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2015/10/10

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  • 「ルックバック」(2024年)

    すばらしかった。 東北地方と思われる田舎が舞台。 小学四年生の藤野は学年新聞に四コマ漫画を連載している。周囲に才能を認められていたが、彼女が描いていたスペースを登校拒否をしている京本にも分けることになる。 京本は高い画力を持っており、藤野は驚愕する。そして必死に練習をしているうちに六年になった。そこでついに心が折れて描くのをやめる。 小学校の卒業式の日、担任に頼まれて京本に卒業証書を届けに行く。 そこではじめて京本に会い、ファンであることを告げられる。 そしてふたりはプロを目指して合作をはじめる。 といったもの。 「チェンソーマン」がヒットした藤本タツキということである程度のヒット

  • 第17回 人はひとりで生きていくものだから、って言うわりに、モテには興味があったりしてね。

      翌朝、洋介は五時に起きると、まず風呂に入った。 湯の中に肩まで体を沈めて目を閉じた。全身に力を入れ、次に力を抜く。それから、体の各部に順番に意識を向けていく。足のつま先からかかと、ふくらはぎへ。全身の感覚を確かめ終える頃には頭の中が空っぽになっていた。睡眠と覚醒の間くらいの感覚だ。その状態で十分ほど過ごした。 風呂から出てリビングにいく。ソファに腰掛けてアイマスクをつけると、深い呼吸を繰り返した。 風景を思い浮かべた。蝶と花から預かった風景だ。あの坂道の風景を、何度も再生して、補正を加えていった。 不意に肩を揺すられた。アイマスクを外すと真理子がいた。洋介は

  • 「007 ドクター・ノオ」(1962年)

    007シリーズの第一作。 今となっては古めかしいスパイ映画の雰囲気があるが、今の007映画のスタイルがある程度出来上がっていたことがわかるし、ストーリーもおもしろい。 冒頭の銃口に向かってボンドが銃を撃つショットは第一作からあった。そのあとアクションシーンがあって主題歌が流れる、という演出はここではまだない。 また、ボンドはモテる男であり、スパイのくせにやたらと名前を知られている。さらに自らも名乗るのも今と一緒。 なお、秘密兵器は出てこない。 現在のボンド映画は富裕層向けの商品広告みたいになっているが、第一作は純粋な娯楽映画になっている。 ジャマイカのクラブキーという島にいるドクター

  • 第16回 正しくないことが正論になることだって、ある。

    洋介は日が暮れてからマンションに戻った。酒の匂いをぷんぷんさせていた。ふらふらしながらリビングにいくと、ソファに真理子が座っていた。 ガラステーブルの上にお菓子が並んでいた。コンビニで売っているチョコレートやガムだ。封は切っていなかった。 「またやったのか」 真理子は答えなかった。背中を丸めてお菓子を眺めていた。スーパーに並んでいる死んだ魚のほうが、生き生きとした目をしている。 洋介はキッチンにいって水を飲んだ。大きなげっぷをした。こらえようともしなかった。 リビングに戻った。 「どうしてそんなことをするんだ」 真理子はガムを手に取ってしげしげと眺めていたが、すっと

  • 「アビス」(1989年)

    「ツイスター」(1996年)は本作の構成を真似たのではないか。 技術職の男と、男勝りな妻が命知らずな冒険をする。物語のはじまりではふたりはぎくしゃくしているのだが、冒険の中でお互いを認め合う。 本作は海底に沈んだ原子力潜水艦の調査がミッションだが、海底に潜む未知の生物とのコンタクトがテーマとなっている。キャメロンが高校時代に書いた短編小説がもとになっているというが、善良な「エイリアン」のようなストーリーだ。「エイリアン2」(1986年)の次に撮った作品だから似ているのかもしれない。もしくはキャメロンの中でこのパターンがテンプレート的に持っていたのかもしれない。 潜水艦から核弾頭を奪

  • 和田堀公園

    ここはなかなか素敵な場所だ。 川沿いの緑の多い公園。その中でも、観察の森という森があって、うっそうとした森になっている。中には入れなかった。 このエリアは日の出の直後くらいがとてもキレイだ。 太陽が昇りはじめると森の神秘性が失われてしまう。 和田堀公園|公園へ行こう! www.tokyo-park.or.jp

  • 明治神宮

    都内ではここまで緑の多い土地は珍しい。明治神宮という場所がすでに珍しい場所ではないのだが。 森の中を抜けていく参道は広く、こまかい砂利が敷いてある。 そのせいもあって、保護林のような自然ではなく、整った都会的な自然という印象。 近くを通る電車の音などはする。それでも豊かな自然の中で過ごしていると気持ちが落ち着く。

  • 三省堂書店有楽町店

    入り口が三か所ある。 それぞれ、マンガ、女性ファッション誌、グルメ・旅行誌がお出迎え。 入り口の多さを活用して売れそうなジャンルを配置している。 メタル雑誌のBURRN!が平積みになっていたり、話題の本のコーナーに政治的なな思想の本や信仰宗教の本があるのが特徴的だ。需要があるからおいているのだろう。 三省堂書店というのは保守的なイメージがあるが、有楽町店はけっこう尖っている。

  • 第15回 なんなんだお前は。おれの知らない世界に生きていやがって……!

    女たちは手をつないで帰っていった。 洋介は神社に残った。ベンチに腰掛けて、ぼんやりと木を見上げたり、地面を眺めたりして物思いに耽っていた。散歩にきたジャージ姿の老人が不審げにじろじろ眺めていた。 洋介は、境内を後にした。 山手通りに出た。 スポーツウェアを着てサングラスをかけた女が坂道を上がっていった。洋介は道端でぼんやりとしていた。今日の仕事のことを思い返していた。 目の前に、黒塗りのベンツが止まった。洋介は坂道を少し下った。すると、ベンツもゆっくりとついてきた。洋介が坂を上ると、ベンツはバックしてついてきた。もう一度移動しようとすると、軽くクラクションを鳴らされ

  • 「パリ、テキサス」(1984年)

    テキサスを放浪していたトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)は弟のウォルト(ディーン・ストックウェル)に引き取られる。 ウォルトと妻のアンはトラヴィスの息子ハンターを育てていた。 トラヴィスはウォルトの家でしばらく生活していたが、アンから彼の妻ジェーンの消息を知らされ、探しにいくことにする。 ジェーンを演じているのが絶頂期のナスターシャ・キンスキー。それだけでもうなにも言うことがないのだが、ヴェンダース作品としても、上位のクオリティだ。 強すぎる愛は相手を理想化し、本当の意味でのコミュニケーションは成立しない。 これは映画についての映画であり、コミュニケーションについての映画で

  • 「劇場版 呪術廻戦 0」(2021年)

    楽しいエンタメアニメ。 虎杖悠仁が主人公となっている呪術廻戦の前日譚に当たる物語。 本作は乙骨憂太という少年が主人公。ストーリーはなかなかよくできている。本編にも絡んでくるのかもしれない。ちなみに、乙骨憂太のキャラクターがエヴァンゲリオンの碇シンジに似ている。 声優がシンジを演じていた緒方恵美なので、制作側も意識しているのではないか。 呪術廻戦本編は、人間の負の感情から生まれた呪霊と、呪術師たちの戦いを描いている。呪霊は人間を襲うが、もともとは人間が生み出したものであり、そう考えると、この作品は、人間の心の醜さが人間自身を滅ぼす、というテーマが見えてくる。 さらに呪術師も主人公

  • 第14回 坂道の記憶

    さいごの風景は身近な場所にある、と蝶が言った。 ディズニーランドや東京タワーの思い出はたくさんの人が持っている。もちろんそこで起こった出来事は、特別な思い出になりうるけど、そこがアミューズメントパークや名所である以上は、どこかしら他人と似通ったものになるのは避けられない、というのが蝶の意見だった。 洋介の経験から言えば、心の底から感動した観光地の風景を選ぶ客もいれば、最愛の人と一緒に観た映画を希望する客もいた。要は本人が満足していることが重要なんだ。逆に言えば蝶が身近な風景を選ぶというのであればそれは彼女の自由だった。 三人は中野の町を歩いた。蝶が道を決めて、花はずっと蝶

  • 有隣堂 藤沢店

    藤沢駅から連絡通路をこえるとすぐにある。 やや中年高齢者を意識しているのか、健康系の本が目につく。 ただ、客層は20代くらいから70代、80代と幅広い。 10代はあまり多くないが、フロアがいくつかあるので分散しているのかもしれない。駅ビルの別の書店は10、20代の女性が多い。これは別に書く。 話を戻すと、入り口付近には単行本が平積みにされており、ここは話題の本が多い。それから雑誌コーナーがあり、その奥に各ジャンルの書籍、といったレイアウト。 この店はハマ本、藤沢本など湘南がらみの本が目につくところに置かれており、いかにも湘南地方を感じさせる。

  • 文喫

    入場料を取る書店ということで、できたころはずいぶん話題になった。 まだ続いているのはすごい。 どんな工夫をしているのか知りたいが、エントランスの無料ゾーンまでしか入ったことがない。 今回は夜明けの唄という漫画の巨大なパネルが貼ってあり、特設コーナーができていた。何人かの女性が物色していた。女性向けの作品のようだが、知らなかった。 その奥、カウンターまわりは雑誌や雑貨。 有料ゾーンは読書好きのためのめくるめく空間なのかもしれないが、無料ゾーンはスペースがかなり小さいので、より売れるものを並べている印象。強いて言えば女性誌やファッション誌が多い印象。六本木ヒルズ近くのファッションピープ

  • 思考深度

    最近、思考深度というか、問いを重ねることで人は思考や現実に対する解像度が上がっていくのではないかと考えている。 これはおそらく、ハイデガー「存在と時間」の影響だろう。あの本はまったく理解できなかったが、最初に「存在と時間」とはなにか、という問いにはじまり、それを検証する問いが生まれ、さらにそれを検証する問いが生まれ、と延々と問い続けたのだった。 もしくは、冒頭謎めいた舞台設定を提示しておきながらさほど活用することなく「虚体」についての考察のみを延々と問い続けた埴谷雄高「死霊」の影響もあるかもしれない。 上記2冊の本が結局未完に終わった、もしくは完結したのかどうかわからない、という点を

  • 「ノスタルジア」(1983年)

    タルコフスキーの作品をきちんと観たのははじめて。 ロシア人の詩人アンドレイは、自殺したロシアの音楽家サナノフスキーの取材でイタリアを旅していた。 小さな温泉街で、ドメニコという奇妙な男に出会う。 アンドレイは、ドメニコからろうそくを渡される。「ろうそくに火をともし、水の中を渡りきることができたら世界は救われる」。アンドレイはその役割を受け入れる。 タルコフスキーは「世界の救済」をテーマに創作を続けていたとwikiに書いてある。本作においてもそういう話は出てくるが、描かれていたのは、「芸術がいかに理解されないか」ということだと感じた。 冒頭、イタリア語がわからなければイタリア文学は理

  • 第13回 幸せに……なれますか?

      土曜日の午前中に金子家を訪れた。いつものように執事が出迎えた。母屋の玄関で蝶が待っていた。今日は花も一緒だった。 蝶の部屋は以前と同じく、甘い香水の匂いがした。 三人で折りたたみ式のちゃぶ台を囲んで紅茶を飲んだ。 「ねぇ」 蝶が大判のクロッキー帳を差し出した。色々なことが書き出してあった。イラストもあるし、文字で書いてあることもあった。マインドマップに見えなくもないけど、すべてが線でつながっているわけではなかった。 たとえば「海外旅行」という文字。船の絵。「出会った頃のこと」というクレヨンの文字。ふたりの女の子が手をつないで笑っている絵。色鉛筆で描かれたドレ

  • 大盛堂書店

    渋谷のセンター街入り口にあるので渋谷に行ったことのある人は一度は店の前を通ったことがあるだろう。 一階はこぢんまりとしたフロアで、入ってすぐに視界に入ってくるのは雑誌コーナー。その奥に外国語雑誌、階段近くには文芸書籍といった印象。 若者とインバウンドを意識しているのだと思う。文芸も若者向けだ。 本の内容を撮影しないでください、みたいな注意書きがあるのも渋谷っぽい。 若者文化の中心地の店は、他の店とはちょっと空気が違っていた。

  • くまざわ書店 相模大野店

    通路に面した、客が最初に見るエリアには、ラノベや、映画の原作本やコミック、話題の文芸本などが並ぶ。 その中でもラノベが結構目立つところにある。中高生がよく来るのではないか。ビジネスとか生き方のハウツーみたいなものも目立つところに置いてある。 面白いのは、哲学とか理工系。人文や社会といった他の書店だと奥のほうに配置しそうなものが通路寄りに配置されているところ。 通路側はそのような感じで、その奥が雑誌コーナーになる。棚が多く、それぞれ十分なボリュームでジャンルごとに陳列してある。 フロアが広いので、品ぞろえも潤沢だ。 ちなみにここは湘南ブランドはあまり前面に出ていなかった。

  • 有隣堂医学書センター 北里大学病院店

    病院内にあるからか、文庫本の小説が目立つ場所に並んでいる。 話題作や有名作家が多い。 入院患者がメインターゲットなのだと思う。 一緒に北里柴三郎先生に関する著作も並ぶ。 また、神奈川関連の情報誌なども目立つ。 湘南地方では、どこでも湘南ブランドをプッシュしているので、この地でもその影響があるようだ。 フロアは小さいが、健康関連の本が占める割合はも多い。奥には医学書が並ぶ。こちらは医学生向けだろうか。 病院、北里、湘南。というキーワードがはっきりしている。 土地柄がわかりやすい品ぞろえ。

  • 紀伊國屋書店 新宿本店

    入り口近くのエントランスあたりに、大量の小説が大量に並んでいる。話題作、人気作家の作品ばかりなのだが、こんなに小説を前面に出して売れるのだろうか。 そう思ってから、考え直した。この老舗書店は本当に本が好きな人が来る場所なのかもしれない。 その奥も書籍コーナーで、小説以外のさまざまなジャンルの本が並んでいる。仕事術やお金などの、今よりも上の自分になるにはどうしたらいいか、という人生のハウツー本が多い印象。週間ランキングでもその手の本が多数ランクインしているところから、このコーナーは売れ線を並べているのだろう。 さらに奥に雑誌がある。 以前はインバウンドが多かったが、自分が行ったときは

  • 丸善 日本橋店

    日本橋というエリアのイメージそのまんまの品揃え。 時代の空気に敏感なビジネスマンのための情報の発信地といった印象。 売れそうな本が大量に平積みや面陳で並ぶ。 入り口付近に並んでいるのは、仕事効率化、リスキリング、ベストセラーの文芸書、ビジネス経済の参考書的な書籍。 雑誌のエリアもあるが、入り口の正面にばーんと並べる感じではない。駅構内の書店などだと、まず雑誌が目に飛び込んでくるようなレイアウトが多いが、ここでは軽い読み物よりもじっくり読む本を売っていく姿勢のようだ。 ここにしかない珍しい書籍もあるのかもしれないが、普通の書店にある書籍を豊富に取り揃えてある。このオールマイティーさが

  • ブックファースト中野店

    中野はサブカルの街として知られている。 ただし、住民の中心は、サラリーマンのファミリー世帯や学生といったいわゆる中流階級の人々だ。 中野駅近くにあるブックファースト。 フロアが広い。 入り口はふたつある。 片方の入り口付近には小説や雑誌。もうひとつの入り口付近はお金や生き方に関する自己啓発本が多い。 全体的には、いろいろな本をバランスよく揃えている印象。ただ、子どもの本のコーナーや漫画のコーナーが充実しているところから、どちらかというとファミリー向けの要素が強い。

  • 「太陽の下の18才」(1963年)

    1963年のイタリアは「奇跡の経済」と呼ばれた高度経済成長の時期だった。 本作はそんな状況が反映された、楽しい恋愛コメディ。 舞台はイタリアだが、フランス人女優カトリーヌ・スパークが主演。 ナポリ湾に浮かぶイスキア島にバカンスにやってきた若者たち。その中に二コラという青年がいた。一方、同じく島に訪れたフランス人女性の名前はニコル。名前の似たふたりは反発しながらも惹かれていく。 他愛もないコメディだが、能天気な楽しさがいい。 古い映画だと素直に楽しめる。今の時代もこの手の映画はあるのだろうが、「くだらない」と感じてしまうのはなぜだろう。 https://www.youtube.co

  • 青山ブックセンター

    青山ブックセンター 東京の表参道に店舗を構える青山ブックセンターのWEBサイト、オンラインストアです。デザイン・広告・写真・アートなどクリエイ aoyamabc.jp 書店は場所によって特徴があるのが面白い。 その店の客層がどういう人たちなのか、その街がどういう街なのか想像するヒントになる。 みんながみんな書店に行く時代ではないので、その街全体のイメージを書店から読み取ろうとするのは無理がある。それでもエリアごとの違いを読み解いていくと見えてくるものがある。 青山ブックセンターはアート系の書籍が多い。海外のファッション雑誌とか、日

  • 善福寺公園

    メインのエリアは、大きな池がある。 そこをぐるりと囲む散歩道。 古い樹木が多い。蝉の声や水の音が心地良い。 五感を意識する。 聞こえてくる音を数える。 聴覚に集中しているときは目の前にあるものが見えていない。それではいけないと植物の葉っぱを見たり、樹木を見たりする。そうすると今度は歩いている足の裏の土の感触などを意識していないことに気がつく。 五感のすべてを同時に意識するのは難しい。 それでも練習していれば、多少は改善されるだろう。 いわゆるマインドフルネスな状態になり、世界をもっと深く知る。 公園から出てしばらくして、互換を意識していないことに気がついた。五感の訓練は講演の中だけ

  • 「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008年)

    アイデアがいい。 舞台はニューヨーク。日本に転勤が決まった青年を祝うパーティ会場を撮影していたが、突如物凄い音が響き渡る。様子を見にいくと、なにかが街を破壊している。身の危険を感じた人々はとにかく逃げることにする。 いわゆる怪獣映画だ。ただし、ブレアウィッチプロジェクトのようにホームビデオ風に撮影されているところが新しい。ただし、予算がなかったブレウィッチプロジェクトと違い、本作は製作費27億円。映像も計算されたものになっている。 登場人物がホームビデオを持って逃げ惑う人々を撮影しているスタイルなので、怪獣も人間の目線だけになる。人間の目線だけ、というのはリアルな感じがする。「シン

  • 「テルマ&ルイーズ」(1991年)

    名作映画としてよく名前のあがる作品。 女性版「イージーライダー」(1969年)といった趣で、さすがに完成度が高い。 ウェイトレスの中年女性ルイーズは、友だちの専業主婦テルマを誘って週末のドライブ旅行を予定していた。テルマはそのことを夫に伝えようとするのだが、気弱なため、はっきりと口にできない。そうこうするうちにルイーズが迎えに来てしまい、夫にはなにも伝えずに出発してしまう。 ルイーズのすすめで、旅の間くらいは羽目を外そうということになり、テルマはバーで酔っ払い、男と踊る。その気になった男に襲われそうになるが、ルイーズが止めに入る。しかし、もめごとのあげく、ルイーズは男を射殺してしまう

  • 「ワールド・ウォーZ」(2013年)

    おもしろいか、つまらないか、ということならそこそこおもしろかった。 ただ、ブラッド・ピットがかっこいいだけの映画に思える。 つまり2013年にこの映画が公開された意味づけがわからない。 謎の伝染病が原因で、人々がゾンビ化する。 国連の職員だったジェリー・レインは元上司からの依頼で調査に携わることになる。 現代のわれわれは、「コロナをゾンビ化におきかえた作品なのでは?」と連想する。たしかにこの頃もコロナウイルスは少数報告されている。だからといって、これがコロナを扱った預言的な映画として評価するのは短絡的だろう。 ブラッド・ピットの制作会社プランBエンターテインメントが映画化権を獲得し

  • 「ツイスター」(1996年)

    かなりおもしろかった。 製作総指揮にスピルバーグ。監督はヤン・デ・ボン。 子供の頃、竜巻によって父親を失ったジョー・ハーディング。 彼女は成人してストーム・チェイサーになっていた。 竜巻の情報を分析し、いちはやく人々に知らせるための研究をしている。 彼女の夫ビルもストーム・チェイサーだったが、今は気象予報官になっている。そして、ジョーと離婚することになっている。 ある日、ジョーに呼ばれたビルは離婚届を受け取るつもりで婚約者とともにストーム・チェイサーたちのもとを訪れる。 しかし、ジョーはまだサインしていなかった。ビルを呼んだのは、彼が発案した発明品が完成したからだった。ハリケーンの内

  • 「ALWAYS 三丁目の夕日'64」(2012年)

    34.4億円。第二作よりは売り上げが落ちたが、それでも第一作よりは売り上げている。 前作は1954年が舞台で、今回は10年後の1964年が舞台になる。 世の中はオリンピックで盛り上がっている。 世の中は浮かれているが、作家の茶川は人気が落ちてきて、緑沼という新人作家が人気を得ている。茶川は葛藤する。そして、彼の父親が危篤になる。勘当同然で家を飛び出してきた茶川は、いやいやながら父親に会いにいく。そして、意外な事実を知ることになる。 他に、「鈴木オート」で住み込みで働いている六子が恋に落ちる物語が展開する。 いつもながら、善人ばかりが登場して、ずぶずぶのメロドラマを展開する。陳腐な

  • 「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(2007年)

    前作の1958年に続いて、1959年が舞台。 前作は興行収入が32.3億円、本作は45.6億円。 前作はかなりの賭けだったと思うがヒットした。 前作のヒットがあるので今回はゼロから構築するリスクは少なかったかと思う。もちろん莫大な予算を使って制作するのだから簡単なビジネスではないのだが。 今回は小説家の茶川と彼が育てている淳之介のストーリーと、鈴木オートで親戚の美加を預かることになるストーリーがメインになる。 今回はその中でも、茶川が芥川賞をとるために奮闘するストーリーが中心になっている。前作はいろいろな人物を引き立てようとした結果として、これといったストーリーのない群像劇になって

  • 「オデッセイ」(2015年)

    2012年8月6日にNASAの火星探査車「キュリオシティ」が火星に着陸した。 個人的な印象だが、あのころから人々は火星に興味を持ちはじめた印象がある。有人・無人はともかくとして人類がアクセスできる場所としての興味だ。 もちろん、まだ人間が火星にいったことはない。それでもNASAや民間宇宙企業が開発競争を加速しているのを見ていると、近いうちにいけるのではないかという気がしてくる。 そのような状況で本作である。 火星に取り残された植物学者マーク・ワトニーがなんとか生き延びようと、ひとりきりでさまざまな工夫をこらす。そして、彼が生きていることに気づいたNASAは、ワトニーを地球に連れ戻

  • 第12回 はじまりの風景

    本屋で立ち読みをして時間を潰し、夜の七時過ぎにマンションにたどり着いた。 キッチンで真理子が料理をしていた。 洋介は部屋着に着替えてリビングで相対性理論の続きを読んだ。 手から本が滑り落ちる感覚で目が覚めた。いつの間にか眠っていた。本を拾い上げて、照れ隠しのだらしない笑みを真理子に向けた。真理子はダイニングテーブルに料理を並べるのに集中していて、洋介のほうを見ていなかった。 ダイニングにいった。食卓には、サラダと刺身、味噌汁と冷凍食品のチャーハンが並んでいた。 洋介はきょとんとしてしまった。 そう。食事はひとり分しか用意していなかった。 真理子はひとりで食べはじめた

  • 「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)

    もともとは、昭和三十年代を舞台にした映画を作りたいというプロデューサーの願望があったようだ。東京タワーが少しずつ完成していく過程の感動を伝えたいという想いがあったと、Wikipediaに書いてある。 結果として、その時代に一番興味を持つであろう団塊の世代向けをターゲットにした作品となった。 舞台になっているのは1958年。 団塊の世代(1947年~1949年生まれ)が10歳くらいの頃の時代設定ということになる。 現実の団塊の世代は2005年時点では60歳手前。 働いている人は、定年を目前に控えており、余生のことを考える、もしくはもう余生がはじまっているという意識かもしれない。 そんな

  • 「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(1984年)

    うる星やつらは原作も読んでいないしテレビシリーズも観ていない。 本作は特殊な位置づけとして語られている印象だが、比較ができない。 それぞれのキャラクターを知らなくても楽しめた。 「学園祭前日が繰り返される」という話なのだが、いわゆるタイムループのように同じ出来事が繰り返されるわけではない。 「自分の好きな人たちと楽しくずっと過ごしたい」という願望が実現した世界が描かれる。 本作が製作されたであろう1983年はどういう時代だったか。 東京ディズニーランドが開園。 ファミコンの発売。 「おしん」が大人気。 なんとなく、景気のいい感じがする。 日本の安定経済成長期と呼ばれる時期だ。いわゆ

  • 「シンドラーのリスト」(1993年)

    はじめて観たが、よくできている。 第二次世界大戦のナチスドイツが舞台。 ビジネスマンのオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、戦時下であることを利用してナチスに取り入って、ビジネスを成功させた。安価な労働力であるユダヤ人を雇い入れ、莫大な利益を生んだ。 戦時下において状況が変わり、SSのアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)が収容所に赴任してくる。彼は気分で囚人をどんどん殺すので、シンドラーは自分の工場で働いているユダヤ人が殺されては困るとゲートに相談を持ち掛ける。 さらに戦況が変わり、ユダヤ人が次々にアウシュビッツに送られるようになる。シンドラーはゲートと交渉し、ユダヤ人

  • 第11回 マリア

    洋介は、まっすぐにマンションに帰らなかった。 あてもなく歩いていた。 やがて、中野駅についた。高架下を抜けて新中野方面に向かった。途中で足を止めてしばらく思案した。こういう時、自分ではなにも考えずに歩いているつもりでも、実際には行き先は漠然と決まっている。 住宅街に入っていった。いくつもの路地を右へ左へと進んでいくと、やがて築三十年ほどの木造アパートに辿り着いた。鉄製の階段は錆びていて、上り下りするたびに、がこんがこんと硬い音が響く。外廊下の一番端の部屋の前で足を止めた。薄っぺらい扉の脇にアロエの鉢が置いてあった。巨大化していて、傾いている。 インターフォンを鳴らした。返

  • 「aftersun/アフターサン」(2022年)

    31歳の誕生日を迎えようとしている若い父親カラムと、11歳の娘ソフィがトルコのホテルでバカンスを過ごす。 ストーリーはそれだけだ。 ただし、この中に父親と娘のそれぞれの愛情の違いや、その溝を埋めようとするあがきや苦しみといったものが凝縮されている。 予告編の「あなたを知るには幼すぎた」というコピーがすべてを表現している。 本作は構造が凝っている。 1.【現在】31歳になったソフィが、20年前のことを思い出している。 2.【過去】カラムとソフィがバカンスを過ごす時間 3.【映像】バカンス中に撮影した映像 4.【心象風景】31歳のソフィが、31歳の父カラムと同じ空間にいる 上記の4種の映

  • 「グランツーリスモ」(2023年)

    ゲームの「グランツーリスモ」はプレイしたことがない。 おそらくゲームのファン層が好きなものが全部詰まっているのだと思う。 そして、一般的な映画ファンが好きなものも全部詰まっている。 本作のレースシーンは実際に車を走らせて撮影したとのことで、非常に完成度が高い。映画館で観たら大興奮だろう。 主人公のヤンは「グランツーリスモ」オタクの青年。引きこもりではないのだが、フリーターのようなことをしながら「グランツーリスモ」ばかりやっている。父親は彼を社会復帰させたくていろいろと口出しをするのだが、ヤンの夢はカーレーサーになることだ。それを口にすると、現実を見ろと言われてしまう。 一方、英国日

  • 「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」(2021年)

    前作が素晴らしすぎたので、平凡な作品に思えるが、他の映画に比べたらよくできていると思う。 今回は、モンスターの弱点を発見した人間が、その方法を人々に伝えようとする物語。 前作の世界観と大きく変わるところはない。 今回は子どもたちの成長物語になっている。 本作ではラジオから流れる音楽を聴いて、それをヒントに発信源をつきとめるというアイデアがキーポイントになっている。 ここからわかるのは、コミュニケーションの手段というものはたくさんある。それを理解するには受け手の能力も必要だ、ということだ。 さらに言えば、発信源をつきとめたのは聾唖者だった。ラジオの音が聞こえない聾唖者がなぜ発信源を突

  • 「クワイエット・プレイス」(2018年)

    非常によくできたホラー映画。 音を立てるとモンスターに襲われる世界。 その中でサバイバルしているアボット一家の物語。 冒頭、幼いボーがモンスターに襲われて死ぬ。 音の出るおもちゃを手にしていたのだ。 その事件は家族のそれぞれに傷をつける。 痛みの中で彼らは家族とはなにか、自分の役割とはなにかということを考えていく。 この映画の特徴は二つある。 シナリオの執筆開始が2016年であり、wikiによると政治的な風刺を含んでいる、とのこと。トランプ政権のことを言っているのだと思う。 そこから、目が見えず、聴覚が発達しているモンスターが誕生したのではないか。現実を直視せずになんでも攻撃するモ

  • 「石川九楊大全」展

    書家・石川九楊の展覧会。 「後期【状況篇】 言葉は雨のように降りそそいだ」にいった。 「エロイエロイラマサバクタニ又は死篇」(1972年) 「風景交響」等(1980年代) 戦争やテロに関する作品(2000年代) 「河東碧梧桐109句選」(2022年) といったように、年代ごとに展示されている。 自分は書に関してはズブの素人なので、ここに書く感想は書における常識なのかもしれないし、石川九楊という書家だけに当てはまることなのかもしれない。 全体を通して感じたのは、文字がデザインの中に溶けていくし、逆にデザインの中から文字が浮かび上がりもする。それが書というものなのではないか、といった

  • 「フォードVSフェラーリ」(2019年)

    1966年のル・マン24時間レースがメイン。 フォードVSフェラーリというタイトルであり、実際にフェラーリとの対決は描かれるが、むしろメインはフォード側の内幕になっている。 大企業のフォードは衰退の危機感から、さらなる発展を目指していた。そこで、ル・マン24時間レースを連覇していたフェラーリを買収しようとする。しかし、交渉は決裂、フェラーリの社長から侮辱的な言葉を投げかけられて、フォードの社長は自社でル・マン24時間レースの優勝を目指す。 雇われたのが、ル・マンで唯一優勝経験のあるアメリカ人ドライバー、キャロル・シェルビーと、イギリス人レーサーのケン・マイケルズだった。シェルビーはレ

  • 第10回 決心

    アポなしで金子家を訪れた洋介は、執事に、蝶に会いたいと伝えた。 執事は洋介を残して母屋に戻っていった。五分ほど経って、もう一度インターフォンを鳴らそうとした時に、ようやく勝手口の扉が開いた。顔を出したのは制服姿の蝶だった。 蝶は目が充血していて、口紅が少し落ちていた。洋介は突然の来訪を詫びた。蝶は顔にかかった髪を払った。 「勉強していたのよ」 そう言って、蝶は踵を返した。入れとは言われなかったけど、洋介はついていった。小道の途中で蝶が足を止めて振り向いた。 「私の部屋で話しましょう」 金子家の母屋に上がるのは、はじめてだった。木の匂いがした。洋介が玄関の扉を閉めると

  • 「シャイン 」(1996年)

    これはよかった。 主演のジェフリー・ラッシュが第69回アカデミー賞で主演男優賞を受賞したので日本でも話題になった。 オーストラリアの実在のピアニストであるデイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いている。 ピアノに関して神童的な実力を持つデイヴィッドは、注目を集めて、より高い教育を受けるように勧められる。しかし、家族のもとを離れることになると、そのつど父親が拒否してしまう。 家族を捨ててイギリスの王立音楽院にわたったデイヴィッドはコンクールで優勝するが、その場で昏倒。精神病院で生活することになる。しかし、ピアノの演奏技術は人々の注目を集めて、彼は人生を切り開いていく。といったもの。

  • 「FALL/フォール」(2022年)

    地上600メートルの高度に取り残されるサバイバル映画。 映像そのものは美しいのだが、なにをどうやったらこんなにリアルになるのかというほど怖い。手の平と足の裏に脂汗をかきながら観た。 画面のひとつひとつに緊張感がみなぎっている。 「人生はあまりにも短い。だから一瞬一瞬を大切に、人生をかみしめて生きるべきだ」というメッセージそのままに、画面から目が離せない。 主人公のベッキーはロッククライミングを楽しんでいるときに、夫のダンを落下事故で失う。これは夫がfallするというだけでなく、ベッキーの人生がまたfallする瞬間であり、タイトルとの紐づけがうまい。 ベッキーは失意の中で酒におぼれ

  • 第9回 虚ろな真理子

      果穂から預かった風景はさいごの風景ではないから、喜びなんか見出せない。 生きていれば、色々とある。それでも人はさいごの風景を持っている。少なくとも今までのクライアントはそういう人たちだった。でも、果穂のように、トラウマ体験だけを強烈に記憶していて、それ以外にはこれといって印的な風景を持っていない人も多いのかもしれない。 マンションのエレベーターの中で洋介はため息をついた。背中を丸めて外廊下を歩いた。目の前に壁があるのを感じて顔を上げた。自分の部屋を通り過ぎて、通路の端まで歩いてきてしまっていた。 部屋に戻ると、リビングのソファに真理子がいた。スマートフォンをい

  • 紫式部 「謹訳『源氏物語3』」(1008年頃)

    源氏の君の26歳から31歳までを扱う。 この巻では源氏が都落ちして数年間須磨に住むところから、ふたたび都に戻ってきて、以前以上の地位につくところまでを描く。 島流し的なシチュエーションでも源氏はモテて、明石の入道の娘、明石の君に出会う。 なぜ源氏はかくもモテるのか。容姿端麗で頭脳明晰、音楽や絵画の腕前も玄人はだし、ホスピタリティもぬかりなし、ということで今のところ触れられていないのは武術くらい。腕っぷしの強さは、貴族のたしなみとしては必要とされていなかったのかもしれない。 このような条件がそろっているので源氏がモテるのは当然として、なぜ紫式部は源氏をこのようなキャラクターとして設定

  • コンラッド「闇の奥」(1899年)

    映画「地獄の黙示録」の原作として有名な作品。あの映画が好きな人はこの本も好きになると思う。 本書は「私」が「マーロウ」から話を聞くというスタイルをとっている。 マーロウはコンゴの川を船で移動してクルツという人物に会いにいったときのことを語る。 wikiを見ると、コンラッド自身「1890年にベルギーの象牙採取会社の船の船長となって、コンゴ川就航船に乗り[5]、さらに陸路でレオポルドヴィル(キンシャサ)まで行き、船を乗り換えてキサンガニに到達、その後病に倒れ、1891年にブリュッセル経由でロンドンに戻った。」とある。 「私」が「マーロウ」に話を聞いているが、実際には「マーロウ」がコンラッ

  • 「マッドマックス/サンダードーム」(1985年)

    今までのマッドマックスと違って、かなりコミカルだ。 インディジョーンズと同じような演出もある。 かなりハリウッドを意識していると思われる。 そう考えると、「怒りのデスロード」(2025年)でマックス役をトム・ハーディに交代したのは、メル・ギブソンの年齢的な要因もあるだろうが、よりハリウッド的なスター性のあるヒーロー像を求めたのかもしれない。 製作費は15億円。興行収入は57億円。 前作の製作費が4億円で、興行収入は37億円だったことを考えると、かなり予算がアップしている。 本作も前二作に続いて荒廃した世界で物語が展開する。 ただし、石油の奪い合いは話題にならない。 注目すべきなのは

  • 「ザ・ビーチ」(2000年)

    今もそうなのかもしれないが、20年ほど前は若者がバックパックで海外に出かけるのが珍しくもなかった。外国のユースホステルなどにいくと同年代のバックパッカーがたくさんいた。 自分はバックパッカーというほど旅慣れてはいなかったが、海外でユースホステルには泊った。日本にいるよりも頭の中が整理できる気がした。知らない場所にいって、新しい体験をすることに価値を見出していた。 この映画の主人公であるリチャードも、同じことを語る。 彼はタイを訪れたのだが、結局のところ同じことの繰り返しだった。バックパック旅行とはいっても、日常の延長線上でしかなかった。しかし、安宿で出会ったダフィという男から「伝説の

  • 「マッドマックス:フュリオサ」(2024年)

    映画としてのインパクトは「怒りのデスロード」ほどではないが、作る価値はあった作品だと思う。 前作で登場したフュリオサがなぜイモータン・ジョーの「砦」で大隊長という地位にいながら脱走を試みたのか、という背景が描かれる。 本作でフュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイは、作中はだいたい目の周りを黒くしたりしていて顔がよくわからないのだが、普通の顔のシーンもある。その時は非常に美しく撮れていた。ジョージ・ミラー監督のうまさだと思う。 ストーリーは、 「緑の土地」で暮らしていた幼いフュリオサは、ディメンタス将軍の率いるバイカー集団にさらわれる。彼女はなんとかして故郷へ戻ろうとするが、その

  • カルロ・コッローディ「ピノッキオの冒険」(1883年)

    ディズニーのピノキオを観たことがないので比較ができないのだが、こちらはかなり良い児童文学だった。 木の枝から作られたピノキオがありとあらゆる失敗を重ねながらも、彼を作ったジェッペットじいさんや、仙女たちに支えられて成長していく、という物語。 物語のトーンとしてはダークファンタジー的な雰囲気。 基本的にピノッキオを騙しにくるのは、子どもたちや動物たちで、結果的におとなのもとに売り払われたりする。おとなたちはピノッキオを酷使するが、彼らは自分の仕事の一環としてやっている。子どもを死ぬほど働かせるというのは今の世の中ではもちろん違法だが、当時はどうだったのだろうか。あたりまえだったのか、あ

  • 「マッドマックス2」(1982年)

    非常に面白い。 冒頭で2つの大国の戦争が原因で世界が荒廃したというナレーションがある。 これは、1970年代末から80年代初頭の第二次オイルショックと、1980年9月22日からはじまったイラン・イラク戦争を意味しているのだろう。 そこから、石油が貴重になり、暴走族が暴れるという、多くの人が「マッドマックス」と聞いてイメージする世界はここからはじまった。 製作費は当時の相場で6億4千万円。興行収入は56億円。 ちなみに前作は制作費は約3千万円。興行収入は210億円 前作がヒットして予算がアップしたものの、それほどヒットしなかった模様。 ストーリーとしては、 荒野にある石油精製所がヒュ

  • 「マッドマックス」(1979年)

    「マッドマックス 怒りのデス・ロード」で見事に復活したシリーズ。 あらためて第一作を観返すと、思っていた以上に面白い。 家族を奪われた警察官の復讐劇。 主人公のマックスはおもに暴走族の取り締まりをしている。 ある日、職務の途中で追跡していた暴走族が事故死する。 ナイトライダーという男だったが、彼はトッカータという男が率いるグループの一味だった。 トッカータはこの事故が原因で警察に恨みを抱く。 ある日、彼の手下がマックスと、同僚のグースに逮捕される。結局無罪で釈放されることになるのだが、不満を抱いたグースと小競り合いを起こす。 そして、グースは殺される。 ショックを受けたマックスは隊長

  • 「羊たちの沈黙」(1991年)

    1991年のアメリカ映画のトップ3は、 1.ターミネーター2 2.ロビン・フッド 3.美女と野獣 といった、ヒーローとロマンス。映画に夢や希望が詰まっていた時代と言ってもいい。「羊たちの沈黙 」は、ベスト3には入らなかったが、上位につけていた。ただし、ターミネーターやロビン・フッドのような「強いアメリカ」のイメージではないし、ジョディ・フォスターは美女だから、ロマンスの要素はあるにしても、レクター博士は、本物の野獣といってもいいほどに凶暴だ。 レビューで「傑作」と称されることの多い本作。 初見は高校時代、大好きなジョディ・フォスターが出ていたので観た。 当時も面白いとは思ったが、ここ

  • 「鈍考」

    ブックディレクターの幅允孝氏が主催する私設図書室。 予約制で、定員6名の90分。 最寄り駅は京都の叡山鉄道の無人駅だと聞いていたので、どんな田舎なのかと思っていた。 叡山鉄道は1両編成の鈍行ではあるが、車窓から見える風景は郊外の住宅街だった。江ノ電に近いイメージなのかもしれない。 駅からは徒歩10分ほど。山が近いし田畑もあるのだが、高級住宅地(高級別荘地?)のようで、豪邸が立ち並んでいた。 鉄道が江ノ電に似ていることも踏まえると、葉山みたいなエリアなのか。 なぜ道行のことをくどくど書くかというと、「鈍考」という図書室のコンセプトが「脱デジタル」「自分の時間を取り戻す」といったところにあ

  • 村上隆 もののけ 京都

    「村上隆の五百羅漢図展」(2015年)よりはこぢんまりとした印象。 よく知られている日本画のテーマやモチーフをスーパーフラットに解釈した作品群と、村上隆によく登場するキャラクターの現在形が展示されていた。そういう意味では、新作ではあるものの、どこかで観たことのある作品、ということになる。 これが現在の村上隆なのかもしれない。 つまり、ウォーホルは大衆文化のアイコンを大量に複製することでアートにしたが、村上隆は自身の作品やキャラクターを大量生産することで大衆文化に浸透させているのではないか。 ルイ・ヴィトンのお花の親子であるとか、最近ではNewJeansとのコラボレーションがあり、

  • 紫式部「謹訳『源氏物語2』」(1008年頃)

    2巻では源氏の君の18歳から25歳までを扱う。 この巻では、有名な車争いや、その後葵上が六条御息所に呪い殺されるエピソードなどがある。また、幼女だった紫上が成長し、源氏の妻となる。 また、桐壺院が亡くなり、朝廷の勢力図が変わる。右大臣家が権力を持つようになり、左大臣家側である源氏も抑圧される日々を送る。 源氏の女遊びばかりだった印象の1巻に比べて、きちんと物語が展開しはじめている。 まだまだ先は長いのでこれから変わるかもしれないが、ここまで読み進めてきたところでは、「源氏物語」とは広い意味でのコミュニケーションについての物語なのだという理解に至った。 特徴的なのは、作中人物が互いに

  • 「犬ヶ島」(2018年)

    ウェス・アンダーソンのストップモーションアニメ。 映像としてはよくできているが、なにを伝えたくて作ったのか、明確に読み取れない。 おおまかなストーリーは下記となる。 日本のウニ県メガ崎市で犬の伝染病「ドッグ病」と「スナウト病」が蔓延しはじめて、メガ崎市の小林市長はすべての犬を「犬ヶ島」に隔離する法案を通す。かくして、すべての犬が送られたのだった。 6か月後、犬ヶ島にひとりの少年が訪れた。彼は小林アタリ。小林市長の遠縁の親戚で、スポットという自分のボディガード役だった犬を探しに来たのだ。 メガ崎という地名は長崎のことだろう。 飛行機が墜落するシーンで、キノコ雲があがるのは、原爆を意識

  • テクノロジー

    テクノロジー

  • ベルトルト・ブレヒト「三文オペラ」(1928年)

    ネットで「ブレヒト」を検索すると「ブレヒト 異化効果」という検索候補が出てくる。「異化効果」は知っているが、「ブレヒトと言えば異化効果」というほどのものだとは知らなかった。 そして、「三文オペラ」にも異化効果が仕込まれているという。 自分は全然わからなかった。このあたりは、知性と教養を身に着けることと、思考力を深めていく過程で、世界に対する解像度をあげていく必要がある。そういうことをやっていると、いろいろと見えてくるものもあるのだろう。 ここでは、自分がわかったことだけを書く。 本作は、ブレヒトのオリジナルではなく、ジョン・ゲイ「乞食オペラ」を元ネタにしているとのこと。1928年

  • 第8回 沢渡果穂のさいごの風景

    洋介は断るつもりだった。 マリアの時と同じ結果になるという予感があった。でも、武はそうは考えていなくて、今回はうまくいくと断言した。 というわけで、洋介は武の家にいた。ダイニングルームでテーブルについていた。向かい側に果穂がいる。武はお誕生日席に座っていた。降霊術でもはじめるのかっていう配置だ。自分の家なのに、武は白いスーツを着ていた。 果穂は地味な女だった。それだけじゃなくて、会話をしていても、ずっとテーブルの上を見つめていて、武が話しかけた時だけそちらを見た。 「そんなに堅苦しく考えなくていいんだ」 自分がリラックスしているのを示したいのか、武は口元に笑みを浮かべ

  • 「ゴジラ-1.0」(2023年)

    これはとてもよかった。 山崎貴監督作品はわかりやすさが最優先されており、誰がどこでなにをしているのか、というのが非常に明確だし、ストーリーがどのように進んでいくのかも明確だ。そして、観客が観たいものをそのまま出してくる。 このセンスはどこから来るのだろうか。 本作は、1945年から物語がはじまる。 特攻兵の敷島が零戦が故障したといつわって、小笠原諸島にある大戸島という守備隊基地に不時着する。 そして、その島にゴジラが現れる。敷島は零戦の機銃でゴジラを撃つように頼まれるが、怯えて撃てない。彼の目の前で整備兵たちが次々と殺されていく。 生き残った敷島は本土に戻る。彼は特攻から逃げ、ゴジラ

  • 「デ・キリコ」展@東京都美術館

    デ・キリコの「形而上絵画」というキーワードを聞くと、半ば条件反射的に埴谷雄高の「形而上文学」を連想する。埴谷雄高は「死霊」において「虚体」というキーワードを提示し、実体のない、存在だけの人間について書いた。 デ・キリコもまた絵画において実体のない本質的ななにかを探し求めたのだろう。 画面の色の話をすると、デ・キリコは郷愁を描いた。それは空の色合いによくあらわれていた。テレンス・マリックの映画でよく使われている「マジック・アワー」のような美しい色彩だ。 モチーフも特徴的だ。 デ・キリコはイタリア人かと思っていたのだが、もともとはギリシアの生まれだそうだ。だからギリシア神殿やギリシア神

  • 「アステロイド・シティ」(2023年)

    これはよかった。 本作は製作費35 億円、興行収入76 億円。ウェス・アンダーソン作品としては「グランド・ブダペスト・ホテル」(2014年)の276億円に次ぐ2番目の興行収入だそうだ。「グランド・ブダペスト・ホテル」は10年前の作品なので、その間に売り上げが積み上げられている可能性もある。そして、「グランド・ブダペスト・ホテル」は、展開が早く、なにも考えずに観ていても楽しかった。本作はなにも考えずに観ているとよくわからないと思う。そういう要素も興行収入の差につながっているのだろう。 ウェス・アンダーソンらしい画面作りはいつも通りだが、ストーリーは比較的淡々と進む。いろいろな出来事はある

  • 第7回 老婦人のさいごの風景

    翌日、洋介が金子家を訪れると、いつものように執事が出迎えた。昨日も顔をあわせたというのに、執事は不思議そうに洋介をじろじろと眺めた。たぶん、スーツを着ているのが珍しかったんだろう。仕事を依頼されて挨拶にきた時ですらポロシャツにチノパンという軽装だったんだから。 それはともかく、執事は洋介を温室へと案内した。 老婦人は地植えにしてある棕櫚に触れていた。 「昔流行った時期があったから、今でも時々軒先なんかで見かけることがあるでしょう」 老婦人は自分で車椅子を動かして、いつものティーテーブルについた。洋介も椅子を勧められた。 「温室に棕櫚があると熱帯植物園のような雰囲気になり

  • 「生きる LIVING」(2022年)

    黒澤明の「生きる」のリメイク。 1953年のイギリスを舞台にしている。 カズオ・イシグロがシナリオを担当したことも話題になった。 手堅くまとめた印象。 ロンドンの役所で働くロドニー・ウィリアムズが、末期がんを宣告される。彼は生きる意味を求めて街をさまよう。そして、偶然、元部下のマーガレットに出会う。彼女は役所をやめて転職することになっていた。 ロドニーは、彼女の明るさに生きる意味を見出す。彼女に、仕事に戻るように促され、ロドニーは役所に戻り、今まで放置していた仕事に取り組む。それはたらいまわしにされていた公園事業だった。 本作では、いわゆるお役所仕事から抜け出す事は容易ではないとい

  • 虚構

    虚構

  • 紫式部 『謹訳「源氏物語1」』(1008年頃)

    リンボウ先生の「謹訳」はとても自然な感じが読みやすくていい。紫式部の原文がどういうものなのか、というのはわからないのだが、まずは全文を通読したい、という人にはいいと思う。 最初のほうは物語の展開がゆるやかで、これが平安時代の時間間隔なのだろうかと思っていたが、夕顔という女性が何者かに呪い殺されるあたりから展開が面白くなる。 1巻は、源氏の誕生(桐壺)から18歳(若紫)まで。 絶世の美男子として描かれる源氏は、女と見れば手を出さずにいられない、現代であればセックス依存症のようなキャラクターなのだが、周りの人間も似たり寄ったりのようで、同じ日本でも、1,000年前だと感覚がだいぶ違うよ

  • バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

    冒頭、風景描写や人物に関する説明が延々と続く。 この調子で最後までいくのではないかと不安になりはじめたころに物語がはじまる。そこからはどんどんストーリーが転がり、最後まで楽しめた。 1815年以降のパリ。 場末の下宿屋ヴォケール館に住む人々の中に、落ちぶれた製麺業者のゴリオ爺さんがいた。実は彼には二人の娘がいる。彼女たちが社交界で生き抜いていくために、ゴリオ爺さんは私財を投げうって支えているのだ。 同じくヴォルケール館には、ラスティニャックという法学生や、ヴォートランという謎の男が住んでいる。 ラスティニャックは上流階級にあこがれ、親戚のツテを頼って社交界に潜り込もうとする。 成功

  • 「オッペンハイマー」(2023年)

    映画としては悪くないが、「ノーランの最高傑作!」かというとそうでもない。ただし、「メメント」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」といった作品にあった要素をうまく使っており、ノーランらしさという点では満足度が高い。 「原爆の父」オッペンハイマー博士の一人称の物語であるという触れ込みで、彼の目に映ったものだけを描写するという予備知識を得ていたのだが、それに関しては斬新な演出があったわけではないし、他者の視点もあった。 ただ、オッペンハイマーの視点と他者の視点は明確に分けられている。そういう意味では新しい演出ではあった。 他者の視点もあるのなら原爆投下シーンもあってよいではないか

  • 「STAND BY ME ドラえもん」(2014年)

    3Dのドラえもんで、どんなものかと思って見てみたが素晴らしかった。 いつものように他の場所に冒険するのではなくて、日常生活のままである。 なにがよかったかというと、原点回帰しているところだ。 ドラえもんが何のために来たのかという原点に戻り、彼にとってなにが幸せなのかという問いを検証する内容になっている。 ドラえもんはのび太を幸せにするという任務を追っており、プロットとしてはしずかちゃんと結婚するのが最終ゴールとして設定される。 しかし、それはあくまでも表面的なゴールであり、頼りないのび太がいかに自立していくか、というのがドラえもんの根底に流れるテーマだ。 本作は山崎貴監督作品だ。「

  • 「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

    シリーズはまだまだ続くが、「砂の惑星」としては最終巻。 デヴィッド・リンチ版、ヴィルヌーヴ版の映画で散々観ているので、プロットに関してはすでに知っている。 この巻でハルコンネン男爵の甥であるフェイド=ラウサが登場する。 一方ポールは、フレメンの宗教的指導者となっていく。その過程で以前の部下であったガーニーと再会する。 力をつけたポールは、皇帝との最終決戦へと突き進む。 有名な作品なのですでに知っている部分が多い。 ただ、絶大な人気を誇る古典なので、読んでおいてよかった。 1960年代はレイチェル・カーソンなどの影響で環境問題が盛り上がっていた時期であり、本書もその影響を受けている

  • 「ひまわり」(1970年)

    有名作品ではあるが、実際には観たことがない人は多いと思う。ただ、中高年の人はヘンリー・マンシーニのテーマ曲は聴いたことがあるだろう。 ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが第二次世界大戦で引き裂かれる夫婦を演じるメロドラマ。とてもよくできている。 ロケーションの美しさもさることながら、戦争と人間のかかわりを深く掘り下げている。 第二次世界大戦中、ナポリ娘のジョバンナとアフリカ戦線行きを控えたアントニオは恋に落ちて結婚する。アントニオは精神病を装って除隊を目論むが、見破られて逆にソ連戦線に送られる。 戦争は終わったが、アントニオは帰国せず、行方不明のままだった。 ジョバンナ

  • 「トップガン マーヴェリック」(2022年)

    大ヒットしたのもよくわかる。 すばらしくよく出来ている。 トム・クルーズ演じるピート・“マーヴェリック”・ミッチェル海軍大佐は、本来なら将官になっていてもおかしくない実力があるが、現在はテストパイロットをやっている。 そんな彼が、海軍のパイロット養成学校【トップガン】に呼び戻される。 「ならずもの国家」がウラン濃縮プラントを稼働させようとしているので、それを爆破するというプロジェクトがある。トップガンのパイロットたちがその任務を達成するように、マーヴェリックが教育するのだ。養成学校の生徒にそういうことをやらせるのだろうか、という疑問があるが、それはともかく、基本的には生徒たちを教えて

  • 第6回 金子家に招かれて

    数日後の夕方に金子家を訪れた。 いつものように執事が出迎えた。 母屋に案内されると、玄関扉の前で蝶が待っていた。白いブラウスにタータンチェック柄の短いスカート姿だった。学校から帰ってきたばかりだという。「お待ちしていました」と丁寧に挨拶をした。洋介もやや緊張してお辞儀をした。蝶は洋介の腕に軽く触れた。 「少し庭を散歩しましょう」 執事はついてこなかった。蝶は時折足を止めて植物の説明をした。たとえば洋介の腰の高さほどもあるアガベ。兵庫県の専門業者のところまで買いにいったという。平べったくて肉厚な乳白色の葉は、粉を吹いたようになっていて、触れるとざらざらしていた。葉の縁に並

  • 「デューン 砂の惑星 PART2」(2024年)

    正直に言うと、この映画の素晴らしい要素(映像美、壮大な空間、ハンス・ジマーの音楽、重量感のある機械など)は、前作ですでに登場しており、2作目になると前回ほどの感動はなかった。同じ映画の続編だし、舞台も同じ惑星だからそれはいたしかたない。 映画の冒頭、「ワーナー」や「レジェンダリー」といったロゴが映し出される直前に1ショットが挟まれる。シンプルだがかっこよかった。もしかしたら今回一番センスを感じたショットかもしれない。 本編は、前作でも感じたがプロットを消化することに重点がおかれており、かなりの駆け足で物語が進む。原作には登場していた人物やストーリーも削除されていた。 原作では砂漠の

  • 第5回 雷の記憶

    当然だけど、洋介の仕事は海外のみというわけじゃない。むしろ国内、もっといえば都内がもっとも多い。今日もそういう仕事だった。 マンションの屋上に立っていた。すっきりと晴れていて、強い風が吹いている。そこから見える新宿方面の風景が必要なんだ。 ちなみにこのマンションは昔、依頼人が住んでいた。当時はまだ東京都庁は建っていなかった。東京は今よりもずっと背が低かった。 目の前の風景と依頼人の記憶にあった風景を重ねてみる。 厚い雲が空を覆っていた。ほとんど全体的に黒に近い灰色なんだけど、場所によってはオレンジ色に見える箇所もあった。時折、雷が光って、少し間をおいて、ごごごごと雷鳴

  • ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

    ようやく全8巻を読み終えた。 ハイデガーの構想としては第2部まで続く予定だったらしい。 いずれにせよ、ここで一区切りということにはなる。 本書では引き続き時間のことを中心に考察が続く。 訳者の中山元による詳細な解説を頼りに読み進めてきたが、それでも理解できたとは言い難い。ただ、それでも自分の頭であれこれ考える時間を持つというのは大切なことだ。 自分が理解できた(もしくはこうだと思った)範囲で書くと、ハイデガーは時間というものを、時計の針が刻む時間と、本来の時間を区別している。 時計の針が刻む時間は世界中の人々が仕事に行くとか、人に会うとか、そういった日々の生活に支障が出ないように便

  • 「ウエスト・サイド・ストーリー」(2021年)

    「アイデアとは既存の要素の組み合わせである」というのはよく言われることだ。 本作はシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」にアメリカの人種問題を絡めたところに巧さがある。 さらにこのスピルバーグ版が公開された2021年当時のアメリカは人種問題が大きく取り上げられていた時期でもあった。 そういう点でも、スピルバーグのセンスは洗練されている。 物語としては、アメリカのニューヨークのウエスト・サイドで、ポーランド系アメリカ人のジェッツとプエルトリコ系アメリカ人のシャークスが抗争を繰り広げている。ジェッツのメンバーで刑務所から戻ってきておとなしくしているトニーは、現リーダーのリフから、グルー

  • 第4回 久々の日本食とか。

    マンションの部屋に戻って、リビングにいくと、真理子がソファに座ってスマートフォンをいじくっていた。 「ただいま」 洋介は向かいのソファに座った。真理子は一瞬顔を上げたが、すぐにスマートフォンに戻った。洋介はスーツケースからアイルランド土産のお菓子を取り出した。真理子はぎょろぎょろした目でそいつらを眺め回して、「ありがとう」と言った。そしてまたスマートフォンに戻った。 洋介は風呂の給湯リモコンのボタンを押してから、仕事部屋にスーツケースを運んだ。 室内は熱気がこもっていた。エアコンをつけてから、荷物の整理をはじめる。洗濯物を脱衣所に運んで洗濯機に突っ込んだり、本やデジカメな

  • UFO

    UFO

  • 「ナイトメア・アリー」(2021年)

    なかなかよかった。 ギレルモ・デル・トロ監督作品だが超常現象やクリーチャーが登場しない。 ジャンルとしてはネオ・ノワール映画になるそうだ。 1945年~1960年ごろに流行したフィルム・ノワールの復興を目指したものだという。 物語としては、 流れ者のスタン・カーライルが、場末の見世物小屋に転がり込む。 獣人と呼ばれる人間のなれの果てのような人物が鶏を食べるのを見せたりするような場所だ。そんな場所だが、スタンは仕事を得て、ピートという男からコールド・リーディングを習ったりしていた。そのとき、コールドリーディングを使い続けると、正常な判断力を失い、自分が失敗していることもわからなくなる

  • 第3回 マンションまでの道のり

    果穂のことなんだが、と車中で武が切り出した。 「お前がやっている、記憶の書き換えをやってもらえばよくなると思うんだ」 「さいごの風景を補正する作業は、記憶の書き換えとは違うんだ」 洋介はちょっとむかついた調子で言って、窓を閉めた。車内はヤニ臭いままだけど、いくら換気をしても染みついた臭いは取れない。 小泉が運転席側の窓を開けて、新しい煙草を吸いはじめた。窓の外に煙を吐いたけど、車内にも流れ込んできた。迷惑なことだ、とはいえ、これは小泉の車だからね。 武が話を続けた。 「とにかく、果穂はトラウマを抱えているからさ。それを解決してやれたらいいなと思ってるんだ」 「おれ

  • 展覧会「美しさ、あいまいさ、時と場合に依る」

    「CURATION⇄FAIR」という新しいアートイベントが行われている。 展覧会と、アートフェアを、それぞれ期間をわけて行うイベントだ。 自分は展覧会のほうにいった。展覧会と、アートフェアで取引される作品が同じものなのかはわからない。 会場は九段下にある「kudan house」という施設だった。 ここは普段あまり一般公開されていないそうだ。 1927年に建てられたというから、昭和の最初期だ。 修復などもされているとはいえ、なかなか良い建物だった。 洋風建築なのだが、なぜか和室があったりして、不思議な構造ではある。 展示されていた作品は、作品そのものとしてはさほどインパクトはなかっ

  • フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

    フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年) ハルコンネン家の襲撃を受けて、アトレイデス家は壊滅的な打撃を受ける。 ポールとジェシカは戦いを生き延びて砂漠に逃れる。 フレメンと出会い、試練を経て、ふたりは砂漠の民に受け入れられる。 一方、ハルコンネン家には皇帝から調査が入ることになる。 ストーリーの大部分が砂漠や洞窟といった、フレメンの活動エリアで展開される。上巻のような大規模な動きはなく、ポールの精神的な成長がメインに描かれる。エンターテイメントを期待すると、退屈かもしれない。 「デューン」という小説がSFというジャンルでありながら、人間を掘り下げる作業に重点をお

  • 「キングスマン:ファースト・エージェント」(2021年)

    なかなかよかった。 キングスマンという組織がいかにして成立したか、という物語。 冒頭で、キングスマンのメンバーのコードネームが、アーサー王と円卓の騎士からとられているということがわかる。「円卓」なのは平等だからだという話が出る。しかし、キングスマンのオフィスではアーサーがお誕生日席に座っているのはなぜだろうか。 また、敵の名前が「羊飼い」なのは、キリストを連想するが、かかわりがあるのだろうか。 本作では、上述の「羊飼い」という人物が「闇の凶団」という組織を動かして、いとこ同士であるイギリス国王、ドイツ皇帝、ロシア皇帝を戦わせて、世界を混乱に貶めようとする。 それを阻止しようとするの

  • 「キングスマン:ゴールデン・サークル」(2017年)

    楽しい映画ではあったが、前作ほどのインパクトはなかった。 内容としては、 前作で立派なキングスマンになったエグジー。前作でともに候補生だったチャーリーに襲われる。彼はゴールデン・サークルという麻薬組織に入っていた。 ゴールデンサークルに狙われて、キングスマンの組織は壊滅的な打撃を受ける。そこで、アメリカの諜報機関であるステイツマンに助けを求める。 一方、ゴールデン・サークルは、莫大な売り上げを立てていたが、それでは満足できず、世界中に売りさばいている麻薬に特殊な薬物を仕込む。その解毒剤を渡すという条件で、アメリカ大統領と取引をする。 キングスマンはステイツマンと協力して、解毒剤の入手

  • ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

    時間をメインとした考察が続いている。 用語も含めて難解な部分が多い。それでも自分なりに考えながら読み進めてきた。 哲学に詳しい人や賢い人がどのようなコメントをするかはわからないが、今になってようやくわかりかけてきたのは、本書は人間が本来の姿に気がつくために、今までで常識としてとらえられてきた事柄を事細かに考察し、それが本当なのか主に存在と時間と言う対象について分析し、定義しなおしてきたということではないか、ということだ。 考察を続ける中で、人間は本来の姿ではなく、映画「マトリックス」のように、俗世にまみれて流されて生きている、ということが語られてきた。ただ、俗世にまみれて生きることが

  • 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた

    今回は鬼太郎ではなく、一般的な妖怪にフューチャーした展示になっていた。だから、砂かけ婆やぬりかべ、子泣きじじいといった鬼太郎ファミリーに加わっている妖怪もいたが、あくまでも妖怪カタログのひとりといった扱いだ。 大量に展示されている原画を眺めていると、妖怪によって目の描き方だとか、全体のタッチなどが全然違うことに気づく。デフォルメの強度を調整するのが自由自在だ。 それは妖怪だけでなく、人間の姿も同様だ。たとえば手の描写でも、よれよれとした線で簡単に描いてあるときもあるし、きちんと関節まで描いてあるときもある。多くの漫画家ができることなのかもしれないが、そういったことに気がついたのは1つ

  • テンプル・グランディン「ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界」(2022年)

    これはなかなかおもしろかった。 人は頭の中で考えるときに、文字で考えたり音声で考えたりするが、「ビジュアル・シンカー」は、絵で考える人のこと。 自分も頭の中に映像が浮かんで、それがどんどん連想していくということがよくあるので、以前から「人はどうやって思考するのか」というのは興味があった。 小説家の森 博嗣がエッセイで「映像で考える」と書いており、自分に似た人がいるのだと思った。自分の場合は、彼ほど強い傾向ではない。 https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_2954/ 他にもアートディレクターの中島英樹氏も映像で考えると言って

  • 呉明益「自転車泥棒」(2018年)

    台湾の小説。 二十年前に失踪した父親。彼が乗っていた自転車が、息子である「ぼく」のもとに戻ってきた。「ぼく」は、その自転車が戻ってくるまでの物語を集めはじめる。 その旅は、ビンテージの自転車の、足りないパーツを集めるようなものだ。いくら修理し続けても、完璧な状態にはならない。 この小説は大量の断片によって語られる。 自転車のパーツ、父の自転車の所有者たち、彼らの物語。 そして主人公の人生。 こうした断片によって構成される、台湾の近現代史。 読んでいて、ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」を読んだときの感覚に似たものを覚えた。 北アフリカの砂漠や迷宮をさまよい、人生の意味を探

  • ぼんやり

    ぼんやり

  • 「アリータ:バトル・エンジェル」(2019年)

    B級SFになりそうな素材を一流の制作陣や俳優の能力によって、かなりのクオリティにまで引き上げている。A級かというとそうでもないのだが、かなりいい線いっている。 2563年。 没落戦争から300年後の地球。最後の空中都市「ザレム」と、その下にある夢の島のような「アイアンシティ」に世界は分断されていた。アイアンシティの中にある夢の島のようなところでサイバネ医師イドに拾われてきた少女ロボットは、アリータと名づけられる。彼女は脳を損傷しておらず、記憶があるはずなのだが、なにも憶えていない。 イドのところで生活するうちに、アリータはヒューゴという若者に出会う。 やがてイドが賞金稼ぎ「ハンター・

  • 第2回 自営業は、自ら営業。

    南浦和駅から京浜東北線に乗り、赤羽駅で埼京線に乗り換える。新宿駅で中央線に乗り換えて一駅。洋介が中野駅についた頃、太陽はまだ高い位置にあった。 北口の改札を出たところで坂本武が待っていた。背が高くて強面だから、それだけでも目立つのに、白いスーツに身を包んでいた。武は洋介を見つけると近づいてきて腕を軽く叩いた。 「元気か?」 洋介は面倒くさそうにうなずいてから聞いた。 「どうしたんだよ、その格好は」 武は照れ笑いをしながら胸ポケットのネッカチーフに触れた。 「ゴッドファーザーパート2を観たんだけどさ」 「デ・ニーロに殺されるマフィアのボスか」 武はぱっと表情を輝

  • 谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1939年)

    なかなかおもしろい。 エッセイ集であり、表題にある「陰翳礼賛」をきっかけに「適切」とはなにかを探るエッセイが並ぶ。 「陰翳礼讃」は文字通り「暗さ」についてのエッセイ。 日本の建物は以前は暗くて、それがよかったのだという。 古い料亭で、電気を使わずに、薄暗い灯りの中で食事をするのがよいという。 日本の場合、器や、食べ物そのものが、手元もよく見えないような明るさの中で楽しむようにできているだそうだ。 西洋はなんでも明るくしてしまう。そして、日本もその影響を受けて、当の西洋人が驚くくらいになんでも明るくしてしまった、と嘆く。 西洋人が明るさを好むかどうかという話については、聖書において

  • 「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」(2023年)

    これはすばらしかった。 前作でアニメの最先端を体感させてくれたが、今回は自らそれを上書きする仕上がりになっている。 ちなみに、製作費は148億円で興行収入は1,026億円。 前作は製作費が133億円で、興行収入は、557億円だった。 実に倍の売り上げだ。前作の評価が高く、第二作への期待値が高かったのだろう。 今回のヴィランはスポットという、次元を移動するキャラクターだ。 ただし、物語の中心になってくるのは、家族であり、仲間であり、他のスパイダーマンだ。そして、正義とはなにか、という問いが、すべての中心になっている。 今回も大量のスパイダーマンが登場する。そして、大量のスパイダーバ

  • 「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2」(2011年)

    いよいよ最終話となる。 ハリーポッターとヴォルデモート卿の最終決戦は、ホグワーツ魔法魔術学校との全面戦争の様相をなす。こぢんまりとした印象になりそうだが、そうでもなくて、見ごたえのある戦いになっている。 本シリーズは「魔法と冒険」といった古典的な要素を扱っているとはいえ、映像に関してはかなり挑戦的だった。そのおかげで、最終決戦も迫力のある映像になっていたのだと思う。予算が桁違いなのもあるし、演出もうまかったのだろう。 実際、興行収入は1,990億円。シリーズで最高額だ。 普通、シリーズものは、だんだんとしょぼくなっていくのだが、最終作が一番売れるというのはすごい。このシリーズがいかに

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