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  • 朝鮮通信使

    川越パレード去る11月11日(日)に朝鮮通信使のパレードが、川越の蓮馨寺から蔵の町を通り、札の辻迄行進した。朝鮮通信使が川越の街を通ったの?史実はどうあれ、硬いこと言わずにパレードを楽しんだ。時代は遡り室町時代には、信書の交換など朝鮮と通信が交わされた、秀吉の朝鮮侵攻で中断したが、江戸時代には復活した。その時代によって規模も違っただろうが、朝鮮通信使一行は500人ほどの行列に、国内の武士200人ほどが警護に当たり厳めしい大行列だったらしいが、近年行われる通信使パレードは、華やかさを増すため、沖縄エイサーの踊り、北海道アイヌ民族衣装の一行、各国民族衣装の一行等が続き目を楽しませてくれる。横断幕を広げパレードを開始行列の初めに特徴ある帽子と色鮮やかなコントラストのある衣装でラッパと鉦が賑やかに一行を盛り上げる通信使...朝鮮通信使

  • 戦争を語るー9

    昭和20年3月10日の大空襲空襲が激しくなった時に疎開先から本郷区の両親の元へ帰った、本土空襲は頻度を増していた、1万mの安全空域をB29が編隊を組んで主として焼夷弾だが爆弾も投下した。当時東京は「東部軍管区」だった、南方洋上にB29編隊を確認すると、「東部軍管区情報、南方洋上に敵数目標有り」とラジオ放送と共に警戒警報のサイレンが鳴った、相模湾近くになると「東部軍管区情報、敵数編隊相模湾上空に侵入」の放送直ちに空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り響く、暫くするとB29編隊が現れる、自分の頭上でなければ安心、自分の頭上を飛ぶ時は焼夷弾爆弾に見舞われる可能性が高い、国民学校6年生が恐怖心もなく、冷静に空襲の状況を見つめる、そこまで死を覚悟していた。B29から投下された焼夷弾は一つが親爆弾で、空中で分解され数100発...戦争を語るー9

  • 戦争を語るー8

    学業より勤労奉仕が多くなった学童疎開で疎開者が地元の級友に手痛い洗礼を受けたが、級友とも仲良くなり交流が出来楽しく過ごせたが、教室で勉強の機会は少なかった。ガソリン不足で軍用車飛行機燃料が逼迫、松の根っこ(松根油)を堀り精製して燃料にした、(だが燃料としては余り役に立たなかっようだ)土手の補強に植えられた樹齢数十年を経た大木の松の根っこ堀り、小学生の力では大変な労力、それでも頑張って掘った。飛行兵が搭乗する時に着る羽毛入りのチョッキ、羽毛が無くなり代替えにススキの穂を入れた、そのススキの穂を取りに、葡萄郷勝沼の先の山へ4里も歩き山へ入ってススキの穂を刈った、往復8里も歩き山でススキの穂を刈ったが遠足気分で楽しかった。疎開者いじめをした10数人の級友とも、或る事をきっかけにとても仲良くなった。疎開者は食料が乏しい...戦争を語るー8

  • 季節はずれの花と季節の植物

    植物の生命力我が家の狭い庭の一角に毎年時期が来ると朝顔が群生する、それは昨年咲いた花が種を落とし芽を出す、そこへ家内が棚を作り朝顔を這わせ、7~8月になると毎朝100以上の花を咲かせる、夏の朝顔は9時頃になると日差しが強くなり萎んでしまう。その朝顔の種が少し離れた所に飛び、10月末に芽を出し、11月半ば過ぎの晩秋に毎朝10個以上の花を咲かせる、晩秋の朝顔は日差しが弱いので夕方まで咲いている、季節外れの朝顔が楽しめる。その脇にじゃが芋が大きく成長している、これも季節外れの植物、根には多分子芋をつけている、来春3月には芽を出し6月には小さいけれどじゃが芋が収穫できる。11月半ば過ぎ咲き誇る朝顔、日差しが弱いので夕方まで咲いている朝顔の脇に成長したじゃが芋、季節外れ、でも根には子芋がある、来年3月には芽を出し、6月に...季節はずれの花と季節の植物

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