chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
culltu
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/07/09

arrow_drop_down
  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    西村誠「平家公達の歌」の中に、何と頼朝の和歌が掲載されていた。「道すがら富士のけぶりも分かざりき晴るる間もなき空のけしきに」(せっかく楽しみにしていた、富士山から吹き上がる噴煙も見ることはできなかった。天気が悪くて、まったく晴れ間もない天候だったのは非常に残念なことだった)。私は意識して初めてこの頼朝の和歌を再三読みましたが、すこし嫌いなものが消滅しました。後白河天皇と頼朝が和歌をめぐり語り合ったという歴史談義を聞いた事がありますが、え、ホントかなあと思った事があります。今回のこの和歌を静かに味わい頼朝の立場にたって人生を解釈したからでしょう。和歌は本当に貴重な文化だとしみじみ想い改めて万葉集をきちんと読みたいと思いました。日本人のアイデンティティを思索し生き甲斐の心理学を深める為にも真面目に万葉集に挑戦...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    中臣鎌足、藤原不比等をスタートとする藤原氏の活躍は良くても悪くても日本の歴史に欠かせません。飛鳥、奈良を経て平安の時代、源氏物語の華やかな時も過ぎていよいよ末期。思想、習慣も貴族文化が横行し、そこの登場する清盛、慣例化されたもの、倫理道徳、そんな流れの中でも清盛は面白いのですが、もっと面白い刺激剤が、この海賊の親分・兎丸。何とも楽しい人物です。武士が面目、儀礼、恥、儀礼に叶うやり方で、もたもたしていると、この兎丸が子分を引き連れて、いちいち名乗りをあげることもなく巨大な丸太ん棒で門をぶち破り侵入するシーンは爽快豪快で拍手喝采、少年時代鞍馬天狗が現れると映画館でも拍手して隣の叔父さんにウルサイと怒鳴られた少年時代を思い出させる人物です。マンネリズムを打破し新鮮な感情を湧き出させるこの人物は生き甲斐の心理学で...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    DVDの大河ドラマも保元の乱も終わり、いよいよ戦後処理に移行しますが、崇徳上皇をこのドラマはどう描くか楽しみでした。また美福門院得子は女の嫉妬を上手に演じてきましたが、この美福門院は案外、政治家で、腐敗した朝廷を改革するような動きもする女性で興味津々。檀れいさんは待賢門院璋子を気品豊かに演じておられましたが、この美福門院得子を演じる松雪さんも中々お上手で役者さんというものは大したものだ、と感激しています。感情移入をしながら他者を演じる仕事も難しいものでしょう。本気でその人物になりきらないと見ているほうはシラケテしまうものですが、改めて女優業を見直しています。美福門院得子はどんな人生を送るのでしょう?自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前の、大河ドラマのビデオを楽しんでいます。さて、皆様は頼朝がお好きですか、それとも清盛ですか?どちらがお好きですか?さて、友達の中に、好きか嫌いかを明確に出来る人と出来ない人がいます。人類の原初感情と言われるものに「好き嫌い、怖い怖くない」の4つがあります。さて、大昔、人類誕生の地・アフリカで、どんな人間関係が展開していたのでしょう?いつの時代でも、人間は、この「好き嫌い、怖い怖くないの4つの感情」を巡り歴史が展開していきます。或人は、この道を行くと、あの恐ろしい毒蛇に会いそう、あの道を行くと食べ物は多いけれどもライオンがでそう、そう感じつつ選択して、死んでいく人、生き残る人がいたわけです。湧き出す感情に正直に生きていくと悔いのない人生ですが、湧き出す感情を病的に抑圧して生きていくと、多分、心の健全さ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    昔の人は「生き甲斐の心理学」を知りませんので、心に湧き出した何とも言えない不気味な気分や感情に耐えられずに、ついつい怨霊のたたりを防ぐ為の神社仏閣、ほこら、お墓を造り、その感情を整理しています。現代社会でも幻聴、幻覚を体験する人もいますが、もし、その現象を何らかの方法で封じようとすると精神的にもっと大きな障害が出てきます。ホモサピエンスが誕生して以来、感情が豊かになり、益々、自分の感情の取り扱いを知らない人は生き甲斐を喪失するばかりでなく生きている事が耐え難くなります。本来、どんな湧き出す感情も宝物なのですが、その湧き出す感情の処理を知らないと大きな損害を受けてしまいます。「見たくない感情」が「問題」なのです。湧き出した以上、その意味を冷静に解釈すると、人は明るく元気になっていきます。世界中にオバケ、幽霊...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前でしたが、NHK大河ドラマ「平清盛」は実に面白かったです。さて私達の生き甲斐の心理学を学ぶグループでは日本人のアイデンティティを学び現代の臨床心理学や精神医学が病人扱いにしている或事例は病理ではなく個性の美であることを意識化していただくために、必死で病理と個性の美の違いを勉強しています。その為に日本人の性格形成に一役かっている古事記、日本書紀にも触れているのですが、その中で藤原不比等と持統天皇が組んで日本書紀の編集をしていく歴史的過程を勉強したり、その中での日本神話の内容を研究をしたりしつつ現代日本人の性格形成に迫っていきます。実に巧みに古代豪族(物部氏、蘇我氏)を抹消していく藤原一族の智恵は凄まじいものです。その生き延び残っている平清盛時代の藤原一族の現実吟味力も勉強になります。武士の世の中となり...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は或日は充実感にみちあふれ、或日は虚しい日をすごし、喜怒哀楽で人生を飾りながら生きています。この生き甲斐の心理学は明るく元気に逞しく生き抜いていく為の智恵が第1章から11章まで2275回に分けて書きつづられていますので、私のブログの左側の章を見ながら或日は愛のページを、ある日は正常か異常かのページをご自分で選択しつつ、日々の生き甲斐創造に役立てていただけると幸いです。1章から11章で全部、書き終わりましたので、今後はそのようにして愛読下さい。これからは私は平家物語、源氏物語、日本書紀、ギリシャ神話等の物語、神話、伝説、小説、音楽など、その時の私の気分で自由に心の世界を飛び回りながら生き甲斐の心理学の視点で語り続けます。整合性がないように見えるかもしれませんが、視点は同じ「生き甲斐の心理学」で語りつづけま...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    はかりしれないほどの奥深い味わいがある世界は人それぞれですが、この世界を五感と体感で経験した人は幸せです。幽玄美、この美しい世界は人を狂わせる事もありますので要注意ですが日本人は本当に素晴らし民族です。お能の世界の理想の一つとして存在していますが、いままでお話してきた日本人の6つの精神文化の最後として登場したこの幽玄美は魔力に近いものがあり現代に生きる私達は大事にすると同時に警戒したい領域でもあります。耽美とは違い正に幽霊の玄義に近い魅力的世界です。6つの確認をしておきますと「汚れと禊、もののあわれ、侘びと寂、甘えの構造、恥の文化、幽玄美}です。どの民族も美しい根本精神を所持していますが現代の日本人も自分の民族の所持するアイデンティティを時々再確認して欲しいいなあ、と思います。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「恥の文化」はホモサピエンスのどこの文明にもあるようですが、日本の伝統的な美しい文化です。恥ををかくよりは死を選ぶ話は平家物語を引き合いにだすまでもなく室町時代の混乱した戦国時代にも沢山あります。「恥ずかしげもなく」とはしばしば現代でも語り合いますが人間の美しい心を保持する為の大事な文化でもあります。おてんとう様に顔が向けられない、天に顔向けが出来ないと言う若い現代人もいますが、それくらい古来から馴染んだ概念です。大企業に折角入社して数箇月で辞職し生活保護を受ける若者もいれば、生活保護は自分の恥として餓死した高齢者もいます。この恥の文化は美しい日本人のアイデンティティではありますが自己否定の限界を超えて自死を選ぶ生き方はやはり問題だなあ、と思います。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    俳句や茶道でもしばしば言われる「侘びと寂」はこれまた日本では大事な概念ですが何故か「物静かで静かな趣のある心」である自分を許せない人がいるのです。多分、その背景には色々の複雑な自己否定が潜在しているのですが、この美しいやまとの文化を改めて学ぶ内に、自分の嫌う根本精神が実は素晴らしい日本人のDNAであることを認識すると平安感が湧き出すようです。湧き出す感情を自己伝達出来ないおとなしく静かな自分を嫌い自己否定していた自分に気づくと、じわじわと個性の美に自信と安心を見出すようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日本列島に何時頃からホモサピエンスが住み出したかは面白い研究課題ですが、この大和も当然、親族が単位の村社会を作り上げていきました。肉親の厳しさもありますが甘えの構造は異民族への想いに比べれば相当違います。甘え甘えられる幸福感は村社会の美徳でもあります。この甘えの構造は悲劇を生む場合もありますが、日本人のアイデンティティの一つであることを意識化しておくと案外、事は簡単に解決していきます。人に甘える事を知らないと愛されませんし、甘え過ぎると嫌われます。その程度は、その人が所属するコミュニテイで相当違ってきます。我々の中に潜在しているこのアイデンティティを上手に駆使して明るく元気に生き抜いていきたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    汚れと禊:ケガレとミソギ」も古代から現代へと伝承されている日本人の大切な意識の一つです。現代の若いお嬢さん達でも信じられないほど、自分が汚れたと自殺願望にまで自分をおいつめていく事例もありますが、本当に汚れたのでしょうか?私が学んだ人間論では「人間とは魂と生育史と身体で構成されていて、魂は病むこともなく老いることもなく愛そのものであり、感性と自由意思を所持し、臨終と共に身体から離脱していく知的生命体である」と教えられました。生育史の自意識の一部に「汚れた」意識があるのは理解できますが、魂と身体はどんな病気になっても汚れたとは言いません。ここで自虐的に自殺願望する女性、男性はいづれも魂が汚れたと嘆いています。生物学的な細胞はどんどん入れ替わり増殖していきます。生育史の汚れの解釈を変えると逞しい人間に変身して...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日本人の意識・無意識の中に「もののあわれ」と云うとても大事な感覚があります。この感覚というか美意識を意識してくださると日々のマンネリズムの生活が何となく刺激的になり、新鮮な生き甲斐を生む場合があります。以前の体験ですが、吉川英治の新平家物語16巻を読み終えて、この意識が現代人に誤解されているなあ、と思いました。幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)に繋がる場合は良いのですがストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱)に繋がる場合は少々残念なのです。もののあわれとは何だろうと事典をひくのもいいのですが、この言葉をどう思って生きてきたかを一度、思索の対象に入れていただくと思わぬ発見をします。日本人のアイデンティティの一つで、この「もののあわれ」を是非、人生を楽しむ為の刺激剤にすると、この意...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「湧き出す感情の意味には全て深い意味がある」という考え方は人を幸せに導きます。この考え方は心理療法では大事な理論でプロセススケールとも言われています。私はこの理論のお陰で仕事をスムーズにこなせましたし、この理論はどれだけ大勢の人が病人扱いされずにすんだことでしょう。病気でないのに病名をつけられて苦しんでいる現代社会をこのプロセススケールを意識する事で、病気でなくそれは個性の美であることを知らしめる理論ですので、この勉強をして欲しいものです。病理でなく個性の美だと理解出来ると新しい素晴らしい世界が拓けてきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    毎日が退屈、同じ事の繰り返しと嘆く人は案外大勢います。仕事も順調、経済生活も不足はない、しかし何となく日々がマンネリズムで楽しくないと言う場合、どうしたらいいのでしょう、と質問が多いのです。この時の欲求不満の感情を人は何と表現しているのでしょうか?倦怠感、新鮮な感情が無い、退屈感、意欲喪失、色々です。このもやもや感を、正確に意識化出来た人は案外、この心の環境からいち早く脱出出来るかもしれません。何といってもマンネリズムは恐ろしい感覚で、人生の大きな喜びを奪います。感動的な映画、古典小説、名曲、絵画、この倦怠感を語り合える親友を持つ人は幸せです。森の散歩、小さな旅、老人ホームを訪問したり病人を慰問するのも大事な手法かもしれません。湧き出す感情が倦怠感なら、その倦怠感は生育史上の理想(こうありたい、こうあらね...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幸せになりだすと何故か逃げ出す人がいます。この逃げ出す人の殆どが幼児体験に基づいていますが幸せだった日々が両親の交通事故による突然の死のような体験があると、幸せな雰囲気を無意識に恐る傾向があるようです。この治療は一つの幸福感に固執している事例ですので幸福感は多面的である事を訓練させます。幸福から逃げ出す理由を厳然とタイミングを見ながら説明していきます。人生での山あり谷ありの真実を理解させます。こうして愛の訓練をしながら明るく逞しく生き抜いていく智恵を互いに育てあいます。互いにです。セラピストが一方的に指導出来るわけがなく、弱い人間でもあるセラピストと共に逞しくなろう、とする事が重要なようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生身の人間は頭では分かっていますが、いざ問題が大きくなると、その問題を何とか避けようと努力します。これは当然でしょうが、私もそうですが避けていると何時までも同じ苦しみがあるようです。何故、正面から堂々と勝負しないのか不思議です。タイミングもあるようでやむを得ずに正面から戦いをせざるを得ない状況になると、案外、簡単に解決し何だ、これだけのことか等思う事もありますし、あーあ、めんどくさい、と嘆く事もあります。このタイミングの有り様が、その人の人生能力なので、どんな結果になっても居直って生きていきたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「平家公達の歌」:雅な武士たちの滅びの美学:双葉新書:西村誠著:散歩の途中に見つけたこの本を読みつつ、平家に対する私の歴史解釈が変わりました。大河ドラマ「平清盛」が懐かしいです。この本の解釈が何故か、心に深く染み渡ります。平家が滅亡し源頼朝が天下を取りますが、今までの私の解釈は滅びゆく平氏に批判的でした。この本を読む程に滅びゆく平氏に拍手を送り出している自分に驚いています。この本の冒頭を飾る平氏の歌として薩摩守平忠度の歌「ささなみや志賀の都はあれにしを、昔ながらの山桜かな」に始まり、最後は建礼門院の「いざさらば涙くらべむほととぎす、我も浮き世に音をのみぞなく」で終結しています。平家物語には100首の歌が掲載されているようですが滅びゆく武士公達の哀しさ喜びが満載されていて、この本にめぐり逢えて私の視野が大き...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「自己の伝達」が欠落すると何となく怪しい人間が周囲に集まり出します。自己の伝達に成功していると自分に相応しい親友が生まれてきます。あの人は気持ちが悪い、という場合、その理由は万とありますが、その人は自己の伝達(自分の個性を周囲に表現すること)が出来ていない場合が大半です。何を感じ、考えているのかが明確になれば、周囲はそれぞれ勝手に判断しているので、気味が悪いとは言わず、あの人は明るい人だとか、意見がはっきりしていて気持ちがいい、とかずうずうしい人だ、とか評価しあっていきています。立場を明確にすると親友が生まれますが、立場を明確にしないと親友も生まれません。親友は一人あれば、人生が豊かになります。自己の伝達を恐れずにしていきたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心が自由とは具体的にどんな事かなあ、としみじみ考えさせられます。身辺には次から次へと信じられない事件が起きています。事件を起こした人の談話を聞いていると何らかの思い込みや勘違いを含めて他者否定であることは間違いありません。自己肯定しながら他者否定の関係がどんな事件にも共通なのです。自己肯定、他者肯定の基本姿勢があるならば、どんな理由があっても、殺人、自殺はおきません。心が自由な場合の条件は、自己肯定他者肯定の関係であって、自己肯定他者否定(傲慢)、自己否定他者肯定(劣等感)、自己否定他者否定(破壊的存在)が心を不自由にしているようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心が自由とは具体的にどんな事かなあ、としみじみ考えさせられます。身辺には次から次へと信じられない事件が起きています。事件を起こした人の談話を聞いていると何らかの思い込みや勘違いを含めて他者否定であることは間違いありません。自己肯定しながら他者否定の関係がどんな事件にも共通なのです。自己肯定、他者肯定の基本姿勢があるならば、どんな理由があっても、殺人、自殺はおきません。心が自由な場合の条件は、自己肯定他者肯定の関係であって、自己肯定他者否定(傲慢)、自己否定他者肯定(劣等感)、自己否定他者否定(破壊的存在)が心を不自由にしているようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    好きな人の前では心は自由に動くのですが嫌いな人の前に出ると心が動かず不自由になるのは何故でしょうか?心理療法ではこの状態を「不一致」と言います。多分、深層心理で苦手なタイプの人と会うと、無意識の世界は緊張したり不快に感じたりしていて、そのストレスを意識の上に上げないで心を平安に保持する大脳の働きでしょう。ですから、好きな人の前でならストレスが無いので心は軽やかに自由に動けるのでしょう。不一致の状態が続くと人は身体症状が出てくるように作られています。この身体症状を防ぐ良い方法は「今、自分は苦手な人の中にいるのでストレスが蓄積されている、これは自分が弱い人間だからストレスが貯まるのではなく人間として当然」とおもうのが良いようです。無意識の心の世界にストレスを蓄積することは健康に良くありません。言葉にする必要は...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    知人が飼っていた猫に面白い話がありました。どんな話かといいますと飼い主の家族の内、その猫と仲の良い良好な関係にある人が、うっかり叱った後、暫くして新聞等を読んでいると、いきなり背中に飛びかかってきて、怒られた腹いせ、復讐をするそうです。飛びかかる数分前から、その猫の呼吸が荒くなり、飛びかかるタイミングに気づくと、そら、飛びかかるぞおーと互いに教えあって生活していたそうです。仲が悪い関係の人間に対しては、そんな復讐はしないそうです。人間も猫も怒りを抑圧していると、このような現象が起きてきますので、ほどほどに蒸気をすこしづつ放出しておいたほうが平和なようです。怒りの感情が湧き出す、その湧き出した感情を1時間程度の流れで、どういつも対処しているかを心理療法では大切に観察しますが、この流れを「体験過程」という専門...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    保管していた昔の大河ドラマ「平清盛」を拝見。実に上手に制作されていて楽しく拝見。保元の乱に突入していくところでした。歴史の流れに翻弄されていく人生を改めて考えさせられます。それぞれの立場があり、良い悪いの視点でなく、それぞれの選択肢をどう選び生き抜いていくか、現代にも通じる人生ドラマです。現代と当時は質や内容は違います。大震災後の被災地の方々の選択肢を見ると胸が痛みますが、今も昔も、人は子供から大人まで、その選択肢の選択により人生が激変していきますので、どの選択をしようか、真面目に考えて生きていきたいものです。その際、自分は何の為に生きているのか、という哲学があれば悔いの無い人生を選択し生き抜いていく事が出来るでしょう。なんの為に生きるか、簡単なようで難しい。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    折角、湧き出した感情を倫理道徳で抑圧する人がいますが、本当に残念な事です。精神病棟を担当していた若い頃、殆どの患者さんは能面のような感じで、喜怒哀楽を表情に出しませんでした。薬害のせいもあるのですが、人はどんな感情が湧き出しても、それを抑圧する恐ろしさを知らないようです。法治国家で生きる人類は法律は厳守する必要がありますし自分の家でのんびりと生活する事以外は、我慢、忍耐の生活が人間の常かもしれません。問題は湧き出した感情を、どう応用展開させるか、その手法さえ知覚していれば、自分の感情を恐れて、逃避する必要はありません。湧き出す感情を抑圧することなく、どう昇華させるか、その手法は生育史により違いますが、この湧き出すエネルギーを抑圧すると人はほとんどの場合、心を病んでいきます。抑圧せず昇華する楽しい方法を努力...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    友人と近所の甘味処で古代日本の歴史談義に花が咲きました。専門家ではありませんが実に楽しそうに会話をしている友達の表情はいきいきとしていて拝見していて、こちらも幸せになりました。夢と希望、それも過去の歴史の話ではありますが、それぞれの方のお顔にはこの過去の歴史談義からそれぞれの将来への明るいものが飛び出しているのです。謡曲を趣味としている方、太極拳という運動を楽しんでいる友、色々の趣味を持つ友と連なって会話していますと、実に健康的に心が輝くようです。生きる喜びを五感と体感で感じている仲間を持つ私は幸せです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    父母会を対象とした「生き甲斐の心理学」をさせていただいた事があります。中学一年生のお父さんとお母さんから高校三年生及び卒業生徒の父母様が対象ですが、どんな新しい方が参加してくださるか、とても楽しみにしていました。人生は本当に面白く、かつ、厳しいものですが、この勉強会では、これからどんな困難が押し寄せてこようとも逞しく明るく爽やかに生き抜いていく知恵を心理療法的な視点から学び合いたいと思っていました。人間の出会いは非常に神秘的で深い意味が、そこに潜在しているようで、人との出会いは私には神との出会いのような気がします。一期一会とはよく言ったものです。どの勉強会もそうですが人々の個々の生育史の軌跡はどれも同じものは一つもなく、それぞれが個性的で美しいものですが、その美しさに気づかない人が多いのは残念なのとです。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    だいぶ前の話ですが、或る謡曲の練習日「松風」を謡いましたが自分の目指す声は、さっぱりでません。今は、諦めて5-6年、経ちました。どの道も修行からしか良いものは生まれないようです。太極拳は30年前に入門しました。始めたころは、毎週、一度練習して3年目にして、うん、これかな?というものを感じ、師範を取るのに20年かかりましたが、今の健康は、まさに太極拳のお陰です。それにしましても何かを志して、粛々と継続する難しさ、楽しさ、哀しさ、喜び、これらの感情は切なく、喜怒哀楽の連続。しかし、この喜怒哀楽は、人生の深い味わいを生んでくれます。今は、そう感じますが、それれにしても、あの青春時代の感情は何と激しく、切なく、かつ楽しいものだったことよ。今、ロシアの戦争が世界を空しくさせていますが、なんとか終結する知恵はないもの...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    勉強会で面白い事を感じました。それは人がそれぞれ持つセルフイメージが相当歪められているらしい、という事です。どう歪められているかと言いますと、本当は豊かなものなのに何故か、本人がそれを貧しくしている現実を見せつけられたからです。親の子供に対する不用意な言葉の繰り返しが、子供の美しさを略奪しているようです。美しいものを何故、見抜けないのかなあ、とも思いました。何が美しくて、何が汚いか、それの解釈は色々あるようですが、平素、人類が大事にしてきた神話、民話、小説、音楽、絵画等で数百年、存続維持されている古典を今からでも遅くないので、改めて再読し、真善美は何かをもう一度、味わいなおしてもらいたいなあ、としみじみ思いました。自分の中にある宝物を大事に育てていきたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    数年前の話ですが、勉強仲間、しかも共通の志を持つ人間との心の触れ合いは実に気持ちがいいものだなあ、としみじみ有難く思いました。身辺にも生き甲斐を求めている人は沢山いるのですが、自分は生き甲斐が無いなどとプライドがあるのでそう簡単に心の寂しさを口には出しません。しかし生身の人間は健康であればあるほど、時として、愛の孤独感に悩まされるものです。生き甲斐の心理学を宝塚の某修道院が経営する会場で2泊3日で行いました。緑豊かなこの環境でシスター方が心を込めて料理して下さる美味しい食事は私の心身を実に爽やかにしてくれました。最終日には仲間が隠れキリシタンの里を案内して下さり、また何とも不思議な縄文時代の家と称するところでコーヒーを飲みながらその店のご当主様とも楽しく会話が出来ました。山深い山間にあるにも拘わらず、その...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    スマートフォンは熱に敏感です。今まで携帯を使用していたのですが、この二箇月使用してきたスマートフォンが指先の熱を敏感に感じすぎて想像外の場面が出てしまい、その反応の動きが早すぎて、昔の方が良かったかなあ、と何となく昔の携帯を見たりしています。たまたま、気が充実していると指先の熱が高いのでスマートフォンの動きも早くなります。但しまた面白い歓迎すべき現象もあります。例えばfacebookを開いて旅先の京都の写真を乗せると、その反応があまりにも早く色々の人から出てくるので、面白がる傾向も出てきているのですが、貴重な勉強の時間が相当激減しだしてもいます。セルフコントロール、情報管理、危機管理と益々これからの人々はこのスマートフォンで人生が変わるかもしれません。何の為に生きているのかを明確に意識していかないとこの機...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、culltuさんをフォローしませんか?

ハンドル名
culltuさん
ブログタイトル
生き甲斐の心理学
フォロー
生き甲斐の心理学

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用