chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
生きる力になれば https://blog.goo.ne.jp/02161234

神様の声に導かれてここまで生きて来ました。

良寛様の生き方に共鳴しています。良寛様と呼ばれています。感謝しています。

良寛(お地蔵)
フォロー
住所
都筑区
出身
清水区
ブログ村参加

2016/03/18

arrow_drop_down
  • 日本人の心

    「慈悲とは」自分以外の人が幸せに感じるように行動することをいいます。自分に親切に、優しく、助けてくれた時に幸せを感じるものです。人間の本能は、苦しみは受けたくないという誰もがもっている本能です。だから自分と同じように人にも思いやることそれが慈悲の心です。古代仏教では、慈悲を四つに分類しています。慈(メッター)悲(カルナー)喜(ムディター)捨(ウペッカー)です。慈とは、悲しみ、友情の意味。悲は、助けるという意味。喜は、人の幸福を喜ぶ心の意味。捨は、差別のない心を意味しています。差別はまったく無知で、愚かな考えといわれています。心から一切の差別を取り除きなさいとの教えです。この慈悲喜捨(じひきしゃ)の心を育てると狭くて小さな人間社会だけでなく、地球や宇宙スケールの大きな人間になれます。真の幸福とは慈悲喜捨を持...日本人の心

  • 一寸先は闇ではない

    「一寸先は闇」3センチ先が真暗闇で何も見えないように、この先どんな運命が待ち受けているのか予測がつかないことのたとえ。しかし、案外導かれて良い方向に向かっているものです。「一寸先は闇、しかしその先は光」(私)闇の先に光があると信じ歩みましょう。一寸先は闇ではない

  • 負けないで

    「人間は負けるようには造られていないんだ。」「そりゃ人間は殺されるかもしれないけれど負けはしないんだ。」(ヘミングウェイ、老人と海)リベンジ、捲土重来という言葉がある。負けは決して悪い事ではない。生きていれば勝ちを手にする事ができると信じ努力しよう。負けないで

  • 心にタスキ

    心は「ころころ」が変じてこころになったという。ころころする心をスパッ!と切ると必ずという字になって安定する。また、心にタスキをかけて死ぬ気で頑張ると「必死」になる。心にタスキをかけて今日も頑張りましょう。心にタスキ

  • 聞き上手

    会話とは話を会わせると書く。一方的では成り立たない。聞き役がいいと、話が盛り上がる。落語家の古今亭志ん生師匠が「話し下手、聞き上手に支えられ」と名言を残したといいます。お釈迦様も「話を聞いてくれない人には仏の教えを教えられない」と言ったそうです。会話はいかに傾聴が大事かわかりますね。嫌いな人の話はうわのそらだから。傾聴とは信頼や愛の証しかもしれません。私は神様の聞き上手。皆様はどうですか。聞き上手

  • 老いたる人

    「老いたる馬は道を忘れず」年をとったものは経験が豊富で、何でもよく心得ているという意味。昔、中国に管仲という人があって、竹を切りに山に行った。春に出かけて、冬に帰ろうとすると道が分からなくなって帰る事ができない。そこで老いた馬はよく物を覚えているものであるから、老馬を放しそのあとについて行ったら帰り道が分かったという。私は「老いたる人は人生の道を忘れず」。道に迷ってる人を導く老人になろうと思いました。老いたる人

  • ドリーム

    「ShineYourDream.」(私)君の夢を輝かせろ。大切なのは自分の夢に向かって全力で生きることだ。100歳になってもだ。いや死んでもだ。夢の完結は来世かも知れないので。ドリーム

  • 言葉の芸術

    『男は知っていることをしゃべり、女は人に悦ばれることをしゃべる』(ルソー)まさに、当たっている、参考になります。『老いたから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ』(バーナード・ショー)僕は遊んでいるから、フケないのですね。『弱さがある人が本当に強い人』(徒然草)分からないことを、分からないと言える勇気こそ、度量がある人なのですね。『職場には見えない神様が住んでいる。職場の神様に、愛されるようにしよう』(中谷彰弘CMプランナー)トイレの神様のように職場にも神様がいると思います。神様が見ていると感じています。気をゆるめないようにしないと。『外灯というのは人のためにつけるんだよな、わたしはどれだけ外灯をつけられるだろうか』(相田みつを)もっと努力しなくては。『私の人生はずっと暗いばかりなのではない...言葉の芸術

  • 恋心

    百人一首の中に、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いのような二人の歌があります。960年、平安時代にインテリといわれた村上天皇が主催した宮中歌合(うたあ)わせがありました。紅白歌合戦です。全国から選抜された歌人と宮中にいる歌人が東西に別れ天皇の御前で競うのです。摂津(大阪、兵庫)から選ばれた役人の壬生忠見(みぶのただみ)がいました。精一杯の衣裳をして宮中にあがりました。その姿に田舎装束と笑われたという。決められた相手は当時の有名な歌人、平兼盛(たいらのかねもり)でした。出されたお題が「気づかれた恋心」。『忍ぶれど色に出(い)でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで』(平兼盛)誰にも知られないように隠していたのに、私の恋心は顔に出てしまったようだ。恋に悩んでいるのかと人に問われるほどに。『恋すてふわが名はま...恋心

  • 心を映す鏡

    秋の言葉です。「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」澄みきった少しの曇りもない満月は月の真澄鏡(ますかがみ)。自分の姿を映す鏡ではなくて、心を映す鏡という意味です。月をじっと見つめていると、心の奥底まで見透かされるという。それも必要なのかも知れません。「心を映す鏡」素敵な言葉です。心を映す鏡

  • 幸運の気配

    「生住異滅(しょうじゅういめつ)の移りかはる実(まこと)の大事は、たけき河のみなぎり流るるがごとし」(徒然草155)すべての物が生じ(生)、とどまり(住)、変化し(異)、滅びる(滅)。四季の移り変わりには順序があるが、春が終わってから夏になるのではない。夏が過ぎてから秋がくるのではない。次の季節はすでに自分の出番を待っているのだ。気配を感じるものだ。絶えず心の準備を整え、打って出るきっかけを見逃してはならない。「きっかけ」は意外な形でやってくる。チャンスはいつどこで現れるかわからない。気づいた時には過ぎ去ってしまっていたりするものだから。確かにきっかけやチャンスは必ず気配を感じるものです。アンテナを立てて幸運の導きの声をとらえましょう。幸運の気配

  • ともに暮らす家

    「神とのかかわり、隣人とのかかわり、大地とのかかわりによって、人間の生が成り立っている。」(旧約聖書•創世記)世界が「ともに暮らす家(ラウダート•シ)」であると日本から世界に、紛争地域に命の声を発しましょう。ともに暮らす家

  • 手仕事

    「あわれみある方と、あわれな女」には「いつくしみのわざは『手仕事』のようなものです。そのどれも他の人のわざと同じではありません。」(フランシスコ教皇)手仕事はしばしば、他者の目に映らないところでひそかに行なわれる。そうした真摯な営みこそが心身を超えた「いのち」の次元へと働きかけるというのです。たしかに、誰に見せる訳ではない手仕事をしている時、心の安らぎと温もりを感じます。私も生き方を問われたら、「手仕事」と答えよう。手仕事

  • 不安に勝つ

    「ChangeisChance.」チェンジ(変化)にこそチャンスがある。(gをcに変えるだけでこの言葉になります)異動辞令や転職に不安を抱いている人達に送った言葉です。新しい試みこそチャンスだと歩みましょう。不安に勝つ

  • 迷う事は悪い事ではない

    「人間は努力するがぎり、迷うものである。」(ゲーテ・ファウスト)人生は迷いの連続である。迷いのなかにこそ生命の光明が見いだせるといった意味。私の座右の銘に「迷わぬものに悟りなし」があります。人生とは何かを考え迷った人にはいろんなものが見えてくるものです。アフリカの諺にも「迷った道は二度と忘れない」があります。人生は迷っていいのです。あなたが決めた道が間違っていたら、それもあなたの貴重な肥やしになったのですから。大丈夫です。迷う事は悪い事ではない。迷う事は悪い事ではない

  • 心耳

    心耳(しんじ)とはもう一つの耳の事。世にある「沈黙の言葉」を聴き取ることを昔の人は心耳と呼んだ。語ることを奪われた死者達の声や思いに耳を傾ける。悲しみ苦しみの中に生きる者達に勇気を与えるために語り掛けている心の言葉を聴きましょう。騒音の中に静寂の心を持てば聴こえる。これも修行かも知れない。道元は修行僧が仏の教えを学ぶ上で一番難しいのは『心の操(みさお)を整えることだ』と述べています。心の操とは、どのような場所にいても、どのような場面になっても『静寂を感じていること』だと説いています。静寂を感じると清らかな気持ちになると言います。これを「静寂を喜ぶ心」といいます。古い神社仏閣には長い参道や階段があります。心をきれいに磨いて行くための道のりといいます。その時、心耳が働くのです。心耳

  • 良寛と遊女

    良寛さんの大好きな話を思い出したので紹介します。ある町に入り、遊郭(ゆうかく)の前を通り過ぎた。その時、一人の遊女が良寛の袖を引き、泣き出した。良寛は訳が分からなかったが黙って立ち続けた。そして、声をかけました。「何があったのか、どうして泣いているのか?」と。彼女はその訳を話します。「わたしは幼い頃に事情があって、生まれ故郷を離れ遊郭に暮らすようになったのです。父母の姿がどのようであったか覚えていないけれど、お父さんお母さんを慕う気持ちが強くて、とても会いたいと思っていました。昨夜父が会いに来てくれる夢をみました。そして、今あなたを見て、お父さんに違いないと思ったのです。」良寛は彼女の涙をそっとぬぐってあげ、その手を取って優しく話しかけた。「今はたくさん泣いてもいい。でもまた元気を出しなさい。今までつらい...良寛と遊女

  • 方丈記の忠告

    は760年以上前の古典、鴨長明の「方丈記」を紹介します。花の都の中に、棟(むね)をならべ、軒を競いあっている高貴な人の住居は、代々続いてなくならないものだが、これを本当かとたずねてみれば、昔ながらの家はごくまれである。場所も変わらず、昔からの人は、30人の中でほんの1人か2人である。あしたに死に、ゆうべに生まれる人の世のならいは、全くあの水のあわの通りである。はかないこの世の仮の住居を、一体だれのために心を悩まし、どういうわけで見栄えをよくしようとするのか。その主人と住居とが、たがいに、はかなさを競うありさまは、朝顔の花に宿る露とかわらない。人間のすることは、みなばかげている。もっとも危険な都会の中に家を建てるといって、財産を使い、心を悩ますということは、とりわけつまらぬことである。またつむじ風が起こって...方丈記の忠告

  • 満足感

    「よごれたる手を洗ひし時のかすかなる満足が今日の満足なりき。」(石川啄木)よく働いて手のよごれを洗うことで働いた喜びを表しています。昔から手洗いの習慣がありますから納得しますね。私は手も心も洗わないといけません。満足感

  • 如在の心

    如在(にょざい)の心とは「在(あ)るが、如(ごと)く」または、「そこにいるが如く」という意味です。常に誰かがそこにいるが如くに、行動をしなさいということです。これは西郷隆盛が座右の銘として『人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし、人をとがめず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし』意味は、人を相手に仕事をするから、その人が見ていなければいいやとか、バレなければいいだろうとか、そういう気持ちが出てくるんだ。ゆえに「天を相手に仕事をしろ」と。天は常に見ているから、常に正しいことができると。それが、「如在の心」です。どんな仕事にも使える言葉です。自分に厳しく。日々懺悔ばかりです。如在の心

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、良寛(お地蔵)さんをフォローしませんか?

ハンドル名
良寛(お地蔵)さん
ブログタイトル
生きる力になれば
フォロー
生きる力になれば

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用