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  • 敗因~継続力~

    私は仕事が続かなかった。私は我慢が足りなかった。私は努力を継続することができなかった。私は自堕落なことを習慣化にしてしまった。その結果、53歳で無職、親の年金に頼るという人生になった。親が死んだら、生活保護しか生きる道はない。自業自得の人生が待っている。敗因~継続力~

  • 敗因~自画自賛~

    私は人に認められたい、人よりいい暮らしがしたい、金持ちになりたいという欲求が強かった。だから、私のSNSには、「私の会社の人気商品で、評判がいい」ということをよく発信していた。しかし、自分で自分の店の商品を評判がいいと宣伝することほど滑稽なものはない。「評判がいい」とは他人が評価し発信することだ。私のSNSでは、そういった自画自賛の内容が多々あった。これも私が人から嫌われた要因の一つだ。自分の持ち物を自慢し、自分の商品を自画自賛し・・・こんな鼻につく奴が大きくなれるわけはない。それでも今日も私は不安から、自画自賛の内容を投稿している。敗因~自画自賛~

  • 敗因~驕り~

    私は、傷つきやすく、プライドが高い。常に上から目線で人に接するため、人にはよく思われない人生だった。40代で起業し、学習塾と飲食店をオープンさせた。順調に経営も軌道に乗り、小銭も持てるようになった。また、新聞やテレビにも取り上げられ、私は有頂天になっていった。小銭も持てるようになり、車や貴金属にお金を浪費した。その様子をSNSで発信していた。しかし、このコロナ禍で学習塾も傾き始めた。飲食店は早々につぶれた。今は毎日傾く経営状況に怯えながら、過ごしている。私のSNSに先日、ある書き込みがあった。「今まで自分の自慢をして、また、色々な人を見下し、揶揄していたあなたを私は嫌いです」「あなたの表情には傲慢さが映し出されている」謙虚さを失った私は今、まさに坂道を転がり落ちている。敗因~驕り~

  • 敗因~過去の栄光~

    私は53歳で会社から左遷させられ、出向となった。出向先は、リズトラ予備軍といわれている子会社だ。この年齢で次の就職先は見つけることは不可能なので、しがみつけるだけ会社にしがみつく。私は42歳で課長に昇進し、将来を有望視されたころもあった。しかし、転げ落ちた。その理由は、過去の栄光にしがみついたことだ。自分の経験をもとに仕事を進めた。新しい知識や部下の意見には耳を貸さなかった。自分の成功体験が全てだと思っていた。当然、部下はついてこなくなり、業績も悪化し、降格した。時代の変化に対応できなかったことが敗因だ。敗戦処理の人生を歩んでいる。敗因~過去の栄光~

  • 敗因~生育歴~

    角松凌は昭和42年、道東の釧路市に生まれた。父親は市役所勤務、母親は専業主婦、姉が2人いる。凌は地元の小学校、中学校に通い、高校も地元の高校に進んだ。地元では3番目に偏差値の高い学校だ。大学は二浪し、同じ北海道の道北にある工業大学に進んだ。大学卒業後、彼の人生は怪しさを増しながら転げ落ちていった。それが、今なお、53歳で親の年金をあてにしながらの生活という事実に裏打ちされている。敗因~生育歴~

  • 敗因

    この物語は北海道の東に位置するある地方都市を舞台にしている。その町は、かつては漁業、石炭、製紙業が盛んで昭和から平成の初めにかけて街は人で賑わっていた。特に駅前のメインストリートは、様々な業種の店が連なり、休日ともなるとぶつかるぐらいの人出があった。このお話の主人公、角松凌はそんな街に生まれ、今なお、その街に住み続けている男の日常から始まる。男の家の近くに城山歓楽街というかつての飲み屋街の廃墟がある。彼は毎朝散歩をしながら、その廃墟を見つめている。自分の人生を映し出す鏡のようだとその廃墟に愛しさを感じている。敗因

  • 53歳雑踏の中で「負けてたまるか」

    自分の身にたくさんの火の粉がふりかぶってくる。心も体も疲弊している。こんなときこそ、酒に頼らないで、ジムに行ってガンガンにハードトレーニングをしている。トレーニングをしていると「負けてたまるか」という思いになってくる。ここまで何とか、そしてずうずうしく生きてこれたんだ。これからもずうずうしく生き抜いてやる。昭和42年の人たちよ、がんばってこの時代を生き抜いていきましょう。負けてたまるか53歳雑踏の中で「負けてたまるか」

  • 53歳雑踏の中で「負の感情」

    私は部下の悩みや不満をどれだけ理解していたのか・・・自分を基準に考えていた。部下の負の感情をつかんでいなければ、信頼される上司にはなれない。53歳雑踏の中で「負の感情」

  • 53歳雑踏の中で「つまらない大人にはなりたくない」

    10代のころ好きだったアーティストが歌っていた歌詞のフレーズに心揺さぶられていたあの頃・・・「つまらない大人」大人どころか、もう初老と言える段階にまで生きている。毎日が刺激的で、輝いていて、地位も名声もお金も全てが自分の努力で手に入ると思っていた。頭を下げ、わずかばかりの小遣いで細々と生きている人を馬鹿にしていた。しかし、今は、組織の中で必死に耐えて耐えて生きている人の尊さが身に染みる。必死に生きていることが「つまらない大人ではない」ことに気づいた自分がいる。1月19日が始まる。53歳雑踏の中で「つまらない大人にはなりたくない」

  • 53歳雑踏の中で「やる気の出ない月曜日の朝」

    何となくだるさを感じ、やる気が出ない。ニュースからの自粛の要請と悲観的なニュースの波状攻撃もメンタルの不調の原因になっている。月曜日、ボチボチたのしいことを考えながら、スタートしていこう。53歳雑踏の中で「やる気の出ない月曜日の朝」

  • 雑踏の中で「怒り」

    「やっているんですけれど、お客さんと時間が合わなくて・・・」「今、コロナなので接触は控えたほうがよいと思って・・・」顧客との関係が悪化している部下が言い訳ばかりを並べていた。一瞬、私も介入して指導しようと思ったが、その光景を遠くから眺めることに意識を変えた。客観的に観ることができた。人の上に立つには、冷静さが何よりも求められる。一瞬の怒りは、時間という中和が必要だ。1月15日、今日も一日が始まる。雑踏の中で「怒り」

  • 昭和42年生まれのつぶやき「虚勢を張っていた人の末路」

    私と同じ年齢で、二つの小さな会社を経営している男性がいる。SNSで自分の自慢や相手を非難する内容を発信していた。しかし、最近はSNSが更新されていない。近況を聞くと、会社の経営が傾きかけているとのことだった。人を攻撃していた人は劣勢に立たされると、一気に勢いを失う。彼は授業員を解雇し、経営の規模を縮小している。人を攻撃していた人は、自分にも同じ運命が待っている。そうならないためにも自戒しよう。1月14日、今日も一日が始まる。昭和42年生まれのつぶやき「虚勢を張っていた人の末路」

  • 昭和42年生まれの男のつぶやき「ダメな世代」

    私の学生時代はビンタや暴力的な指導がたくさんあった。理不尽なしごきもあった。会社に入ってからも、大声で怒鳴られたり、無視されたり、人前で罵倒されることも多々あった。今なら、すぐにパワハラで訴えられることが日常に当たり前にあった。しかし、私たちの世代がその色彩を色濃く残している。そして、会社でも使えない上司、またはパワハラ等で第一線から消えていっている。理不尽な厳しは通用しない。今は厳しさを丁寧さに変換して人を指導していく必要がある。なぜ、この仕事をあなたに任せるのかという理由仕事の工程達成した後の会社への貢献度や自分の変容こういったことを提示・説明しながら丁寧に指導していくことが必要だ。1月13日、今日も一日が始まる。昭和42年生まれの男のつぶやき「ダメな世代」

  • 昭和42年生まれの男のつぶやき「許すこと」

    一度でも相手が自分の意に反した言動をすると、相手と距離を取った。冷たく無視をして、相手を威圧していた。それが自分なりの報復だった。しかし、こういった生き方は遺恨を生む。わかっているのだが、相手を許すことができない自分・・・ここを変えなければ、人の上に立つ信頼される上司にはなれない。1月12日、今日も一日が始まる。昭和42年生まれの男のつぶやき「許すこと」

  • 53歳の独り言「大切にしていること」

    夢をもつこと情熱をもつこと人を許すことこの三つを大切にして生きる。1月8日が始まる。53歳の独り言「大切にしていること」

  • 53歳の独り言「耐えるしかないのか」

    駅から人が消えた。観光スポットは誰も歩いていない。夜の繁華街の雑居ビルに「閉店しました」の張り紙がたくさん見られる。街がゴーストタウンになったのかという錯覚を覚える空間が目の前に広がっていた。耐えるしかないのか・・・こんな時代が来るとは・・・テレビでは、無責任な政治家とコメンテーターが持論を述べている。しかし、その声は心には響かない。その人たちは、セーフティーゾーンから述べているからだ。自分の保身という雰囲気が漂っている。午前中、お世話になっているお店からテイクアウトをした。「来てくれてありがとう」と店主から声を掛けられた。心底、感謝の思いが伝わってきた。自分にできることは何か・・・そんなことを考え生きていく。53歳の独り言「耐えるしかないのか」

  • 53歳の独り言「休日の過ごし方」

    休日も朝は6時に起床して、スポーツジムに行き、ストレッチとランニングマシンを日課としている。その後、家に戻り、朝食を取り、会社に行く。誰もいないオフィスでゆっくりと机に向かう。仕事はほとんどしない。コーヒーを飲みながら、読書や好きな動画を1時間ほど見ている。そしていつもの蕎麦屋で昼食を取る。その後は家に戻り、ゴロゴロとする。途中、眠くなったら昼寝を少しだけする。17時にはまたスポーツジムに行く。今度は筋トレと有酸素運動でしっかりとトレーニングをする。その後、ジム内のサウナとお風呂に入る。至福を感じる時間だ。再び、家に戻り、週末は妻と外食をする。ささやかだが、こんな一日が幸せだと実感している。その週末を迎えるためにも今日をがんばろう。53歳の独り言「休日の過ごし方」

  • 53歳の独り言「幸せの自己申告」

    年賀状は少なくなった。一時、流行した家族の写真入りの幸せアピールの年賀状もなくなってきた。それでも、自分の家族の円満さをアピールする虚栄心の強い人はまだ生き残っている。親や親戚に出すだけではなく、会社や付き合いの少ない人にも幸せアピールの年賀状を送付する。部下の50代の独身女性が「子供の写真や家族の写真を送りつけられると、私は人生の敗北者なんだと新年から暗く落ち込むの・・・」といっていた。彼女のさみしい本音が好きだった。家を建てました・・・息子が○○大学に進学しました・・・経営している会社に支店ができました・・・趣味のボートを買いました・・・娘の発表会の写真です・・・幸せアピールは、年賀状やSNSに溢れかえっている。自分は自分の幸せはそれを喜んでくれる小さな集団だけに発信している。というか、発信できる幸せもほと...53歳の独り言「幸せの自己申告」

  • 53歳の独り言「一人」

    53歳になると、新年もあまり人と会わなくなった。若いころは、毎晩、友達と飲み歩いたものだ。30歳を過ぎると、家族との時間が増えた。しかし、子どもも大きくなると、一人の時間が増えた。年末年始の私の行動は、職場に行き、その後、ジムに行き、そして温泉に行って家に帰る。その単調なリズムの繰り返しだ。しかし、単調なリズムが今の自分には心地よい。一人の時間も悪くない。53歳の独り言「一人」

  • 53歳の独り言「新年」

    年賀状の整理に出社、警備員の人から「部長さんは正月もないのですね」と言葉をかけられた。今年はどんな一年になるだろうか。私が思うことは、「期待しない」ことだ。信念は、多弁にならず、調子に乗らず、人には誠実にすることだ。今年もそれなりに生きていく。53歳の独り言「新年」

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