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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    イギリスの研究室での若い女性達はアメリカの研究室のようなフランクさはなく貴族階級のせいもありましたが近づき難い雰囲気でしたが興味津々の私は色々とアプローチします。気楽に交際が始まりますが何とも気位の高い人々で困りました。それでも友情を感じだすころ、同じような事を言われるのです。私は聖母マリアのような女性ではありません、と。私が変だと気づいた最初の衝撃は25才くらいですが、それから30代まで、この変な自分をどう改善したらいいのか工夫したものです。末っ子である私の性格と母の死は私の女性観は相当、過激な女性崇拝かつ神聖視だったようです。しかし周囲の女性は私を軽蔑せず、何故か私を大事にしてくれました。何故かなあ?今でも不思議です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    欧米の女性達は苦手です。意見をばしばし主張し攻撃してくるからです。「やまとなでしこ」はバシバシ言っても欧米の女性ほどでなないので、とても安心です。なんとお馬鹿さんだなあ、この人は、とお考えの日本女性もおられるでしょうが、私の人生体験で、私が、そう思うのですからしょうがありません。それだけ恐ろしい女性を知らないのかもしれません。アメリカ女性で何ともおとなしく優雅で遠慮深い研究室の学徒でも、少し友達付き合いが始まると堂々と権利を主張して驚いた事があります。日本の文化の何とも言えない玉虫色のあいまいさ、このぬるま湯のような暖かさがとても好きです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    高校生の時に母が死にました。優しい母でしたので、その衝撃は大きく、今でも想い出すと辛くなります。その体験が良い影響と悪い影響を私に与えています。47才で死んだ母、17才の私。女性が全て優しく見えた20代から30代にかけては私とお付き合いする若い女性は本当に迷惑だったろうなあ、と今思うと申し訳ない気持ちです。さらりとお付き合いしている関係ですが私が女性を聖母マリアのように錯覚する傾向がありましたので、しばしば「私はあなたの思うような女性ではありませんよ」と言われたものです。あえて悪女振り、私をあえて離すような会話をされたのを思い出します。在るがままの姿で人はお付き合いしなしと偽りの交際になる危険があるようです。そこからは本当の幸福は生まれません。私のその傾向に気づくのは大変遅く30代の半ば、大学病院で沢山の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    親子、恋人、家族、友人、夫婦、それぞれの人間関係の中で、互いに好意、友情、愛情を感じているのに、何故か、親密なものを危険なものとして避ける事例があります。これは大変、不幸な現象なのですが、生育史を調べていると、さもありなんという事情が見えてきます。どんな生育史かといいますと親密な状態の時に、突然、恐怖に襲われたという体験か、或いは、親密な日常生活の折に、突然、難しい病気が発病し、急速に死んでしまったような体験があると、人はその親密性と不幸感をダブらせて感じ取る習性があるからです。これを直していくには、その成り行きを明確に意識化する必要性と繰り返し人生体験の中で、そうでないと思えるよな訓練が必要です。愛の親密性は危険ではない、という確信が必要です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    対決する時は勝ちたいもので、負けるとわかっている戦いは無駄なエネルギーを払います。平治の乱での平清盛はやっと青年清盛から老獪な政治家へと変身していきますが、今の時代、私は正面から勝負をする必要がないので、とても幸せです。30-40代は正面衝突の日々が続きました。しかし、心と身体はエネルギーに満ちていてこの戦いが大きな喜びでした。今は暖かい愛に包まれた日々ですがこの日に到着するまでに大きな戦いをしてきたので、きっと神様が恩寵をくださったのでしょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    この大河ドラマはどこでエンディングになるのかなあ?不勉強なので調べていませんが、知る人ぞ知るで、結末が分からないところが私には却って楽しいようです。吉川さんの新平家物語16巻を読破、原本の翻訳ものをすでに、読みました。実に楽しく、感謝でした。自分の人生の結末が見えたら生きるのが嫌になるかもしれませんが、見えない喜びも生き甲斐の心理学の目指すところです。最後は天国に行けるつもりで今、生きてはいますが。死んでみないと分かりませんが、愛である神様を信じています。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    海賊の場面が出てくると何とも気分がよろしくなるのは何故だろう?めんどくさい規則や習慣を無視して好き嫌い、怖い怖くないという人間の原初感情で動き回る海賊達の描写を見ている私はすかっとして、少年のように手を叩いて喜びます。大河ドラマを見ていても、海賊が出ると気分が良いのです。少年時代、鞍馬天狗の映画を見ていて、彼が悪い人をタイミングよく白い馬に乗って現れ悪人を征伐すると手を叩いて喜ぶので隣の大人がウルサイ、と怒っていました。教育を受けたり複雑な学問をしたり社会生活をしている内に、原初感情が消滅し、人生のいきいきした感動と喜びが減少していくのは何故でしょう?ここで改めて人間の原初感情(4つある、と言われていて、好き嫌い、怖い怖くないの4つ)を再学習するといきいきしてくると言われています。好き嫌い、怖い怖くない、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    2012年の大河ドラマの話ですが、不思議な人物・源頼政が登場しだしています。この不思議な生き方は何とも魅力があります。保元の乱では後白河天皇につき、平治の乱では源義朝とはたもとをわかち、清盛について伊豆の知行国主、殿上人となります。意識してこうしたのか、不明ですが、後日、1180年には出家しますが、平家打倒に出ます。宇治川で戦死、この人物の生き方は面白い。和歌を嗜み「頼政集」を残しています。この人物にご注目。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    2012年7月5日の大河ドラマの話ですが、不思議な人物・源頼政が登場しだしています。この不思議な生き方は何とも魅力があります。保元の乱では後白河天皇につき、平治の乱では源義朝とはたもとをわかち、清盛について伊豆の知行国主、殿上人となります。意識してこうしたのか、不明ですが、後日、1180年には出家しますが、平家打倒に出ます。宇治川で戦死、この人物の生き方は面白い。和歌を嗜み「頼政集」を残しています。この人物にご注目。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    2012年7月1日の大河ドラマの一場面で、逞しく生き伸びていく人々の集団・藤原忠通(俳優は堀部さん)と美福門院得子(松雪さん)が、滅びゆく軽薄者・藤原信頼を垣間見て、ああ、なんと愚かなことを、と嘆かせる場面が印象的でした。この大河ドラマは歴史の深刻な場面を、さりげなく、さらりと上手に描いていきます。歴史の登場人物の関連図が頭にないと、本当の楽しさ、面白さは多分、理解出来なでしょう。系図は関連図を片手において楽しむのは難しいとは思いますが、生き甲斐の心理学の教科書にしたいくらい面白い平家物語に感謝です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現実吟味力が欠落すると人生が大きく変動していきます。2012年7月1日の大河ドラマ・平治の乱での源義朝を見ながら、その後の源頼朝への影響を思索していました。現実吟味力を冴え渡らせる条件は、その人の生きる目的が明確であることが必要ですが、このドラマは中々、その辺りをきちんと意識しているのが面白い。このドラマは本当に優れたものだ、と感心しています。それぞれの人の生きる目的を巧みに表現しているし、時代考証、心理描写も、なかなかのものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    本音で生きている人々は悔いが無いと思いますが、建前で生きると、相当のストレスが蓄積されると推察されます。今日・7月1日の大河ドラマ「平清盛」平治の乱の信西を見ながらそう思いました。どの時代も信じる道を必死で生き抜こうとする人は、それがどんなものでも、美しく見えてきます。信西の生き方から沢山のものを感じます。偽りの自分を生きようとすると変なストレスが蓄積していきますが本当の自分を生きる覚悟さえあれば、その人の心の奥深い部分は案外、幸福曲線(平安感、幸福感、統御感)があり悔いのない人生を十分生きたなあ、と思いながら死ねるかもしれません。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何の為に生きていくのか、その辺りが明確でない人々の行動は多分、困難に巻き込まれた時、悔いを残すような奇妙な行動をしてしまうようです。大河ドラマでの事例を見て「行動の病理学」を思い出しています。本人が悪いわけでなないのですが、たまたま生きる目的が明確化される前に歴史の事件に巻き込まれていかざるを得ない立場なので批判は出来ません。悔いを残さない為には、自分の身辺に不可解な事件が起きた場合、逃げ出したほうが良さそうです。その次点で自分の生きる目的が明確で無い場合、不利な事件に巻き込まれてしまうのは馬鹿馬鹿しいからです。生きる目的が明確化していない次点では、自分の人生を不利にするような事には関わらないとのが正常な判断です。一見、自分は卑怯かなあとか、だらしがないと自己否定しないで、まずは生きる目的を明確にし...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    感情が乱れた時、その沸き立つ激しい感情の取り扱いを過つと自分の人生がどんどん変な方向へ流れ出します。厳しい現実は歴史に翻弄されますので、せめて沸き立つ感情の処理、つまりセルフコントロールの訓練だけは平素から修行したいものです。讃岐で憤死したと言われる崇徳天皇はその後、中世紀の天変地異、戦乱の遠因として伝説化されていきますが、この歴史はとても哀しいけれども現代に生き抜く智恵に大きな示唆を与えてくれています。有名な一句「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思う」自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    清和源氏だと自慢する現代の誇り高き末裔の皆様、怒らないで下さいね。私が独断と偏見で楽しんでいる大河ドラマの話です。「思考の病理学」と言う視点で何となく気になるのが源頼朝のお父さん・義朝です。青年期の或時点では平清盛の上を行く思考がありましたが、沢山の試練を味わう内に、僻み、恨み、劣等感の上で、少々病的な思考(自己否定他者否定という破壊的な思考のこと)の陥り出します。現代でも困難を乗り越えて明るく逞しく生き抜く人は他者、社会のせいにしないで、自分の問題として正面から取り組み解決していきます。思考の病理学では、どんな思考をすると病理になり破滅していくかを勉強していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    プロセススケールといいますのは一人の人間が今、精神的に健康な方向へ向かっているのか、精神病的な心の世界にむかっているのかを識別する世界的に有名な考え方を表示した表です。大河ドラマでは架空の人物ですが、私の大好きな海賊の親分「兎丸」です。酷い生活ですが精神的には常にプロセススケールの高辺を生きています。このプロセススケールという表は正確には7段階に分類していますが、簡単に使用する為に、3段階、つまり、底辺、中辺、高辺に分けています。監督さんは意識していないでしょうがこの兎丸は海賊ですが、実に精神的には健康です。何が良くて何が悪いか、この平安時代末期に生き抜く人を現代の道徳で評価すると貴重な智恵を取り逃がすでしょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大河ドラマ「平清盛」の中で「幸福曲線:平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つ」を大事にして生き抜いた人は誰でしょう?自分の心の中の世界を何よりも大事にする人々は見ていてこちらも幸福曲線を歩きだします。西行はその一人、もう一人檀れいさんが演じた待賢門院璋子、二人の男(白河法皇と鳥羽天皇)を同時に愛していく気の毒な?人生に見えますが、案外、心の平安に満たされて死んでいきますが、その平安な死に嫉妬する松雪泰子さんが演じる美福門院得子も中々の女だなあ、と思いました。美福門院は平治の乱でも逞しい。どの時代も幸福曲線を選ぶ人々が長生きしています。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」テキストを愛読している人々には直ぐ分かる原理原則ですが、大河ドラマの登場人物で滅びゆく人々の特長が教科書通りだ、と気づいていると思います。今回はストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱の5つ)を処理する場合、つまりセルフコントロールの方法を的確にする場合、感情の抑圧、抑制、感情転移、合理化、逃避等14の防衛機制に著しい問題を抱えている事例の人物が該当します。感情の処理に失敗すると無意識の世界は相当、混乱してきます。そして自滅じていきます。さて誰が、この原理に該当するか、どうか再度、洞察し、事例研究の対象にしてみて下さい。ギリシャ神話、日本神話、その他の有名な神話を勉強すると、現代の学問上の言葉は当然、出てきませんが、まさに、ピッタリの防衛機制上の事例が山程、出てきます。古代の人々...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大河ドラマでは崇徳天皇が流される場面とかで草葉の陰で読経する西行さんが登場し私を泣かせるのですが、憎たらしいくらい上手に演出されています。崇徳は籠の中で西行の声を聞きながら讃岐に行くわけですが実際に西行は流刑地にも訪問したようです。今、西行と清盛、という本を読んでいますが、この西行法師について調べれば調べるほど、なんとも魅力ある人物です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    飛鳥・奈良時代の話ですが、藤原家の祖・中臣鎌足の子・不比等の子供たちが藤原4家(北家、南家、式家、京家)を創り日本を牛耳っていくわけですが、この池禅尼はその北家の流れに生まれた娘なのです。藤原宗子という名前でした。色々と限られた時間と私の書斎の書物で調べたのですが、どんな最後を迎えて死んでいったか分からないのでご存知の方は教えて下さい。この池禅尼を描いた小説を読んでみたいものです。この池禅尼の息子・平頼盛は生き残り頼朝にも歓迎されますが1185年に出家していますが、その後の人生はどうなったのか、書物で調べても明確でないので、これまた物知りの皆様に教えていただきたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大河ドラマでも歴史でも、この池禅尼は何とも魅力のある女性です。演じる女優さんは「和久井映見」さんですが、この演技は非常に難しいと思います。しかしセリフが無い場面でも、実に見事に演技されていて女優さんの根性を見直しています。さてこの池禅尼は実子・家盛の面影を平治の乱でとらえられた頼朝に見出し清盛に助命嘆願、成功するのですが、この頼朝が平家を滅ぼすとは!当時は想像もつかなかったのでしょう。歴史は面白いなあ?何が自分を滅ぼし、何が自分を救うか、その現実吟味力はどうしたら磨く事が出来るのでしょうね?自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    祇王の和歌と言われています。清盛が愛した祇王が、いよいよ何かを感じて、別れを哀しんで詠んだもの。その後、祇王寺で人生を送るわけですが、私たちは平家物語を既に知っているので、大河ドラマを楽しんでいても、何となくもののあわれを感じてしまいます。その平家物語原本?は、清盛と祇王の物語を美しく哀しく描いています。和歌がのこっているので祇王の気持ちが切なく迫ります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    いよいよ平治の乱で清盛が勝ちますが、その作戦はそろそろ青年期を乗り越えて老獪な香りがしだします。熊野詣は反信西派をあぶり出す演出でしたし、熊野から京へ戻った清盛は、あたかも反信西派の親分・信頼に臣下の礼をとったかのように振る舞いながら、策略を弄して、この信頼を打ち取るあたりは、段々と政治にたけてきた証かもしれません。青年らしい清盛の姿からこの平治の乱あたりから、すこしづつ変貌してくるようです。生き残る智恵を暫く現実吟味力という視点で楽しみます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大河ドラマ「平清盛」の話が続きます。二条天皇は後白河天皇の第1皇子。16才で即位し23才で死亡。天皇即位の翌年に「平治の乱」が起きますが、この二条天皇即位後、内紛が表面化してきます。この流れの中で誰が生き残り、誰が滅びていくか「生き甲斐の心理学」の現実吟味力という視点でドラマを見ていくと良い悪いの視点以上に人生での何が大事で何が愚かがの視点が養成されてきます。俳優さんたちの苦労が偲ばれます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大河ドラマはある程度、歴史を知らないと面白くありません。そんなに難しい歴史ではないので、とりあえず信西を注目していると楽しいと思います。保元の乱で清盛は少し地位を確保しますが、まだまだ武家政治は確立しません。次なる平治の乱を清盛が生き抜いて初めて地位を確保しだします。今、信西とそれを取ります藤原一族を注目していると、いかに生き抜いていく現実吟味力が大事か、が分かります。14の防衛機制を発揮出来ず抑圧気味の人々は案外、現実吟味力に欠落しているのが分かります。アイデンティティの統合の内容が身を滅ぼす事を知りつつ死にゆく人々は悔いがないでしょうが、滅びゆく事が嫌なのに統合度に気づかずに死なざるを得ない人々が怨霊となる場面も出てくるようです。平治の乱の人間関係図を片手に大河ドラマを楽しむと「生き甲斐の心理学」5頁...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    気障なようですが私は「愛の無い世界を地獄」と定義して仕事をしてきました。この定義ほど残酷なことはありません。何故かと言いますと、日常生活は、そんなに愛で溢れているわけでもなく、愛が欲しいと叫んでも、期待通りの愛を自分に注いてくれる人は、そう居ません。ここで愛を感じる内容が問題になってきます。愛がないと思って生きてきた人がふと愛だらけの周囲に気づいて幸福感を感じ出した事例も沢山あります。道端ですれ違う知らない子供と視線が合う、すると、その子供が何気なく微笑んでくれる、その笑顔に大きな愛を感じる人もいれば、どんなに愛されても愛を感じない人もいます。好むと好まざるとにかかわらず周囲には色々の宗教,信仰談義があり、それぞれがあの世の話を勝手にしています。特に奈良、京都の神社仏閣を訪ねると地獄絵が出てきます。考えた...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    源頼朝の実母で尾張熱田大宮司・藤原季範の娘・演ずる女優さんは田中麗奈さんですが、少々きつい表情をしながら熱演されています。この女性の生き方は色々感じる所はありますが、実に当時としては正直に生き抜いているなあ、と思います。泣き寝入りもやむをえない当時の女性ですが、偽りの自分、本物の自分、を常に比較考察する「生き甲斐の心理学」では、とても参考になる女性の生き方です。悔いのない人生を送る為にも「偽りの自分、本物の自分」という視点から時々、今の生き方を立ち止まって思索すると、短い人生を悔いなく生きていけるような気がします。この由良御前はどんな人生を送ったのか調べたくなりました。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    NHK大河ドラマの話ですが、保元の乱の一因を作った藤原忠通、この役者も中々面白い。女性のような?嫉妬心を上手に演じていて皆様本当にお上手です。弟の頼長は矢に首を射抜かれて遂に死んでしまいますが、この兄である忠通は案外逞しく生き抜きます。武力を持たない貴族が崩壊していく姿も哀れですが飛鳥、奈良時代に練り上げた智恵も武力政治の前にはかなく消えていきます。何が良くて悪いかの視点では体験の解釈は貧しくなりますが生き抜く智恵と努力という視点で歴史を見ると、案外、何が真理なのか見えてくるようです。西行さんは武道の巧みな人のようでしたが何故に出家したのでしょう?高野山を中心に生き抜いていたようですが魅力のある生き方でもあります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    市女笠(いちめがさ)を大河ドラマでしばしば見ます。男性は烏帽子ですが、この市女笠の上がとんがっているのが可笑しくてたまりません。当時はこれで良し、なのでしょうが、何故、このような形になったのか?ご存知の方は是非、お教え下さい。あちこち調べたのですが、私の力では無理でした。さてこのファッション姿で原宿・渋谷あたりでお嬢さんが歩いて下さると楽しいのですが、どなたか挑戦してみませんか!この写真は産経新聞出版:2012年NHK大河ドラマ「平清盛」33頁の時子を演じる深田恭子さんが平安の都を歩いている場面です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    DVD大河ドラマの登場する信西は当時最高の知識人で、身分は低いけれども知恵者なので、どんどん偉くなります。後白河天皇の乳父らしく急激に地位が高まり政治改革も激しいので、これからどんな描き方をされていくか、とても楽しみです。しかし清盛に叔父を斬らせる場面は切ないけれども厳しい保元の乱の戦後処理を見せつけられました。歴史は面白いなどと今、口にしていますが、当時に生きる羽目になったら、果たして私はどんな生き方を選んでいるのでしょう?現代の世界も、あちこちで戦争があり、かっての友人を殺したり、殺されたりしています・いかなる場合でも、人が人を殺す、なんと恐ろしくおぞましいことでしょう。政治的な理由、その他の理由で人が人を殺す、これだけは何とかやめてほしいです。いつの時代でも、とにかく人を殺す恐ろしさ、罪深さを何故、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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