群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
東海道に沿って、下をくぐって、踏切で渡って、上栄町駅を出て坂道の途中から併用軌道になる京阪京津線。京都市内の併用軌道は地下鉄になりましたが、大津市内は今もそのまま。
京阪京津線は東海道に沿って登坂。路面電車・登山鉄道・地下鉄と姿を変える4両編成。
関蝉丸神社の入口は京阪京津線の踏切。大津の街から京都へ峠を越える逢坂の道端。
社寺の多い湖畔の街。大津駅を通過するEF65-2090。
東海道本線を乗り越す京阪京津線。すぐ向こうの斜面から先が旧線に替わる長い新逢坂トンネルで、手前は陸橋・トンネルどちらにも見える上関寺トンネル。明治時代の無骨なトンネル…
道路脇の水路を橋もなく、レールだけで跨ぐ京阪京津線。東海道は大津市街から逢坂山へ。湧水は琵琶湖へ向かって流れていきます。 京阪京津線は1912年に京都の三条と大津を結ぶ…
京阪京津線のすぐ隣に残るレンガの橋台。逢坂山トンネルを出た東海道本線はここで道路を跨いでいました。廃止から100年もの歳月で地形も変化しましたが、レンガの壁だけは奇蹟的…
内部が実験施設に利用されている逢坂山トンネル。大正時代には早くも新線に切り替わったため、大型蒸気機関車の煤煙を受けずに天井は綺麗な状態。 奈良線に転用された区間…
国道1号のすぐ脇に残る逢坂山トンネル。 京都市街から東を目指した東海道本線は今の奈良線稲荷駅南から東の峠を越えて旧山科駅へ、そこから再び峠を越えて大津市街へ至る経…
タワーが見下ろす京都駅。205系は東海道本線の緩行用で関西圏にも投入されましたが、民営化後の新型と交代して奈良線へ。変わり続ける電車の歩み。
京都駅で出発を待つ103系。先頭車クハ103-212は非冷房で製造された最後のグループ。山手線と同じ色で生まれ育った関西の国電。
先頭車クハ103-225は新製時から冷房搭載となった1973年製。更新工事と先頭の白線以外は国鉄時代と変わらない雰囲気のまま。
京都駅で出発を待つ103系。先頭車クハ103-211は奈良電車区に配置されて関西本線の湊町駅へ往復していましたが、後に電化された奈良…
梅小路駅に止まるEF65-1128。寝台特急がなくなった後も山陽路を支えてきた電気機関車。
向日町運転所を出発するDD51-1109。数多の特急電車と寝台特急が拠点にしていた場所で、鉄道の変遷を見守って来た国鉄生まれのディーゼル機関車。
車両基地の隅にあるレール輸送の拠点。長物車が今も生き残っている関西圏。
色褪せたDE10-1115。金沢運転所から向日町運転所へやってきた旋回窓の雪国仕様。
吹田機関区で休むEF66-129。時代の狭間に生まれた立役者。
吹田機関区で憩うEF66-122。民営化直後に貨物輸送の立て直しで登場したシリーズ。
吹田機関区で休むEF510-16。EF81の姿が消えた拠点。
東淡路の公園で保存されているEH10-61。旧型貨物用電気機関車EF15に続き、全線電化される東海道本線を長距離走破する目的で1954年から開発が始まった2車体連結の…
大阪東部を南北に連絡していた貨物線。吹田操車場から片町線の放出駅、関西本線の竜華操車場、さらに阪和線の杉本町駅へ。操車場も貨物駅も消えてしばらく経った頃、電車が通り始…
複線化を想定して造られた淀川橋梁。歩道橋として使われていた、複線化でもう歩けないトラスの中。
築堤上の線路は複線化だけでなく、遮音壁の設置など大掛かりな工事を実施。出来上がった駅からはディーゼル機関車DD51が貨物列車を引いていた単線の雰囲気は全く感じられませ…
東海道新幹線をくぐる221系。ほんの少し前まで単線だった貨物線はおおさか東線に。元々、複線化を想定した敷地は北の吹田操車場側に繋がっていましたが、南の新大阪駅に向かう連…
貨物駅の浪速駅からは北側の大阪東港駅と西側の大阪港駅に線路が伸びていました。可動橋を渡った臨港線は左から築港のレンガ倉庫を掠めて、右奥にあった大阪港駅へ。国鉄民営化直…
設置位置が低くて両端が着水していたガード橋。中央部は複線用でしたが、最後まで単線のまま。今はもう撤去されてしまった臨港線の記憶。
現役時代とあまり変化がないまま、物置と化していた廃線跡。海辺に向かって、段々と広がっていく空。
大阪環状線の境川信号場で分かれて浪速駅へ向かっていた貨物線。実際には貨物線の方が直進していて、北に分かれて桜島線と接続する高架線を新設する形で大阪環状線が生まれました…
周辺の再開発が続く大阪駅。人の流れが止まらない駅、止まる国鉄生まれの通勤電車。
大阪環状線の201系。首都圏に続いて1982年から導入されたグループはオレンジ色に装いを変えて大阪の街を周回。
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群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。
京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。
茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…
綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…
大井川鉄道からやってきた無蓋車ト111。1930年代の鋼製車ながら古典的な小型車。国鉄では戦後の輸送力拡大に対応出来ないので10t積は早くから淘汰が進みましたが、私鉄車だっ…
鉱石輸送に縁がある無蓋車を収集・保存している施設。廃墟と化した積み込みホッパーと傷んだ木製扉の無蓋車。時代のコントラスト。 トラ51862は1960年代始めに造られた木製扉のトラ4…
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。
南郊運河沿いでは1970年代のうちに高架橋の大部分が完成しましたが、道路を跨ぐ部分は全て撤去済み。再利用されているとも、放置されているとも言えない、負の遺産。
埋められた運河と使われなかった高架橋。不可思議な人工の景観。
新幹線と平行する区間が頓挫していたのと対照的に、分かれた後の区間は順調に建設が進んだ南方貨物線。名古屋港線を跨いだ先、南郊運河を埋め立てた公園でソーラーパネルを載せた…