勤め始めた映画会社のタイムマシーンで昔に戻ったような時代劇制作のスタジオの1日が終わって、嵐電に乗って四条の繁華街に戻ってきます。早く仕事から解放された夕方には木屋町通りをブラブラして安いスナックのニッカバーへよく通っていました。ーーー当時は、今と違って安いスナックがあちこちにありました。トリスバーというのもありました。ーーー私の若い頃の京都はまだ、外国からの観光客もなくのんびりした都でした。ーーー後年、浅田次郎の「活動寫真の女」を読んだところ、私がうろうろしていた木屋町通りの雰囲気や、太秦(うずまさ)の撮影所の雰囲気が活写されているのに驚いたことがありました。「活動寫真の女」浅田次郎
私が就職した撮影所は京都の太秦(うずまさ)にありましたから、制作する映画は、勿論時代劇ですーーー時代劇映画の制作は昔のストーリーです。スタジオに組み立てられるセットも、昔の建物です。撮影所のオープンセットも昔の街です。そして、出演する俳優さんは刀を差した武士姿の男優さん日本髪姿の女優さんです。ーーーその時代劇制作のスタジオで働き出した私の最初のうちは、タイムマシーンで昔に旅をした気分でした。ーーー1日の仕事が終わって嵐電・太秦駅から四条河原町の繁華街へ帰ってくると、現代に戻ってきた気分でした。京都の映画撮影所に就職して
私は学校を卒業して、就職することになりました。世の中の娯楽の王者は映画でした。しかし、同じ映像?の娯楽としてテレビが登場してきました。ーーー私は、映画制作の映画会社に就職できました。当時、封切りの映画館では二本立て興業が流行っていました。封切り映画は一週間上映していましたから毎週、新しい映画を二本用意しなくてはなりません。ーーーしたがって、映画撮影所は、次々に新しい映画を制作しなくてはなりませんでした。ーーー映画会社は関東の東京と大船、そして関西の京都と、二つに分かれていました。関東は現代劇、関西は時代劇映画を主に制作していました。映画撮影所の東西
テレビが始まった頃はまだ、VTRがありませんからテレビドラマはすべて、生放送でした。テレビ番組すべて、生放送でした。ーーーテレビドラマが生放送ということはそのドラマすべてをスタジオで制作しなくてはなりません。映画のように、野外シーンつまりロケーションカットを挿入することはできません。ーーーしたがって、ストーリーでは山の場面、海浜の場面なとを使うことが出来ません。スタジオに組み立てられた家屋や、その庭、部屋でストーリーを展開するという制約がありました。ーーー家庭に普及し始めた14インチのブラウン管の受像機の画面は小さく映像もあまりハッキリ写りませんでしたそこで、テレビドラマに出演する俳優さんの映像は、クローズアップが多用されました。この、クローズアップの映像は、茶の間で見ている人の顔のサイズとほぼ同じでした...続・映画とテレビドラマ
日本でテレビ放送が本格化してしばらく、経つと街の映画館の入りが悪くなってきました。いままで、動画は映画館でしか見ることが出来ませんでした。その動画を画質、サイズは別にして家庭で見ることが可能になったのです。ーーーテレビで放送されるテレビドラマは映画に比べて時間は短いですがストーリーはそれなりにキチッと構成されていました。ーーー映画はフィルムに納められていますが当時のテレビドラマは生放送でしたから同時に、テレビスタジオで演じられています。ーーーテレビドラマは生放送でしたからドラマの長さは15分、30分ものが主流でした。映画とテレビドラマ
私が大学を卒業して映画界へ就職しました。当時の日本はまだテレビが始まっていませんでした。もっとも、アメリカではテレビが始まっていましたが。ーーーテレビの登場でアメリカの噂はありましたが、日本ではまだ、映画が娯楽の王者でした。大映時代劇では勝新太郎、市川雷蔵が活躍して、ニューフェイスの新人スターの若尾文子(わかおあやこ)などが華やかで、映画は制作すれば必ず黒字でした。たまに、製作部から、あの映画は赤字だったと云うことがありましたが、それは、収益の皮算用に対して赤字と云うものでした。ーーー私が映画界へ入って1年ほど経ったころ、日本でもテレビが始まりました。私は映画界へ入りました
家の床の間に14インチのテレビ受像機が置かれましたテレビが我が家へやって来た最初は現在のように一日中の放送ではなく朝は十時から午後三時まで。午後三時から夕方の五時まで休み。午後五時から夜の十時か十一時まで放送されました。ーーー14インチ受像機(ブラウン管)のピントつまり画面は映画館で見る映画の画面に比べてかなり貧弱でした。しかし、テレビが家庭へ入ってくるまで動画は映画館でしか、見ることができませんでした。ーーーテレビが家庭へ入ってきたことによって、家に居ながらにして動画が見えることになりました。ーーーテレビが家庭へ入ってきたことによって、それまで娯楽の王者だった映画館の観客が減ってきました。テレビの登場によって、映画の斜陽化が始まりました。テレビの出現で映画は?
我が家にやってきた14インチ白黒テレビ受像機の画面の動画は、それまでの動画の王者、映画の動画に比べてかなり貧弱なものでした。ーーー我が家の床の間に、この14インチテレビ受像機は置かれました。親父は分割払いで購入しました。ーーー日本の家庭の電化製品は最初ジュースミキサー、ホップアップ式のトースターから始まって電気冷蔵庫、絞りハンドルの付いた電気洗濯機と、増えていきました。ーーーそして、最後にテレビ受像機が家庭に入ってきたようでした。これらの電化製品は、各家庭に入ってきたようでした。テレビがやって来た
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