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  • 仕事ができる幸せ

    いつも文句ばかり垂れているが、仕事ができることは、この上ない幸せだ。毎日毎日忙殺されている日常だが充実している。目の前に広がる部下の机常に判断と決断を要求される場面緊張させてもらえる仕事を与えてもらっていることにも感謝だ。さて、今日も張り切って行こう。仕事ができる幸せ

  • 周りを元気にさせる人

    私の部下で10歳年下の課長がいる。私なんかよりも出世コースの王道を歩んでいる。彼は、とにかく周りを明るくする才能がある。彼が来ると周辺は明るく爽やかになる。私なんかは暗さと近寄りがたさを発しているが、そんな雰囲気は彼からは一切出てこない。王道を行く人はやはり違う。周りを元気にさせる人

  • 胸の苦しさを抱えながら

    月曜日、外は天気がいいのに、自分の心は相変わらずにぼんやりしている。というか、胸の苦しさが感じられる。権限、責任、判断、決定・・・複雑化する自分の仕事内容それに伴い、慢性的な胸の苦しさに襲われている。しかし、この苦しさを感じなくなった時、自分の人生は味気ないものになるのかもしれない。まだ、月曜日・・・今日も帰りは22時を過ぎそうだ。胸の苦しさを抱えながら

  • 国武万理「もう離れられない」

    ホームワークというドラマの挿入歌だったこの曲清水美紗が福山に別れを告げに行くシーン福山の家を出たところで一人崩れ落ちるシーンマンションの外には、唐沢が待っていた。抱き合う二人「結婚しよう」という唐沢の言葉にうなづく彼女私の大好きなシーンだ。そしてこのシーンに流れていた「もう離れられない」は名曲だった。さて、月曜日が始まる。国武万理「もう離れられない」

  • お蔵入りと言われたドラマ

    「悪魔のKiss」という1993年頃のドラマがあった。私はこのドラマの主題歌が好きでよく聴いていた。加藤いづみの「好きになってよかった」という歌だった。当時、付き合っていた女性がカラオケでこの歌を歌ってくれた。衝撃的な歌詞だった。また、彼女の歌声に私はいつも深酒をしてしまったものだ。ドラマの内容も今では放送できないストーリーだった。当時はこのような破滅的なストーリーのドラマがよく放映されていた。私は「この世の果て」もよく観ていた。観ていたというより、当時、同棲していた彼女がよく観ていたドラマだった。当時の私は就職もしないで、ひものような暮らしをしていた。そんな時代に出会ったドラマは今も記憶の中に深く刻み込まれている。お蔵入りと言われたドラマ

  • 80年代の映画

    セイントフォーというアイドルグループが出演した映画をCSで放送していた。何だか最後まで見てしまった。世良公則の歌が良かった。また、その歌をセイントフォーがカバーする場面も何だか心に染みた。80年代のカラフルな華やかさが画面から伝わってきた。このころは、華やかな色の服などか流行った時代懐かしかった。華やかさに誰もが憧れた時代・・・それがバブルという時代につながっていったのかなあと感じた。80年代の映画

  • 優しい陽射し

    尾崎豊の「優しい陽射し」という歌が好きだった。人生の絶不調にいたころによく聞いた。「夢は夢のままで諦めてみて・・・」そんな歌詞に傷口が癒されていた。大学を卒業しても定職には就かずに彷徨っていたあの頃・・・周りからもあいつの人生を終わったと陰口を叩かれていた。あれから30年あまり・・・何とか今日も生きている。部長という役割を弱々しく演じながら・・・優しい陽射し

  • かなわない

    30歳前後になると、将来、出世するかどうかの雰囲気が漂ってくる。うちの部署にも若手の優秀な社員がいる。彼を見ていると、全てにおいて、かなわないと感じてしまう。コミュニケーション能力が半端じゃない。常に相手目線の言動なのだ。だから、顧客はもちろん社内でも抜群の評価だ。私の時代は一芸に優れた職人タイプが出世した。○○といったらあいつに任せとけ・・・こんなタイプで会社を引っ張っていた。しかし、今は全てにおいて、相手の期待を上回る成果を求められる。これからの時代、生き残っていくのは難しい。かなわない

  • 夏と言えば

    高校2年生のころ山下達郎の「Bigwave」のアルバムをよく聴いていた。浪人一年目のころ、TUBEのテープを擦り切れるまで聴いていた。個人的には稲垣潤一の「夏のクラクション」が好きだった。80年代の夏の思い出の曲・・・夏と言えば

  • 80年代の思い出~オリジナルテープ~

    車のダッシュボードの上にお気に入りのテープを並べていた。その人の車に乗るとその人の音楽センスがわかった。オリジナルのテープをよく作っていた。どんな曲の構成にするか、順番は?どんな時に誰に聞かせるか?そんなことに夢中な時代だった。LPを借りて、テープに録音していたあの頃今朝は浜田麻里を聴きながら出勤した。今日も一日が始まる。80年代の思い出~オリジナルテープ~

  • 1984年

    1984年私は高校2年生だった。頭の中は「彼女が欲しい」ということ彼女とデートをしたいということ当時、流行っていたホットドックやポパイなどの雑誌を購読していた。ちょうど、今ぐらいの季節に同じ学年の女性と付き合った。テニス部のマネージャーをしていた。ポニーテールが可愛らしかった。初めてのデートの日、待ち合わせは喫茶店だった。前の日から緊張で眠れなかった。何を話そうか何を着ていこうか喫茶店のあとはどこに行こうかそんなことばかりを考えていた。背伸びしていた1984年さて、今日もがんばりますか1984年

  • 80年代

    80年代を美化する番組が多い。「生きやすかった」と伝える人たちも多い。しかし、何事も表裏一体だ。80年代は、今よりも治安が悪かった。私が中学生ぐらいのときは、街に行くと、よく「カツアゲ」と言われる恐喝もよくあった。街には不良が溢れ、喧嘩や小競り合いもよくあった。公園では集団の乱闘もあった。学校対学校でケンカをする時代だった。また、街には吸い殻が溢れていた。空き缶もよく落ちていて、今より街も汚かったように思う。反対に今、街で恐喝にあう機会はほとんどないだろう。防犯カメラと人の目の監視、加えて誰もが画像や映像を撮影できる時代証拠はすぐに保存され拡散される時代治安はよくなったが、生きにくい時代かもしれない今日も一日が始まる。80年代

  • 恨みとの付き合い方

    仕事をしていると理不尽な怒鳴られ方をすることがある。お客様という関係を利用して、攻撃される。もう30年近く働いているが、何度経験してもメンタルに来る。相手に復讐したいという衝動が溢れてくる。相手の住所も電話も名前もわかってるときは、何とか相手に仕返ししたいという思いが日々継続する。どのぐらい時間が経つと許せるのだろうか。私はとことん復讐する方法を考える。実行しないが、とことん考えているとだんだん面倒くさくなる。そのうち、恨みも消えていくことが多いようだ。それでも完全には消えない。だから、人を攻撃すると、その恨みは残り続けるということ。恨みを買うような言動はしてはいけない。恨みとの付き合い方

  • 日曜の夜

    日曜の夜、一人で映画に出かけた。映画館を出ると夜9時を過ぎていた。緊急事態宣言で街は暗闇に包まれていた。人々のため息が聞こえてくる。日曜の夜、サザエさんのエンディングを聞くと、憂鬱になると新入社員が話していた。いつの時代も変わらないんだなあという思い新人さんはこの時期みんな覇気がない。転職サイトを見ているにちがいない。今日はそんな新入社員に研修で話をする。乗り越えた先輩として、あの経験があったから・・・そんな話はしたくない。新人は出社しているだけで100点だということ研修を受けられているみなさんはすごい優秀だということだから優秀さをつぶさずに会社は支えていく日々の小さな幸福感を感じられる生き方仕事以外の充実さこんなことを伝えていく日曜の夜

  • 帰る

    腹が立ったから帰る。そればできないから、会社を離れて、クールダウン。このままだと誰かを怒鳴ってしまいそうなので・・・帰る

  • 当たり前の日常の風景

    当たり前の日常が戻る前に続々と店が閉店している。私の街も繁華街のビルの看板がめっきり少なくなった。ここは何のお店が入っていたのかという感覚になる。仕事が終わり、仲間とお酒を飲んでいた風景が消失した。私は一人で夜の街を彷徨うのが好きだった。馴染みの居酒屋と色気のあるお店のセットで癒されてきた。そんな日常はいつ戻るのだろうか。当たり前の日常の風景

  • ラストシーン

    恩師の葬儀でかつての同僚だった女性と再会した。私と同じ54歳彼女は結婚して退職した。24年ぶりの再会だった。彼女とは付き合うというような関係ではなかったが、食事やお酒を飲みに行くことがあった。私は好意を抱いていた。知的で優しい女性だった。「出世したんだったね。社長も夢じゃないよね」と優しい言葉をかけてくれた。出世か・・・その言葉が何だか心に残った。出世はしたが失ったものもある。それは「優しさ」だ。偽の優しさをふるまいながら日々生きている自分今日も一日が始まる。ラストシーン

  • 号泣

    恩師の遺体を前に私は号泣した。その理由は恩師の死ばかりではない。自分の情けなさ、不甲斐なさからだ。「お客の立場になって考えろ」「外見や身なりでお客を判断するな」「商売とは、弱者の味方になってあげること、貧乏な人にこそ誠実に接しろ」「仕事ができない人の視点に立って仕事をしろ」「華やかな人たちばりに目を奪われるな」こんなことを新入社員の私に叩き込んでくれた。部長となり、日々、問題なく、自分に責任が来ないように避けるスキルばかりが上達している自分自分は本物ではないことは痛切に感じている。恩師と酒を飲みながら、理想の会社について熱く語り合ったあの頃の自分自分の不甲斐なさ、狡さに申し訳なく、恩師の遺体の前で号泣してしまった。恩師は何も語らない。いや今の私には何も語りたくないことだろう。今日も一日が始まる。号泣

  • 恩師の死

    新聞のお悔やみ欄に恩師の訃報が掲載されていた。私がこの職業に就く恩人となった人だ。30年ぶりの再会だった。私に仕事の基本を叩き込んでくれた。本物とはプロとは何かを教えてくれた。その顔をみたら、号泣してしまった。奥さんと娘さんに、恩師のようになりたいと思って、仕事を続けてきたことを伝えた。「主人も喜んでいますよ」と言ってくれた。今年の年賀状に「あなたは義理を欠かさないいい男だね。今の立ち位置は大変だろうが登りなさい」と一筆添えてあった。今でも私は「こんなときは○○さんだったらどうしているだろうか」という視点で考えている。今日も一日が始まる。恩師の死

  • 耐えるしかない

    馴染みの居酒屋に夕方に顔を出した。メニューから刺身が消えていた。生ビールを注文したが、瓶ビールしかないと言われた。経費をギリギリまで詰めて営業している。焼き鳥を注文した。いつもは大きな肉だったが、その肉の半分くらいの肉になっていた。店主は、もう閉店するしかないと言っていた。何とかならないのか。テレビからは、オリンピック開催に向けてのニュースが無神経に流れていた。この国は確実に優しくない方向に向かっている。耐えるしかない

  • 働かせていただけることに感謝

    今週は月曜日からトラブル処理に追われ、早朝5時に出社して対応策を練った。結局この日は夜10時まで会社にいた。18時間会社にいた。一週間がとてつもなく長く感じられた。明日からの休日がうれしい。忙しいからこそ、休日の有難みがわかる。働いているからこそ、休日の有難みがわかる。20代の頃、毎日が休日という荒んだ生活をしていた。腐った時間を過ごしていると、人間性までも腐りかけていった。あの時代があったからこそ、働かせていただいていることに感謝の思いを持てる。今日も一日が始まる。働かせていただけることに感謝

  • 怒りをぶつけられたとき

    怒りへの対応スキルが今の社会では必須になっている。あちこちでクレームや怒りへの対応にあたっている。私の部署でもそうだ。怒りを他人にぶつけてくる人は、何かしらのストレスや不安、悩みを抱えている。自分のたまった負の感情をぶつけるために、何かしらの着火点を探している。「怒っている人の本質を見守る姿勢」という視点で接してみる。それでも怒りをぶつけられたときは、ストレスを感じるが、怒っている人の弱さを少しだけ感じられると相手に寄り添う姿勢が芽生えてくる。今日も一日が始まる。怒りをぶつけられたとき

  • 楽しいこと

    自分にとっての楽しいことは何だろう。1日15時間近くは会社にいる。しかし、そんな忙しい中でもジムには通っている。精神的な疲労が蓄積するほどに体を鍛えている。筋トレしているときに、ストレスが解消される。昔は余暇に体を鍛えている人の心情が理解できなかった。今は痛切にわくわかる。仕事に真剣になればなるほど、余暇は体にいいことをしている。若いころは、仕事のストレスを酒とギャンブルで紛らわせていた。さて、今日も夜はジムに行きますか。楽しいこと

  • 淡々と生きる

    企業のトップに立っている人の立ち居振る舞いは、毎日、同じように安定している。感情のバランスを崩すことがない。それに比べて、私は感情の起伏が激しい。他人の言動に怒ったり、不機嫌になったり・・・反対に何かいいことがあると、ニコニコして人に話しかけたり・・・何があっても同じ雰囲気でいなけばいけない。今日も修行が始まる。淡々と生きる

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