京成本線の海神駅と京成船橋駅の間の2か所にある煉瓦造のガードを探索。 一つ目のガード 2つ目のガード 京成本線レンガガード(船橋市)2 : Anthology -まちの記憶- 海神駅から海神小学校を訪ねて - Deepランド にほんブログ村
京成本線の海神駅と京成船橋駅の間の2か所にある煉瓦造のガードを探索。 一つ目のガード 2つ目のガード 京成本線レンガガード(船橋市)2 : Anthology -まちの記憶- 海神駅から海神小学校を訪ねて - Deepランド にほんブログ村
飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市)で開催された企画展「1万年前のタイムカプセル 国史跡取掛西貝塚」を会期終了間際に鑑賞した。取掛西貝塚(とりかけにしかいづか)は、船橋市飯山満町1丁目から米ケ崎町にまたがる、標高23〜25mの台地上に立地する縄文時代の遺跡で、東西約500m、面積約76,000㎡(東京ドーム約1.6個分)の範囲に、縄文時代早期前葉(約1万年前)の竪穴住居跡58軒(東京湾東岸部で最も古い貝塚を伴う集落跡で、この時期の関東最大規模の集落跡)と、シカのツノやイノシシの頭蓋骨を並べた跡(動物骨集中、儀礼の跡だとすれば日本最古)、貝塚からは貝殻、動物・魚の骨(食べ物)、土器・石器(生活の…
東急の二子玉川駅前に残る多摩川旧堤防に設けられた玉川西陸閘(りっこう)と玉川東陸閘を訪ねた。 北区豊島5丁目の隅田川旧防潮堤は「後世に伝えるためにその一部を保存した」モニュメントだが、こちらの堤防と陸閘は現役バリバリ。 玉川東陸閘 玉川西陸閘 二子玉川ライズ ガレリア 【二子玉川 水辺まちづくりレポート】⑧多摩川旧堤防・玉川陸閘(りっこう)の閉鎖訓練(2021/5/10)レポート - futakoloco 【二子玉川 水辺まちづくりレポート】今年も多摩川旧堤防・玉川陸閘(りっこう)の閉鎖訓練(2023/5/23)が行われました - futakoloco 世田谷区玉川 玉川西陸閘が稼働しています…
北区豊島5丁目に保存された「隅田川旧防潮堤」を訪ねた。このタイプのコンクリートによる堤防を「カミソリ堤防」と呼ぶそうだ。この辺りは両岸がスーパー堤防として整備されている。 隅田川旧防潮堤 隅田川の下流部一帯は海抜ゼロメートル以下の地域が広がっています。このため東京都では、高潮や洪水の対策として昭和三十二年から隅田川のコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和五十年に概成しました。高潮や洪水に対する危険は大幅に減少しましたが、隅田川とまちは分断されてしまい、河川から都民を遠ざける結果を招いてしまいました。 現在は、高潮や洪水に対し、より安全性が高く、都民が河川と親しめる潤いのある、水辺環境に配慮した堤…
米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器などを展示。その他、能満寺古墳と能満寺裏遺跡の展示、根畑遺跡出土子持勾玉など見どころ豊富。 長南町郷土資料館 寛永寺の石燈籠 寛永寺の石灯籠 (寄贈 東京都 田中康弘氏) この石灯籠は、徳川将軍家の菩提寺・東京上野の寛永寺に建てられていたもので、高さは一丈(約3m)を測ります。 昭和27(1957)年に寛永寺から田中泉氏が譲り受け、平成18(2006)年に当館に寄贈されました。 銘文にある「文恭院殿」とは江戸幕府第十一代将軍家斉(1773〜1841)の法名であり家斉の死去に際し、天保12(1841)…
米満横穴墓群の続き。 横穴墓を探索する探検隊。 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の2基目 今回の米満横穴墓群の探索はここまで にほんブログ村
次にすぐ南の長南町の米満(よねみち)横穴墓群に移動。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 あいにく雨が降ったり止んだりの天気で、足場も滑りやすくなっていたため、米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基にターゲットを絞って探索。案内されれるがままに予備知識なしでいったので、理解が追いつかなかった。 豊栄神社 尾根上の塚 米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基 隣の1基 菜の花 横穴墓10基・塚10基が調査された町道 2023.1.21 千葉の横穴アドベン…
徳増下谷横穴墓群の探索の続き。 徳増下谷横穴墓群(仮)6号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)7号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)8号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)9号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)10号墓? この先は断念して引き返した にほんブログ村
徳増下谷横穴墓群の探索の続き。 徳増下谷横穴墓群(仮)4号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)5号墓 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も。 pic.twitter.com/QlogQSc8M0 — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2024年4月6日 にほんブログ村
史跡長柄横穴墓群資料館の南側に位置する徳増下谷横穴墓群を探索。長柄町の遺跡番号149の「横穴墓 12基」で、東からアプローチした順番に1〜12号墓と仮に呼称する。 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓(左)と(仮)1号墓(右) 徳増下谷横穴墓群(仮)1号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)3号墓 埋蔵文化財 - 長柄町 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も…
最後に長柄横穴墓群の第2支群の第35号墓を探索。尾根沿いに幾つかの塚を経由。 長柄横穴墓群第35号墓、南西に開口、家形、文献[1] タンポポの在来種 【タンポポの見分け方】日本で見られる代表的なタンポポは、二ホンタンポポ(在来種)とセイヨウタンポポ(外来種)、さらにその雑種もあるといいます。最大の違いは花のつけ根にある総苞片(そうほうへん)の形。見つけたら観察してみるのはいかがでしょうか。https://t.co/eFkO53Y9ZD pic.twitter.com/lJeOeoFvRa — ウェザーニュース (@wni_jp) 2024年4月20日 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター…
長柄横穴墓群の第2支群の第6小支群(第26,25号墓)と第5小支群(第24,23,22号墓)の5基。 長柄横穴墓群第26号墓、南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第25号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第24号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第23号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第22号墓、南南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第5小支群: 埼群古墳館別館 長柄町長柄横穴群第2支群第6小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調…
長柄横穴墓群の第2支群の第7小支群(第30,29,28,27号墓)の4基。 長柄横穴墓群第30号墓、東南東に開口、ドーム形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第29号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第28号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第27号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第7小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調査報告259:長柄町横穴群徳増支群発掘調査報告書』財団法人千葉県文化財センター にほんブログ村
史跡長柄横穴墓群資料館の西側の整備された第1支群(4小支群、21基)を見学後、資料館の東側の整備されていない第2支群(5小支群、15基)を南西の第34墓(第9小支群)から北東の第22墓(第5小支群)へと逆順に探索。 長柄横穴墓群の第2支群の第9小支群(第34,33号墓)と第8小支群(第32,31号墓)の4基。 長柄横穴墓群第34号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第33号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第32号墓、東南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第31号墓、東南東に開口、蒲鉾形、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第8・9小支群: 埼群…
長柄横穴墓群の第1支群の第1小支群(第1〜4号墓)の4基。 第1小支群 第1小支群は、第1〜4号墓の4基の横穴墓があります。 長柄横穴墓群第1号墓、南西に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第2号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第3号墓、南東に開口、横アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第4号墓、南東に開口、寄棟型、棺座2 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第1小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
長柄横穴墓群の第1支群の第4小支群(第18〜21号墓)の4基。 長柄横穴墓群第18号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第19号墓、南東に開口、縦アーチ型、棺座2 長柄横穴墓群第20号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1 長柄横穴墓群第21号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第4小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
長柄横穴墓群の第1支群の第3小支群(第13〜17号墓)の5基。 第3小支群 第3小支群は、第13〜17号墓の5基の横穴墓があります。特に、第13号墓の玄室には、線刻画が描かれています。 線刻画とは?線刻画は、壁に尖ったもので線を刻んで絵を描いたものです。 長柄横穴墓群第13号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3、線刻画、見学不可 長柄横穴墓群第14号墓、南南西に開口、ドーム型、棺座1 長柄横穴墓群第15号墓、南南東に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第16号墓、南に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第17号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群…
長柄横穴墓群の第1支群の第2小支群(第5〜12号墓)の8基の続き。 長柄横穴墓群第8号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3 長柄横穴墓群第9号墓、南に開口、縦アーチ型、棺座2、見学不可 長柄横穴墓群第10号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄横穴墓群第11号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第12号墓、南東に開口、切妻型、棺座2、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第2小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
春の桜が咲く頃、誘われて、房総半島のほぼ中央に位置する長柄(ながら)町の長柄横穴墓群と長南(ちょうなん)町の米満横穴墓群を探索した。この地域は、太平洋に注ぐ一宮川の上流にあたり、複雑に開析された入り組んだ谷津が多く、笠森層とよばれる暗青色の凝灰質砂岩層が分布し、横穴墓が集中する。また、この地方には上総地方に特徴的な「高檀式(こうだんしき)」とよばれる羨道と玄室の高さが著しく差のある特有の形態の横穴墓が多い。 長柄横穴墓群は、1980年に16基が長柄町横穴群徳増(とくます)支群として県指定史跡となり、1993年に千葉県教育委員会が重要遺跡確認調査を実施(文献[1])、1995年に35基が国の史跡…
ゴールデンウィーク初日(4月27日)に溝の口駅前の商業ビル最上階(12階)の高津市民館大会議室で開催された川崎市制100周年記念事業、令和6年度橘樹官衙遺跡群保存活用事業として開催された「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」に参加(聴講)した。会場の参加者が約200名、オンラインの参加者が約80名と盛況。司会は三舟隆之氏。 川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。4月16日の川崎市長定例記者会見で、橘樹歴史公園の5月18日オープンが発表された。川崎市は、橘…
二子塚古墳見学会で二子塚古墳の前に、王塚古墳を見学した。合掌式石室や埴輪等について解説していただいた。 史跡 王塚古墳 本県では数少ない前方後円墳の一つである。石室は合掌型で、武具、武器類埴輪等を出土し、その特異の石室は日本考古学界から注目されている。 豊富村教育委員会 市指定文化財 史跡 王塚古墳 所在地 中央市大鳥居4256 所有・管理者 大鳥居自治会 指定年月日 昭和45年3月1日 王塚古墳は海抜342mの宇山平(うやまだいら)丘陵の頂点にある前方後円墳である。形式は前方後円墳であるが、特に前方部が短いために帆立貝式古墳と呼ばれるものである。時期は古墳時代中期の五世紀後半である。 現状の…
5月14日に山梨県中央市で開催された二子塚古墳見学会に参加した。場所は、曽根丘陵上の北に笛吹川、東西を七覚川、浅利川に挟まれた宇山平と呼ばれる丘陵頂点付近、王塚古墳の東に約130m、大鳥居宇山平遺跡の北端、宇山平地区圃場整備事業に伴う令和2年度の試掘調査で住居の存在が確認された範囲を、令和4年7月から調査したところ、古墳の周溝の一部を検出、令和5年1月に調査範囲を拡大し、古墳全体を確認した。古墳は前方部を東南東に向ける前方後方墳で、全長約50m、周溝の幅は7〜10m、深さ1mほど、古墳の盛土の可能性のある土層は約1m。古墳の下から、弥生時代の住居跡3軒、土坑1基、古墳時代の住居跡7軒、時期不明…
日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設の民間専用線に架設された四箇所の鉄橋のうちの一つ、旧福川橋梁を見学した。旧福川橋梁には、当時の鉄道院技師、 イギリス人チャールズ・アセトン・W・ポーナルが基本定規を設計したI字形鋼板を橋桁とする「ポーナル型プレート・ガーダー橋」が採用された。河川改修に伴って移設保存されている。明治28年(1895)の建設当初の姿のほとんどそのままで、現存する日本最古のポーナル型プレート・ガーダー橋。 福川鉄橋 深谷市指定文化財 昭和61年12月22日指定 日本煉瓦製造株式会社専用線の福川に架設された鉄橋で、福川に架けられていたプレート・ガーダー橋と、その北側の水田の中に造られ…
日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設のホフマン輪窯6号窯、旧事務所、旧変電室とともに、平成9年5月、国重要文化財に指定された備前渠鉄橋を見学した。備前渠鉄橋は日本初の民間専用線に架設された鉄橋。 煉瓦アーチ橋 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 備前渠鉄橋(びぜんきょてっきょう) 重要文化財(建造物) 平成九年五月二十九日指定 煉瓦輸送専用線用に架設された鉄橋である。 操業当初からの輸送手段であった利根川舟運は安定した輸送力に欠け、燃料や製品の輸送に度々問題が発生した。これを解決するため建設されたのが本専用線であり、明治28年、深谷駅との間で日本初の民間専用線として運用を開始した。 専用線には四…
日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設の旧変電所の外観を見学。 旧変電室 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧変電室 重要文化財(建造物) 平成9年5月29日指定 明治39年頃の建造と言われている。室内には変電設備が設置されていた。 日露戦争後の好景気による建築・土木事業の拡大がもたらした煉瓦需要の増加に応対するため、日本煉瓦製造株式会社は、設備投資の一環として電力の導入を開始した。諸産業への電力利用の普及もあり、従来より使用していた蒸気式原動機の電動機への転換に踏み切ったのである。 明治39年8月、会社は高崎水力電気株式会社と契約を締結、電灯線を架設し、電動機を導入した。当時の深谷町に電灯が導…
ゴールデンウィークに、深谷市の日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設を訪れた。ホフマン輪窯6号窯は保存修理工事中で見学できない。煉瓦史料館でボランティアの方にたっぷり説明していただいた。 旧事務所(煉瓦史料館) 【 #旧煉瓦製造施設 春季臨時公開】(文化振興課)◆ #渋沢栄一 も設立に関わった #旧煉瓦製造施設 の春季臨時公開を実施します。◆4月29日(土・祝)~5月7日(日)※ホフマン輪窯6号窯は工事中のため公開休止中◆https://t.co/kvoAN0aWZQ#fukaya pic.twitter.com/yvlHxqtBW2 — 深谷市 (@Fukaya_City) 2023年4月20日…
町田市考古資料室の次に小山田桜台こぶし公園の小山田1号遺跡を訪れた。平安時代末期から室町時代にかけての有力武士の館跡。桜と白木蓮(シロモクレン)の共演。 東京都指定史跡 小山田1号遺跡 所在 町田市小山田桜台二丁目 16-32 指定 1985年(昭和60年)3月18日 小山田遺跡群は、小山田桜台団地造成に先がけて1970〜1972年、1978〜1982年に発掘調査が行われました。遺跡群のうち小山田1号遺跡は最も北側に面した南向き斜面地に位置しており、平安時代末期から室町時代にかけての有力武士の館跡と考えられています。12世紀後半に1〜3号地下式横穴(ちかしきよこあな)が構築された後、斜面を3m…
次に訪れたのは、2月1日にリニューアルOPENした町田市考古資料室。 町田市考古資料室/町田市ホームページ 町田市 / 町田デジタルミュージアム 2018年7月に訪れたときは開館日ではなかった。 もう一週間前になるの???町田市考古資料室に行った話。何もかもが濃厚でした。開館日が決まっているのん?#縄文#町田市考古資料室#遺跡#考古学 pic.twitter.com/1KgKZOiIaV — 今井しょうこ@二月新刊「マンガでめぐる考古遺跡・博物館 (@tanu_ima) 2023年3月12日 にほんブログ村
次に訪れたのは、日野市no.45遺跡。 古墳なう 「日野市№45遺跡(平山古墳)」 東京都日野市東平山1丁目 日野市№45遺跡 古墳探訪記 日野市No.45遺跡【東京都日野市】 - ぺんの古墳探訪記 日野バイパス(延伸)整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査中 日野バイパス(延伸)、日野バイパス(延伸)II期 相武国道事務所 国土交通省 関東地方整備局 にほんブログ村
東京都立埋蔵文化財調査センターで「遺跡発掘調査発表会2022」を聴講する前に、日野市と町田市で、古墳&博物館巡り。最初に訪れたのは日野市の西平山古墳群。 西平山1号墳 西平山3号墳(右), 4号墳(左) 西平山5号墳 西平山3,4,5号墳、中央に高尾山(599m) 古墳なう 日野市/西平山古墳群 東京都日野市西平山3丁目 西平山古墳群 古墳探訪記 西平山1号墳-3号墳-4号墳-5号墳【東京都日野市】 - ぺんの古墳探訪記 にほんブログ村
大神塚(応神塚)古墳の発掘調査現場見学会の前に十三塚を見学した。十三塚は、村境や街道筋に沿って、ほぼ一直線に並ぶ。 十三塚(②小僧塚) 十三塚(③おこり塚) 十三塚(おこり塚) 十三塚は、北は岩手県、南は鹿児島県まで分布しており、神奈川県では27か所が知られています。配列はほぼ一直線に並ぶのが基本と考えられ、村境や街道筋に沿ったものが多く、当地の十三塚 もその一例といえます。 おこり塚は、かつて15基存在したと伝えられる塚の中で最も大きな規模となっています。昭和6年に実施した発掘調査の結果、中世後半(室町〜戦国時代ごろ)に築造されたと考えられています。 寒川町教育委員会 十三塚(⑤) ここは?…
東京都立埋蔵文化財調査センターの令和5年度の企画展示「多摩新街(たまニュータウン)遺跡切抜帖(スクラップブック) -新聞にのった遺跡たち-」を初日の3月21日に鑑賞した。会期は令和6年3月7日まで。 本日より3/21からの新展示に向けた設営が始まっています。遺物もすっかり片付けられてガランとした展示室ですが、ここからわずか数日で新しい展示が仕上がってくることになります。どんな様子になるか、楽しみにお待ち下さい!#都埋文#考古学 pic.twitter.com/3E15UrrfLz— 東京都立埋蔵文化財調査センター (@tokyo_maibun) 2023年3月15日 着々と設営作業が進んでいま…
3月21日に東京都立埋蔵文化財調査センターで開催された「遺跡発掘調査発表会2022」を聴講した。北区十条台遺跡群の十条冨士塚の発掘調査について発表があった。センターでは平成24年から十条地区沿道一体整備事業(都道補助83号線)に伴い、十条台遺跡の調査を行っていて、冨士塚古墳の調査は令和2年度から3年度に実施した。調査の結果、十条冨士塚の盛土は、①近代以降の十条冨士塚盛土、②近世の十条冨士塚盛土、③旧塚の盛土の大きく3段階あることがわかった。①の盛土層下からは黒褐色土を主体とする②近世の十条冨士塚が検出。②の盛土層中から検出された遺物等から③の旧塚が②の冨士塚に改修されたのは18世紀後葉から19…
3月11日のシンポジウム「特別史跡埼玉古墳群のこれから」の前に、諏訪神社の諏訪山古墳を再訪。 諏訪神社 日光裏街道(館林道) 一里塚 にほんブログ村
3月11日のシンポジウム「特別史跡埼玉古墳群のこれから」の前に、さきたま古墳公園で墳活。鉄砲山古墳と中の山古墳の説明板が新調されたと聞いて2週間ぶりに再訪した。 鉄砲山古墳 中の山古墳 奥の山古墳 瓦塚古墳 さきたま史跡の博物館 愛宕山古墳 さきたまテラス(4月オープン予定) 鉄砲山古墳の解説板を新設しました。脚部には鉄砲山古墳で出土した埴輪をデザインしており、細部にもこだわっています。解説板の設置場所は、石室正面にあたり、古墳全体をみることができる絶好のビューポイントでもあります。ぜひ鉄砲山古墳にお立ち寄りください。(史)#鉄砲山古墳 #解説板 pic.twitter.com/EIdfGbU…
埼玉県杉戸市と茨城県五霞町で古墳巡りの最終目的地の穴薬師古墳を訪れた。この古墳は特異な構造の石室で有名で、教育委員会に事前連絡すると石室の扉の鍵を開けていただけると聞いていたが、今回は日曜日だったので、施錠された状態で見学した。なお、この石室は昭和47年に復元整備されていて、復元された姿のどこまでが学術的な裏付けがあって、どこからが想像(空想?)なのか、わかっているのか、わかっていないのか、それぐらいわかってから石室内部を見学したいと思う。行田市の八幡山古墳石室が復元と知ってからナーバスになっている。ジェラシックパークのようにエンタメとして楽しめば良いのかもしれない。 茨城県指定史跡 穴薬師古…
埼玉県杉戸市と茨城県五霞町で古墳巡りの続き。 昨年、茨城県五霞町の辰堂公園で冬木A・B貝塚の説明板と復元された縄文時代の竪穴住居を見学した。冬木A貝塚は辰堂公園から北北西に約450mのあたりで、縄文時代後期の集落跡(6か所の貝塚、18体の埋葬人骨)が確認されている。冬木A貝塚付近に整備された冬木A貝塚公園を訪れた。 縄文時代の竪穴住居 昭和54年日本住宅公団が本団地工事に着工した時点において、古代住居跡、貝塚を発見し、発掘調査が行われた。(冬木A貝塚、冬木B貝塚とであり、現在の貝塚) その結果、竪穴住居跡などが発見された。古代人の生活の一端をしのぶ手がかりとして、その一つを模造したものである。…
埼玉県杉戸市と茨城県五霞町で古墳巡りの続き。 幸手市の浄誓寺の将門の首塚をお参りした。 浄誓寺(じょうせいじ) 幸手市神明内1469 通光山平親院浄誓寺と称し、浄土真宗の寺で、本尊は阿弥陀如来です。本堂裏手には平将門の首塚があります。院号の平親院は、この将門に由来するものと考えられます。さらに寺伝では、境内の薬師堂の薬師如来像は、平親院の本尊で三代目の久信が祀ったとしています。茨城県岩井市には、 平将門の守り本尊という薬師如来が存在することから、これも将門と当寺との関わりを示しています。 創立は慶長九年(1604)十月、開基は久念です。 久念は広川民部通光といい、和泉国堺(大阪府堺市)で生まれ…
次に目沼浅間塚古墳(目沼10号墳)を再訪。 町指定史跡 目沼浅間塚古墳 この古墳は、高さ5メートル、全長46メートルを超える目沼古墳群最大の前方後円墳である。 古墳中心部である石室は発見されておらず、被葬者等についても明らかではない。平成三年の調査では、前方部と後円部をつなぐ括れ部から、埴輪を転用した「円筒埴輪棺(えんとうはにわかん)」 という、当地方では珍しい棺が発見されている。 目沼古墳群の築造時 期は、古墳の形態や副葬品などから六世紀初頭から七世紀末ごろと推定できる。 杉戸町教育委員会 ウメの花 にほんブログ村
3月11日のシンポジウム「特別史跡埼玉古墳群のこれから」は午後からだったので、午前中は、埼玉県杉戸市と茨城県五霞町で古墳巡り。 最初に訪れたのは、杉戸町の木野川古墳群。竹林の中に7基の円墳が存在するらしい。文献[1]では「円墳、8基、径8〜20m」 木野川古墳群のNo.60〜66古墳が所在する竹林 木野川古墳群(きのかわこふんぐん) 所在地 杉戸町木野川246 木野川古墳群は、いずれも小円墳で、8基の古墳群と少し離れて1基の計9基が保存されている。古墳の造営年代は、古墳時代終末期と推定されているが、埴輪などの埋蔵物の出土は確認されていない。 昭和48年に行われた現状調査では、高さは0.5メート…