「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
・この世で一番幸せなことは愛する人といることです。・この世で一番みじめなことは人をうらやむことでです。・この世で一番寂しいことは思いやりがないことです。・この世で一番尊いことは親孝行と人のために奉仕することです。・この世で一番美しいことは神の喜ぶことをすることです。・この世で一番悲しいことは戦争を正当化することです。・この世で感謝することは日本に生まれたことです。(私)地球を愛し、月を愛し、四季を愛し、人を愛し、生きる勇気と言葉を愛し、日本が世界の平和の聖地になることす。平和の聖地
春近しですね。昨日の失敗をまだ引きずっていませんか?前向きに生きれば道は開けますよ。突然ですがここで問題です。「花道」の語源はどれでしょうか?1.相撲取りが支度部屋から土俵に出入りする通路から。2.歌舞伎の舞台で客席を縦に貫いた役者の出入りする道から。奈良時代末期から平安時代にかけて、天皇が相撲を御覧になる時、相撲人(すまいびと)は頭に造花を挿して、白砂を敷き詰めた南庭に出場した。これから相撲取りが土俵に入場する道を「花道」と呼ぶようになった。後に歌舞伎はこれからとったとされています。あなたも神が作った、人生の花道を歩いているのですよ。勇気を持ちましょう。人生の花道
芥川龍之介は古典の宇治拾遺物語からたくさんの題材を得て短編集を作りました。「鼻」や「こぶとりじいさん」等。私は占い師の娘の物語、「易の占い」が好きです。旅人が宿を探していた折り、荒れ果てた大きな家があるのを見つけ、ここに泊めて下さいと訊くと、女の声でどうぞお泊まりくださいと返事があったので皆馬から下りた。家は大きいが人の気配がない。女は一人でいるらしかった。そうして、夜も開けたので朝食をとり、出て行こうとすると、女が出てきて、出て行けません、金千両を払ってから出てくださいと言うのです。親が千両の金を貸した旅人が10年後の何月にここに来て泊まるから、その人から千両を受けとりなさい。旅人は聞きました。父上は易の占いをしていましたかと。そんなことをしていたかと思いますと答えた。旅人は女に家の大事な柱を叩かせ、こ...奇跡を呼ぶ占い師
17年前の日記。介護士の研修で老人施設と訪問施設に行きました。全く違う職種で緊張して行きました。ショートステイの男性がやって来ました。彼はこんな所に来たくない。将棋できる人いないか!と大声上げていました。女性スタッフはいつもと同じ事をいう人と無視していました。私は手を上げて将棋のお相手しました。脳梗塞で下半身が不自由になって車椅子に座っていました。一勝一敗で終わり満足してくれました。私は言いました。ずっと心配そうに後ろに立っている女性が気になっていました。え!どんな風の人ですか?着物姿で小太りの女性です。あ!それは昨年亡くなった同居していたかみさんのお母さんだ。この車椅子は彼女の使っていた物です。彼は泣き出してありがとう。今日来てあなたに会えて良かった。私こそ役に立って良かったです。この仕事でもやれる自信...人生泣き笑い
「倒されますが、滅びません。」(聖書コリントⅡ4.9)ノックダウンされてもノックアウトされないという意味。多くの人は失敗を隠したり、引きこもる人もいる。しかし、自分の失敗を笑える人、話せる人は強い。人生倒れる時もある。しかし、立ち上がる力もある。それは勇気が出る言葉によると思っています。私たちは絶対ノックアウトはしないから。私は滅びない
昨日の朝、病院に入院していたご利用者様80歳の男性が亡くなったと妹さんから電話があった。いつも私の名前出してよっぽど好きだったようでしたよ。私の声を聴かせたいからと遺体の耳に受話器を置いたようなので「良く頑張ったね!お疲れ様でした。ゆっくり休んでください」と最後の声掛けしました。M製菓のチョコレート工場の所長さん。チョコレートの自慢ばかりしていた。帰宅したら娘がチョコレート大好きだったね久し振りに買って来たよ。なんとあのM板チョコ。生前のヤンチャで皆から叱られてばかりいたから、助けを求めて私の所によく逃げて来ていた。懐かしく思い出しながらチョコレート頂きました。お疲れ様でした。最後の声掛け
音は聞くもので、見るものではない。そう思っていませんか。観音菩薩は音を観る仏様と書きます。人にも音を観る能力があるのかもしれません。私は山で迷った時、笛の音を頼りに山道に導かれました。夜中の訪問で道に迷った時、鈴の音で案内されました。坂道で自転車を必死にこいでいた時、後ろでバタバタする音に振り向くと、天使の羽根音がして押されているのが分かりました。教会の中に鳩が飛んでいる音がしました。すべてが心で音を観ていたのでしょうか。音を観るという話に江戸時代に千利休の孫に千宗旦(せんのそうたん)がいました。自分の子供たちを分家させて、表千家、裏千家、武者小路千家を作った人です。宗旦の所に仲良しの京都の安居院(あぐいん)の住職が珍しく咲いた椿の小枝を小僧に届けさせました。所が小僧はつまずいて転んでしまい、花が落ちてし...音を観る
『たまきはる命死(いのちし)なねばこの園(その)の花咲く春に逢(あ)ひにけらしも』(良寛)死ぬこともなく、新しい年になって、私も命を長らえたので、このお庭の梅の花が咲く春の日に出逢うことができたよ。花咲く春が、『命の節目』と呼ばれています。この先、咲くだろう梅の花や桜の花を何年見れるだろうかと、年を重ねるたびに、四季の美しさを身近に感じます。この世を去るまで、いつでもどこでも、大自然の偉大なる生命力によって、生きることを楽しんでいきたい。いままで生きてこられたことに感謝し、人生は素晴らしい!。さらに生きることを楽しみたいと思います。昨年もたくさんのお年寄りとお別れしました。死ぬことは永遠の命を頂くものと思っています。生きている時よりも、身近に存在を感じるからです。神や仏になって復活するからだと思います。悲...生きる楽しみ
神社仏閣での手水鉢(ちょうずばち)は、手を洗い口を清めるだけでなく、『心も洗う』ために置いてあるという。汚れた心、曇った心を洗い綺麗な体でご祈祷しなさいということか。昔の人は、井戸で全身に水をかぶってからお参りしていたと聞いた。滝に打たれることも、洗心になると思います。教会も入る時、聖水を体にかけますね。さて、よく私は必要とされていなのではと感じている方が結構多いのです。『この世の最大の不幸は貧しさや、病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じることです。』(インドのスラム街で生きる希望を与え続けたマザー・テレサの言葉)もし、あなたも同じように疎外感や孤独感を味わっているとしたら一度気持ちを洗心して下さい。物事をシンプルに考えてみましょう。『自分は何かをしてもらう人』になるのもいいのです。あ...心を洗う
(5年前の日記を読んだ方から)日記を読んでいて、なぜかヘッセの「シッダールタ」にあった主人公の言ったことを思い出しましたよ。あなたはどうしてそんなに何でも知っているんですかと、人から問われます。そしてこんな風に答えますよ。「私は、川からすべてを教わりました」この主人公は、お釈迦さんなんですよ。いい芸術には、心の底にある何かを呼び覚ます働きがあるような気がしますね…。ありがとうございます。不思議ですね。私は夢で川底に沈んでいる石になって川面を見ています。すると沢山の言葉や物語が流れてくるのです。その中から感じた物を書き留めていましたので、川が教えてくれていると思っていました。川や水は言葉の泉です。神様に感謝です。川底の言葉
初日から大きな犠牲を背負った能登の人よ。その悲しみも垂り雪(しずりゆき)のように落ちますように。応援しています。垂り雪とは屋根や枝に積もった雪が重みに耐えられなくなって滑り落ちること。能登の人よ
私の師匠は神様です。全て神様の声に従って生きて来ました。雪山や津波やガス爆発や山崩れ、自動車事故、海へ転落事故、墓地碑倒壊下敷き事故等に神様が現れて奇跡的に命を救われたことが7度もありました。その時現れた神様と会話したことから神の声を聞けるようになりました。聞ける人は5%しかいないようです。神様は皆様の願いごとは聞こえているよ。返事を出しているから。と言っています。お礼しましょう。「ありがとうございます。安心しました。」と合掌しましょう。願いだけではだめですよ。師は神様
「心配事や不安な事があってもいいんだよ。必ずその先に嬉しくなる事が待っているからさ。ほらね明日ご家族の居室への面会予約が入ったよ。」(各地で3年ぶりに居室面会が再開されてます。皆の笑顔がたくさん見れます。)皆様にもいえます。吉報が必ず来ます。吉報
「大切なのはどれだけ大きなことをするかではなく、小さなことにどれだけ大きな愛を込めるかです。」(マザー・テレサ)神の前では、物事の大きさや小ささが重要なのではなく、どんな事にでも「どれだけ心を込めた」かが大切なのです。小さな事にも愛を込めましょう。日本人を習いなさいと言われているように感じています。大きな愛
ビートルズのLetitBeの歌詞は聖書からとっているが、レットイットビーをあるがままにと訳されている。聖書の原文では、マリア様が天使から子供が生まれることを告げられる。まだ結婚もしてないのにそんなことがあるのでしょうか。レットイットビー「お言葉通りになりますように」とある。そこで、ビートルズのLetitBeの歌詞を調べてみました。とても素敵でしたので紹介します。『苦難のときには聖母マリアが僕のもとに現れ知恵ある言葉をかけてくださるあるがままに暗黒の闇の中であの方が僕の前に立ち知恵ある言葉をかけてくださるあるがままに何事もあるがままに無理に変えようとしてはいけない知恵ある言葉をつぶやいてごらんあるがままに今はただじっと堪え忍ぼうこのままそっとしておこういつか必ず答えが見つかる今は堪え忍ぼう何事もあるがままに...あるがままに
この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生き続けること
『如来(にょらい)は実に平等にして、悲心普(ひしんあまね)からずということなし』(空海)自分だけ不運だという思い込みをやめる。救いの光はだれにでも注がれている。「如来はすべてに平等で慈悲の心はあまねくすべてに行き渡っている」と空海は述べています。大日如来とは悟りを得た仏をさし、宇宙の太陽と言われています。自分だけが不運続きで、だれにも理解されず、孤独だと感じていても、救いの光は届いていますから、不運だとの思い込みは止めましょう。神社も太陽である天照大神を祀っています。『菩薩の心はすべて慈悲をもって基本とし、まず人のためを先に考える』という『菩薩業』があります。自己優先の考えを捨て、まず人のための利益を考えて行動する。キリスト教では汝の隣人を愛せよと『慈愛』を説いています。私はたくさんの導きの言葉を頂き自戒...慈愛
中国の古典に「暴風雨の日には、鳥や獣でさえも、悲しそうである。ところが、天気晴朗の日には、草木さえも嬉しそうである。天地に一日も和気(わき)がなくてはならず、人の心に一日も喜びの精神がなくてはならないことがわかる」(菜根譚)「和気」とは天地のことで、晴れやかでのどかな気象という意味で使われます。天地の和気は「喜びの心」を表し、なごやかな気分をもたらしてくれます。寒いけど心は晴れやかにいきましょう!和気
「ナイチンゲールよ!君は、確かにそこにいる。まさに、今日この日、野鳩がすっかりくつろいで歌っているのが、聞こえてくる。その歌声は、岩に染み渡り、そよ風も軽やかに吹いていくる。野鳩は歌いつづけ、さえずる。そのさえずりには幾分か求愛の甘い響きが秘めやかに入り交じっている。そっと歌い始めたのだが、いつまでもその歌声は鳴り止まない。まるで、敬虔(けいけん)な讃美歌のように心に染み入るその歌声。そう、この歌は僕のために歌われているのだ。」(ウィリアム・ワーズワース)最近この詩の意味を理解して来たので紹介しました。自然(神)の語りかける「秘密の言葉」に耳を澄ましてみる。自然の声が聴こえるのです。自然はいつもあなたの為に歌を用意してくれているのです。これも神の声なのだと神の声
新年は書き初め教師として、各地の老人施設を廻りました。奈良で合宿した時の姿の剣道着(書は真剣勝負)で現れると皆さんも感じたのか、緊張して墨と色紙、半切に向かっていました。日本人は墨の匂いに神聖な気持ちを抱いているようです。病で日々を暮らす人も真剣になって書いているからです。リハビリ書道と私は感じています。いい思い出になってくれますように。日本人の心
江戸時代の元禄文学の三大文豪に、芭蕉・近松・井原がいます。井原西鶴の「好色一代男」に「死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき」があります。毎日毎日が辛くて、死ねるものならいっそ死んでしまいたいが、死のうにも死ねないせつなさは、まことに悲しくも浅ましいという意味。人間はひとたび生まれてきたからにはどのような思いをしても、どんなに大きな障害が待ち受けていても、死ぬまで生きなければならない。なぜなら生命は貴重なものだから。どうぞ、愚痴ばかりでなく、心は生きる力の言葉を発してください。必ず導きがありますから。生命は貴重
「ビグマリオン効果」てしってますか。アメリカの教育心理学者、ローゼンタール氏が提起した学習効果。『あなたは凄い!素晴らしい!だからどんどん上達もするし伸びていくはず!』と、周りの人からいつも期待されている人は、本当にその通りに上達していくというもの。反対に『お前は能力がない!ダメだ!』と否定的な言葉を聞かされ続けると、その言葉の通りに成績が下がったり、仕事がうまくいかなくなってしまったりしてしまうといいます。これを「ゴーレム効果(魂のない泥人形のようなもの)」といいます。言葉の持つ力は本当に怖いですね。「言葉の暴力(スピーチロック)はとても恐ろしいものです。どんなナイフよりも鋭く人を傷つけます」(マザー・テレサ)言葉は未来を予見します。言葉ひとつで人は救われたり成長していく。いい言葉は龍の玉です。言葉は龍の玉
「宇宙とあの世はどっちが遠いですか」というラジオの子ども相談に「あの世は1度行ったら帰ってこられないが、宇宙からは帰ってこられますよね?ですから宇宙の方が近いんですよ。」素晴らしい解答でした。私ならしかしね、あの世は隣の部屋にいるように瞬間移動ができるんだよ。亡くなった人が困った時、すぐにそばに来てくれる事ができるように。身内の人を亡くしたお子さんには勇気が出る言葉だと思ったから。皆さんもそんな気がしませんか。宇宙とあの世の距離
「年をとると失う物が多い。」(私)視力、聴力、筋力。愛犬プードルも聴力を失った。呼んでも聞こえない。加齢と獣医から言われた。新たな聴力を身につけさせたい。心の耳を。呼んでる波動を感じさせたい。味覚は最後まで残るもの。旨い物食いたい!と言って亡くなった可愛いおばあさんがいた。甘い物はみんな旨い!と言ってたな。あの笑顔が忘れられない。明日の日曜日は3年ぶりに書き初め大会をする。それを楽しみにしていたお年寄りが昨日亡くなりました。明日きっと最後の書き初めに来るでしょう。最後の書き初め
仏教用語に「寂寞(じゃくまく)」があります。生きることのもの寂しくひっそりしていることの意味があります。賑やかばかりでなく、寂しさも感じさせる人が信頼されるようです。『すこしも暗黒がないとしたら、人間はその身の堕落に気づかないであろう。すこしも光がないとしたら、人間は救いを願わないであろう。自分のみじめさを知らずして、神を知ることはできない』(パスカル)人に暗いところがあるのは、人間としてまともに生きている証拠である。暗いから、神はほど遠いと自覚すると述べています。親鸞も同じ事を述べています。自分は『煩悩具足の凡夫』だから阿弥陀様にすがるしかないと述べています。キリスト教も懺悔の時間があり過ちを許して頂きます。私は懺悔ばかりです。人の世は一人では生きていけません。寂しさと孤独も必要なものだと思います。ここ...寂寞
あなたにとって私は大地に降る雨でありたい。あなたにとって私は木々に吹く風でありたい。あなたにとって私は生きる愛でありたい。そして告げます。日本は世界一神の国に近い国になるでしょう。それは世界中が驚く試練を体験し、それを乗り切る力を示しているからです。神の国に行くには日本に来なくては行けないことを世界は知るでしょう。(新年の神の声より)神の声
『山かげの岩間を伝う苔水(こけみず)のかすかに我はすみわたるかも』(良寛)山かげにある岩の間を伝わって、苔の下をかすかに水が流れるように、ひっそりと私は山かげにある庵(いおり)に住み続けよう。仏教最古の経典の法句経に「清らかに澄む月のように生きていく」独り森の中で瞑想している人。わけもない罵倒や暴力、拘束にも怒ることなく堪え忍耐力と勇猛な心を持つ人。彼をわれはバラモン(最高の僧侶)と呼ぶがあります。これらの句にあてはまる人が、江戸時代の僧侶、良寛さんだと思います。「僧に非ず、俗に非ず」と僧職からも俗世からも離れ、山中の小さな庵にて仏道を求めた。日々の糧(かて)は托鉢(たくはつ)のみに頼り、すり切れて向こうが透けて見えそうな衣を着ていた。ある時、村人から盗人とまちがえられて、乱暴を受けたが一言の言い訳も抵抗...月と神様
「平和を願うあなたは神様」「戦乱を望む者はサタン。国滅びることを知る」世界中の神が祝福するのはどちらですか?子どもを一番の宝とする国が天の国なのです。日本は地球の天の国になるでしょう。(神のお言葉より)天の国
「神は杵、餅は人間10回、100回つけば粘りのある餅になる。」人は叩かれて成長する。神様はあなたに必要なだけの回数をついているのです。私もたくさんつかれるでしょう。それはあなたを見捨てていない証です。感謝して叩かれましょう。あなたは神の餅になるでしょう。神の餅
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「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。改心の情
ここにいる人達は生きる力を授かり、命のリンク(絆の輪)を持つのです。悩める人達を救いましょう。(私の天使より)命のリンク
私達の体はボディ、スピリット、マインドの三つからできています。ボディとは肉体、スピリットとは魂、マインドとは心。肉体と魂が活動するときに味わう感情、思い、感覚などを感じる機能をマインドといいます。心が穏やかな気持ちでいるとき、心は大きく開いています。これを心理学では「オープン・ハート」と呼ぶそうです。心を開くと物事に対して、優しい気持ちで接し、たくさんの事を受け入れる事ができるといいます。反対に憎しみや、恐怖を感じているときは心を閉じてしまいます。心を閉ざすと益々憎しみが増大してしまいます。オープン・ハートに一番大切なことは愛の注入といいます。愛は無限の力がある。愛されてる貴方はオープン・ハート!愛の注入
毎日お別れする人が続いています。なぜでしょうか?「桜咲き花散る里に帰ろうか」そんな気がしました。皆さん全身の病と戦っていたのですね。最後まで書道を楽しみにしていた顔が忘れられません。書道教師と介護士と言葉の伝道師をしていて良かったです。お別れ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
「万法帰一(ばんぼういちにきす)」苦しみや悲しみは絶対に続かない。という意味です。本当に辛くても辛抱していると周りが助けてくれるものですね。不思議と実感しています。苦しみ悲しみ
「人と神が出会うのは苦難に耐えている時」(私)神はいつもいるわけではない。困って苦しんでいる時に神は現れるものだ。昨日は神の存在を知った。奇跡のような事をしてくれた。感謝しています。神の存在
川面(かわも)の月。ゆったりと大河を流れる川。急流になって谷間を流れる川。月は流されずいつも川面に映っている。月はあなたの心です。流されることのない不動の心あなたはあなたでいいのです。(私)どんな世間の波がたとうとも、自分は流されない不動なのだ。あなたはあなたなのだから。少しの波でも心動揺する私です。こうなりたいと思って日々努力しています。川面の月
「道に迷うことこそ道を知ることだ。」(東アフリカの諺)「人生に迷うことこそ人生を知ることだ。迷わぬ者に悟りはない。」(私)本当に迷ってばかりです。申し訳ない。迷う
日本でつくられた言葉に「躾(しつけ)」があります。身につく美しさと書いて躾。長い間の行いで無意識に身についた姿をいいます。日本人の美意識です。世界に誇れるひとつです。ここもそんな美意識を育てています。躾
一昨日看取りの人が亡くなった。水だけを良く欲しがっていた。イエスも十字架で「私はのどが渇いた」と発言されたことを知りマザーテレサは泣いたといいます。たしか、誰か布にワインを湿らせて唇に付けたと聞いた。そこから浮かんだ言葉です。「渇いた者へ」生きるのに渇いた者はここに来なさい。誰でも心の奥底から生きる水の川が流れ出るようになるから。(私の天使の言葉より)渇いた者へ
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所もまほろばという安らぎの場所です。まほろば
「仏教は二利(自利、利他・じりりた)に尽きます」(空海)唐留学から帰国した際の空海の報告書の言葉です。自分が修行して、悟りを得ること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)の二つを完全に行うのが理想で、自利と利他は相反するものではなく、大きな輪のようにつながっているのです。自分の幸福も他人の幸福も一つの輪の中にあると述べています。宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と述べています。ボランテイアや介護現場では、人を手助けすることで、実は自分が救われていたと気づくものです。幸せを考えたくなったら自分にできる「利他」の行いからやってみて下さい。空海の言う自利利他は幸福の始まりのキーワードです。幸せのキーワード
あと数日の命。看取りの可愛いおばあさん。神田の生まれと自慢していた。しかし、母親からいつもあんたはぐずだと叱られてばかり。妹はチャキチャキの神田っ子。私はだめだ。何やってもノロマ。今何考えているの?「いい思い出ばかり思い出しているよ。」僕なんかいい思い出なんてないよ。「私もそうだよ少ししかないいい思い出を何度も何度も思い出しているよ。」そうなんだね。だけどね悪い思い出もいい思い出になるんだよ。だからすべて思い出していいんだよ。「そうだね」と笑ってくれました。(もうすぐお別れだね)いい思い出
朝の散歩中に竹やぶからうぐいすの鳴く声がしました。平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂(う)き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂(う)き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌です。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。異動で明日から職場を離れる人からの相談を受けました。新たなチャンスだと思って前向きにいけば次のステップアップになると励ましました。勇気が出たと帰っていきました。皆様も人...うぐいす
人は重荷を背負って坂道を行くがごとし。(徳川家康)私は毎日10キロのリュック背負って出掛けてる。墨や絵筆や半紙が結構重いから。50年続けたら120トン。「私の人生120トン雨の日も長靴はいて120トン雪の日も足跡残して120トン風の日も帽子飛ばされ120トン心の重さだ120トン泣いて笑って120トンソーレソレソレ120トン」120トン
古典の中に、「静中の静、楽処の楽は真実ではない」という言葉があります。静かな環境の中での、静かな心は本当の静かさではない。騒がしい環境の中で、心を静かにすることができて始めて本当の心境という。また、楽しい環境の中での楽しい心は本当の楽しさとは言えず、苦しい中で心を楽しくすることができて、本当の心境だと言えようという意味の言葉です。皆様も今までの自粛生活の苦難の中でも小さな楽しみを見つけて来ましたね。私は物を補修する楽しみを見つけました。苦しい、悲しい、体中痛い毎日の中で楽しみを見つけた時、この言葉が浮かんで来ました。苦中の楽
「人間は死を約束された動物である。人は死んでもその人の影響は消えない。自分は何を残せるだろうか。」聖路加病院故日野原先生生きる力になる言葉をたくさん残した!と自信もっていいましょう。何を残すか
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所も、まほろばという安らぎの家でありますように。まほろばの家
蛍は遠い故郷を思い出させてくれます。ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。蛍になる
今朝の新聞記事より、日本外科学会定期学術集会の「人にない武器をどう身につけるのか?」というテーマに特別講演を行った元プロ野球選手の松井秀喜さんは元巨人監督の長嶋茂雄さんから誰にも負けない素振りの武器を作ってもらったと披露して、医療関係者1500人を沸かせました。私の武器は誰にも負けない鈍感でドジ。努力しなくて身につけた。皆様の武器はどう身につけましたか。あなたの武器は
「道とは遠くからははっきり見えるけれど近づいたら消えた幻のようなもの。」「晴れた天気に外に出たら急に雨が降る。喜びの歌がまだ終わらない内に悲しみの歌が聞こえて来る。それを道と呼ぶのだ。」(私)退院して来たお年寄りを喜びの拍手で迎えた。その時、心臓が苦しいと、救急車で搬送されたおばあさんが亡くなった。「喜びも悲しみも同時にあるのが道なのだ。」すべてが幻のように去っていく。今の時期を「土(つち)休み」という。春の花が枯れたから、夏の花を植えましょう。土を休めてから。素敵な言葉です。土も生きているのだ。仕事を変える時、迷った時、人も休みましょう。ひと(人)休みひと休み。土やすみ
万葉集に「涙で曇り目も見えぬ」という歌がたくさんあります。空の雲でなく、目の雲を指しているのです。日本人は涙好きな国民と言われています。涙の語源を調べると、「な」は泣く。「み」は水。「だ」は垂れる。泣くと水が垂れてくる。そこから、涙ができたようです。「瞳の中にも空がある澄みきった空がある晴れ渡った空がある時折涙雲になり涙の雨が降るそのあとはまぶしい空がやってくる涙雲のあとは瞳の空が晴れ輝きを取り戻すのだ。」もう少ししたら晴れますから頑張りましょう。泣いてるあなたへの励ましの言葉です。涙雲
仏教の目的は『成仏』。すなわち「仏に成る」ことです。その方法の一つに「行い」「言葉」「考え方」という三つの活動において、仏さまの真似をするというものがあります。「皆が手伝ってくれたから無事に行事ができた」とか、「落ち込んでいた時に掛けてくれた言葉で頑張れた」とか、「上司の冷静な考え方があったから、窮地を乗り越えられた」といった経験ありませんか。「みんなが健(すこ)やかになれる」ような活動を通して、私たちは少しずつ仏さまに成っていきます。「行い」「言葉」「考え方」のどれか一つで結構です。「こんなとき仏さまならこうするんじゃないかな」そんなことを意識してその日を送ることができたならば、その一日はいつもと少し違った一日になるかもしれません。(真言宗・長寿院住職)素敵な説法ですね。このお話の根本にあるのは、思いや...神の子
14日間飲まず食わず。最期に残した言葉。耳元で『良く頑張ったねお疲れ様僕のこと忘れないでね』すると「忘れぬものか」と言って亡くなりました。この言葉を発する力に感動して涙が出ました。「生涯最期の言葉」皆様と共有しましょう。ありがとうの言葉返しで。忘れぬものか
「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「死ぬことは誰かの心に生きることなんだ」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ
あわてるな、落ち着きなさい。という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。若いお坊さんが、師匠に対し、矢継ぎ早に質問攻めにして疑問をすべて解消し、早く悟ろうと思ったら、「且緩々」と言われた。『どの道も、急いで極めることはできません。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい』。という時に使います。人生も同じです、ふと立ち止まって、これで良いのかとゆっくり考える時間が必要ですね。「且緩々」緊張した人を見たらこの言葉を掛けてみましょう。まずは一服
昨日緊急出勤のため7:00に家を出た。道路から離れた道をチャリで行くと竹やぶが燃えているのを発見。人がいるようないないような?風が吹く朝、すると消防車がやって来て道路に止まり隊員があたりを走り始めていた。私は掛けより竹やぶが火事と伝えた。わき道の奥だから分からないと思ったから。私はその場を去った。帰りに現場に行ったら竹やぶが綺麗な更地に変わっていた。地面は水の跡が染み込んでいた。きっと誰かがたき火(焼き畑)をして竹やぶに火が回り通報したのだと思った。外車の並ぶ販売店の裏だから大事にならないで良かったです。神のお告げか不思議な火事
「神の国は君たちの中にあるんだよ」(聖書ルカ17-21)神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。神の国とは、神の思いが実現するところ。それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよ。苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。空海も同じような事を言ってました。「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる」と。丹田とはへそ下で気力が集中する所です。神の国はあなたの中にあるのです。神の国
施設のカウンターに飾られている日本人形。彼女が私がケアマネになって戻って来たことに感謝している夢を見ました。「私の頭にかぶせている帽子は可愛いくないから取って欲しい!」翌日行ってとりました。笑ってくれました。髪を撫でると願いが叶うと教えてくれました。足元にそれを書きました。誰かが撫でたのでしょうか?髪が茶色になったり、前髪が数本伸びてきました。気のせいかな?魂が宿っている人形です。不思議なことだと感じて報告しました。みんな導きで今があるのだと納得して受け入れましょう。少しは気が楽になりますように。導きの今がある
今年も桜が咲いて私達を楽しませてくれました。桜の絨毯ができました。川面には花筏(はないかだ)となって桜の花びらが流れて行きました。「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)咲こうとも散ろうともどんな桜も愛すべき桜なのです。桜を命に変えると「散る命残る命も散る命」どんな命も愛すべき命なのです。桜は痛み苦しみ乗り越えて精一杯生きよと教えています。残る命を精一杯生きましょう。残る命
再び皆様へ「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう。」言葉の力
この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生と死
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。四体の心
「人は神によって生命を与えられ、あらゆる人の愛を受け育まれる。」しかし、「人間は愚かな生き物。日々誘惑に惑わされ、悪や欲に染まってしまうこともある。そのまま悪の道を行く人もいる。」「弱い人間は日々我を顧み生んでくれた神に喜ばれる生き方をして終わりたいものだ。」(自戒の言葉)誘惑の罠
人生は順風満帆ばかりではない。明日の希望もなく苦難の日々ばかりで、逃げたくなる事もある。「成長とは華やかな地上だけではない。地下にだって根を生やす事も成長というのだ。」足踏みしたって、かかとは減るのだから。いま辛い人は地上に出る前に、強い根を生やしていると思えばいい。私は人生の2/3はそうだった。地下の女神が見守っていますよ。地下の女神
「無事に生きる」という言葉があります。禅語では不要なことに振り回されないこととあります。不要とは「三毒」のことです。1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。2.ささいなことで怒ること。3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。皆様には関係ない言葉ですね。三毒
いろんな事情で急に亡くなった方の魂に語ります。「はかなく突然に散ったとしても大切なのはどんな夢見続けたかです。夢は散った後も生き続けると信じるから。決してあなたのこと忘れません。安らかにお眠り下さい。そして、私達を見守って下さい。」近くの小学生の女の子がトラックにはねられ亡くなりました。その子に送ります。夢は続く