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2019/03/24

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  • 薦相 [婁師德の德]

    薦相[婁師德の德]-----------------------------田舎の農夫然とした風貌の宰相婁師德の単調な奏議が続いている。次ぎに並ぶ狄仁傑は苛々していたが、則天皇帝の信任に厚い仁傑にとっても先任の宰相を遮ることはできない。「この無能の愚図め」と何度内心ではつぶやいたことだろう。「こんな無能を陛下はいつまで宰相にしておくつもりなのか」やっと師德の上奏が終わり、のそのそと退出していった。仁傑のテキパキとした上奏が終わると、則天は聞いた「師德は有能と思うかな?」仁傑は「辺境の司令官程度ならよいかもしれませんが、宰相には値しません」「師德は人を見る目があると思うかな?」「あるとは到底思えません、属吏程度の評価ならできるでしょうが」則天はニャリと笑って言った。「卿を是非とも宰相にすべきだと推薦したのは...薦相[婁師德の德]

  • 渭水の盟 [太宗の恥辱]

    渭水の盟[太宗の恥辱]---------------------武德九年七月、父の高祖皇帝を恫喝して退位させ、強引に即位した皇太子世民[太宗]のもとに急報が入った。突厥頡利可汗・突利可汗が百万と号する大軍で侵攻してきて渭水に迫ってきていた。突厥の使節執失思力は「可汗は属国の帝が許可も得ず即位したことに激怒されています」「また皇太子建成や齊王元吉を殺害し、高祖皇帝を廃位した事に異議をとなえておられます」と高飛車に言い放った。皇太子・齊王殺害は太宗側の一方的な襲撃であり大義は無い。また高祖は進んで地位を譲ったわけではなく、武将尉遅敬德の武力による威嚇に脅えた結果である。そのため朝廷の人心は太宗に決して好意的ではないのだ。「まずいな、戦うわけにはいかないし、その戦力も今はない」と太宗は判断し、思力に皇居を預け、...渭水の盟[太宗の恥辱]

  • 回心 [忠武節度使周岌の帰服]

    回心[忠武節度使周岌の帰服]--------------------------「まさか行かれるのではありますまいね」「節度使様ご招待だ、行かないわけにはいかんだろう」「いくら節度使とはいえ、いまは黄巣に降った賊です」「いけば殺されることも考えられます」「いや周岌の心はわかっているよ」忠武監軍楊復光の館は緊張に包まれていた。節度使周岌は黄巣の侵攻時に率先して降り、忠武節度使を安堵されている。しかし唐の監軍たる復光を拘束するのでもなく放置していた。そして昨日、急に使いを寄越し招待をかけてきた。「彼は唐に帰順したいのだよ」「巣の勢力は弱まってきたと思っている」「岌が立場を変えやすいようにしてやるだけさ」酒宴が始まった。復光はさかんに往事の事を語り、岌に昔を思い出させた。やがて岌は泣きながら言った「皇帝のご恩は...回心[忠武節度使周岌の帰服]

  • 裏切り [朱全忠の成立]

    裏切り[朱全忠の成立]--------------------------「降ってもはたして受け入れてくれるかな」「俺の評判は極めて悪いし」と溫「そんな事をいっている場合ですか」「敵軍はどんどん増えているのに、こちらにはろくに援軍はきません」「孟楷どもが殿を讒言しています。もう生命が持つかという問題です」と側近の謝瞳が叫んだ。援軍を頼むために京師の黄巣のもとに派遣されが、まるで取り合ってもらえなかった怒りで顔が真っ赤である。官軍に対する最前線の華州城では不穏な空気がただよっていた。「河中の王重栄から密書がきています」「都監の楊復光からもです。奴らも焦っているのです。」「官軍につくなら今です」と部下達はすっかりその気になっている。「しかしなあ・・・・、俺ではな・・・」ひとかけらの土地もなく、農奴としてこき使...裏切り[朱全忠の成立]

  • 教養   [玄宗の幽閉]

    教養[玄宗の幽閉]--------------------------「くそ、馬鹿にしやがって」李輔国は顔を真っ赤にしてつぶやいた。肅宗を擁立し、飛ぶ鳥を落とす勢いの輔国である。自分の前では宰相も将軍も頭を下げ、顔色をうかがうところが興慶宮の玄宗上皇のもとに行くと、成り上がりの田舎者扱いだ。玄宗の周りは優雅な側近達が取り巻き、教養のない輔国には理解できないやりとりが続く「誰が安禄山の乱を鎮定したと思っているんだ」「軍政のことなら俺が一番理解しているんだ」と輔国は腹立たしかった。肅宗の元に戻ると「上皇様の側近達は、帝を廃して復位をねらっています」と奏した。「まさかそんなことはあるまい」と肅宗「帝の即位は変則でした。上皇様はともかく、側近達は不満に思っています」たしかに禄山の乱に敗走の途中、側近達によって擁立...教養 [玄宗の幽閉]

  • 佞臣   [鄭注立身]

    佞臣[鄭注立身]--------------------------「監軍殿より、厳重注意してもらえませんか」「あの鄭注という奴には、がまんできません」「なぜあんな奸物を、節度使殿は近づけるのかわかりません」「上には媚へつらい、下には徹底的に傲慢になるやつです」「わかった、李愬殿に注意してみよう」武寧監軍王守澄はうなづいた。そして愬の所に赴くと、聞いてきた注の悪い噂をつげて諫言した。「名将といわれる殿ですが、文臣をみる目はなかなか甘いようですな」「いや、そう言われるが注は奇才で捨てがたい人材ですよ」「奸物ほどそういうものなのです。追放された方がよい」「そうですかな、明日、注を監軍殿の所に行かせます、一度話を聞いてやってください。その上で問題があるなら追放もしかたがありませんな」「まあ話ぐらいは聞いてやりま...佞臣 [鄭注立身]

  • 時代錯誤 [宦官が支える唐末]

    時代錯誤[宦官が支える唐末]--------------------------「懷ごときに割ける土地はないぞ」「しかし、かりにも彼は陛下の舅ですぞ」「時勢を考えろ、一兵・一銭でも欲しいという時に、あいつは、前のうすら馬鹿のほうがましだったな」うすら馬鹿とは僖宗皇帝のことである。「朝廷の威光が通る方鎭なんていくらもないのだぞ」観軍容使楊復恭(宦官)はあきれてしまっている。京師の貴族どもは現実がまるでわかっていない。そして今の昭宗もだ。傀儡が皇帝のつもりでいる。唐の威光は京師近辺の山間十数州にしか及ばない。ただひたすら禁軍を再建しようとしている復恭にとって穀潰しの貴族が、皇帝の義父であるというだけで節度使を要求してくる事など信じられなかった。「帝の強いご意向です」「わかったわかったあの黔中節度使にでもしてや...時代錯誤[宦官が支える唐末]

  • 功臣 [李泌、德宗の猜疑を諫める]

    功臣[李泌、德宗の猜疑を諫める]--------------------------貞元三年六月、德宗はついに念願であった陝虢観察使李泌を宰相に任用することになった。そして泌は李晟・馬燧・柳渾とともに入見した。德宗は泌に「肅宗より歴代の皇帝は、卿が宰相にふさわしいと思っていた。朕は今やっと任用することができた。そこで卿が仇と思うもの、恩を返したいと思うものを朕が処置してやろう」泌は「李輔國や元載など仇はすでに誅されました。恩ある者達はすでに栄達しているか零落しています。もう報いようもありません」「それでも少しは報いたいと思うものもいるだろう」「それより臣は陛下にお願いがございます」「されは何かな?」「陛下が功臣を疑い排斥されませんように。李晟・馬燧達は国家に大功があります。しかし誣告・讒言をするものは常に...功臣[李泌、德宗の猜疑を諫める]

  • 視膳問安 [皇太子の役割]

    皇太子の役割とは[視膳問安]--------------------------貞元の末、徳宗皇帝は老い、人事は停滞し姑息な政策が続いていた。現状に飽き足らない少壮官僚達は皇太子[順宗]の周囲に集まり議論を重ねていた。「特に宮市の件は深刻です、宦官どもの押し買いに民の不満は大きいのです」「殿下、殿下から直接陛下に申し上げていただけませんか」「そうだな、民の切実な願いだからな」と太子「よろしくお願い致します、さすがは殿下だ」と若手官僚達が喜ぶ。しかし待詔の王叔文だけはずっと沈黙していた。やがて官僚達は下がっていった。太子はいつもは多弁な叔文が黙っているのが気になっていた。「おまえはこのことに反対なのか」叔文は答えた「宮市の件に異論があるのではございません」「太子が陛下に建言されるのを危ぶんでいるのです」「太...視膳問安[皇太子の役割]

  • 和解 [魚朝恩と郭子儀]

    和解[魚朝恩と郭子儀]--------------------------唐朝の主力軍を握る郭子儀と、親衛軍を握る宦官の魚朝恩、宰相の元載は互いに牽制し対立関係にあった。代宗皇帝は対立させ、しかも破綻させないという困難なバランスを保つ必要があった。大暦四年正月、郭子儀が河中より入朝してきた。そこで代宗は朝恩に歓迎の宴を催させることにした。「朝恩など信用できるものですか、お行きになるのは・・・どうかと思いますが」「どうしても行かれるならば、少なくとも精鋭200騎はお連れください、そして予備として・・・騎を即応で待機させます」子儀の屋敷では家臣達が口々に諫めていた。宰相元載は二者の結託を懼れ、「朝恩が子儀を謀殺しようとしている」という噂を広く流させていたのである。しかし子儀は「皇帝の命がないのに私を殺そうとす...和解[魚朝恩と郭子儀]

  • 破約 [吐蕃の背信]

    破約[吐蕃の背信]--------------------------貞元三年閏五月辛未朝廷に德宗皇帝と武臣宰相李晟・馬燧と宰相張延賞・柳渾が朝していました。この日は長らく侵攻を続けてきた吐蕃宰相尚結贊と副元帥侍中渾瑊が、平涼で會盟し和約を結ぶ予定の日でした。德宗が「今日で戦役が終わる、平和が来る、めでたいことだ」と笑顔を示した。会盟支持派の燧「まことに」と応じ、延賞も同じた。しかし反対派の渾は「吐蕃は信用出来ない蕃族です。なにごとも起きなければいいと心配しています」と洩らした。晟もまたそれに同じた。血相を変えた德宗が「書生の渾になにがわかる。晟まで同調しおって」と激怒し、早々に朝は終了した。夕刻、邠寧節度使韓游瓌から急報が入った。「吐蕃は盟約を破り、渾瑊の行方はわかりません。將士の大半は死んだもようです...破約[吐蕃の背信]

  • 入貢 [李泌と浙江節度使韓滉]

    入貢[李泌と浙江節度使韓滉]--------------------------興元元年の十一月德宗皇帝は李晟の働きで反していた朱泚を伐ち、なんとか京師を回復したが、まだまだ淮西吳少誠・河中李懷光反しており情勢は不安定だった。そして德宗の動揺と不安に乗じて諌官達による誣告・中傷が頻発した。「浙江東西節度使韓滉は兵を集め石頭城を修築しています。これは極めて怪しい動きです」韓滉は斜陽の唐朝に多量の浙江の米穀を送ってくれた忠臣であったが「淮南の陳少游は裏切っている、浙江の韓滉までが裏切れば財政破綻だ、反乱鎮圧どころではない」と全てに疑心暗鬼になった德宗には心に突き刺さるものがあった。親任厚い謀臣の左散騎常侍李泌は「どうして貢献を続けている滉殿を疑うのですか、浙江を賊から守っているのは彼の力です。石頭城修築も治安...入貢[李泌と浙江節度使韓滉]

  • 復讐 [専殺は不可]

    復讐[専殺は不可]--------------------------「ならんと言われるのか!!」河東節度使李載義は怒りに震えて喚いた。三年前の太和五年正月、幽州節度使であった載義は、信用していた後院副兵馬使楊志誠の突然の裏切りによって逐われた。それだけならよくあることである。しかし志誠は載義の妻を犯し、部下やその家族を虐殺したのであった。京師に逃げた載義は、朝廷にはそれまで忠義を尽くしていたので山西節度使として拾われ、その後河東節度使へ転任してきた。自立した志誠は朝廷に対して不遜な態度を示していたが、今。志誠もまた軍乱に逐われて京師へ逃亡して来るという。載義はその途次を襲い怨みをはらそうとしていたのだ。「志誠は不忠とはいえ朝臣です。法の裁きがなければ殺してはなりません」と使者が言う。「きゃつがしたことへ...復讐[専殺は不可]

  • 切り捨て [宋申錫と文宗皇帝]

    切り捨て[宋申錫と文宗皇帝]--------------------------太和五年二月、神策都虞候豆盧著は左神策軍中尉王守澄[宦官]に、宰相宋申錫が文宗皇帝の弟漳王湊を奉じ、即位させようとしていると告発した。実は文宗が宋申錫と謀議して、宦官達の勢力を削り、特に王守澄を除こうとしたことへの先制攻撃であった。謀議は京兆尹王璠が守澄に寝返ったことからバレていたのだ。宦官達は謀臣鄭注の案に従い、直接文宗は攻撃せずに、申錫の罪として作り上げたのだ。守澄はなにもかも知った上で「我々があなたを立てたように、申錫は漳王を立てようとしているのです」と詰め寄ると。若い文宗はたちまち動揺し「朕はなにも知らぬ、申錫はなにを考えているのか」としらをきった。守澄はただちに神策軍を派遣し申錫一族を誅殺してしまおうとした。ところが...切り捨て[宋申錫と文宗皇帝]

  • 復位    [崔胤のクーデーター]

    復位[崔胤のクーデーター]--------------------------「くそ!おもしろくもねえ」「宦官どもが正統な帝を幽閉するなんて許せるのか!!」場末の飲み屋で左神策指揮使の孫徳昭が今夜も喚いていた。時は光化の末、唐朝もすっかり衰えて京師付近にしか勢力が及ばない。それでも昔の余光のおかげで地方の節度使からの献納はまだまだ馬鹿にならない。政府が混乱しているのに乗じて、徳昭も甘い汁をすこしは吸ってきた。「多少の余得がないと、兵隊業なんてバカバカしくてやってられねえ」もともとは鹽州地方からの出稼兵ぎである徳昭は禁軍の將の誇りや、忠義心などはさらさらないのだ。ところが先頃、宦官劉季述達が酒乱の昭宗皇帝を幽閉し、太子を立てて政権を握った。それだけなら、徳昭達にはどうでもいいのだが、一味の宦官王仲先が規律を...復位  [崔胤のクーデーター]

  • 殿上の食事    [張韶の乱]

    殿上の食事[張韶の乱]--------------------------「お前と俺は殿上で食事をすることになっているんだ」「よせやい、俺はしがない職工だぜ、お前もただの占い師じゃないか」「いや、本当の話だ。俺の占いがよくあたるってことは知っているだろう」長安の下町の一隅で、卜者蘇源明と染坊供人張韶の会話である。当時若い敬宗皇帝は、ポロや狩猟だと騒ぎ、政務など放り出し遊び回っていた。その馬鹿さ加減は長安中に広まっていた。「殿上での食事といゃあ、まるで皇帝様じゃねいか」「あんなうすのろ馬鹿に皇帝が勤まる時代だ」「そういえば韶はちょっとした男だしな」「韶が皇帝になるんじゃないのか」と染工仲間や無頼達は無責任に騒いだ。「いっちょう、世間を騒がしてやろうじやないか」「韶が皇帝なら、俺たちも貴族ぐらいになれるんだ」...殿上の食事  [張韶の乱]

  • 牽制 [宦官達と昭義節度使劉従諫]

    牽制[宦官達と昭義節度使劉従諫]--------------------------李訓が宦官幹部を除こうとした甘露の変で、宦官仇士良達は事件の責任がない王涯等を含め宰相五人をすべて殺害した。その後も麾下の禁軍を暴れ回らせ出動させ、文宗皇帝や官僚達を威嚇し専権を極めた。新任の宰相李石・鄭覃らは武力をもたず制することができなかった。開成元年三月、昭義軍節度使劉従諫は使者を送り文宗に問うた「甘露の変に李訓等は責任があると聞いております。しかし王涯ら三相に罪ありとは聞いておりません。涯らがなぜ誅されたのか罪名をお伺いしたい」従諫は王涯と親しく、恩義を感じていたため、その殺害に憤っていたのだ。士良ら宦官達は日頃の威勢はどこへやら、まずいことになったと顔を見合わせていた。「従諫は近隣の諸鎮とともに入朝して直接お伺い...牽制[宦官達と昭義節度使劉従諫]

  • 醜貌 [盧杞を懼れる郭子儀]

    醜貌[盧杞を懼れる郭子儀]--------------------------盧杞は宰相懐慎の孫、安史の乱の忠臣である奕の子である。すこぶる有能であり德宗に認められ将来の宰相と目されていた。建中年間のある日、杞は帝命をうけ病気の郭子儀を見舞った。「杞が来る、準備はできておるか」「はっ、殿様。料理も舞姫達も・・・万全です」「女はすべて去らせよ、一人とて出してはならぬ」「杞様は、女嫌いなのですか」「バカな、あの顔をみて、もしも女達がクスリとでも笑ったらどうなる」「奴は恐ろしく執念深く、誇り高いのだ」「恥をかかされたと思ったら、徹底的に我家に仇をなすだろう」「次代の宰相は奴なのだ。禍は避けなければならん」杞の容貌は青鬼のようであり、服装はだらしないので有名であった。子儀はただ独り、杞の来訪を受けた。******...醜貌[盧杞を懼れる郭子儀]

  • 郭琪の乱 [田令孜と陳敬瑄]

    郭琪の乱[田令孜と陳敬瑄]--------------------------黄巣が京師を陥し、宦官田令孜は傀儡の僖宗皇帝を奉じて西川節度使の使府成都に亡命してきました。令孜の兄敬瑄が節度使となっていたのです。やがて成都に四方より貢献が集まるようになると、令孜は率いてきた親軍に惜しみなくばらまいていきましたが、地元軍にはあまり与えず、そのため地元軍は不満をつのらせていました。中和元年七月令孜は地元の有力者・軍人を集めて宴会を開き、諸将に盃を与えましたが、黄頭軍使郭琪だけが受けず「賞賜は偏っています。親軍・地元軍平等に与えてください」と要求した。ムッとした令孜は「お前になんの軍功があるのか」と問うと、琪は「黨項と十七戰,契丹と十餘戰,吐谷渾との戦いでは重傷を負いました」と答えた。令孜は面倒な奴だとみて別置し...郭琪の乱[田令孜と陳敬瑄]

  • 愚帝 [敬宗の愚行と宰相李逢吉]

    愚帝[敬宗皇帝の愚行と宦官]--------------------------宮城の門横の金雞の下には大赦を受けた囚人達が並んでいます。寶暦元年の正月のことです。囚人達は最後にここで晒し者にされ、その後釈放されるのです。前県令の崔發も並ばされていました。その時、「ここにいやがったぞ」「こいつか發は」「ぶっ殺してしまえ」50人もの宦官達が手に手に棒を持って集まってきました。發は県令として、百姓に暴力を振るっていた宦官を捕らえただけだけです。多少行き過ぎはあったとはいえ、不法なのは宦官のほうでした。ところが敬宗皇帝は宦官達の告発を受けていきなり發を獄にぶちこんだのだのです。幸い、大赦があり赦されることになったのですが。「やっちまえ・・・」、宦官達は次々と發を殴打し、歯が折れ頭から血が噴き出した。獄吏があわて...愚帝[敬宗の愚行と宰相李逢吉]

  • 取りなし [武人李忠臣が辛京杲の刑死を救う]

    取りなし[武人李忠臣が辛京杲の刑死を救う]--------------------------河東節度使辛雲京の従弟京杲は勇敢で軍功があり湖南観察使となっていました。しかし強暴で貪欲であり、しばしば現地の豪族ともめて争乱を起こしていました。湖南は統治困難な地域なので代宗皇帝はおおめにみていましたが、京杲は贈賄・収賄を重ね、私的に部下を殺害する事件も起こしていました。即位した德宗皇帝は目に余るとして死刑に処するつもりでいました。建中元年のある朝、武将出身で宰相格の李忠臣が特に拝謁を求めてきました。皇帝は忠臣が雲京と親しいことを知っていたので、さては助命を嘆願しにきたなと察していましたが、代宗時代の姑息さを引き締める方針を堅持しているのではねつけるつもりでした。しかし忠臣はいかにも武臣らしく訥々と話し続け、い...取りなし[武人李忠臣が辛京杲の刑死を救う]

  • 酒法 [李景略の厳酷と任迪簡の寛容]

    酒法[李景略の厳酷と任迪簡の寛容]--------------------------酒がめぐり座はにぎやかになっていった。辺境の豐州天徳軍防禦使の幕僚や將が集う宴会です。厳酷で知られる軍使李景略も今日は機嫌は良いようでした。「酒が切れたぞ」と景略の傍らの判官任迪簡がよぶと、係はあわてて新しい酒壷をもってきました。迪簡は自分でなみなみと注ぐと一気に飲もうとしました。「ウッ!」、ところが中身は酒ではなく醤醢(醤油の原型)であったのです。「どうした」と景略がこちらを振り向きました。「いやなんでもありません、急いで飲んだのでむせてしまいました」迪簡はがまんしてなんとか杯を飲み干しました。この宴会は軍法によって行われています、間違って醤醢を出したことなどがわかったら、係はすぐさま景略に殺されてしまうのです。それが...酒法[李景略の厳酷と任迪簡の寛容]

  • 白紙の手紙    [宰相元載の権勢]

    白紙の手紙[宰相元載の権勢]--------------------------元某は元載の家臣ではなく一族の端くれでした。故郷の財産を売り払い京師の元載の屋敷に寄宿し、官吏に登用してもらおうと雑事を引き受けていたのである。しかし十年以上もたったが登用はなく、持ってきた金も尽きようとしていていました。某は載の子伯和に泣きつきました。伯和は若い頃から知る某の窮状に同情し「某になにか官職を与えてやってはくれませんか」と父に働きかけました。「あいつは余りに無能だからな、職につけてもやっていけないぞ」と載。「もう私財も尽きて、故郷にも戻る金もないと嘆いています」と伯和。「わかったなんとかしてやろう」と載。数日後、載は某を呼び出し、親書を持たせて幽州節度使に使いを命じました。「どのような御用事ですか」と某「お前は知...白紙の手紙  [宰相元載の権勢]

  • 笑う宰相      [宦官魚朝恩の驕慢と宰相元載]

    笑う宰相[宦官魚朝恩の驕慢と宰相元載]--------------------------大暦年間、観軍容使として禁軍を握っていた宦官魚朝恩は、代宗皇帝を圧迫し専権を極めていた。宦官であるにもかかわらず多少の学才があることが自慢の彼は、おのれを誇示したくてたまらなかった。そこで皇帝に強要して、先例を無視して唯一の国立大学(日本でなら東大)である国子監を監督する地位についた。それのみならず「今度国子監で四書の講義をする」「聴講したいものは全員集まれ」と布告した。官僚達は宦官ごときの講義など受けたくもないが、行かないとどのような害をうけるかわからないのでこぞって出席した。講堂の満員盛況をみて朝恩は満悦であった。朝恩の単調な講義が始ると、居眠りや私語が続出してきた。それとみとった朝恩は時政の話題に切り替えた。途...笑う宰相   [宦官魚朝恩の驕慢と宰相元載]

  • 夫婦げんか      [不安定な代宗皇帝の地位と郭子儀]

    夫婦げんか[不安定な代宗皇帝の地位と郭子儀]--------------------------代宗皇帝の娘昇平公主は、功臣である副元帥郭子儀の子曖に降嫁していました。大暦二年のある日、曖と公主は夫婦げんかをし、公主は自分が皇帝の娘であることで曖を貶めようとしました。激高した曖は「お前の父が皇帝だと、それは俺の親父の力のおかげなんだ、親父はなるつもりなら皇帝にだってなれるんだぞ」と言い放ちました。公主は怒って家を出て皇居に走り、代宗にその暴言を訴えました。ところが代宗は「お前はなにもわかっていない、子儀が欲すれば皇帝にだってなれる。そうなったらどうする」と叱りつけ追い返しました。驚いた子儀は恐懼し、曖を捕らえて謹慎させ、自ら入朝して代宗に謝罪しました。代宗は「ただの痴話喧嘩だ、あなたが気にすることは無い」...夫婦げんか   [不安定な代宗皇帝の地位と郭子儀]

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    宦官伝を中断しています。当面、初期の頃に書いた史話シリーズをリライトし背景を付け加えたものを記載していきます。通知

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