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読書が大好きな行政書士の思索の日々
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徒然草紙さんの新着記事

1件〜30件

  • 『冬の日誌』ポール・オースター

    ポール・オースターの『冬の日誌』私はこれまでポール・オースターという作家がいることを知りませんでした。解説によると新潮文庫から何冊か作品が出ているとのことですが、見たことがありません。もっとも最近はあまり本屋に行くことがなく、もっぱら図書館を利用しているので、どのような本が出版されているのか少し疎くなっているのかもしれません。『冬の日誌』は作者の自伝的小説です。ただこの作品は、「私は」といった一人称で語られているのではなく、「君は」という読者に呼びかける形で書かれているので、当初、自伝的小説とは思いませんでした。作品の構成も時系列に沿って書かれているのではなく、様々な人生の断面をアトランダムにつなげて書いているので、何がなし、教訓めいたことを書いたエッセイなのかな、と思ったほどです。解説に自伝的小説とありました...『冬の日誌』ポール・オースター

  • 『失われた時を求めて ソドムとゴモラ』プルースト

    『失われた時を求めてソドムとゴモラ』を読みました。この巻で、プルーストは同性愛について書いています。読んで感じたのは、同性愛といっても、その感情は異性に対するそれと変わらないということです。ただし、それは隠さなければならないという点で違いがあります。同性愛は人間のもつ悪徳のひとつとして考えられてきたため、異性に対するようにはいかないわけです。シャルリュス男爵という同性愛者が登場します。彼はモレルというバイオリン奏者と同性愛の関係にあるのですが、そのことをひた隠しにしています。しかし、彼の言動から周囲にはそのことがわかってしまい、陰で嘲笑の的となっています。シャルリュス男爵自身はうまく隠しおおせていると思っているため、そのことには気づきません。面前で、そのことを暗示するような会話がなされても気が付かないシャルリュ...『失われた時を求めてソドムとゴモラ』プルースト

  • 『若き日と文学と』辻邦夫 北杜夫

    『若き日と文学と』は辻邦夫と北杜夫の対談形式による文学論です。話題の中心となるのはトーマス・マン。『ブッテンブローク家の人々』『魔の山』『トーニオ・クレーガー』といった作品を通してヒューマニズムやユーモア、アイロニーといった点について語り合っています。ただ、哀しいことに私にはその内容がよくわからない。というよりもトーマス・マンの作品からそれらの事象を読み取る力が私にはないのですね。私は『魔の山』『トーニオ・クレーガー』『ウェニスに死す』は読んでいるのですが、たとえば、辻邦夫、北杜夫の二人がいうところのユーモアなぞ、どこにあるのだろうと思います。二人の対談を読んでいくと、何かわかったような気にはなりますが、何も残らない。すなわち、本質的なことは何もわかっていない自分に気が付くのです。一流の創作家との違いというもの...『若き日と文学と』辻邦夫北杜夫

  • 『柳田国男の民俗学』福田アジオ

    福田アジオ氏の『柳田国男の民俗学』を読みました。これまで、文学書のようなイメージのあった柳田国男の作品郡が民俗学の研究書であることにあらためて気づかされました。このようなことを書くと、何を言っているのか、と疑問を持つ方もいるかもしれません。ただ、私にとって、柳田国男の作品を読むことは、民俗学という学門を学ぶことではありませんでした。日本社会の成り立ちをひとつの文学作品として楽しむ、といった思いのほうが強かったのです。そのため、柳田国男の学説が正しいか正しくないかや民俗学とは何のためにある学問なのかということは、あまり考えずに読んできました。他の民俗学者、たとえば、宮田登や谷川健一などが書いた本を研究書として読むのとは違っていたのですね。それがこの本を読んだことで、柳田国男に対する見方が変わりました。彼は民俗学者...『柳田国男の民俗学』福田アジオ

  • ホーンブロワー三部作 セシル・スコット・フォレスター

    セシル・スコット・フォレスターのホーンブロワ―三部作は、『パナマの死闘』『燃える戦列艦』『勇者の帰還』の三作のことです。これらの三作品によって、作者のセシル・スコット・フォレスターはその名を不動のものとしました。さらに、ここから、海洋冒険小説の雄ホーンブロワ―・シリーズが書き始められていったわけです。パナマ沖でのスペインの戦列艦との死闘、艦砲射撃や上陸戦闘による敵部隊の殲滅戦など、艦長ホーンブロワ―は大活躍をします。さらには4隻ものフランス戦列艦に対してただ1艦のみでの戦闘を挑み、3隻の敵艦を撃破するも、敵の砲撃によって乗艦は浅瀬に座礁。彼はフランスにとらわれの身となってしまいます。銃殺刑必至の情勢の中、機をみて脱走。400マイルもの距離を踏破して故国イギリスへと戻っていくというのがこの三部作のあらすじです。ま...ホーンブロワー三部作セシル・スコット・フォレスター

  • 『冬至まで』ロザムンド・ピルチャー

    人生は素晴らしい!思わずそう叫びたくなる小説です。主人公は、人生で困難な出来事にぶつかった時には笑い飛ばして前に進むだけ、といったポジティブな人生観をもったエルフリーダ。病気によって最愛のパートナーを失った経験をもつ彼女の前に現れたのがオスカーという男性です。若くパワフルな妻と年をとってから生まれた11歳の娘ををもつオスカーでしたが、突然の事故によって妻と娘を一時に失ってしまうのでした。傷心のオスカーに寄り添うエルフリーダ。オスカーが所有権を半分持つスコットランドの一軒家で暮らし始めた二人のもとに、サム、キャリー、ルーシーの3人が引き寄せられるようにやってきます。彼等もまた、最愛の恋人と別れたり、家族から邪魔者扱いされたりして心に傷を負った者たちでした。そんな5人が一つ屋根の下で暮らしていくなかで、心の傷を癒し...『冬至まで』ロザムンド・ピルチャー

  • 『手仕事の日本』柳宗悦

    柳宗悦の『手仕事の日本』を読みました。太平洋戦争前に書かれた作品ですが、検閲に引っかかり、その部分を修正したのもつかの間、戦争の嵐のなかで出版は頓挫。戦後、ようやく陽の目をみたという作品です。序文には、「平和」という文字を使ってはならない、といわれたとあります。太平洋戦争突入直前の日本が現代から見て、いかに異質な国であったかを示すエピソードといえるでしょう。『手仕事の日本』に書かれた日本の道具、陶器、和紙といった工芸品は、現在では一部でしか見られないものとなっていると思います。少なくとも、私が日常使用しているもののなかにはありません。わずかに陶器がありますが、日常使いまわしてはおらず、押入れのすみに入ったままですね。工芸品自体、使うものではなく鑑賞するもの、といった観念が強いため、いつも手元にある、というもので...『手仕事の日本』柳宗悦

  • 『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』ゲーテ

    ゲーテの『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』を読みました。主人公のウィルヘルムは地に足のついていない根無し草のような存在に思えます。親は事業に成功した資産家で、生活していくには困らない環境にいることはわかるのですが、何だか頼りない感じがするのですね。思うに、ウィルヘルムが生きていく場所がはっきりと定まっていないため、このような感じを抱くのでしょう。当初、彼は恋愛と演劇に人生をかけていたのですが、その夢が破れると、今度は一転、父親の商売に全力投球。しかし、仕事先で再び演劇の魅力に憑りつかれ、仕事はほったらかしで劇団の経営と脚本の解釈に夢中になっていきます。演劇を通して芸術というものを探求していく青年の姿といえば、聞こえはいいのでしょうが、何か違和感があるのです。私にはウィルヘルムが心から演劇に打ち込んでいるよう...『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』ゲーテ

  • 『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』ジョナサン・ハリス

    ジョナサン・ハリスの『ビザンツ帝国生存戦略の一千年』を読みました。作者は、ビザンツ帝国が330年の「コンスタンティノーブル開都」を初めとして、1453年のコンスタンティノーブル陥落までの約1100年もの長期間、存続し続けることができた理由が知りたくてこの本を書いた、といっています。ビザンツ帝国は、東ローマ帝国とも呼ばれる滅亡したローマ帝国の衣鉢を継いだ国家です。しかし、ローマ帝国のように強大といったイメージはありません。むしろ、初めから終わりまで他民族からの圧迫にさらされ続け、最後には跡形もなく滅び去ってしまった弱小国家といったイメージが強くあります。けれども、国家として存続した期間が1000年を超えるといったことを改めて言われると、なんともいえない感慨に打たれます。古代から中世に移り変わる激動の時代を生き抜い...『ビザンツ帝国生存戦略の一千年』ジョナサン・ハリス

  • 『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー

    『吸血鬼ドラキュラ』を本棚の隅から20年ぶりに引っ張り出して読んでみました。面白かったですね。この作品は、ジョナサン・ハーカー、ミナ・ハーカー、ヴァン・ヘルシング教授といった登場人物たちの手記をつなげて書かれています。異なる登場人物たちの視点から語られるため、物語の緊迫感がより増しているように感じられました。ミステリーなどでは、時間で区切った章立てをすることで、異なる登場人物たちの視点から物語が語られていくという手法がとられることがあります。『吸血鬼ドラキュラ』はその手法の先達といってもよいのかもしれません。作者のブラム・ストーカーは20年以上にわたって劇団の仕事をしていたといいますから、その時の経験が小説に生きたといえるのでしょう。面白いことにドラキュラの視点から物語が語られることはありません。そのため、彼は...『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー

  • 金木犀咲く

    昨日、図書館に行く途中で金木犀が咲いていることに気がつきました。先週の金曜日、台風が来る前に借りている本を返すため、仕事帰りに図書館に寄った際には、金木犀は咲いていなかったので、台風が過ぎた後に花を開いたのでしょう。路上に金木犀の甘い良い香りが漂い、秋を満喫することができました。それにしても、今年は金木犀が咲くのが例年よりも遅い気がします。昨年は9月半ばにはすでに咲いていたように思うので。こんなところにも温暖化の影響が出てきているのでしょうか。今年、温暖化をもっとも強く意識したのは先週の大型台風です。東海、関東、北陸、さらには東北にかけて被害は甚大。しかも、今まで被害を免れてきた東京都心部にも深刻な影響がでました。海水面の温度が高いため、勢力が衰えないまま日本列島にやって来る台風のことは以前から聞いてはいました...金木犀咲く

  • 『水の葬送』アン・クリーブス

    『水の葬送』は、シェトランド四重奏シリーズの続編です。ショッキングな出来事で終了したシェトランド四重奏シリーズでしたが、この作品で新たなシリーズとして復活しました。主人公はシェトランド四重奏同様ペレス警部。しかし、この作品からは、シェトランド四重奏シリーズではわき役にすぎなかったサンディ刑事が主要な役割を演じるようになり、新たな展開を見せ始めます。また、新たに登場するウィロー警部は、「西のはて」へブリディ―ズ諸島の出身の女性刑事です。「北のはて」と「西のはて」の違いはありますが、どちらもイギリス本島の出身ではない刑事がシェトランドで発生した殺人事件に挑んでいきます。事件の指揮を執るのはウィロー警部。本来、指揮を執るべきペレス警部が『青雷の光る秋』事件のショックから立ち直れず、情緒不安定な状態にあることから、事件...『水の葬送』アン・クリーブス

  • 『新・平家物語』12 吉川英治

    吉川英治の『新・平家物語』12巻。一の谷合戦に大勝利をした義経ですが、兄頼朝に警戒され、戦いの指揮をとることができない状態が続きます。彼に代わって平家攻めの総大将となったのは蒲冠者範頼。しかし、彼は平家の巧みな戦術に翻弄されて、敵中に立ち往生してしまいます。そこで、再び白羽の矢が立てられた義経が屋島へと進撃する、というのが12巻のあらましです。巻の冒頭、平重衛の最後が語られます。南都焼き討ちの張本人として奈良法師たちの恨みを一身に集めていた彼は、奈良に送られて斬首されるのです。手違いからとはいえ、仏が祀られた堂宇を灰燼に帰してしまったことを深く悔やむ重衡に対して、ただ復讐の念に燃え立つだけの法師たち。どちらが真実の信仰者なのかと思います。「御仏の国奈良の古都が、悪鬼羅刹ばかりの古都になっている。」(『新・平家物...『新・平家物語』12吉川英治

  • 『司馬遼太郎覚書 『坂の上の雲』のことなど』辻井 喬

    辻井喬氏の『司馬遼太郎覚書『坂の上の雲』のことなど』を読みました。司馬遼太郎の『坂の上の雲』については、以前より歴史学者からの批判が多くなされています。また、NHKのスペシャル大河ドラマとして放映された時には、放映自体の中止を求める運動も起きました。こういった動きについて、私はその当時から違和感をもっています。もとより、作品を批判をすること自体には何の問題もありません。個人的にも乃木希典愚将説についてはいかがなものか、と思っていますので。しかし、ドラマ化自体を中止せよ、というのはどんなものだろうか、と思うわけです。私は『坂の上の雲』の小説もドラマも好きで、何度も読み返したり、観なおしたりしています。しかし、その内容からは日本の右傾化を促進するようなものを感じたことはありません。『坂の上の雲』はあくまでもフィクシ...『司馬遼太郎覚書『坂の上の雲』のことなど』辻井喬

  • 『漱石のマドンナ』河内一郎

    河内一郎氏の『漱石のマドンナ』を読みました。漱石が生涯のうちで心を惹かれた女性について書かれた研究書というかエッセイですね。大好きな夏目漱石に関するエッセイなので、短い時間で読み切ってしまいました。興味深かったのが、漱石の卷恋の対象だった女性は大塚楠緒子であったと断定している点です。江藤淳の『漱石とその時代』や『決定版夏目漱石』などには、嫂の登世が漱石にとって運命の女性であったと書いてあります。しかし、河内氏の研究によれば、それは違うというのですね。漱石の人となりや交友関係については、彼の残した日記や友人に宛てた手紙などを通してたくさんの研究がなされています。ただし、その中には、友人が漱石の死後の評判をおもんばかって、焼却処分してしまったものがあり、実際にはどうだったのか分からないものもあるようです。漱石の恋の...『漱石のマドンナ』河内一郎

  • 『物語 オーストリアの歴史』山之内克子

    山之内克子氏の『物語オーストリアの歴史』を読みました。興味深かったのは、この作品が通常の歴史の本とは異なり、各地域ごとの歴史を書いている点です。一国の歴史の叙述は、国として一つにまとまった地域を基本に描かれるのが普通だと思うのですが、この本は違いました。作者は、現代のオーストリアを構成する9つの州ごとに、古代から現代までの歴史を描いていきます。なぜ、このような構成をしたかといえば、オーストリアが単一の民族からなる国ではなかったからです。地域ごとに異なった民族と文化があり、それらをハプスブルグ家という、いわば扇の要によってまとめてきたのが、オーストリアの歴史だったのですね。しかし、ハプスブルグ家の勢力が衰えてくると、各地域の民族運動が活発化してきます。その発火点となった第一次世界大戦でハプスブルグ帝国は崩壊。それ...『物語オーストリアの歴史』山之内克子

  • 『 睥睨するヘーゲル 』池田晶子

    池田晶子の『睥睨するヘーゲル』を読みました。哲学を基にしたエッセイですね。はっきり言って、よくわからなかった、というのが感想です。私の理解力の欠如といってしまえば、それまでなのですが、最後まで何を言っているのかわかりませんでした。自分という存在には価値がない、と作者は言います。人生は虚無である、と。その一方で、自分を超えた価値が別に存在し、それは理想という言葉に置き換えられる、とも言っています。「自分を越えた全体のための考え方」(『睥睨するヘーゲル』池田晶子より引用)作者の言う理想の中身です。これを言葉として語ることができる生き方が「生きるに値する」人生であるという訳ですね。分からないのは、存在することに価値がない自分と、それ自体が価値のあるものとが別個にあるという考え方です。作者は両者が決して交わることがない...『睥睨するヘーゲル』池田晶子

  • 『句歌歳時記 秋』山本健吉編

    山本健吉編による句歌集。秋の部。しみじみとした感じを起こさせる歌が多いなかで、ちょっと毛色が違うと思ったのが次の歌です。時により過ぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめたまえ源実朝源実朝というと、線の細いひ弱なイメージがありますが、実際には賢明で能力の高い人だったようです。この歌もそのような文脈で読めば、実朝の責任感の強さがひしひしと伝わってきます。秋は台風の季節でもあり、それによる被害の大きさは現代とは比較にならなかったことでしょう。台風の被害に対する物理的な対応ができないとすれば、あとは神仏に祈るしかなかったのですね。そんななかでの必死な思いが感じられます。ただ、この歌は現代にも当てはまりますよね。昨今は、台風に限らず雨と聞けばすぐに浸水や土砂崩れを連想してしまうわけですから。実朝がこの歌を詠んだ当時からすれば...『句歌歳時記秋』山本健吉編

  • 『随筆 新平家』吉川英治

    『随筆新平家』は吉川英治が『新・平家物語』の執筆中に書いたエッセイをまとめたものです。『新・平家物語』執筆の動機や執筆の舞台裏などが書かれており、とても面白く読めました。以前、『新・平家物語』を読んだ時に、源義経が頼朝と一戦も交えずにひたすら逃げ回っていたことが納得いきませんでした。また、義経の逃避行になぜ、これだけのページを割くのかという点についても同じ疑問をもったのです。『随筆平家』にも、そのあたりの事情について、作者自身も同様な批判を受けたと書いてありました。私と同じ疑問をもつ人は他にもいたようです。これに対する作者の答えは「平和」の一言に尽きています。義経ほどの戦略家であれば、他にやりようがあったはずなのですが、彼はあえて戦うことを拒否しました。その結果、彼と彼を取りまく人々の運命は過酷なものとなりまし...『随筆新平家』吉川英治

  • 『庄野潤三の本 山の上の家』

    『庄野潤三の本山の上の家』は、庄野潤三が暮らしていた家の写真と作家の友人や家族によるエッセイ、さらにはこれまで単行本に収録されていなかった作品からなる本です。文字通り、作家としての庄野潤三の原点がちりばめられた本といえるでしょう。庄野潤三の仕事部屋や庭、古備前の大甕の写真を見ていると慣れ親しんだ小説の世界が目の前に広がるような気持になります。文字の上だけで想像していた風景は実際にはこのようなものだったのか、と新しい発見をしたようで、読んでいて楽しくて仕方がありません。一方で、この本に収められている単行本未収録の作品『青葉の笛』からは、庄野潤三の原点を垣間見た思いがしました。『青葉の笛』は、太平洋戦争中、人間魚雷「回天」の搭乗員にさせられた主人公の物語です。戦争を遂行する組織の非人間的なあり方に対する主人公の怒り...『庄野潤三の本山の上の家』

  • 『新・平家物語』11 吉川英治

    『新・平家物語』11巻の中心は一の谷の合戦です。古来、源義経の独壇場であったこの合戦について、吉川英治は異議を唱えます。古典には源氏側からみた合戦の模様しか書かれていないから、というのがその理由です。『随筆新平家』には、これまで書かれてきた物語では、平家が源氏の引き立て役でしかなかった、と書いています。読者はそれを当然のものとして受け入れてきたのだというのですね。そこで、『新・平家物語』では平家の視点から一の谷、屋島、壇ノ浦の戦いを描いてみたいといっているのです。11巻の一の谷の合戦では、平家の敗因を後白河法皇による謀略によるものとしています。義経の奇襲攻撃が平家を混乱に陥れたのは事実なのですが、そこに至る前に後白河法皇から和議の使者が来るのですね。その内容は、2月4日が平清盛の命日にあたるところから、2月8日...『新・平家物語』11吉川英治

  • 『海底二万里』ジュール・ヴェルヌ

    『海底二万里』は海洋SFの古典です。暑い夏の夜を気分だけでも涼しく過ごしたいと思い、本棚の隅から引っ張り出して読んでみました。約20年ぶりに読み返したのですが、面白かったですね。作品が発表されたのは1869年。19世紀です。潜水艦ノーチラス号が、水圧などおかまいなしにどんどん深海に潜っていく場面など、物理的に、これはどうなのか、といった描写もありますが、そこは小説です。細かいところはあまり気にせずに、物語の世界を楽しめばよいのですね。ただ、読んでいて、いかにも19世紀だな、と思ったのは、海中の生物についての言及がやたらと多いことです。海洋生物の名前がずらりと並べられているだけの場面が次々と登場します。正直なところ、読むのが面倒くさくなるほどです。19世紀は様々な科学上の発見に湧いた時代でもあるので、それがこのよ...『海底二万里』ジュール・ヴェルヌ

  • 『座談会・明治大正文学史』2

    岩波現代文庫の『座談会・明治大正文学史』。2巻、3巻と続けて読んでしまいました。国木田独歩、島崎藤村、田山花袋、徳田秋声、夏目漱石、志賀直哉と明治大正を代表する文学者を中心に、主に明治から大正へと移り変わる社会状況について、座談会形式で語られています。面白いです。座談会の中心となる柳田泉、勝本清一郎は、漱石や藤村といった作家たちと同時代を生きてきた人たちであり、ところどころに彼等が直接見聞した作家の状況が語られ、とても興味深いものがあります。残念なのは、柳田泉が早稲田大学に通っていたころの恩師から夏目漱石を紹介してあげる、といわれていながら、気おくれがして合わなかった、というエピソードですね。このような座談会のなかで、漱石その人と直接会った人の口から、漱石の人となりについて知ることができたらどんなにうれしかった...『座談会・明治大正文学史』2

  • 『銀河英雄伝説』田中芳樹

    去年、TOKYOMXテレビでアニメ『銀河英雄伝説』が放映されていました。偶然それを観た私は、懐かしくなって本箱の隅にあった『銀河英雄伝説』を取り出して読み返してみたのです。面白い、この一言に尽きますね。20代のころ、夢中になって読んだ時の興奮が再び蘇ってきました。『銀河英雄伝説』は現在、創元推理文庫からでていますが、私がもっているのは徳間書店から出版されたものです。1巻『黎明篇』こそ1983年の第2版ですが、残りの9巻はすべて初版です。2巻以降は、新刊がでるのを毎回楽しみにしていました。新刊が本屋に並ぶやいなやすぐに買って読みふけったことも楽しい思い出です。何んといっても、宇宙空間での大規模な艦隊決戦の場面が圧巻。文章がきらびやかで、星々がきらめく漆黒の宇宙空間で爆発四散していく艦船が放つ光が目に浮かぶようです...『銀河英雄伝説』田中芳樹

  • 『灯台へ』ウルフ

    ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』を読みました。ウルフの作品を読んだのは初めてです。当初、主人公が誰なのかわからず、読むのに苦労しました。主語がわからないのです。登場人物の思考の流れが文章となってつづられているのですが、それが誰のものなのかが判然としないのですね。小説を読む時には、誰が何を考えているのか、何を話しているのかを理解して、そこからその作品世界に入っていくのが普通だと思うのですが、それができないのが、この作品です。それでも、根気よく、また、注意深く読んでいくと登場人物が誰なのかがわかってきます。のみならず、その人物の視点が、他の人物の視点に移り変わる時も理解できてきます。そうすると、果然、物語が面白くなってくるのです。錯綜していた人々の思考が整えられ、ある地点に向けて収斂していく。そのようなイメージでし...『灯台へ』ウルフ

  • 『新・平家物語』10 吉川英治

    『新・平家物語』10巻。木曽義仲の最後。倶利伽羅峠の戦いで平家を破り、上洛を果たした木曽義仲でしたが、後白河法皇に翻弄され、平家と源頼朝の挟撃に遭ってあっけなく滅びてしまいます。一方、義仲によって都を追われた平家一門でしたが、屋島を拠点に捲土重来を期すこととなります。その最初の戦いが水島合戦でした。屋島を拠点に平家が勢いを盛り返しつつあることを知った義仲は、平家追討の軍を向かわせます。これを平家が撃破殲滅。義仲の凋落が始まるのです。水島合戦以後の義仲は、じりじりと追い詰められていっただけ、といった感じですね。不気味なのは後白河法皇です。物語にはあまり登場してこないのですが、その存在感は大きい。義仲敗亡のシナリオはすべて彼が書いたのではないのかと思えるくらいです。絶対に友達にしたくないタイプですね。義仲に代わって...『新・平家物語』10吉川英治

  • 『新・平家物語』9 吉川英治

    『新・平家物語』9巻では、倶利伽羅峠における木曽義仲の大勝と、平家一門の都落ちが語られます。破竹の勢いで進撃する義仲をとめる術を平家は持ちませんでした。読んでいて思ったのは、どんなに強勢を誇った一族でも滅びるときはあっけないものだな、ということです。義仲が挙兵したとき、誰もがこのような短期間で平家を追い落とすことができるとは考えていませんでした。義仲にしても、その挙兵はまさに乾坤一擲というべき状況で行われたものだったのです。それが、数倍もの敵を打ち破り、上洛を果たすことができたのは、時代の風に乗った、としかいいようがないですね。興るものと滅びるものとに吹き付ける時代の風はどこから吹いてくるのでしょうか。考えると、なんだか不思議な気持ちがします。倶利伽羅峠の戦いの前に、竹生島に詣でた平家一門の皇后宮亮経正が、阿部...『新・平家物語』9吉川英治

  • 『「国際化」の中の帝国日本』日本の近代4 有馬 学

    有馬学氏の『「国際化」の中の帝国日本』を読みました。この本で描かれているのは、日露戦争の終結から大正時代の終了までの日本の政治史です。いわゆる大正デモクラシーの時代ですね。この言葉から連想されるのは、昭和初期に擡頭した軍国主義に押しつぶされる前の短い民主主義的な時代というものです。華やかに見えるけれど、根っこのない時代、とでもいうのでしょうか。しかし、有馬氏は大正をそのような時代とはみていません。近代の日本社会が大きく揺れ動いた時代とみているのです。いくつか論点はあるのですが、ここでは大衆社会の「発見」という点について書きたいと思います。明治時代には大衆という言葉はなく、あるのは平民というものでした。それが時代を経るにつれて「民衆」「群衆」と呼ばれるようになっていきます。「大衆」という言葉が使われ始めたのは、関...『「国際化」の中の帝国日本』日本の近代4有馬学

  • 『句歌歳時記 夏』 山本健吉 編著

    山本健吉による『句歌歳時記夏』を読みました。万葉集から現代まで、日本の四季を詠った俳句と短歌、和歌を季節ごとに編纂した歳時記の夏の部です。私は歳時記を読むのが好きで、新潮文庫や角川文庫、といった文庫版歳時記の他に、ホトトギス雑詠選集などにもよく目を通しています。『句歌歳時記』もそのうちのひとつです。もっとも、一冊の歳時記を最後まで通して読むことはあまりしていません。気に入った句を何度も繰り返して読んでいる、というのが現状です。それでも、時折は全編通して読んでみようと思うことがあります。今回もそんな思いに誘われて夏の部を読み通しました。目には青葉山ほととぎす初鰹山口素堂あらたふと青葉若葉の日の光松尾芭蕉万緑の中や吾子の歯生えそむる中村草田男柿若葉重なりもして透くみどり富安風生夏の部を読んでいて感じるのは、緑色のイ...『句歌歳時記夏』山本健吉編著

  • 『座談会 明治・大正文学史』1

    柳田泉、勝本清一郎、猪野健二の3人を中心に、題材ごとにゲストを交えて座談会形式で行われた明治、大正時代の文学史の第1巻。いずれも名前だけは知っているけれども、具体的に何をしたのかよく知らない方々ばかりが登場してくるのですが、内容はとても深く、読んでいて興味をそそられます。この座談会が発表されたのは昭和32年です。そのため、ここで言われている作者や作品の解釈は、今の時点からみると古くなってしまっているものもあるかもしれません。しかし、文学というものが社会のなかで存在感を持ち始めた時代について知るうえで格好の作品であるといえるでしょう。二葉亭四迷の『浮雲』について論じているなかに、「要するに、あの時代のはじめて出て来た知識階級の生き難さが出ている。そういうものはあとの夏目漱石にも、森鴎外にもかかわってくる。そういう...『座談会明治・大正文学史』1

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