫人たちの地位-

    皇帝の妃の親兄弟等の親族、つまり外戚というのが権力を握り政治に重要な影響を与えることが中国の歴史ではしばしばありました。漢書ではわざわざ外戚列伝がたてられています。 外戚伝では、はじめによい寄与をした妃と、害悪を流した妃の例を挙げ夫婦が大切であることを述べています。 それ...

  • 史記 白起・王翦列伝 第十三 白起(5)

    以下の記事は2015(平成27年)2月22日にアップロードした「史記 白起・王翦列伝 第十三 白起(4)」の続きです。その当時、白起の死までを「史記 白起・王翦列伝 第十三(5)」として書いていたのですが、アップロードを忘れていたのです。それで今になってアップロードも変ですが、一...

  • 三国志 魏書;許麋孫簡伊秦伝第八 許靖 (4)

    建安 24 年 (219 年 ) に劉備が漢中を手に入れた時に、劉備に仕える群臣が劉備に漢中王に推挙し、漢帝(献帝)に上表します。ここは 「 羣下、上先主爲漢中王、表於漢帝曰 」 とあります。推挙している人の名前が列挙されていますが、はじめの方は以下の如くなっています...

  • 三国志 魏書;許麋孫簡伊秦伝第八 許靖 (3)

    前回の許靖 (2) で記した彼の曹操への手紙では、旅の労苦の説明のあとで自分は交通が途絶して北へ行けない、という話が続きます。そして彼は曹操を慕っているのに曹操の下に行けなことを大変残念がっています。 この時点で彼は曹操に仕えたいと願っていたことがよくわかります。孫策に仕...

  • 三国志 魏書;許麋孫簡伊秦伝第八 許靖 (2)

    許靖が会稽にいる時に孫策が攻めて来たので、同行の人々を連れて交州へ逃げます。 交州と言っても広いですが、交阯(今のベトナムに入る部分)で、当時は士燮(シショウ)が支配していました。士燮も許靖に敬意を払って手厚く待遇したそうです。 なお逃げる途中、川(長江?)を渡とき、彼は...

  • 三国志 魏書;許麋孫簡伊秦伝第八 許靖 (1)

    また三国志に戻ります。 許靖(キョセイ)をとり上げます。なぜこの人は正史に伝をたてられたのか不思議に思ったからです。 許靖は汝南郡平輿県の人で、許劭(キョショウ)従兄弟です。 この許劭の方は月旦評と呼ばれる人物評論会で有名です。毎月初めに行われるこの人物評価の会が...

  • 論語(31); -君子と小人(xi)-

    堯曰第二十の 3 では君子について以下の記述があります。これが論語の最後の文です。即ち、 「子曰、不知命,無以為君子也。不知禮,無以立也。不知言,無以知人也。」 君子の君子たるゆえんは命(天命)を知り、礼を知り、言を知っていることである、というのです。金谷治さんの本で...

  • 論語(30); -君子と小人(x)-

    さて孔子は、子張が一番目の美の「惠而不費」とはどういうことですか、と質問したのに対し五美すべてについて説明しています。 「因民之所利而利之,斯不亦惠而不費乎?擇可勞而勞之,又誰怨?欲仁而得仁,又焉貪?君子無眾寡,無小大,無敢慢,斯不亦泰而不驕乎?君子正其衣冠,尊其瞻視,儼...

  • 論語(29); -君子と小人(ix)-

    堯曰第二十は三章しかありません。その 2 の中で子張がどのようなことができれば政治を担当できるか質問しています。 孔子の答えは政治を担当できる者(君子)は“五美を行い、四悪を除けば政治に従事できる”といいます。そこで五美とは何ですかと子張が質問すると、以下の答えです。 ...

  • 論語(28); -君子と小人(xiii)-

    子張第十九の 12 に於いて、 「 … 子夏聞之曰:「噫!言游過矣!君子之道,孰先傳焉?孰後倦焉?譬諸草木,區以別矣。君子之道,焉可誣也?有始有卒者,其惟聖人乎!」 という言葉が出てきます。 ことのはじまりは孔子の弟子である子游が「子夏の弟子は客の受け答えや動作...

  • 論語(27); -君子と小人(xii)-

    子張第十九の 7 に子夏の言ったこととして 「百工居肆以成其事,君子學以致其道。」 “種々の職人は仕事場にいて、それでその仕事を仕上げる。君子は学問してその道を完成する。” があります。 肆(シ)というのは朱子によれば「官府造作之處」ということで、役所の器物...

  • 論語(26); -君子と小人(xi)-

    子張第十九の3に子夏の門人が子張に、友と交わる道を聞いた話が出てきます。すると子張は逆に君たちの先生である子夏はなんといったのかと聞きます。門人たちは、交わってよい人なら交わり、良くない人なら遠ざかるように、と言われましたと回答します。これは子夏が孔子から言われていたことなので...

  • 論語(25); -君子と小人(x)-

    陽貨第十七にはあまり君子の話は出てきません。陽貨第十七の 23 に 「君子義以為上。君子有勇而無義為亂,小人有勇而無義為盜。」 とあります。これは子路の質問 「君子尚勇乎?」(君子は勇をたっとびますか?)への回答で、 “君子は(勇よりも)義をたっとぶ。地位の高い...

  • 論語(24); -君子と小人(ix)-

    季氏第十六の 6 に ” 侍於君子 … “なることばが出てきますが、これは君子に侍する時の心掛けの話だし、君子というのも”目上の人“という意味合いのようです。 季子第十六の 7 に 「君子有三戒:少之時,血氣未定,戒之在色;及其壯也,血氣方剛,戒之在鬭;及其老也,血...

  • 論語(23); -君子と小人(viii)-

    衛霊公第十五にはまだまだ君子についての記述があります。 32 では 「君子謀道不謀食。耕也,餒在其中矣;學也,祿在其中矣。君子憂道不憂貧。」 とあります。“君子は道を得ようと苦心するが、食を得ようとはつとめない。食を得ようとして耕していても飢えることがあるが、学...

  • 論語(22); -君子と小人(vii)-

    憲問第十四の 29 では 「君子恥其言而過其行 」 と言われています。言う事が実践以上になることを恥じる、というのです。 現代ではそれほどの戒めの意味をもつでしょうか。現代人は自分の行いについて、あるいは徳性についてな にか偉そうなことをいうでしょうか。 むしろ自分...

  • 論語(21); -君子と小人(vi)-

    憲問第十四の 6 にも君子への言及があります。 南宮 适(ナンキュウカツ)が孔子に、羿 ( ゲイ ) は弓の名手、奡 ( ゴウ ) は ( 地上で ) 大舟を動かすほどの大力だったが、非業の死を遂げ、一方、禹(夏王朝の始祖)、稷 ( ショク、舜に仕え農業大臣になった。子孫が...

  • 論語(20); -君子と小人(v)-

    子路第十三の 3 に君子への言及があります。ただしこの文は正名(名分を正しくする)、すなわち名と実を一致させることを重視する儒家の政治思想を説くのが主眼の文です 。君子のあり方を説くことが主題ではありません。 さて子路第十三の 23 に有名な言があります。すなわち ...

  • 論語(19); -君子と小人(iv)-

    顔淵第十二の 4 には次の問答があります。 「司馬牛問君子。子曰:「君子不憂不懼。」曰:「不憂不懼,斯謂之君子已乎?」子曰:「內省不疚,夫何憂何懼?」 “司馬牛が君子のことを尋ねた。孔子は「心配せず、おそれもしない者である」と答えました。「心配せず、おそれもしないなら君...

  • 論語(18); -君子と小人(iii)-

    里仁第四の 24 には 「君子欲訥於言,而敏於行」 とあります。“君子は口を重くして実践では敏捷でありたい。”ということです。でも自分ひとりで修業しているならよいですが、世の中に出て、訥弁ではやりたいことの主旨、具体的に何をしてもらいたいかを人に理解してもらえるのでしょ...

  • 論語(17); -君子と小人(ii)-

    以下引き続き君子を説明したもの、小人と比べて説明したものをピックアップします。前回の (i) で述べましたようにそう卓見あるいは警句を見いだせないとおもいます。 為政第二の13に君子について問われた孔子の答えとして 「先行其言,而後從之」 の言があります。すなわ...

  • 論語(16); -君子と小人(i)-

    論語では君子はどういうものかがしばしば述べられ、またよく小人と対比されています。わざわざ君子と断わらずとも、論語に書かれている、かくあるべし、という教えは君子たる者の為すべき振る舞いなのでしょうが、「君子」という言葉が殊更出てくるところを見ると、そんなに特別よいことを言っている...

  • 論語(16); -処世の心掛け(v)-

    泰伯第八の 14 に 「不在其位,不謀其政」 とあります。 “その地位にいるのでなければ、その政務に口出しすべきではない。” です。ここで”政”は政治向きに限らず”職”に同じです。 まったく同じ句が憲問第十四の 27 にあり、さらに憲問第十四の 28 に曾子...

  • 論語(15); -処世の心掛け(iv)-

    処世の術として読んであまり納得できない例もあります。 泰伯第八の 13 に 「危邦不入,亂邦不居。天下有道則見,無道則隱。」 という記述があります。 “危うい国には行かず、乱れた国にはとどまらない。天下に道があれば表立って活動する。道のない時は隠れる。” ...

  • 論語(14); -処世の心掛け(iii)-

    公冶長第五の2に 「子謂南容,「邦有道,不廢;邦無道,免於刑戮。」以其兄之子妻之。」 とあります。 “孔子が南容の人物を評して「国に道のあるときはきっと用いられ、道がない時に刑死することはない。」と言って、兄の娘を嫁にやった。” 南容は、先進第十一の 6 におい...

  • 論語(13); -処世の心掛け(ii)-

    学而第一の 13 に 「恭近於禮,遠恥辱也;因不失其親,亦可宗也」 とあります。 “恭(うやうやしくすること)が礼に外れていなければ恥辱を受けない。親しむべき人を取り違えないならその人を尊敬してよい。” というのも、処世のありかたとして尤もなことと思います。ただ...

  • 論語(12); -処世の心掛け(i)-

    これからあと論語そのものについて書きます。 まず論語では一つのやり方を拳拳服膺していれば安心ということは勧めず、それだけでは不十分だ。何か整えるもの、制約するものが必要だ、という教えが出てきます。しかも制約するものと制約されるものが相互に依存しているような書き方で出て...

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