「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
聖書の中には「喜びなさい」という言葉が800回出てくるといいます。「いつも喜んでいなさい」と命令形で書かれています。考えると喜びが見えてくるからと。英語think(考える)thank(喜ぶ)ドイツ語danken(考える)denken(喜ぶ)一字違いで違う意味を見つけました。失敗したり、落ち込むことがあっても、考えて見てください。そうすると喜びが見えてくると思いませんか。失敗しても体は元気だからまたチャレンジできる。ミスをしたが次は気をつければいい。コロナで好きな旅行ができないが、家でできる物を見つけた。常に前向きに考えれば喜びが見えてくるものです。気づきになれば。喜びなさい
『自分の未来が見えてくる!』全て導かれている事に気づくと、未来が見えて来るものです。以前、夢に出たおばあさんとの会話。『成功して有名になりたい!』と言ったら『あなたが考えている成功者とは何ですか?成功者とは目標を持って生き、いつも人の事を一番に思っている人で神様に微笑まれる人だよ。』とおっしゃられた。それに気付くと未来の道がはっきり見えて来ました。お客様(お年寄り)はいずれ神様になるのです。私には沢山の神様が微笑んでくれています。各地で小学校の運動会が始まりました。神様が微笑んでいます。神様の微笑み
「蛤(はまぐり)のふたみに別れ行く秋ぞ」(松尾芭蕉)離れがたい蛤の貝殻と身が別れるように、尽きないなごりを惜しみながら、私は伊勢の二見(ふたみ)が浦へと旅立ってゆく。折から秋も終わりに近づいて、別れの寂しさがひとしお身にしみることだ。この秋は亡くなる人や退職して旅立って行く人が多いことだ。私も旅立ちの日が近づいて来たかな。行く秋
「幸せ願うなら手を開け、平和を願うなら手を合わせ祈りましょう。」(私)握ったこぶしを開けば怒りも消える。平和を願うなら手を合わせ祈ること。心のこぶしを開きましょう。先日自転車走行中電柱を除けたのですが、その脇にあった白い標識のポールに籠と頭をぶつけてしまいました。ヘルメットをかぶっていたのですが、頭へ衝撃を受けました。その為か、神の声が一段とハッキリ聞こえるようになったみたいです。これからの生き方、歩む道を告げられました。私にはその道はとても荷が重く、一人ではとてもできません。皆様の力を借りる事になるでしょう。「世界平和への道」奇跡を沢山起こさなくてはなりません。世界の人が生きる力を持てるように祈りましょう。平和への道
「春はあけぼの(明け方)夏は夜秋は夕暮れ冬はつとめて(日の出たころ)」(枕草子)昔も秋の夕暮れは急に肌寒く感じてほっとしたことだろう。今日の夕暮れは寒いようです。風邪ひきませんように。秋は夕暮れ
古代では「日なたぼこり」と呼ばれていました。平安時代の今昔物語に『春の節になりて、日うららかにて、日なたぼこりもせむ』とあります。日なたは「日向」と書き日のあたる方向、場所を表す言葉です。ぼこりは「誇り」のことですが、当時は心が浮き浮きする、心が晴れ晴れする時にも使われていました。日が当たる場所で、心が晴れ晴れした時に「日なたぼっこ」と使われたようです。お年寄りには縁側でのんびり日なたぼっこして欲しいものです。皆様はここで日なたぼっこしてください日なたぼっこ
「人間に与えられた才能は努力する力である。しかし、努力すれば何でも叶うという考えは間違っている。真実は無限の努力の先にあるからだ。」(私)私なりにあらゆる挑戦をして真実の才能を探し求めています。気づいた事は人の声、神の声をもっと聴く努力だと思っています。皆様も持っている力をさらに伸ばしてください。努力の先
「一生の仕事を見つけた人は、それが天職と気づくだろう。」(私)天職とは与えられたものでなく自らが見つけたものだ。疲れを感じない仕事、その仕事に定年などない。あの世でも続けている仕事それが天職だ。天職
「そばにいるといつも安心するそれが天使だ」(私)あなたにもいます。あなたの悩み苦しみ歩む先を導く天使が。気づいて感謝しましょう。昨日、左腕を突かれた気づきなさい!とその感触がずっと忘れませんでした。恥ずかしそうで、奥ゆかしい感じがしたから。天使の仕草
【地球を救う】昨日、目の視力が弱いのか、狭い道で自転車で走行中に電柱に衝突してしまいました。ヘルメットをしていましたから軽いむち打ち症ですみました。しかし、その夜神の怒りの声を聞きました。「地球は誰のものでもない。」それを知る民の元に救いを求めに来るだろう。その神の国作りをする。その一つとして「日本を神の国とするだろう。」「土地で争う者には太陽は昇ることはない。夜も月も星もない暗闇になるだろう。」その後の言葉は信じられない言葉が続き驚きました。夢だと思い心に秘めます。その時、皆様の平和を願う力が宗教を問わず地球を救う力となるでしょう。皆様の言葉が世界の民、地球を救う言葉になるのです。地球を救う
水面に浮かぶ泡の事を泡沫(うたかた)といいます。「水面に浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて久しくとどまることなし」(方丈記)「思ひ河絶えず流るる水の泡のうたがた人にあわで消えめや」(伊勢・平安時代の女流歌人)あなたの行方が知れなくなって、とても心配していました。という恋人からの手紙に返事をしました。「絶えず流れる川の泡のように、あなたに会わ(泡にかけている)ないうちに、死んでしまいはいたしません。」なんと素敵なやりとりでしょう。ここで出会う皆様と水の泡とはなりませぬように祈願しています。水の泡
最古の仏教の言葉に「おのれこそ、おのれのよるべ」という言葉があります。人を頼りにするのでなく、自分自身を頼りに自由に生きることだと説いています。自由とは人のせいにしないこと。すべての原因を自分に求めることと教えています。今日の失敗も「すべてはおのれのよるべ。」今日の気づきになれば。おのれのよるべ
誰かの声がする。「湧き出る泉を持ちなさい」と。「山は静かに生を施(ほどこ)し、川は流れて魂を浄める湧き出る泉は幸運を呼ぶ」そんな言葉が聞こえました。湧き出る泉は心の中にある。泉を言葉にすると、「湧き出る言葉は幸運を呼ぶ」になります。皆様に感謝湧き出る泉
『神様は私たちの「願ったもの」よりも幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。それは、必ずしも自分の欲しくないものかもしれません。すべて必要なものだと感謝して、謙虚に受け入れることが大切です。人生には思いがけない悲しみ、苦しみの「穴」があったからこそ、見えるものがあるのです。』(マザー・テレサ来日の時、通訳していた渡辺かずこシスターの言葉)辛いこと、悔しいこと、理不尽なこと、悲しいことなどあまり欲しくないことです。しかし、これらもきっと幸せになる為に「必要なもの」かもしれません。そう思って謙虚に受け入れて乗り越えてください。今日を生きる力になりますように。投稿してくれている皆様に感謝しています。読者の皆様にも幸せのパワーを送っています。心に響いた言葉がありましたら、今のあなたに必要な言霊(ことだま...恩送り
「挫折という言葉をなくしましょう。人生に挫折はなく左折、寄り道、迷い道をしただけだから。」(私)挫折
「人間の弱みは一人では生きていけないところ。人間の強みはお互いに助け合うところ。人間は神ではないから助け合うことで神の力を得るのだ。」(私)神の力
「ぬばたまのこの夜明けたら朝焼けの目覚めた君に魂の声」(私)心も暗闇の夜が明けた時、光り輝く朝日が昇り目覚めた君に魂の声がする。手を合わせ感謝しましょう。ぬばたま
虹時命流れ星思い出…。消えゆくものは愛しく思うだから魂に祈ろう。すべてが生きる糧(かて)になるから。何もなかった今日という日に感謝。~ミレーの晩鐘~消えゆくもの
「涙はあなたがつくった海。悲しい涙は塩辛い。嬉し涙は甘酸っぱい。どちらも交互にやってくる。」(私)今日は悲しい涙より嬉し涙が多かった。それはあなたがいたから。あなたが心の中にいたから。涙はあなたがつくった海なのだ。天使の涙
「幸せ探した青い鳥苦難の旅路を待っていた黄色いハンカチ幸せはみんな足元にあるんだ。」(私)幸せ求めて旅に出たけど、幸せはどこにもあるものだ。ここは心のふる里なんだ。ここにいると幸せ気分になれるから。心のふる里
「人が一番輝いている時は栄光の時ではなく絶望の淵で生きる目的を見つけた時だ」(私)何かの栄光を手にしたとしても完遂ではない。人生の挑戦はまだまだ続くのだから。年老いてもだ。輝いている時
「昔だに昔と思ひしたらちねのなほ恋しきぞはかなかりける」(新古今集)以前でさえ、昔のことと思った亡き親が自分が老いた今もやはり恋しく思われるがそれもはかないことであるよ。たらちね(垂乳根)とは親のこと。10歳で父を、26歳で母を失った作者77歳(私と同じ)の作。いくつになっても親のことを思い出すものですね。戦後の何もない時の苦しい生活を思い出して親への感謝をしています。古代も人の心は変わらないものてすね。たらちね
「仏は常にいませども、うつつならぬぞ、あはれなる、人の音せぬ暁(あかつき)に、ほのかに夢に見えたまふ。」(平安末期の歌謡)仏は常にいらっしゃるのだけれど、まのあたりに拝する事ができないので、一層しみじみと尊く思われる。しかし、人々が寝静まって物音一つしない明け方に、仏はかすかに夢の中に姿を見せなさるのだ。私も皆様も実感していませんか。あまりにも、お姿やお言葉がリアルで目覚めても忘れられません。頂いたお叱りやありがたいお言葉を書き残す事が私の役目と感じています。朝2:30記静寂の時
私の好きな言葉に『艱難汝(かんなんなんじ)を玉にす』があります。多くの困難や苦労に遭い、それらを克服していくことによって、美しく磨かれた玉のように人格が練磨され、立派な人間に成長することです。私はそれを『玉磨(ぎょくま)の人』と呼びました。皆様が幾多の困難を乗り越えて笑顔が美しく光り輝く玉になりますように。精一杯生きている貴方を応援しています。玉磨の人
「旅人の袖(そで)吹き返す秋風に夕日寂しき山のかけ橋」(藤原定家・新古今集)旅人の袖を吹きひるがえしている秋風の中で、夕日が寂しく照らしている山の桟道(さんどう)よ。朝夕の風も急に肌寒くなりました。皆様も長袖の準備をして体調管理してくださいね。ハクション!秋の風
同僚の女性から20数年ぶりにお母さんの夢を見た。「とても優しそうな顔をしていた。私を呼びに来たのか不安になった」と相談された。私も似たような夢を見た。霊界では奇数年を祝うしきたりがあると。それで、私が気づいたのは霊界でも成人式があるのではと思いました。亡くなって奇数年修行したら、あらゆる力を得て子ども達の悩みの相談にのれるのだと。だから不安な夢ではないと伝えました。霊界の成人式
「右に行くか左に行くか迷う事はない。共に一本の太い道の中だから。」(私)空高くから見れば一本の太い道を歩んでいる事に気づく。あれこれ悩む事はない。われ大河の道を行く。大河の道
「あなたはまだ何か悩み事がありますね。一人で悩んでいますね。本当に悩み事は尽きませんね。」一人悩まず導きを得てください。私は「言葉」で救われました。悩み事は一度に何度も何度もうねりの波のようにやって来ました。心も体もボロボロのようになっていました。そして、倒れたのでした。そんな時、生きる勇気をくれたのが言葉の数々でした。悩み苦しみから出た言葉ばかりだから共鳴したのです。人は一つ自信を持てば生きて行けるものです。その中の一つに「待つ」があります。「待つことを知る者には万事が適当な時にくる。」(フランスの諺)「待てば海路の日和あり」「嵐の後には凪ぎがくる」(日本の諺)待つ忍耐も意味があるのです。あなたの心に響く言葉がくる日まであきらめず待っててください。ここのグループで待って頂けたらありがたいです。待つわ
「悲心(ひしん)」という言葉があります。真心をもって一人の本当に苦しんでいる人を救うことは、大地のように大きい。どんなに多くの星が輝いても、その光りは一個の明月の光りにおよばない。「悲心」とは「深い思いやりの心」のことです。自分で味わった苦しみ、悲しみの体験を、人には味わわせまいとする真実の思いやりの心のことをいいます。自分が体験した悲しみを他人には味わわせたくないという心。その温かい心で他人の苦しみを少しでも軽くしてあげることを「悲心抜苦(ひしんばっく)」といいます。母親のような心。お地蔵様、観音様、聖母マリア様を感じています。悲心の心、大切にしたいと思います。悲心の心
『非思量(ひしりょう)』という言葉があります。頭の中を空っぽにして、心を無の状態にすることをいいます。物事を自分の中にとどめない状態を指す言葉です。頭を空っぽにして、空を見上げてください。流れ行く雲が見えるでしょう。耳を傾ければ、鳥の声、風の音が聞こえるでしょう。自然を感じることで、心が落ち着き、体の底から力が湧いてきます。ほんの数分でも『非思量』を実践してみましょう。私はよく砂時計になりなさいと言ってます。頭が空っぽになるからと。頭を空っぽ
「美しい姿は美しい顔に勝り美しい言葉は美しい姿に勝る。」(私)言葉には品性と人の奥深さ、魅力を秘めている。言葉を大切にしましょう。美しい言葉
人が動くと書いて「働く」。ヘミングウェイは「働くのと動くのを混同するな」と述べています。また、松下幸之助は「人より一時間、余計に働くことは尊い努力である。だが、今までよりも一時間少なく働いて今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩がある。」と述べています。自分の仕事振りを振り返ってみて下さい。動くことが、働くことばかりではないので。働き方
災いも福も、好きも嫌いもまったく同じもの。その正体は「あなたの心」です。という意味の『悟無好悪(さとればこうおなし)』があります。人間関係に悩まされないで、あるがままに見られるようになったら、災いも嫌いも逆縁も順縁に転じるといいます。どうか、皆様の悩みが克服できますように。あなたの心
「人生一生酒一升あるかと思えばもう空か」(詠み人知らず)「人生劇場泣き笑い一笑に歩もう言の葉の道」(私)一笑
「歩まなければ道に迷わない。しかし、歩まなければ何も出会わない。」(私)歩む
親しい人がたくさん去っていきました。秋の心の思いにふける言葉に秋思(しゅうし)があります。思いの底には「もののあはれは秋こそまされ」「心づくしの秋」「頬杖に深き秋思の観世音」という日本の古くから伝わる言葉があります。私は心に永遠に残る思いを秋思と思っています。その思いが今の苦しみを乗り切る力となるからです。皆様の心に伝わりますように。秋思
「果てしない目標に歩むのは怖くない怖いのは目標を見失うことだ。」(私)未来の自分を夢見て歩みましょう。いつまでも夢見る青春でありたい。夢見る青春
10月の言葉に「霧の香(か)」があります。霧の香りという意味ではなく、霧が立ちのぼる様子を、お香の煙が立ちのぼっていくのに見立ててこう呼ぶのだそうです。素敵な表現だと思います。昔は今ごろに起こる現象のようです。現代の気象用語では、視界が1キロメートル未満のものを霧。それ以上のものは靄(もや)。陸上で、100メートル、海上で500メートル以下の視界を濃霧といいます。私も富士山や、箱根で濃霧にあい途方にくれたことがありました。人生にもありました、霧が立ちのぼる時や、濃霧に出会う時も。しかし、いつかは霧も晴れるものです。さわやかなお香の匂いがしてきますようにお祈りします。霧の香
「石に花咲く時が来る。」(私)石の上に3年。誰もが出来ること。一歩抜きん出るには、途中休んでも生涯続けていれば花が咲くもの。言葉を綴って30年。祈りを捧げて40年。筆を握って50年。やっと石に花咲く時が来た。石に花咲く時
ある女性ルポライターの記事を読みました。フランス留学中に友達が教会の話を良くするので一緒に連れて行ってもらった。その時の神父様のお話に心癒された。人生最後に読む本は聖書だと思ったという記事でした。そこで、毎日読んでいる聖書から私から皆様への手紙です。「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりの状態にあっても、弱い時にこそ強いからです。」(コリントの信徒への手紙)私たちの力は自分を苦しめている「とげ」がある時にこそ十分発揮できると述べています。今とげで苦しんでいる貴方へのエールです。強く生きて!弱い時に強い
最後の一匹。季節を過ぎて鳴く虫のことをいいます。「きりぎりす忘れ音(ね)に啼(な)くこたつかな」(芭蕉)何か寂しい言葉です。「気をつけて忘れ音に啼く母の声」懐かしい母の声のように聞こえたよ。気温差大きいので体調に気をつけてください。忘れ音
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「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。改心の情
ここにいる人達は生きる力を授かり、命のリンク(絆の輪)を持つのです。悩める人達を救いましょう。(私の天使より)命のリンク
私達の体はボディ、スピリット、マインドの三つからできています。ボディとは肉体、スピリットとは魂、マインドとは心。肉体と魂が活動するときに味わう感情、思い、感覚などを感じる機能をマインドといいます。心が穏やかな気持ちでいるとき、心は大きく開いています。これを心理学では「オープン・ハート」と呼ぶそうです。心を開くと物事に対して、優しい気持ちで接し、たくさんの事を受け入れる事ができるといいます。反対に憎しみや、恐怖を感じているときは心を閉じてしまいます。心を閉ざすと益々憎しみが増大してしまいます。オープン・ハートに一番大切なことは愛の注入といいます。愛は無限の力がある。愛されてる貴方はオープン・ハート!愛の注入
毎日お別れする人が続いています。なぜでしょうか?「桜咲き花散る里に帰ろうか」そんな気がしました。皆さん全身の病と戦っていたのですね。最後まで書道を楽しみにしていた顔が忘れられません。書道教師と介護士と言葉の伝道師をしていて良かったです。お別れ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
「万法帰一(ばんぼういちにきす)」苦しみや悲しみは絶対に続かない。という意味です。本当に辛くても辛抱していると周りが助けてくれるものですね。不思議と実感しています。苦しみ悲しみ
「人と神が出会うのは苦難に耐えている時」(私)神はいつもいるわけではない。困って苦しんでいる時に神は現れるものだ。昨日は神の存在を知った。奇跡のような事をしてくれた。感謝しています。神の存在
川面(かわも)の月。ゆったりと大河を流れる川。急流になって谷間を流れる川。月は流されずいつも川面に映っている。月はあなたの心です。流されることのない不動の心あなたはあなたでいいのです。(私)どんな世間の波がたとうとも、自分は流されない不動なのだ。あなたはあなたなのだから。少しの波でも心動揺する私です。こうなりたいと思って日々努力しています。川面の月
「道に迷うことこそ道を知ることだ。」(東アフリカの諺)「人生に迷うことこそ人生を知ることだ。迷わぬ者に悟りはない。」(私)本当に迷ってばかりです。申し訳ない。迷う
日本でつくられた言葉に「躾(しつけ)」があります。身につく美しさと書いて躾。長い間の行いで無意識に身についた姿をいいます。日本人の美意識です。世界に誇れるひとつです。ここもそんな美意識を育てています。躾
一昨日看取りの人が亡くなった。水だけを良く欲しがっていた。イエスも十字架で「私はのどが渇いた」と発言されたことを知りマザーテレサは泣いたといいます。たしか、誰か布にワインを湿らせて唇に付けたと聞いた。そこから浮かんだ言葉です。「渇いた者へ」生きるのに渇いた者はここに来なさい。誰でも心の奥底から生きる水の川が流れ出るようになるから。(私の天使の言葉より)渇いた者へ
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所もまほろばという安らぎの場所です。まほろば
「仏教は二利(自利、利他・じりりた)に尽きます」(空海)唐留学から帰国した際の空海の報告書の言葉です。自分が修行して、悟りを得ること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)の二つを完全に行うのが理想で、自利と利他は相反するものではなく、大きな輪のようにつながっているのです。自分の幸福も他人の幸福も一つの輪の中にあると述べています。宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と述べています。ボランテイアや介護現場では、人を手助けすることで、実は自分が救われていたと気づくものです。幸せを考えたくなったら自分にできる「利他」の行いからやってみて下さい。空海の言う自利利他は幸福の始まりのキーワードです。幸せのキーワード
あと数日の命。看取りの可愛いおばあさん。神田の生まれと自慢していた。しかし、母親からいつもあんたはぐずだと叱られてばかり。妹はチャキチャキの神田っ子。私はだめだ。何やってもノロマ。今何考えているの?「いい思い出ばかり思い出しているよ。」僕なんかいい思い出なんてないよ。「私もそうだよ少ししかないいい思い出を何度も何度も思い出しているよ。」そうなんだね。だけどね悪い思い出もいい思い出になるんだよ。だからすべて思い出していいんだよ。「そうだね」と笑ってくれました。(もうすぐお別れだね)いい思い出
朝の散歩中に竹やぶからうぐいすの鳴く声がしました。平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂(う)き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂(う)き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌です。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。異動で明日から職場を離れる人からの相談を受けました。新たなチャンスだと思って前向きにいけば次のステップアップになると励ましました。勇気が出たと帰っていきました。皆様も人...うぐいす
人は重荷を背負って坂道を行くがごとし。(徳川家康)私は毎日10キロのリュック背負って出掛けてる。墨や絵筆や半紙が結構重いから。50年続けたら120トン。「私の人生120トン雨の日も長靴はいて120トン雪の日も足跡残して120トン風の日も帽子飛ばされ120トン心の重さだ120トン泣いて笑って120トンソーレソレソレ120トン」120トン
古典の中に、「静中の静、楽処の楽は真実ではない」という言葉があります。静かな環境の中での、静かな心は本当の静かさではない。騒がしい環境の中で、心を静かにすることができて始めて本当の心境という。また、楽しい環境の中での楽しい心は本当の楽しさとは言えず、苦しい中で心を楽しくすることができて、本当の心境だと言えようという意味の言葉です。皆様も今までの自粛生活の苦難の中でも小さな楽しみを見つけて来ましたね。私は物を補修する楽しみを見つけました。苦しい、悲しい、体中痛い毎日の中で楽しみを見つけた時、この言葉が浮かんで来ました。苦中の楽
「人間は死を約束された動物である。人は死んでもその人の影響は消えない。自分は何を残せるだろうか。」聖路加病院故日野原先生生きる力になる言葉をたくさん残した!と自信もっていいましょう。何を残すか
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所も、まほろばという安らぎの家でありますように。まほろばの家
蛍は遠い故郷を思い出させてくれます。ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。蛍になる
今朝の新聞記事より、日本外科学会定期学術集会の「人にない武器をどう身につけるのか?」というテーマに特別講演を行った元プロ野球選手の松井秀喜さんは元巨人監督の長嶋茂雄さんから誰にも負けない素振りの武器を作ってもらったと披露して、医療関係者1500人を沸かせました。私の武器は誰にも負けない鈍感でドジ。努力しなくて身につけた。皆様の武器はどう身につけましたか。あなたの武器は
「道とは遠くからははっきり見えるけれど近づいたら消えた幻のようなもの。」「晴れた天気に外に出たら急に雨が降る。喜びの歌がまだ終わらない内に悲しみの歌が聞こえて来る。それを道と呼ぶのだ。」(私)退院して来たお年寄りを喜びの拍手で迎えた。その時、心臓が苦しいと、救急車で搬送されたおばあさんが亡くなった。「喜びも悲しみも同時にあるのが道なのだ。」すべてが幻のように去っていく。今の時期を「土(つち)休み」という。春の花が枯れたから、夏の花を植えましょう。土を休めてから。素敵な言葉です。土も生きているのだ。仕事を変える時、迷った時、人も休みましょう。ひと(人)休みひと休み。土やすみ
万葉集に「涙で曇り目も見えぬ」という歌がたくさんあります。空の雲でなく、目の雲を指しているのです。日本人は涙好きな国民と言われています。涙の語源を調べると、「な」は泣く。「み」は水。「だ」は垂れる。泣くと水が垂れてくる。そこから、涙ができたようです。「瞳の中にも空がある澄みきった空がある晴れ渡った空がある時折涙雲になり涙の雨が降るそのあとはまぶしい空がやってくる涙雲のあとは瞳の空が晴れ輝きを取り戻すのだ。」もう少ししたら晴れますから頑張りましょう。泣いてるあなたへの励ましの言葉です。涙雲
仏教の目的は『成仏』。すなわち「仏に成る」ことです。その方法の一つに「行い」「言葉」「考え方」という三つの活動において、仏さまの真似をするというものがあります。「皆が手伝ってくれたから無事に行事ができた」とか、「落ち込んでいた時に掛けてくれた言葉で頑張れた」とか、「上司の冷静な考え方があったから、窮地を乗り越えられた」といった経験ありませんか。「みんなが健(すこ)やかになれる」ような活動を通して、私たちは少しずつ仏さまに成っていきます。「行い」「言葉」「考え方」のどれか一つで結構です。「こんなとき仏さまならこうするんじゃないかな」そんなことを意識してその日を送ることができたならば、その一日はいつもと少し違った一日になるかもしれません。(真言宗・長寿院住職)素敵な説法ですね。このお話の根本にあるのは、思いや...神の子
14日間飲まず食わず。最期に残した言葉。耳元で『良く頑張ったねお疲れ様僕のこと忘れないでね』すると「忘れぬものか」と言って亡くなりました。この言葉を発する力に感動して涙が出ました。「生涯最期の言葉」皆様と共有しましょう。ありがとうの言葉返しで。忘れぬものか
「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「死ぬことは誰かの心に生きることなんだ」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ
あわてるな、落ち着きなさい。という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。若いお坊さんが、師匠に対し、矢継ぎ早に質問攻めにして疑問をすべて解消し、早く悟ろうと思ったら、「且緩々」と言われた。『どの道も、急いで極めることはできません。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい』。という時に使います。人生も同じです、ふと立ち止まって、これで良いのかとゆっくり考える時間が必要ですね。「且緩々」緊張した人を見たらこの言葉を掛けてみましょう。まずは一服
昨日緊急出勤のため7:00に家を出た。道路から離れた道をチャリで行くと竹やぶが燃えているのを発見。人がいるようないないような?風が吹く朝、すると消防車がやって来て道路に止まり隊員があたりを走り始めていた。私は掛けより竹やぶが火事と伝えた。わき道の奥だから分からないと思ったから。私はその場を去った。帰りに現場に行ったら竹やぶが綺麗な更地に変わっていた。地面は水の跡が染み込んでいた。きっと誰かがたき火(焼き畑)をして竹やぶに火が回り通報したのだと思った。外車の並ぶ販売店の裏だから大事にならないで良かったです。神のお告げか不思議な火事
「神の国は君たちの中にあるんだよ」(聖書ルカ17-21)神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。神の国とは、神の思いが実現するところ。それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよ。苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。空海も同じような事を言ってました。「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる」と。丹田とはへそ下で気力が集中する所です。神の国はあなたの中にあるのです。神の国
施設のカウンターに飾られている日本人形。彼女が私がケアマネになって戻って来たことに感謝している夢を見ました。「私の頭にかぶせている帽子は可愛いくないから取って欲しい!」翌日行ってとりました。笑ってくれました。髪を撫でると願いが叶うと教えてくれました。足元にそれを書きました。誰かが撫でたのでしょうか?髪が茶色になったり、前髪が数本伸びてきました。気のせいかな?魂が宿っている人形です。不思議なことだと感じて報告しました。みんな導きで今があるのだと納得して受け入れましょう。少しは気が楽になりますように。導きの今がある
今年も桜が咲いて私達を楽しませてくれました。桜の絨毯ができました。川面には花筏(はないかだ)となって桜の花びらが流れて行きました。「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)咲こうとも散ろうともどんな桜も愛すべき桜なのです。桜を命に変えると「散る命残る命も散る命」どんな命も愛すべき命なのです。桜は痛み苦しみ乗り越えて精一杯生きよと教えています。残る命を精一杯生きましょう。残る命
再び皆様へ「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう。」言葉の力
この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生と死
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。四体の心
「人は神によって生命を与えられ、あらゆる人の愛を受け育まれる。」しかし、「人間は愚かな生き物。日々誘惑に惑わされ、悪や欲に染まってしまうこともある。そのまま悪の道を行く人もいる。」「弱い人間は日々我を顧み生んでくれた神に喜ばれる生き方をして終わりたいものだ。」(自戒の言葉)誘惑の罠
人生は順風満帆ばかりではない。明日の希望もなく苦難の日々ばかりで、逃げたくなる事もある。「成長とは華やかな地上だけではない。地下にだって根を生やす事も成長というのだ。」足踏みしたって、かかとは減るのだから。いま辛い人は地上に出る前に、強い根を生やしていると思えばいい。私は人生の2/3はそうだった。地下の女神が見守っていますよ。地下の女神
「無事に生きる」という言葉があります。禅語では不要なことに振り回されないこととあります。不要とは「三毒」のことです。1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。2.ささいなことで怒ること。3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。皆様には関係ない言葉ですね。三毒
いろんな事情で急に亡くなった方の魂に語ります。「はかなく突然に散ったとしても大切なのはどんな夢見続けたかです。夢は散った後も生き続けると信じるから。決してあなたのこと忘れません。安らかにお眠り下さい。そして、私達を見守って下さい。」近くの小学生の女の子がトラックにはねられ亡くなりました。その子に送ります。夢は続く