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  • この雨は京都から

    リビングに座り一日の大半を過ごした。 資格試験の勉強に時間を費やしているが、完全に空回り。 頭に残っているのかわからない。 安物の扇風機の羽音を聞きながら開くテキスト。 カバーをはずした表紙の色が赤すぎると思った。 雨音が途切れなく強くなったり弱くなったりを繰り返して、 朝、昼、夕方も・・・・ この雨は、きっと京都からのなみだ雨だ。 こんな形で散った命は一体どこへ向えばいいのだろうか。 問いかけても答えはない。 合掌 [ad#rannkinngu]

  • わたしを根無し草と呼ばないで

    今日は「海の日」 夫もわたしも休みだった。 野菜の世話をしては、ちょっと資格試験の勉強もし、 特にどこに出かけるわけでもなく一日が過ぎた。 朝は、ピーマン、ミニトマト、ナスのピザトースト、 昼は、11日から採れ始めたゴーヤーを使いゴーヤーチャンプルに、 夜は、ナス、ピーマン、中玉トマトを入れた夏野菜カレーを作った。 連作病かと悩んだきゅうりは見事に復活、3本の立派なきゅうりに成長。 ピリ辛きゅうりにして美味しく頂いた。 黄色のパプリカを1個買って食べた後、沢山の種が残った。 ためしにとポットに蒔いてみたら芽が出た。 生まれたての双葉はそろってばんざいをしている。 しかし、これから、育てても、 実をつける頃は秋風が吹いているのではなかろうか。 心配だけど芽が出た以上は育ててやらなければ。 こちらはマリーゴールド。 昨年、咲かせた花の種を採っておき植えた。 本葉が出始めたので、鉢上げをした。 元気な苗はそろって根も沢山伸びている。 むかしむかし、島を出る時に父親に 「○○は根無し草みたいな生活になる」と言われた。 4番目の娘を手元に置いておきたかった気持ちであるのはわかっていたが、 一応結婚という大義名分を持って島を離れるのに、根無し草とはなんぞや。 面白くなかったが、時を経てみれば、 父親の言葉の通りの生き方を選択してきた自分だった。 根っこって大事だ。 花や野菜を育てていると特にそれを感じる。 根っこがなければ植物は生きられない。 探せば根のない草はあるかもしれないが、 わたしはエアプランツ以外知らない。 そんなことをつらつらと考えながら、 だから、わたしを根無し草と呼ばないで。 根っこをちゃんと張っているから。 意味不明な事を言ってみたり、 一見関係ない事をひっつけてみたりして父親を思い出していた。 もっと早くそう言えたらよかったのに。 最後にそこに行き着くことはわかっていたが。 [ad#rannkinngu]

  • このまま12,800円を無駄にしてはいけない。

    ↑雨粒を含みぴかぴかのピーマン 6月の上旬にある資格試験の申し込み書を郵送した。 試験日は8月の後半。 試験を受けるのに受験料12,800円も支払って。 仕事帰りに書店に寄って参考書を買って気合充分で試験勉強を始めたはいいが・・・ 3日ぐらいで挫折し、しばらくほったらかしにしていた。 正社員になりたくて、 職業訓練校に通ってまで取得した介護初任者研修資格は一年介護施設に勤めただけ。 状況が変化したとはいえ、ガイドヘルパー資格も活用していない。 資格は持っているだけでは何の役にも立たないのは当然だし、 実際に現場で働いてこそ技術やなんかも身についてくるのわかっているのだが。 何となく全てが中途半端だ。 それなのにまた・・・ 「お前なあ、58だろう。今更何の資格がいるのか」 うん、言われて当然だな。 「介護の資格も使ってないだろう」 はい。その通り。 夫は、ちょっと冷ややかな視線を向けながらも まあ、勉強することはよいことだと高みの見物。 万が一受かったら何でも好きな事聞いてやるとまで言い出す始末。 しばらく勉強から遠ざかっていたわたしが再び「よし!」 と、気合を入れなおしたのが、昨日のこと。 実は、あるブログ主さんが同じ資格試験に挑戦しているという記事を読んだからだ。 そうなんだ。 みんな一生懸命に頑張っているんだ。それなのに・・・ 勉強もせずに落ちましたでは話にもならない。 このまま12,800円を無駄にしてもいけない。 努力した結果力及ばなかったらそれはそれで自分の中では納得がいくものだろう。 ということでまたまた、異国語のようなカタカナに振り回される日々が始まった。 ブログに書くと不思議なもので、必然的にやらなければという気持ちが起こってくる。 ブログの底力と言っても決して大げさではないと思う。 そんな決意を込めてその力が欲しくてこの記事を書いた。 [ad#rannkinngu]

  • ミスした事ありますか

    仕事を終えて更衣室で着替えていた。 わたしは1時が仕事の終了時間だ。 同じ部門に勤めていても勤務時間帯によっては全く顔を合わせない人も居る反面、 他部門でも顔見知りになるケースがある。 その日は、ベーカリーのパートさんと一緒になった。 いつもにこにこと挨拶してくれる40代後半の色白の女性だ。 どうも元気もない。 具合でも悪いのだろうかと思った。 案の定、彼女が言った。 「ミスした事ありますか。例えば売価表示のミスとか」 突然の問いかけにびっくりしたが、元気のない理由がわかった。 「あるある。ロボットじゃないんだから失敗もするよ」 「わたしなんかしょちゅうだわ」 と多少誇張気味に言った。 すると彼女、突然泣き出すではないか。 女の涙に弱いのは何も男性だけではない。 一回りも年下の可愛らしいパートさんに泣かれてわたしはおろおろ・・・ どうやら売価プリンターラベルの貼り間違いをしてしまったよう。 「最近ミスが多すぎる。気が緩んでいるわ。気をつけてよ」 と、同僚のパートさんに言われたのが追い討ちになったようだ。 明らかに自分のミスであっても 上司や社員さんに注意されるのは素直に聞き入れられるのに、 力関係の同じようなパートからだと受け入れがたいもの。 気持ちがよくわかった。 「大丈夫大丈夫。今度から気をつければいいんだから。 それに、そのパートさん、自分は失敗したことないのかしらねえ」 と指摘したパートさんをちくりと悪者にして慰めムード全開。 きっとこういうことってどこの部門でも日常茶飯事的に起こっているんだろうなあ。 利害関係のない他部門だからこそ、こんな感じに自分の弱みを見せられるかもしれない。 ひとしきり涙して落ち着いた頃合で、 「またね」「お疲れ様」の言葉を交し更衣室を後にした。 その後、可愛らしいパートさんとは何度か会っているが、 にこにこと元気そうにしているので安堵している。 [ad#rannkinngu]

  • 2020年1月9日まで

    通勤定期券を半年分購入した。 通勤手当はひと月分づつ給与と一緒に振り込まれる。 三か月分購入してもひと月分だけ購入するのと大してお得感はないが、 それが半年分になると約一か月分割り引かれている勘定だ。 今の職場に行き始めた頃は、ひと月区切りで定期券を購入していた。 半年先まで無事に勤められているかどうか不安だったからだ。 が、3ヶ月を過ぎた頃からこれは行けるぞと、思い切って半年分購入したのだ。 今回は2度目の半年分購入で、定期券には2020年1月9日までと印字されている。 「2020年・・・。オリンピックの年だなあ」 感慨深く定期券を眺めた。 東京にオリンピック開催が決まった時、お年寄りがこぞって 「東京オリンピックまで・・・」 を合言葉にしていた。 近いような遠いようなそんな不思議な感覚の2020年が、もう来年に迫っている。 パート採用は昨年の9月27日だ。 あっという間の10ヶ月だった。 生涯現役を豪語している身としては、たかだか10ヶ月勤めただけだ。 あと5年も10年もここで・・・と考えると果てしなさ過ぎて現実味がない。 とりあえずは定期券の更新日の2020年1月9日までを一区切りとして 頑張ることにしようと思う。 全員50代以上の女の職場。 何もないようでも色々出てくる。 確かに慣れてくるに従って見えてくるものもある。 そんなパート間の温度差を今後はいかに上手く切り抜けていくか。 仕事云々よりもそっちの方が心配だというのも変な話だ。 [ad#rannkinngu]

  • 記念日を忘れた

    2017年6月 わたし達夫婦は人生二度目の婚姻届を役所に提出した。 その時の事を「家族に戻りたい」というタイトルでブログに書き記している。 再出発の節目のできごとだったので、忘れるわけがないと思っていたのに、 何ということかカレンダーは7月になってしまっていた。 さらに、正確には6月の何日だったのか。 まるで思い出せない。 その事を夫に話した。 「2回目の結婚記念日がいつの間にか過ぎてしまっているよ」 「6月の何日だったっけ?」 「最初の時の事はしっかり覚えているのに変だな」 すると夫は 「年を取ると、最近の事は忘れて昔の事ばかり覚えているらしいからな」 いやいや・・・そういう問題ではないような気がするけど。 「で、あなたは覚えているの?」 「戸籍謄本見ればわかるんじゃない」 なんだ、夫も忘れているではないか。 まあ、二人とも若くないし似た者というのも確かだ。 恥ずかしながら同じ人同士での結婚記念日が、 2回もあること自体がどうよみたいな感じだから、 最初の時だけを正確に覚えていれば良いということにした。 7月も中旬に入る。 梅雨らしい湿度の高い曇天が続いている。 あじさいの葉っぱに黒い斑点が出てきた。 秋色あじさいに・・なんて思っていたが、やっぱり剪定してやった方がよさそうだ。 何事にも「その時」というどんぴしゃな時期があるものだ。 [ad#rannkinngu]

  • 安上がりな女

    朝起きるといつも外に出て花や野菜を見る。 収穫できそうなものはちょんちょんと収穫する。 野菜は朝早く収穫すると一番美味しい。 スーパーで販売している野菜や果物でも朝採りは頭1つ抜け出て価格も高い。 となると少しでも美味しい方がいいに決まっている。 で、わたしも真似をしているというわけだ。 この野菜達、 弁当作りの材料にも大活躍だ。 プランターの小さなスペースから、 日々自然の恩恵が受けられるのはありがたい。 収穫したら、毎日夫に見せて自慢する。 夫は「すごいじゃん」と言い、ふんふんと頷いてくれるが、 多分、半分以上は右から左に抜けているとみている。 しかし、それは大して問題ではない。 嬉しい事は誰かに伝えて倍増した気分に浸りたいだけ。 ある休日、夫がわたしに言った。 「お前は安上がりな嫁だ」 突然と何を言い出す。 しかも、安上がりだとは聞き捨てならない。 一瞬、むっとした。 「どうせ安上がりな女ですよ」 憮然としながらもその理由を聞いてみた。 すると、 「休みの日でもどこかへ連れて行けといわないし、外食しようとも言わない」 「服は子供達のお古、高い化粧品を使っているようにもみえない」 「花さえいじらせていたらニコニコと機嫌がいい」 「今更ながらほんと、安上がりな奴だと思うよ」 としみじみというではないか。 言ってくれる。 だけど、当たっている。 99パーセントその通りだ。 たしかに、高価な服やバッグは要らない。 何より似合わないから。 ショッピングモールの人ごみの中より植物園とか動物園とかの方が落ち着く。 たまの旅行はいいけれど頻繁に出かけようとは思わない。 高い化粧品は・・・欲しいけど元が取れない。 幸せというのは形も色も人それぞれ・・・。 お金をかけるのがいいとは限らない。 安上がりな嫁だという表現はいただけないが、夫はそういうことが言いたかったんだろう。 おっしゃるとおり、わたしはここに根を張って、るんるんと安上がりに暮らす。 やっと延びてきたガーベラのシミ1つない黄色の花びらが、 うんうんと頷いている気がした。 [ad#rannkinngu]

  • 青い鳥

    日曜日、スーパーは最高に忙しい。 パートも平日の時給よりも100円アップのプチ稼ぎ時。 忙しいのは嫌だというパートさんもいるが、活気があってなんぼの世界だと思っているので 忙しいほうが気合が入っていい派だ。 今日は、娘二人が帰ってくる予定だ。 昼食用にはサンドイッチを食パン2斤分作りおきした。 具はゆで卵と自家製のきゅうり、トマトなど。 仕事が終わって買い物。 サーモン好きな娘達の為に鮮魚コーナーへ行った。 いつもよりツーランク上の中トロマグロが入った6点盛りのおつくりを買い、 冷凍枝豆2袋で挟むようにマイバックに入れた。 生ものを買うときは冷凍の枝豆を買って一緒に袋の中にいれる。 枝豆は、家に着くまでそこそこ凍った状態で保冷剤の役目をしてくれる。 道中約40分ほど。 職場のスーパーで買い物しているとよく聞かれるのが 「重くないの?」 とか 「家の近くにスーパーないの?」 等など・・・ 自宅の最寄り駅には銀行、大型スーパー数件、ぱんやさんに花屋さん、 生活に必要なお店屋さんは殆どそろっている。 しかし、僅かでも売り上げに貢献したい気持ちがあるし、 雇ってもらっているからという昭和的な気持ちが自分の中にある。 帰宅すると、サンドイッチを食べリビングでゴロゴロしていた。 わたしは、頂き物のメロンを切ってあげたり、桃をむいてあげたりそわそわと忙しい。 娘達は夕食を済ませると、プランター菜園で収穫したピーマンとトマトを土産に それぞれの生活の場所に帰っていった。 なんてことはない。 食べて飲んでごろごろしてたまにおしゃべりして・・・。 七夕の日。 おりひめとひこぼしは無事に会えただろうか。 わたしの欲しかった世界は全てここにあった。 [ad#rannkinngu]

  • 最後の連絡

    ラインブロックをされたその後、彼女とは全く連絡がなくなった。 それはそれで受け入れられるようになったものの、 何かの拍子に??という思いは今だに湧いてくる。 案外しつこい性格だ。 仲良く日常をつらつらとしゃべりあっていた頃・・ ほぼ聞き役専門ではあったが。 彼女からのお願い事が1つあって、その情報が手に入ったのでそれを伝えようと思った。 向こうから理由も告げずに連絡を断ってしまっての今だから、 別にこちらからわざわざ連絡する義理はないが、一方的な不義理もひと月も経てば、 許せる範疇まで気も静まってきているのも事実だった。 もしかしたらわたしの全く意図せぬ言動で彼女を傷つけてしまっていたなら、 謝りたいし誤解を解きたいという思いもあった。 しかし、流石に電話をかける気にもならず、ショートメールを使い 「ご無沙汰です。ラインがブロックされているようなのでこちらで・・・」 と以下連絡事項を伝えた。 彼女の反応如何では、何か事の真相が明らかになるやもしれない的な気持ちがあった。 すると、程なく 「連絡ありがとう」 という言葉に続き、「もう必要ない」という内容の返信がたった2行できた。 ラインブロックの件には一切触れてなかった。 相手がどんな気持ちでこの言葉を送っているのか、 暖かい気持ちなのか、冷たい気持ちなのか・・・ スマホの小さな画面の機械的な文字の羅列が呼吸するようにわたしに伝えた。 今回は後者だった。 終わったと思った。 なにかが壊れたのだ。 そして確信した。 わたしが原因ではないと。 彼女が自分で叩き壊している。 毎日かかってくる電話。 山のようなライン。 確かに時間は取られたが、わたしも聞いてもらえた事も沢山あった。 お互い様の気持ちもいっぱいあった。 彼女の激しい性格は淋しさの裏返しだとわかっていた。 だけどもうわたしは不必要の烙印が押された。 彼女には、その全てを受け止めてくれる他の何かが見つかったのだろう。 もうこちらから連絡する事は二度とない。 本人には言えないけれど、ここで・・・ 「ありがとう。さようなら」 [ad#rannkinngu]

  • 休みの日はキュウカンバーと

    今日は天気も回復してやれやれの一日になった。 パートが休みなので花や野菜の世話をして過ごした。 きゅうりが残念な事になっている。 きゅうりはホームセンターで購入した接木苗一株と種からの4株のあわせて5株を育てていた。 そのうちの2株。 数日前からぐったりと萎れだし元気がなかった。 水が足りないのだろうかと思い水をやると一応は元気になるのだが、 どんどん萎れついには元に戻らなくなった。単純な水枯れでもない様子。 さすがにこれはおかしい。 病気だ。 ネットで調べてみるとツル割れ病というのにたどり着いた。 連作障害によって起こるという。 確かに思い当たる。 プランターで使用する培養土は、 天日干しにして腐葉土を足したり、 自家製のぼかし肥料をまぜたりしてほぼ100パーセント使いまわしだ。 連作と言われたらどうしようもない。 接木苗で連作障害が軽減するというのは知っていたが、いかんせん接木苗は高価だ。 種から育てるほうが断然経済的だし、きゅうりの発芽率は非常に高い。 育て安さは、トマト、ゴーヤーに負けないと思っていた。 それだけにこれからが収穫の本番だと意気揚々としていたのにショックだ。 袋栽培もよくなかったかもしれない。 石灰を入れなかったせいか。 真っ先に発病したのが袋栽培にしていた2株。 衰弱の勢いは待ったなしで、既に引き抜き処分した。 残りの3株は今の所萎れてないので大丈夫かと思ったが、 よく見ると見事につるがぱっくりとわれてしまっている。 幸いにカビたり黄変はしていないが、日中やっぱり少し萎れ始めている。 これも・・・・ もう萎れて枯れてしまうのも時間の問題なんだろうか。 早急に処理し土壌消毒をしたほうがよいとかたぶん大丈夫だとか まちまちなネット情報にも悩まされている。 それにこんなかわいいきゅうりが出来始めている。 あの枝にも、 この枝にも、 どれも育つ気まんまんで元気だ。 隣に植えてあるナスにツルを絡めてお友達状態。 もし他の2株と同じ病気だったらナスにうつってしまうのだろうか。 トマトだってあるし・・・ そもそもうつるものなのか? 安全を期すなら早く抜いて処分しなければと思うのだが、

  • 自分の下に人を作りたがる人。

    わたしが最初に勤めたのは歩いて10分ほどの近所にスーパーだった。 二ヵ月半で逃げだしたが。 今の職場も同社他店だ。 再び同じ会社を選んだ。 リベンジのつもりだった。 仕事内容のマニュアルは全て一緒、 店によって多少の違いはあっても一度聞けば把握できる自信があった。 不安なのは人間関係だった。怖くてたまらなかったのを覚えている。 実はわたし、関西に引越し一人暮らしを始めた時に最初に勤めたのがこの会社のスーパーだった。 そう3店舗目だ。 仕事だけでいえば、3店舗目の強みはやっぱりあって、 普通に教えてもらえれば先輩方に追いつくのに時間はかからなかった。 わたしと同じ時期に入社したパートさんが一人いる。 年齢も一緒だ。 スーパーの仕事は初めてだという。 50代後半になってから新しい事を覚えなければいけないのは大変そうで、 結構苦労しているのが見てとれた。 しかし、持ち前も明るさと何事も気にしないタイプの性格のようで頑張っているのが伝わってきた。 よしわたしも頑張ろうと思わせてくれる人だ。 所が最近気になることが現れた。 一年半先輩のパートさんが、彼女に何かと自分の仕事を振るのだ。 例えば、品だしで余った商品をバックに持って帰ってとかはまあまあ有りかもしれない。 しかし、自分の加工作業で出たダンボールをつぶしてと言っているのには驚いた。 片付けさせているのだ。 一応「悪いけど」とか「ごめんだけど」という言葉はつけているが、 「それってあなたの仕事じゃないの」と横目でちらりとみてそう思ったのがわたしだ。 心の中で思っただけでとても口に出してはいえない。 後で同期と二人になった時にそれとなく尋ねてみた。 「○○さんが色々と仕事押し付けているように見えるけど大丈夫なの?」 すると 「そうなんよ。でも嫌っていえないし。仕事を教えてくれる時もあるから気にしないようにしてる」 「それにすぐ忘れるからいいんよ」 すぐ忘れているようには見えなかったが、本人が気にしていないというのだからそれ以上何も言えず 「そうなんだ。変に揉めるのも嫌だしね」 で話しは終わった。 スーパーの裏方を支えているパートの世界にもこんな具合に色んな感情が絡み合っている。

  • 「どいてよ!」

    わたしはスーパーの青果部門で働いている。 週4日勤務で、大体3日はバッグヤード業務で残りの一日は品だし業務だ。 品だし業務は商品を台車に乗せ陳列する作業だ。 買い物するお客様の邪魔にならないように、 商品をすばやく綺麗に並べつつ、 お客様から声をかけられれば、部門関係なく最優先で対応しなければいけない。 うちの店はいわゆる大型店舗ではない。 店舗の大きさから言えば中型の部類になる。 となると通路が広くない。 買い物カートを押したお客様とはすれすれ状態、 ぶつかったりすれば大問題になるので、常に最新の注意を払う。 接客業務はわりと好きだし、店頭に出るのも楽しい。 常にお客様優先で。 それはスーパーで働くものの常識だ。 ところが、そうはいっておれない事情もある。 品だしが遅れれば商品が薄くなり、 「ないですよ」と催促されて慌てるという事態に陥る。 うまく手際よく、時にはちょっと強引に・・・ その辺の匙加減も板についてきたつもりであった。 ある日のこと。 その日もチラシが入って朝からお客さんが沢山来た。 例のごとく必死に品だししていると、何やら背中に視線を感じた。 振り返ると買い物籠を持った女性が立ってこちらをじっと見ていた。 髪は肩ぐらいの長さで黒い服にマスクといういでたちであった。 「いつになったらどくのよ。取れないじゃないの。どいてよ」と。 しまったと思った。 「申しわけありません」とすぐに謝り台車をひいた。 その女性は一袋100円のナスをひとつ取り、 「全く・・・配慮がなさ過ぎるわ」 とぷんぷん、店内中央へ歩いていった。 かなり怒っていた。 困った。 クレームがくるかもしれない。 どうしよう。 でも、あんな言い方しなくてもいいんじゃないの。 手を伸ばせば取れるスペースは確保していたつもりだし、 何より一声かければすぐにどくのに。 とわたししきりに自己弁護。 終いにはクレームが来たら来た時だと開きなおっていた。 それから数日たち、結果、クレームは来なかったが、 以後わたしは、身体の後ろ側にも目を沢山つけているつもりで品だしをするようになった。 お客さんの気配を敏感に感じ取るようにアンテナを4本ぐらい立てて。 お陰様で「どいて」なんて言葉はあれ以来一度も聞いていない。 そうなると話が変わってくる。

  • 祈り(私信)

    ブログをかき始めたのは2013年の終わりごろ、 あれから6年の月日が流れた。 ブログは止めたり復活したり休んだりしながらもつらつらと続けている。 基本コメント欄は閉じているし、メールアドレスも非公開だ。 そんな中、ふとしたきっかけでご縁が出来た。 当然会ったことないし姿形に声も名前もしらない。 つかず離れずほどよい距離感を保ちながら・・・ 偶然と言えなくもないがこうなればもう必然だったと思ってしまうこの頃だ。 「友だちがいない」 と書けば 「わたし達ではだめですか?」と言ってくれた。 画面の向こう側の喜怒哀楽も直球で伝わってくる。 それこそ痛いほどにびっしっと。 今、涙をながしている貴女・・・ 貴女のそばにいて背中をとんとんはできないけれど、 すこしでも哀しみがなくなりますように。 必ずよい方向に向いますよと四角に折りたたんだハンカチを 大丈夫だからねと手渡したい。 わたしにはこんなことぐらいしかできない。 [ad#rannkinngu]

  • 秋色あじさい

    週休3日は、ほんとに楽だ。 一日パートに行って一日休んで、二日パートに行って一日休んでの繰り返し。 少し物足りない気がしたのは最初のうちだけで、 慣れてくれば休みに越した事はないと気まぐれさが炸裂している。 大阪サミットで一時騒然とした関西。 季節は梅雨まっだだなか。 昨日のパートの帰りまたもや大雨になった。 先週のそれとは比較にならないぐらいの凄い降りで、側溝に流れ込む水の勢いが恐ろしかった。 氾濫とはこうやって起こるものだと思った。 この暴風雨の中、雨宿りもせずに一気に突っ走り家路へ。 この時、あと30分もすれば雨が上がるであろうな等とは梅雨ほども知らず。 当然濡れねずみの濡れおばさん。 出かけるたびにずぶぬれになるのも珍しいものだと、妙に感心したり・・。 こんな大雨でも軒下のあじさい達は嬉しそうだ。 花の時期のピークは過ぎているが、わざと剪定を先延ばしにしている。 まだまだ綺麗だ。 桜のように一気に咲いて潔くパッと散るのもよいが、 あじさいのような渋さもなかなかあなどれない。 4月のはじめ、店頭に並んでいた真っ白い花びらのあじさいを買った。 このあじさいはハウスで育てられて一足早く開花したもの。 リビングで眺め、玄関で眺め、窓辺に移動してみたり・・・ 少しずつ外の空気に慣れさせ大事に育ててきた。 水切れをしないように大きめの鉢にそっと植え替え、 こぼれんばかりに咲いている花も株の負担を減らす為に何本か切り取った。 そのあじさいも今はこんな感じ。 真っ白だった花びらは緑色に。 秋色あじさいというのだそうだ。 切り取った花は花瓶で楽しんだ後、さし芽にした。 3本が発根し先週末に鉢上げをした。 あじさいの鉢が新たに3つ増えた。 植木鉢は相変わらずの使いまわしだが問題なし。 こういう作業はほんとに大好き。 うまく育ってくれる事を願う。 ブログ村ランキングに参加しています。 [ad#rannkinngu]

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