長年暮らした東京を離れ、生まれた街・山口県萩市に移住してセミリタイア中です。当ブログを開設した当時は、セミリタイアも地方移住も「計画中」だったのですが、すでに現実のものとなっています。少しずつ自分に起こったり感じる変化を綴っていきます。
考え方なんて、そのときの状況や精神状態で、どんどん変わっていくものなのですよ。「これからどうすんの?」なんて問われても、答えなどあるわけないのです。ただ、セミリタイアすると仕事と娯楽と余暇が等価になります。好きなように選べるのです。
ふだん、調子の悪さは意識しがちですが、良いときってなかなか気にしませんよね。日常的に繰り返していることの感じ方によって、調子の良し悪しに気付くことがあります。習慣を持つことって、自分の中にものさしを作るようなものだと思うんですよね。
「失ったもの」と言いましょうか「必要のなくなったもの」と言いましょうかね。こうしてブログネタを探し回っていなかったら、失ったことにすら気づかなかったと思います。セミリタイアしてから、一度も「競争」というものを意識していないのです。
前にも書いたような気がしますが、思ったことや感じたことをちゃんと文字にして残すのって大切なことなんだなあと、あらためて感じてます。記憶や印象って時間の経過とともに変わるんですよね。それを上手く補正してくれるのが文章の力だと思うのです。
寝る・食う・動く。自分じゃどうにもならないのが「寝る」だよね
今月二度目の、夜中に目が覚めて眠れなくなった朝を迎えています。なんだか気分がよくありません。ずっと「寝る・食う・動く、ものすごく大切だよ」って、言い続けてきてるのですが、「寝る」だけは、自分じゃどうにもならないことがありますよね。
どういうわけだか、萩で暮らすようになってから痩せてきています。ウエストサイズが落ちてきているのですよ。「田舎暮らしはストレスも減って、身体にいい影響がありますよ」と言いたいところなのですが、そう素直に受け入れられない自分もいるのです。
やっかいだなあと感じる人に「他人の言葉を、都合よく解釈する人」がいます。いちばん最初の場面で「あなたの勘違いだ」とピシッと正せばいいのでしょうが、どうしても「なに言ってるんだよぉ」くらいの感じで軽くあしらおうとしがちなんですよね。
今は夕食と一緒にお酒を飲むのが習慣になっていますが、以前は違ったのです。夕食のあとに再び仕事に向かうクセがついていたので、お酒は寝る前に飲むことにしていました。今さらながら、これが長時間労働を習慣化させる入口だったように思うのです。
ずっと走りつづてけいた職業人時代には、キツくて早く立ち止まりたかったんですけどね。いざ止まってセミリタイアしてみると「あれ? 走ってたから達成感を得られてたのか」と気づいたりするのです。たぶん、人生ずっとこんな感じなのでしょうね。
前例主義って、悪口として使われることが多いですよね。自分の頭で考えることを放棄してるふうな、ね。でも、前例に背中を押されて行動しはじめるなんてこともあるんですよね…。他人を説得するときにも有効だったりね。なかなかやっかいなのです。
萩市に移住してきて、はじめての選挙が今日あります。投票所はうちから1キロ離れたところ。ちょっと遠いですね。朝ラン中に挨拶してくれる子どもたちが毎日通ってる小学校なんですよね。僕も「散歩がてら、歩いて行ってみるか」と思っています。
こないだ葬儀に参列して思ったことが「革靴もメタルバンドの時計も、萩に住んで初めてだ」でした。東京時代には、服装はカジュアルでも小物はちゃんとしてたんですけどね。無職のせいか田舎で暮らしてるせいか…。この気が抜けてる感じがいいのです。
昔から「ご趣味は?」という問いが苦手です。そもそも「趣味って、どんなものを指すんだっけ?」という時点でバグってしまうのです。好きでやってることならば、いっぱいあるんですけどね。その場で「趣味」として俎上に上げるかどうかは別なのです。
手書きで計算したりフリーハンドの図を書くことが増えています。以前から多少は気づいていたのですが「手書き力」って衰えますよね。漢字がちゃんと書けなかったり、平行線が重なっちゃったり…。たまには手書きをして感覚を取り戻すのもいいですよ。
無職になっても、職業人時代と変わらない生活リズムだなあ、と感じています。もともとが自宅で過ごすワークスタイルでしたから無理もないんですけどね。「これがいちばん楽でいいんだよね」とも思えば「マンネリでしっくり来ないな」とも思うのです。
ここのところ資格の取得に目標を置いて知識を仕入れたり、関心の持ちどころを整理していますが、「資格不要論」って言葉に出会うことが増えてきましたね。僕も職業人時代は、不要っていうよりも無関心でしたかね。そのへんについて考えてみました。
しばらく睡眠が上手くいってたのですが、たまたま今日は5時間で目が覚めてしまいました。二度寝しようとしても寝られず、なかなかつらいです。頭がボーッとして、まとまったことを考えられないので、思いついたことを適当にメモることにします。
1日のうちのデジタル時間を減らして、ノンデジタル時間(=アナログ時間)を増やすと、少し快適さが増すような気がしています。今までモニタ前で過ごす時間が長すぎたんです。単純に本の良さを再認識したからだということも影響してるんですけどね。
ほぼ1日中、本を読みながら過ごしています。途中で気になることをググりはじめて、長時間PC前で過ごしちゃうことも多いんですけどね。僕は過去に手持ちの本をすべて捨てています。また書い始めたのですが、以前とずいぶん嗜好が変わっています。
考えていることを「言う」よりも「書く」という形でアウトプットすることが多くなっています。毎朝ブログを書いているからだし、コロナ禍で人と会話をする機会が減っているからです。思考する内容にも、少なからず影響あるような気がするんですよね。
いまさらながら、損得関係なく知識というものはそれだけで素晴らしいものなんだなあ、と思っています。職業人時代は、知識を得る/得ないを「役に立つ」かどうかで判断していました。肩肘張ってたのでしょうけれども、思い出すと恥ずかしいものです。
いまの僕がやってることって、行き当りばったりで気が向いたところに、点(=ドット)を打っていってるようなものなんですよね。そのうち点を結んで、線になるときがやってくるんじゃないかと思っています。でも、なんの計画性もないんですけどね。
当たり前だと思っていたことが、いつの間にかそうじゃなくなってるし、「変わったな」と感じたことが、まだまだ変化の始まりの段階に過ぎなかったりして、視覚的なものも習慣や生活スタイルも含めて、景色ってずっと変わり続けるものなんですよね。
「暇」に対する感覚って、人によってぜんぜん違うものなんだなと感じています。僕は苦労を重ねて、せっかく作った「大切な」「邪魔されたくない」ものだという認識なのですが、「暇な人をほっといちゃいけない」と感じる方もいるようなんですよね。
職業とか業界って思考の幅を狭めてますよね。どうしても専門性を高めるほうに向かいがちですしね。ちょっと風変わりなことを始めると「いったい何になりたいんだ?」なんてことも言われたり…。無職のおっさんになると、こういうのなくなりますよ。
こうして毎朝ブログを書いているのですが、たぶんこのブログにいちばん影響を受けてるのって、僕自身なんですよね。自分が書いた言葉って、わりと頭の中に残るものなのですよ。何を書くかによって、数年後の自分の仕上がりに影響があるはずなのです。
いったん「わかった」と腹落ちしたことでも、時間の経過だったり、繰り返しそのことと向き合うことで、印象だったり理解度だったりがどんどん変わってきますよね。一方で「第一印象は当たってる」とも思うのですが…。そのへんどうなんでしょうね?
人にものを頼むときって、それを「好きそう」にやってる人に頼みたいですよね。嫌そうな人に頼むのって、あまり気分がいいもんじゃありません。自分も「好きそう」にできる何かを持っていないと、人は寄ってきませんし、楽しく暮らせないのですよね。
思いついたことを言ったり書いたりしておくと、そのときは流れていっても、なんとなく頭に残り続けるものなんですよね。そして「書いちゃったんだから、やらなきゃ」という感覚が、自分の背中を押してくれて、本当に行動に至ったりするものなのです。
定形コンテンツ「金融資産の保有状況」の報告です。仮想通貨の価格が急上昇しましたね。数年前のブームのときに試しに30万円分購入、その後暴落してそのまま塩漬けになってた手持ちのイーサリアムが元本を回復しましたので、すべて売却しました。
32回目の運用報告です。昨年末に実施されたGoogleコアアルゴリズムアップデートの影響もすっかり落ち着き、横ばい傾向に戻りました。それでも1日1記事ずつ投稿し続けているので、ゆっくりでいいから右肩上がりになってくれることを願います。
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