chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
chloe_s
フォロー
住所
中野区
出身
北区
ブログ村参加

2015/10/10

arrow_drop_down
  • フィールドノート八丁堀250128

    銀座を通り越して東京の東側へ。 人が少ないかと思いきや、駅の構内には結構人がいた。ビジネス中心の印象で、インバウンドはあまり見かけない。 地上に出ると天気は薄曇り。青空だけど雲が多い。 大通りには車が多い。 街は下町っぽい雰囲気もありつつ、マンションとオフィスビルが混在している。銀座のビジネス街と江東区あたりの下町の境界線なのか。 基本的には静かなエリア。 本の森ちゅうおうという6階建ての図書館があった。太陽光をたくさん取り入れた明るい施設で、利用者が多い。市民の憩いの場らしい。

  • フィールドノート 250127@渋谷

    場所:渋谷 /宮下公園界隈  天気:曇り 定点観測: 人通りは結構あるんだけれど、忠犬ハチ公がいるエリアの比ではない。 どちらかというと住宅街や専門学校、オフィス街も混ざっている。落ち着いた雰囲気。 再開発をしていた。商業施設になるのかマンションになるのか500メートル四方くらいの空間が工事中だった。 明治通り沿いは人が多い。ショップがたくさんある。ただ、買い物してるのは主にインバウンドのようだ。 渋谷というと若者が遊ぶイメージだが、そこまで若くない。むしろオフィスが多いのかもしれない。 車は結構走っていて、いわゆる業務用の乗用車や軽自動車とかも多いんだけど、ステイタス

  • 「エイリアン」第一作で生まれたのはモンスターだけじゃない! 女性ヒロインの先駆け映画を深堀りしてみる。

    監督 リドリー・スコット 脚本 ダン・オバノン 公開 1979年 製作費 17億円 興行収入 160億円 物語について 映画ファンで「エイリアン」を知らない人はいないだろう。 念のため、ざっくりおさらいしておくと、 物語は貨物船ノストロモ号の乗組員が冷凍睡眠から目覚めるところからはじまる。地球に向かっていたはずが、大幅に航路を外れている。 とある惑星から、発信者不明の信号を傍受したという。 乗組員は渋るが、知的生命体からの信号を傍受した際には調査するという契約がある。 未知の惑星に降り立ち、謎の宇宙船と化石化した宇宙人を発見する。 さらに調査を進めると、一等航海士のケインは生物の卵を

  • クリエイティブ週報250126

    日常:朝のルーティン あいかわらずご飯を食べるための仕事がメイン。それでもクリエイティブな仕事はやっていく。 そこで必要になってくるのが現実に対する解像度の高さと自分の頭で考えること。 世の中で起きていることを見聞きして自分なりに空気感を感じたり、考察したりする。あくまでも自分なりなのでクオリティは高くない。それでも繰り返しているうちに解像度が高まり、新たな視点に気づいたりする。 使っているサービスなど、少しずつシェアしてみる。 ・spotify アプリ中心のサービスなので中心となるユーザーは若者だと思う。 だから、若者の好む音楽の傾向を知るためには良い。 クリエイティブ:漫画制作

  • 坂本龍一の私設図書室で見えた選書哲学――他人の本棚を覗く喜び

    2023年9月24日に開設された、坂本龍一の私設図書室にいった。 ことわっておくと、ファンというほどではない。YMOもちゃんと聴いたことがない。ただ、現代美術館の展覧会にはいった。以前、都内で行われたエキシビションもいった。 自分にとって坂本龍一は、YMOという人気グループのメンバーだった人物で、映画音楽を多く手掛けている音楽家。曲はよく知らないけれど「ループの天才」。そんな人物がアート界隈で親和性が高いようだから、アート好きとしてはおさえておきたい。そんな存在。 上記のようなスタンスの人間が、入場料+ドリンク代という、さほど安くない費用をかけて図書室にいった。おそらく、多くの人は

  • 「マルホランド・ドライブ」(2001年)

    監督 デイヴィッド・リンチ 出演 ナオミ・ワッツ、ローラ・ハリング、ジャスティン・セロー 受賞歴 カンヌ国際映画祭 監督賞(デイヴィッド・リンチ) セザール賞 最優秀外国映画賞 全米映画批評家協会賞 作品賞 ニューヨーク映画批評家協会賞 作品賞 ロサンゼルス映画批評家協会賞 監督賞(デイヴィッド・リンチ) オリジナリティ 死者の見る夢を監督独自の世界で表現した https://www.youtube.com/watch?v=yFjlIGy_Y-Y マルホランドドライブは映画についての映画であり、死者の見る夢でもある。 女優になることを夢見てハリウッ

  • クリエイティブ週報250119

    日常:交友関係が戻ってくる いろいろなコミュニティで知り合った友だちとの連絡が活発化している。同時期にこういう状態になるのはなぜだろう。 クリエイティブ:漫画制作、小説制作 漫画はflat landを描いている。画力はまだ伸びない。せめて映画的に構図をこだわろう。 フラットランド - ジャンプルーキー! 心優しいカピバラ、ファントムくんの夢は人間になること。 そのためのミッションは宇宙開拓。 様々なチームが先を争って、宇宙の rookie.shonenjump.com 小説は構成はいったんきりあげて本文の執筆にはいる。どこでも書けるようにgoogleドキュ

  • 「ザ・トライブ」(2014年)

    監督:ミロスラヴ・スラボシュピツキー 出演:グレゴリー・フェセンコ、ヤナ・ノヴィコァヴァetc 製作国:ウクライナ 受賞歴:。第67回カンヌ国際映画祭にて国際批評家週間セクショングランプリ オリジナリティ:セリフなし。全編手話 ストーリー: ろうあ者の寄宿学校にセルゲイが転校してくる。 学校内には不良グループがあり、セルゲイはその洗礼を受ける。 腕っぷしの強さを道められ、仲間に引き込まれる。 不良グループは売春や列車内強盗などで金を稼いでいた。 映像: キューブリック風の画面構成。 カメラは1台で、キャラクターごとに切り替えたりはしない。 全身が映るショットが多く、キャラクター

  • クリエイティブ週報250112

    今週のまとめ 日常:仕事始めであいさつ回り。 連休中はぐっすり眠っていたが仕事がはじまったとたんに眠りが浅くなる。 クリエイティブ:漫画制作、小説制作 漫画はプロットを組んであるのでどんどん描く。とはいえ時間がかかる。ipadでmedibang paintを使用。正直、絵はうまくないので、プロットメイカーに徹する。 小説は構成を考えている。 日々の気づき:マインドフルネス2.0。 たとえば電車の中で乗客を観察すると、年始の挨拶周りのサラリーマンって意外と多くないとか、路線によって車内広告の種類が違っていることに気づく。車内広告はかなり減った。みんなスマホ観てるからなのか、広告費を

  • 「パニック・ルーム」(2002年)

    スリラーはデヴィット・フィンチャーお得意のジャンルだし、ジョディ・フォスターも出演しているし、ということで満足度の高い作品だった。 しかし、観ていてずっと「ホーム・アローン」(1990年)が頭から離れなかったのは致し方ないか。 夫と離婚したメグが娘と一緒に豪邸に住むことになる。 法律上あと数日は入居してはならないことになっていたが、不動産屋の手違いで住み始めてしまう。 もともとその家には富豪が住んでおり、遺族が侵入してくる。パニックルームに財宝が隠されているのを知っていたのだ。無人だと思って侵入したが、危険を察知したメグたちはパニックルームに逃げ込んでしまう。 侵入者たちとの攻防がは

  • 「君の過ち」(2024年)

    前作では、突然母親が富裕層の男と結婚することになった娘のノアが、その家の息子ニックの言動に振り回されていくうちに互いに惹かれていく姿を描いた。 今回もさまざまなトラブルが舞い込むのだが、前作のようなスリルはない。 思うに、前作はノアとニックが庶民と富裕層というギャップや性格的な違いもあって、互いに理解しがたい存在であったところから恋仲になっていく過程で、エンターテイメント映画にありがちなベタな要素を次々と盛り込んでいったところに面白さがあったのだろう。 今回は、ノアとニックの関係性がぎくしゃくする要素は多々あるのだが、そうはいっても最後はうまくいくだろうという安心感がある。 また、

  • 坂本龍一 音を視る 時を聴く

    現在坂本龍一はちょっとしたトレンドになっているらしく、イベントやら雑誌などあちこちで見かける。 この展覧会はインスタレーションが7種類。 コラボレーションした作家の作品があり、そこに坂本龍一が作った音楽が流れる。または坂本龍一のアルバムを意識した作品など。 音が空間にどのような影響を与えるのかという問いなのかもしれない。 李禹煥の展示は岩などを置くことで空間を形成しているのだと思うが、坂本龍一は音楽でそれをやろうとしているのかもしれない。 音の可能性、ということで考えるとサウンドスケープという概念も意識したい。これはランドスケープが街の風景であることに対して音の風景という概念だ。

  • 「ロボット・ドリームズ 」(2023年)

    犬とロボットの交流と、そこからうまれる生活の変化。 セリフなし(うなったりはする)で物語を成立させているのはすごい。 1980年代のニューヨークが舞台のアニメ。 主人公は犬。ひとりの暮らしに寂しさを覚えて通販でロボットフレンドを購入する。自ら組み立てたロボットと外出するようになり、生き生きとしてくる。 夏になり、海に遊びにいく。ひと泳ぎしてから砂浜で昼寝。犬が目覚めるとすっかり日が暮れていた。ロボットを起こし、ふたりで帰ろうとするが、ロボットは体がさびてしまい動けなくなっていた。 犬はその日は帰って、再びロボットを助けに戻るが海水浴シーズンが終わって砂浜は閉鎖されていた。 LGBT

  • ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて

    果物に電極を刺し、内部の微細な水分の変化を音に変換するという展示があった。 アートは自然を模倣するところからはじまったとされる。 そうだとすると、果物をエネルギー源として音を発する装置は、自然が人工物に近づくという解釈ができる。 自然の模倣からはじまったアート(人工物)が、自然が人工物を模倣する作品になる。 このシリーズは、石橋財団のコレクションとアーティストの作品をミックスして展示するコンセプトになっている。 そのチョイスはわかりやすく紐づけられていた。 毛利悠子の作品は日常的に目にする機会の多い人工物を使用している。 音が出るものもあるし、出ないものもあった。 共通するのは、な

  • 「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」(2022年)

    タイトルに「ギレルモ・デル・トロの」とあるように、オリジナルとは違う物語になっている。 とはいえ、デル・トロ監督の作品は好きだし、製作会社の中に「ジム・ヘンソンカンパニー」が入っているからか、「ダーククリスタル」の空気感を思い出させてくれたこともあって、かなり満足度が高かった。。 ゼペットじいさんにはカルロという子どもがいた設定になっている。 カルロは賢くて素直だったが、死んでしまう。 カルロの墓の近くに松の木が生える。じいさんはその木を切り倒して人形をつくった。森から精霊がやってきて人形に命を吹き込み、ピノキオと名づける。このころは1930年代で、舞台となっているイタリアはムッソリ

  • 「フォロウィング」(1999年)

    クリストファー・ノーランのデビュー作。 製作費90万円で興行収入760万円。 2000年に公開された2作目「メメント」の製作費は10億円で興行収入は63億円。 これは「フォロウィング」の評判がよくて、「メメント」にはかなりスポンサーがついたということだろうか。事情はわからないが、1年でずいぶんと急成長したものだ。 物語は、ある男の語りからはじまる。街で見かけた人を尾行するのが楽しくなった、という。尾行するだけで、なにもしない。しかし、ある日いつものように尾行をしていたところ、気づかれてしまう。相手はコブという男で他人の家に侵入するのが趣味だった。男はコブと一緒に行動するようになるが…

  • 「π」(1998年)

    冒頭、幼い頃に太陽を見るなと母親から言われたが見てしまったと、主人公が語る。これは、カミュの「異邦人」を意識しているのだろう。「異邦人」同様、不条理な出来事が展開していく。カフカ的と言ってもいいかもしれない。 主人公は数学の天才。社会不適合者で他人を避けて生きている。 彼の思想は、「数学は万物の言語であり、すべての実証は数字に置き換えて理解できる。数式化すれば一定の法則が顧みれる。ゆえにすべての事象は法則を持つ」といったもの。 やがて、216桁の数字に隠された法則を見つけ出せば世界のすべてを証明できる、という妄想に憑りつかれていく。 登場人物がありえないアイデアに取り憑かれて破滅し

  • 「怪物」(2023年)

    「藪の中」のような作りになっているが、それぞれの主張が食い違うのではなく、それぞれの出来事が組み合わさると事実が見えてくるという作りがうまい。 作中でテレビのドッキリを見ながら「どうしてわからないんだろうね」と母親が言って、息子が「(自分たちは)テレビで見ているからわかるんだよ」と返すやりとりがある。それがこの作品の構成をうまく言い表している。 麦野早織はシングルマザーで息子の湊を育てている。元気な良い子なのだが徐々に様子がおかしくなってくる。早織が問い詰めると、学校で担任の保利にいじめられていると打ち明ける。 早織は事実を知りたくて、学校に行って校長に訴える。しかし、学校側は棒読み

  • 須田悦弘|渋谷区立松濤美術館

    美術館のあちこちに木彫りの植物が潜んでいる。 ほとんどが雑草というところがポイントだ。 日々の生活において雑草を意識することはない。 それが、美術館で作品として展示されているとなると、みんな注意深く探すようになる。 異化ということなんだろうな。 木材を削って植物を作る。 そういうことができる職人は他にもいるだろう。 須田氏が木彫り細工の職人ではなくアーティストとして扱われるのは、ありえない場所に雑草を生やすというコンセプトを提案しているからだ。 現代アートとはコンセプトなんだな、とあらためて気づいた展覧会。

  • 「クラブゼロ」(2023年)

    観終わってから二、三日経っても頭の中で反芻している。 ハーメルンの笛吹き男みたいな話で、そういう童話的な要素が原因かもしれない。 オーストリア・イギリス・ドイツ・フランス・デンマーク・カタール合作という多国籍な作品だが、北欧の雰囲気がある。 名門校に招かれた新任教師ノヴァク先生が栄養学と称して生徒たちに食事法を教える。 生徒たちはそれぞれ自己肯定感に問題を抱えており、ノヴァク先生はそれらを解決するために熱心に取り組む。 先生のメソッドはかなり過激で、食事を徐々に減らしていき、やがて絶食するというものだった。 世の中にはいろいろな食事法やダイエットがあり、この映画のノヴァク先生のよ

  • 「シビル・ウォー アメリカ最後の日」(2024年)

    製作会社はA24。 映像がスタイリッシュなのと、社会派的なテーマを最後までエンターテイメントにまとめるやり方はいかにもA24。 作品としては、みんなが知っている現実を提示しただけで、その先を描いていない。 舞台はアメリカ。大統領が三期目に突入し、FBIを解体。内戦がおこった。 政府軍対西部勢力と、フロリダ同盟。 有名な報道カメラマンのリー・スミスは記者のジョエル、リーの師である記者のサミーとともにワシントンDCを目指していた。誰よりも早く到着して大統領のインタビューをとるためだ。そこにリーに憧れるカメラマンのジェシーが加わる。 ロードムービー風の作風で、行く先々で戦争の異常な光景が

  • 「パルプフィクション」(1994年)

    タランティーノの代表作。 正直に言うと公開当時はさほどおもしろいとは思わなかった。 オープニングのファミレス強盗からタイトルロール、ウォレスとジュールスがチンピラのところにいって皆殺しにするシーンまでの流れはよかったが、そのあとはだらけていた気がしていた。だからイングロリアス・バスターズやジャンゴのような整理された作品のほうが好きだった。 しかし、今になって見直すとだらけてはいない。本筋と関係のないセリフも楽しめるようになったのかもしれない。会話のセンスを感じられると、タランティーノはおもしろい。 登場人物がそれぞれの人生を必死で生きる。それぞれやりたいことがある。それでもうまくい

  • 「欲望の翼」(1990年)

    これは結構難解だった。 恋愛の群像劇だが、男性俳優の区別がつかず、人物関係がいまいちわからない。 とはいえ、ウォン・カーウァイの初期代表作で、撮影はクリストファー・ドイル。 映像の雰囲気は、現在のトレンドのエモさにも通じている。 そういう意味でも見てよかった。 流行はおおむね20年周期でめぐるというが、その通りになっている。 流行した映画でも観ていない作品がけっこうある。 そういうものもこれからおさえていきたい。 https://www.youtube.com/watch?v=satXyyRdhmo

  • 田中一村展 奄美の光 魂の絵画

    これはなかなかよかった。 ゴーギャンのような南国の明るい絵のイメージがあるが、そこに至るまでの道のりがかなり険しい 8歳から69歳まで、一生にわたる作品を展示している。 このキュレーションはうまかった。 おかげで田中一村がいかにオリジナリティーをいかに獲得していくか、もしくはオリジナリティーの獲得がいかに難しいかを観ることができた。 8歳の頃は神童と呼ばれた。 水墨画のような作品が多かったがプロ顔負けだ。その後も順調に成長し、今の美大にストレートで合格。スポンサーもついていた。画家としては成功していたと言っていいだろう。 ただ、この頃オリジナリティはほとんどなかった。ごくたまにい

  • 「ルックバック」(2024年)

    すばらしかった。 東北地方と思われる田舎が舞台。 小学四年生の藤野は学年新聞に四コマ漫画を連載している。周囲に才能を認められていたが、彼女が描いていたスペースを登校拒否をしている京本にも分けることになる。 京本は高い画力を持っており、藤野は驚愕する。そして必死に練習をしているうちに六年になった。そこでついに心が折れて描くのをやめる。 小学校の卒業式の日、担任に頼まれて京本に卒業証書を届けに行く。 そこではじめて京本に会い、ファンであることを告げられる。 そしてふたりはプロを目指して合作をはじめる。 といったもの。 「チェンソーマン」がヒットした藤本タツキということである程度のヒット

  • 第17回 人はひとりで生きていくものだから、って言うわりに、モテには興味があったりしてね。

      翌朝、洋介は五時に起きると、まず風呂に入った。 湯の中に肩まで体を沈めて目を閉じた。全身に力を入れ、次に力を抜く。それから、体の各部に順番に意識を向けていく。足のつま先からかかと、ふくらはぎへ。全身の感覚を確かめ終える頃には頭の中が空っぽになっていた。睡眠と覚醒の間くらいの感覚だ。その状態で十分ほど過ごした。 風呂から出てリビングにいく。ソファに腰掛けてアイマスクをつけると、深い呼吸を繰り返した。 風景を思い浮かべた。蝶と花から預かった風景だ。あの坂道の風景を、何度も再生して、補正を加えていった。 不意に肩を揺すられた。アイマスクを外すと真理子がいた。洋介は

  • 「007 ドクター・ノオ」(1962年)

    007シリーズの第一作。 今となっては古めかしいスパイ映画の雰囲気があるが、今の007映画のスタイルがある程度出来上がっていたことがわかるし、ストーリーもおもしろい。 冒頭の銃口に向かってボンドが銃を撃つショットは第一作からあった。そのあとアクションシーンがあって主題歌が流れる、という演出はここではまだない。 また、ボンドはモテる男であり、スパイのくせにやたらと名前を知られている。さらに自らも名乗るのも今と一緒。 なお、秘密兵器は出てこない。 現在のボンド映画は富裕層向けの商品広告みたいになっているが、第一作は純粋な娯楽映画になっている。 ジャマイカのクラブキーという島にいるドクター

  • 第16回 正しくないことが正論になることだって、ある。

    洋介は日が暮れてからマンションに戻った。酒の匂いをぷんぷんさせていた。ふらふらしながらリビングにいくと、ソファに真理子が座っていた。 ガラステーブルの上にお菓子が並んでいた。コンビニで売っているチョコレートやガムだ。封は切っていなかった。 「またやったのか」 真理子は答えなかった。背中を丸めてお菓子を眺めていた。スーパーに並んでいる死んだ魚のほうが、生き生きとした目をしている。 洋介はキッチンにいって水を飲んだ。大きなげっぷをした。こらえようともしなかった。 リビングに戻った。 「どうしてそんなことをするんだ」 真理子はガムを手に取ってしげしげと眺めていたが、すっと

  • 「アビス」(1989年)

    「ツイスター」(1996年)は本作の構成を真似たのではないか。 技術職の男と、男勝りな妻が命知らずな冒険をする。物語のはじまりではふたりはぎくしゃくしているのだが、冒険の中でお互いを認め合う。 本作は海底に沈んだ原子力潜水艦の調査がミッションだが、海底に潜む未知の生物とのコンタクトがテーマとなっている。キャメロンが高校時代に書いた短編小説がもとになっているというが、善良な「エイリアン」のようなストーリーだ。「エイリアン2」(1986年)の次に撮った作品だから似ているのかもしれない。もしくはキャメロンの中でこのパターンがテンプレート的に持っていたのかもしれない。 潜水艦から核弾頭を奪

  • 和田堀公園

    ここはなかなか素敵な場所だ。 川沿いの緑の多い公園。その中でも、観察の森という森があって、うっそうとした森になっている。中には入れなかった。 このエリアは日の出の直後くらいがとてもキレイだ。 太陽が昇りはじめると森の神秘性が失われてしまう。 和田堀公園|公園へ行こう! www.tokyo-park.or.jp

  • 明治神宮

    都内ではここまで緑の多い土地は珍しい。明治神宮という場所がすでに珍しい場所ではないのだが。 森の中を抜けていく参道は広く、こまかい砂利が敷いてある。 そのせいもあって、保護林のような自然ではなく、整った都会的な自然という印象。 近くを通る電車の音などはする。それでも豊かな自然の中で過ごしていると気持ちが落ち着く。

  • 三省堂書店有楽町店

    入り口が三か所ある。 それぞれ、マンガ、女性ファッション誌、グルメ・旅行誌がお出迎え。 入り口の多さを活用して売れそうなジャンルを配置している。 メタル雑誌のBURRN!が平積みになっていたり、話題の本のコーナーに政治的なな思想の本や信仰宗教の本があるのが特徴的だ。需要があるからおいているのだろう。 三省堂書店というのは保守的なイメージがあるが、有楽町店はけっこう尖っている。

  • 第15回 なんなんだお前は。おれの知らない世界に生きていやがって……!

    女たちは手をつないで帰っていった。 洋介は神社に残った。ベンチに腰掛けて、ぼんやりと木を見上げたり、地面を眺めたりして物思いに耽っていた。散歩にきたジャージ姿の老人が不審げにじろじろ眺めていた。 洋介は、境内を後にした。 山手通りに出た。 スポーツウェアを着てサングラスをかけた女が坂道を上がっていった。洋介は道端でぼんやりとしていた。今日の仕事のことを思い返していた。 目の前に、黒塗りのベンツが止まった。洋介は坂道を少し下った。すると、ベンツもゆっくりとついてきた。洋介が坂を上ると、ベンツはバックしてついてきた。もう一度移動しようとすると、軽くクラクションを鳴らされ

  • 「パリ、テキサス」(1984年)

    テキサスを放浪していたトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)は弟のウォルト(ディーン・ストックウェル)に引き取られる。 ウォルトと妻のアンはトラヴィスの息子ハンターを育てていた。 トラヴィスはウォルトの家でしばらく生活していたが、アンから彼の妻ジェーンの消息を知らされ、探しにいくことにする。 ジェーンを演じているのが絶頂期のナスターシャ・キンスキー。それだけでもうなにも言うことがないのだが、ヴェンダース作品としても、上位のクオリティだ。 強すぎる愛は相手を理想化し、本当の意味でのコミュニケーションは成立しない。 これは映画についての映画であり、コミュニケーションについての映画で

  • 「劇場版 呪術廻戦 0」(2021年)

    楽しいエンタメアニメ。 虎杖悠仁が主人公となっている呪術廻戦の前日譚に当たる物語。 本作は乙骨憂太という少年が主人公。ストーリーはなかなかよくできている。本編にも絡んでくるのかもしれない。ちなみに、乙骨憂太のキャラクターがエヴァンゲリオンの碇シンジに似ている。 声優がシンジを演じていた緒方恵美なので、制作側も意識しているのではないか。 呪術廻戦本編は、人間の負の感情から生まれた呪霊と、呪術師たちの戦いを描いている。呪霊は人間を襲うが、もともとは人間が生み出したものであり、そう考えると、この作品は、人間の心の醜さが人間自身を滅ぼす、というテーマが見えてくる。 さらに呪術師も主人公

  • 第14回 坂道の記憶

    さいごの風景は身近な場所にある、と蝶が言った。 ディズニーランドや東京タワーの思い出はたくさんの人が持っている。もちろんそこで起こった出来事は、特別な思い出になりうるけど、そこがアミューズメントパークや名所である以上は、どこかしら他人と似通ったものになるのは避けられない、というのが蝶の意見だった。 洋介の経験から言えば、心の底から感動した観光地の風景を選ぶ客もいれば、最愛の人と一緒に観た映画を希望する客もいた。要は本人が満足していることが重要なんだ。逆に言えば蝶が身近な風景を選ぶというのであればそれは彼女の自由だった。 三人は中野の町を歩いた。蝶が道を決めて、花はずっと蝶

  • 有隣堂 藤沢店

    藤沢駅から連絡通路をこえるとすぐにある。 やや中年高齢者を意識しているのか、健康系の本が目につく。 ただ、客層は20代くらいから70代、80代と幅広い。 10代はあまり多くないが、フロアがいくつかあるので分散しているのかもしれない。駅ビルの別の書店は10、20代の女性が多い。これは別に書く。 話を戻すと、入り口付近には単行本が平積みにされており、ここは話題の本が多い。それから雑誌コーナーがあり、その奥に各ジャンルの書籍、といったレイアウト。 この店はハマ本、藤沢本など湘南がらみの本が目につくところに置かれており、いかにも湘南地方を感じさせる。

  • 文喫

    入場料を取る書店ということで、できたころはずいぶん話題になった。 まだ続いているのはすごい。 どんな工夫をしているのか知りたいが、エントランスの無料ゾーンまでしか入ったことがない。 今回は夜明けの唄という漫画の巨大なパネルが貼ってあり、特設コーナーができていた。何人かの女性が物色していた。女性向けの作品のようだが、知らなかった。 その奥、カウンターまわりは雑誌や雑貨。 有料ゾーンは読書好きのためのめくるめく空間なのかもしれないが、無料ゾーンはスペースがかなり小さいので、より売れるものを並べている印象。強いて言えば女性誌やファッション誌が多い印象。六本木ヒルズ近くのファッションピープ

  • 思考深度

    最近、思考深度というか、問いを重ねることで人は思考や現実に対する解像度が上がっていくのではないかと考えている。 これはおそらく、ハイデガー「存在と時間」の影響だろう。あの本はまったく理解できなかったが、最初に「存在と時間」とはなにか、という問いにはじまり、それを検証する問いが生まれ、さらにそれを検証する問いが生まれ、と延々と問い続けたのだった。 もしくは、冒頭謎めいた舞台設定を提示しておきながらさほど活用することなく「虚体」についての考察のみを延々と問い続けた埴谷雄高「死霊」の影響もあるかもしれない。 上記2冊の本が結局未完に終わった、もしくは完結したのかどうかわからない、という点を

  • 「ノスタルジア」(1983年)

    タルコフスキーの作品をきちんと観たのははじめて。 ロシア人の詩人アンドレイは、自殺したロシアの音楽家サナノフスキーの取材でイタリアを旅していた。 小さな温泉街で、ドメニコという奇妙な男に出会う。 アンドレイは、ドメニコからろうそくを渡される。「ろうそくに火をともし、水の中を渡りきることができたら世界は救われる」。アンドレイはその役割を受け入れる。 タルコフスキーは「世界の救済」をテーマに創作を続けていたとwikiに書いてある。本作においてもそういう話は出てくるが、描かれていたのは、「芸術がいかに理解されないか」ということだと感じた。 冒頭、イタリア語がわからなければイタリア文学は理

  • 第13回 幸せに……なれますか?

      土曜日の午前中に金子家を訪れた。いつものように執事が出迎えた。母屋の玄関で蝶が待っていた。今日は花も一緒だった。 蝶の部屋は以前と同じく、甘い香水の匂いがした。 三人で折りたたみ式のちゃぶ台を囲んで紅茶を飲んだ。 「ねぇ」 蝶が大判のクロッキー帳を差し出した。色々なことが書き出してあった。イラストもあるし、文字で書いてあることもあった。マインドマップに見えなくもないけど、すべてが線でつながっているわけではなかった。 たとえば「海外旅行」という文字。船の絵。「出会った頃のこと」というクレヨンの文字。ふたりの女の子が手をつないで笑っている絵。色鉛筆で描かれたドレ

  • 大盛堂書店

    渋谷のセンター街入り口にあるので渋谷に行ったことのある人は一度は店の前を通ったことがあるだろう。 一階はこぢんまりとしたフロアで、入ってすぐに視界に入ってくるのは雑誌コーナー。その奥に外国語雑誌、階段近くには文芸書籍といった印象。 若者とインバウンドを意識しているのだと思う。文芸も若者向けだ。 本の内容を撮影しないでください、みたいな注意書きがあるのも渋谷っぽい。 若者文化の中心地の店は、他の店とはちょっと空気が違っていた。

  • くまざわ書店 相模大野店

    通路に面した、客が最初に見るエリアには、ラノベや、映画の原作本やコミック、話題の文芸本などが並ぶ。 その中でもラノベが結構目立つところにある。中高生がよく来るのではないか。ビジネスとか生き方のハウツーみたいなものも目立つところに置いてある。 面白いのは、哲学とか理工系。人文や社会といった他の書店だと奥のほうに配置しそうなものが通路寄りに配置されているところ。 通路側はそのような感じで、その奥が雑誌コーナーになる。棚が多く、それぞれ十分なボリュームでジャンルごとに陳列してある。 フロアが広いので、品ぞろえも潤沢だ。 ちなみにここは湘南ブランドはあまり前面に出ていなかった。

  • 有隣堂医学書センター 北里大学病院店

    病院内にあるからか、文庫本の小説が目立つ場所に並んでいる。 話題作や有名作家が多い。 入院患者がメインターゲットなのだと思う。 一緒に北里柴三郎先生に関する著作も並ぶ。 また、神奈川関連の情報誌なども目立つ。 湘南地方では、どこでも湘南ブランドをプッシュしているので、この地でもその影響があるようだ。 フロアは小さいが、健康関連の本が占める割合はも多い。奥には医学書が並ぶ。こちらは医学生向けだろうか。 病院、北里、湘南。というキーワードがはっきりしている。 土地柄がわかりやすい品ぞろえ。

  • 紀伊國屋書店 新宿本店

    入り口近くのエントランスあたりに、大量の小説が大量に並んでいる。話題作、人気作家の作品ばかりなのだが、こんなに小説を前面に出して売れるのだろうか。 そう思ってから、考え直した。この老舗書店は本当に本が好きな人が来る場所なのかもしれない。 その奥も書籍コーナーで、小説以外のさまざまなジャンルの本が並んでいる。仕事術やお金などの、今よりも上の自分になるにはどうしたらいいか、という人生のハウツー本が多い印象。週間ランキングでもその手の本が多数ランクインしているところから、このコーナーは売れ線を並べているのだろう。 さらに奥に雑誌がある。 以前はインバウンドが多かったが、自分が行ったときは

  • 丸善 日本橋店

    日本橋というエリアのイメージそのまんまの品揃え。 時代の空気に敏感なビジネスマンのための情報の発信地といった印象。 売れそうな本が大量に平積みや面陳で並ぶ。 入り口付近に並んでいるのは、仕事効率化、リスキリング、ベストセラーの文芸書、ビジネス経済の参考書的な書籍。 雑誌のエリアもあるが、入り口の正面にばーんと並べる感じではない。駅構内の書店などだと、まず雑誌が目に飛び込んでくるようなレイアウトが多いが、ここでは軽い読み物よりもじっくり読む本を売っていく姿勢のようだ。 ここにしかない珍しい書籍もあるのかもしれないが、普通の書店にある書籍を豊富に取り揃えてある。このオールマイティーさが

  • ブックファースト中野店

    中野はサブカルの街として知られている。 ただし、住民の中心は、サラリーマンのファミリー世帯や学生といったいわゆる中流階級の人々だ。 中野駅近くにあるブックファースト。 フロアが広い。 入り口はふたつある。 片方の入り口付近には小説や雑誌。もうひとつの入り口付近はお金や生き方に関する自己啓発本が多い。 全体的には、いろいろな本をバランスよく揃えている印象。ただ、子どもの本のコーナーや漫画のコーナーが充実しているところから、どちらかというとファミリー向けの要素が強い。

  • 「太陽の下の18才」(1963年)

    1963年のイタリアは「奇跡の経済」と呼ばれた高度経済成長の時期だった。 本作はそんな状況が反映された、楽しい恋愛コメディ。 舞台はイタリアだが、フランス人女優カトリーヌ・スパークが主演。 ナポリ湾に浮かぶイスキア島にバカンスにやってきた若者たち。その中に二コラという青年がいた。一方、同じく島に訪れたフランス人女性の名前はニコル。名前の似たふたりは反発しながらも惹かれていく。 他愛もないコメディだが、能天気な楽しさがいい。 古い映画だと素直に楽しめる。今の時代もこの手の映画はあるのだろうが、「くだらない」と感じてしまうのはなぜだろう。 https://www.youtube.co

  • 青山ブックセンター

    青山ブックセンター 東京の表参道に店舗を構える青山ブックセンターのWEBサイト、オンラインストアです。デザイン・広告・写真・アートなどクリエイ aoyamabc.jp 書店は場所によって特徴があるのが面白い。 その店の客層がどういう人たちなのか、その街がどういう街なのか想像するヒントになる。 みんながみんな書店に行く時代ではないので、その街全体のイメージを書店から読み取ろうとするのは無理がある。それでもエリアごとの違いを読み解いていくと見えてくるものがある。 青山ブックセンターはアート系の書籍が多い。海外のファッション雑誌とか、日

  • 善福寺公園

    メインのエリアは、大きな池がある。 そこをぐるりと囲む散歩道。 古い樹木が多い。蝉の声や水の音が心地良い。 五感を意識する。 聞こえてくる音を数える。 聴覚に集中しているときは目の前にあるものが見えていない。それではいけないと植物の葉っぱを見たり、樹木を見たりする。そうすると今度は歩いている足の裏の土の感触などを意識していないことに気がつく。 五感のすべてを同時に意識するのは難しい。 それでも練習していれば、多少は改善されるだろう。 いわゆるマインドフルネスな状態になり、世界をもっと深く知る。 公園から出てしばらくして、互換を意識していないことに気がついた。五感の訓練は講演の中だけ

  • 「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008年)

    アイデアがいい。 舞台はニューヨーク。日本に転勤が決まった青年を祝うパーティ会場を撮影していたが、突如物凄い音が響き渡る。様子を見にいくと、なにかが街を破壊している。身の危険を感じた人々はとにかく逃げることにする。 いわゆる怪獣映画だ。ただし、ブレアウィッチプロジェクトのようにホームビデオ風に撮影されているところが新しい。ただし、予算がなかったブレウィッチプロジェクトと違い、本作は製作費27億円。映像も計算されたものになっている。 登場人物がホームビデオを持って逃げ惑う人々を撮影しているスタイルなので、怪獣も人間の目線だけになる。人間の目線だけ、というのはリアルな感じがする。「シン

  • 「テルマ&ルイーズ」(1991年)

    名作映画としてよく名前のあがる作品。 女性版「イージーライダー」(1969年)といった趣で、さすがに完成度が高い。 ウェイトレスの中年女性ルイーズは、友だちの専業主婦テルマを誘って週末のドライブ旅行を予定していた。テルマはそのことを夫に伝えようとするのだが、気弱なため、はっきりと口にできない。そうこうするうちにルイーズが迎えに来てしまい、夫にはなにも伝えずに出発してしまう。 ルイーズのすすめで、旅の間くらいは羽目を外そうということになり、テルマはバーで酔っ払い、男と踊る。その気になった男に襲われそうになるが、ルイーズが止めに入る。しかし、もめごとのあげく、ルイーズは男を射殺してしまう

  • 「ワールド・ウォーZ」(2013年)

    おもしろいか、つまらないか、ということならそこそこおもしろかった。 ただ、ブラッド・ピットがかっこいいだけの映画に思える。 つまり2013年にこの映画が公開された意味づけがわからない。 謎の伝染病が原因で、人々がゾンビ化する。 国連の職員だったジェリー・レインは元上司からの依頼で調査に携わることになる。 現代のわれわれは、「コロナをゾンビ化におきかえた作品なのでは?」と連想する。たしかにこの頃もコロナウイルスは少数報告されている。だからといって、これがコロナを扱った預言的な映画として評価するのは短絡的だろう。 ブラッド・ピットの制作会社プランBエンターテインメントが映画化権を獲得し

  • 「ツイスター」(1996年)

    かなりおもしろかった。 製作総指揮にスピルバーグ。監督はヤン・デ・ボン。 子供の頃、竜巻によって父親を失ったジョー・ハーディング。 彼女は成人してストーム・チェイサーになっていた。 竜巻の情報を分析し、いちはやく人々に知らせるための研究をしている。 彼女の夫ビルもストーム・チェイサーだったが、今は気象予報官になっている。そして、ジョーと離婚することになっている。 ある日、ジョーに呼ばれたビルは離婚届を受け取るつもりで婚約者とともにストーム・チェイサーたちのもとを訪れる。 しかし、ジョーはまだサインしていなかった。ビルを呼んだのは、彼が発案した発明品が完成したからだった。ハリケーンの内

  • 「ALWAYS 三丁目の夕日'64」(2012年)

    34.4億円。第二作よりは売り上げが落ちたが、それでも第一作よりは売り上げている。 前作は1954年が舞台で、今回は10年後の1964年が舞台になる。 世の中はオリンピックで盛り上がっている。 世の中は浮かれているが、作家の茶川は人気が落ちてきて、緑沼という新人作家が人気を得ている。茶川は葛藤する。そして、彼の父親が危篤になる。勘当同然で家を飛び出してきた茶川は、いやいやながら父親に会いにいく。そして、意外な事実を知ることになる。 他に、「鈴木オート」で住み込みで働いている六子が恋に落ちる物語が展開する。 いつもながら、善人ばかりが登場して、ずぶずぶのメロドラマを展開する。陳腐な

  • 「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(2007年)

    前作の1958年に続いて、1959年が舞台。 前作は興行収入が32.3億円、本作は45.6億円。 前作はかなりの賭けだったと思うがヒットした。 前作のヒットがあるので今回はゼロから構築するリスクは少なかったかと思う。もちろん莫大な予算を使って制作するのだから簡単なビジネスではないのだが。 今回は小説家の茶川と彼が育てている淳之介のストーリーと、鈴木オートで親戚の美加を預かることになるストーリーがメインになる。 今回はその中でも、茶川が芥川賞をとるために奮闘するストーリーが中心になっている。前作はいろいろな人物を引き立てようとした結果として、これといったストーリーのない群像劇になって

  • 「オデッセイ」(2015年)

    2012年8月6日にNASAの火星探査車「キュリオシティ」が火星に着陸した。 個人的な印象だが、あのころから人々は火星に興味を持ちはじめた印象がある。有人・無人はともかくとして人類がアクセスできる場所としての興味だ。 もちろん、まだ人間が火星にいったことはない。それでもNASAや民間宇宙企業が開発競争を加速しているのを見ていると、近いうちにいけるのではないかという気がしてくる。 そのような状況で本作である。 火星に取り残された植物学者マーク・ワトニーがなんとか生き延びようと、ひとりきりでさまざまな工夫をこらす。そして、彼が生きていることに気づいたNASAは、ワトニーを地球に連れ戻

  • 第12回 はじまりの風景

    本屋で立ち読みをして時間を潰し、夜の七時過ぎにマンションにたどり着いた。 キッチンで真理子が料理をしていた。 洋介は部屋着に着替えてリビングで相対性理論の続きを読んだ。 手から本が滑り落ちる感覚で目が覚めた。いつの間にか眠っていた。本を拾い上げて、照れ隠しのだらしない笑みを真理子に向けた。真理子はダイニングテーブルに料理を並べるのに集中していて、洋介のほうを見ていなかった。 ダイニングにいった。食卓には、サラダと刺身、味噌汁と冷凍食品のチャーハンが並んでいた。 洋介はきょとんとしてしまった。 そう。食事はひとり分しか用意していなかった。 真理子はひとりで食べはじめた

  • 「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)

    もともとは、昭和三十年代を舞台にした映画を作りたいというプロデューサーの願望があったようだ。東京タワーが少しずつ完成していく過程の感動を伝えたいという想いがあったと、Wikipediaに書いてある。 結果として、その時代に一番興味を持つであろう団塊の世代向けをターゲットにした作品となった。 舞台になっているのは1958年。 団塊の世代(1947年~1949年生まれ)が10歳くらいの頃の時代設定ということになる。 現実の団塊の世代は2005年時点では60歳手前。 働いている人は、定年を目前に控えており、余生のことを考える、もしくはもう余生がはじまっているという意識かもしれない。 そんな

  • 「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(1984年)

    うる星やつらは原作も読んでいないしテレビシリーズも観ていない。 本作は特殊な位置づけとして語られている印象だが、比較ができない。 それぞれのキャラクターを知らなくても楽しめた。 「学園祭前日が繰り返される」という話なのだが、いわゆるタイムループのように同じ出来事が繰り返されるわけではない。 「自分の好きな人たちと楽しくずっと過ごしたい」という願望が実現した世界が描かれる。 本作が製作されたであろう1983年はどういう時代だったか。 東京ディズニーランドが開園。 ファミコンの発売。 「おしん」が大人気。 なんとなく、景気のいい感じがする。 日本の安定経済成長期と呼ばれる時期だ。いわゆ

  • 「シンドラーのリスト」(1993年)

    はじめて観たが、よくできている。 第二次世界大戦のナチスドイツが舞台。 ビジネスマンのオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、戦時下であることを利用してナチスに取り入って、ビジネスを成功させた。安価な労働力であるユダヤ人を雇い入れ、莫大な利益を生んだ。 戦時下において状況が変わり、SSのアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)が収容所に赴任してくる。彼は気分で囚人をどんどん殺すので、シンドラーは自分の工場で働いているユダヤ人が殺されては困るとゲートに相談を持ち掛ける。 さらに戦況が変わり、ユダヤ人が次々にアウシュビッツに送られるようになる。シンドラーはゲートと交渉し、ユダヤ人

  • 第11回 マリア

    洋介は、まっすぐにマンションに帰らなかった。 あてもなく歩いていた。 やがて、中野駅についた。高架下を抜けて新中野方面に向かった。途中で足を止めてしばらく思案した。こういう時、自分ではなにも考えずに歩いているつもりでも、実際には行き先は漠然と決まっている。 住宅街に入っていった。いくつもの路地を右へ左へと進んでいくと、やがて築三十年ほどの木造アパートに辿り着いた。鉄製の階段は錆びていて、上り下りするたびに、がこんがこんと硬い音が響く。外廊下の一番端の部屋の前で足を止めた。薄っぺらい扉の脇にアロエの鉢が置いてあった。巨大化していて、傾いている。 インターフォンを鳴らした。返

  • 「aftersun/アフターサン」(2022年)

    31歳の誕生日を迎えようとしている若い父親カラムと、11歳の娘ソフィがトルコのホテルでバカンスを過ごす。 ストーリーはそれだけだ。 ただし、この中に父親と娘のそれぞれの愛情の違いや、その溝を埋めようとするあがきや苦しみといったものが凝縮されている。 予告編の「あなたを知るには幼すぎた」というコピーがすべてを表現している。 本作は構造が凝っている。 1.【現在】31歳になったソフィが、20年前のことを思い出している。 2.【過去】カラムとソフィがバカンスを過ごす時間 3.【映像】バカンス中に撮影した映像 4.【心象風景】31歳のソフィが、31歳の父カラムと同じ空間にいる 上記の4種の映

  • 「グランツーリスモ」(2023年)

    ゲームの「グランツーリスモ」はプレイしたことがない。 おそらくゲームのファン層が好きなものが全部詰まっているのだと思う。 そして、一般的な映画ファンが好きなものも全部詰まっている。 本作のレースシーンは実際に車を走らせて撮影したとのことで、非常に完成度が高い。映画館で観たら大興奮だろう。 主人公のヤンは「グランツーリスモ」オタクの青年。引きこもりではないのだが、フリーターのようなことをしながら「グランツーリスモ」ばかりやっている。父親は彼を社会復帰させたくていろいろと口出しをするのだが、ヤンの夢はカーレーサーになることだ。それを口にすると、現実を見ろと言われてしまう。 一方、英国日

  • 「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」(2021年)

    前作が素晴らしすぎたので、平凡な作品に思えるが、他の映画に比べたらよくできていると思う。 今回は、モンスターの弱点を発見した人間が、その方法を人々に伝えようとする物語。 前作の世界観と大きく変わるところはない。 今回は子どもたちの成長物語になっている。 本作ではラジオから流れる音楽を聴いて、それをヒントに発信源をつきとめるというアイデアがキーポイントになっている。 ここからわかるのは、コミュニケーションの手段というものはたくさんある。それを理解するには受け手の能力も必要だ、ということだ。 さらに言えば、発信源をつきとめたのは聾唖者だった。ラジオの音が聞こえない聾唖者がなぜ発信源を突

  • 「クワイエット・プレイス」(2018年)

    非常によくできたホラー映画。 音を立てるとモンスターに襲われる世界。 その中でサバイバルしているアボット一家の物語。 冒頭、幼いボーがモンスターに襲われて死ぬ。 音の出るおもちゃを手にしていたのだ。 その事件は家族のそれぞれに傷をつける。 痛みの中で彼らは家族とはなにか、自分の役割とはなにかということを考えていく。 この映画の特徴は二つある。 シナリオの執筆開始が2016年であり、wikiによると政治的な風刺を含んでいる、とのこと。トランプ政権のことを言っているのだと思う。 そこから、目が見えず、聴覚が発達しているモンスターが誕生したのではないか。現実を直視せずになんでも攻撃するモ

  • 「石川九楊大全」展

    書家・石川九楊の展覧会。 「後期【状況篇】 言葉は雨のように降りそそいだ」にいった。 「エロイエロイラマサバクタニ又は死篇」(1972年) 「風景交響」等(1980年代) 戦争やテロに関する作品(2000年代) 「河東碧梧桐109句選」(2022年) といったように、年代ごとに展示されている。 自分は書に関してはズブの素人なので、ここに書く感想は書における常識なのかもしれないし、石川九楊という書家だけに当てはまることなのかもしれない。 全体を通して感じたのは、文字がデザインの中に溶けていくし、逆にデザインの中から文字が浮かび上がりもする。それが書というものなのではないか、といった

  • 「フォードVSフェラーリ」(2019年)

    1966年のル・マン24時間レースがメイン。 フォードVSフェラーリというタイトルであり、実際にフェラーリとの対決は描かれるが、むしろメインはフォード側の内幕になっている。 大企業のフォードは衰退の危機感から、さらなる発展を目指していた。そこで、ル・マン24時間レースを連覇していたフェラーリを買収しようとする。しかし、交渉は決裂、フェラーリの社長から侮辱的な言葉を投げかけられて、フォードの社長は自社でル・マン24時間レースの優勝を目指す。 雇われたのが、ル・マンで唯一優勝経験のあるアメリカ人ドライバー、キャロル・シェルビーと、イギリス人レーサーのケン・マイケルズだった。シェルビーはレ

  • 第10回 決心

    アポなしで金子家を訪れた洋介は、執事に、蝶に会いたいと伝えた。 執事は洋介を残して母屋に戻っていった。五分ほど経って、もう一度インターフォンを鳴らそうとした時に、ようやく勝手口の扉が開いた。顔を出したのは制服姿の蝶だった。 蝶は目が充血していて、口紅が少し落ちていた。洋介は突然の来訪を詫びた。蝶は顔にかかった髪を払った。 「勉強していたのよ」 そう言って、蝶は踵を返した。入れとは言われなかったけど、洋介はついていった。小道の途中で蝶が足を止めて振り向いた。 「私の部屋で話しましょう」 金子家の母屋に上がるのは、はじめてだった。木の匂いがした。洋介が玄関の扉を閉めると

  • 「シャイン 」(1996年)

    これはよかった。 主演のジェフリー・ラッシュが第69回アカデミー賞で主演男優賞を受賞したので日本でも話題になった。 オーストラリアの実在のピアニストであるデイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いている。 ピアノに関して神童的な実力を持つデイヴィッドは、注目を集めて、より高い教育を受けるように勧められる。しかし、家族のもとを離れることになると、そのつど父親が拒否してしまう。 家族を捨ててイギリスの王立音楽院にわたったデイヴィッドはコンクールで優勝するが、その場で昏倒。精神病院で生活することになる。しかし、ピアノの演奏技術は人々の注目を集めて、彼は人生を切り開いていく。といったもの。

  • 「FALL/フォール」(2022年)

    地上600メートルの高度に取り残されるサバイバル映画。 映像そのものは美しいのだが、なにをどうやったらこんなにリアルになるのかというほど怖い。手の平と足の裏に脂汗をかきながら観た。 画面のひとつひとつに緊張感がみなぎっている。 「人生はあまりにも短い。だから一瞬一瞬を大切に、人生をかみしめて生きるべきだ」というメッセージそのままに、画面から目が離せない。 主人公のベッキーはロッククライミングを楽しんでいるときに、夫のダンを落下事故で失う。これは夫がfallするというだけでなく、ベッキーの人生がまたfallする瞬間であり、タイトルとの紐づけがうまい。 ベッキーは失意の中で酒におぼれ

  • 第9回 虚ろな真理子

      果穂から預かった風景はさいごの風景ではないから、喜びなんか見出せない。 生きていれば、色々とある。それでも人はさいごの風景を持っている。少なくとも今までのクライアントはそういう人たちだった。でも、果穂のように、トラウマ体験だけを強烈に記憶していて、それ以外にはこれといって印的な風景を持っていない人も多いのかもしれない。 マンションのエレベーターの中で洋介はため息をついた。背中を丸めて外廊下を歩いた。目の前に壁があるのを感じて顔を上げた。自分の部屋を通り過ぎて、通路の端まで歩いてきてしまっていた。 部屋に戻ると、リビングのソファに真理子がいた。スマートフォンをい

  • 紫式部 「謹訳『源氏物語3』」(1008年頃)

    源氏の君の26歳から31歳までを扱う。 この巻では源氏が都落ちして数年間須磨に住むところから、ふたたび都に戻ってきて、以前以上の地位につくところまでを描く。 島流し的なシチュエーションでも源氏はモテて、明石の入道の娘、明石の君に出会う。 なぜ源氏はかくもモテるのか。容姿端麗で頭脳明晰、音楽や絵画の腕前も玄人はだし、ホスピタリティもぬかりなし、ということで今のところ触れられていないのは武術くらい。腕っぷしの強さは、貴族のたしなみとしては必要とされていなかったのかもしれない。 このような条件がそろっているので源氏がモテるのは当然として、なぜ紫式部は源氏をこのようなキャラクターとして設定

  • コンラッド「闇の奥」(1899年)

    映画「地獄の黙示録」の原作として有名な作品。あの映画が好きな人はこの本も好きになると思う。 本書は「私」が「マーロウ」から話を聞くというスタイルをとっている。 マーロウはコンゴの川を船で移動してクルツという人物に会いにいったときのことを語る。 wikiを見ると、コンラッド自身「1890年にベルギーの象牙採取会社の船の船長となって、コンゴ川就航船に乗り[5]、さらに陸路でレオポルドヴィル(キンシャサ)まで行き、船を乗り換えてキサンガニに到達、その後病に倒れ、1891年にブリュッセル経由でロンドンに戻った。」とある。 「私」が「マーロウ」に話を聞いているが、実際には「マーロウ」がコンラッ

  • 「マッドマックス/サンダードーム」(1985年)

    今までのマッドマックスと違って、かなりコミカルだ。 インディジョーンズと同じような演出もある。 かなりハリウッドを意識していると思われる。 そう考えると、「怒りのデスロード」(2025年)でマックス役をトム・ハーディに交代したのは、メル・ギブソンの年齢的な要因もあるだろうが、よりハリウッド的なスター性のあるヒーロー像を求めたのかもしれない。 製作費は15億円。興行収入は57億円。 前作の製作費が4億円で、興行収入は37億円だったことを考えると、かなり予算がアップしている。 本作も前二作に続いて荒廃した世界で物語が展開する。 ただし、石油の奪い合いは話題にならない。 注目すべきなのは

  • 「ザ・ビーチ」(2000年)

    今もそうなのかもしれないが、20年ほど前は若者がバックパックで海外に出かけるのが珍しくもなかった。外国のユースホステルなどにいくと同年代のバックパッカーがたくさんいた。 自分はバックパッカーというほど旅慣れてはいなかったが、海外でユースホステルには泊った。日本にいるよりも頭の中が整理できる気がした。知らない場所にいって、新しい体験をすることに価値を見出していた。 この映画の主人公であるリチャードも、同じことを語る。 彼はタイを訪れたのだが、結局のところ同じことの繰り返しだった。バックパック旅行とはいっても、日常の延長線上でしかなかった。しかし、安宿で出会ったダフィという男から「伝説の

  • 「マッドマックス:フュリオサ」(2024年)

    映画としてのインパクトは「怒りのデスロード」ほどではないが、作る価値はあった作品だと思う。 前作で登場したフュリオサがなぜイモータン・ジョーの「砦」で大隊長という地位にいながら脱走を試みたのか、という背景が描かれる。 本作でフュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイは、作中はだいたい目の周りを黒くしたりしていて顔がよくわからないのだが、普通の顔のシーンもある。その時は非常に美しく撮れていた。ジョージ・ミラー監督のうまさだと思う。 ストーリーは、 「緑の土地」で暮らしていた幼いフュリオサは、ディメンタス将軍の率いるバイカー集団にさらわれる。彼女はなんとかして故郷へ戻ろうとするが、その

  • カルロ・コッローディ「ピノッキオの冒険」(1883年)

    ディズニーのピノキオを観たことがないので比較ができないのだが、こちらはかなり良い児童文学だった。 木の枝から作られたピノキオがありとあらゆる失敗を重ねながらも、彼を作ったジェッペットじいさんや、仙女たちに支えられて成長していく、という物語。 物語のトーンとしてはダークファンタジー的な雰囲気。 基本的にピノッキオを騙しにくるのは、子どもたちや動物たちで、結果的におとなのもとに売り払われたりする。おとなたちはピノッキオを酷使するが、彼らは自分の仕事の一環としてやっている。子どもを死ぬほど働かせるというのは今の世の中ではもちろん違法だが、当時はどうだったのだろうか。あたりまえだったのか、あ

  • 「マッドマックス2」(1982年)

    非常に面白い。 冒頭で2つの大国の戦争が原因で世界が荒廃したというナレーションがある。 これは、1970年代末から80年代初頭の第二次オイルショックと、1980年9月22日からはじまったイラン・イラク戦争を意味しているのだろう。 そこから、石油が貴重になり、暴走族が暴れるという、多くの人が「マッドマックス」と聞いてイメージする世界はここからはじまった。 製作費は当時の相場で6億4千万円。興行収入は56億円。 ちなみに前作は制作費は約3千万円。興行収入は210億円 前作がヒットして予算がアップしたものの、それほどヒットしなかった模様。 ストーリーとしては、 荒野にある石油精製所がヒュ

  • 「マッドマックス」(1979年)

    「マッドマックス 怒りのデス・ロード」で見事に復活したシリーズ。 あらためて第一作を観返すと、思っていた以上に面白い。 家族を奪われた警察官の復讐劇。 主人公のマックスはおもに暴走族の取り締まりをしている。 ある日、職務の途中で追跡していた暴走族が事故死する。 ナイトライダーという男だったが、彼はトッカータという男が率いるグループの一味だった。 トッカータはこの事故が原因で警察に恨みを抱く。 ある日、彼の手下がマックスと、同僚のグースに逮捕される。結局無罪で釈放されることになるのだが、不満を抱いたグースと小競り合いを起こす。 そして、グースは殺される。 ショックを受けたマックスは隊長

  • 「羊たちの沈黙」(1991年)

    1991年のアメリカ映画のトップ3は、 1.ターミネーター2 2.ロビン・フッド 3.美女と野獣 といった、ヒーローとロマンス。映画に夢や希望が詰まっていた時代と言ってもいい。「羊たちの沈黙 」は、ベスト3には入らなかったが、上位につけていた。ただし、ターミネーターやロビン・フッドのような「強いアメリカ」のイメージではないし、ジョディ・フォスターは美女だから、ロマンスの要素はあるにしても、レクター博士は、本物の野獣といってもいいほどに凶暴だ。 レビューで「傑作」と称されることの多い本作。 初見は高校時代、大好きなジョディ・フォスターが出ていたので観た。 当時も面白いとは思ったが、ここ

  • 「鈍考」

    ブックディレクターの幅允孝氏が主催する私設図書室。 予約制で、定員6名の90分。 最寄り駅は京都の叡山鉄道の無人駅だと聞いていたので、どんな田舎なのかと思っていた。 叡山鉄道は1両編成の鈍行ではあるが、車窓から見える風景は郊外の住宅街だった。江ノ電に近いイメージなのかもしれない。 駅からは徒歩10分ほど。山が近いし田畑もあるのだが、高級住宅地(高級別荘地?)のようで、豪邸が立ち並んでいた。 鉄道が江ノ電に似ていることも踏まえると、葉山みたいなエリアなのか。 なぜ道行のことをくどくど書くかというと、「鈍考」という図書室のコンセプトが「脱デジタル」「自分の時間を取り戻す」といったところにあ

  • 村上隆 もののけ 京都

    「村上隆の五百羅漢図展」(2015年)よりはこぢんまりとした印象。 よく知られている日本画のテーマやモチーフをスーパーフラットに解釈した作品群と、村上隆によく登場するキャラクターの現在形が展示されていた。そういう意味では、新作ではあるものの、どこかで観たことのある作品、ということになる。 これが現在の村上隆なのかもしれない。 つまり、ウォーホルは大衆文化のアイコンを大量に複製することでアートにしたが、村上隆は自身の作品やキャラクターを大量生産することで大衆文化に浸透させているのではないか。 ルイ・ヴィトンのお花の親子であるとか、最近ではNewJeansとのコラボレーションがあり、

  • 紫式部「謹訳『源氏物語2』」(1008年頃)

    2巻では源氏の君の18歳から25歳までを扱う。 この巻では、有名な車争いや、その後葵上が六条御息所に呪い殺されるエピソードなどがある。また、幼女だった紫上が成長し、源氏の妻となる。 また、桐壺院が亡くなり、朝廷の勢力図が変わる。右大臣家が権力を持つようになり、左大臣家側である源氏も抑圧される日々を送る。 源氏の女遊びばかりだった印象の1巻に比べて、きちんと物語が展開しはじめている。 まだまだ先は長いのでこれから変わるかもしれないが、ここまで読み進めてきたところでは、「源氏物語」とは広い意味でのコミュニケーションについての物語なのだという理解に至った。 特徴的なのは、作中人物が互いに

  • 「犬ヶ島」(2018年)

    ウェス・アンダーソンのストップモーションアニメ。 映像としてはよくできているが、なにを伝えたくて作ったのか、明確に読み取れない。 おおまかなストーリーは下記となる。 日本のウニ県メガ崎市で犬の伝染病「ドッグ病」と「スナウト病」が蔓延しはじめて、メガ崎市の小林市長はすべての犬を「犬ヶ島」に隔離する法案を通す。かくして、すべての犬が送られたのだった。 6か月後、犬ヶ島にひとりの少年が訪れた。彼は小林アタリ。小林市長の遠縁の親戚で、スポットという自分のボディガード役だった犬を探しに来たのだ。 メガ崎という地名は長崎のことだろう。 飛行機が墜落するシーンで、キノコ雲があがるのは、原爆を意識

  • テクノロジー

    テクノロジー

  • ベルトルト・ブレヒト「三文オペラ」(1928年)

    ネットで「ブレヒト」を検索すると「ブレヒト 異化効果」という検索候補が出てくる。「異化効果」は知っているが、「ブレヒトと言えば異化効果」というほどのものだとは知らなかった。 そして、「三文オペラ」にも異化効果が仕込まれているという。 自分は全然わからなかった。このあたりは、知性と教養を身に着けることと、思考力を深めていく過程で、世界に対する解像度をあげていく必要がある。そういうことをやっていると、いろいろと見えてくるものもあるのだろう。 ここでは、自分がわかったことだけを書く。 本作は、ブレヒトのオリジナルではなく、ジョン・ゲイ「乞食オペラ」を元ネタにしているとのこと。1928年

  • 第8回 沢渡果穂のさいごの風景

    洋介は断るつもりだった。 マリアの時と同じ結果になるという予感があった。でも、武はそうは考えていなくて、今回はうまくいくと断言した。 というわけで、洋介は武の家にいた。ダイニングルームでテーブルについていた。向かい側に果穂がいる。武はお誕生日席に座っていた。降霊術でもはじめるのかっていう配置だ。自分の家なのに、武は白いスーツを着ていた。 果穂は地味な女だった。それだけじゃなくて、会話をしていても、ずっとテーブルの上を見つめていて、武が話しかけた時だけそちらを見た。 「そんなに堅苦しく考えなくていいんだ」 自分がリラックスしているのを示したいのか、武は口元に笑みを浮かべ

  • 「ゴジラ-1.0」(2023年)

    これはとてもよかった。 山崎貴監督作品はわかりやすさが最優先されており、誰がどこでなにをしているのか、というのが非常に明確だし、ストーリーがどのように進んでいくのかも明確だ。そして、観客が観たいものをそのまま出してくる。 このセンスはどこから来るのだろうか。 本作は、1945年から物語がはじまる。 特攻兵の敷島が零戦が故障したといつわって、小笠原諸島にある大戸島という守備隊基地に不時着する。 そして、その島にゴジラが現れる。敷島は零戦の機銃でゴジラを撃つように頼まれるが、怯えて撃てない。彼の目の前で整備兵たちが次々と殺されていく。 生き残った敷島は本土に戻る。彼は特攻から逃げ、ゴジラ

  • 「デ・キリコ」展@東京都美術館

    デ・キリコの「形而上絵画」というキーワードを聞くと、半ば条件反射的に埴谷雄高の「形而上文学」を連想する。埴谷雄高は「死霊」において「虚体」というキーワードを提示し、実体のない、存在だけの人間について書いた。 デ・キリコもまた絵画において実体のない本質的ななにかを探し求めたのだろう。 画面の色の話をすると、デ・キリコは郷愁を描いた。それは空の色合いによくあらわれていた。テレンス・マリックの映画でよく使われている「マジック・アワー」のような美しい色彩だ。 モチーフも特徴的だ。 デ・キリコはイタリア人かと思っていたのだが、もともとはギリシアの生まれだそうだ。だからギリシア神殿やギリシア神

  • 「アステロイド・シティ」(2023年)

    これはよかった。 本作は製作費35 億円、興行収入76 億円。ウェス・アンダーソン作品としては「グランド・ブダペスト・ホテル」(2014年)の276億円に次ぐ2番目の興行収入だそうだ。「グランド・ブダペスト・ホテル」は10年前の作品なので、その間に売り上げが積み上げられている可能性もある。そして、「グランド・ブダペスト・ホテル」は、展開が早く、なにも考えずに観ていても楽しかった。本作はなにも考えずに観ているとよくわからないと思う。そういう要素も興行収入の差につながっているのだろう。 ウェス・アンダーソンらしい画面作りはいつも通りだが、ストーリーは比較的淡々と進む。いろいろな出来事はある

  • 第7回 老婦人のさいごの風景

    翌日、洋介が金子家を訪れると、いつものように執事が出迎えた。昨日も顔をあわせたというのに、執事は不思議そうに洋介をじろじろと眺めた。たぶん、スーツを着ているのが珍しかったんだろう。仕事を依頼されて挨拶にきた時ですらポロシャツにチノパンという軽装だったんだから。 それはともかく、執事は洋介を温室へと案内した。 老婦人は地植えにしてある棕櫚に触れていた。 「昔流行った時期があったから、今でも時々軒先なんかで見かけることがあるでしょう」 老婦人は自分で車椅子を動かして、いつものティーテーブルについた。洋介も椅子を勧められた。 「温室に棕櫚があると熱帯植物園のような雰囲気になり

  • 「生きる LIVING」(2022年)

    黒澤明の「生きる」のリメイク。 1953年のイギリスを舞台にしている。 カズオ・イシグロがシナリオを担当したことも話題になった。 手堅くまとめた印象。 ロンドンの役所で働くロドニー・ウィリアムズが、末期がんを宣告される。彼は生きる意味を求めて街をさまよう。そして、偶然、元部下のマーガレットに出会う。彼女は役所をやめて転職することになっていた。 ロドニーは、彼女の明るさに生きる意味を見出す。彼女に、仕事に戻るように促され、ロドニーは役所に戻り、今まで放置していた仕事に取り組む。それはたらいまわしにされていた公園事業だった。 本作では、いわゆるお役所仕事から抜け出す事は容易ではないとい

  • 虚構

    虚構

  • 紫式部 『謹訳「源氏物語1」』(1008年頃)

    リンボウ先生の「謹訳」はとても自然な感じが読みやすくていい。紫式部の原文がどういうものなのか、というのはわからないのだが、まずは全文を通読したい、という人にはいいと思う。 最初のほうは物語の展開がゆるやかで、これが平安時代の時間間隔なのだろうかと思っていたが、夕顔という女性が何者かに呪い殺されるあたりから展開が面白くなる。 1巻は、源氏の誕生(桐壺)から18歳(若紫)まで。 絶世の美男子として描かれる源氏は、女と見れば手を出さずにいられない、現代であればセックス依存症のようなキャラクターなのだが、周りの人間も似たり寄ったりのようで、同じ日本でも、1,000年前だと感覚がだいぶ違うよ

  • バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

    冒頭、風景描写や人物に関する説明が延々と続く。 この調子で最後までいくのではないかと不安になりはじめたころに物語がはじまる。そこからはどんどんストーリーが転がり、最後まで楽しめた。 1815年以降のパリ。 場末の下宿屋ヴォケール館に住む人々の中に、落ちぶれた製麺業者のゴリオ爺さんがいた。実は彼には二人の娘がいる。彼女たちが社交界で生き抜いていくために、ゴリオ爺さんは私財を投げうって支えているのだ。 同じくヴォルケール館には、ラスティニャックという法学生や、ヴォートランという謎の男が住んでいる。 ラスティニャックは上流階級にあこがれ、親戚のツテを頼って社交界に潜り込もうとする。 成功

  • 「オッペンハイマー」(2023年)

    映画としては悪くないが、「ノーランの最高傑作!」かというとそうでもない。ただし、「メメント」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」といった作品にあった要素をうまく使っており、ノーランらしさという点では満足度が高い。 「原爆の父」オッペンハイマー博士の一人称の物語であるという触れ込みで、彼の目に映ったものだけを描写するという予備知識を得ていたのだが、それに関しては斬新な演出があったわけではないし、他者の視点もあった。 ただ、オッペンハイマーの視点と他者の視点は明確に分けられている。そういう意味では新しい演出ではあった。 他者の視点もあるのなら原爆投下シーンもあってよいではないか

  • 「STAND BY ME ドラえもん」(2014年)

    3Dのドラえもんで、どんなものかと思って見てみたが素晴らしかった。 いつものように他の場所に冒険するのではなくて、日常生活のままである。 なにがよかったかというと、原点回帰しているところだ。 ドラえもんが何のために来たのかという原点に戻り、彼にとってなにが幸せなのかという問いを検証する内容になっている。 ドラえもんはのび太を幸せにするという任務を追っており、プロットとしてはしずかちゃんと結婚するのが最終ゴールとして設定される。 しかし、それはあくまでも表面的なゴールであり、頼りないのび太がいかに自立していくか、というのがドラえもんの根底に流れるテーマだ。 本作は山崎貴監督作品だ。「

  • 「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

    シリーズはまだまだ続くが、「砂の惑星」としては最終巻。 デヴィッド・リンチ版、ヴィルヌーヴ版の映画で散々観ているので、プロットに関してはすでに知っている。 この巻でハルコンネン男爵の甥であるフェイド=ラウサが登場する。 一方ポールは、フレメンの宗教的指導者となっていく。その過程で以前の部下であったガーニーと再会する。 力をつけたポールは、皇帝との最終決戦へと突き進む。 有名な作品なのですでに知っている部分が多い。 ただ、絶大な人気を誇る古典なので、読んでおいてよかった。 1960年代はレイチェル・カーソンなどの影響で環境問題が盛り上がっていた時期であり、本書もその影響を受けている

  • 「ひまわり」(1970年)

    有名作品ではあるが、実際には観たことがない人は多いと思う。ただ、中高年の人はヘンリー・マンシーニのテーマ曲は聴いたことがあるだろう。 ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが第二次世界大戦で引き裂かれる夫婦を演じるメロドラマ。とてもよくできている。 ロケーションの美しさもさることながら、戦争と人間のかかわりを深く掘り下げている。 第二次世界大戦中、ナポリ娘のジョバンナとアフリカ戦線行きを控えたアントニオは恋に落ちて結婚する。アントニオは精神病を装って除隊を目論むが、見破られて逆にソ連戦線に送られる。 戦争は終わったが、アントニオは帰国せず、行方不明のままだった。 ジョバンナ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、chloe_sさんをフォローしませんか?

ハンドル名
chloe_sさん
ブログタイトル
ポップアートとしての文学
フォロー
ポップアートとしての文学

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用