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  • フォロースルーの大切さ・・・

    ゴルフでは撃った後の姿勢「フォロー・スルー」が大切だ。ナイスショットは、美しいフォームになっている。片手を放す等乱れると、悲惨な結果となる。ゴルフに限らずアフターサービス等、後々までよく面倒を見ることが大切だ。「終わり良ければすべてよし」といえよう。他人様の面倒見の良い人は、責任感が旺盛で、頼りになる。何事もその場さえ凌げば、それで良しでは困る。特に、人事案件においては・・・。事後の気配りが強く求められる。「愛」があってのことだ。晩鐘・祈りフォロースルーの大切さ・・・

  • 意地を通せば、窮屈になる・・・

    「妥協」について記述したが、「自説」を貫き通すことは至難なことだ。漱石の「草枕」に、「智に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意地を通せば窮屈だ」は真理のようだ。「妥協」せぬことは、「意地」を貫き通すことに外ならない。他人と一切妥協しないとなると、そこには必ず他人と「衝突」が起きる。このバランスの取り方が、人生の岐路となることがある。どのように「折り合い」を付けていくかが「カギ」となる。安易な「妥協」は避けるべきだが、己の「原理・原則」だけはハッキリ持つべきと思う。基本となるスタンスが、重要であることは言うまでもない。晩鐘・祈り意地を通せば、窮屈になる・・・

  • 妥協するということは・・・

    自らの思いを曲げることを「妥協」と云ってきた。今にして思えば、「若気の至り」であったようだ。自分の主張を曲げて、相手の考え合わせ、従うことのように考えていた。しかし人と人が交われば、そこには必ず「葛藤」が発生する。この「葛藤」を解決するには、「折り合い」を付ける必要がある。他人との折り合い=「妥協」なのかもしれない。「妥協」あってこそ、世の中丸く収まり、穏便に事が運ぶ。「唯我独尊」の信念居士にも「妥協」が求められる。「自説」を曲げずに貫き通すことも、事と次第によっては貴重だ。政治家の変節感は、見苦しいし恥ずかしいことだ。一般庶民にとっては、、「過ちて即ち改むるに憚る事勿れ」というのは、良い意味で「妥協」なのだろう。可憐な紫陽花妥協するということは・・・

  • ブログ投稿800回を記念して・・・

    今日のブログ投稿で、800回を数えた。2017年4月25日に投稿開始して以来約2年3か月、よくぞ続いたものだと驚いている。早朝5時に起床して、約30分ほどブログを書くことが、生活の習い性になってしまったようだ。当初は「病床日記」として始めたが、欲が出て「エッセイ」「社会批評」「回顧談」等に発展してしまった。収録した「ファイル」も5冊を超え、今では生きてきた証になっている。読者も増えて、毎日100人を超す人が読んで下さっている。これを励みに、これからも日々発生する出来事を含めて、記録を続けていこうと思う。何時まで続けられるか、自信は持てないが、これからも精進して自分史の作成に励みたい。落穂拾い(大塚国際美術館にて)ブログ投稿800回を記念して・・・

  • 愛社精神は何処へ・・・

    本年の通常国会は、終了して、いよいよ参議院議員の選挙を待つこととなった。この国会では、盛んに「働き方改革」が審議されてきたが、法案成立には至らなかった。我が国は、久しく「終身雇用」「年功序列賃金」が基本だった。近年、少子高齢化が進み、人手不足、非正規社員の増加、外国人労働者の雇用等労働環境はめまぐるしく変わってきた。さらに、過労死の問題、ロボット・AI(人工知能)の導入等が加わって、労働市場が一気に流動化してきた。大手企業による「兼業の容認」もあって、「働き方」を抜本的に変える必要に迫られてきた。この先、どのように展開していくか、想像もできないが、ガラッと変わることは必至と見た。長年慣れ・親しんできた「終身雇用」を懐かしむ日が来るのだろう。愛社精神や忠誠心は、失わないでほしい。広島平和祈念公園の遺影愛社精神は何処へ・・・

  • 名曲喫茶の想い出は・・・

    前日に続いて、「名曲喫茶」の想い出を記しておこう。何かの用事で、片田舎から都会に出て行った時は、時間が許せばいつも「名曲喫茶」で時を過ごした。聴きたい曲をリクエストしておけば、順番に聴かせてくれた。その際、音楽を聴くことはもとより、レコードのジャケットを読むのが楽しみだった。作曲家の紹介、曲目の解説、作曲にまつわるエピソード等、楽しく読ませてもらった。その結果が、音楽を愛好する助けとなった。ベートーヴェンが難聴で最後に指揮をとった「第九交響曲」の解説を忘れることはできない。解説者によると、聴衆の止まない拍手に応えられずに、キョトンと佇んでいたエピソードは今でも、鮮明に覚えている。「名曲喫茶」は青春の証だった。「名曲喫茶」が少なくなったのは、寂しい限りである。咲き誇る紫陽花名曲喫茶の想い出は・・・

  • 人はなぜ、哲学的思考を求めるのか・・・

    高度経済成長の頃には、「名曲喫茶」が持て囃されてきた。個人の憩いの場、商談の場としても活用されてきた。「名曲喫茶」は安らぎの場でり、癒しの場でもあった。そこでは快適な音楽を楽しみながら、寛いできたように思う。時代とともに、「名曲喫茶」は次第に下火となってきた。最近の情報によると、都会では「哲学喫茶」が登場し始めたと聞く。店内に一人だけの小さなスペースが多々用意されており、そこでは、静かに「哲学的思索」に耽るそうだ。正解のないテーマを密かに考える絶好の場に成り得るのかもしれない。「令和時代」の新たなチャレンジだろう。一人で静かに思索に耽ること、大いに結構だ。人々は何かを真剣に求め始めているのだ。長閑な舟遊び人はなぜ、哲学的思考を求めるのか・・・

  • 良薬は、口に苦しというが・・・

    良薬は口に苦しという格言がある。確かに苦い薬には、効能がありそうに思える。苦が口=苦言にも、相手を思い遣る心が伝わってくる。近年、この言葉が反故になってきているように思えてならない。表面的には、綺麗な言葉で取り繕ってはいるが、心が伴っていないことが多いように思う。心ある「真の忠告」には、苦言を呈することがしばしばある。「巧言令色鮮なし仁」というが、時には、愛のある厳しい苦言も必要だ。後々真意が判って貰えるように思う。時には、苦言を云い、聴きたいものだ。世の中、綺麗ごとだけでは済まない。梅雨に咲く菖蒲良薬は、口に苦しというが・・・

  • 心の闇は、凡人には理解できない・・・

    最近頻発して事件は、凡人には理解できないことが多発している。どのような動機で殺傷に及んだのか、理解しにくい。事件を起こした当人の精神状態が極めて異常でその動機が判らない。恐らく事件当事者は、「心に闇」を抱えていたのだろう。コメンテーターや精神科医や心理学者が、いろいろと事件の動機を推察するが、判然としない。事件を起こした当人にしかわからないからだろう。何故このように、動機不明の事件が多発するのだろうか。社会のどこかに、「心の闇」が蔓延してきているのではないかと、心配する。社会の病巣を癒すことはできないものか。「心の闇を照らす灯り」は無いものか。現代人は心を癒す術が乏しくなってきているのかも知れない。雨に咲くアヤメ心の闇は、凡人には理解できない・・・

  • 和を尊ぶことは世界スタンダード足り得るか・・・

    我が国には聖徳太子以来「和をもって貴し」としてきた。ことを丸く円満に治めるため、「マーマー」「ナーナー」と腹芸で済ませてきた。この精神が、世界で通用するか試される時が来たようだ。人間社会には、白・黒だけでは解決できない問題がある。曖昧な「グレー・ゾーン」が存在するのだ。時として、欧米流の「白・黒」を理路整然と付ける必要もあるが、その基本的な約束事も行き詰まってきているように思う。今こそわが国特有の「和をもって貴し」とする精神が必要な時ではないか。物事には、デジタルで測りがたい事象があり、アナログ的な発想も要るのではないか。日本的発想の原点である、「和の精神」が国際的スタンダードたり得るか、試されている。唐津・虹が浜の防風林和を尊ぶことは世界スタンダード足り得るか・・・

  • 悪が蔓延っているが、隠れた善行にも光を・・・

    連日マスコミの報道を見ていると、社会には「悪」が蔓延っているようにも見える。ニュース・ソースとしてマスメディアは、「悪」を殊更に強調しているように思える。確かに、サタン(悪魔)の活動は活発だが、見えない所で「陰徳」も行われている。もっと隠れた善行を報道してくれればと願う。心が暗澹とするニュースが゛多すぎる。世の中、「善・悪」が混沌としているには違いないが、心が明るくなるようなニュースは何故少ないのか。取材する姿勢が「悪」に振り回され過ぎていないか、問いたい。明るい社会作りには、マスメディアの取材姿勢にかかっているように思う。心が明るくなれば、悲惨な「犯罪」「事故」も軽減するだろう。紫陽花健気に悪が蔓延っているが、隠れた善行にも光を・・・

  • コレステロールの落とし穴・・・

    加齢とともに、コレステロール値、血圧、メタボが気になってくる。それぞれ基準値があるものの、個人によってその差がある。中でも、恐ろしいのは、例えば、「高血圧」のように、基準値を満しておれぱ、安心してしまうことだ。「隠れ高血圧」が潜んでいるからだ。起床時には、血圧が急速に上昇するという。コレステロールにも、「レムナント・コレステロール」という落し穴があるそうだ。血清が濁る現象だが、余程の注意がなければ、見落としてしまう。自分で異常を感じ取る以外に方法はないようだ。自分の健康は、自分の五感で感じ取ることが基本のようだ。「健康管理」は自己責任を肝に銘ずべし。検査の結果は、参考値に過ぎないことを知っておくべきだ。咲き盛りのスイセンコレステロールの落とし穴・・・

  • 正論にも、限度が・・・

    松阪市で「正論おじさんが出現して話題になっている。商店街で、例え1センチでも私有物が公道にはみ出していると厳重に注意されて、騒ぎたてるいう。これを法令を守る「正論おじさん」というらしいが、地元の人達も手を焼いているようだ。「正論」は結構だが、杓子定規の「正論」は時に他人に多大の迷惑をかけることがある。一人善がりの「正論」は、「正論」とは言い難い。常識の範囲で「正論」は成り立つ。法律や規則は、人が棲み易くするためのものであって、誤って適用されたのでは困る。行政機関も、しっかりと対処してもらいたい。「法の精神」を履き違えてはならない。九十九島の風景正論にも、限度が・・・

  • 人間は人間関係の中で生き、死ぬ・・・

    最近耳に残った言葉に、「人は人間関係の中で生き、死ぬ」が印象に残った。確かに人生とは「生・老・病・死」の一言に尽きるが、常に、人との関わりの中で生きているのは事実だ。両親のもとに生まれ、友人・知人、隣人の中で生きているのだ。人間関係の中で、殊更、大切なのは、「キズナ」という宝物だ。生きている限りは、この「絆」という宝物を大切にしたいものだ。如何なる形があるにしろ、人間関係=絆=縁=宝として、一生を終えたい。その意味でも、もっと・もっと他人との「ご縁」をを大切にしたい。「袖触れ合うも、他生の縁」というではないか、他人との触れ合いこそ、人生なのかもしれない・・・。歳を重ねるにつれて、人を恋しく思うこの頃である。新緑の広島広域公園人間は人間関係の中で生き、死ぬ・・・

  • ついに、運転免許証を返納・・・

    近頃は高齢ドライバーによる「交通事故」が頻繁に報道されている。テレビも意識的に強調して報道しているように思えてならない。高齢ドライバーの意識改革を促しているのだろう。それにしても悲惨な事故が多発している。池袋の交通事故を見て、終に、先週運転免許証を返納してきた。行動の自由を奪われたようで、一抹の寂しさはあるものの、スッキリと諦めることができた。よくぞ40年間も、他人様の迷惑を掛けなかったことに感謝したい。自分が事故を起こさなくとも、事故に遭う時代だから、特段の注意を払うことにしようと思う。家族もさぞ安心したことだろう。高齢ドライバーの無事故を切に祈りたい。バラ香るついに、運転免許証を返納・・・

  • ゴキブリとの戦いが続く・・・

    初夏の訪れとともに、ゴキブリの活動が活発になる。この間まで、何処かへ隠れていたようで、俄かに活発に出没しだした。この家に定住して以来の戦いが続いているが、今なお、継続中である。そのシブトイ生命力には感嘆する以外にない。完全に滅七したと思っていたところ依然として健在だ。何処に潜んでいたのか、いろんな退治方法を試みてみたが、無駄だった。保護対象となる「絶滅危惧種」には指定されないが、その生命力には、降参するしかない。毎日がゴキブリとの戦いが続く。何とか完全に駆逐できないものか・・・。柏葉紫陽花の開花ゴキブリとの戦いが続く・・・

  • 日本は豊かさを維持できているか・・・

    バブル経済の終りとともに、日本の経済は久しく低迷しているという。現政権は、「アベノ・ミックス」で順調に推移していると胸を張っている。しかしバブル期に比べて、日本人の所得は約40万円減少しているという。家計は火の車で、デフレと中国を初め東南アジア諸国の「格安製品」で何とか凌いでいる。アベノ・ミックスで強調されていた「物価2%上昇」も未だに実現出来ず、デフレが続いている。米・中経済戦争の影響も深刻さを増してきており、暫く経済的好転は期待できそうにない。争いのない、調和のとれた世界の実現を待ちたい。新緑のヤマボーシ日本は豊かさを維持できているか・・・

  • 自分に合った仕事に就いた人は幸いである・・・

    つい先ごろまで、日本では「終身雇用制」であった。一旦就職すれば、終生変えることは難しかった。仕事を転々と変えることは、「罪悪感」すらあったように思う。最近では、新入社員は、2~3年もすれば多数転職するという。忍耐力が不足しているようだ。ニートも厭わぬ風潮が出来てきたのか。豊かな暮らしになった証拠だ。仕事には、「忍耐」と仕事に対する「愛情とプライド」が必要だ。辛抱強く続ければ自然と愛着が湧いてくる。自分に合った仕事に出会った人は幸いといわねばならない。そのことを痛感する昨今である。待遇、人間関係、職種等不満分子は多々あっても、「置かれた所でベスト」を尽くす」のが最善だと思う。慣れれば、自ずと愛着が湧き、長続きするものだ。簡単にあきらめてはならない。楚々と佇むアヤメ自分に合った仕事に就いた人は幸いである・・・

  • 結果に執着しすぎるな・・・

    「終わり良ければすべて良し」という格言がある。結果さえ良ければ、それに越したことは無い。セッカチな現代生活において、「結果=成果」だけを性急に求め過ぎていないだろうか。成果を求めるには、プロセス「途中経過」をもっと重視する必要はないか。若い頃には、「プロセス」が重視されてきたように思う。何事も時間をかけて「熟成」させる「プロセス」を大事にしなくてはならないように思う。仕事にしろ、私生活にしろ「時の流れ=熟成期間」を我慢強く待つ「期間」が必要のように思う。身体に良く美味しい食品には、良く「熟成」されているものが多い、例えば、ヨーグルト、納豆、ワイン、味噌、醤油・・・等々がある。「熟成」は身体に必要な「滋養」を生み出してくれる。性急に「成果」ばかり求めてはならない。「熟成」を待つ心のユトリを欲しい。紫陽花豊かに結果に執着しすぎるな・・・

  • 悪いことは連鎖する・・・

    経済学者アダム・スミスに「悪貨は良貨を駆逐する」という説がある。これは貨幣に限らず、様々な分野にあるようだ。悪いことが起これば、連続的に発生する傾向がある。自然災害にしろ、人為的事故にしろ、連続して起こるのは何故だろう。丁度、「悪魔」が「悪悪」呼んでいるようで不気味だ。人が企む悪事にも、その傾向がある。現代社会では「悪事」が「悪事」を呼び覚ますことを念頭に置いて対処したい。「悪」が栄えたためしがないことを願いたい。紫陽花咲き始める悪いことは連鎖する・・・

  • ストリート・ピアノが流行り始めている・・・

    都会では、ストリートピアノが流行り始めているらしい。街往く人が、備え付けのピアノをそっと奏で、音楽を楽しむという趣向だ。これまで日本には「大道芸」は存在したが、ピアノ演奏が盛んになろうとは驚いた。ピアノは、ハイ・ソサエティーの子女のお稽古ごとにと思われていたものが、何時の間にかピアノが庶民的になった故に、≪ストリート・ピアノ≫が成り立つのだろう。日本も欧米並みの文化的水準に達してきたと言うことか。経済ばかりでなく、文化的成熟は大いに歓迎したい。街中で音楽を楽しむ風情は、文化国家になってきた証だ。紫陽花寺にてストリート・ピアノが流行り始めている・・・

  • 亡き友の命が燃え尽きた・・・

    20歳頃からの友人が亡くなってしまった、寂しさと無念さでいっぱいだ。私が大病を患って入院した約2年前、彼は頻繁に私を見舞って、励ましてくれた。その彼が、突然、「白血病」を発症して、入院することとなった。二人は、3日にあげず、互いに電話で励まし合ってきた。2週間ほど前から、急速に声量が衰えてきて、話すのも苦痛のようだった。心配だと思ったがそれが最期の別れとなった。命の灯が燃え尽きたようだった。「戦場の同志」を失ったようだった。共に歌い、人生感を分ち合えた友を亡くしたのだ。人生の儚さを痛感した。あと何度この喪失感を味わうのだろうか。身近だった朋が、次から次へと旅だたれいく、「されど悲し・・・」という以外になし。紫陽花何想う亡き友の命が燃え尽きた・・・

  • 無関心より、お節介の奨励・・・

    日本が貧しかった頃、長屋では井戸端会議が盛んだった。井戸端会議では「お節介」が付き物で、噂話や陰口が盛んに行われ、煩わしかった。豊かになるにつれ、人々は他人には次第次第に「無関心」となっていく。現代では、「隣は何をする人ぞ・・・」に変わってしまった。このことが、「ひきこもり」や「孤独死」の原因になっていないだろうか。人は一人では生きてはいけない。東京都足立区で積極的に「お節介」を推奨した結果、「犯罪」が減少したというではないか。適度な「お節介」も人助けに貢献しているようだ。「無関心」こそ現代の病巣だ。額紫陽花咲く無関心より、お節介の奨励・・・

  • DNAの操作で、人の運命を変えられるか・・・

    昔から、人間に「運命」は存在するか。永遠の謎のようだった。2パーセントのDNAは、医療分野等に有効に活用されてきたが、残りの98%は「ゴミ」として処理されてきたという。このゴミが「トレジャー・DNA」といわれ、最近、人間の能力、性格、等に応用分野が拡がり、人間の「運命」を左右する研究が世界各国で行われているという。研究が進むと、生まれつき「不変」と思われてきた人間の「運命」が変えられる可能性があるらしい。画期的な研究といえるが、生命倫理の観点からは多くの問題を含んでいる。人間が人間の意思によって自分を変えられるとなると、傲慢という誹りは免れない。しかし、DNAスィッチの「オン・オフ」で自分の運命を変えることができるとしたら、恐ろしいことになる。自分自身が改めたい性格・能力など多々あるが、この先どう展開していくか...DNAの操作で、人の運命を変えられるか・・・

  • 《ひきこもり》の多さは国家の恥・・・

    連日ひきこもり」に絡む事件が報道されている。正確な数字は不明だが、40~60歳の「ひきこもり」が約61万人と聞く。20歳以上を加えれば100万人を超すと云われている。いわゆる「80~50問題」は日本の深刻な問題だ。事情は様々だろうが、現代日本の「病巣」になっている。親が80歳を超えて、なお、子供の面倒を見続けるのは、容易なことではない。そこに家庭の「不和」が生じ、事件に発展していくのは、火を見るより明らかだ。多くの「パラサイト・シングル(子供が親に生活依存すること)」を生んできた付けが回ってきたように思う。親が子供を甘やかしてきた責任だ。若い時に苦労させてこなかった結果だと思う。大規模な行政措置が必要になるだろう。子供は若い内に苦労させて、独立心を養っておくべきだ。若々しい紫陽花の芽が《ひきこもり》の多さは国家の恥・・・

  • 樹木希林さんの遺作がベスト・セラーに・・・

    最近、樹木希林さんの遺作がベスト・セラーになっているという。彼女の飾らぬ自然体で発する言葉が、読者の共感を得ているのだろう。「本音」で話しにくい世の中にあって、彼女は自分をサラケ出して話す言葉がウケているのだろう。誰しもかっこよく、綺麗事に終始して、「本音」は話しにくいものである。何のケレンミもテライも無く話すことと、頑として変わらない主張が、彼女の魅力である。もっと言えば、彼女の自然体の生き様そのものが支持されているのだろう。人生誰もが、自分に素直に忠実に生きたいものである。それを教えてくれているのだろう。瀬戸内寂聴さんに通じるものがあるのかもしれない・・・。紫陽花咲く樹木希林さんの遺作がベスト・セラーに・・・

  • 年貢と現在の課税方式について・・・

    江戸時代の年貢は「五公・五民」とか「六公・四民」とか言われていた。これは農家に対する課税方式で、「百姓と胡麻の油は絞れば絞るほど取れる」ことを意味した。現在の課税制度は、次第次第にこれに近づきつつあるようだ。特に年金生活者にとっては、その感が強い。取れるところから徴収しようとする姿勢がありありと窺える。「税制」は富の分配に関わる基本中の基本だ。継ぎ剥ぎだらけのパッチワーク方式から脱して、全般的に見直すべき時期に来ていないか。「マイナンバーカード」の普及もあって、税制を抜本的に見直す絶好のチャンスではないか。福山のバラ祭り12年貢と現在の課税方式について・・・

  • 中国は、原則を曲げない国・・・

    中国の気風を「大陸的」と表現する。大らかで万里の長城に見られるようにスケールがでかい。中華思想とは「世界の中心は中国」だ。「世界の道がローマに通じる」のと東洋版である。最も驚くのは、「原則」に拘り、言い出せば最期、後に引かない国と見受けられる。米・中の経済戦争は、長期戦に突入したようだが、解決の糸口が見えない。覇権争いとすれば、なお、長引きそうだ。何事も例外のない原則はなく、両国とも冷静にことに当ってもらいたい。「原則」が「頑迷固陋」になっては、世界中が迷惑する。興味を持って見守りたい。「超大国」の勝手・気儘を許してはならない。福山のバラ祭り12中国は、原則を曲げない国・・・

  • 戦争は民族間の誤解と憎しみから始まる・・・

    悲惨な戦争を体験した人は、戦争の愚かさが骨身に刻み込まれている。不戦を誓った憲法によって、70有余年間、日本は戦争とは無縁であり続けた。少し隙を見せると、戦争の影が忍び寄ってくる。いかなる理由があろうとも、戦争だけはもうこりごりだ。戦争の悲惨さを知らない若人の発言には、時としてハッとさせられる。戦争体験者がシッカリとその愚かさと悲惨さを語り継ぐ必要がある。それが、高齢者の義務であり、役目と思う。戦争は、民族間の憎しみと誤解によって始まることを忘れてはならない。侵略・戦争は、後々まで怨念を残す。日韓関係や中東紛争はいつまで、過去の緒っぽを引きずることになるのか。福山のバラ祭り10戦争は民族間の誤解と憎しみから始まる・・・

  • 時代遅れを自覚しつつ・・・

    時は自分の意思とは無関係に、ドンドンと流れゆく。ブログを書く時、いつも自分の価値観は「時代遅れ」になってないかと、自問自答する。「時代遅れでないか」と「時が移っても変えてはならない事がある」とが交錯しながら書いている。確かに、報道を見ていると、時に、時の流れに棹差していると自覚することがある。時が移り変っても、変えてはならないことがある。歳の為せる業として割り切ることにしている。思い至った感触を率直に、「自分史」の1ページに加えておこうと思っている。温故の一文として、ご覧頂ければ幸いである。福山のバラ祭り11時代遅れを自覚しつつ・・・

  • 天に唾すれば、自分に戻ってくる・・・

    「自国ファスト」はとかく「エゴ」になりがちだ。「東京ファースト」はすでに見る影も無くなってしまった。小池フィーバーは昔の面影も無く、トランプ氏の「アメリカン・ファースト」はどうなることやら・・・。覇権争いと思うが、互いに協議を尽くして調整するのが常識ではないか。「自国ファースト」は「エゴ」であり、「天に唾する」愚挙と思えてならない。米国はブーメラン効果で、自らの首を絞めるようになる。各国が自分勝手に行動すれば、それは破綻の道に通じることを認識すべきではないか。「エゴイズム」は必ずや矛盾を産み、淘汰されるだろう。ポピュリズムに右往左右してはならない。選挙目当ての政治であっては困る。福山のバラ祭り8天に唾すれば、自分に戻ってくる・・・

  • 沈黙は金、雄弁は銀なりは過去の遺物か・・・

    かつて沈黙と勇気は男らしさの誉れと称賛されてきた。戦後、何時の間にか、自己主張が強くなり、雄弁が金へと変化したようだ。。その所為か、スピーチも軽佻になりがちで、重厚さに欠けてきたように思う。話す内容が伴った雄弁は聴くに値するが、ただベラベラと内容のない話には、退屈さえ覚える。政治家には「話術」が命と云われるが、心の底に響く言葉は久しく聴かない。「寡黙」であっても、ほとぼしる情熱と、誠意に溢れるスピーチを期待しているのだが・・・。軽口は時を稼ぐとも、人々からは心からの賛同は得られない。雄弁にも誠実さが必要だ。福山のバラ祭り7沈黙は金、雄弁は銀なりは過去の遺物か・・・

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