皿尾城の空の下
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皿尾城の空の下さん
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皿尾城の空の下
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皿尾城の空の下さんのブログ記事

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  • 長野 白山姫神社と火の祟り

    行田市長野の白山古墳は埼玉古墳群の北端に位置する直径約50m、高さ5.7mの円墳で、墳丘の一部に白山姫神社が鎮座する。教育委員会の解説文によれば7世紀前半としては卓越した規模の円墳で埼玉古墳群の最高首長墓の変遷と古墳群の終焉を考える上で非常に貴重な古墳と考えられている。実際に足を運んでみると、白山姫神社の東側には緑泥片岩が露出している。ちょうど埼玉と長野の境となるところで、周辺の田んぼにポツンと起立したような古墳だ。字名も白山姫神社からついたという。埼玉古墳群の稲荷山付近から見て北方300mほどの場所であるが、狭い村道が入り組んでいて知らない人だとなかなかわかりづらい。集会所の前には石鳥居が建っており、白山姫神社の中には頭に白蛇をまいた弁天様が納められているという。江戸初期に流行した「白山信仰」によって修験道た...長野白山姫神社と火の祟り

  • 戦艦「三笠」③~日露戦争の経過

    ロシアは満州に駐留した軍隊を撤退させるどころか、旅順、大連の防備を固め朝鮮半島に対する野望をあらわにしてきました。朝鮮半島は日本の安全保障上最重要地帯であり、ロシアに対し満州での権益を認めるとして粘り強く交渉しましたが、極めて不誠実な回答を繰返しさらに兵力を増強したことから、日本は明治三十七年(1904)ロシアとの国交断絶を通告し、日露戦争が勃発します。日露戦争に勝利するためには日本海周辺の制海権を確保し、満州で戦う陸軍への補給物資を安全に確保することが肝要で、そのため旅順方面のロシア太平洋艦隊を先制攻撃する必要がありました。仁川冲海戦ではロシア旅順艦隊に大きな被害を与える一方、緒戦における旅順口閉塞作戦では、ロシア艦隊の航路を断つことに失敗します。同年8月10日旅順口から出撃してきた旅順艦隊を確認した連合艦隊...戦艦「三笠」③~日露戦争の経過

  • 真榊とヒサカキ

    木に神と書いて「さかき」と読む。古くから神事に用いられた植物で、神棚に捧げられたり、玉串にも用いられる。榊の語源は神と人との境であることから「境木」の意味から発生したという。また常緑樹である栄える木「繁木(さかき)」ともいわれている。深い緑が美しい広葉樹だ。ところで榊は関東以西の比較的温暖な地域で生育するため、東北など榊が育たない地域においては類似種のヒサカキを用いる。榊に似ているが、「榊に非ず」との意味合いから「非榊」あるいは葉ぶりの小さいことから「姫榊」と呼ばれる。本来は「柃(ひさかき)」と書くそうだ。それぞれ区別するために、本来のサカキを「本榊」「真榊」と呼ぶところも多い。見分け方は葉が大きく葉の縁が滑らかなのが「真榊」で葉が小ぶりで縁がギザギザしているのが「非榊」。一般的に花屋やスーパーで店頭販売されて...真榊とヒサカキ

  • 戦艦「三笠」②~当時の世界状況をよむ

    18世紀後半の産業革命以降、商工業が急速に発展し安い原料を確保するとともに大量に生産した製品を輸出する市場を求めて、欧米諸国は次々とアフリカ、アジア方面に進出するようになった。また科学技術の進歩に伴い軍事兵器が発達したことにより、欧米諸国は産業の振興に遭わせて強力な軍事力を保持し「列強」と呼ばれる世界の強国として知られていくようになる。列強に対抗する力を持たないアフリカ、アジア、アラブ諸国は強大なこれらの国々の前に服従するしかなく、次々とその支配下に入れられてしまう。19世紀になると英、仏、蘭などの列強の国々は東南アジアにその矛先を向け、ベトナム、カンボジア、インドネシアなどを支配するとともに、アヘン戦争に敗れた清国から租借地を獲得する。またロシアは義和団の乱に乗じて満州を占拠し、朝鮮半島にも手を伸ばし南方への...戦艦「三笠」②~当時の世界状況をよむ

  • 戦艦「三笠」①~世界三大記念艦として

    戦艦「三笠」は明治三十五年(1902)イギリスのヴィカーッス造船所にて建造されています。日露戦争における日本海海戦ではロシアバルチック艦隊を対馬沖で迎え討ち、東郷平八郎司令長官の連合艦隊旗艦として常に先頭に立ち、海戦史上例を見ない圧倒的勝利を導いた銘艦です。日露戦争後、佐世保に入港した際、火薬庫の爆発により沈没したものの、引き揚げられ現場復帰し、海上防衛警備の任務を全うします。大正十二年(1923)現役を退き、廃艦になることが決まりましたが、ワシントン軍縮会議において記念艦となることが認められ、大正十五年に横須賀の地に保存されました。昭和二十年(1945)太平洋戦争に敗れて連合国が進駐し連合司令部の命令により「三笠」は艦橋、マスト、大砲、煙突など上部構造物のすべてが撤去され荒廃します。昭和三十年(1955)に至...戦艦「三笠」①~世界三大記念艦として

  • 秋の横須賀研修旅行~忍藩とペリー来航ゆかりの地

    去る9月25日水曜日、行田市民大学同窓会研修バスツアーに参加することができました。現在行田市民大学は開校11期となり、9期生卒業の私も今年から同窓会の一員で、企画研修委員会に属しています。毎年秋に研修旅行を実施しており、今年は「忍藩とペリー来航ゆかりの地横須賀へ」というテーマで企画されました。大型バス1台の募集で、参加者50名。昨年まではバス2台で行っていたそうですが、今年は1台での企画ということで、先着順での参加となりました。残念ながら、私のグループの方も御一人先着に漏れてしまい、グループ全員での参加はかないませんでした。行田総合公園を7時に出発し、目的地横須賀に入ったのは11時です。平日の首都高速は午前中かなり混雑します。大黒PAで最終休憩して、最初の目的地ペリー記念館に到着します。江戸時代の日本は歴史の教...秋の横須賀研修旅行~忍藩とペリー来航ゆかりの地

  • ちはやふる 第二回ぎょうだ郷土かるた大会

    第二回ぎょうだ郷土かるた大会が行田市総合体育館(グリーンアリーナ)で開催されました。昨年から始まった大会で、今年で二回目。市内の小学校から20チームほどが参加していました。締め切り直前で申し込み、小学校で唯一の参加チームとなり、また参加予定の子供の一人がお休みしたため、急遽私も選手として参加することになりました。後援は行田市青少年育成会です。土曜日の総合体育館は行事も目白押しで、朝から少年野球、幼稚園の運動会などたくさんの人が集まっていましたが、こうした文化的イベントも行われています。昨年は2階の会議室で行われましたが、今年は柔道場を用意していただき、畳の上でかるた取りができます。普段畳で過ごすことも少なくなった子供達には貴重な経験です。今日の大会は3人一組の団体戦です。多くのチームが出られるよう、三人のうち一...ちはやふる第二回ぎょうだ郷土かるた大会

  • 武士の世の始まり 平氏、栄える~平忠盛伝②

    殿上人となった忠盛を討とうとする話はやがて忠盛本人の耳に入る。「さてさて厄介なことになったものかな」忠盛は眉をひそめた。「わしが文官ならば、宴会に行かなければ済む。しかしながら武家に生まれながら、闇討ちの噂に怯えて行かぬと知れれば、とんだ臆病者とあざけられるであろう。かといってまともに相手をすれば大騒動になりかねぬ」宴会の日忠盛は少し長めの短刀を無造作に腰に挿して出かけて行った。「今宵わしを襲って痛めつけようとする輩がいると聞く。そ奴が襲ってきたらばこれで相手をいたそう」そういって銀色に光る短刀をこめかみにあて、切れ味を確かめるようにさらりとこめかみの毛をかき撫でたという。待ち伏せていた闇討ちの首謀者はそのさまを見て逆に恐怖におののいたという。やがて紫宸殿(内裏の正殿)の宴会が始まるとその席でも忠盛は短刀を抜き...武士の世の始まり平氏、栄える~平忠盛伝②

  • 武士の世の始まり 平氏、栄える~平忠盛伝①

    武士を意味する『侍』とは「侍ふ(さぶらう)』から出たという。「さぶらう」とは身分の高いひとのそば近くに控えること。その言葉通り、源氏も弊誌も都の貴族=公家にさぶらい、護衛の役を務めた。源氏と平氏は競い合うようにして勢いを伸ばし、はじめは源氏が優勢であった。特に奥州の反乱を鎮めた八幡太郎義家は「天下一の武勇の士」とうたわれた。これに対し平氏はあまり振るわなった。はじめ東国に勢力を伸ばしたものの、平将門の乱によって地盤を失い、その後伊賀、伊勢(三重県)に本拠を移し「伊勢平氏」と呼ばれるようになった。伊勢平氏が中央の貴族に名を知られるようになったのは平清盛の祖父正盛の時。当時の白河法皇の信頼を得て、朝廷のいうことを聞かない八幡太郎義家の次男、源義親を討って武名をあげた。そのころ源氏は義家の後を巡り、一族の争いが起きて...武士の世の始まり平氏、栄える~平忠盛伝①

  • お名前で失礼します

    長引く目眩症の経過診察で壮行会病院へ。午前10時の予約で向かうと、クリニックの受付、各診療室前の待合の椅子は既に沢山のひとで溢れていた。社会保障費、とりわけ医療費の社会的な増加に伴って、近年かかりつけ医の推進が取られているそうで総合病院は二次診察、専門治療へとシフトしたいようだが、地方都市の中核病院となると、駐車場も年ごとに拡張され、病棟も年々増えているのように思う。基本的に、初診でなければ受付も診察券を機械に入れるだけで、当日の受付番号を発券される。また診察、診療が終われば、薬の処方箋も、会計も機械対応になっている。勿論窓口での対応もしているが、極力医療行為以外は機械化しようとしてるのがよくわかる。診察の呼び出しも受付番号の掲示と案内音でされるが、必要に応じて看護士さんが呼び出す場合もある。その際基本的には番...お名前で失礼します

  • 熊谷市 下川上 三島神社伊豆神社合殿

    明治二十二年に池上、下川上、下池守、上池守、皿尾、中里、小敷田の七ゕ村が合併し成立した星宮村は昭和三十年町村合併促進法により、行田市に編入したが、同年十月池上、下川上に分離合併している。七ヶ村合併の際「北斗妙見信仰」(北極星への信仰)に基づき七つの村を北斗七星に見立ててその名がついたとされている。また村内を流れる星川と古宮(神社)の一文字をとったとも考えられている。明治五年下川上の村社となり、字中内出に熊野神社と字御嶽の八坂神社(無各社)を合祀したが、村に病気が流行るなどして拝んだところ、「神様が元の場所から動かないからだ」ということであったため、両社ともそれぞれの廓に戻されたという。明治維新後の合祀政策は地域の軋轢を生み、おらが村の神様をとられてなるものかといった風潮をよんだとされる。特に隣接した村同士、水利...熊谷市下川上三島神社伊豆神社合殿

  • 旧鷲宮町 西大輪神社と雷電社

    関東最古の古社鷲宮神社から県道152号線を東へ2キロほど行くと、幹線道路県道3号線さいたま栗橋線に出る。ここを左に曲がると国道125号線に出て、下総国古河へと向かう。非常に交通量も多く日光街道に次ぐ県東部の主要街道だ。さいたま栗橋線に沿うように湘南新宿ラインJR宇都宮線が南北に走っていて、ここを境に地域が二分されているようだ。古くは大輪村と称し一つの村であったところ、寛永十八年(1641)利根川の河川改修に伴い、東大輪村、西大輪村に分かれたところであるという。風土記稿によれば東大輪村の神社は『八幡社』西大輪村の神社は『鷲明神』であったという。明治四十二年東大輪の八幡神社に、西大輪の鷲明神を合祀し、大輪神社と改称している。但しここ西大輪の鷲神社社殿は『お仮屋』と称して旧地に残されている。しかしながら合祀によって鎮...旧鷲宮町西大輪神社と雷電社

  • 十六夜日記

    昨日は中秋の名月十五夜。生憎月は見れなかったが、翌日の今日は美しい満月が顔を出している。新月から数えて16日目の夜のことを十六夜といふ。月の満ち欠けはおおよそ15日周期で新月から満月へ、そしてまた新月へと繰り返し、15日がほぼ満月となる。特に旧暦の秋にあたる七月、八月、九月の内真ん中にあたる八月を「中秋」と呼び、特に十五夜に美しい月を愛でる風習が広まったという。そもそも農耕暦に際し、豊作への願いと収穫への感謝が祭として広まったという。十五夜に備えるススキは御幣(幣束)の代用で、特に稲穂がそろう時期の前であったことから、稲穂の代わりに魔除けとして供えられたという。「十六夜もまだ更科の郡かな」芭蕉の句にも十六夜が詠まれていて、「昨夜の十五夜は更科で見た、十六夜の今日もまだ去りがたく、更科の郡に留まっていることだ」と...十六夜日記

  • ケチな稲荷とクレームの日

    9月6日は語呂合わせからクレームの日というそうだ。サービス業だけでなく、多くの業種でクレームの対応が問題となっている。過剰な要求か、それとも顧客の正当な主張か、ケースバイケースで、すべての対応をマニュアル化するのは難しい。若いころ務めていた会社でクレームの4大原因というのが示されて、過度に当てはまるかあるいは二つの要素が重なるかといった事例においてクレームが発生しやすいと説いていた。要素としては単純で①お待たせ(顧客の時間を奪う)②間違い(約束を反故にする)③商品が基準以下(期待への裏切り)④感じが悪い(感情的に受け入れられない)の四つであったと覚えている。クレームの意味合いに近いもので『ケチをつける』とも表現する。林先生の解説によれば、ケチとは『怪事』から転じた言葉で縁起が悪い事や不吉の前兆などと云った意味合...ケチな稲荷とクレームの日

  • ある日突然

    一昨日朝目覚めてすぐに足がふらつき階段を下りるのにも苦労するようなめまいに襲われ、それでも軽い風邪だと思い込み、何とか出勤したものの、立っていられないほどの状態で、仕事を早退しました。帰路の途中何度か嘔吐を繰り返し、休み休み帰宅しましたが、自宅で休んだ後も激しい回転性のめまいが続き、慌てて時間外の外来に駆け込みました。途中歩くこともままならず、駐車場に座り込んでしまい、勤務を終えて帰る看護師の方に脈をとってもらい、車いすにのせられました。まさか自分が車いすに乗るとも思わず、苦しさと人の温かさから涙をこらえることもできませんでした。症状について電話で連絡したうえ病院に行きましたが、救急搬送(救急車)優先ですので、1時間以上待つことになりました。季節の変わり目からか、多くの人が体調を崩し、4台の救急車が搬送受け入れ...ある日突然

  • 二百十日と風の盆

    明後日九月一日は立春から数えて二百十日。八朔、二百二十日と共に農家の三大厄日と呼ばれる。季節の移り変わりの目安となる季節点の一つで、台風が来て荒れやすいとされる。「二百十日の嵐除け」として農村部を中心に風神祭を行うとことも多い。大神神社の「風鎮祭」、富山の「おわら風の盆」といった風鎮めの祭りも行われる富山県八尾町の「おわら風の盆」はまさに二百十日の九月一日から三日間行われる北陸の祭りで、大勢の観光客で賑わうという。江戸時代から続く祭でゆったりとした踊りで、踊り手が各町内を練り歩く光景は幻想的とされている。踊り手が皆編笠で顔を隠して踊る様子が特徴で、風情が増すという。漫画『島耕作』の専務編の中で描かれていて、書かれていたのは2007年頃。祭りの様子もさることながら、企業買収に関するテーマで、日韓関係の現在を先取り...二百十日と風の盆

  • 葉月

    葉の落ちる月「葉落月(はおちづき」が転じて「葉月」と呼びます。現代感覚では葉が生い茂る様子を思い浮かべますが、旧暦では七月から秋に入るため、秋真っ盛りだったといいます。近年三重県下では水稲や大豆を害するミナミアオカメムシの発生警報が出されていて、農家の方は駆除に追われているといいます。ミナミアオカメムシはホームベース型の体に台形の頭がついた典型的なカメムシの体系で鮮やかな緑色をしています。幼虫時には暗褐色成長する過程で次第に緑がかるといいます。ミナミアオカメムシは昭和50年代までは九州南部や四国南西部のごく一部にのみ生息し、九州北部以降はよく似た体系のアオクサカメムシが広く分布していて両種は住み分けられると考えられていましたが、平成十九年頃には伊勢平野においてもミナミアオカメムシの発生が確認されています。その後...葉月

  • 応援してくれたらうれしいです

    遠い夢捨てきれずに故郷を捨てた穏やかな春の日差しが揺れる小さな駅別離より悲しみより憧れはつよく寂しさと背中合わせのひとりきりの旅立ち動き始めた汽車の窓辺を流れてゆく景色だけをじっと見ていたサクラ吹雪のサライの空は悲しいほど青く澄んで胸が震えた8月の終わりに近づくとがこの歌が流れてくる。番組の応援メッセージも毎日流れていた。総合司会を務めるアナウンサーの声で番組の歴史や近年の慈善活動の内容が説明されていた。一番耳に残るのは「私も一生懸命頑張りますので、応援してくれたらうれしいです」との締めくくりの部分。善意のご協力をお願いします、と表現されると堅苦しく感じてしまうけれど、応援してくれたらうれしいですと聞くとなんだかそうしたくなる気持ちが生まれてくる。こうした表現方法や番組への賛否はあるかもしれないけれど、何かを応...応援してくれたらうれしいです

  • 加須市 花崎鷲宮神社

    加須市花崎の地名は、古利根川の流れに鼻のように突出している地形に由来するという。「鼻先」から「花崎」へ、更に埼玉県で初めて甲子園を制覇した名門花咲徳栄高校は神社のすぐ先に校舎を構えている。時代と共に地名が美しく進化しているようで非常に興味深い。花崎は『鷲宮神社領書上』にその地名が記され古くから開けた土地と考えられているが、上組、下組に分かれていて、上組には曹洞宗牛頭山法泉寺持ちの八坂社が祀られていた。一方下組には鷲明神として祀られていたが明治の神仏分離によって八坂社は合祀されている。よって本殿の主祭神は天穂日命、武夷鳥命、素戔嗚尊の三柱となっている。更に明治41年には八坂社に関わる仏教色の濃いものは境内で焼かれてしまったという。現在氷川様が末社として大きく本殿裏にお祀りされているのはその名残だろうか。氏子は花崎...加須市花崎鷲宮神社

  • 忍城 大樋跡

    行田市谷郷にある『大樋跡』。市内52か所に及ぶ忍城史跡の中でも一際人の目に付きにくい場所に建っている。行田市総合運動公園前に広がる水田の水路脇にあり、通りにむかって建っておらず、西向きに設置されているためか近くを通ても見過ごしてしまう。谷郷の地名は古く中世には谷村、谷の村と書き、その後「谷之郷」とそばれ江戸期後半になって「谷郷村」と称した。「谷」とは低湿な地の意味で、そこに家々が立ち並んでできたことから谷之郷と呼ばれるようになったという。慶長年間(1596)には一八二五石の米が取れたという文献があるという。戦後団地や新興住宅地が増えたが、現在でも春日神社の北西は緑の田んぼが広がっている。十四代成田顕泰(あきやす)が文明年間(1496-1486)に忍城を築城したと推定されているが、築城に際し農民擁護と新田開発を考...忍城大樋跡

  • 古代蓮の里と行田の田んぼアート

    行田市小針の古代蓮の里を訪れました。目的は田んぼアートの見学です。行田の古代蓮は昭和48年(1973)公共施設建設工事の際、蓮の種子が自然発芽して開花したもので、出土した地層の遺物や木辺から1400年から3000年前のものと推定され、『古代蓮』と呼ばれるようになりました。平成4年から公園の整備が始まり平成13年に『古代蓮会館』が開館しています。高校生の頃この前の道を通ていましたが私が高校を卒業したのは平成3年の三月のことで、当時はまだ何もありませんでした。あったのは現在も稼働しているごみ焼却場『小針クリーンセンター』。田んぼ道を延々と自転車をこぎながら、すれ違う車も少なくわき見をした同級生のM君が植えたばかりの田んぼの中に自転車で転げ落ちたことを昨日のことのように覚えています。高校卒業し三十年近く立ち、新元号を...古代蓮の里と行田の田んぼアート

  • お盆を過ぎて

    梅雨明けが遅かった今年は、お盆が過ぎて一層夏が短かったように感じます。七月の例大祭から、お盆明け各地の夏祭りまでせわしない日々でしたが、台風が過ぎると一気に秋の気配が漂います。明日から小学校は登校日で、夏休みの宿題を出さなければならず、各教科のワーク、読書感想文など終わっているものは持っていくようです。長かった夏休みも終盤を迎え徐々に二学期を迎える準備をしていきます。今ではサマースクールと称して三日間連続して登校日があります。子供にとって40日以上も学校生活を離れてしまえば、生活習慣も崩れてしまい、新学期になじめない子も出てきてしまいがちです。新聞紙上でも連載されていますが、統計として9月初旬の子供の自殺率が顕著に高いということは、それだけ夏休みの子供の環境が子供にとっては様々で、充実した時間や新たな発見、経験...お盆を過ぎて

  • 忍町尋常高等小学校跡

    行田市役所敷地内に立つ忍町尋常高等小学校跡。学校は大正11年(1922)に建てられている。忍城東方の守り、内行田沼を埋め立てた場所だったという。当時あった行田小学校と進修館小学校が合併して31学級1888名の大所帯となりその規模は埼玉県下一であったという。現在の中央小学校の前身で、近代の行田市の教育施設の発祥の地。昭和四十二年に旧行田女子校に移転している。少子化に伴い現在では行田女子高校はなく、また中央小学校も学区編成のため数年後にはその名を変える方向で進んでいる。忍町尋常高等小学校跡

  • One day, One life

    Oneday,Onelife人は皆今日という日を生きてるそれぞれにあるだろう喜びや哀しみ街行く人をただ眺めてたそれぞれが生きてるそれぞれの日々をどこかでOneday,Onelife明日はどんな時もみんなのもとへ焦ることも迷うことも不安なこともきっと大丈夫Oneday,Onelife信じていい一秒の間に起こるドラマ時々は泣いたりするのも自分らしい日々の証Oneday,onelife明日はどんな時もあなたのもとへ悩むことも止まることも逃げることもあると思うけどOneday,Onelife信じていい本当に今思ってる気持ち二度とない一度きりのOnedayそれが重ねってくOneLifeMISIA『Oneday,Onelife』より作詞は大宮エリーさん。本当に多才な人だと思う。今回MISIAとアフリカの絵本を出版している。...Oneday,Onelife

  • オリジナルミルクコーヒー

    一人勝ちだったコンビニが、営業時間と見切り販売の自制から世間で叩かれている。それでもコンビニ無しでは今の社会生活が回らないのも事実で、実際には毎日のようにその商品が入れ替わり立ち代り、消費者の嗜好に沿って選別されている。大手コンビニの定番品になるのは、大変なことだ。ロングセラー商品でも同じことで、昔はあったが今は見かけないものも多い。缶コーヒーの先駆けとなった、UCCオリジナルミルクコーヒー。発売は1969年というから、今年で50周年。懐かしの歴代パッケージの復刻版が販売されている。中学の頃飲んだ記憶がある。甘くて美味しい記憶だ。売られていたのは5代目のパッケージで販売は1993年。自分が大学生2年生の年だ。この年はまれに見る冷夏で、米が不作となり、外国産米が緊急輸入されている。当時レストランで働いていて、店で...オリジナルミルクコーヒー

  • 祭りの後で

    令和元年皿尾久伊豆大雷神社例大祭が七月二十、二十一の二日間に渡って行われました。各地で毎週末夏祭りが賑やかに行われる時期ですが、当所も毎年七月の第三または第四土曜日が花飾りと夜祭、翌日曜日が祭典となっています。本来であれば、神社の由緒の通り二十八、二十九日に行うところでありますが、年によってその前後の週末に合わせて行います。華飾りと言って社殿に装飾の華を飾り、一の鳥居前に風鈴を掛けていきます。その由来についての史料はありませんが、代々続く祭の仕様です。また夜祭には境内に燈篭を奉納します。故老の話によれば戦前の頃には、灯篭の列が隣の上之村雷電神社まで続いていたそうです。燈篭は祭当日境内で装飾されるもののほかに、事前に氏子宅に配り、子供たちが奉納してくれるものがあります。軒数はかなり減っていますが、地元青年会の協力...祭りの後で

  • 板倉町 一峰神社と貝塚

    水と緑の街群馬県板倉町。町内を流れる谷田川沿いには多くの湖沼が見られ、また渡良瀬、利根川の氾濫に備えて「水塚(みつか)」と呼ばれる防災建築の建物が残っている。町の東部、海老瀬地区は渡良瀬遊水地もほど近く、緑に囲まれながらも、東洋大学板倉キャンパスもあり、駅周辺は美しく整備されたニュータウンの様なところ。一方、東洋大学駅から1Kmも離れない場所には縄文時代の貝塚も残っている。歴史的遺構の豊かなところだ。今から7千から8千年前は氷河期が終わり海水の水位が上がったころで、東京湾は茨城県古河市付近まで入り込んでいたと考えられていて、この板倉周辺も、海岸線付近に生活していた縄文人の貝塚が見られる。海老瀬地区の台地の先端に権現沼があり、沼を挟んで北側が離山貝塚、南側が一峰貝塚となっている。権現沼一峰貝塚は一峰神社の境内地と...板倉町一峰神社と貝塚

  • 板倉 高鳥天満宮

    上州板倉智恵付け天神と名高い高鳥天満宮。御祭神は菅原道真公。延喜元年(901年)菅原道真公が九州大宰府に左遷となった時、菅公に長く仕えていた岩下勝之丞が随行を願い出たが許されず、代わりに「これを私だと思って仕えなさい」と自画像を下賜される。勝之丞は泣く泣く随行をあきらめ、その御尊躰画像を本国である出羽の国に持ち帰り、末永く守護したという。文暦元年(1234)勝之丞の後裔岩下勝之進が祖先の恩を感謝しようと画像を伴って京都北野天満宮参拝の折、板倉の地に至り宿を求めると、その晩鳥が飛来してやまないこの地に私を祀りなさいと菅原道真公が枕元に立ったことから、その夢に従ってこの地に天満宮をお祀りしたという。境内地裏の天神の滝。この滝で身を清めた岩下勝之進の夢枕に道真公が立ったことから、天神の滝といい、また夢が叶うとされる「...板倉高鳥天満宮

  • 忍の行田か行田の忍か

    今年は行田市制施行70周年。田んぼアートを始め多くの記念事業が催されているようだが、そもそも昭和24年の市制がしかれるまでは、ここ行田市は忍町と呼ばれていた。忍市ではなく行田市となったのは「忍市」では要するに語呂が悪かったせいであろう。「行田」とは「成田」が転じたものと考えられているが、元は忍町の一字(ひとあざ)に過ぎなかった。足袋でその名を知られるようになると、駅や電燈、郵便局も皆行田と名がついたため、他所の人は当時行田は独立しているものだと思ったらしい。「忍の行田か、行田の忍か武州行田は足袋でもつ」と歌われて、行田の名は次第に定着していった。忍にしても行田にしても、その読み方は珍しく、他所では「いくた」「しのぶ(しのび)」と読む方が一般的のようだ。東京四谷三丁目はかつて四谷忍町と呼ばれていて、家康から忍城へ...忍の行田か行田の忍か

  • 星の降る丘

    MISIA星の降る丘よりどうしてもひとりになりたくて星降る丘に立っていた去年キミと見たペルセウスの流星群hu...こぼれ落ちてくる手を伸ばしたら届きそうなほど鮮やかにひとつひとつひかり放つまぶしく忘れ得ぬ遠き思いこの胸にそっとそっとそっと祈り捧げるアルバム「星空のライブ」の最後に収録されたこの曲が好きです。あまりの高音に初めて聞いたときに驚きました。藍色を茜に染めてく風吹く丘に立っていた強がりなんかじゃなく強くなりたいと願ってhu..溢れ出すばかり本当の愛を抱こういつの日にかもっともっと光り放つ必ず誰よりも熱き思いこの胸にずっとずっとずっと歌い続ける星は朝露へと変わって輝きだす本当の愛を抱こういつの日にかもっともっと光放つ必ず誰よりも熱き思いこの胸にずっとずっとずっと歌い続ける彼女の願いは歌うこと大切な人に大切...星の降る丘

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