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2016/08/19

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  • 『星からおちた小さな人』 佐藤さとる

    『星からおちた小さな人』はコロボックル物語の第3作目にあたります。『だれも知らない小さな国』『豆つぶほどの小さないぬ』の前2作とは違って、コロボックルとは直接関係のない少年が主人公となる物語です。作者もあとがきで書いていますが、この作品はコロボックルのことをまるで知らない人間がふとした出来事からコロボックルの世界と関わりをもつこととなる点で、シリーズのターニングポイントとなります。言い換えれば、今まで一部の理解のある人間しか知られることのなかったコロボックル世界が、人間社会と関わりをもち始めることとなるのがこの『星からおちた小さな人』となるのです。作者はコロボックル世界の行き先について楽観的なイメージをもっているようです。もちろん、物語をつくる人なのですから、自分の思うように話を発展させていくことはできますし、...『星からおちた小さな人』佐藤さとる

  • 『ローマ帝国衰亡史』4 ギボン

    ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の4巻。この巻ではローマ帝国衰亡の最大の原因となったゴート族の侵入が描かれます。ウァレンス帝率いるローマ帝国軍が無残な敗北を喫したハドリアノポリスの戦闘以降、ローマ帝国が軍事力によって敵を圧倒することはありませんでした。ハドリアノポリスで敗死したウァレンス帝のあとを引き継いだテオドシウス帝は、ゴート族を降伏させることに成功しますが、その勝利は戦場でもたらされたものではなく、巧みな外交政策によるものでした。それまでの例でいえば、ローマ帝国は戦場でどのような敗北をしようとも、後日必ずその報復を果たしてきたのです。しかし、「ハドリアノポリスでの敗戦は、その後テオドシウス帝の才幹をもってしても、ついに蛮族に対する決定的勝利の報復を果たすことはできなかった。」(『ローマ帝国衰亡史』ギボンより引...『ローマ帝国衰亡史』4ギボン

  • 『古代天皇制を考える』日本の歴史08

    講談社学術文庫の日本の歴史シリーズの8巻。天皇制が生まれた背景と歴史を7人の研究者が様々な視点から解説しています。なかでも私が興味をひかれたのが第五章の丸山裕美子氏による「天皇祭祀の変容」です。天皇の権威は、宮中の祭祀をもともと日本各地で行われていた祭祀とを組み合わせることで成立した、と筆者はいいます。そのために利用されたのが天孫降臨の神話です。天皇は、「天の原を統治する「天照らす日女の尊」の「皇子」として地上に降り立った「日の皇子」」(『「天皇祭祀の変容」』丸山裕美子より引用)であり、それまでの土俗の神々は「日の皇子」によって支配されるものという考え方を、各地で行われる祭祀に組み込んでいったというのです。武力による強制ではなく、祭祀という宗教行事を通して天皇による支配の正当性を広めていったというのは面白い視点...『古代天皇制を考える』日本の歴史08

  • 東京オリンピック開会式

    昨夜、東京オリンピックの開会式をテレビで観ました。国旗の掲揚の場面から観たのですが、BGMで「八重の桜」の劇中曲『輝かしい未来へのエール』が流れたので驚くとともに感動してしまい、最後まで観てしまいました。選手入場で流れたドラクエのテーマにも驚きましたが、「八重の桜」ファンの私からすれば、『輝かしい未来へのエール』が流れたことで、すっかりうれしくなってしまったのです。コロナ禍で開催の意義すら問われている今回のオリンピック。すでに100人を超える大会関係者が感染したとの報道もあり、安心、安全という言葉からはほど遠い状況になりつつあるようです。開会式での選手団の様子を見ていても、あんなに密になって大丈夫なのか、と不安をおぼえてしまいます。しかし、そのような状況のなかだからこそ、未来への希望をつなぐ、という意味で『輝か...東京オリンピック開会式

  • 『ローマ帝国衰亡史』3 ギボン

    『ローマ帝国衰亡史』第2巻。マルクス帝亡き後の混乱により麻の如く乱れたローマ帝国でしたが、政治と軍事、両方にたけた皇帝たちが出るにおよんで、昔日の栄光を取り戻します。内乱をしずめ、蛮族を撃退、再びローマの平和を蘇らせることに成功したのです。特にペルシャ帝国との戦いでは空前の勝利をおさめ、かってのウァレリアヌス帝捕囚という屈辱をそそぎました。皇帝として注目したいのがディオクレティアヌスです。彼は帝国を4つに分割し、それぞれの地域を正帝2人副帝2人で統治するようにしました。この体制は彼が皇帝でいる間はうまく機能し、ローマ帝国は平和と繁栄を享受することができました。その治世は後年、もっとも成功したものの1つとまで云われるものだったのです。しかし、彼が帝位を退くと帝国は再び乱れ始めます。ディオクレティアヌスという重しが...『ローマ帝国衰亡史』3ギボン

  • 『風林火山』 井上 靖

    『風林火山』は実在はしましたが、その活躍については謎に包まれている武田家の軍師山本勘助を主人公にした歴史小説です。小学生のころ、父に連れられて『風林火山』の映画を観にいったことが思い出されます。三船敏郎演じる山本勘助の目に流れ矢が突き刺さる場面が印象的で、今でも覚えています。ただ、幼かったせいかストーリーはまったくわかりませんでした。迫力ある合戦場面が楽しくて最後まであきずに観ていたことが思い出されます。さて、この小説の印象をひと言でいうと、戦国おとぎ話というべきものでしょう。信濃攻略を進める武田信玄とその前に立ちはだかる上杉謙信。この戦国両雄の争いというだけでも歴史のロマンを感じさせるには十分ですが、そこに山本勘助という天才的軍師がまぎれこんでいることで、さらに夢が膨らむ気持ちがします。山本勘助は武田信玄と由...『風林火山』井上靖

  • 『ローマ帝国衰亡史』2 ギボン

    『ローマ帝国衰亡史』第1巻読了。「皇帝とはなにか?要するに兵たちの私利のため、暴力政府の手で選出された一行政官にしかすぎなかったのである。」(『ローマ帝国衰亡史』ギボンより引用)ある歴史家の著述の一部としてギボンが引用している文章です。私はこの指摘がローマ帝国を衰亡させた要因の1つだと思います。マルクス帝の死後、ローマ帝国は急速に衰亡への道をたどっていきます。その原因の1つが軍人皇帝の乱立とそれを可能にした軍隊、特に近衛隊の横暴です。平和が続き、本来厳格な規律をもってなる軍隊の性格が変質していきました。少々乱暴な言い方をすれば、守るべきは国家の安危よりも自分たちの安逸な生活。それも、より多くの報酬が見込めればなお良い。このような考えを持つ者たちが増えてきたのです。要するに金がすべて、というわけですね。そのため、...『ローマ帝国衰亡史』2ギボン

  • 『たのしいムーミン一家』トーベ・ヤンソン

    何度も読み返している本ですが、いまだにわからないところがあります。それは飛行おにの魔法のぼうしから出てきてじゃこうねずみを驚かせたものは何だったのか、というもの。じゃこうねずみは自分の入れ歯をぼうしのなかに入れたのですが、それが別のものとなって現れたのですね。作者は注意書きとして、「(あなたのおかあさんにきいてごらんなさい。おかあさんはきっと知っていますよ)」(『たのしいムーミン一家』トーベ・ヤンソンより引用)と書いていますが、それがわからないのです。物語の進行に特段の影響を与えるエピソードではないのでわからないままになっているのですが。さて、この物語には飛行おにという魔物が登場します。この魔物が探しているのはルビーの王様と呼ばれる大きな宝石。これをムーミン谷にやってきたトフスランとビフスランという夫婦がもって...『たのしいムーミン一家』トーベ・ヤンソン

  • 『ローマ帝国衰亡史』1 ギボン

    ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読み始めました。既に一度読んではいるのですが、再び読了にチャレンジしようと思います。このようなことを書くのは、1巻から通読していないからです。10巻ある作品のうち、興味をもてた巻から順々に読んでいったのですね。アシモフが『銀河帝国の興亡』を書くにあたってこの作品からインスピレーションを受けたという逸話があります。学生時代にこの逸話を聞いてから『ローマ帝国衰亡史』に特別な思い入れをもつようになりました。大学の図書館でこの作品をみつけたときにはすぐに借り出して読み始めたものです。しかし、岩波文庫版の『ローマ帝国衰亡史』は、旧かなで書かれていて、当時は読めない漢字も多かったせいか、あえなく挫折。それでもあきらめきれずに何度か挑戦しましたが、そのたびに途中で投げ出す結果に終わりました。その...『ローマ帝国衰亡史』1ギボン

  • 『だれも知らない小さな国』佐藤さとる

    佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』を読み返しました。有名なファンタジーですが、私がこの作品を初めて読んだのは社会人になってからのことです。同じ作者の『ファンタジーの世界』という本を読み、そこで言及されていたコロボックルに興味をもったため、この作品を手に取りました。ひと言でいえば、楽園創造の物語といえるでしょう。幼いときに遭遇した「こぼしさま」の幻影とそのおりに出会った小さな女の子。作品のなかでは、この二つの思い出が大人になった主人公の眼の前で現実のものとなり、さらにそこから新たな物語が紡ぎ出されていきます。その昔、土地の人々の間で「こぼしさま」と呼ばれていたコロボックルたちは、気ままな生活を楽しんでいました。しかし、あるとき強欲な人間につかまった仲間がひどい目にあってからというもの、彼らは人間の目から隠れて...『だれも知らない小さな国』佐藤さとる

  • 『勝海舟』(六)明治新政 子母沢 寛

    江戸城が新政府軍に渡って以後の江戸の町の混乱が描かれていきます。上野戦争や旧幕府海軍の脱走など、歴史に残る事件から市中の押し込み、強盗といった類いまで、細かな描写はないものの幕府倒壊後の混乱が目に浮かぶようです。この巻には大村益次郎が登場します。合理主義の塊のようなこの男に対して作者の筆は否定的です。「あ奴の論でいけあ、将来日本国はちったあ強くなるだろう。間違うなよ、ほんのちっとだよ、井中の蛙の強さだが、そ奴が馬鹿にはちょっとわからねえから、それに自惚れて、遂には盲目になり、気が違い、どんな無茶をやり出すか知れねえのだ。その為に、五十年後百年後には元も子もふいにするような事になる。」「大村という野郎は、この日本国という車が、将来兵隊の勢いでどっちへでも廻るという時勢を生む種子を蒔きやがる男だ」(『勝海舟』子母沢...『勝海舟』(六)明治新政子母沢寛

  • 『海は甦える』第五部 江藤 淳

    日本海軍の創設者、山本権兵衛の落日。シーメンス事件はシーメンス社だけではなく、ヴィッカース社をも含めた海軍の一大疑獄事件へと発展。山本権兵衛だけではなく日本海軍そのものが激しい非難に晒されていきます。汚職に対する非難ならば、当然のことですが、なかには事件とは直接環形のないことがらを強引に事件と結び付け政権批判の武器にする人物も登場します。太田三次郎という予備海軍大佐は現役時代に自分が行った技術上の献策が取り上げられなかったことを海軍腐敗の温床として糾弾。驚いたことにシーメンス事件とはまったく関係のないこの批判が事件と結びついて政権攻撃の有効な刃となっていきます。ちょっと理解に苦しみますが、同時代の人々にはそれが同じものと見えたのでしょう。また、政権批判を是とする野党やマスコミに煽られ乗ぜられたのかもしれせん。極...『海は甦える』第五部江藤淳

  • 『勝海舟』(五)江戸開城 子母沢 寛

    『勝海舟』の5巻では、勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟、幕末の三舟と呼ばれた男たちによる江戸開城までが描かれます。読んでいて、人間力、という言葉が頭に浮かびました。地位とか財産とかいったものとは関係なく、その人自身がもっている物事を成し遂げる力のことをいうのですが、この3人こそは人間力で江戸城の無血開城を成し遂げた者たちではなかったか、と思うのです。当時の状況からいって厳重な警戒網を突破して西郷に会うだけでも大変なのに、そのうえ、慶喜の助命嘆願の談判まで行うというのは、普通に考えて無理な相談ではないか。また、たとえ、西郷と会えたとしてもその後の談判がうまくいくのかどうか。実際、天璋院、静寛院、輪王寺宮による嘆願はことごとく失敗していますから、当時者の目からはかなり悲観的な見方がされていたのでしょう。そこを突破したのが...『勝海舟』(五)江戸開城子母沢寛

  • 『この世をば』 永井路子

    藤原道長を描いた小説です。道長というと、政敵を蹴落とし、のし上がってきた傲岸な権力者というイメージがありますが、この作品ではそれとはまったく違う人物として描かれます。彼には権力への野望はありません。兄の道隆の死がなければ、歴史に名を残すこともなく藤原一門の一人として平凡な人生を生きたかもしれません。しかし、道隆の死によって状況は一変。彼の意思とは関係ない場所で道長の人生が大きく開けていきます。時代は彼のもつ抜群なバランス感覚を必要としていたのです。ただ、その過程は決して順風満帆ではありませんでした。作品のなかで道長が何度もいうせりふに「何たること、何たること」(『この世をば』永井路子より引用)というものがあります。道長の思惑が外れて窮地に陥ったときに使われるのですが、これが道長の性格を見事に表現しています。思い...『この世をば』永井路子

  • 『海は甦える』第四部 江藤 淳

    『海は甦える』第四部は、山本権兵衛を志なかばで蹉跌に追い込んだシーメンス事件が描かれます。帝国海軍を揺るがしたこの疑獄事件が明らかとなったのは、カール・リヒテルというシーメンス社の社員が盗み出した書類をもとにシーメンス社を恐喝しようとしたことによります。彼が盗み出したのはシーメンス社による日本海軍の将官に対する贈収賄について記載した書類でした。恐喝は失敗し、リヒテルは警察にとらえられるのですが、そのことによって海軍の腐敗が明るみになったのです。当然、世論は激高。それまでの山本内閣に対する高評価は180度変わってしまいました。権兵衛が海軍のトップであることは周知の事実ですから、彼もこの疑獄には当然関わりがあるのだろう、という根拠のない風説が国中を覆ったのです。読んでいて思うのは、このような事件が起き、それが少しで...『海は甦える』第四部江藤淳

  • 『行人』夏目漱石

    『行人』については、以前書かせて頂きました。その後、再び読み返したおりに感じた点について書いてみたいと思います。この作品で書かれているのは主人公一郎の他人に対する徹底した不信感です。言い換えれば、明治日本が、近代化を急ぐことによって磨滅化していく人間性が悲鳴をあげている、といったことなのでしょう。本来100年の時間をかけて蓄え、消化していく知識をわずか10年ほどで飲みこんだのが近代日本であり、消化不良を起こすのは当たり前だと漱石はいいます。この消化不良が他者への不信という形で表れているのが一郎ということになるのでしょう。「「自分のしている事が、自分の目的になっていない程苦しい事はない」~中略~兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安な...『行人』夏目漱石

  • 『勝海舟』(四)大政奉還

    『勝海舟』第四巻。十五代将軍に徳川慶喜がなりますが、世の中の動きはいよいよ急を告げていきます。諸物価の騰貴、治安の悪化、さらにはいわゆる「ええじゃないか」の流行など混乱を極める世情のなか、ついに慶喜は大政奉還を断行。薩摩長州がもくろむ武力討幕の芽をつぶすのでした。しかし、そのままでは収まらないのが薩摩長州。幕府側から最初に手を出させることで武力行使のきっかけを作ろうとします。そのために彼らが行なったのが江戸の治安を混乱させ、社会不安をあおることでした。『勝海舟』第四巻は、その多くが江戸を舞台にして展開していきます。この時代の政治の中心となった京都についての描写は多くありません。坂本竜馬の死と、それに続いて起きた新選組の「油小路の決闘」といったところです。そのせいか、この巻はとても興味深く読むことができました。先...『勝海舟』(四)大政奉還

  • 『海は甦える』第三部 江藤 淳

    明治天皇の崩御と乃木希典の殉死から始まる『海は甦える』第三部は、第一次護憲運動の高まりのなかで倒壊した桂内閣のあとを引き受ける形で、山本権兵衛が首班となって内閣を組織するまでが描かれていきます。江藤淳は「立憲主義と統帥権独立」の両立が日露戦争後、早くもあらわになったことを指摘しています。日露戦争後、増大するロシア軍に備えるため陸軍は二個師団の増設を図りますが、当時の西園寺内閣はこれを拒否。対するに陸軍は陸軍大臣を辞任させて後任の大臣を出さないという方針をとります。大日本帝国憲法上、陸軍から大臣が任命されなければ内閣は組織できないこととなっていました。陸軍が大臣を出さなければ組閣ができず、政治は止まってしまいます。明治時代、この問題については当時の為政者たちが知恵を絞りつつ乗り越えてきたのですが、日露戦争後に顕在...『海は甦える』第三部江藤淳

  • 『勝海舟』(二)(三)子母沢 寛

    『勝海舟』(二)「咸臨丸渡米」(三)「長州征伐」を続けて読みました。読んでいて感動してしまうのは当時の日本人の気質です。(二)「咸臨丸渡米」では日本人だけで太平洋の荒波を乗り切り、アメリカに向かう場面が描かれます。そこに登場する人たち全員が未来の日本を築く礎になるためには死をも厭わないのです。富蔵という漁師が登場します。体の具合が悪いのをおして乗り込みますが、航海の途中で病状が悪化、アメリカで死んでしまうのです。ただ、彼が死ぬ間際に、自分は日本海軍の水主として一番先に太平洋を渡り、アメリカの土になる、ということをいいます。私は、この言葉に志半ばで散っていく先覚者の思いを感じます。実際に富蔵という漁師がいたかどうか、私にはわかりませんが、身分に関係なく当時の日本人がもっていた心の置き所がわかるような気がするのです...『勝海舟』(二)(三)子母沢寛

  • 『海は甦える』第ニ部 江藤 淳

    『海は甦える』第ニ部ではいよいよ明治日本最大の危機、日露戦争が描かれます。読んでいて気付くのは山本権兵衛の情勢判断の的確さと対応力の良さです。いわゆる「六六艦隊」の構想も単に海軍力の増強だけが目的ではなく、敵国の状況を見据えてのことでした。当時、日本への侵攻を企図する敵艦隊が通るルートはスエズ運河かもしくは喜望峰のいずれかしかありませんでした。スエズ運河を通るほうが早いのですが、そこを通過する軍艦の大きさは限られたものとなります。スエズ運河を通ることができる軍艦よりも強力な軍艦を持つことで、スエズ運河からの来航をあきらめさせ、喜望峰ルートをとる以外の選択肢をもてないようにすることが、この構想の眼目だったのです。喜望峰ルートは時間がかかるうえに当時の燃料だった石炭の補給が困難でした。そのため、海からの日本への侵攻...『海は甦える』第ニ部江藤淳

  • 大晦日

    コロナ禍の1年が終わります。今年の初めはこのようなことになるとは考えたこともありません。ただ、2月頃から段々と状況がおかしくなり、やがて非常事態宣言。外出自粛が呼びかけられるなかで生活のスタイルも変わりました。読書、という点でいえば家にある本を再び読み返す機会が多くなりました。今年読んだ本を思い返すとほとんどが再読です。コロナの影響で図書館や本屋さんに行くことがなくなったことが影響していると思います。その意味で今年はこれまで読んだことのない本とめぐりあう機会が少なくなった年でした。少し寂しい気持ちです。ただ、昔読んだ本を本棚から引っ張り出してくるのもそれはそれで楽しかったのも事実です。思いがけない場所に線が引いてあったり、存在を忘れていた本があったり。なかには最後のページに読了日が書いてあるのもあって、懐かしい...大晦日

  • 『勝海舟(一)黒船渡来』子母沢 寛

    子母沢寛の『勝海舟』を読み始めました。いうまでもなく幕末から明治維新までの日本を描いた物語ですが、他の作品のような歴史的背景についての記述はほとんどありません。徹頭徹尾、勝海舟とその周辺の人々の動向が描かれていきます。表題の「黒船渡来」にしても作品でふれられているのはほんの数ページ。それでも、当時の日本が置かれた緊張感が伝わってくるのが不思議です。作者の力量なのでしょう。ただ、あまりにも簡略化しすぎているせいか、ある程度の歴史知識をもっていないと、何をいっているのかわからなくなるきらいはあります。第1巻では主人公勝麟太郎の父、勝小吉の存在が精彩を放っています。幕末史に名を残した人物ではありませんが、男気にあふれたその生き方からは、江戸の人情というものを垣間見る感じがします。小吉が登場する場面は歴史小説というより...『勝海舟(一)黒船渡来』子母沢寛

  • 『優しさごっこ・冬の光』 今江 祥智

    今江祥智の『優しさごっこ』『冬の光』を続けて読みました。幸福感の連鎖というのはあるのだな、というのが両作品を読んでの感想です。主人公は画家であるとうさんと一人娘のあかり。物語の冒頭でかあさんと別れたとうさんはあかりと二人で暮らしていくこととなります。そんな二人の生活の軌跡を追ったのがこの作品です。離婚が背景にある小説にはなんとなく暗いイメージをもってしまいますが、この作品は違います。もちろん、ときおり離婚が二人の生活に影をおとすことはありますが、深刻なものではありません。それよりも離婚によって始まった新しい生活を二人がどのように築いていくのかが、この作品の主題となっているのです。冒頭で書いた幸福感の連鎖というのも二人が新たな生活を始めたことによって出会う事となる人たちとの交流を読んで感じたものです。画家であると...『優しさごっこ・冬の光』今江祥智

  • 『海は甦える』第一部 江藤淳

    江藤淳の『海は甦える』。山本権兵衛を主人公に近代日本の歩みをたどった長編です。現在では埋め立てられて跡形もない長崎の出島の描写からこの作品は始まります。フェートン号事件、アヘン戦争の推移、ペリー来航に対する警告など幕末日本を揺るがせた報告はすべて海を越えて長崎からやってきました。ほどなく日本は幕末の動乱期に入ります。薩英戦争はそのなかで起きますが、山本権兵衛はその戦いにわずか12歳で参加。同様に東郷平八郎も戦に出ています。東郷は、「「海から来る敵は海で防がなければだめだ」」(『海は甦える』江藤淳より引用)とつぶやき、権兵衛は「「この戦は敗けだ」~中略~彼自身は~中略~刺し違えて死ねばそれでよい。しかし、そのあといったい薩摩はどうなるのかと思うと、この長稚児の十二歳の胸は痛んだ。」(『海は甦える』江藤淳より引用)...『海は甦える』第一部江藤淳

  • 『ラデツキ―行進曲』 ヨーゼフ・ロート

    ヨーゼフ・ロートの『ラデツキ―行進曲』。ソルフェリーノの戦いで時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の危急を身を挺して救った功績により、貴族となったトロッタ家3代にわたる人生を通してハプスブルグ帝国の滅亡を語る長編小説。これがこの作品の梗概になります。トロッタ家3代の人々は長命だったフランツ・ヨーゼフ1世とともにハプスブルグ帝国の運命と関わります。初代は皇帝の命を救い、貴族となり、2代目は地方官吏、3代目は軍人といった形で帝国につかえていきます。主な主人公は3代目のカール・ヨーゼフです。彼には軍人としての才能も世の中を押しわたっていくだけの勇気もありません。状況に流されていくだけの存在です。平和な時代であれば無難に人生を歩んでいくことができたかもしれません。しかし時は第1次世界大戦前夜の騒然とした時期。やがて大戦が勃発...『ラデツキ―行進曲』ヨーゼフ・ロート

  • 『氾濫』 伊藤整

    伊藤整の『氾濫』を読みました。題名のとおり、氾濫としかいいようのない登場人物たちの日常を描いている小説です。平凡な一技術者に過ぎなかった主人公が開発した製品がヒット。それまで薄給に甘んじていた主人公は会社の役員となり、一挙に社会の上層へと駆け上がっていきます。それに伴って彼の妻、娘の生活も180度変わっていくのです。主人公の真田佐平は本来、研究室で好きな研究に打ち込んでいることに生きがいを感じる男でしたが、彼を取りまく境遇の変化によって、それまでの生き方を続けることができなくなったことを認識します。それまでつつましやかだった彼の妻は派手になり、自宅では娘が企画した友だちとのパーティーが行われ、茶道、華道の家元が出入。気がつけば彼の居場所はなくなっているのでした。それだけではなく、彼の妻は家に出入りする若い音楽教...『氾濫』伊藤整

  • 『新島八重 おんなの戦い』 福本武久

    福本武久氏の『新島八重おんなの戦い』を読みました。私はすでに『小説・新島八重会津おんな戦記』と『小説・新島八重新島襄とその妻』を読んでおり、今回はそれに関連した作品が読みたくて、この本を手に取ったのです。新島八重の生涯は3つに分けられると福本氏はいいます。会津鶴ヶ城攻防戦を頂点とする幕末期、新島襄とともに同志社の礎を築くべく奮闘した明治期、さらには看護婦または茶人として活躍した時代。いずれの時代でも新島八重は傑出した能力を示しています。これはもともと彼女がもっていた能力に負うところが多いといえるでしょうが、なによりもその能力を開花せしめた彼女の生き方によるものでしょう。新島八重の生きた時代は近世から近代へと移り変わる激動の世でした。そのなかで彼女は常に前を剥いて生きる姿勢を取り続けました。それは過酷な運命を切り...『新島八重おんなの戦い』福本武久

  • 『日本文壇史24 明治人漱石の死』瀬沼茂樹

    『日本文壇史』全巻読了。伊藤整のあとを引き継ぐ形で続けられてきたこの作品をついに読み終えることができました。まだ、30代の頃、池袋の書店で初めてこの作品の存在を知ってから20年近く経っているせいか、感慨一入です。最終巻では、芥川龍之介、久米正夫、菊池寛、志賀直哉、武者小路実篤、さらに有島武郎といった大正文壇のスターたちが登場。さながら新しい時代の幕があがる前夜祭といった観を呈します。一方で森鴎外、永井荷風、島崎藤村といった古くからの大家と呼ばれる人たちはそれぞれに人生の転機を迎えており、先述の新進作家たちとくらべて時代の変化というものを感じさせます。そんななか、夏目漱石は『明暗』執筆中に胃潰瘍で倒れなくなるのです。漱石を語るときに必ずといって良いほどに言及されるのは「則天去私」という言葉。言葉の意味としては小さ...『日本文壇史24明治人漱石の死』瀬沼茂樹

  • 『日本文壇史23 大正文学の擡頭』瀬沼茂樹

    『日本文壇史』第23巻では、夏目漱石の『行人』連載中の模様が描かれます。胃潰瘍の発作によって漱石は『行人』の連載を中途で打ち切らざるをえなくなります。『行人』の第4章にあたる『塵労』が発表されたのは与謝野晶子の『明るみへ』の連載が終わった後、大正2年9月からです。病気によって死線をさまよった漱石は人間の生死の問題について、近代知識人が陥る精神的孤独とからめて深く考えるようになります。『行人』『こころ』と続く作品にその答えが投影されていくのです。さて、漱石は『行人』連載中に自分の次に新聞に連載する作家についても考えていました。その人物は中勘助で作品は『銀の匙』。漱石は良い作品を書く作家がいれば、その人を世に出すことを考え、実行に移していきます。中勘助もそのうちの一人です。漱石は新聞連載をしたことがない中勘助に対し...『日本文壇史23大正文学の擡頭』瀬沼茂樹

  • 『日本文壇史22 明治文壇の残照』 瀬沼茂樹

    瀬沼茂樹の『日本文壇史』第22巻では、主に大正2年における文学者たちの動向を描いています。堺利彦が大逆事件以降、バラバラになってしまった社会主義者たちを再び集めるとともに自らの生活の資を得るために始めた売文社という会社があります。宣伝文から恋文までおよそ文章と名の付くものであれば、なんでも作ります、という趣旨で始めたこの会社は繁盛したようです。売文社には多くの社会主義者たちが集まり、そこを起点として雑誌『近代思想』も発刊されるようになりました。彼らは社会主義系の雑誌であることを巧妙に隠しつつ事業を進めていきます。世間の動向を見ながら少しずつ社会主義の地色を出していく彼らのやり方には感心してしまいます。もっとも。昭和初期には彼らの運動は壊滅してしまうのですが。さて、この巻には、島崎藤村、田山花袋、徳田秋声といった...『日本文壇史22明治文壇の残照』瀬沼茂樹

  • 『ゾンガーと魔導師の都』レムリアン・サーガ4 リン・カーター

    『ゾンガーと魔導師の都』はリン・カーターによるレムリアン・サーガの4巻です。レムリア大陸の闇の世界に君臨してきた魔導師たちは、彼らの勢力圏を突き崩しつつあるゾンガーを倒すべく動き出します。もともと9人いた魔導師ですが、ゾンガーによって既に2人が斃され、残るは7人。彼らはレムリア大陸の南東部、「知られざる海タコンダ・チャン」に面して建てられた魔導師たちの都ザールでゾンガーを倒す陰謀を巡らすのです。今回も迫力ある戦闘場面が展開されますが、圧巻なのは地下世界でのゾンガーと怪物ズトとの戦いでしょう。ズトはナメクジと芋虫のあいのこのような巨大な怪物です。その怪物がゾンガーを食べるために暗い地中をはって迫ってくる様子は読んでいてぞくぞくします。このあたりはハワードのコナン・シリーズを彷彿とさせますが、逆にバローズを思わせる...『ゾンガーと魔導師の都』レムリアン・サーガ4リン・カーター

  • キンモクセイ咲く

    一昨日、キンモクセイが咲いているのを見つけました。道を歩いているときに緑の葉の間から小さな黄色い花をみかけたので近づいてみるとキンモクセイだったのです。私は思わずマスクを外しました。キンモクセイの匂いをかごうと思ったのです。ところが、そこでは何の匂いもしません。不思議に思って何歩か歩くと、別の場所に植えられたキンモクセイの樹を発見。そこからはあの甘い匂いがあたり一面に香っていました。さらに進むと今度はキンモクセイの樹は見えないのに匂いだけが周辺に香っていました。ついにキンモクセイが咲く時期となった。私は心のなかで快哉を叫びました。私はキンモクセイの匂いが好きで9月もなかばになると、今日咲くか、明日咲くかとそれを楽しみにしながら道を歩いているからです。キンモクセイの黄色い小さな花と甘い香りとが街を包み始めると秋本...キンモクセイ咲く

  • 『日本文壇史』21「新しき女の群」 瀬沼茂樹

    明治44年から45年にかけて、平塚らいてう、尾竹紅吉、伊藤野枝ら雑誌「青鞜」に拠る女性たちの活動が世間の注目を集めるようになります。女性解放の先駆けとして有名な彼女たちの行動は批判の的となり、平塚らいてうは脅迫状を送り付けられたり、自宅や事務所に投石されるなどの嫌がらせを受けるのです。彼女たちのとった行動は「女だてらに酒を飲み、遊郭や狭斜の巷に出入する」(『日本文壇史』瀬沼茂樹より引用)というもので、字面だけで見るといかがなものか、と不審感をもたざるを得ません。「すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる」与謝野晶子が『青鞜』の巻頭によせた詩のもつ高らかな響きとは少しずれた感じがするからです。ただ、このような行動を男性がとっても何もいわれないのに、女性が行なうと世間の非難を浴びるというのはどうなのか、といった疑問も一方...『日本文壇史』21「新しき女の群」瀬沼茂樹

  • 『日本文壇史』20漱石門下の文人たち 瀬沼茂樹

    この巻では明治44年の文壇の状況が描かれます。夏目漱石門下の阿部次郎、鈴木三重吉、寺田寅彦、安倍能成。また若山牧水、島木赤彦、石川啄木といった歌人たち、さらには小山内薫、岡本綺堂など、一口に文芸というジャンルでは区切れない幅広い分野の人々が登場します。文学のすそ野がどれほど広いのか私にはわかりませんが、詩や小説、短歌や俳句といったものばかりではなく演劇、美術といった文化全般がその射程には入っている。小説家だけではない多彩な人物によって織りなされる『日本文壇史』を読んでいるとそのようなことを考えるのです。あらゆる文化の基底にあるのが文学ではないのか。そのようなことさえ思ってしまいます。個人的に好きな夏目漱石の動向について述べれば、この巻では『彼岸過迄』成立の事情が語られます。胃潰瘍の治療のため、延ばしに延ばしてき...『日本文壇史』20漱石門下の文人たち瀬沼茂樹

  • 『花神』司馬遼太郎

    自分は何をするために生まれてきたのか。それを理解してその通りに生きていくことができる人はあまりいないと思います。大村益次郎にしても自分の歴史的な役割についてわかっていたわけではないでしょう。ただ、結果として彼は長期化すると思われていた戊申戦争をあれほどの短期間で終わらせ、時代を移行させたのです。大村益次郎は一介の技術者にすぎません。しかし、時代が彼の能力を必要としました。彼は幕末の風雲に乗じようとしたことはなく蘭学をひたすら極めていっただけなのですが、それが彼をして征討軍の司令官というべき地位にまで押し上げました。一番大きな要因は彼が桂小五郎の知遇をえたことです。桂が彼の才能を見抜き、重用したことによって明治維新が成った、といえば言い過ぎでしょうか。しかし維新成立後、攘夷思想に凝り固まった長州をはじめとするテロ...『花神』司馬遼太郎

  • 『御宿かわせみ』平岩弓枝

    平岩弓枝さんの『御宿かわせみ』シリーズを再度読み始めました。既にこれまで発刊されている作品はすべて読んでいるのですが、もう一度読み返したくなったので本棚から取り出してきたのです。面白いです。第1巻『御宿かわせみ』、第2巻『江戸の子守歌』と立て続けに読んでしまいました。このシリーズの面白さはは謎解きよりも主人公のるいや神林東吾を取りまく人々の人生が丁寧に描かれているところでしょう。回を追うごとに新たな登場人物が加わり、かわせみファミリーとでもいうべき小宇宙が構築されていく過程が江戸の風物詩とともに描き込まれていくのです。主人公以外の登場人物たちもいずれも魅力的でその者を主人公にした作品が描かれても不思議ではありません。さらにこのシリーズを際立たせているのは、結婚、出産、子育てといった登場人物たちの人生が書かれてい...『御宿かわせみ』平岩弓枝

  • 『日本文壇史』19白樺派の若人たち 瀬沼茂樹

    瀬沼茂樹による『日本文壇史』を読み始めました。伊藤整が執筆途中でなくなったあとをうけて開始された瀬沼版日本文壇史。まずは明治43年から44年にかけての文壇の状況が描かれます。志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎らの白樺派による雑誌「白樺」の創刊、森鴎外『青年』発表、平塚らいてうらの雑誌「青鞜」発刊など、文壇はめまぐるしい動きを見せます。また修善寺の大患後、病をやしなっていた夏目漱石も講演活動に積極的に動き始めるのです。『現代日本の開化』『文芸と道徳』『道楽と職業』といった講演がこの時に行われます。ただ、続けざまの講演が祟ったのか胃潰瘍が再発。再び入院することとなります。幸い、心配するほどの病状ではなかったものの、漱石は「近づく死の予感をおぼえて」(『日本文壇史』瀬沼茂樹より引用)暮らしていくこととなります。重い持病...『日本文壇史』19白樺派の若人たち瀬沼茂樹

  • 『王権誕生』日本の歴史02 寺沢 薫

    寺沢薫氏の『王権誕生』を読みました。講談社学術文庫版日本の歴史の第3巻にあたります。青銅器の祀られ方を中心にして畿内に日本初の王権が誕生するまでの歴史を描いています。日本の古代社会が一つにまとまっていく過程で起きたのは戦争でした。否、戦争によって特定の集団が力をもつようになっていったのです。稲作が広まり、それを支えるインフラが整備されていくにつれて、よりよい環境を求めて争いが始まります。それまで、単なる部族間の抗争にすぎなかったものが戦争という大規模な戦いに発展していったのです。それにともなって銅鐸に代表される青銅器の祀られ方も変化していきます。部族内での儀式に使われていたものが敵対する相手を倒すための道具となっていったのです。具体的には青銅器のもつ呪力を利用して自らの勢力圏を防衛するため、敵対勢力との境界に銅...『王権誕生』日本の歴史02寺沢薫

  • 『新・平家物語』16 吉川英治

    『新・平家物語』全巻読み終わりました。以前読んだのが昭和62年ですから、33年ぶりに読み返したこととなります。幸せな人生とはどのようなものか。この問いに対する一つの答えがこの小説には提示されていると思います。作者の創作上の人物、阿部麻鳥とその妻蓬の人生がそれにあたるでしょう。平清盛をはじめ、この作品には何人もの人間が登場しますが、最後まで自分は幸せだったと言い切れる人生を送ることができた人は何人いるのか。そのほとんどが志なかばで世を去らざるをえなかったのです。そんななかで麻鳥の「「何が人間の、幸福かといえば、つきつめたところ、まあこの辺が、人間のたどりつける、いちばんの幸福だろうよ。」」(『新・平家物語』吉川英治より引用)という言葉は胸に残ります。動乱の世の中を生き抜いてきた人だからこそいえる言葉とでもいうので...『新・平家物語』16吉川英治

  • 『新・平家物語』15 吉川英治

    『新・平家物語』第15巻。前巻で平家を滅ぼした義経が今度は一転して追われる立場となります。大物ノ浦での船団の遭難、吉野への逃避行、静との別れと次々と義経を悲劇が襲います。平家の滅亡の時と同じく、こういった場面は読むのがつらいですね。歴史小説の場合には結末がわかっているだけにせつない気持ちがします。唯一の救いと思えたのが義経と静との間に生まれた赤ん坊の命が助けられたこと。この場面は作者の創作ですが、闇夜に一筋の光をみた感じです。15巻には後白河法皇が義経に平家追討の院宣を下してからのちの出来事をまとめた年表がでてきます。それを見ると世の有為転変の激しさがよくわかります。院宣が下されたのが文治元年正月12日。平家の滅亡が同年3月24日。頼朝による義経追討の開始が同年10月。平家の滅亡から半年も経たないうちに義経が存...『新・平家物語』15吉川英治

  • 『だから、うまくいく 日本人の決まりごと』 広田千悦子

    広田千悦子氏の『だから、うまくいく日本人の決まりごと』を読みました。日本人の生活に昔から息づいている様々な作法について、そのいわれや具体的なやり方などをまとめた本です。作者の広田千悦子氏は、日本の伝統や文化について多くの本を書かれています。私もいくつか読んでいますが、どれもわかりやすくて面白いですね。本書でも日々の暮らしのなかで行われている、たとえば、お中元やお歳暮などの贈答の作法から食事の際の箸の使い方、さらには体のどこかをぶつけた時に痛みを消すためのおまじないまで、色々な決まり事についてやさしく紹介されています。たとえば、敬語について、次のように書かれています。用事をすませて帰ってきた人に向かって「ごくろうさま」ということがよくあり、私もよく使っていた時期がありました。しかし、これは敬語の使い方としては間違...『だから、うまくいく日本人の決まりごと』広田千悦子

  • 『戦争・占領・講和 日本の近代6』五百旗頭真

    五百旗頭真氏の『戦争・占領・講和日本の近代6』を読みました。太平洋戦争に至る過程、米軍による占領、講和までの足跡が描かれています。興味深かったのは日本国憲法の戦争放棄に関する条項の成立過程。ひとことでいえば、第9条は第二次世界大戦後に日本が再び国際デビューを果たすための看板の役割を果たしたということです。私たちが教え込まれてきた自衛の戦争までも認めない、などという考えは日米両政府ともにはじめからありませんでした。ただ、それをあからさまにしてしまうと、国際的にも国内的にも様々な摩擦が生じる可能性がでてきます。そこで、表面上は文字通りの戦争放棄というたてまえをとりながら、実際には自衛のための戦力の保持をも認めたものとして第9条が誕生したというわけです。「戦後日本が徹底した平和主義に改宗したと一般に理解されることは、...『戦争・占領・講和日本の近代6』五百旗頭真

  • 『邪神と闘うゾンガー』リン・カーター

    レムリアン・サーガの第3作。1作目の『ゾンガーと魔導士の王』を読んで面白いけれど内容の薄っぺらなのに辟易。続巻を読むのはしばらく控えようと思っていました。しかし、先月、2作目の『ゾンガーと竜の都』を手に取ってなにげなく読み始めたところ、これがけっこう面白いということに気がつきました。そこで続けて3作目の『邪神と闘うゾンガー』を読んだのです。バローズの良いとこ取りというプロットは『ゾンガーと魔導士の王』とほぼ同じです。しかし物語の展開が早く、なかだるみの場面は一切でてきません。襲い来る危機を次々と突破してゆく主人公たちの活躍を追いかけているうちにいつの間にかページが進んでいるといった感じですね。それでいて、バローズ、ハワード、ラブクラフトの二番煎じが鼻につくということもありません。1作目で免疫ができたためなのか理...『邪神と闘うゾンガー』リン・カーター

  • 『海と風と虹と』海音寺潮五郎

    海音寺潮五郎の『海と風と虹と』を読みました。男らしい勇壮な夢のある物語といってよいでしょう。主人公は藤原純友。承平・天慶の乱の一方の立役者です。平将門に比べるとかなり地味なイメージのある人物ですが、この作品のなかでは純友が承平・天慶の乱の黒幕として描かれています。平安時代の初期、日本では律令制度が完全に崩壊しており一部の貴族だけが得をする体制になっていました。この時代について書かれた歴史書には、荘園制度の発達による弊害が書かれています。ただ、私にはその意味するものが何なのか今一つよくわかりませんでした。国家が管理する土地の他に貴族や寺社が私的に所有する土地があり、それが荘園と呼ばれるのはわかります。しかし、それと国有地との関係がごちゃごちゃしていてわからないのですね。国家が管理している土地などは書類上にあるだけ...『海と風と虹と』海音寺潮五郎

  • 『戦争と平和』4 トルストイ

    トルストイの『戦争と平和』を読み終わりました。最終巻ではナポレオン軍の敗走を背景に、アンドレイ公爵の死、ピエールの覚醒、といった主人公たちの人生模様がつづられていきます。アンドレイ公爵の死は次の生へのステップとして描かれているように思います。死んですべてが終わるのではなく、新たな始まりとでもいうのでしょうか。「『俺は死んでー眼をさましたのだ。そうだ。死はー目ざめだ。』」(『戦争と平和』トルストイより引用)というアンドレイ公爵のつぶやきはそのことをいっているのでしょう。死の悲しみよりは次なる生への期待のようなものがそこには見て取れると思います。死は悲しいものですが、次の生へのステップとすれば、死のとらえ方が少し違ってくるでしょうね。ピエールの自分探しの旅も終焉を迎えました。自分を黙示録の獣にみたてナポレオンの殺害...『戦争と平和』4トルストイ

  • 『さくらんぼジャム』 庄野潤三

    『エイヴォン記』、『鉛筆印のトレーナー』、『さくらんぼジャム』の三作はフーちゃん三部作と呼ばれてます。いずれも庄野潤三の孫娘であるフーちゃんを主人公にした物語というところからいわれているようです。私が庄野潤三の作品を読み始めた頃にはそのようなことはいわれていなかったと思います。『エイヴォン記』についても作者が清水さんからもらった薔薇の花の名前が『トム・ブラウンの学校生活』にでてくる川の名前と同じエイヴォンであるところからつけられた題名であるということが印象に残っているだけです。ただ、フーちゃんが初めて登場する作品が『エイヴォン記』であり、それが『鉛筆印のトレーナー』、『さくらんぼジャム』と続いているので、これらの作品群をまとめてフーちゃん三部作と呼ばれるようになったのですね。庄野潤三がなくなって以降、彼の作品を...『さくらんぼジャム』庄野潤三

  • 『新・平家物語』14 吉川英治

    『新・平家物語』14巻。壇ノ浦の戦いで平家は最後の時を迎えます。正直、読んでいてつらいですね。『新・平家物語』にはいくつもの勢力が興亡を繰り返すさまが描かれるのですが、やはり主人公である平家の滅亡の描写には特別な思いがあります。先を読むことがつらくてページをめくる手が遅くなるのです。途中まで読んで幾日かそのまま、という状況さえありました。それでもなんとか読み終えた時には、この長い物語も終わったと思いました。実際にはまだ義経の死と奥州藤原氏の滅亡、頼朝の覇権の確立と話は続くのですが、どうしても付けたしという感じが否めません。時の勢いというものはあるのだな、と思います。滅びていく者たちは何をしてもすべてが裏目に出るというところでしょうか。平家にも態勢挽回の機会は何度かあったのですが、義経の軍事的能力の前に敗退を繰り...『新・平家物語』14吉川英治

  • 『病牀六尺』正岡子規

    「病牀六尺、これが我世界である。」(『病牀六尺』正岡子規より引用)この有名な書き出しから始まる『病牀六尺』は正岡子規の最後の随筆集です。以前取り上げた『仰臥漫録』が発表を意図しない控であったのに対して『病牀六尺』は新聞日本に彼の死の2日前まで連載された随筆となります。『病牀六尺』を読むと生きるというのは仕事をすることなんだ、ということがよくわかります。仕事をするなかに自分の存在価値を見出す。それが生きるということなのだ、と言い換えることもできるでしょう。晩年の子規を支えたのは自らの思いを書き続けることでした。有名な「僕ノ今日ノ生命ハ『病牀六尺』ニアルノデス。」という言葉はこの時の子規の気持ちを十分に表しています。新聞日本は病に苦しむ子規の姿を見かねて休載の日を作ったことがあり、それに対する子規の答えがこの言葉だ...『病牀六尺』正岡子規

  • 『戦争と平和』3 トルストイ

    トルストイの『戦争と平和』第3巻。私が持っている岩波文庫版第3巻では、ナポレオンのロシア侵攻からモスクワ占領までが描かれます。この巻ではボロジノの戦いが中心となります。トルストイはこの戦闘を両軍の戦略や戦術などの面からはほとんど描いていません。代わりに彼が強調したのはロシア軍の驚異的な粘りであり、戦いへの思いでした。「「戦いに勝つのは、必ず勝とうと堅く決心した者だ。」」(『戦争と平和』トルストイ米川正夫訳より引用)戦い前夜、アンドレイ公爵が言ったこの言葉にロシア軍の思いすべてが込められていると思います。当日は全戦線にわたって両軍の激闘が続きますが、結局ナポレオン軍は前進することができませんでした。ロシア軍が頑強に抵抗したからです。ただ、死傷者のあまりの多さについにクトゥーゾフは撤退を決断。この決定が後にナポレオ...『戦争と平和』3トルストイ

  • 『伝承の相貌 民俗学四十年』桜井徳太郎

    『伝承の相貌民俗学四十年』は民俗学者桜井徳太郎のエッセイ、講演などをまとめたものです。以前から気になっていたことがありました。それは柳田国男をはじめとする民俗学者たちが沖縄を日本の古代社会の一典型としてみていたことです。沖縄は明治時代に強制的に日本国に組み込まれました。いわゆる琉球処分ですね。それまでまがりなりにも琉球王国として独立した存在であったものをなくしてしまったわけです。もともと日本ではなかった場所に日本の古代社会の姿を探す、ということはどういうことなのか。この点が私には疑問でした。それがこの本を読むことで解決したのです。桜井徳太郎は日本と沖縄だけではなく、中国、朝鮮半島さらにはインドシナ半島といった東アジア全体に目を向けて日本の民俗というものを考えています。東アジア世界のなかで行われてきたマツリや儀式...『伝承の相貌民俗学四十年』桜井徳太郎

  • 『仰臥漫録』正岡子規

    『仰臥漫録』は正岡子規が死の前年、明治34年から死の直前まで書いた日記です。あくまでも日記ですから、出版されることを予想して書かれたものとは違います。しかし、内容は随筆集といってなんら問題ありません。むしろ、随筆よりも子規の内面がよく出ていると思います。超一流の作家の日記はそのまま良質の文学作品となることをあらためて感じました。読んでいて目につくのが、食べ物についての記載がとても多いことです。それもこの料理の味はどうのこうのといった取り澄ましたものではなく、たとえば、粥、焼きなす、土壌鍋、といったように子規が食べたものの名前をそのまま列挙しているのですね。列挙された食べ物の名前を見ていると、子規の生への執着の激しさを感じます。病気によって人生の楽しみの多くを奪い去られた子規が、残された数少ない楽しみをむさぼりつ...『仰臥漫録』正岡子規

  • 『戦争と平和』2 トルストイ

    岩波文庫の『戦争と平和』第2巻。アウステルリッツ会戦のあと、ナポレオンと講和したロシアにつかの間の平和が訪れます。いわばナポレオンによるロシア侵攻前夜が2巻の舞台です。戦場で傷つき、家に戻ってからは妻をなくしたアンドレイ公爵。世間に対する冷ややかな(というよりも拗ねた)視線はますます激しくなっていくのですが、ナターシャを知るにおよんで一大転機が訪れます。「幸福になるためには、幸福の可能性を信じなくちゃならん、とピエールが言ったのは真理だ。~中略~血の気のあるうちに生を楽しんで、仕合せな人間になるのがかんじんだ。」(『戦争と平和』トルストイ米川正夫訳より引用)こう考えるアンドレイ公爵は、ナターシャに対して恋愛感情ではなく、生きることの喜びを見出したのでしょう。彼はナターシャに結婚を申し込み、ナターシャもそれにこた...『戦争と平和』2トルストイ

  • 『墨汁一滴』正岡子規

    『墨汁一滴』は正岡子規が死ぬ前年に新聞日本に掲載された随筆です。子規には晩年に書かれた四大随筆と呼ばれる作品郡があり、『墨汁一滴』はそのうちのひとつとなります。散歩、旅行、観劇、歩行の自由、座臥の自由、寝返りをうつ自由、トイレに行く自由。これら日常生活における自由な活動をことごとく封じられ、残るのは食事を楽しむことと執筆をすることのみ。しかし、わずかに残ったそれらの自由も病気の進行にともない、ままならないものとなっていく。「アア何を楽に残る月日を送るべきか。」(『墨汁一滴』正岡子規より引用)このように子規は『墨汁一滴』のなかでなげいています。しかし、この作品にみられる批判精神はとても病に打ちのめされた病人のものとは思えないほど力強いものです。ある短歌会で、よい歌とはどのようなものかといった議論がありました。誰に...『墨汁一滴』正岡子規

  • 『「日本」とは何か』 日本の歴史00 網野善彦

    講談社の日本の歴史シリーズ全体のテーマを提示している本です。網野善彦が提示している問題は、「日本」という国の名前や日本人、といった普段私たちが自明のものとして考えている概念は絶対的なものではない、ということです。作者は「日本」の国号は昔から存在、日本人は単一民族、百姓といえば農民、などといった私たちが日常的に思い込んでいることに対して、日本とその周辺地域との歴史をたどりつつ批判していきます。日本という名前の国家が成立したのは、7世紀後半。壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇となってそれまでの「倭」から「日本」へと国号を変えた時からです。そのため、その時まで日本人は存在しておらず、いたのは倭人ということになる、と作者はいいます。聖徳太子も倭人だというわけです。この時に成立した日本国は日本列島の東から北へ、あるい...『「日本」とは何か』日本の歴史00網野善彦

  • 『戦争と平和』1トルストイ

    トルストイの『戦争と平和』ほぼ30年ぶりに読み返しています。長い小説なので、一気に通読、というわけにはなかなかいきません。そのため読んだ感想も他の長編小説同様、おりにふれて書いていきたいと思っています。私がもっているのは岩波文庫。第1巻はアウステルリッツの三帝会戦までです。主人公はアンドレイ公爵と、父の死によって伯爵となるピエールの二人。アンドレイ公爵はさめた眼で周囲の状況をみている現実主義者として描かれていますが、少し高慢な感じがしてあまり好きにはなれません。もっとも、貴族というものはおしなべてそのようなものだ、と思えば気にはなりませんが。1巻では、ピエールはまだ頼りなく、浮草のようにふわふわしています。彼を取りまく状況について彼が考えていることは8割がた正しいのですが、彼はそれを表明することができません。結...『戦争と平和』1トルストイ

  • 『大学時代』シュトルム

    シュトルムの『大学時代』代表作として知られる『みずうみ』とは違って、この作品の主人公は狂言回しの役割を演じています。当初、主人公の青春時代が語られていくのかと思いきや、物語の後半になると、主人公が想いをよせる少女ローレの生き方のほうに焦点があたっていくからです。物語の語り手として登場する「私」は、少年時代に舞踏講習会に人数合わせのために参加させた仕立て屋の娘ローレに強く惹きつけられます。以来、「私」はローレの心をとらえるために苦心惨憺するのですが、結局、その願いがかなうことはなく、やがてギムナジウムに入学するために故郷を離れることとなります。その後、ギムナジウムを卒業して大学に進んだ「私」は故郷に戻ることがほとんどなくなり、あれほど執着したローレへの想いもいつしか薄れていくのでした。ここで話が終わるのなら『大学...『大学時代』シュトルム

  • 『赤死病の仮面』ポー

    エドガー・アラン・ポーの『赤死病の仮面』「「赤死病」が長年この国に猛威をふるっていた。」(『赤死病の仮面』刈田元司訳より引用)この印象的な言葉から始まる『赤死病の仮面』は、ポーの作品集には大概入っているのではないかと思われる有名な作品です。赤死病は、感染すると全身から血が吹き出て、その後わずか30分たらずで死んでしまう恐ろしい伝染病として描かれています。この国を治めるプロスペロ大公は、自分の身を守るだけで病気に対してなんらの手も打ちません。やがて、公国の人民の半ばが死に絶えたあと、自身の取りまきのなかから健康な者を1000人ほど選び、それらの者たちとともに離宮に引きこもってしまいます。彼は離宮の鉄扉の閂を溶接して閉じ、誰も入って来られないようにしました。カミュの『ペスト』では町を封鎖することで外界との接触を絶ち...『赤死病の仮面』ポー

  • 『ペスト』カミュ

    アルベール・カミュの『ペスト』。今回も本棚の隅から引っ張り出してきて読みました。新型コロナウイルスが社会に深刻な影響を与えているためか、この作品がよく読まれているといわれています。私が読む気になったのもそのような社会状況に押されてのことです。ただし、作品のテーマはペストとの戦いというよりも、ペストに象徴される理不尽な暴力に対して人間はどのように対応していくべきなのか、という点にあると思いました。カミュにしてみれば、人々を襲う災厄はペストでなければならなかったわけではないのですね。理不尽な暴力の代表としての戦争そのものでもよかったのです。しかし、戦争といった場合、殺し殺されという場面を描かなければなりません。そこで、ペストという細菌に対する戦いを描くことで殺戮場面をなくし、極限状況における人間の生き方を描いたので...『ペスト』カミュ

  • 『イタリア紀行』(上) ゲーテ

    ゲーテの『イタリア紀行』(上)を読みました。岩波文庫で上、中、下3巻に分かれているうちの上巻です。ここでは、ドイツのカールスパートを出発してからローマまでの旅の印象がつづられています。読んでいて思ったのは、ゲーテの文化学術に対する理解の範囲の広さと深さです。美術、演劇はいうに及ばず地質学、建築学、気候学など、実に幅広い。しかも、それらがいずれも単なる表面的な知識ではなく、彼の頭の中で十分に咀嚼されているのですね。その知識をもとにつづられるこの作品は単なる紀行文ではなく、文学の古典といってよいでしょう。ゲーテはいくつもの作品を書いていますが、『イタリア紀行』が文庫として今の時代に紹介されているのもむべなるかな、と思います。ゲーテがイタリアを旅したのは1786年。この2年後にはフランス革命が起こります。ある意味、風...『イタリア紀行』(上)ゲーテ

  • 『軍師 竹中半兵衛』笹沢佐保

    笹沢佐保の『軍師竹中半兵衛』を再読しました。平成元年に読んだのを再度、本棚から引っ張り出してきたのですが、実に面白かったですね。冒頭の浅井氏による菩提山城への奇襲攻撃を撃破したところから始まり、稲葉山城奪取、長命寿院への隠棲、織田信長の意を戴した秀吉の訪問と、おなじみの場面が次々と描かれていきます。読んでいて退屈しないのは文章のテンポがよくて、展開が早く感じられるからでしょうか。私は夜遅くなってから本を読む癖があるので、退屈すると眠くなってしまうことが多いのですが、この作品は違いました。約1時間半ほどの間に200ページほど一気に読んでしまいました。徹夜してしまうのではないか、と思ったくらいです。竹中半兵衛のイメージをひと言でいうと神算鬼謀が服を着て歩いている、といったところでしょうか。権力欲というものは一切なく...『軍師竹中半兵衛』笹沢佐保

  • 『新・平家物語』13 吉川英治

    『新・平家物語』13巻は屋島の戦いから壇ノ浦の決戦前夜までが描かれています。義経による疾風迅雷のごとき奇襲で根拠地屋島を追い落とされた平家は、彦島に拠る平知盛のもとへと逃れていきます。四面楚歌の状態のなか、勝利は望むべくもありませんが、それでも戦い続ける平家の人々の姿は心をうちます。平家の氏神が祀られている厳島の神官、安芸守左伯景弘もその一人です。彼は屋島を追われた平家の人々を暖かく迎え入れます。それのみならず、一族こぞって彦島までついていくのです。彼は厳島神社の神官ですから、甲冑をつけて戦う必要などないわけです。しかし、彼は平家とともに戦う道を選びました。世の毀誉褒貶には関わりなく、自分を引き立ててくれた平家への恩を貫く。その姿は感動的です。「彼の出陣は、いかにも神職の人らしく、すがすがと、見えたという。」(...『新・平家物語』13吉川英治

  • 朗読の楽しみ

    近代日本文学の朗読を聞くのが楽しくて仕方がありません。『吾輩は猫である』『草枕』といった漱石の作品から始まって、芥川龍之介の『河童』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』など、ほぼ毎日BGMのようにして聞いています。朗読された作品を聞くと、文章を眼で追っていた時には気がつかなかった表現に出会うことがあります。たとえば、今迄読み飛ばしていた部分が、朗読されたものを聞くことで新たに視界に入ってくる。何度も読んでいるはずなのに、あれ、そんなこと書いてあったかな、と首をかしげてしまう。そのような発見があるのが朗読を聞く面白さなのかな、と思います。また、朗読を聞きすぎて、紙に書かれた文章を読んだときに妙な違和感を感じることもあります。島崎藤村の『千曲川のスケッチ』などは、朗読を何回聞いたかわからない程なのですが、先日、久しぶりに本...朗読の楽しみ

  • 『漱石とあたたかな科学』小山慶太

    小山慶太氏の『漱石とあたたかな科学』を読みました。夏目漱石にはこんな読み方もあるんだ、とあらためて思った本です。ナイトの称号を始めとする栄誉栄爵をすべて断って生涯一人の研究者としての貫き通した物理学者ファラデーを引き合いにした漱石の博士号辞退。修善寺の大患のあと書かれた『思い出すことなど』にみる心霊問題。さらには、水島寒月をイギリスの古典物理学者ロード・ケルヴィンに擬して持ちあげる『吾輩は猫である』などなど。漱石の生き方から作品論まで、科学を切り口にして縦横に語られています。面白いなと思ったのは、『それから』の冒頭に登場する落椿について書かれている章です。主人公代助が夢うつつに聞いた椿の落ちる音の話から、小山氏は椿が落ちる際に回転することについて書いていきます。椿は下を向いて落ちるので、そのときには花の面は下向...『漱石とあたたかな科学』小山慶太

  • 『日本野鳥記』小林清之介

    小林清之介の『日本野鳥記』を読みました。ブッポウソウについて書かれたノンフィクションです。ブッポウソウには「姿のブッポウソウ」と「声のブッポウソウ」があるといわれています。そのいわれを解き明かしたのが本書です。小学生の頃、鳥類の図鑑で「姿のブッポウソウ」と「声のブッポウソウ」の2種類の鳥がいることを知りました。ただ、その時はまだ幼かったせいか、書かれていることの意味が良くわからなかったことを覚えています。長じて意味はわかりましたが、へえ~、そうなんだ、と思うくらいで、取り立てて興味を持つことなく今日まですぎてきたのです。今回、『日本野鳥記』を読んでブッポウソウの正体を突き止めるまでのドラマを知り、とても興味深いものがありました。舞台は昭和9年。当時、ブッポウソウは緑色の腹と青い羽をもった姿の美しい鳥であると考え...『日本野鳥記』小林清之介

  • 『庄野潤三ノート』阪田寛夫

    阪田寛夫の『庄野潤三ノート』を読みました。阪田寛夫は庄野潤三の小説の中では常連の登場人物です。特に『貝がらと海の音』以降の作品には必ずといってよいほど登場してくるので、おなじみになっています。その人が書いた庄野潤三論なので、とても興味深く読みました。その中に、次のくだりがあります。「こんな風に知らない間に、同じ家の中で別の秩序の時間が経過している。子供が大きくなればなるほど、親の知らないその部分が大きくなる。だからこの父親は、子供たちから一所けんめい聞きだして、気付かないままに埋もれ去ったかも知れない珠玉のようなその時間を掘りおこそうとしているのだろうか。」(『庄野潤三ノート』阪田寛夫より引用)『小えびの群れ』について書いている中にでてくる記述です。子供たちが大きくなるにつれて、大人の知らない世界が形作られてい...『庄野潤三ノート』阪田寛夫

  • 『陸 羯南』松田宏一郎

    松田宏一郎氏の評伝『陸羯南』を読みました。陸羯南については、『坂の上の雲』の登場人物としてのイメージしかありません。正岡子規の保護者で新聞「日本」の社長、さらには国粋主義者、といったところでしょうか。しかし、この本を読み、特に国粋主義者という面で、イメージがだいぶ変わりました。国粋主義者というと、日本が一番で、他のことはお構いなし、といったネガティブなイメージがありますが、羯南は違います。彼は明治時代、日本人は物事すべてを欧米にならうべし、といった外国追随の風潮に異議申し立てをしたのです。また、日清戦争、日露戦争に対してはともに積極的な開戦論者ではありませんでした。「軍備よりも経済的な権益の確保と中国の開発を重視せよという論調」(『陸羯南』松田宏一郎より引用)は、彼が経営する新聞「日本」が主張し続けたものでした...『陸羯南』松田宏一郎

  • 『ゾンガーと魔導士の王』リン・カーター

    『ゾンガーと魔導士の王』は、リン・カーターのレムリアン・サーガの第1巻です。このシリーズは、高校時代に夢中になって読みふけった記憶があります。再度、読み返してみて、なぜあのように夢中になったのかがわからないことに少し驚きました。読み物としてはとても面白いのですが、ハワードの『コナン』、バローズの『火星シリーズ』、トールキンの『指輪物語』、さらにはラブクラフトの『クトゥルー神話』までのあらゆるSFファンタジーのいいとこどりをしているところがやたらと目についてしまうのですね。そのため、純粋に面白いとは思えず少し残念な気持ちがしました。それだけ、ファンタジーを読んできているということなのでしょうが、ちょっと複雑な気持ちです。さて、レムリアン・サーガの舞台は、超古代、海底に沈んだとされているレムリア大陸。ヴァルカルトの...『ゾンガーと魔導士の王』リン・カーター

  • 『冬の日誌』ポール・オースター

    ポール・オースターの『冬の日誌』私はこれまでポール・オースターという作家がいることを知りませんでした。解説によると新潮文庫から何冊か作品が出ているとのことですが、見たことがありません。もっとも最近はあまり本屋に行くことがなく、もっぱら図書館を利用しているので、どのような本が出版されているのか少し疎くなっているのかもしれません。『冬の日誌』は作者の自伝的小説です。ただこの作品は、「私は」といった一人称で語られているのではなく、「君は」という読者に呼びかける形で書かれているので、当初、自伝的小説とは思いませんでした。作品の構成も時系列に沿って書かれているのではなく、様々な人生の断面をアトランダムにつなげて書いているので、何がなし、教訓めいたことを書いたエッセイなのかな、と思ったほどです。解説に自伝的小説とありました...『冬の日誌』ポール・オースター

  • 『失われた時を求めて ソドムとゴモラ』プルースト

    『失われた時を求めてソドムとゴモラ』を読みました。この巻で、プルーストは同性愛について書いています。読んで感じたのは、同性愛といっても、その感情は異性に対するそれと変わらないということです。ただし、それは隠さなければならないという点で違いがあります。同性愛は人間のもつ悪徳のひとつとして考えられてきたため、異性に対するようにはいかないわけです。シャルリュス男爵という同性愛者が登場します。彼はモレルというバイオリン奏者と同性愛の関係にあるのですが、そのことをひた隠しにしています。しかし、彼の言動から周囲にはそのことがわかってしまい、陰で嘲笑の的となっています。シャルリュス男爵自身はうまく隠しおおせていると思っているため、そのことには気づきません。面前で、そのことを暗示するような会話がなされても気が付かないシャルリュ...『失われた時を求めてソドムとゴモラ』プルースト

  • 『若き日と文学と』辻邦夫 北杜夫

    『若き日と文学と』は辻邦夫と北杜夫の対談形式による文学論です。話題の中心となるのはトーマス・マン。『ブッテンブローク家の人々』『魔の山』『トーニオ・クレーガー』といった作品を通してヒューマニズムやユーモア、アイロニーといった点について語り合っています。ただ、哀しいことに私にはその内容がよくわからない。というよりもトーマス・マンの作品からそれらの事象を読み取る力が私にはないのですね。私は『魔の山』『トーニオ・クレーガー』『ウェニスに死す』は読んでいるのですが、たとえば、辻邦夫、北杜夫の二人がいうところのユーモアなぞ、どこにあるのだろうと思います。二人の対談を読んでいくと、何かわかったような気にはなりますが、何も残らない。すなわち、本質的なことは何もわかっていない自分に気が付くのです。一流の創作家との違いというもの...『若き日と文学と』辻邦夫北杜夫

  • 『柳田国男の民俗学』福田アジオ

    福田アジオ氏の『柳田国男の民俗学』を読みました。これまで、文学書のようなイメージのあった柳田国男の作品郡が民俗学の研究書であることにあらためて気づかされました。このようなことを書くと、何を言っているのか、と疑問を持つ方もいるかもしれません。ただ、私にとって、柳田国男の作品を読むことは、民俗学という学門を学ぶことではありませんでした。日本社会の成り立ちをひとつの文学作品として楽しむ、といった思いのほうが強かったのです。そのため、柳田国男の学説が正しいか正しくないかや民俗学とは何のためにある学問なのかということは、あまり考えずに読んできました。他の民俗学者、たとえば、宮田登や谷川健一などが書いた本を研究書として読むのとは違っていたのですね。それがこの本を読んだことで、柳田国男に対する見方が変わりました。彼は民俗学者...『柳田国男の民俗学』福田アジオ

  • ホーンブロワー三部作 セシル・スコット・フォレスター

    セシル・スコット・フォレスターのホーンブロワ―三部作は、『パナマの死闘』『燃える戦列艦』『勇者の帰還』の三作のことです。これらの三作品によって、作者のセシル・スコット・フォレスターはその名を不動のものとしました。さらに、ここから、海洋冒険小説の雄ホーンブロワ―・シリーズが書き始められていったわけです。パナマ沖でのスペインの戦列艦との死闘、艦砲射撃や上陸戦闘による敵部隊の殲滅戦など、艦長ホーンブロワ―は大活躍をします。さらには4隻ものフランス戦列艦に対してただ1艦のみでの戦闘を挑み、3隻の敵艦を撃破するも、敵の砲撃によって乗艦は浅瀬に座礁。彼はフランスにとらわれの身となってしまいます。銃殺刑必至の情勢の中、機をみて脱走。400マイルもの距離を踏破して故国イギリスへと戻っていくというのがこの三部作のあらすじです。ま...ホーンブロワー三部作セシル・スコット・フォレスター

  • 『冬至まで』ロザムンド・ピルチャー

    人生は素晴らしい!思わずそう叫びたくなる小説です。主人公は、人生で困難な出来事にぶつかった時には笑い飛ばして前に進むだけ、といったポジティブな人生観をもったエルフリーダ。病気によって最愛のパートナーを失った経験をもつ彼女の前に現れたのがオスカーという男性です。若くパワフルな妻と年をとってから生まれた11歳の娘ををもつオスカーでしたが、突然の事故によって妻と娘を一時に失ってしまうのでした。傷心のオスカーに寄り添うエルフリーダ。オスカーが所有権を半分持つスコットランドの一軒家で暮らし始めた二人のもとに、サム、キャリー、ルーシーの3人が引き寄せられるようにやってきます。彼等もまた、最愛の恋人と別れたり、家族から邪魔者扱いされたりして心に傷を負った者たちでした。そんな5人が一つ屋根の下で暮らしていくなかで、心の傷を癒し...『冬至まで』ロザムンド・ピルチャー

  • 『手仕事の日本』柳宗悦

    柳宗悦の『手仕事の日本』を読みました。太平洋戦争前に書かれた作品ですが、検閲に引っかかり、その部分を修正したのもつかの間、戦争の嵐のなかで出版は頓挫。戦後、ようやく陽の目をみたという作品です。序文には、「平和」という文字を使ってはならない、といわれたとあります。太平洋戦争突入直前の日本が現代から見て、いかに異質な国であったかを示すエピソードといえるでしょう。『手仕事の日本』に書かれた日本の道具、陶器、和紙といった工芸品は、現在では一部でしか見られないものとなっていると思います。少なくとも、私が日常使用しているもののなかにはありません。わずかに陶器がありますが、日常使いまわしてはおらず、押入れのすみに入ったままですね。工芸品自体、使うものではなく鑑賞するもの、といった観念が強いため、いつも手元にある、というもので...『手仕事の日本』柳宗悦

  • 『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』ゲーテ

    ゲーテの『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』を読みました。主人公のウィルヘルムは地に足のついていない根無し草のような存在に思えます。親は事業に成功した資産家で、生活していくには困らない環境にいることはわかるのですが、何だか頼りない感じがするのですね。思うに、ウィルヘルムが生きていく場所がはっきりと定まっていないため、このような感じを抱くのでしょう。当初、彼は恋愛と演劇に人生をかけていたのですが、その夢が破れると、今度は一転、父親の商売に全力投球。しかし、仕事先で再び演劇の魅力に憑りつかれ、仕事はほったらかしで劇団の経営と脚本の解釈に夢中になっていきます。演劇を通して芸術というものを探求していく青年の姿といえば、聞こえはいいのでしょうが、何か違和感があるのです。私にはウィルヘルムが心から演劇に打ち込んでいるよう...『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』ゲーテ

  • 『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』ジョナサン・ハリス

    ジョナサン・ハリスの『ビザンツ帝国生存戦略の一千年』を読みました。作者は、ビザンツ帝国が330年の「コンスタンティノーブル開都」を初めとして、1453年のコンスタンティノーブル陥落までの約1100年もの長期間、存続し続けることができた理由が知りたくてこの本を書いた、といっています。ビザンツ帝国は、東ローマ帝国とも呼ばれる滅亡したローマ帝国の衣鉢を継いだ国家です。しかし、ローマ帝国のように強大といったイメージはありません。むしろ、初めから終わりまで他民族からの圧迫にさらされ続け、最後には跡形もなく滅び去ってしまった弱小国家といったイメージが強くあります。けれども、国家として存続した期間が1000年を超えるといったことを改めて言われると、なんともいえない感慨に打たれます。古代から中世に移り変わる激動の時代を生き抜い...『ビザンツ帝国生存戦略の一千年』ジョナサン・ハリス

  • 『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー

    『吸血鬼ドラキュラ』を本棚の隅から20年ぶりに引っ張り出して読んでみました。面白かったですね。この作品は、ジョナサン・ハーカー、ミナ・ハーカー、ヴァン・ヘルシング教授といった登場人物たちの手記をつなげて書かれています。異なる登場人物たちの視点から語られるため、物語の緊迫感がより増しているように感じられました。ミステリーなどでは、時間で区切った章立てをすることで、異なる登場人物たちの視点から物語が語られていくという手法がとられることがあります。『吸血鬼ドラキュラ』はその手法の先達といってもよいのかもしれません。作者のブラム・ストーカーは20年以上にわたって劇団の仕事をしていたといいますから、その時の経験が小説に生きたといえるのでしょう。面白いことにドラキュラの視点から物語が語られることはありません。そのため、彼は...『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー

  • 金木犀咲く

    昨日、図書館に行く途中で金木犀が咲いていることに気がつきました。先週の金曜日、台風が来る前に借りている本を返すため、仕事帰りに図書館に寄った際には、金木犀は咲いていなかったので、台風が過ぎた後に花を開いたのでしょう。路上に金木犀の甘い良い香りが漂い、秋を満喫することができました。それにしても、今年は金木犀が咲くのが例年よりも遅い気がします。昨年は9月半ばにはすでに咲いていたように思うので。こんなところにも温暖化の影響が出てきているのでしょうか。今年、温暖化をもっとも強く意識したのは先週の大型台風です。東海、関東、北陸、さらには東北にかけて被害は甚大。しかも、今まで被害を免れてきた東京都心部にも深刻な影響がでました。海水面の温度が高いため、勢力が衰えないまま日本列島にやって来る台風のことは以前から聞いてはいました...金木犀咲く

  • 『水の葬送』アン・クリーブス

    『水の葬送』は、シェトランド四重奏シリーズの続編です。ショッキングな出来事で終了したシェトランド四重奏シリーズでしたが、この作品で新たなシリーズとして復活しました。主人公はシェトランド四重奏同様ペレス警部。しかし、この作品からは、シェトランド四重奏シリーズではわき役にすぎなかったサンディ刑事が主要な役割を演じるようになり、新たな展開を見せ始めます。また、新たに登場するウィロー警部は、「西のはて」へブリディ―ズ諸島の出身の女性刑事です。「北のはて」と「西のはて」の違いはありますが、どちらもイギリス本島の出身ではない刑事がシェトランドで発生した殺人事件に挑んでいきます。事件の指揮を執るのはウィロー警部。本来、指揮を執るべきペレス警部が『青雷の光る秋』事件のショックから立ち直れず、情緒不安定な状態にあることから、事件...『水の葬送』アン・クリーブス

  • 『新・平家物語』12 吉川英治

    吉川英治の『新・平家物語』12巻。一の谷合戦に大勝利をした義経ですが、兄頼朝に警戒され、戦いの指揮をとることができない状態が続きます。彼に代わって平家攻めの総大将となったのは蒲冠者範頼。しかし、彼は平家の巧みな戦術に翻弄されて、敵中に立ち往生してしまいます。そこで、再び白羽の矢が立てられた義経が屋島へと進撃する、というのが12巻のあらましです。巻の冒頭、平重衛の最後が語られます。南都焼き討ちの張本人として奈良法師たちの恨みを一身に集めていた彼は、奈良に送られて斬首されるのです。手違いからとはいえ、仏が祀られた堂宇を灰燼に帰してしまったことを深く悔やむ重衡に対して、ただ復讐の念に燃え立つだけの法師たち。どちらが真実の信仰者なのかと思います。「御仏の国奈良の古都が、悪鬼羅刹ばかりの古都になっている。」(『新・平家物...『新・平家物語』12吉川英治

  • 『司馬遼太郎覚書 『坂の上の雲』のことなど』辻井 喬

    辻井喬氏の『司馬遼太郎覚書『坂の上の雲』のことなど』を読みました。司馬遼太郎の『坂の上の雲』については、以前より歴史学者からの批判が多くなされています。また、NHKのスペシャル大河ドラマとして放映された時には、放映自体の中止を求める運動も起きました。こういった動きについて、私はその当時から違和感をもっています。もとより、作品を批判をすること自体には何の問題もありません。個人的にも乃木希典愚将説についてはいかがなものか、と思っていますので。しかし、ドラマ化自体を中止せよ、というのはどんなものだろうか、と思うわけです。私は『坂の上の雲』の小説もドラマも好きで、何度も読み返したり、観なおしたりしています。しかし、その内容からは日本の右傾化を促進するようなものを感じたことはありません。『坂の上の雲』はあくまでもフィクシ...『司馬遼太郎覚書『坂の上の雲』のことなど』辻井喬

  • 『漱石のマドンナ』河内一郎

    河内一郎氏の『漱石のマドンナ』を読みました。漱石が生涯のうちで心を惹かれた女性について書かれた研究書というかエッセイですね。大好きな夏目漱石に関するエッセイなので、短い時間で読み切ってしまいました。興味深かったのが、漱石の卷恋の対象だった女性は大塚楠緒子であったと断定している点です。江藤淳の『漱石とその時代』や『決定版夏目漱石』などには、嫂の登世が漱石にとって運命の女性であったと書いてあります。しかし、河内氏の研究によれば、それは違うというのですね。漱石の人となりや交友関係については、彼の残した日記や友人に宛てた手紙などを通してたくさんの研究がなされています。ただし、その中には、友人が漱石の死後の評判をおもんばかって、焼却処分してしまったものがあり、実際にはどうだったのか分からないものもあるようです。漱石の恋の...『漱石のマドンナ』河内一郎

  • 『物語 オーストリアの歴史』山之内克子

    山之内克子氏の『物語オーストリアの歴史』を読みました。興味深かったのは、この作品が通常の歴史の本とは異なり、各地域ごとの歴史を書いている点です。一国の歴史の叙述は、国として一つにまとまった地域を基本に描かれるのが普通だと思うのですが、この本は違いました。作者は、現代のオーストリアを構成する9つの州ごとに、古代から現代までの歴史を描いていきます。なぜ、このような構成をしたかといえば、オーストリアが単一の民族からなる国ではなかったからです。地域ごとに異なった民族と文化があり、それらをハプスブルグ家という、いわば扇の要によってまとめてきたのが、オーストリアの歴史だったのですね。しかし、ハプスブルグ家の勢力が衰えてくると、各地域の民族運動が活発化してきます。その発火点となった第一次世界大戦でハプスブルグ帝国は崩壊。それ...『物語オーストリアの歴史』山之内克子

  • 『 睥睨するヘーゲル 』池田晶子

    池田晶子の『睥睨するヘーゲル』を読みました。哲学を基にしたエッセイですね。はっきり言って、よくわからなかった、というのが感想です。私の理解力の欠如といってしまえば、それまでなのですが、最後まで何を言っているのかわかりませんでした。自分という存在には価値がない、と作者は言います。人生は虚無である、と。その一方で、自分を超えた価値が別に存在し、それは理想という言葉に置き換えられる、とも言っています。「自分を越えた全体のための考え方」(『睥睨するヘーゲル』池田晶子より引用)作者の言う理想の中身です。これを言葉として語ることができる生き方が「生きるに値する」人生であるという訳ですね。分からないのは、存在することに価値がない自分と、それ自体が価値のあるものとが別個にあるという考え方です。作者は両者が決して交わることがない...『睥睨するヘーゲル』池田晶子

  • 『句歌歳時記 秋』山本健吉編

    山本健吉編による句歌集。秋の部。しみじみとした感じを起こさせる歌が多いなかで、ちょっと毛色が違うと思ったのが次の歌です。時により過ぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめたまえ源実朝源実朝というと、線の細いひ弱なイメージがありますが、実際には賢明で能力の高い人だったようです。この歌もそのような文脈で読めば、実朝の責任感の強さがひしひしと伝わってきます。秋は台風の季節でもあり、それによる被害の大きさは現代とは比較にならなかったことでしょう。台風の被害に対する物理的な対応ができないとすれば、あとは神仏に祈るしかなかったのですね。そんななかでの必死な思いが感じられます。ただ、この歌は現代にも当てはまりますよね。昨今は、台風に限らず雨と聞けばすぐに浸水や土砂崩れを連想してしまうわけですから。実朝がこの歌を詠んだ当時からすれば...『句歌歳時記秋』山本健吉編

  • 『随筆 新平家』吉川英治

    『随筆新平家』は吉川英治が『新・平家物語』の執筆中に書いたエッセイをまとめたものです。『新・平家物語』執筆の動機や執筆の舞台裏などが書かれており、とても面白く読めました。以前、『新・平家物語』を読んだ時に、源義経が頼朝と一戦も交えずにひたすら逃げ回っていたことが納得いきませんでした。また、義経の逃避行になぜ、これだけのページを割くのかという点についても同じ疑問をもったのです。『随筆平家』にも、そのあたりの事情について、作者自身も同様な批判を受けたと書いてありました。私と同じ疑問をもつ人は他にもいたようです。これに対する作者の答えは「平和」の一言に尽きています。義経ほどの戦略家であれば、他にやりようがあったはずなのですが、彼はあえて戦うことを拒否しました。その結果、彼と彼を取りまく人々の運命は過酷なものとなりまし...『随筆新平家』吉川英治

  • 『庄野潤三の本 山の上の家』

    『庄野潤三の本山の上の家』は、庄野潤三が暮らしていた家の写真と作家の友人や家族によるエッセイ、さらにはこれまで単行本に収録されていなかった作品からなる本です。文字通り、作家としての庄野潤三の原点がちりばめられた本といえるでしょう。庄野潤三の仕事部屋や庭、古備前の大甕の写真を見ていると慣れ親しんだ小説の世界が目の前に広がるような気持になります。文字の上だけで想像していた風景は実際にはこのようなものだったのか、と新しい発見をしたようで、読んでいて楽しくて仕方がありません。一方で、この本に収められている単行本未収録の作品『青葉の笛』からは、庄野潤三の原点を垣間見た思いがしました。『青葉の笛』は、太平洋戦争中、人間魚雷「回天」の搭乗員にさせられた主人公の物語です。戦争を遂行する組織の非人間的なあり方に対する主人公の怒り...『庄野潤三の本山の上の家』

  • 『新・平家物語』11 吉川英治

    『新・平家物語』11巻の中心は一の谷の合戦です。古来、源義経の独壇場であったこの合戦について、吉川英治は異議を唱えます。古典には源氏側からみた合戦の模様しか書かれていないから、というのがその理由です。『随筆新平家』には、これまで書かれてきた物語では、平家が源氏の引き立て役でしかなかった、と書いています。読者はそれを当然のものとして受け入れてきたのだというのですね。そこで、『新・平家物語』では平家の視点から一の谷、屋島、壇ノ浦の戦いを描いてみたいといっているのです。11巻の一の谷の合戦では、平家の敗因を後白河法皇による謀略によるものとしています。義経の奇襲攻撃が平家を混乱に陥れたのは事実なのですが、そこに至る前に後白河法皇から和議の使者が来るのですね。その内容は、2月4日が平清盛の命日にあたるところから、2月8日...『新・平家物語』11吉川英治

  • 『海底二万里』ジュール・ヴェルヌ

    『海底二万里』は海洋SFの古典です。暑い夏の夜を気分だけでも涼しく過ごしたいと思い、本棚の隅から引っ張り出して読んでみました。約20年ぶりに読み返したのですが、面白かったですね。作品が発表されたのは1869年。19世紀です。潜水艦ノーチラス号が、水圧などおかまいなしにどんどん深海に潜っていく場面など、物理的に、これはどうなのか、といった描写もありますが、そこは小説です。細かいところはあまり気にせずに、物語の世界を楽しめばよいのですね。ただ、読んでいて、いかにも19世紀だな、と思ったのは、海中の生物についての言及がやたらと多いことです。海洋生物の名前がずらりと並べられているだけの場面が次々と登場します。正直なところ、読むのが面倒くさくなるほどです。19世紀は様々な科学上の発見に湧いた時代でもあるので、それがこのよ...『海底二万里』ジュール・ヴェルヌ

  • 『座談会・明治大正文学史』2

    岩波現代文庫の『座談会・明治大正文学史』。2巻、3巻と続けて読んでしまいました。国木田独歩、島崎藤村、田山花袋、徳田秋声、夏目漱石、志賀直哉と明治大正を代表する文学者を中心に、主に明治から大正へと移り変わる社会状況について、座談会形式で語られています。面白いです。座談会の中心となる柳田泉、勝本清一郎は、漱石や藤村といった作家たちと同時代を生きてきた人たちであり、ところどころに彼等が直接見聞した作家の状況が語られ、とても興味深いものがあります。残念なのは、柳田泉が早稲田大学に通っていたころの恩師から夏目漱石を紹介してあげる、といわれていながら、気おくれがして合わなかった、というエピソードですね。このような座談会のなかで、漱石その人と直接会った人の口から、漱石の人となりについて知ることができたらどんなにうれしかった...『座談会・明治大正文学史』2

  • 『銀河英雄伝説』田中芳樹

    去年、TOKYOMXテレビでアニメ『銀河英雄伝説』が放映されていました。偶然それを観た私は、懐かしくなって本箱の隅にあった『銀河英雄伝説』を取り出して読み返してみたのです。面白い、この一言に尽きますね。20代のころ、夢中になって読んだ時の興奮が再び蘇ってきました。『銀河英雄伝説』は現在、創元推理文庫からでていますが、私がもっているのは徳間書店から出版されたものです。1巻『黎明篇』こそ1983年の第2版ですが、残りの9巻はすべて初版です。2巻以降は、新刊がでるのを毎回楽しみにしていました。新刊が本屋に並ぶやいなやすぐに買って読みふけったことも楽しい思い出です。何んといっても、宇宙空間での大規模な艦隊決戦の場面が圧巻。文章がきらびやかで、星々がきらめく漆黒の宇宙空間で爆発四散していく艦船が放つ光が目に浮かぶようです...『銀河英雄伝説』田中芳樹

  • 『灯台へ』ウルフ

    ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』を読みました。ウルフの作品を読んだのは初めてです。当初、主人公が誰なのかわからず、読むのに苦労しました。主語がわからないのです。登場人物の思考の流れが文章となってつづられているのですが、それが誰のものなのかが判然としないのですね。小説を読む時には、誰が何を考えているのか、何を話しているのかを理解して、そこからその作品世界に入っていくのが普通だと思うのですが、それができないのが、この作品です。それでも、根気よく、また、注意深く読んでいくと登場人物が誰なのかがわかってきます。のみならず、その人物の視点が、他の人物の視点に移り変わる時も理解できてきます。そうすると、果然、物語が面白くなってくるのです。錯綜していた人々の思考が整えられ、ある地点に向けて収斂していく。そのようなイメージでし...『灯台へ』ウルフ

  • 『新・平家物語』10 吉川英治

    『新・平家物語』10巻。木曽義仲の最後。倶利伽羅峠の戦いで平家を破り、上洛を果たした木曽義仲でしたが、後白河法皇に翻弄され、平家と源頼朝の挟撃に遭ってあっけなく滅びてしまいます。一方、義仲によって都を追われた平家一門でしたが、屋島を拠点に捲土重来を期すこととなります。その最初の戦いが水島合戦でした。屋島を拠点に平家が勢いを盛り返しつつあることを知った義仲は、平家追討の軍を向かわせます。これを平家が撃破殲滅。義仲の凋落が始まるのです。水島合戦以後の義仲は、じりじりと追い詰められていっただけ、といった感じですね。不気味なのは後白河法皇です。物語にはあまり登場してこないのですが、その存在感は大きい。義仲敗亡のシナリオはすべて彼が書いたのではないのかと思えるくらいです。絶対に友達にしたくないタイプですね。義仲に代わって...『新・平家物語』10吉川英治

  • 『新・平家物語』9 吉川英治

    『新・平家物語』9巻では、倶利伽羅峠における木曽義仲の大勝と、平家一門の都落ちが語られます。破竹の勢いで進撃する義仲をとめる術を平家は持ちませんでした。読んでいて思ったのは、どんなに強勢を誇った一族でも滅びるときはあっけないものだな、ということです。義仲が挙兵したとき、誰もがこのような短期間で平家を追い落とすことができるとは考えていませんでした。義仲にしても、その挙兵はまさに乾坤一擲というべき状況で行われたものだったのです。それが、数倍もの敵を打ち破り、上洛を果たすことができたのは、時代の風に乗った、としかいいようがないですね。興るものと滅びるものとに吹き付ける時代の風はどこから吹いてくるのでしょうか。考えると、なんだか不思議な気持ちがします。倶利伽羅峠の戦いの前に、竹生島に詣でた平家一門の皇后宮亮経正が、阿部...『新・平家物語』9吉川英治

  • 『「国際化」の中の帝国日本』日本の近代4 有馬 学

    有馬学氏の『「国際化」の中の帝国日本』を読みました。この本で描かれているのは、日露戦争の終結から大正時代の終了までの日本の政治史です。いわゆる大正デモクラシーの時代ですね。この言葉から連想されるのは、昭和初期に擡頭した軍国主義に押しつぶされる前の短い民主主義的な時代というものです。華やかに見えるけれど、根っこのない時代、とでもいうのでしょうか。しかし、有馬氏は大正をそのような時代とはみていません。近代の日本社会が大きく揺れ動いた時代とみているのです。いくつか論点はあるのですが、ここでは大衆社会の「発見」という点について書きたいと思います。明治時代には大衆という言葉はなく、あるのは平民というものでした。それが時代を経るにつれて「民衆」「群衆」と呼ばれるようになっていきます。「大衆」という言葉が使われ始めたのは、関...『「国際化」の中の帝国日本』日本の近代4有馬学

  • 『句歌歳時記 夏』 山本健吉 編著

    山本健吉による『句歌歳時記夏』を読みました。万葉集から現代まで、日本の四季を詠った俳句と短歌、和歌を季節ごとに編纂した歳時記の夏の部です。私は歳時記を読むのが好きで、新潮文庫や角川文庫、といった文庫版歳時記の他に、ホトトギス雑詠選集などにもよく目を通しています。『句歌歳時記』もそのうちのひとつです。もっとも、一冊の歳時記を最後まで通して読むことはあまりしていません。気に入った句を何度も繰り返して読んでいる、というのが現状です。それでも、時折は全編通して読んでみようと思うことがあります。今回もそんな思いに誘われて夏の部を読み通しました。目には青葉山ほととぎす初鰹山口素堂あらたふと青葉若葉の日の光松尾芭蕉万緑の中や吾子の歯生えそむる中村草田男柿若葉重なりもして透くみどり富安風生夏の部を読んでいて感じるのは、緑色のイ...『句歌歳時記夏』山本健吉編著

  • 『座談会 明治・大正文学史』1

    柳田泉、勝本清一郎、猪野健二の3人を中心に、題材ごとにゲストを交えて座談会形式で行われた明治、大正時代の文学史の第1巻。いずれも名前だけは知っているけれども、具体的に何をしたのかよく知らない方々ばかりが登場してくるのですが、内容はとても深く、読んでいて興味をそそられます。この座談会が発表されたのは昭和32年です。そのため、ここで言われている作者や作品の解釈は、今の時点からみると古くなってしまっているものもあるかもしれません。しかし、文学というものが社会のなかで存在感を持ち始めた時代について知るうえで格好の作品であるといえるでしょう。二葉亭四迷の『浮雲』について論じているなかに、「要するに、あの時代のはじめて出て来た知識階級の生き難さが出ている。そういうものはあとの夏目漱石にも、森鴎外にもかかわってくる。そういう...『座談会明治・大正文学史』1

  • 『新・平家物語』8 吉川英治

    『新・平家物語』8巻では、全国に反平家の狼煙が澎湃と巻き起こるさなかでの、主人公平清盛の死が語られます。位人身を極め、一門の者ことごとくに栄華をほしいままにさせたほどの人物でしたが、死に臨んで何を思ったのでしょうか。「おれがしたのは、~中略~世を良くもしたが、悪くもした。世を正そうとして、世は乱脈になり果てた。しょせん、清盛のやったことは、あらまし、泡沫にすぎぬ。…残ったのは、何もない。」(『新・平家物語』吉川英治より引用)清盛は、いささか自嘲気味に言い放ちます。もちろん、作者が言わせているわけですが、この部分を読んだ時に、世間的な栄耀栄華とは何んとつまらないものか、と思いました。上昇志向が悪いとは決して思いませんが、家族仲良く平凡に暮らしていけるのであれば、地位や名誉はさほど必要ではないということなのでしょう...『新・平家物語』8吉川英治

  • 『狭き門』ジッド

    アンドレ・ジッドの『狭き門』を読みました。宗教は、とても強い人間を作ります。人生の途上で起きる様々な困難に耐え、それを克服していく力を与えてくれます。しかし、その反面、人間を特定の鋳型にはめこみ、その人が本来もっていた可能性を閉してしまうおそれももっています。『狭き門』は、このような信仰のもつ負の部分を描いた作品といえるかもしれません。ジェロームを愛しながら、その愛を拒み、ひたすら孤独な信仰の世界を求めていくアリサの生き方は読んでいて息が詰まります。妹のジュリエットのように結婚をして家庭をもつことが、キリスト教の教えに背くことなどないわけですから、なぜ、その道を進んでいくことができなかったのか。読んでいて苦しくなります。母親の不倫といった家庭環境で育ったアリサには、自分も将来、母親と同じ道をたどることになるので...『狭き門』ジッド

  • 『明治国家の完成』日本の近代3 御厨貴

    御厨貴氏の『明治国家の完成』を読みました。大日本帝国憲法が発布されてから、日露戦争に勝利するまでの時代を描いています。近代日本の高揚期ですね。『明治国家の完成』では、大日本帝国憲法を中心とする日本の統治システムがどのように構築されていったのかが語られています。大日本帝国憲法は、運用のために憲法に規定のない元老という立場の人を必要としました。言い換えれば、政権を構成する天皇と藩閥の領袖たちとが知恵を出すことによって運用されなければならなかったのです。しかし、憲法が発布された当初は、そのようなことは想定されてはいませんでした。当初、政府は議会の意向に関わらず中立の立場で国政を運営していくことができるものと考えていました。超然主義といわれるものがそれです。大日本帝国憲法もその考え方で作られていました。しかし、実際には...『明治国家の完成』日本の近代3御厨貴

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