群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
山々を背に、広い河川敷を渡る白新線。名前からはどこを結んでいるのか分かりにくいですが、元は新潟駅の西にある越後線の白山駅と羽越本線の新発田駅を結ぶ地方路線として戦前に…
琴似駅北側の農試公園で保存されてきたD51-11。D51最初期の半流線形で北海道の歴史とともに歩んできた蒸気機関車。保存が開始された1970年代には既に周辺の宅地化が…
工場内のキハ183-3565。草に埋もれた線路の上で。
苗穂運転所に帰って来たキハ183-1554。塗装も仕様も混結となっていた183系。
客車の寝台急行に代わって14系寝台車を組み込んだ事もあった夜行の特急。客車はやがて廃車になり、座席車のみに。客車の隣にいた事もあ…
国鉄特急色から塗装変更された0番台は窓も改良工事で角形に。道内の様々な場面を彩った中間車キハ182-30。
500番台とは逆向きのキハ183-1553。扉の青い塗装がずれていたため、500番台とは違っていた車端部の雰囲気。
工場に隣接する苗穂運転所のキハ183-504。特急形気動車キハ183系の一大拠点だったのは郊外の札幌運転所でしたが、末期には急行形な…
鷲別機関区で並ぶDF200-53とDF200-120。あの時はまだあった道央の機関区。
後に苗穂工場へ移動するDE10-1125。札幌貨物ターミナル駅の入換がHD300に代わって、出番がなくなってしまったディーゼル機関車。
鷲別機関区に並ぶディーゼル機関車。消えてゆく機関区と機関車。
マークをつけたまま夜を待っていたED79-18。快速「海峡」も貨物列車もなくなって、昼間は止まったまま。
部品取りなのか五稜郭機関区の隅でその時を待ち続けたDD51。既に供給先のDD51がいなくなっていた北の大地。
函館本線の横で動かなくなっていたED79。長い間そのままだった国鉄機。
新品のEH800-11。まだED79が最後の仕事をしていた頃。
新品のEH800-7。廃車の隣で出番を待っていた日々。
住宅地へ変わりつつある江差線沿線。今はもう通らないEH500-53。
最も標準的な100番台。五稜郭の街を拠点にするDF200-112。
仕様変更された50番台。機関区で休むDF200-53。
五稜郭機関区のDF200-8。鷲別機関区に集中していたディーゼル機関車は機関区の整理で道南へ。
試作型DF200-901と量産型DF200-117。使われていなかったのか、試作型は綺麗なまま。
特急が増発される陰で細々と生き延びていたキハ56-211。優等列車は冷房化が進みましたが、北海道の急行形は屋根に蓋が並んだ準備工事の…
民営化後に生産されて各地に投入された貨物機。改造でなく新製されたED79-50番台は重連で使われた最後の交流用。
北海道直通の為に生まれた2車体連結の電気機関車。EH500-74の引く夜行列車が隅田川駅に着くのは翌日の早朝。新幹線延伸前の五稜郭駅。
まだ日が昇らないうちに動き始めるDF200-108。朝の駅に響くエンジン音。
入換を終えたDF200-104。五稜郭車両センターの錆びた屋根の横で。
大型機がたった1両のコンテナ車を入換。細長い側線で貨物列車が動き続ける五稜郭駅。
DF200-104は有川岸壁の跡に出来た函館貨物駅から五稜郭駅へ。数多の専用線があった北の港町、残された最後の支線。
まだ暗い早朝。眠らないDF200-101。
次々と駅の北側から機関車が到着。0番台でも100番台でもない、50番台のDF200-61。
電化で頭上が賑やかになった五稜郭駅。出番を待つDF200-9。
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群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。
京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。
茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…
綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…
大井川鉄道からやってきた無蓋車ト111。1930年代の鋼製車ながら古典的な小型車。国鉄では戦後の輸送力拡大に対応出来ないので10t積は早くから淘汰が進みましたが、私鉄車だっ…
鉱石輸送に縁がある無蓋車を収集・保存している施設。廃墟と化した積み込みホッパーと傷んだ木製扉の無蓋車。時代のコントラスト。 トラ51862は1960年代始めに造られた木製扉のトラ4…
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。
南郊運河沿いでは1970年代のうちに高架橋の大部分が完成しましたが、道路を跨ぐ部分は全て撤去済み。再利用されているとも、放置されているとも言えない、負の遺産。
埋められた運河と使われなかった高架橋。不可思議な人工の景観。
新幹線と平行する区間が頓挫していたのと対照的に、分かれた後の区間は順調に建設が進んだ南方貨物線。名古屋港線を跨いだ先、南郊運河を埋め立てた公園でソーラーパネルを載せた…