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JNR-M http://jnr-m.sblo.jp/

北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。

国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。

武蔵宮
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2016/02/01

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  • 城沼12

    群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…

  • 城沼11

    段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。

  • 城沼10

    館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…

  • 城沼9

    館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…

  • 城沼8

    館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。

  • 城沼7

    館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…

  • 城沼6

    先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。

  • 城沼5

    館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。

  • 城沼4

    館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…

  • 城沼3

    浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。

  • 城沼2

    ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。

  • 城沼1

    2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…

  • 長野原19

    かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。

  • 長野原18

    従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。

  • 長野原17

    太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。

  • 長野原16

    京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。

  • 長野原15

    茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…

  • 長野原14

    綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…

  • 長野原13

    大井川鉄道からやってきた無蓋車ト111。1930年代の鋼製車ながら古典的な小型車。国鉄では戦後の輸送力拡大に対応出来ないので10t積は早くから淘汰が進みましたが、私鉄車だっ…

  • 長野原12

    鉱石輸送に縁がある無蓋車を収集・保存している施設。廃墟と化した積み込みホッパーと傷んだ木製扉の無蓋車。時代のコントラスト。 トラ51862は1960年代始めに造られた木製扉のトラ4…

  • 長野原11

    天井が抜け落ち、崩れかけているホッパーの基部。風化していく古き時代の記憶。錆びた線路の上で。

  • 長野原10

    駅舎横の側線で使われていた車止め。草に埋もれていた現役当時よりも整備された貨物側線。世間が東海道新幹線開通で賑わっていた頃、鉱山がなくなって運ぶ物を失っていた線路。

  • 長野原9

    建造物の中に広がる草。錆び付いたレール。規則的に並ぶコンクリートの柱。どの廃線跡とも違う、自然と機能美の融合。

  • 長野原8

    太子駅で保存されている貨車。当時の配線はシンプルで、左にホームの線路と機回し線、その隣のホッパー内に2本、ホーム右に貨物側線2本だけ。貨物扱いが無くなった末期にはほ…

  • 長野原7

    線路とホームが復元された太子駅。鉱石を貨車に落とすホッパーの基部が残されていた公園は整備されて保存施設に。今は人工物の跡が見当たりませんが、正面の山をロープウェーのよ…

  • 長野原6

    集落を過ぎると広がり始める廃線跡。点在しているコンクリートの基部。ここから先は長野原線の終点・太子駅。読み方は『おおし』で、他の地域にある太子(たいし)や大子(だいご)、…

  • 長野原5

    廃線跡の中間点を過ぎるとトンネルの連続。舗装された他は鉄道があった頃とほとんど変化がありません。

  • 長野原4

    日影地区を過ぎると廃線跡は道路に。彩り豊かな沿線。鉄道が残っていれば渓谷美を楽しめたはずですが、北西にある白根山東側の草津温泉とは標高差400mもあるため、長野原線の延伸…

  • 長野原3

    道路脇に口を開けた廃線跡。この先は集落もなく、立ち入り禁止になっています。明治・大正の優美なレンガのトンネルと比べると、戦時中に突貫工事で造られたあまりにも無骨な…

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