chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
chloe_s
フォロー
住所
中野区
出身
北区
ブログ村参加

2015/10/10

arrow_drop_down
  • 第7回 老婦人のさいごの風景

    翌日、洋介が金子家を訪れると、いつものように執事が出迎えた。昨日も顔をあわせたというのに、執事は不思議そうに洋介をじろじろと眺めた。たぶん、スーツを着ているのが珍しかったんだろう。仕事を依頼されて挨拶にきた時ですらポロシャツにチノパンという軽装だったんだから。 それはともかく、執事は洋介を温室へと案内した。 老婦人は地植えにしてある棕櫚に触れていた。 「昔流行った時期があったから、今でも時々軒先なんかで見かけることがあるでしょう」 老婦人は自分で車椅子を動かして、いつものティーテーブルについた。洋介も椅子を勧められた。 「温室に棕櫚があると熱帯植物園のような雰囲気になり

  • 「生きる LIVING」(2022年)

    黒澤明の「生きる」のリメイク。 1953年のイギリスを舞台にしている。 カズオ・イシグロがシナリオを担当したことも話題になった。 手堅くまとめた印象。 ロンドンの役所で働くロドニー・ウィリアムズが、末期がんを宣告される。彼は生きる意味を求めて街をさまよう。そして、偶然、元部下のマーガレットに出会う。彼女は役所をやめて転職することになっていた。 ロドニーは、彼女の明るさに生きる意味を見出す。彼女に、仕事に戻るように促され、ロドニーは役所に戻り、今まで放置していた仕事に取り組む。それはたらいまわしにされていた公園事業だった。 本作では、いわゆるお役所仕事から抜け出す事は容易ではないとい

  • 虚構

    虚構

  • 紫式部 『謹訳「源氏物語1」』(1008年頃)

    リンボウ先生の「謹訳」はとても自然な感じが読みやすくていい。紫式部の原文がどういうものなのか、というのはわからないのだが、まずは全文を通読したい、という人にはいいと思う。 最初のほうは物語の展開がゆるやかで、これが平安時代の時間間隔なのだろうかと思っていたが、夕顔という女性が何者かに呪い殺されるあたりから展開が面白くなる。 1巻は、源氏の誕生(桐壺)から18歳(若紫)まで。 絶世の美男子として描かれる源氏は、女と見れば手を出さずにいられない、現代であればセックス依存症のようなキャラクターなのだが、周りの人間も似たり寄ったりのようで、同じ日本でも、1,000年前だと感覚がだいぶ違うよ

  • バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

    冒頭、風景描写や人物に関する説明が延々と続く。 この調子で最後までいくのではないかと不安になりはじめたころに物語がはじまる。そこからはどんどんストーリーが転がり、最後まで楽しめた。 1815年以降のパリ。 場末の下宿屋ヴォケール館に住む人々の中に、落ちぶれた製麺業者のゴリオ爺さんがいた。実は彼には二人の娘がいる。彼女たちが社交界で生き抜いていくために、ゴリオ爺さんは私財を投げうって支えているのだ。 同じくヴォルケール館には、ラスティニャックという法学生や、ヴォートランという謎の男が住んでいる。 ラスティニャックは上流階級にあこがれ、親戚のツテを頼って社交界に潜り込もうとする。 成功

  • 「オッペンハイマー」(2023年)

    映画としては悪くないが、「ノーランの最高傑作!」かというとそうでもない。ただし、「メメント」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」といった作品にあった要素をうまく使っており、ノーランらしさという点では満足度が高い。 「原爆の父」オッペンハイマー博士の一人称の物語であるという触れ込みで、彼の目に映ったものだけを描写するという予備知識を得ていたのだが、それに関しては斬新な演出があったわけではないし、他者の視点もあった。 ただ、オッペンハイマーの視点と他者の視点は明確に分けられている。そういう意味では新しい演出ではあった。 他者の視点もあるのなら原爆投下シーンもあってよいではないか

  • 「STAND BY ME ドラえもん」(2014年)

    3Dのドラえもんで、どんなものかと思って見てみたが素晴らしかった。 いつものように他の場所に冒険するのではなくて、日常生活のままである。 なにがよかったかというと、原点回帰しているところだ。 ドラえもんが何のために来たのかという原点に戻り、彼にとってなにが幸せなのかという問いを検証する内容になっている。 ドラえもんはのび太を幸せにするという任務を追っており、プロットとしてはしずかちゃんと結婚するのが最終ゴールとして設定される。 しかし、それはあくまでも表面的なゴールであり、頼りないのび太がいかに自立していくか、というのがドラえもんの根底に流れるテーマだ。 本作は山崎貴監督作品だ。「

  • 「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

    シリーズはまだまだ続くが、「砂の惑星」としては最終巻。 デヴィッド・リンチ版、ヴィルヌーヴ版の映画で散々観ているので、プロットに関してはすでに知っている。 この巻でハルコンネン男爵の甥であるフェイド=ラウサが登場する。 一方ポールは、フレメンの宗教的指導者となっていく。その過程で以前の部下であったガーニーと再会する。 力をつけたポールは、皇帝との最終決戦へと突き進む。 有名な作品なのですでに知っている部分が多い。 ただ、絶大な人気を誇る古典なので、読んでおいてよかった。 1960年代はレイチェル・カーソンなどの影響で環境問題が盛り上がっていた時期であり、本書もその影響を受けている

  • 「ひまわり」(1970年)

    有名作品ではあるが、実際には観たことがない人は多いと思う。ただ、中高年の人はヘンリー・マンシーニのテーマ曲は聴いたことがあるだろう。 ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが第二次世界大戦で引き裂かれる夫婦を演じるメロドラマ。とてもよくできている。 ロケーションの美しさもさることながら、戦争と人間のかかわりを深く掘り下げている。 第二次世界大戦中、ナポリ娘のジョバンナとアフリカ戦線行きを控えたアントニオは恋に落ちて結婚する。アントニオは精神病を装って除隊を目論むが、見破られて逆にソ連戦線に送られる。 戦争は終わったが、アントニオは帰国せず、行方不明のままだった。 ジョバンナ

  • 「トップガン マーヴェリック」(2022年)

    大ヒットしたのもよくわかる。 すばらしくよく出来ている。 トム・クルーズ演じるピート・“マーヴェリック”・ミッチェル海軍大佐は、本来なら将官になっていてもおかしくない実力があるが、現在はテストパイロットをやっている。 そんな彼が、海軍のパイロット養成学校【トップガン】に呼び戻される。 「ならずもの国家」がウラン濃縮プラントを稼働させようとしているので、それを爆破するというプロジェクトがある。トップガンのパイロットたちがその任務を達成するように、マーヴェリックが教育するのだ。養成学校の生徒にそういうことをやらせるのだろうか、という疑問があるが、それはともかく、基本的には生徒たちを教えて

  • 第6回 金子家に招かれて

    数日後の夕方に金子家を訪れた。 いつものように執事が出迎えた。 母屋に案内されると、玄関扉の前で蝶が待っていた。白いブラウスにタータンチェック柄の短いスカート姿だった。学校から帰ってきたばかりだという。「お待ちしていました」と丁寧に挨拶をした。洋介もやや緊張してお辞儀をした。蝶は洋介の腕に軽く触れた。 「少し庭を散歩しましょう」 執事はついてこなかった。蝶は時折足を止めて植物の説明をした。たとえば洋介の腰の高さほどもあるアガベ。兵庫県の専門業者のところまで買いにいったという。平べったくて肉厚な乳白色の葉は、粉を吹いたようになっていて、触れるとざらざらしていた。葉の縁に並

  • 「デューン 砂の惑星 PART2」(2024年)

    正直に言うと、この映画の素晴らしい要素(映像美、壮大な空間、ハンス・ジマーの音楽、重量感のある機械など)は、前作ですでに登場しており、2作目になると前回ほどの感動はなかった。同じ映画の続編だし、舞台も同じ惑星だからそれはいたしかたない。 映画の冒頭、「ワーナー」や「レジェンダリー」といったロゴが映し出される直前に1ショットが挟まれる。シンプルだがかっこよかった。もしかしたら今回一番センスを感じたショットかもしれない。 本編は、前作でも感じたがプロットを消化することに重点がおかれており、かなりの駆け足で物語が進む。原作には登場していた人物やストーリーも削除されていた。 原作では砂漠の

  • 第5回 雷の記憶

    当然だけど、洋介の仕事は海外のみというわけじゃない。むしろ国内、もっといえば都内がもっとも多い。今日もそういう仕事だった。 マンションの屋上に立っていた。すっきりと晴れていて、強い風が吹いている。そこから見える新宿方面の風景が必要なんだ。 ちなみにこのマンションは昔、依頼人が住んでいた。当時はまだ東京都庁は建っていなかった。東京は今よりもずっと背が低かった。 目の前の風景と依頼人の記憶にあった風景を重ねてみる。 厚い雲が空を覆っていた。ほとんど全体的に黒に近い灰色なんだけど、場所によってはオレンジ色に見える箇所もあった。時折、雷が光って、少し間をおいて、ごごごごと雷鳴

  • ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

    ようやく全8巻を読み終えた。 ハイデガーの構想としては第2部まで続く予定だったらしい。 いずれにせよ、ここで一区切りということにはなる。 本書では引き続き時間のことを中心に考察が続く。 訳者の中山元による詳細な解説を頼りに読み進めてきたが、それでも理解できたとは言い難い。ただ、それでも自分の頭であれこれ考える時間を持つというのは大切なことだ。 自分が理解できた(もしくはこうだと思った)範囲で書くと、ハイデガーは時間というものを、時計の針が刻む時間と、本来の時間を区別している。 時計の針が刻む時間は世界中の人々が仕事に行くとか、人に会うとか、そういった日々の生活に支障が出ないように便

  • 「ウエスト・サイド・ストーリー」(2021年)

    「アイデアとは既存の要素の組み合わせである」というのはよく言われることだ。 本作はシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」にアメリカの人種問題を絡めたところに巧さがある。 さらにこのスピルバーグ版が公開された2021年当時のアメリカは人種問題が大きく取り上げられていた時期でもあった。 そういう点でも、スピルバーグのセンスは洗練されている。 物語としては、アメリカのニューヨークのウエスト・サイドで、ポーランド系アメリカ人のジェッツとプエルトリコ系アメリカ人のシャークスが抗争を繰り広げている。ジェッツのメンバーで刑務所から戻ってきておとなしくしているトニーは、現リーダーのリフから、グルー

  • 第4回 久々の日本食とか。

    マンションの部屋に戻って、リビングにいくと、真理子がソファに座ってスマートフォンをいじくっていた。 「ただいま」 洋介は向かいのソファに座った。真理子は一瞬顔を上げたが、すぐにスマートフォンに戻った。洋介はスーツケースからアイルランド土産のお菓子を取り出した。真理子はぎょろぎょろした目でそいつらを眺め回して、「ありがとう」と言った。そしてまたスマートフォンに戻った。 洋介は風呂の給湯リモコンのボタンを押してから、仕事部屋にスーツケースを運んだ。 室内は熱気がこもっていた。エアコンをつけてから、荷物の整理をはじめる。洗濯物を脱衣所に運んで洗濯機に突っ込んだり、本やデジカメな

  • UFO

    UFO

  • 「ナイトメア・アリー」(2021年)

    なかなかよかった。 ギレルモ・デル・トロ監督作品だが超常現象やクリーチャーが登場しない。 ジャンルとしてはネオ・ノワール映画になるそうだ。 1945年~1960年ごろに流行したフィルム・ノワールの復興を目指したものだという。 物語としては、 流れ者のスタン・カーライルが、場末の見世物小屋に転がり込む。 獣人と呼ばれる人間のなれの果てのような人物が鶏を食べるのを見せたりするような場所だ。そんな場所だが、スタンは仕事を得て、ピートという男からコールド・リーディングを習ったりしていた。そのとき、コールドリーディングを使い続けると、正常な判断力を失い、自分が失敗していることもわからなくなる

  • 第3回 マンションまでの道のり

    果穂のことなんだが、と車中で武が切り出した。 「お前がやっている、記憶の書き換えをやってもらえばよくなると思うんだ」 「さいごの風景を補正する作業は、記憶の書き換えとは違うんだ」 洋介はちょっとむかついた調子で言って、窓を閉めた。車内はヤニ臭いままだけど、いくら換気をしても染みついた臭いは取れない。 小泉が運転席側の窓を開けて、新しい煙草を吸いはじめた。窓の外に煙を吐いたけど、車内にも流れ込んできた。迷惑なことだ、とはいえ、これは小泉の車だからね。 武が話を続けた。 「とにかく、果穂はトラウマを抱えているからさ。それを解決してやれたらいいなと思ってるんだ」 「おれ

  • 展覧会「美しさ、あいまいさ、時と場合に依る」

    「CURATION⇄FAIR」という新しいアートイベントが行われている。 展覧会と、アートフェアを、それぞれ期間をわけて行うイベントだ。 自分は展覧会のほうにいった。展覧会と、アートフェアで取引される作品が同じものなのかはわからない。 会場は九段下にある「kudan house」という施設だった。 ここは普段あまり一般公開されていないそうだ。 1927年に建てられたというから、昭和の最初期だ。 修復などもされているとはいえ、なかなか良い建物だった。 洋風建築なのだが、なぜか和室があったりして、不思議な構造ではある。 展示されていた作品は、作品そのものとしてはさほどインパクトはなかっ

  • フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

    フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年) ハルコンネン家の襲撃を受けて、アトレイデス家は壊滅的な打撃を受ける。 ポールとジェシカは戦いを生き延びて砂漠に逃れる。 フレメンと出会い、試練を経て、ふたりは砂漠の民に受け入れられる。 一方、ハルコンネン家には皇帝から調査が入ることになる。 ストーリーの大部分が砂漠や洞窟といった、フレメンの活動エリアで展開される。上巻のような大規模な動きはなく、ポールの精神的な成長がメインに描かれる。エンターテイメントを期待すると、退屈かもしれない。 「デューン」という小説がSFというジャンルでありながら、人間を掘り下げる作業に重点をお

  • 「キングスマン:ファースト・エージェント」(2021年)

    なかなかよかった。 キングスマンという組織がいかにして成立したか、という物語。 冒頭で、キングスマンのメンバーのコードネームが、アーサー王と円卓の騎士からとられているということがわかる。「円卓」なのは平等だからだという話が出る。しかし、キングスマンのオフィスではアーサーがお誕生日席に座っているのはなぜだろうか。 また、敵の名前が「羊飼い」なのは、キリストを連想するが、かかわりがあるのだろうか。 本作では、上述の「羊飼い」という人物が「闇の凶団」という組織を動かして、いとこ同士であるイギリス国王、ドイツ皇帝、ロシア皇帝を戦わせて、世界を混乱に貶めようとする。 それを阻止しようとするの

  • 「キングスマン:ゴールデン・サークル」(2017年)

    楽しい映画ではあったが、前作ほどのインパクトはなかった。 内容としては、 前作で立派なキングスマンになったエグジー。前作でともに候補生だったチャーリーに襲われる。彼はゴールデン・サークルという麻薬組織に入っていた。 ゴールデンサークルに狙われて、キングスマンの組織は壊滅的な打撃を受ける。そこで、アメリカの諜報機関であるステイツマンに助けを求める。 一方、ゴールデン・サークルは、莫大な売り上げを立てていたが、それでは満足できず、世界中に売りさばいている麻薬に特殊な薬物を仕込む。その解毒剤を渡すという条件で、アメリカ大統領と取引をする。 キングスマンはステイツマンと協力して、解毒剤の入手

  • ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

    時間をメインとした考察が続いている。 用語も含めて難解な部分が多い。それでも自分なりに考えながら読み進めてきた。 哲学に詳しい人や賢い人がどのようなコメントをするかはわからないが、今になってようやくわかりかけてきたのは、本書は人間が本来の姿に気がつくために、今までで常識としてとらえられてきた事柄を事細かに考察し、それが本当なのか主に存在と時間と言う対象について分析し、定義しなおしてきたということではないか、ということだ。 考察を続ける中で、人間は本来の姿ではなく、映画「マトリックス」のように、俗世にまみれて流されて生きている、ということが語られてきた。ただ、俗世にまみれて生きることが

  • 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた

    今回は鬼太郎ではなく、一般的な妖怪にフューチャーした展示になっていた。だから、砂かけ婆やぬりかべ、子泣きじじいといった鬼太郎ファミリーに加わっている妖怪もいたが、あくまでも妖怪カタログのひとりといった扱いだ。 大量に展示されている原画を眺めていると、妖怪によって目の描き方だとか、全体のタッチなどが全然違うことに気づく。デフォルメの強度を調整するのが自由自在だ。 それは妖怪だけでなく、人間の姿も同様だ。たとえば手の描写でも、よれよれとした線で簡単に描いてあるときもあるし、きちんと関節まで描いてあるときもある。多くの漫画家ができることなのかもしれないが、そういったことに気がついたのは1つ

  • テンプル・グランディン「ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界」(2022年)

    これはなかなかおもしろかった。 人は頭の中で考えるときに、文字で考えたり音声で考えたりするが、「ビジュアル・シンカー」は、絵で考える人のこと。 自分も頭の中に映像が浮かんで、それがどんどん連想していくということがよくあるので、以前から「人はどうやって思考するのか」というのは興味があった。 小説家の森 博嗣がエッセイで「映像で考える」と書いており、自分に似た人がいるのだと思った。自分の場合は、彼ほど強い傾向ではない。 https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_2954/ 他にもアートディレクターの中島英樹氏も映像で考えると言って

  • 呉明益「自転車泥棒」(2018年)

    台湾の小説。 二十年前に失踪した父親。彼が乗っていた自転車が、息子である「ぼく」のもとに戻ってきた。「ぼく」は、その自転車が戻ってくるまでの物語を集めはじめる。 その旅は、ビンテージの自転車の、足りないパーツを集めるようなものだ。いくら修理し続けても、完璧な状態にはならない。 この小説は大量の断片によって語られる。 自転車のパーツ、父の自転車の所有者たち、彼らの物語。 そして主人公の人生。 こうした断片によって構成される、台湾の近現代史。 読んでいて、ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」を読んだときの感覚に似たものを覚えた。 北アフリカの砂漠や迷宮をさまよい、人生の意味を探

  • ぼんやり

    ぼんやり

  • 「アリータ:バトル・エンジェル」(2019年)

    B級SFになりそうな素材を一流の制作陣や俳優の能力によって、かなりのクオリティにまで引き上げている。A級かというとそうでもないのだが、かなりいい線いっている。 2563年。 没落戦争から300年後の地球。最後の空中都市「ザレム」と、その下にある夢の島のような「アイアンシティ」に世界は分断されていた。アイアンシティの中にある夢の島のようなところでサイバネ医師イドに拾われてきた少女ロボットは、アリータと名づけられる。彼女は脳を損傷しておらず、記憶があるはずなのだが、なにも憶えていない。 イドのところで生活するうちに、アリータはヒューゴという若者に出会う。 やがてイドが賞金稼ぎ「ハンター・

  • 第2回 自営業は、自ら営業。

    南浦和駅から京浜東北線に乗り、赤羽駅で埼京線に乗り換える。新宿駅で中央線に乗り換えて一駅。洋介が中野駅についた頃、太陽はまだ高い位置にあった。 北口の改札を出たところで坂本武が待っていた。背が高くて強面だから、それだけでも目立つのに、白いスーツに身を包んでいた。武は洋介を見つけると近づいてきて腕を軽く叩いた。 「元気か?」 洋介は面倒くさそうにうなずいてから聞いた。 「どうしたんだよ、その格好は」 武は照れ笑いをしながら胸ポケットのネッカチーフに触れた。 「ゴッドファーザーパート2を観たんだけどさ」 「デ・ニーロに殺されるマフィアのボスか」 武はぱっと表情を輝

  • 谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1939年)

    なかなかおもしろい。 エッセイ集であり、表題にある「陰翳礼賛」をきっかけに「適切」とはなにかを探るエッセイが並ぶ。 「陰翳礼讃」は文字通り「暗さ」についてのエッセイ。 日本の建物は以前は暗くて、それがよかったのだという。 古い料亭で、電気を使わずに、薄暗い灯りの中で食事をするのがよいという。 日本の場合、器や、食べ物そのものが、手元もよく見えないような明るさの中で楽しむようにできているだそうだ。 西洋はなんでも明るくしてしまう。そして、日本もその影響を受けて、当の西洋人が驚くくらいになんでも明るくしてしまった、と嘆く。 西洋人が明るさを好むかどうかという話については、聖書において

  • 「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」(2023年)

    これはすばらしかった。 前作でアニメの最先端を体感させてくれたが、今回は自らそれを上書きする仕上がりになっている。 ちなみに、製作費は148億円で興行収入は1,026億円。 前作は製作費が133億円で、興行収入は、557億円だった。 実に倍の売り上げだ。前作の評価が高く、第二作への期待値が高かったのだろう。 今回のヴィランはスポットという、次元を移動するキャラクターだ。 ただし、物語の中心になってくるのは、家族であり、仲間であり、他のスパイダーマンだ。そして、正義とはなにか、という問いが、すべての中心になっている。 今回も大量のスパイダーマンが登場する。そして、大量のスパイダーバ

  • 「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2」(2011年)

    いよいよ最終話となる。 ハリーポッターとヴォルデモート卿の最終決戦は、ホグワーツ魔法魔術学校との全面戦争の様相をなす。こぢんまりとした印象になりそうだが、そうでもなくて、見ごたえのある戦いになっている。 本シリーズは「魔法と冒険」といった古典的な要素を扱っているとはいえ、映像に関してはかなり挑戦的だった。そのおかげで、最終決戦も迫力のある映像になっていたのだと思う。予算が桁違いなのもあるし、演出もうまかったのだろう。 実際、興行収入は1,990億円。シリーズで最高額だ。 普通、シリーズものは、だんだんとしょぼくなっていくのだが、最終作が一番売れるというのはすごい。このシリーズがいかに

  • 『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(2010年)

    なかなかよい作品だった。 「賢者の石」では子ども向けのファンタジー映画っぽさがあったが、徐々におとな向けのダークファンタジーになっていった。 「死の秘宝」は、そのダークな路線を引き継いではいるものの、中盤の複雑な展開ではなく、「ハリーとヴォルデモート卿の最終決戦」というわかりやすい題材で進んでいく。 PART1ではヴォルデモート卿の魂の一部を封じ込めた分霊箱を発見して破壊するというミッションがメインになる。 その反面、ヴォルデモート卿の側でもハリー・ポッターを殺害するためにさまざまな手を打ってくる。 その過程でダンブルドア校長に託された品々が常に役に立つ。 なぜ、ダンブルドア校長はハ

  • 郊外➕夕暮れ

    郊外の夕暮れはセンチメンタルだ。 なぜかはわからないけれど。 自分が生まれ育ったのが郊外だからだろうか。

  • 禅的、ZEN的

    禅的、ZEN的

  • 居場所

    居場所

  • 世界の共有

    世界の共有

  • 第1回 気まずい連中

    高橋洋介はガラステーブルの上にお土産を並べた。 お菓子やらアクセサリーやら、さほど悪いものでもないはずだった。でも、義父母は触れもしなかった。義妹や義弟はいちおう手にしたものの、表情が硬かった。こいつは気まずい。しばらく五人で黙りこくっていたんだけど、やがて義妹の奈美恵が口を開いた。 「あのさ、宝石とか貴金属とかなかったの?」 「ネックレスを買ってきたじゃないか」 奈美恵はケルト十字架をモチーフにしたネックレスをつまみ上げた。それはシルバーではなく、麻の紐に木彫りのケルト十字架をぶら下げたものだった。 「こういうのじゃなくて! 本物のケルトジュエリーとか探さなかったの?」

  • ハイデガー「存在と時間6」(1927年)

    いよいよ時間についての考察がはじまるようだ。 その一端として、人間にとっての「死」についての考察がある。 人間の一生を時間としてとらえると、「死」は時間の終わりということなのだろう。 なお、ハイデガーは人間の死と他の生物の死を区別しており、生物の死を「落命」としている。人間の死については解説において、ハンナ・アレントの言葉が引用されている。つまり、人が完全に死ぬということは、故人のことを誰ひとりとして記憶しなくなったときだ、というのだ。 そのような解釈をするのであれば、愛していたペットの死を「落命」として扱ってよいのだろうかという疑問はある。 死の話のほかに、6巻で印象に残ったのは、

  • 地平線

    町の地平線は、地平線だろうか。 がたがたの地平線。 それは都会の人間の地平線だ。

  • ボタニカル

    大自然ではなくてもみどりはすこしでも多い方がいい。 そういう場所で呼吸する。

  • 「ハリー・ポッターと謎のプリンス」(2009年)

    ホグワーツの6年生になったハリーの物語。 ヴォルデモート卿の配下であるデスイーターたちとの戦いもありつつ、ヴォルデモート卿の魂を隠してあるとされる分霊箱の捜索をする。 本作の時期になると、第一作とは違い、一生懸命魔法を覚える、ということはなくなる。もちろん魔法の勉強はするのだが、知識として蓄えていく感じだ。 魔法は主に言葉によって唱えられる。これは言霊思想のある日本人にとっては受け入れやすい。 今回はなぜかロンがモテる。 恋愛の要素は今までもあったのだが、そういう意味でもハリーたちは成長している。 本作は製作費が370億円。興行収入は1,384億円。 文字通り魔法にかかったような

  • 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」(2007年)

    5作目、つまりハリーがホグワーツで5年生になったということだ。 本作は物語の展開もかなりダークになっている。 物語としては下記のようなもの。 人間の世界にディメンターが現れ、それを撃退しようとして魔法を使った。 それが原因でハリーはホグワーツを退学を通達される。 しかし、「不死鳥の騎士団」が迎えにきて、隠れ家に移動する。 どうやら、ハリーの退学には、魔法省がからんでいるようだ。 そして、ホグワーツに新しい教師がやってくる。魔法省から派遣されてきたドローレス・アンブリッジだ。 彼女は学校を改革しはじめるが、その背後にはヴォルデモート卿の復活があるようだ。 今まではヴォルデモート卿とい

  • フロイト「精神分析入門 下巻」(1917年)

    上巻は夢判断に関する話題だった。 下巻は神経症に関する話題がメインとなる。 読んでいて思った。 夢判断も神経症の発作も、人間の内面にあるドロドロしたものが形を変えて表に出てきたものだ。 フロイトの講義は基本的に、他者とのかかわりあいにおいて出てきた症状について話している。 そう、他者の存在が前提になっている。 そのポイントをさらに踏み込むと、フロイトがこの本を書いたのも、誰かが読むから書いたのであって、そういう意味では他者の存在が前提になっている。 人間は自分の奥底になにがあるか知らない。しかし、それはなんらかの形で表に出てくる。フロイトはそれを精神分析という学問として伝えたのだろう

  • 第六回 片山雅弘が戻ってくる。(最終回)

    それから数年後。 八月中旬の土曜日の昼下がりのこと。小出健太郎は中央線に乗っていた。ドアのそばに立って外の風景を眺めていたんだ。なんの変哲もない、見ていても面白くも何ともない左から右へと流れていくだけなんだけどね。 新大久保駅を通過したあたりで誰かに見られている気がしたらしくて、健太郎はそっと振り向いた。そうすると、確かに健太郎を見ている人物はそこにいたんだ。女装した男だった。そう、片山雅弘だった。 数年前に健太郎の前から姿を消した頃よりもやせていて、化粧が上手くなっていた。それだけじゃなくて、長く伸ばした髪を栗色に染めて、さらにはストレートパーマをかけていた。トリートメン

  • 土の感触

    土の感触

  • 雑木林が光をまとう。 なぜだかはわからない。 自然はそういうことがある。

  • 可能性

    ダルマのシルエットはわかりやすいものではないのだけど、愛嬌がある。 見ているとなんらかの可能性を感じる。

  • 第五回 片山雅弘が突き抜ける。

    月曜日の朝、雅弘がオーティービーのオフィスに入っていくと、空気が凍りついた。小田部と佐川は唖然としていた。唯一、野口だけがさっと立ち上がると、雅弘の腕を掴んで、そのまま応接室に引っ張っていった。扉を閉めて、言った。 「片山さん、違うよ。それは違う!」 そう、雅弘は化粧をしていたんだ。しかも、それだけじゃなくて、花柄のワンピースを着ていた。半袖の袖口にレースの飾りがついているやつで、スカートは膝が隠れるくらいの丈がある。日曜日に尚美と一緒に買いにいったんだ。 雅弘は穏やかな表情で言った。 「野口さん、さすがにこれは想像できなかったでしょう」 野口は何度も首を横に振った。

  • 「ハリー・ポッターと炎のゴブレット 」(2005年)

    ハリーはホグワーツ魔法魔術学校の四年生になった。 三大魔法学校対抗試合をメインに、宿敵のヴォルデモート卿との戦いも描く。 今回、他の魔法学校も登場し、魔法の世界に奥行きが出てきた。 また、ヴォルデモート卿が実体化したこともあり、物語が展開しはじめた感がある。 本作でもハリーに対して「お前は孤独ではない」というメッセージが伝えられる。本作が出版された2000年には、作者のJ・K・ローリングは成功した児童文学者になっていた。状況の変化を考えると、人生がうまくいっていなかったころとは心境も違うだろう。ハリーと自分を重ね合わせていた時代は過ぎて、このころには読者に向けて、もしくは彼女とって

  • 「ハリーポッターとアズカバンの囚人」(2004年)

    ハリーのホグワーツ魔法魔術学校の三年目を描く。 ダニエル・ラドクリフをはじめとする生徒役の俳優たちが急におとなになっている。 監督がアルフォンソ・キュアロンになったためか、映像がシャープになり、前2作よりも洗練された印象を受けた。 冒頭ダーズリー家での様子が描かれる。 あいかわらず虐待されているハリーだが、今回は親戚のマージがひどいいじわるをする。これに対して、ハリーが逆襲するのだが、ロアルド・ダールを髣髴とさせる展開となっていた。こういうひねくれたユーモアというのはイギリスの御国柄なのだろうか。 なお、叔父のバーノンはいつもよりも優しくなっている印象だ。 このあたりの変化は今後どう

  • ハリー・ポッターと秘密の部屋(2002年)

    ハリーがホグワーツ魔法魔術学校に入学してから二年目の様子が描かれる。 まずは現実の世界からストーリーがはじまる。 現実世界でのトラブルがありつつも、ホグワーツ魔法魔術学校にいく。 今回は生徒が石にされるという事件が発生する。 事件はやはりヴォルデモート卿につながる。 現実の世界と魔法の世界。魔法の世界は、基本的に学校の中で物語が展開する。今のところ、魔法の世界はホグワーツ魔法魔術学校とその周囲のエリアに限定されており、村の住民だとか、他の魔法学校などといった要素は出てこない。 校内での年中行事もありつつ、事件も進展していく。このバランスが観客にとってはリアリティを感じさせるのかもし

  • 飛行機雲

    空高く伸びていく雲は、飛行機がいなくなってもしばらく続く。 それはまるで自然発生した線のようで、思わずみとれてしまう。

  • 「ハリー・ポッターと賢者の石」(2001年)

    「指輪物語」や「ナルニア国物語」といった魔法の物語を蘇らせたのが、「ハリー・ポッター」シリーズの最大の功績だろう。 本作はその第一弾。 ハリー・ポッターは、両親と死別していた。闇の魔法使いであるヴォルデモートと戦って死んだのだ。ハリーは生き延び、ヴォルデモートは体を失った。 ハリーはダーズリー家に引き取られていた。叔父夫婦はハリーを育ててはいたが、虐待していた。 叔父のバーノンと叔母のペチュニアはハリーの両親の死について知っており、彼らが魔法使いだったことも知っている。 だからだろうか、バーノンはハリーが魔法の世界(ホグワーツ魔法学校)にいくことを執拗に阻止しようとする。 それでもハ

  • 鈴木祐「YOUR TIME ユア・タイム: 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術」(2022年)

    これはなかなか良かった。 現代人は生産性を求められ、常に時間に追われている。 そして、生産性を上げてタスクを達成しても、タスクはなくならないし、思ったほどの効果はあげられない。 そんな現実を踏まえながらも、著者はいくつかの時間の使い方を紹介する。人によって適した時間の管理の仕方がある。 著者は、時間の有効活用を肯定しているわけではない。むしろ、人間が人間らしく生きるということがすばらしいのだという立場だ。個人的にもこれはよい。 ブログ「パレオな男」を愛読している。 著者の性質的なところが、自分と被るところがあって、非常に参考になる。 おそらく、日本人の中でこの著者のような悩みや不

  • 「未知との遭遇」(1977年)

    スピルバーグの傑作、というリストなどではよく名前が挙がる作品。 ちなみに「ローリングストーン誌が選ぶ最高のSF映画150選」でも3位だった(1位は「2001年宇宙の旅」)。 アメリカで大規模な停電が起こったり、未確認飛行物体が飛来するなどといった現象が起こる。そんな中で、主人公のロイ・ニアリーはなにかに憑りつかれたようになり、導かれていく。 といったストーリー。 2時間ほどの作品で、1時間40分ほどを「なにか大変なことが起こっている」という予感だけで引っ張るのは見事だ。 スピルバーグの自伝的映画「フェイブルマンズ」で、子どもの頃に観た「地上最大のショウ」で、機関車が車を吹っ飛ばすシ

  • 第四回 片山雅弘が新しい顔を手に入れる。

    土曜日の朝、片山家は静かだった。尚美はいつものように三面鏡の前に座っていた。背後に雅弘が立っていて、鏡に映る妻の姿をじいっと見つめていた。時々目が合うと、尚美は視線を逸らした。雅弘が「塗りすぎじゃないのか?」などとからかうと、尚美は弱々しく微笑んだ。確かに塗りすぎではあるんだけど、ファンデーションを厚塗りしても頬が腫れているのを隠しきれていなかったんだ。 「職場で、厚化粧してきたって言われるんじゃないか?」 「もともと厚化粧だと思われてるから……」 尚美の声はか細かった。雅弘はパフを使ってファンデーションを手の甲に塗ってみた。 「化粧をした顔が本当の顔だと思われてるんじゃない

  • 「エイリアン:コヴェナント」(2017年)

    基本的な構造は前作「プロメテウス」(2012年)と同じ。 ・宇宙船がとある星に探査にいく(ミッション) ・エイリアンと遭遇して襲われる(戦い) ・生き残った乗組員がその星を立ち去る(英雄の帰還) といった、典型的な「行きて帰りし物語」の構造になっている。 ほとんどの物語はこの構造を用いているのだが、「プロメテウス」と本作は探査船の乗組員が未知の星に探査にいってエイリアンに襲われる、というプロットになっているので、「前作と同じだ」という印象が強い。 ある意味いたしかたないのかもしれない。 登場人物のつながりももちろんあるのだが、むしろ創造主は誰か、というテーマがつながっている。「プロメ

  • 「ブレット・トレイン」(2022年)

    伊坂幸太郎原作、ブラッド・ピット主演で、日本が舞台。ということで話題になった作品。製作費は120億円で、興行収入は344億円と、大ヒットを飛ばした。 監督は「ジョン・ウィック」のデヴィッド・リーチ。「ジョン・ウィック」の頃は、スタントマン出身だからアクションがいい、という評価だったが、「デッドプール2」「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」の監督でもある、となると、アクションが得意なのはもちろん、ヒットメーカーであることもつけくわえる必要がある。 このような制作陣なので、アクション満載の娯楽作品に仕上がっている。 東京から京都に向かう新幹線に大量の殺し屋が乗り込んでそれぞれの目的のた

  • 「ノースマン 導かれし復讐者」(2022年)

    邦題そのままの内容で、父親を殺された息子が成長して復讐するために戻ってくる。というもの。原題は「The Northman」なので、「城之内 死す」ではないが、邦題がネタバレをしてしまった印象。 ただし、映画としては良い出来だ。 主人公はヴァイキングではないのだが、北欧神話を信仰している世界観になっている。戦って死ぬとヴァルハラにいける、と信じている世界だ。 映画の雰囲気としてはマッツ・ミケルセン主演の「ヴァルハラ・ライジング」(2009年)の拡大版といったところ。製作費は「ヴァルハラ」が7億2千万円であったのに対し「ノースマン」は99億円~128億円ということなので規模が大きい。

  • ハイデガー「存在と時間5」(1927年)

    人間は普段、日常生活において現実世界に頽落してしまっている。つまり、人間本来の姿ではなくなってしまっている。 それが、不安によって、本来の自分が見えるというのがハイデガー( 1889年9月26日 - 1976年5月26日)の主張。 フロイト(1856年5月6日 - 1939年9月23日)も、不安という現象が人間の精神を深いところで刻印していると考えていた。同時代の人がこういうことを考えるのは面白い。 この考え方は映画「マトリックス」(1999年)の「カプセルの中で眠っている本当の自分」と「機械が作った仮想世界で生きている自分」に置き換えるとわかりやすい。 赤いカプセルと青いカプセルの

  • フロイト「精神分析入門 上巻」(1916年-1917年)

    古典なだけあって面白いが、逆に疑問もわく。 当時と現代では当然時代が変化しているので、どの程度現代にも有効なのだろうか。 夢の解釈の話でかなりの分量をさいているが、あくまでもタイトル通り「精神分析」がテーマなので、「夢占いのハウツー」ではない。 といったあたりは留意点としたほうがよいだろう。 おもしろいと思ったのは、 ・人が言い間違えたり、忘れたりするのは、深層心理でそれをガードしている。 ・自由連想のくだり。人は自由連想で1番興味のあるものを連想する。しかしながら、自由連想というものはそれほど自由ではないらしい。 ・夢を解釈する際に、夢に出てきた対象(アイテムとか)の名前や言葉に

  • 奈良美智: The Beginning Place ここから@青森県立美術館 240102

    青森県立美術館には「あおもり犬」と「森の子」があるので、今回の企画展では、建物全部で奈良美智美術館といってもいい印象を受けた。 展示自体は展示数自体は多すぎず少なすぎず、ちょうどよかった。 1,家 2.積層の時空 3.旅 4.No War 5.ロック喫茶「33 1/3」と小さな共同体 上記のテーマに沿って、1979年から2023年までの作品からチョイスされていた。 5つのテーマは奈良美智の作品を観ている人なら納得がいくと思う。 80年代の作品は現在の絵とはだいぶビジュアル的なテイストが違うのだが、人物の目はすでに今の目と同じなのが興味深かった。奈良美智にとって目とは、どうい

  • 「TAR/ター」(2022年)

    予告編では、ケイト・ブランシェット演じるストイックな指揮者が芸術の極北に到達するために正気を失う話かと思っていた。 たしかにそういう映画ではあるのだが、想像していた展開とだいぶ違っていて驚かされた。 リディア・ターという女性指揮者の物語。 彼女はペルー東部の先住民音楽を研究し、彼らと5年間ともに暮らした、という経験もあるが、その後、華々しい経歴を重ねて、ついにはベルリン・フィルの首席指揮者にまでのぼりつめる。 マーラーの5番のライブ録音を控え、リハーサルを重ねる。演奏は順調に仕上がっていく。しかし、ターが過去に指導した若手女性指揮者の自殺をきっかけに、彼女自身の人生が大きく狂わされて

  • 第三回 片山雅弘が会社でぶちぎれる。

    四ツ谷駅から徒歩十五分、靖国通り沿いのマンションの一室に株式会社オーティービーっていう会社がある。 雅弘が働いている会社だ。 もともとこのマンションはオフィスというよりは一般の住居用なんだけど、そこをリフォームして事務所を構えているんだ。会社の構成としては、社長の小田部が八十歳、経理の佐川が六十五歳、営業の野口と雅弘はともに三十九歳という、家族のような構成だ。 仕事の流れの話をしておこうか。 この会社では毎朝、各々の活動報告をする。ちなみにオーティービーの主な業務は、製薬会社が新製品を発売する際に使うプロモーション用DVDの制作なんだ。とはいえ、現在、作業が進んでいる案

  • 「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」(2023年)

    人気ゲームの映画化というのはうまくいかない印象があるが、本作は大ヒットした。製作費140億円。興行収入1,900億円。これは2023年の世界ランキング2位。1位は「バービー」の2,000億円。3位は「オッペンハイマー」の1,300億円。 公開当時、任天堂の宮本茂代表取締役フェローが「一番求めていたのは『心に残った』などではなく、純粋に『すごく楽しかった』と言ってもらえること。」と語っていたのが印象的だったが、まさにその言葉通りの仕上がりだった。中だるみがなく、テンポよくどんどん話が進んでいく。 ゲームはやらないので、最近のマリオブラザーズがどういうゲームになっているのか知らない。た

  • 「浮き雲」(1996年)

    アキ・カウリスマキ監督作品。 カウリスマキの作品は、「コントラクト・キラー」(1990年)についで、まだ2作しか観ていないのだが、この人はいつも労働者階級を描いているのだろうか。そして、時代を反映している。 本作の時代背景としては、1992年のフィンランドの恐慌を意識しておくとよいだろう。 主役の夫婦は、夫は市電の運転手、妻は昔ながらのレストランの給仕長だった。質素ながらも悪くない生活をしていたが、ふたりとも急にリストラされてしまう。転職先を探すのだが、年齢的にもキャリア的にも魅力がなく、なかなかうまくいかない。 現在働いている職場ではそれなりに重要なポジションにいたとしても、転職

  • 「わたしの叔父さん」(2019年)

    フラレ・ピーダセンというデンマークの監督の作品。 第32回東京国際映画祭で東京グランプリと東京都知事賞を受賞。 製作費は不明だが低予算だろう。興行収入は400万円。 27歳のクリスは足の悪い叔父を助けながら、伝統的な農場を営んでいる。 彼女が叔父と暮らしているのは、ある理由があるからだった。 日々を淡々と過ごしていく中で、村の獣医が彼女には獣医になる能力があると気がつき、そのための手助けをするようになる。 同じころ、クリスは教会で気になる若者に出会う。 若者のほうも、クリスに好意を寄せてくる。 クリスの人生に、変化が訪れようとしていた。 本作を観ていて「適齢期の娘と父親(役の男性)

  • 「PERFECT DAYS」(2023年)

    これはよかった。 初老の男の平凡な日常を神話的な構造で描くというアイデアに驚いた。 内容としては主人公の平山が公共トイレの掃除という仕事に従事する日々を淡々と描く。それだけだと退屈になりそうだが、本作ではジョゼフ・キャンベルの英雄譚のプロットをそのまま使っている。 朝、老婆が竹ぼうきで掃除をする音で平山は目覚める。これは冒険譚において主人公がミッションを命じられる過程にあたる。 身支度をととのえて、車で出発する。 日中はトイレ掃除をする。これがミッションに該当する。 一日働くと、帰宅して、浴場にいき、飲み屋で一杯やって帰る。ここはミッションを達成して報酬を獲得するパートになる。 本

  • つながり

    つながり

  • 学び

    四方を壁に囲まれていても育つ木もある。そこから学べることもありそうだ。

  • 飛行機雲

    冬空に飛行機雲がのびていく。 しゅっとした線は、眺めていると気持ちがいい。

  • 人にやさしく

    人にやさしく

  • 第二回 片山雅弘が進化する。

    雅弘は肩を蹴られて目が覚めた。 日曜日の朝だった。布団の上に体を起こして、蹴られた部分をさすりながら恨めしそうな顔をしてみた。もちろん、「ごめんなさい」なんて声は聞こえてこないんだけどね。で、蹴っ飛ばした犯人らしき、尚美は三面鏡の前で化粧をしていた。その背中を睨みつけた。 「蹴っただろ」 「ごめんなさい」 いちおう謝ってはくれたけど、本当に「いちおう」で、感情なんかこもっていなかった。雅弘は、化粧を続ける妻の背中に向けて、聞こえよがしに舌打ちした。尚美は驚いて振り向いた。雅弘が睨むと、慌てて鏡に向き直った。 尚美は顔が小さくて、目がきらきらしている。悪くないじゃない。で

  • ジュウガツザクラ

    季節外れに感じる桜。 ジュウガツザクラ。 もう10月じゃないから、やっぱり季節外れなのか。

  • 第一回 現実は現実ではない

    冒険をしなければ人生は変わらない。 もちろん、歳を重ねても学ぶことは多い。ただそれはあくまでも「学ぶ」だけなんだ。生き方ががらりと変わるようなことはまずない。基本的な考え方が固まっているから、大きな変化が生まれない。もう学生ではないから、すべてを捨てて新しい世界に飛び出すような真似はできないんだ。片山雅弘もそうだった。 39歳という年齢を考えれば、それが普通だよね。 そんな彼が奇妙な感覚に襲われたのは六月の下旬の土曜日だった。 その瞬間は中央線に乗って新宿駅に向かっている時に訪れた。と、言ってもそれほどおおげさなものではなかったけどね。ドアの近くに立って、窓の外を眺めてい

  • 木の味わい

    木の味わい。 これは時代を経た味わいだ。 手で味わう。 鼻で味わう。 感覚で味わう。

  • 民藝

    民藝とは、そのあたりにあるものに美を見出す運動だった。 今は、とうじのものじたいが珍しい。 民藝は骨董だろうか。

  • 神様

    神様

  • ちょっと先

    ちょっと先

  • 「ザ・バットマン」(2022年)

    これはすばらしかった。 位置づけとしては「バットマン」というよりはポランスキーの「チャイナタウン」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」に近いと思う。 ストーリーは、若きブルース・ウェインを扱っている。冒頭で「2年間の生活で、おれはすっかり夜型人間になった」というモノローグがあるので、「イヤースリー」ということになる。 市長が暗殺され、犯人からバットマン宛の手紙が残されていた。 その後も、ゴッサム・シティの政治にかかわる重要人物が次々と殺されていく。 犯人がリドラーであることは早い時期にわかる。リドラーを追ううちに、ブルース・ウェインは、この事件が自らの両親や、ゴッサム・シティが

  • 日本民藝館

    柳宗悦(1889-1961)が1936年に建てた施設。 普段使いの工芸品の中に美を発見した柳宗悦は、民藝運動を展開する。民藝とは「民衆的工藝」の略。 食器や時計などと一緒に十字架などのイコンも陳列されている。日本の仏壇はなかったが、宗教的なアイテムも工芸品なのだろう。 自分は初心者なので細かいことはわからないが、眺めていると、なるほどたしかに味わいがある。 展示物だけでなく、建物そのものにも雰囲気があってよい。 自分が訪れた日はなぜか混雑していたのでやや騒々しい印象はあったが、静かな時に訪れるとよいのではないか。 また訪れて、いわゆるアートとは違う美の感覚というものを培っていきたい

  • 坂田和實「ひとりよがりのものさし」(2003年)

    「古道具坂田」主人によるエッセイ。 自分はまだ工芸と民藝と古道具と骨董品の違いがよくわかっていない。 本書で扱われているものは、おそらく「古道具」なのだろう。 とにかく主人が美を発見したアイテムを紹介している。 長い時を経てぼろぼろになったアイテムが多いのだが、見ていると、なんとなく味わいがあるような気がしてくる。古道具というよりは博物館に展示してあるような「瓦」のようなアイテムもある。 本を眺めていて楽しいのだが、所有したいかというとそうでもない。 ただ、アート・ファッション界隈では民藝関係に注目が集まっている印象がある。 具体的には村上隆や、UNDERCOVERの高橋盾、NIG

  • 黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」(1984年)

    発売初年は一年間で450万部売れたという。 黒柳徹子が書いたというネームバリューはもちろんあったのだろう。 だからといって、「売れたタレント本」というジャンルではなく、現代的なテーマが描かれており、むしろ今読むべき本になっている。 ストーリーとしては、 自由過ぎるふるまいのおかげで何度も転校を繰り返していたトットちゃんこと黒柳徹子。トモエ学園という小学校は、そんな彼女のふるまいをそのまま受け入れてくれる場所だった。 両親をはじめ、校長の小林先生や、同級生といった仲間たちに囲まれて、トットちゃんは成長していく。 というもの。 トットちゃんがおもに学校で体験したエピソードがつづられてい

  • 町並み富士山

    夕日と富士山。 町並みというフィルターを通すと、どこか懐かしい風景になる。

  • エロ

    エロ

  • 文藝別冊「望月ミネタロウ」(2023年)

    望月ミネタロウは「ちいさこべえ」が好き。 大火事で実家の工務店「大留」と、両親を失った茂次が、工務店を立て直すために奮闘するという物語。こぢんまりとした素敵な作品だった。 おはなしもよかったのだが、洗練された画面構成が特に好きだ。 ちなみに、「バタアシ金魚」や「ドラゴンヘッド」は読んでいない。「バイクメ~ン」は少し読んだ。嫌いというわけではなく、ただ読んでいないだけ。 望月ミネタロウの作品は登場人物のリアクションが独特で、自分はちょっと違和感を覚える。そういうのもあって、完全にはハマっていないのかもしれない。 読者としては、このような立ち位置。 そんな自分でも、この特集はかなり楽し

  • シャルル・ペパン「幸せな自信の育て方」(2022年)

    著者のシャルル・ルペンは「フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者」という著書もある。 今回の「自信」もそうだが、身近な題材に哲学をからめて語る本が多い印象。 この本を読んですぐに自信満々になれるというものではないが、しごくまっとうなアドバイスが書かれていて、それはそうだろうという印象。哲学をからめつつ、ライトに語られている。自信を身につけるための新しい方法を語るというよりは、哲学の敷居を下げるのが目的なのだと思う。 そういう意味ではとっつきやすくてよいのではないか。 ちなみにこの本はフランスでも出版されているのだろうか。巷で語られているフランス人の印象だと、こういう自己啓発本は読

  • センチメンタルな空気

    センチメンタルな空気

  • アート

    アート

  • 不安

    不安

  • 夕日

    冬は日が傾くのが早い。 寂しいけれど、美しくもある。 不思議な感覚。

  • 「チャーリーとチョコレート工場」(2005年)

    原作はロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」(1964年) ウィリー・ウォンカが自分が経営しているチョコレート工場に子供たちを招待する。世界中でたった5人というプレミアムチケットだ。 貧しい家族とともに暮らすチャーリーは幸運にもそのチケットを手に入れ、おじいさんと一緒に工場見学に行く。 中に入ると、そこは工場というよりは遊園地のような場所だった。見たこともないような光景を目にして、子どもたちは羽目を外す。そして、自業自得とも、ウォンカの策略にはまったともいえるように、脱落していくのだった。 わがままな子どもたちと対比されるのが、貧しいチャーリーだ。彼は欲望の赴くままに生きるの

  • 心の闇

    心の闇

  • アナログなデジタル

    アナログなデジタル

  • 銀杏

    銀杏が絨毯のように敷き詰められて。 寂しい季節はそれはそれで美しい。

  • いいね!もいいね!

    いいね!もいいね!

  • 「すばらしき世界」(2021年)

    殺人の罪で服役していた元殺人犯の三上が社会復帰を試みる。 復帰、といってもずっと極道の世界で生きてきた人間がカタギの世界で生きようとするのだから、もといた場所に戻るのとは違う。彼が今まで生きてきた世界とはまったく違う。三上はカタギの世界に馴染もうと努力する。しかし、体に染みついている感覚が、庶民の世界との違いを浮き彫りにする。 それでも彼を見守ってくれる人々はいた。 元極道の社会復帰という設定にはさほど新鮮さはないが、三上の母親探しや、それをテレビにするという名目で彼をネタにしようするテレビ局の人間とのやりとりなど、サイドストーリーが本作に奥行きをもたせている。 役所広司の演技はな

  • グラウンディングみたいの

    グラウンディングみたいの

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、chloe_sさんをフォローしませんか?

ハンドル名
chloe_sさん
ブログタイトル
ポップアートとしての文学
フォロー
ポップアートとしての文学

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用