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2019/04/19

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  • 「教科書で学ぶ世界史」遊牧民と中国

    ①犬戒(けんじゅう) ・BC8世紀頃(周) ・陝西(せんせい)・山西(さんせい)方面の遊牧民 ・西周とたびたび交戦し、周の東遷につながる ②匈奴 ・BC4世紀〜2世紀(秦・漢) ・ユーラシア東部最初の騎馬遊牧民 ・秦、漢とたびたび衝突 ・冒頓単于(ぼくとつぜんう)のころ前漢高祖を破り、全盛期を迎える ※冒頓単于 匈奴は単于と呼ばれる王を中心とする遊牧集団。冒頓はBC210年に父を殺して単于となり、BC200年に漢の劉邦を攻めて大勝した。さらに草原とオアシスの両ルートを掌握することにも成功し、全盛期を築き上げた。 ③鮮卑 ・156〜6世紀(漢・南北朝) ・モンゴル高原の狩猟遊牧民 ・五胡十六国時…

  • 「教科書で学ぶ世界史」インドの宗教と哲学

    ●インドの宗教と哲学概観 BC1000年頃:バラモン教 アーリヤ人がインドにおける優位性を確立するため、バラモンを最上位とするヴァルナ制(バラモン(司祭)、クシャトリヤ(武士)、ヴァイシャ(農民・牧畜民・商人)、シュードラ(隷属民)という4つの身分にわかれるとする観念)をつくった。明確な体系を持たず、「ヴェーダ」を聖典とし、犠牲を中心とする祭式を尊重。 ※「ヴァルナ」とは、「色」を意味する。アーリヤ人と先住民の間に皮膚の色の差があったため、この言葉が使われた。 BC6〜BC5世紀頃:仏教(開祖:ガウタマ=シッダールタ) 動物を犠牲に捧げる供儀やヴェーダ祭式、バラモンを最高位とみなすヴァルナ制を…

  • 「教科書で学ぶ世界史」台湾の歴史

    ●台湾の歴史 1544年:ポルトガル人、美麗島(フォルモサ)を発見(台湾) 1624年:オランダ、ゼーランディア城を築く 1626年:スペイン、サンサルバドル城を築く 1642年:オランダ、スペイン駆逐 1661年:清、遷界令を出し、鄭氏と交易不可に 1662年:鄭成功、オランダ人を追放 東南沿海で武装貿易船団を率いて反清運動を行っていた鄭成功とその一族は、オランダ人を駆逐して台湾を占領。これを拠点に清に抵抗した。 17世紀〜18世紀:福建、広東などより漢人の大量移入。人口増加。 1874年:日本による台湾出兵 台湾に漂着した琉球島民が、台湾の先住民に殺害されたことを理由に、日本軍が台湾に出兵…

  • 「教科書で学ぶ世界史」ソ連邦解体

    ●ゴルバチョフ就任前の状況 ・世界的な民主化の流れ ・核軍拡競争(経済的負担の増大) ・中ソ対立 アメリカと対決路線だった毛沢東が、ソ連は平和共存路線を批判。ソ連は1960年に中国への経済援助を停止し、1969年には国境で軍事衝突。 ●ゴルバチョフ書記長就任後の流れ 1985年:ゴルバチョフ、ソ連共産党書記長就任 ・情報公開(グラスノスチ)による言論の自由化 ・ペレストロイカ(国内改革) 1989年:バルト三国独立運動(エストニア・ラトヴィア・リトアニア) 1989年:中ソ対立解消 1990年:複数政党制採用 1990年:大統領制導入、初代大統領にゴルバチョフ就任 中央司令型の計画経済から市場…

  • 「教科書で学ぶ世界史」第一次中東戦争(パレスチナ戦争)って何?

    ●パレスチナって何? BC1500年:遊牧民であったヘブライ人(ユダヤ人)がパレスチナに定住 BC538年:バビロン捕囚から解放されユダヤ人がイェルサレムに帰国 イェルサレムにヤハウェの神殿を再興。ユダヤ教を確立 1071年:セルジューク朝がイェルサレム占領 1099年:第一次十字軍がイェルサレムを占領し、イェルサレム王国をたてる 1187年:アイユーブ朝を樹立したサラディンがイェルサレム奪回 1916年:サイクス・ピコ協定 ・英仏露の3国によるオスマン帝国の分割(アラブ人居住地の主要地は英・仏領) ・英・仏の勢力範囲下におけるアラブ人の独立を容認 ・パレスチナは国際管理下に ●第一次中東戦争…

  • 「教科書で学ぶ世界史」右翼左翼とフランス革命

    ●左翼・右翼って何? goo辞書より 左翼 フランス革命当時、議会で議長席から見て左方に急進派のジャコバン派がいたことから、社会主義・共産主義・無政府主義などの革新的な思想。またそのような人・団体。 右翼 フランス革命当時、議会で議長席から見て右方に穏和派のジロンド派が席を占めていたことから、保守的または国粋的な思想、立場の一派。また、その者。 ●フランス革命期の議会 ①三部会招集(1789年5月) イギリスとの戦争をくりかえしたフランス国家の財政が行き詰まり、国王ルイ16世は、デュルゴー・ネッケルらの改革派を起用して、特権階級に対する課税などの財政改革をこころみた。しかし、特権身分が抵抗した…

  • 「教科書で学ぶ世界史」中華民国の成立

    ●列強による中国分割 日清戦争(1894年〜1895年)での清の敗北をきっかけに、日本・ロシア・ドイツ・フランス・イギリスなどの列強は清朝領土内での鉄道敷設・鉱山採掘などの利権獲得競争に乗り出した。 ●義和団事件(1901年) 山東の農村の自警団組織を基盤にうまれてきた宗教的武術集団の義和団は「扶清滅洋」をとなえて鉄道やキリスト教教会を破壊。清朝の保守排外派は、この運動を利用して列強に対抗しようとして各国に宣戦布告した。 日本とロシアを主力とする8カ国の連合軍(イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストラリア・イタリア)は在留外国人の保護を名目に協同出兵にふみきり、北京を占領。清は1901…

  • 「教科書で学ぶ世界史」グレートブリテン及び北アイルランド連合王国

    ●ウェールズの併合 1536年:ウェールズ(ケルト系)イギリス併合 ●アイルランドの植民地化 1603年:スチュアート朝成立 スコットランド出身のスチュアート家のジェームズ1世(スコットランドではジェームズ6世)が王位を継ぐ(スコットランドとの同君連合)。 1639年:スコットランドで反乱 国教会強制に反発し、スコットランドで反乱がおこったことから、チャールズ1世は1640年に、11年間開いていなかった議会を招集。1642年には王党派と議会派のあいだに内戦がおこった。 1649年:国王処刑⇒共和制に 議会派は国王との争いを徹底しようとする独立派と、より穏健で立憲王政をめざす長老派に分裂。独立派…

  • 「教科書で学ぶ世界史」アメリカ独立革命

    ●13植民地の成立 1607年:ヴァージニア植民地建設 1620年:メイフラワー号でピューリタンの一団がプリマスに定住 1664年:ニューアムステルダム(蘭)を奪いニューヨークと改称 1732年ジョージア植民地建設(13植民地の建設) 1755年〜1763年:フレンチ=インディアン戦争 イギリスとフランスの植民地戦争。この戦争に勝ったイギリスは、1763年のパリ条約で、カナダとミシシッピ側川以東のルイジアナ、フロリダ、西インド諸島の一部、セネガルを獲得。 ●独立の機運 イギリス本国は、重商主義政策によって本国の商工業を保護するため、植民地の自由な貿易や工業の発展をおさえようとした。また、七年戦…

  • 「教科書で学ぶ現代社会」イランとアメリカの関係

    ●イランとアメリカはなんで対立しているの? (1979年イラン=イスラーム革命) 1963年、アメリカが援助するパフレヴィー2世の白色革命によるイランの近代化が進んだ。しかし、その後貧富の差が拡大しデモ・暴動が多発。 1979年、シーア派指導者ホメイニを中心とするイラン=イスラーム革命によってイラン=イスラーム共和国が成立。革命のさなか、 イランのテヘランでアメリカ大使館が革命派の学生に占拠され、大使館員が52名が人質となった。人質は444日後に開放された。 (1980年イラン=イラク戦争) 1980年、国境問題に端を発し、イランとイラクが対立。イラン=イスラーム革命の拡大を恐れるサウジアラビ…

  • 「教科書で学ぶ世界史」啓蒙思想って何?

    ●啓蒙思想って何? ロック(英)の影響を受けつつ、理性を重視し非合理的なものを徹底的に批判し、民衆のなかに正しい知識を広めることによって、新しい社会をつくろうとする思想。 ※ロック「統治二論(市民政府二論)」 各人が生命・自由・財産の権利を代表者に信託して、それが侵害された場合は革命権・抵抗権をもつと主張。名誉革命を理論的に正当化。 ①モンテスキュー(仏)「法の精神」 イギリスの議会制を紹介し、三権分立を説いた ②ヴォルテール(仏)「哲学書簡」 啓蒙思想の指導者的存在。啓蒙専制君主主導の社会改革を提唱した。カトリック教会を批判し、「哲学書簡」でイギリスを賛美した。 ③ルソー(仏)「社会契約論」…

  • 「教科書で学ぶ世界史」1648年ウェストファリア条約〜ヨーロッパ主権国家の形成〜

    ●ドイツ三十年戦争の発端 神聖ローマ帝国内に大小の領邦が分立していたドイツでは、主権国家の形成が遅れていた。1618年、オーストリアの属領ベーメン(ボヘミア)の新教徒が、ハプスブルク家によるカトリック信仰の強制に反抗したのをきっかけに三十年戦争がおこった。 スペインは旧教側のハプスブルク家の皇帝を支援し、新教国デンマークはこれと戦った。 ●三十年戦争の経緯 1608年:プロテスタント諸侯同盟結成 1609年:カトリック諸侯連盟結成 ※神聖ローマ皇帝(ハプスブルク家)は旧教 1618年:ボヘミア(ベイメン)反乱 1618年〜1623年:ボヘミア・プファルツ戦争 (旧教)スペイン・ハプスブルク家(…

  • 「教科書で学ぶ世界史」ティムール朝の首都サマルカンド

    ●ティムール朝の興亡 14世紀半ば頃、中央アジアのチャガタイ=ハン国は東西に分裂した。西チャガタイ=ハン国出身のティムールは、1370年にティムール朝を開き、西トルキスタンを統一した後、西進してイル=ハン国が滅亡した後のイランからイラクに至る領土をあわせた。 その間、ティムールは北方のキプチャク=ハン国や南方の北インドに侵入し、のちにはアナトリアにも攻め入って、アンカラ(アラゴラ)の戦いでオスマン軍を破り、バヤジット1世を捕虜とした。 さらに明を討伐しようとして東方遠征に出発したが、その途中病死した。ティムールの死後、ティムール朝は分裂と統合をくりかえし、やがてトルコ系の遊牧ウズベクに滅ぼされ…

  • 「教科書で学ぶ世界史」清の辮髪令

    ●清の建国 中国の東北地方には、農牧・狩猟生活を営む女真(のちに満州と改称)が住み、明の支配を受けていた。16世紀末、ヌルハチが自立して女真諸部族を従え、1616年に後金を建国。二代のホンタイジは、内モンゴルのチャハルを従え、支配下の満州人・漢人・モンゴル人におされて1636年に皇帝と称し、国号を清と改めた。 ●清朝の統治 明は李自成の反乱軍に北京を占領されて滅亡(1644年)。その後、長城の東端の山海関で清軍の侵入を防いでいた明の武将、呉三桂が清軍に降伏し、清軍は長城内に入って北京を占領した。北京に遷都した清は中国全土へと支配を広げていった。 ●辮髪(べんぱつ)令 辮髪はモンゴル高原周辺の男…

  • 唐の都(長安)と宗の都(開封)の違い

    ●唐の滅亡 9世紀後半、塩の密売人の黄巣がおこした反乱(黄巣の乱)が全国に広がり、10世紀初めに節度使(傭兵の指揮官)の朱全忠に滅ぼさた。朱全中は開封(かいほう)を都として後梁を建国した。以降50余年間に華北では有力節度使のたてた五つの王朝が交代し、その他の地方でも10あまりの国が興亡したので、この時代を五代十国という。 五代の後周の将軍だった趙匡胤(ちょうきょういん)は、960年に宗(北宋)を建国し、中国主要部を統一した。 12世紀初め、遼を滅ぼした金は、続いて華北を占領し、都の開封を陥落させて上皇の徽宗(きそう)と皇帝の欽宗をとらえた(靖康(せいこう)の変)。そこで皇帝の弟の高宗が江南に逃…

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