chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel

皿尾城の空の下さんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 04/18 全参加数
総合ランキング(IN) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,321サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
歴史ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,538サイト
日本史 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 667サイト
史跡・神社仏閣 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 804サイト
歴史情報 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 104サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 04/18 全参加数
総合ランキング(OUT) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,321サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
歴史ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,538サイト
日本史 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 667サイト
史跡・神社仏閣 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 804サイト
歴史情報 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 104サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 04/18 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,321サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
歴史ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,538サイト
日本史 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 667サイト
史跡・神社仏閣 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 804サイト
歴史情報 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 104サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
  • 令和六年 蓮花根植え付け

    令和六年 蓮花根植え付け

    令和六年の桜の開花は予想から遅れること十日以上、近年では珍しい4月に入ってからとなりました。桜の花頃が蓮の植え時と言います。田んぼの土を用いて境内にて蓮花根を定植しました。今年も行田蓮大使木暮照子先生から蓮根を奉納いただいております。ご主人様の木暮桂先生(生物学博士)から昨年蓮植えの基礎を直接ご指導いただいたことから、今年は神社前の田んぼの泥を用いて自力で蓮植えを行いました。蓮文化研究会のテキストに沿って土の量を計り、手水舎の水を加えて粘土状にします。昨年いただいた元肥と追肥がありますので、鉢の総量に沿って添加します。今年で三年目となりますので、おおよその感覚は身に着いたように思います。桜の咲く頃が蓮の植え時。そう教えていただきました。美しい桜の風景を眺めながら、夏の蓮の美しさをイメージします。皿尾城碑脇...令和六年蓮花根植え付け

  • 鳥居~神域への門~

    鳥居~神域への門~

    地図記号で神社を表すのは「鳥居」とされています。基本的に鳥居のない神社はありません。(浦和の調神社など例外もあります)鳥居は神聖な場所である神域への門であるとされ、神域と俗界を分ける結界に当たるものと考えられます。鳥居の起源は「通り入る」がなまったものとか、古事記の記述によるものとされています。「天の岩戸神話」によれば天照大御神が素戔嗚尊の乱暴により天岩屋戸にお隠れになった際、八百万の神々が鳥を木にとまらせて、鳴かせることにより、岩屋戸からお出ましを願ったことによるものです。鳥居が複数設けられている場合、最も大きい鳥居が神域全体の門として参道の入口にあり「一の鳥居」と呼ばれます。本殿に近づくごと二の鳥居、三の鳥居と数えていきます。鳥居の構造や材質も様々で、神社によって形態が異なりますが、代表的なものは「明...鳥居~神域への門~

  • 桜を待つ気持ち

    桜を待つ気持ち

    勤務地が蓮田になって一年が経ちます。ちょうど桜が蕾の頃でした。西城沼公園の様子を見にきています。毎日のようにこの公園の脇を通りますが、歩く機会はなかなかありません。市役所からほど近く、天気の良い日曜日には多くの市民が集う場所なのでしょう。北埼玉と比べまだクビカアカミキリの被害が少ないようです。もう二週間もすれば色鮮やかな桜色が広がるようです。花咲く時を待つ間、穏やかな日々を過ごします。卒業式を無事に迎えられれるように願っています。桜を待つ気持ち

  • 蓮田市黒浜 久伊豆神社

    蓮田市黒浜 久伊豆神社

    蓮田市黒浜は元荒川左岸に位置する農業区域でその台地上には椿山遺跡や黒浜遺跡など考古学上重要視される遺跡が数多い。特に黒浜貝塚においては縄文海進と呼ばれる時期に現在の東京湾の入り江となった場所で、その貝塚からは「黒浜式土器」と呼ばれる縄文土器が出土し、人々の当時の生活様式が映し出される貴重な遺跡となっている。<時代は下り永禄七年(1564)国府台合戦で北条氏に敗れた太田資正の郎党野口多門はこの地に帰農し住居したことも知られ、室町時代後期には相応の村落が成立していたと考えられている。『神社明細帳』によれば享禄年間(1530年頃)騎西の玉敷神社から勧請されたと伝わる。祭神は大己貴命。宝暦二年(1752)神祇官領卜部兼雄から『久伊豆大明神幣帛』を授かり現在の社殿は天明八年に竣工。昭和五十八年に本殿が市の指定文化財...蓮田市黒浜久伊豆神社

  • 梅ノ木天神

    梅ノ木天神

    川口神社の境内に梅ノ木天神がありました。駅から歩いて神社を探していたところ正面鳥居ではなく北東の鬼門口から入ったところ美しい紅白の梅が咲いていました。目に見えぬ神の心にかよふこそ人の心の誠なりけれ学問の神菅原道真公を祀る天神様に多くの人々が願いをかけにお参りしています。頭を垂れて親の恩社会の恩神明の加護をこの梅に託して感恩の垂れ梅と命名す宮司学ぶということに対して学ぶ環境があることを忘れてはならないと改めて思います。私自身も若いころ学ぶことに対して横柄であったと悔やんでいます。親があって、学び舎があって、神の導きがあってここそ社会の一員として生きている。美しい紅白の梅も植えて育てた人があってこそその花を愛でることができる。感恩の垂れ梅を見ながらそんなことを思っていました。梅ノ木天神

  • 2024/02/19

    2024/02/19

    2024/02/19

  • 川口総鎮守 川口神社

    川口総鎮守 川口神社

    埼玉県川口市は人口60万人を超える東京のベットタウンとして大いに栄えている。政令指定都市を除けば全国2位の人口密集都市である。川口の地名は当地の南を流れる入間川(現荒川)に合流する芝川の河口あたることに由来するとされ、鎌倉室町期には「小河口」と称されていたことが『とはずがたり』や『義経記』から知ることができる。当地は日光御成街道の宿場として栄えたが、中世には鎌倉街道中道、古代には東国と陸奥とを結ぶ「奥大道」として古代から重要な街道であった。当社は明治四十二年川口神社と改称するまで氷川神社と称した。主祭神は素戔嗚尊。天慶年間(九百四十年頃)大宮氷川神社から勧請されたと伝わる。当社は古くからこの区域の鎮守として崇められてきたが、特に江戸期の奉納品に祖の信仰を垣間見ることができる。八代将軍徳川吉宗による享保の改...川口総鎮守川口神社

  • 蓮田市 川島久伊豆神社

    蓮田市 川島久伊豆神社

    蓮田市中央部を貫く元荒川。蓮田駅前通りを真っすぐに走り宮前橋が架かる手前に久伊豆神社が鎮座する。久伊豆信仰は武蔵国内の元荒川沿いに限られた地域性のある神社でここ川島はその特徴をよく表している。昔から比べれば社叢の木々も少なくなったといわれるが、元荒川の水面に移る美しい社叢は神のますところにふさわしい景観を今にも保っている。『風土記稿』によれば「久伊豆社村の鎮守也地蔵院持ち、末社天神荒神稲荷雷電」と記される。現在その地蔵院の姿はない。創建以来この地の作神として信仰され、農業の安全や豊作が祈願されてきたという。蓮田に鎮す久伊豆社は全て昔の水運によってその地その地であがめられ、今に伝わるという。当社は近隣の人々から「盗人宮」と呼ばれてきた歴史があるという。昔川上から追われてきた盗賊が神社の杜に逃げ込んだところ慈...蓮田市川島久伊豆神社

  • 人生の折り返しはいつか

    人生の折り返しはいつか

    今年も気が付くと二月の半ばを迎え、日一日と足早に過ぎてゆく。春を待つ日は長いが、花の便りが届くろには一年の四分の一が終わっているということが常である。一年の折り返しと言えば水無月の大祓になるだろうが、人生の折り返しはいつなのか。人によって異なるのはもちろんだが、若い時は何となく35歳をイメージしていた。そこからすでに15年以上が過ぎてしまったが、人生百年時代と称されるようになって久しいことから、都合よく50歳を折り返しとしても間違えではないかもしれない。と言っても自分自身その折り返しも過ぎている。折り返し地点を過ぎてなおやりたいこともたくさんあって、日々様々なことに取り組もうとしては挫折しての毎日ではあるが、人生をあきらめるには早いとは思う。小さなハンバーガーショップに可能性を見出しマクドナルドを世界的規...人生の折り返しはいつか

  • 分け入っても積る雪

    分け入っても積る雪

    立春過ぎて降る雪は白く、春を待つ日の長さを改めて思わせる。田んぼを覆い尽くす雪は改めて自然の厳しさを教えてくれるのだろう。分け入っても分け入っても白い雪自由律の俳人種田山頭火は青い山をそう読んだそうだ。雪に踏み入ることはなくとも果てしなく続く白銀の世界がここ北武蔵にも広がっている。雪がとければ春も遠くはなかろう分け入っても積る雪

  • 春が待っている

    春が待っている

    市内を歩くと所々梅の花が咲いています。ここは清善寺。大寒を過ぎて立春が近づいています。春を待つ人の心は穏やかで、厳しい寒さを忘れさせます。空の青と花の色が対をなしていっそう際立つようです。こちらは昨日訪れた横浜市緑区の梅の様子です。渋谷から三十分ですが田園都市線沿いの町並みは見る限り美しく、都会の印象を今でも受けます。三十年ぶりに大学のたまプラーザキャンパスまで足を伸ばしました。外観が新しくなっていましたので当時の雰囲気とはまた違った印象ですが、1990年代バブルが終わったあとも団塊ジュニア世代がこぞって大学を目指した頃で多くの大学が埼玉千葉神奈川の東京郊外にキャンパスを増やしていました。子供の数が減るとわかっていたのに大学の数を増やしていたのはなぜなのでしょう。やはり教育の産業化ということだったのでしょ...春が待っている

  • 小寒 末候 雉始雊

    小寒 末候 雉始雊

    今年は暖冬傾向で寒中の厳しさをさほど感じません。先日夕刻に一時小雪が舞うことがありましたが、積もるには至りませんでした。小寒から大寒までの三十日間が『寒の内』と呼ばれ一年で最も寒さの厳しい時に当たります。この時期に出すのが寒中見舞いです。小寒の時季は時に大寒よりも寒く感じられることから「小寒の氷、大寒に解く」ともいわれ転じて物事が必ずしも順序通りにいかないことの喩に使われます。小正月の十五日から四日間の間を雉始雊(きじはじめてなく)と呼ぶそうです。日本の国鳥である雉が鳴き始めるころの時候です。実際に泣き始めるのは弥生を迎える頃で、雄は雌を求めて「ケーン、ケーン」と甲高く鳴き、美しい羽根を「ホロロ」と打ち鳴らします。頼み事やを不愛想に断るさまを『けんもほろろ』と表現しますが、これは雉の鳴き声や様を表したこと...小寒末候雉始雊

  • 新年のご挨拶

    新年のご挨拶

    令和六年甲辰の年頭に当たり皇室の弥栄と皆様方のご健勝を祈念申し上げます。また北陸地方の震災に際し心よりお見舞い申し上げます。元旦に歳旦祭を執り行いました。昨年奉納された大幟が青空に映える様子です。ただし強風にあおられ、大晦日の晩はほとんど眠れないほど旗のことを心配している次第でした。神社にしろ、赤子にしろ誰かが面倒を見なくちゃならん。そんなことをお世話になった神社総代さんから聞いたのは何年前になるでしょうか。誰かの世話をして一人前と聞かされてああそういうものかと漠然と感じておりましたが、自分も五十歳を過ぎてそういう立場になったのだと改めて思います。皿尾城から見える景色はいくつになっても変わることがありません。東の秩父連峰と北の赤城山。この景色を見ながらゆっくりで構わないので少しずつでも歩みを進めたいと願い...新年のご挨拶

  • 桃李不言下自成蹊 さいたま新都心 本格四川料理 成蹊 後編

    桃李不言下自成蹊 さいたま新都心 本格四川料理 成蹊 後編

    さいたま新都心の街開きは平成十二年(2000年)の事です。公官庁の出先機関を集めた街づくりで翌年平成十三年には浦和市、大宮市、与野市が合併して「さいたま市」が誕生します。この時旧浦和市、大宮市にはそれぞれ「浦和区」「大宮区」が名称として残りますが、与野市だけは「与野区」とはならずに「中央区」となりました。そもそも明治のころから浦和と大宮は隣接都市としてライバル関係にあり、文化歴史の上でも競い合ってきたことから合併に反対する意見も多くあったといいます。そこに政令指定都市を指定を目指し、東京の機能にも負けない大都市構想を遂げるために加わったのが与野市であったといいます。だからさいたま市区名選定委員会にて議論された際、公募の結果「与野区」が一位、「中央区」が二位になりましたが当時の与野市議会は「新都心に移り住む...桃李不言下自成蹊さいたま新都心本格四川料理成蹊後編

  • 桃李不言下自成蹊 食レポ前編

    桃李不言下自成蹊 食レポ前編

    勤労感謝の日にお休みをいただき、さいたま新都心までで出かけました。目的は応援しているアーティストのコンサートとその前に中華料理のコースをいただくことでした。普段食品販売流通業に従事していますが、近年では業務も様変わりし、デジタル化も推進され、多くの新しい知識を得ることが求められます。会社の業務の一環として、外食の食レポをしてみなさいということになりました。自分で調べ、興味を持ち、実際に食べた感想を伝える。ただ今まで通り日々の業務だけをこなしていたのでは生き残れない時代です。こう言った取り組みを『面倒だ』と思う人もいれば、『楽しみだ』と思う人もいるでしょう。私は後者です。東京の有名店に是非行ってみなさいとのことでしたが、映画『翔んで埼玉Ⅱ・琵琶湖より愛をこめて』公開で賑わうさいたま新都心の本格四川料理の店『...桃李不言下自成蹊食レポ前編

  • 古河市 富士山浅間神社

    古河市 富士山浅間神社

    古河市総合公園には小高い塚があって、その上に浅間神社が建っています。古河のパワースポットとなど名所地にしようとする活動も行われているようです。境内の由緒書きがありますので読んでみました。室町時代末期に角行という人が世の中の乱れに苦しみ、富士山に登り天下泰平五穀豊穣の祈願をしたところ天下が治まったことから富士信仰が起こります。東講の大先達である南沢正兵衛という人が江戸にこの富士信仰を広く布教しました。鴻巣の冨士塚は模造の富士山で文政四年ごろ(1831)の構造と考えられています。鴻巣村の小森谷家広く浄財を募り富士浅間神社を勧請します。東講は富士山信仰の集団、いわゆる富士講の一つ。富士山信仰は室町時代末期ごろに起こり江戸時代中期には非常に盛んになった。それに伴い江戸をはじめとして富士講があちこちで結成され、江戸...古河市富士山浅間神社

  • 防災体験学習~災害時中学生は避難所で何ができるか

    防災体験学習~災害時中学生は避難所で何ができるか

    地元中学校にて家庭教育セミナーに参加しました。防災教育体験学習として行われ、テーマは「災害時に中学生は避難所で何ができるか」令和元年10月の台風の際、ここ忍中学校も避難所として開設されたことがあります。私はPTAの役員として参加しました。主催は地元自治会も合同ということになり多くの参加者が集いました。取り組みの一つとして段ボールベットの作成です。令和元年の台風避難の際私も地元小学校へ家族と避難しました。一晩学校で過ごす際には毛布の配布がありましたが、床で横にならざるを得ず、非常につらい時間であった記憶があります。段ボール箱の中に「補強板」を入れ強度を増し、6個並べてひもで固定します。段ボールの上にブルーシートをかけ毛布を敷くと弾力と保温性が向上し、とても寝心地の良いものができました。中学生の班は皆で寝転が...防災体験学習~災害時中学生は避難所で何ができるか

  • 黒浜式土器と縄文時代の生活~蓮田市文化財展示館

    黒浜式土器と縄文時代の生活~蓮田市文化財展示館

    今から1万6000年前氷河期が終わって地球が温暖化します。日本列島では針葉樹の森が北に退き、北日本では落葉広葉樹林、西日本では常緑広葉樹の森が広がる世界へと変わりました。特に落葉広葉樹の森には食べ物が豊富で、木の実の多くを食用として採取したといいます。栗やドングリなど食べるには灰汁抜きが必要でしたので、そのための土器が縄文土器として発達したのです。気候の温暖化にともなう雨量の増加や海水面の上昇で陸から土砂が流れ込み、遠浅の海岸をつくることでそこに生息する貝類や回遊魚も食材に加わり食生活の大幅に進化したといいます。海面の上昇のことを「縄文海進」といい、東京湾は現在の埼玉内陸部まで進出していたことがわかっています。黒浜貝塚は関東地方を中心とした縄文時代前期中葉「黒浜式土器」の標式遺跡として昭和50年に埼玉県指...黒浜式土器と縄文時代の生活~蓮田市文化財展示館

  • 県民の日に三菱地所アウトレットでみた野球用具の今昔物語

    県民の日に三菱地所アウトレットでみた野球用具の今昔物語

    11月14日は埼玉県民の日。明治四年の廃藩置県から今年で152年。当初は荒川の西が入間県、東が埼玉県、明治六年には熊谷県が誕生、明治9年に現在の埼玉県の枠組みが誕生しています。昭和46年には県誕生100周年を記念して11月14日を「埼玉県民の日」と定めています。(埼玉県HPより)熊谷市は県北の中心都市ですがお隣深谷市も平成の合併で大きくなり、昨年には旧花園町に三菱地所系のアウトレットモールの誘致に成功しています。やはり高速道路の幹線沿いの都市は商業施設の誘致に有利なのでしょう。昨年のオープン時には周辺の渋滞が連日のように続いていましたが、一年経って落着きを見せていました。一周年を記念してセールはもちろん様々な催しが開催されていました。特に任天堂のショップが人気で、マリオのキャラクターを随所に用いて子供連れ...県民の日に三菱地所アウトレットでみた野球用具の今昔物語

  • カキと私の関係

    カキと私の関係

    江戸の初期には養殖が始まったといわれるカキ。漢字で書くと「牡蠣」となるのは全部が雄に見えることから。縄文時代にはすでに食べられていたと考えられていて、「蠣」の文字はゴツゴツした殻を意味するそうだ。近年養殖技術が進化していて、プランクトンを餌としないで養殖可能なものは「あたらない牡蠣」としてよくメディアにも取り上げられている。牡蠣の料理には忘れられない思い出があって、何といっても牡蠣鍋。二十代のころ外食産業に勤めていて(何度かこのブログにも書きました)和食のファミリーレストランチェーンだった。冬メニューとして牡蠣鍋を提供していたけれど、忙しい時にアルバイト従業員が鍋に牡蠣を入れ忘れ、ただの野菜鍋で出してしまい、お客さんに大いに怒られたことがあった。ただひたすら平謝りで通してしまったが、お客さんのほうもずっと...カキと私の関係

ブログリーダー」を活用して、皿尾城の空の下さんをフォローしませんか?

ハンドル名
皿尾城の空の下さん
ブログタイトル
皿尾城の空の下
フォロー
皿尾城の空の下

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用