長年暮らした東京を離れ、生まれた街・山口県萩市に移住してセミリタイア中です。当ブログを開設した当時は、セミリタイアも地方移住も「計画中」だったのですが、すでに現実のものとなっています。少しずつ自分に起こったり感じる変化を綴っていきます。
「自分がされて嫌なことは、ひとにしない」という考えには賛成できますが「自分がされて嬉しいことを、ひとにしましょう」には、ちょっとした異論があるのです。自分の「好き」を他人に押し付けると、単なる迷惑になってしまうことだってあるのです。
いつ頃からか、大人になってから知り合った方と、タメ口で会話をすることが不得手になっています。たとえ、はるかに年下の方に対してもです。少し水くさく感じている人もおられるようですが、僕にとってはこのくらいの感じが、とても心地いいのです。
ずっと「かまってもらえる」よりも「ほっといてもらえる」の方が快適な人生でした。ただ、今ほど人と交流しなくなると、自分の中のコミュニティ参加欲求の存在に気づくんですよね。もしかするとコロナ明け、行動に変化をもたらしてくれるかな? と。
他人のことを考えて過ごす時間が長かったなと感じています。他人の期待に応えることで報酬をいただいていたので仕方ないんですけどね。でも無職になったいま整理してみると、人生は自分で組み立てるしかないのです。自分モードで行くべきなのです。
過去に自分がしてきた判断の「正しさ」について考えることが増えてきています。たぶんオッサンになったからです。自身に批判的な目を向けることになったとしても、「正しさ」をアップデートしつつ、人生の理念を再構築するフェーズだと思うのです。
しっかりと自分を律したセミリタイア生活を送ってると思います。新型コロナ禍の影響で、行動が制限されてるという事情もあるんですけどね。半分くらいは「いいぞ」と感じ、もう半分は「偶発的な出来事がなくて、なんかつまらないな」と思うのです。
その昔「80歳になってもデザイナーでいたい」なんて言ってたことを思い出しました。結局はやめて、セミリタイア人になってるんですけどね。僕はメタ認知力が高いほうだと思っています。ゆえに力不足に耐えられなくなったのかな? とも思うのです。
無職になった当初「考えることを要求されない」「成果を求められなくて済む」と、清々していたものですが、1年くらい経つと、ちょっとストレスに感じてきますよね。何かを考え続けていたいし、そのためには健康もキープしなきゃな、と思うのです。
このブログを書き始めてから、1,000記事を突破しました。そのわりにはいまいちパッとしませんけどね。まあ「こんな運営をしていたら、こんなもんだな」が判ったのでヨシとしています。これを節目に、なんらかの工夫をしなきゃなとも思うのです。
セミリタイア中なので「セミ」の部分に相当する仕事をしています。週に1日、5分間程度稼働する仕事です。それは、かつて僕に仕事を与えてくれた方々や、一緒に仕事をした仲間たち、環境への「感謝」や「未練」に繋がりを残す1本の細い糸なのです。
暖房器具を買い込む前に、服装による温度調節を試みればよかったな、と思っています。試しに買ったヒートテックとフリースがすこぶる快適なのです。マンション暮らしをしていたときには、「室内温度は空調で調節するもの」と思い込んでいましたからね…。
その昔「社会人たるもの新聞を購読すべし」って言ってくる大人、少なからずいましたよね。今はどうなんでしょうね? 僕は結局、1度も新聞を購読しませんでした。おそらく視野は狭く、偏りもあると思いますが、とくにそれで困ることもないのです。
ここのところ、大きめに怒ったり嫌な気分になったことがないのです。細かいのを拾っていけば、そりゃありますけどね…。仕事から離れたことと田舎で暮らし始めたことがその理由なのだろうと思いますが、このまま上機嫌で暮らしていきたいものです。
「気休め」って、自分に対する甘えだとか、現実逃避だったりしますよね。でもこれを頭ごなしに否定することもできないのです。気休めのおかげで、完全に心が折れる手前で休息を得られたり、進む方向を見直すことができたりする効果もありますからね。
こないだ運転免許を所得するまで、何の資格も持っていませんでした。しかも名刺に肩書を書いていなかったし、どんな機能を有している人間なのかをお伝えしようとしないまま、職業人生活を送っていたのです。無職になった今、ようやく気づきました。
積極的に「オレは運がいい」と言うことにしています。自分で「運がいい」と思える準備をしていないと、決して運は良くならないと思うからです。運とは、動いたり、考えたりしながら、いろんな要素を寄せ集めて組み立てるものだと考えているのです。
寒くて何をするにも億劫な季節のせいもありますが、生活のパターンが固定化しちゃってるんですよ。そもそも波風の立たない暮らしを求めてセミリタイアしたので、それで構わないんですけどね。でも「ちょっとは変化を作ってみたいな」とも思うのです。
断捨離って、決して「始めたよ」「終わったよ」で済むことじゃなさそうですね。ものを減らしたり増やしたりを繰り返しながら、自分自身や環境の変化と向き合いつつ、暮らしをフィットさせる作業を延々と継続していくことのような気がしているのです。
ランニング中に、家の中では決して思いもつかないようなことを考えていることがあります。たいてい家に着くと忘れちゃうんですけどね。たぶんランナーズハイの効果で、頭の中のしくみが変わってるんでしょうね。この高揚感が暮らしに必要なのです。
ものを作る人って、定期的にオリジナル論にハマりますよね。できあがるものすべてが既視感のあるものばかりで「自分のオリジナルっていったいなんなんだ?」と苦悩するのです。無職になったいまでも考え続けてますよ、少しは楽になりましたけどね。
無職になったからなのか? それともそういう年齢だからなのか? いろいろと自分自身に変化が起こりつつあることに気づいています。ポジティブ・ネガティブ、両面ありますが、どちらにせよ「もう職業人には、戻れないよなあ」という気がしています。
寒い。東京のマンションで暮らしていたときには、ほとんど外気温を気にしたことがなかったのですが、萩の古い戸建てに住み始めてからは、ほぼ毎日気温をチェックしています。家の構造の違いが、ここまで快適さに影響するのかと、少々驚いています。
長らくフリーランスで働いていたせいなのか、自分の中の「飽き」に気づく能力に長けています。楽しく仕事に向き合って、自分を飽きさせないことが、独りで仕事を進める上で重要だったからです。そして、無職になった今でもその感覚は活きているのです。
自分が年を取るにつれて、自分が属するコミュニティも年齢が上がってきますよね。「オレは若いヤツとも話が合う」と思っている「若いヤツ」が40代だったりね。人生のどこかで、積極的に環境を撹拌して流動させたほうがいいように思っているのです。
気が進まないときには、動かないほうがいいように思います。ときには「壁を乗り越えよう」みたいな話を書くこともあり、矛盾は承知の上なんですけどね。「悪い予感」は当たることが多いのです。でも「気が進まない」の「気」っていったい何なんでしょ?
面倒くささの背景には必ず人がいるのです。セミリタイア人になってからの大きな変化に「面倒くさいからやりません」と言いやすくなったことがあります。損得や職業上のしがらみから解かれて、他人のことを気にしない暮らしになったからだと思います。
初めてセルフ式のガソリンスタンドを利用することに、ちょっとビビっていました。解説ページをググり巡ってみたり、YouTube動画を見たりしつつ「ほう、こんなものなのか」と把握はしていたのですが、とうとう先日、実際に利用してみました。
「マスク・手洗い・距離の確保」が新しく礼儀の中に加わったような気がしています。考え方はいろいろあれど「私は決して、怪しいものではありません」と周囲に知らせるための行動ですよね。同調圧力なんですけれど、防疫ってそういうもんですよね。
数十年ぶりに「今年やること、集中すべきこと」みたいなものから解放された正月を過ごしています。無職なので当然スケジュールもスカスカです。目標を立てるでもなく、抱負を持つでもなく、なんとなく「生き方の姿勢をどうしよ」などを考えています。
定形コンテンツ「金融資産の保有状況」の報告です。世界株値が安定して上昇中なので、心おだやかに過ごせますね。日経平均が30年ぶりに2万7千円台になりましたね。僕は、ほとんどを世界株式に投じていますので、さほど影響はありませんでした。
30回目の運用報告です。12月4日から実施されたGoogleコアアルゴリズムアップデートが、当ブログにとって好ましい方向に影響しているようです。いろんなワードの検索順位が1位もしくはひと桁を回復し、検索エンジン経由の来訪が増加中です。
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